2014年04月24日

(^_-)-☆国民の平均年齢

 1924 結局、徹夜になってしまった。客先訪問や来客があって、休むことなく、忙しく、動き回った。歳を取ると、疲れや眠さを感じるのが鈍くなっているのでしょうか、今のところ、疲れを感じない、もっとも、車を8時間も10時間も、ブっ通しで、運転する事に比べれば、体への負担は少ないと思う。そして、今日も、まだ仕事をしている。徹夜連続になるでしょう。明日、新規の仕事の依頼があることは確実で、その詳細打ち合わせが予定されている、大丈夫かな。
こういう、私の様な年寄りも増えていることも事実として、
平均年齢で検索すると、ほとんど、聞いていない平均寿命が出てくる、違うだろ。平均寿命や平均余命の各国を比較し、一番だ、二番だ、と言っているのは、何の意味があるのでしょうか、医療や保険制度が発達して、なかなか、死なない、この世に長くいる時間が長くなる、それだけの比較に何の意味があるのでしょうか。

国の将来性、発展性や幸福観と大いに関係がある、年齢に関する指標は国の平均年齢だと思う。平均寿命が長くなっていて、人口減少ということは、新たに生まれる人が少なくなっているからです。平均年齢がどんどん上がって行くのです。生産しない、新しいものを産めない、創造性がない人が増えて、年金や医療費を多く使うのです。若い時に負担したのだから、歳を取ってから、返してもらって、当然という分けにはいかない。負担する人が少なくなっているのだから、返してもらえると思っている金額がすくなくなってくる。また、若者は、将来、年金を受け取れなくなると思っているから、年金を払わないという人も多い、だから、なお、現在の原資が少なくなるのです。
年金の支給年齢は逃げ水のように高齢になって行くし、支給金額も少なくなる、医療費の個人負担の割合が多くなる。今、とっくに、そうなってきている。

福祉を優先するなら、それに当てる税収が必要だ。高福祉国家は消費税が高い、食料など除外はあるが、20や25%は当たり前だ。

理想的には人口構成は男女左右同人数で、100才くらいを頂点とするピラミッド型でしょう。正三角形だろうが、二等辺三角形だろうが、平均年齢は下から三分の一辺り、30数才というところでしょうか。日本は、というと、ピラミッド型とは程遠くなって、ずん胴がたというか、ドラえもんがたというか、平均年齢がほぼ真ん中になってしまっている、数年後には真ん中より上の50才を超えてしまう傾向だ。
インドネシアはどうか、多分、30歳まで行っていないと思う。ピラミッドの頂点がおそらく80才ちょっととすれば、やはり、下から三分の一くらいに平均がある。そのまま、ピラミッドの頂点が100才くらいになれば理想的だし、国は発展し、生活水準も上がってくるだろうし、何より、若い人が多いということは活気があっていい。私が就職し始めたころの様子に似ているような気がする。
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私は、これで徹夜をしています。
平均年齢 活気 将来性
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2014年04月23日

(^_-)-☆戦争責任は誰

1923 まだ。仕事をしている、これから徹夜になりそうだ。
靖国神社参拝者に、マスコミは是非質問してほしい事がある。
1 天皇陛下が靖国神社を参拝しないことは、戦争で亡くなった人たちを悼み、二度とこのような戦争を起こさない誓いをする、そういう、気持ちがないと思うのか。
2 先の戦争を起こし、アジア諸国に軍隊を送り、国民に多大な負担を与え、多くの現地人や日本人を死なせた責任者は誰だと思うか。また、どういう集団だったと思うか。それを、極東裁判の結果は別にして、日本人自身で責任を検証、確認したらいいと思うがどうか。何故、戦争に走ってしまったのか、原因を確認することは、なされていないのではないか。
3 外国人が批判しているのは何故だと思うか。そして、それを、排除する方法はないのか。賢い日本人なら、外国が快く思わない事をあえてしないで済む方法があるのではないか。
何故、マスコミは、そういう質問をしないのでしょうか。朝日新聞ですらしない?

政治家の参拝者の話を聞いていると、「戦死者を悼み、二度と戦争を起こさない誓いをする」というのは本心ではなく、戦犯が合祀されているから、その人たちの死を悼んでいるように聞こえる。二度と戦争を起こさない誓いどころか、「文句を言うならいつでも掛かってこい、相手になってやる」と言っているように聞こえる。これでは、戦争を扇動した人たちと同じ人種だと思われても仕方がない。信仰の自由とか、宗教の独立性を尊重とか、詭弁に過ぎない。
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西海岸から、半島(チャガール アラム)を望む、このジャングルに分け入ってラフレシアを捜すのです。この写真の右から三分の一くらいに、ちょっと低くなったところがある、そこから、西海岸、こちらの方を見ると、
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こんな風です。
断水が直っていないどころか、水曜日、明日には回復するという話もどうも怪しい、大家さんが、見かねて、大きなポリ容器に水を入れて届けてくれたらしいが、確認していない。大家さんの家は断水していないとか。
 靖国 戦犯 責任
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2014年04月22日

(^_-)-☆踏んだり蹴ったり

 1922 昨日帰宅した時に断水になっていて、今朝も家から出るまで、水は出なかった。トイレも水が出ない。先程、会社から帰って、蛇口をひねったが、まだ、断水のままだった。隣へいて聞いてみた。どこかかのパイプが破損したのだそうで、水曜日の昼ごろ治るのだそうだ。洗濯や水浴びも出来ない。困ったものである。

インドビジョン、時々、ブロックという表示が出て、何も映らなくなる。先週の水曜日から木曜にかけて映らない状態だった。会社契約で視聴料は天引きにしてあるので、会社から金曜日に、インドビジョンにクレームを付けてもらった。帰宅しても直っていないので、夕方また、文句を言ってやった。その返事が、設定に不備があったということらしい、今回は始めてではなく、何度も繰り返していて、その都度、なんとなく,治っていた。今さら、そんなおことを言うのは、附に落ちない。今までのブロックと回復は何だったの、理由が分からず、自然に直っていたのでしょうか。
そして、その時の返事が24時間以内に正常に戻します、だった。1時間で直るかもしれない、2時間掛かるかもしれない、24時間なら、100%近く、正常に戻っているいでしょう、という説明。分けのわからない説明、インドネシアを感じる。説明だか、言い訳だかをしている、ご本人自身、その説明が正しいと思っているのでしょうね、きっと。私なら、そんな説明で、相手が納得するとは思わない。
結局、金曜日、出発する時間、5:30頃、まだ、治っていなかった。昨日の話から、12時間過ぎている、まだ。24時間過ぎていないので、直っていなくても、文句は、言えないなと思う。
そして、何時から、治ったのかはわからないが、あれから、約72時間後、直っていることを確認した。また、ブロックの表示だけになってしまうかもしない、そうなったら、もう、契約を止めようと思う。
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黄金色に稔った遠くの山麓に至る田園地帯、同じ地方の水没田圃とは対照的だ。
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バンジャールとパンガンダランを結ぶ道沿いに、旧日本軍が作らせた鉄道線路の名残というか、残骸というか、跡が残っていて、所々で、道から見える。これはジャングルのようになってしまった中に鉄橋があった。見えますか。
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チアミスの山の中の道沿いに何件かのCempedak(チュムペダック)の直売店があったので、三つ買ってきた。また、好評だったチュムペダック酒を作ろうと思う。一個、約1kg、100円弱である。チカラン辺りではもう売っていない、シーズンが終わりに近い、チカラン辺りでは、Kg当たり200円くらいしていた。
水飢饉 テレビスト 不可解
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2014年04月21日

(^_-)-☆満足感なし

 1921 今回の旅、どこへも行かずに、ゴルフを三日間やっていた方がよかった。ダダ、疲れにいただけだったかも入れない。帰りは渋滞をできるだけ避けるために、8時前に出発した。ある程度順調だったが、タシクマラヤのバイパスを過ぎたあたりから,怪しくなってきて、昨年のレバランから使用可能になった一方通行の道に差し掛かって、すぐに、大渋滞の尻尾についてしまった。
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最初は5車線、しごきあいながら次第に車線が狭まって、最後に一車線になるという道、急な登り坂、下がってコツンと当たっているし、オーバーヒートで立ち往生も続出、もう、散々な道だった。そこを切り抜けても、バンドゥンまでも、芋虫渋滞、チプララン高速道路も車が一杯、チカンペックからジャカルタ道に出てもおなじ、私は、その90%を路肩走行した。それでも、家に着いたのは16:30丁度だった、8時間半かかったことになる。
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今朝の西海岸の様子、見渡す限りの人は昨日と変わらない。これほど多くの人びとがいるのに誰一人として泳いでいない。膝くらいの高さの波のそれ以上、岸から離れようとしない。我こそは、沖へ泳いで行ってみる、と、思う人はいないのでしょう。打ち寄せる波の高さは、1,5mくらいあるし、たまに2m以上の場合もある。それも、午後になれば風が出てきて、もった高くなる。波打ち際の人が小さく見える。
海岸の波は危険だという教育が徹底しているのでしょう。また、水泳を学校で教える機会は全くないようだ。学校にプールがあるという話を聞いたことがないし、見たこともない。なお、運動場がある学校も、ほとんどないと思う。中庭という感じの広さも広場はある。
泳げないし、危ないという意識が徹底しているので、誰も、我こそはと、思わないのでしょう。

今回、面食らったこと、とにかくどんどん観光客が増えている。今回も,地元に人はレバランの時のようだという詩、来月末に大型連休がある。その時は,今回以上だろうと予想している。ホテルはどんどん増え、今も建設中が沢山ある。また、改装をした、改装をしている、改装の計画があるというホテルも沢山、それらに、共通することは、宿泊代の値上げだ。一年前の倍になっているホテルも多い。50万Rp以下の部屋を探すのが難しくなった。今回泊まった部屋は、部屋の前に人が集まりやすくなっていて、話し声、笑い声が煩い、12時過ぎても、やかましかった。温度コントロールが難しいエアコンは付いているが、カマールマンディはお湯はなし、TVはTV ONEしか写らない、シングルベッドでしたが、35万Rpでした。高!!!
忍耐 競り合い 集中
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2014年04月20日

(^_-)-☆残念だが

 1920 ちょっとだけ期待していたrafflesia patma bunga bangkaiラフレシア パトゥマ ブンガ バンカイに会うことが出来なかった。朝、8時ころからチャガール アラムに入って、滝の上までのルートで捜したが、匂いに、全く、会うことが無かった。匂いが無ければ、捜しようがない。残念でした。しかし、一人で良かった、友人と一緒だったら、がっかりさせたでしょう。

代わりに、こちらへどうぞ!!
http://otaenplaext.net/newpage32.html
http://otaenplaext.net/newpage33.html
ついでに、こちらも、その他にも沢山あります。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage041.html
http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0010.html

皆さん、どこから湧き出してくるのでしょうか、ものすごい人数だ。ライフガードに聞いたところ、三日間で5万人を予想しているとか、見渡す限り、人人人である。こんなに多くの人が、いつの間にか、いなくなってしまう。どこに、収まっているのでしょうか、皆さん、泊まっている場所に収まってしまっているのでしょう。
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サンライズとサンセット、
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これだけの喧騒、大賑わいなのに、ジャングルに入ってくる人はほとんどいない。約、3時間、歩きまわったが、人に会ったのは、一度だけでした。チャガール アラムに入るには7000Rp払う、入って何種類かの洞穴には行ったり、パシール プティで遊んだりするだけで、散策をするという感覚でしょう、体力を使う場面はない。ジャングル(チャガール アラム)には入らない、一度、入れば、樹木が伐採されていて、見通しいがいい場所を通過し、登って行って、ジャングルに入る、滝まで行くのが普通のルートで、そのコースなら、休憩を何回かする、出てくるまで5時間くらいかかるのが普通だ。人が入ってこないのは、時間が掛かる事、大変な事が理由だろう。ラフレシアを見に入ってやろう、などと、思う人はほとんどいない。
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ジャングルの中は、一応、踏まれたルートがある。その両側にラフレシアがあるならある。今日のコースは、いつもの慣れたルートだ、しかし、かなり、倒木や小枝の邪魔が多かった。踏まれた道の前方が倒木で塞がれている場面が多かった。ガイドが真中にいるが見えますか。

最近のパンガンダランで気になることは、電飾のオドンオドンが急増している事、二人乗り、3人乗りの自転車は在るが、目立たなくなってしまった。どちらも、インドネシアではここにしかないと思う。
もう一つは、駐車場で料金を取るようになってきた。今までは、駐車場の出入り口で取るというシステムはほとんどなく、車を止められる場所にトカン パーキルらしき人物がいて、必要ないのに、勝手に誘導して、チップを貰う、そういう、場所がほとんどだった。今は、チケットを渡し、そこから出る時に払うという場所が多くなった。ちなみに、私は、払う必要ない、駐車場に何回も出入りするが、全員が私を知っているので、誘導はしてくれて、私から料金を取らない、チケットも渡さない。
封鎖 落胆 変化
posted by 元気な振りの爺さん at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月19日

(^_-)-☆竜宮城へ

 1919 イースター、本日から三連休、久しぶりにパンガンダランにいる。前回は何時だったか覚えていない。知る必要はない。今回はチャガールアラムに一度入ってrafflesia patma bunga bangkaiラフレシア パトゥマ ブンガ バンカイを捜そうと思うが、その他の事では、あまり行動しないで、ゆっくり、浜辺でのんびりしようと思う。

5時半に家から出た、チカラン バラットからジャラン トールに入った。いきなり渋滞、ガソリンが少ししか残っていない、このまま渋滞の中にいては持つかどうか心配だし、途中のテンパットゥ イステラハッのガソリンスタンドの大渋滞だろうから、時間の無駄になると思い、デルタマスで下りてしまった。何と此処まで40分掛かった。ガソリンを入れて、直ぐ、ジャラン トールに戻っても、同じ渋滞の中に戻るだけでは、芸がない、何時間か後なら渋滞も解消しているかもしれないと、読んで、一先ず、まだ、仕事をしているはずの会社へ行ってみることにした。昨晩の製品を確認し、来週はシフトなし、などと話をした。
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8時に会社から出発しなおした。無駄な読みだった。デルタマスからもまだ大渋滞、Sepanjang jalanスパンジャン ジャラン、全行程、芋虫運転、一度も休憩ない、車から降りなかった。何と、パンガンダランに到着したのが17;35でした。西海岸のサンセットもセットした後だった。

いつも泊まるホテル、フルだという。こんな事今までなかったのに。ちょっと高いがポンドック ダウンに潜り込んだ。ヘアーサロンへ行って、髪の毛を染め、部屋に落ち着いたのが、19:30Capekdehチャペッデー、疲れた〜〜、
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タシクマラヤに入ったというゲートをくぐって、しばらく、行くと、此処に差し掛かる、真っすぐ行くとタシクマラヤの北側を通過して、チアミスに至る、その向こうがバンジャール、パンガンダランだ、真っすぐ行けばジャクジャにも行ける。ここを左に入ると、直ぐに右に曲がり、真っ直ぐの道の下をくぐって、対向車線と一つの道になり、タシクマラヤの中心に至る。右はタシクマラヤの町の方から来た車です。

それでもバンジャールからはパンガンダランに向かうバスや車は多かったが、渋滞は無くなっていた。雨季が終わりだが、道の凸凹は、雨季の足跡、チカランの酷いが、バンジャールまでは、予想通り、酷い凸凹続きだった。ところが、バンジャール、バンジャツ サリからパンガンダランまでは、昨年の暮れあたりに舗装しなおしが終わったのでしょう。凸凹なしの完璧な状態だった、それと、舗装幅が広げられていて、大型バスやトラックが片側の車輪を落とさなくても。すれ違えるようになっていた、追い越しも片輪を落とさなくても出来る。なんで、最初からこうしないのだろうか、と、思う。
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その舗装が、続く両側は、広大な水田地帯である。雨水が引いていない水田が多かったが、収穫をしている田圃もあった。来るたびに普通の風景だが、写真を撮りたくなる懐かしい光景。

それにしてもマー君凄いですね。甲子園でハンカチ王子と騒がれた人の引き立て役をしていて、ほとんど、話題にされなかった若者が、今、世界の大舞台で注目を浴びている、片や、ほとんど使い物にならない状態らしい、人間、人生いつどうなるかわからないが、二人の極端な状況を見ると、人の評価などは当てにならないものだと思う。何年後かには、また、別の舞台で、注目度や評価が逆転しているかもしれない。ま、とにかく、普通なら7時間半で着くのに、今回は9時間半掛かった。2時間半はキツイ、右足がつって、アクセルを踏むのに、相当意識をしなければならない、左足、左手は坂道の発進で半クラッチやサイドブレーキ発進を頻繁に使わざるを得ない。半クラッチやサイドブレーキ発進、って、何?と、日本の若者には、いわれるかも知れませんね。インドネシアでは、まだ、マニュアル車が主で、オートマチックは高い。私も安いマニュアル車を使っている。
渋滞 疲れ 人出
posted by 元気な振りの爺さん at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月18日

(^_-)-☆夢の途中38 2

 1918 静岡県東部の長泉町下長窪という場所の分譲住宅地に住んでいた。妻、長泉小学校の先生、娘は家から直ぐ山の上の長泉北小学校の4年生だった。それまで、数年前から家族で夏休みに国内旅行をしていた。この時、始めて海外旅行をした。旅先は中国の桂林でした。南画の景色を早いうちに見ておきたかったからだ。自然に出来あがっている雰囲気と景観には、充分、満足した。その時が、私のいくつかの夢のうちの一つの始まりでもあった。

香港から広州、そして、桂林というルートでした。先ず、びっくりさせられたことは、広州国際空港のトイレ、10才の娘が“お父さん、お父さん、ちょっと来て“と私を女性トイレに来いという。何事かと思い、ちょっと失礼して、娘の後について行った。便器はヨーロッパスタイル、その便器の中にウンコが山盛りになっていた。水が流れない、そのまま、次々とウンコを積み重ね、ついには、便座より高く盛り上がっていたのでした。娘はかなりショックだったと思う。男性用の小便用は、一人ひとりの仕切りがなく、多くの人が並んで溝にするという状態だった。

桂林の離江下りをした時の船の中、両脇にトイレが付いていて、川からくみ上げた水が上に貯めてあって、用を足したらそれを川に流す。船の後ろで水を汲んで野菜や食器や調理用器具を洗っている。今のインドネシアで、家の近くでは、カリマラン川両岸で見られる風景である。遠目や夜は綺麗で素晴らしい、しかし、近い場所、昼間は汚くて、臭い、今のインドネシアと同じだった。中国の今もその当時と五十歩百歩でしょうか。その後、中国本土には行ったことがない。

それらは、置いておき、観光バスに若者は乗ってきていて、ガイドの紹介で、“日本語を勉強している学生が、皆さんのバスに乗ってきていて、皆さんの手伝いをしてもらいます“という案内があった。一番後ろの席にいた私たちの横に座って、片言の日本語で話しかけてきた。観光スポットに着き、バスから降りても私達3人について来ていた。一番とっつきやすかったのでしょう。二日間、ほとんど彼が一緒だった。あまりに熱心だし、穏健な雰囲気だったので、別れ際に、私の住所と電話番号を渡し、「日本で勉強したいなら、日本へ来たらいい、私が保証人になりますよ」と言ってやった。私だけでなく、その後も多くの日本人の観光客と話をして、知り合いもできるだろうから、日本へ来るにしても、私を頼ることはないだろうと、その事は忘れていた。丁度、その一年後、学校を卒業したので日本へ行きたい、保証人になってくれますか、と手紙が来た。

言ってしまってあったので、面倒見るしかない。旅費を送ってやった。それから、約6年間、彼の学費と生活費の一部を私が面倒見た。名前は尤海明(ユウハイミン)君。海南島出身の21歳でした。専修大学に入った。その後、日本人の女性と結婚し、結婚式には私も主賓として出席した。その女性の家族がどう思ったか、私が余計な事をしたばっかりに、中国人と結婚してしまったなどと、思ったかもしれない。でも、その後の彼らの日本での生活は、円満、かつ、仕事の方も順調だ、と私は思う。今も年賀状がとどく。約、30年前の話だ。

彼が、私の学生の面倒見のスタートだった。子供や妻は完全自立しているので、私のお金をあてにしていない。
多くの若者、特にインドネシア人の面倒を見てきた。何人かの保証人になり、日本で日本語の勉強とその後の大学や大学院での勉強も見守ってきた。けっこうな金額を使ったと思うが、見返りを求める必要はない、只、必要だろうと思う金額を渡しただけだ。そして、皆さん、各方面で、自立している事を感じて、自己満足に浸るのが私のホビーの一つだ。
取られるという気分になるなら、たとえ一円でも気分が悪いが、あげたという気分なら、一千万円でも心地がいい。技術も同じで、盗まれた事も何回かあるが気分が悪い、技術をインドネシアの若者に与えた、伝えた、というなら、こんな気分がいい事はない。それと、同じだ。
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昨日の写真とは別の建設中のホテル、アパートやショッピングモール、この他にも何か所かある。家賃もうなぎ登り、一年以上の契約をしないところもある。
保証人 真面目 有望
posted by 元気な振りの爺さん at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 心地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月17日

(^_-)-☆夢の途中38 1

 1917 その頃、仕事は軌道に乗っていて、忙しかった。いわゆるバブルの初期、大いに儲かっていた。押出成形機40mmφ一台で、当時でも200万円売りあげていた。3分の2以上が荒利で半分以上が純利益だった。それも原料価格、PCが900円/Kgしていた。それを毎月3〜5トンこなすのですから、面白いように儲かった。勿論、2千円くらいした12ナイロンや11ナイロンも扱っていた。軟ポリのスパイラルチューブも原料が100円/kgで500円以上で売れていた。上げた利益で装置を買って、特別償却で一年目に50%償却というやり方をし、設備も増やした。

始めた当初は、商社からの要求で、原料を購入する前に半額ほどの前金を振り込んでいて、入荷したと同時に残金を支払っていた。しかし、入金の全てが月末締めの翌月払い、そして、90日の約束手形だった。極端な場合、原料を購入してから5カ月後にならないと現金を受け取れない事になっていた。最初半年ほどで手持ちの資金がほとんどなくなってしまったが、半年後からは、預けておいた手形から当座預金に現金が入るようになってきたので、ずいぶん楽になった。その上、一年後からは、回し手形で良いよと言われ、毎月の売り上げの半分くらいを回して、請求金額より少し多く払いながら、半分は銀行に預けるようになっていた。

それ以後、静岡に移ってから、50歳で社長を止めるまで、銀行から小切手帳は貰っていたが手形帳は貰ったことが無かった。10万円以下は現金、それ以上は裏判を押して手形を回して支払っていた。手形を割る事も全く必要なかった。預けた手形の期日が来るまで十分資金は残っていた。私が止めた時の株の評価は、20倍以上になっていた。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage007.html
38歳ころから、ずっと、安定成長をしていった。前にも書いたが、当時は、二人で仕事をしていたので、私が朝8時から夜8時まで、もう一人(現在セピックの社長)に夜の仕事をしてもらっていた。週二回、夜8時に出荷、納品に出かけた。先ず、厚木の向こうの海老名市まで、22時に厚木プラスチック到着、行きは東名、帰りは節約のために御殿場街道を使った。家に帰るのが0時を回っていた。朝5時に家から出て、御殿場の神場(じんば)というところにある東方電材という会社に6時前に納品し会社に向かい、7時頃会社に着いていた。その他の出荷は、運送屋に頼んでいた。
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発展し続けるリッポチカランエリア。ホテル チトライン(このホテルは1996年には既にあった。このあたりでは、サヒッドとここしか、外国人が泊まれるようなホテルはなかった。)の前の道を南に行くと右にEJIPへの入り口、左にHYUNDAI工業団地への入り口、その先に、大規模なショッピングモールの姿が現れてきた。ちょっと遠くからだが、リッポチカランモールに3倍くらいは在りそうだ。
手形 小切手 現金
posted by 元気な振りの爺さん at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月16日

(^_-)-☆来客それぞれ

 1916 韓国系、日本系の会社が相次いで来社、両社とも、それぞれ本国から輸入している製品をインドネシア国内で調達したいという、お決まりのパターンだ。また、私が立ち上げ指導した会社には既に、だいぶ前に、見積もり依頼をしてあったが、返事がない。もう一社は、断りたい気持ちがありありの高い値段の見積もりを出してきたそうです。これらも、お決まりのパターンだ。
韓国系の方は、深刻らしい、本国からの製品の入荷の見通しが立たなくなっているとか、品質が安定しないために出荷数量を準備出来ないそうだ。いつ入荷するのか、わからない状態になってしまって困りはてている。私が指導したガスケットからスタートした会社に泣きこんだが、無視されたそうだ。実は無視されたのではない、その会社の人が、自分の会社ではどうにもならないからといって、私をその会社に紹介したのです。
また、一緒に、韓国系の原料商社もやってきた。インドネシアでは調達できないプラスチックの原料を主に韓国からの輸入販売する会社だ。“安い、少量でも安い“というのが、仮見積もりの話を聞いてびっくり、PCは日本からの半値だ。それも、1トン以下でもOKだとか。この点では非常に魅力があると感じると同時に、なぜ?こんな価格で出来るの?日本のメーカーとどこが違うの?と思う。
その安い原料を使った場合の見積もりを出してほしいという。急ぎなら、在庫を持っている高い原料を使わなければ、間に合わないでしょ、だから、希望価格というより私の方の都合を見積もりを出させていただく、そして、安い原料を使えるようになった時には、改めて見積もりをだすことにしましょう、と、いう話になった。

日系の方も、すでにサンプルは二回提出してあって、日本の評価もOKが出ていて、もう、日本への注文は打ち切ったので、その在庫がなくなるころ、7月からは、私のところで作った製品を使うことになるという。その予定を元に、今から、必要な工程に入るという。QCの担当者がついてきて、いろいろな書類の準備と提出を求めてきた。面倒だが、車の関係部品なので、客先は納入先から求められていることなので、仕方がないので、出来るだけ早く、提出することを約束した。形式主義の伝染病の蔓延みたいなもの。物を作る私にとって、書類つくりというのは、無駄なことだと思う。管理をされることは、大嫌いなので、管理することは、好きになれない。
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見かけるようになった、道路の修復工事、
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雨季も終わりのころは、木に花が咲き始める。
付き合い 厄介 余計な
posted by 元気な振りの爺さん at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 付き合い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月15日

(^_-)-☆生活程度

 1915 私が一般女性の生活ぶりを聞ける機会あるのは、ゴルフをしている時だ。何時間か若い女性と一緒に行動する機会があるのはキャディだけである。だから、当然、お互いに、無視したり黙りこくったりしてはいない。冗談を言い合い、からかいあいながら、出来るだけ楽しい雰囲気になる方がいい。同じグループの四人、前後のグループの8人、私が知らなくても,向こうが私を知っている。
で、その会話の中に、キャディの身の上話、家族の状況や生活ぶりを話題にすることも多い。勿論、私の状況も話をする、どこに住んでいるとか、お手伝いさんはいるのかなど、彼女達も愚痴をこぼしたり、不満をぶちまけたりしてストレス解消になっているかもしれないし、あわよくば、資金援助を期待している。
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最近、まだ、三回だけだが、私が指名しているキャディは、勤め出してまだ、半年、間もなく19歳になる。弟が3才で、両親と四人暮らし、母親は地元、父親はプロワカルタの出身だそうだ。ゴルフ場の近くの借家に住んでいる。家賃は約4千円、父親はバイクタクシーの運転手、そのバイクは、元締めというか、バイクタクシー会社の所有、日本の緑ナンバータクシーと同じようなものだ。

家には、洗濯機や冷蔵庫などはない、電化製品で在るのは小さいテレビだけだそうだ。一遍に、根掘り葉掘り聞いたり話したりする事ではないので、少しずつ状態が分かる。ということで、彼女たちの話から、庶民の生活ぶり、生活程度が分かる。日本人から見れば、貧困家庭が多いと思う。

ということだが、インドネシアは二十年以上前から二人っ子運動をしている。町のあちこち、田舎へ行っても、KB(PKBI)という頭文字が書かれている看板が目につく。家族計画という意味で、Keluarga Berencanaである。その運動の効果はどうか、まだ、政府が目論んでいる数字までには少なくなっていない。ということは、インドネシアの人口は、増加している。その増加率が政府の目標を上回っているのです。教育水準と貧困の程度が原因だろうと思うが、目標まで出生率は低下していない。そして、家族計画の徹底を続けようとして、地方に依っては、避妊具を無償で配っているのです。たしか、一家族平均2.4人になっていると思う、目標は2.1人だとか。それでも、ここ20年くらいの間、減少を続けてきている。しかし、最近は減少率が少なくなっている。そのことを問題にしている政治家や経済学者などの中には、何とか、もっと、若年女性の結婚を遅らせる有効な方法はないかなどと、まだ、躍起になっている人もいる。

私は、そうは思わない。今の2.4でいいじゃないの、と思う。日本の人口構成は極端かもしれないが、少子化運動によって、歪が大きくなてしまっている国が多くなっていることを見れば、人口増加は必要だと思わざるを得ない。また、それが、自然な人間社会の営みだと思う。日本とインドネシアの町の様子、田舎の様子、寂しさと賑やかの好対照である。インドネシアの雰囲気の方が遙かに好きだ。街の活気が全然違う。日本も戦後間もないころの町内会の賑やかさを再現できるような人口構成になってほしいと思う。生活水準がどうのとか、裕福とか貧乏はあまり重要ではないと思う。

個人個人に関んしては、何かと問題はあるようだが、キャディ達の生活ぶりから感じることは、総じて、決して暗い雰囲気ではない。
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また、日本茶と称して、甘い薄茶色の液体のボトルが売り出された、日本メーカーではなく、インドフードという会社からだ。富士山とゴジラが登場している。
平均 活気 人口構成
posted by 元気な振りの爺さん at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月14日

(^_-)-☆隣の家のごみ

 1914 Apa boleh buatの続きである。私の隣の家のごみ置き場が家の門のすぐ左にある。隣の家の人は、私に、この置き場を使っていいよという。全然、有りがたくないし、逆に、大迷惑である。

まず、なんといっても、臭い、そのわきを必ず通って出入りするのだから、毎日二回はそのにおいを嗅ぐ羽目になる。週二回、水曜日と土曜日の朝6時頃と決まっているゴミ収集日だが、その日通りとは限らないし、時には週一回になってしまうこともある。隣の人も、一応、決まっている収集日の前日の夜出すとか、その日の6時前に出してくれればいいのだが、全然,それを、意識していないで、ゴミ袋の一つが一杯になればた出す、ので、常にゴミが出されている感じだ。

また、サンタクロースの白い贈り物袋のような袋を背中にしょったゴミあさりの人がその出されたゴミ袋を、先が鈎状になった番線で突っつき、穴をあけ、破り、中身を全部点検し、ボトルや厚紙の牛乳パックなどを持ってゆく、それが、多分、毎朝、何人かが、同じ袋を突っ突いている。ゴミの散乱が広がり、私の家の前にも転がり込む。くささもなお一層、ひどくなる。

雨が降れば、そのゴミは流され、側溝に入る、側溝がごみで塞がれ、低い場所は洪水の原因んなる。ジャカルタの洪水に原因の大部分はゴミによる。
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その状態になっていても、また、新しい一杯になったゴミ袋が置かれる。ほとんど、毎日である。ゴミ収集をされて、いったん、何もなくなっても、その日の夕方、家に戻ると、新しいごみ袋が置かれていて、すでに、突っつかれて,中身が露になっている。

ゴミを家の前に出しておけば、突っつかれて中味がばらばらに出されると誰もが知っているが、ほとんどの家のごみの出し方は、とにかく家の前に、出したい時に出している。街全体が臭いし、汚い、時々、自分の家の前のごみを掃いている人を見かけるが、そういう姿は珍しい。

ゴミの量が少ない私は、プラスチックの袋にためておき、一杯になれば、庭の一角に置いておき、ゴミ収集の人が、ゴロゴロ鳴らしながら、木の箱を引っ張って来る音を聞いて、そのゴミ袋を持ち出し、その人に渡している。1週間に一袋くらいなので、それほど、気にならない、3週間に一回ほど、三袋を出せばいいだけだ。

午後の短時間にスコールが降るが、一日の大部分は青空が広がり、日差しが強くなってきている。午前中はゴルフ場で過ごし、インドネシアのゴルフ場を満喫した。
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この景色が一番好きで、このホールに来るとこの場所に自分の存在を感じる。こんなジャングルのような場所も何箇所かある。
ゴミ 袋 臭!
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2014年04月13日

(^_-)-☆Apa boleh buat

 1913 休日出勤で生産を続けている。客先が緊急に必要としている製品が二種類あって、これらは、同じ機械でつくる製品で、同時に作ることができないので、より急ぐ方を優先に休日も出勤してもらって作るしかない。

私は、約一か月ぶりにインドネシアでゴルフ。桜の満開を見ながら、杉花粉が舞う中のゴルフもいいが、やはり、熱い日差しの中、冷たいスポーツドリンクを飲みながら、ヤシの木陰を辿りながら、キャディと馬鹿を云いながら、の方が私には合っている。午後二時過ぎには私も出社し、現場の状況を確認した。
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雨季もほとんど終了だが、夕方には時々スコールが激しく叩く。昨日の夕方は、帰宅途中の道が大洪水になっていた。その洪水の下は、強烈な凸凹は、わかっている。そして、その道はとことん破壊されていると言っていい。不規則に深くて広い穴や溝は避けようがない。速度を落とすしかない、夕方5時ごろ、のろのろ運転で大渋滞になる。凸凹を通過するとガラガラになる、しかし、また、渋滞になる。”Apa Boleh Buat””アパバオレーブアッ“”No way“”どうしようもない“状態だ。この言葉、私が1996年にインドネシアに来て、その年の12月に、覚えて使った言葉です。その時には、運転手を使っていて、凸凹を避けようもなく運転している姿やこの国の道の状態を見て、どうしようもない、という慣用句を辞書で調べて、覚えて、すぐに運転手に話しかけた。運転手がびっくりしていた。
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そして、所々で舗装の改修が始まっていて、双方向二車線だった道が片側だけにして双方向一車線になっている道が出始めている。大型シャベルでアスファルトをはがし始めている。

ハーブ条約、日本も4月1日から発効した。対象は今月1日以降の事案になり、過去のことは対象外らしい。国際結婚をしている我が家も無関係ではない。日本でも発効されたということを知った外国人の夫が、妻いじめをして妻に逃げられても、子供は連れ戻せるという、変な自信を持つのではないかという心配がある。国際結婚を考ええいる人は。ハーグ条約について知って、慎重にということでしょうか。
ハーグ条約 凸凹 ノーウェー
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2014年04月12日

(^_-)-☆Cikarang Pusat

 1912 やっと使えるようになりましたね。チカラン バラットとチカラン ティムール(デルタマス)の真ん中のチカラン プサットのインターチェンジが機能するようになりました。と、同時に、高速道路をまたぐ橋とカリマラン川を渡る橋も開通しました。この橋が使えるようになったので、インターもオープンしたのでしょう。私は、インターの使用開始より、カリマラン川を渡れるという方に魅力がある。しかし、まだ、片側しか出来ていなかったり、未完成な道路が多く、アクセスに迷うかも知れないし、工事中で道幅が非常に狭くなっていたり、本来、一方通行の道路が双方通行になっていたりするので、注意が必要です。
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 大変便利になったと思う。チカランバルの工業団地やルコに進出した会社が、一番、恩恵が大きいと思う。当然、このインターが出来る事を前提に進出したと思うが、大変待たされ、渋滞が半端じゃない道を通って、たどり着いていたと思うが、開通して、直ぐの場所、渋滞などあり得ない。ジャカルタの時間は30分以上短縮になったと思う。デルタマス、デルタシリコン、リッポチカラン、イジップやヒュンダイとカリマラン道路とカリマラン川を隔てたジャバベカ2やチカランバルとの行き来が、出来るようになったことは、チカラン バラットで下りてジャバベカ方面に行っていた人にとっては、選択肢が増えたことになる。ジャバベカゴルフへも、時間短縮になると思う、特に土曜日、ジャバベカゴルフからリッポチカランに行く人(昼食をリッポチカランの日本食レストランで取ろうとする人)には、この道をお勧めです。タマンセントサに住んでいる私が、ゴルフ場へ行くには、新しい道は使わないが、帰りは、新しい道を使うことになると思う。
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 また、チカランバルに大規模なサッカースタディアムを建設中、この近くのチームの本拠地になるでしょう。デルタマス側の発展も著しいが、反対側のチカランバルもどんどん人口が増えて賑やかになっている。人口密度はこちらの方が大きい。

デルタマス(チカランティムール)のトールゲートは既に、出るも入るも異常な渋滞になることが多いで、ジャカルタやブカシ方面からは、ここで下りて、デルタシリコンやデルタマスの工業団地へ行く人が多くなると思う。
 また、チカラン バラットで下りないで、通り過ぎて、チカラン プサットまで行って戻る人も多くなるし、リッポチカランの住民は東へ向かう時にデルタマスでジャラン トールに乗っていたが、チカラン プサットから乗るようになるでしょう。そして、ますます、リッポチカランの日本人を始め外国人住民が増えるでしょう。
 新ゲート チカランバル カリマラン
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2014年04月11日

(^_-)-☆安堵した

 1911 PCカバー、韓国系の会社に納品開始、今まで、本国から仕入れていたものをインドネシアメイドに変えた、品質と納期と値段の関係で、問題が多かったそうです。納品先は近い。装置のトラブル続きで、予定通りの数量が出来ず、休日も夜も現場に立っていたので、かなり、体が、つらい状態になっていた。今朝も6時前に出勤し、夜勤の人たちの成果を確認した。何とか、予定に近い数量が出来ていてホッとしたが、彼らが帰った後、突然、アラームが鳴って機械が止まってしまった。その後、機械を変えて、再び生産、先ほどの確認では、23:00順調に生産している。再びホッとした。今夜は会社に行かないで、ゆっくり、朝まで休むことができそうだ。

リルサンPA11の話。なにそれ?何の事か知っている人は非常に少ないと思う。インドネシアでは、私が指導した会社の一社で、この原料を使ってチューブを作っているはずだ、客先はどこか忘れた。多分、タンゲランの車関係の日系企業だった。とにかく、インドネシアでは、ナイロン11を使いだしたのは私が始めてだったし、そのための商社も私が選んだ。今も、まだ、やっているか確認していなかった。
そして、私が、その原料を使ってチューブを作ることになった。昨年末、二種類のグレードを入手してあった。その原料を混ぜて要求の硬度のチューブを作ってサンプルを提出してあって、既にOKがでていて、間もなく、量産に入る。しかし、その時に使う原料は、混ぜたものでなく、純粋にそのものずばりのグレードを使わなければならない。急ぎ、過去にお付き合いした商社に話しかけたところ、今日、先ほど、会社まで、様子を伺いにやってきた。

やってきた彼は、商社のプラスチック原料の担当だった。私が以前いた会社との付き合いがあるそうだが、リルサンについては一年以上、話がないという、今は、やっていないのじゃないか、ということだった。月50Kgくらいだったという。ということで、私が月100kgくらい使う予定だが、似たり寄ったりの少量で、リルサンということになれば、しょうがないかなと、思ってくれているようで、なんとなく、話をしやすいかなと思う。また、インドネシアでは私だけが押出成型で使うようになる。インジェクションに関しては知らない。
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で、今夜は会社に行かなくていいので、7日の夜、仕込んでおいた、濁酒を絞った。1,5L×6本、指が疲れた、指が吊ってしまった。写真は、仕込んだ直後の状態、30分後にはブクブク泡が出てくる。
酒絞り 順調 PA11
posted by 元気な振りの爺さん at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月10日

(^_-)-☆選挙速報

 1910 休日出勤 結婚の式や披露宴のように、道端に特設投票所ができていて、朝7時には投票者がたむろしていた。私がここへ戻った時には、家の前にテントが張られていた。もう、開票が始まっていたようで、大きな声で、何々党という声が聞こえてくる。23時過ぎで開票率93%。日本並みに速い。政党の得票率を争っている。代議士は比例代表ということでしょう。
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仕事の方がトラブっていて、20時過ぎに再び会社へ行って、帰ってきたのが23:30ころ、家の前の投票所はすっかりかたづいていた。メガワティ率いる民主闘争党が20%近くで、第一党になっているが、15%とか11%とか、そう、離れていない。ジョコウィさんが民主闘争党から大統領選挙に出馬することが、ほぼ、決定しているの、そのことも、民主闘争党に追い風になったように思う。

大統領選挙の時は、また、休みになるのでしょう。日曜日を投票日にしないのが、インドネシアの習慣です。
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トゥクル アルワナさん進行役の“ブカン ウンパットゥ マタ“という番組で、選挙結果の受け止め方、等を話していた。テロップで、下に現在の経過が出ている。ということはどうでも良くて、スカブミから立候補した、デシ ラトゥナサリがゲストコメンテーテーターとして、出ていたことです。インドネシアもタレント候補の乱立の感があるが、この人は歌手だし俳優としても,20年以上間から、有名だったが、この10年は、むいろ、社会評論家としてテレビに頻繁に出るようになっていた。そろそろ、立候補するのではないかと思っていたら、今回、立候補していた。
私がインドネシアにきて、買ったCDの第一号は彼女にものだった。テンバ ビルとかサンパイ ハティなどは、すぐに覚えて、カラオケではよく歌っていた。今でも美しいが、10数年間は、可愛かった。私が彼女のフアンだと、こちらの女性に言うと、私は好きじゃないとい人が多かった。焼餅を焼いているようだった。
選挙 得票率 ファン
posted by 元気な振りの爺さん at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月09日

(^_-)-☆思いつき状況

1909 日本にいた時、腰の痛みが直らなかったが、こちらに来て、なんとなく直ってしまった。足の痒みも、いつの間にか、気にならなくなった。やはり、高齢者にとっては、気温や湿度などの条件がこちらの方が良いと思う。
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今日から、日本では、車に任意で貼る70歳以上の高齢者マーク、何マークというのでしょうか、前後に貼って走っている。インドネシアでは、そういう類いのマークはないので、かなり目立つと思う、どういう意味なのか、見た人は、ちょっと、考えるかもしれない。初心者マークを張っている車は、15年インドネシアにいて、二回、見たことがある。しかし、高齢者マークを見たことはない。インドネシアでは第一号かもしれない。見かけたら、その車は私が運転しています。

インドビジョン、三週間前、日本に行く二日前から、写らなくなってしまっていた。チェックして直しておくように、会社の人に頼んでおいた。戻って、直っている事を確認した。しかし、数時間後に、また、写らなくなってしまった。昨日の朝もだめだった。また、会社の人に直すように頼んで置いて、夕方帰った時には直っていた。今朝も正常だった。直っているかの担当者から、聞かれたので、直っているよと、答えて、原因は?と聞いた。思った通り、原因については、分かっていない。それでは、また、写らなくなるかもしれないね、というと、そうならないように、言っていた。こんなものです。インドネシアは、それで、OKなのです。そして、取りあえず、8日22:00まだ正常だ。

 http://otaenplaext.net/newpage62.html
http://otaenplaext.net/newpage59.html
2014年、日本の春です。ちょっとだけ日本にいた証です。

明日休みだが、出勤する、選挙で、昼間の何時間か休日出勤ができないので、私が生産現場の手伝いをする。
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雨季から乾季へ移りつつある今、雨が降らないと、ジャカルタ上空に汚染ガスのドームができる。東からジャカルタ上空のサンセットは、そのドームによって、火事のような夕焼けになる。火事ではありません。昨日も今日もこんな夕焼けでした。
高齢者 オーバータイム 緊急
posted by 元気な振りの爺さん at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月08日

(^_-)-☆試練のスタート

 1908 生産が順調ではなかった事と機械の故障が頻繁だった事などで、予定の半分ほどしか製品が取れていなかっ。急ぎの試作依頼があって、金型の手配をして、私が留守中にトライをしておくように頼んであったが、それも、出来ていなかった。なおかつ、注文に対して、原料が足りないので、注文をしておくようにも頼んであったがこれも注文してなかった。いろいろ、理由を言っていたが、全てが、わたしにとっては、まともな、理由になっていなかった。例えば、注文する前に、見積もりを依頼し直したが、まだ、返事が来ていない、という。バカバカしくて、まだまだだな、インドネシアはと思う。

生産で問題がって製品が出来なかったという、個所や理由になっているものを全部クリアーにし、今日だけ、遅れていた製品を夜遅くまで作り続けることにした。そして、やっていなかったトライを明日の朝からできるように準備(金型入口のRの調整など)をし、原料乾燥の段取りをさせておいた。その試作品のOKを昼前に取って、続けて量産に持って行く、今日は全員、昼勤だが、明日からロングシフトで生産をする。若い人を明日から二人、増やすことにした

で、水曜日9日は国会議員の選挙日でナチョナルホリデーになるとか、その日は休日出勤で、遅れを取り戻さなければならない。

PCカバーの注文が1万5千本来ている。困ったことに、乾燥機が一台しかない。ABSなど80〜100°で乾燥するものと140〜150°で乾燥するものを同時に生産しなければならなくなりそうで、これも、困った。

休み明けの木曜日、PCカバーの納品が始まる。また、例の2千円する原料のチューブのお客さん、ローカルスタッフが、最終打ち合わせというか、どんなところで、何ものが作っているのか、見に来ることになった。
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一年前ほどから、いつ開業しても良いじゃないの、と思う状態になっていたガソリンスタンが4月1日に、やっと、開店したそうで、先ほど、寄って、ガソリンを入れた。私がスタンドに入って行った時に、ポンプの前に赤白棒が立ててあって、そこへ行けない、そこへ行っていいかと、窓を開けて合図したら、そこにいたセクリティのような人物がその棒をどけて、どうぞと合図した。そのまま、給油の位置に行って車を止めた。すると、その棒を、私の車の後ろに立てた。私の車の前に同じ棒が立ててあった。その棒の前で止まれということだなと思うと同時に、金を払わないで行ってしまわない役目もあるなと思った。給油が終わって、支払いを済ませて、エンジンをかけたと同時にセキュリティがその棒をそこから、どけた。私の車がそこから出ると、その棒を先程の位置に置いたのをルームミラーで確認した。衝突防止で消化、食い逃げならぬ、油入れ逃げ防止でそうか、他のポンパ ベンシン(ガソリスタンド)もこんな風になるのでしょうか、ポンプごとにセキュリティがいるわけで、人件費が馬鹿にならないと思うが、どうでしょうか。それとも、このシステム、試行だけで、間もなく、無くなってしまうのでしょうか、興味がある。こんなシステム、今迄、どこの国へ行っても、見たことがない。
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 新しい形状のPCカバー、間もなく、量産になる。
多忙 量産 赤白棒
posted by 元気な振りの爺さん at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 押出成形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月07日

(^_-)-☆現実に戻る

 1907 インドネシアにいる。例によって6:20に家を出る。6:45こだまで東京まで、8:00くらいに東京着、成田エックスプレス8:30 9:30ころ成田空港到着、11:30搭乗、ジャカルタ時間18:00スカルノハッタ、着陸、バゲジの受け取りに時間が掛かり過ぎる、19:00空港から出る、20:30会社に到着、自分の車に乗りかえ、21:15(日本時間23:15)家に入った。

バゲジに重さが32.5kgあった。ガルーダシルバーは30kgまで、2.5kgオーバー、2.5kg取り出してほしいという。液体が多いので、納豆、バター、マーガリンなどを取り出すしかないと言ったら、ペースト状の物はX線チェックで、持ち込めないから、他の物で減らしてほしいという。重いものは出汁や酒類だから、もっとだめでしょう、2.5Kgくらいは何とかしてほしい、と、頼み込んだ。そして、そのままでOKということになった。実は、工具など仕事で使う小物が入っていたので、その気になれば、それほど大きくないもので2.5Kgは減らすことができた。

また、ジャカルタのカスタムで、今回は珍しく、キョークのチェックが書かれていなかった。しかし、数え切れないほどの過去のチョーの跡が、薄くはなっているが見える。係官が、X線チェックに通してしまった。そして、本当に珍しく、開けてほしいと言われた。心当たりは米麹1kg×5真空パックのことでした。案の定、これは、何かと聞かれた。今まで、見たことがない状態で見えたのでしょう。見てみれば明かに米だ。だから、正直に、米(ナシ)だよ、これは、インスタント食品の一つで、お湯を加えれば3分でおいしいご飯になる、と、説明した。ご本人すぐにうなずいてくれた。銅鑼焼きが入っていたので、子供さんにと、三つ渡しておいた。説明がしどろもどろだったり、酒を作る素だと知っていれば、多分、取り上げられたと思う。米麹を持ち込むことは、大丈夫とは言いません。

今回、初めて気になったことではないが、どの航空会社も同じでしょうか、気流の状態が悪くて、機体が揺れることを予想されるときに、シートベルトの餌が点灯され、揺れが予想されるので、席についてシートベルトを締めてください、そして、トイレの使用しないでください、という、アナウンスがある。問題は、その状態が解除になったときの話、ベルトのサインが消えれば、トイレに行っても良いと思うが、その、アナウンスがない。行きたくても、我慢してほしいというのだから、我慢をいなくて良くなれば、そのことを、アナウンスをいなければならない、と、思うのだが、そう思うのは私だけでしょうか。
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成田エクスレスのホーム、誰もいない。
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いつものジャカルタ、そして、たまたま、日本メーカーのお茶ボトルの宣伝、富士山が見える。

そして、明日から、短くても一週間、気が抜けない日々になる。
復帰 現実 試練
posted by 元気な振りの爺さん at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 買い物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月06日

(^_-)-☆桜とゴルフ

 1906 それだけではない。日本最終日、三週間の休日だった。ところが、触れなかったが、インドネシアの仕事に関して、問題山積、二週間過ぎたころ(3月末)には、インドネシアへ戻ろうかと思ったくらいだ。私がいない状態で、何が、どうなっているのか、彼らの報告では、はっきりしない。戻って、まず、それらのチェックから、始めなければならない。

今を象徴する今日の記憶。孫の相手で、街に出かけたが、彼女たちにずっと付き合っている必要がなかったので、一時間ばかり、車で、春の風景を辿ってみた。
グランシップからの富士山、くるっと回って、駿府城内堀の桜、そして、私が4歳から18歳まで過ごした家の跡。ゴルフ場のすばらしい桜も、今日、廻った景色も、触れるのはこれが最後なるかもしれないと思いながら、記憶に残そうと思っていた。
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今回の日本はそんな気持ちで、桜やゴルフだけでなく、私の足跡廻りもしてみた。清水町、長泉町、沼津方面をめぐるのは、恐らく、30年ぶりではなかったかと思う。大学を出てすぐのサラーリーマン時代、結婚して妻と子供と暮らしたころ、会社を作って、仕事的に自立を始めたころ、そして、その場所から、離れ、生活拠点と会社を、親が住んでいる静岡に移し、沼津の工場は、従業員に譲った、その工場付近をツアーしてみた。そのあたりの町や人々から私は30年以上間に遠ざかり、そのあたりからは私は死んでいた。今日めぐった場所からもすでに死んでいる。私が訪れれば、私だけ勝手に生き返るが、その辺りで、私を覚えていてくれる人に会えば、その人にとっても私は生き返るが、会わなければ、ずっと死んだままである。

蟹江敬三さん、探偵や刑事の女性主役を脇で支える役が多かったような気がする、名脇役、私より、ちょっとだけ若い、胃がんで亡くなったとか、先ほど、彼が出演している刑事ドラマをなんとなく、眺めながら、これを、書いていた。

マー君、たいしたものだと思う。今朝、中継を見始めて、二回途中で、これはだめだ、見ていられないと思い、見るのを止めてまった。
回顧 現状 記憶
posted by 元気な振りの爺さん at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月05日

(^_-)-☆捏造STAP細胞?

 1905 理化学研究所の結論は、STAP細胞など無かったということでしょうか。あった、発見した、という論文は、小保方晴子博士単独の捏造なのでしょうか。1日の会見では、小保方さん一人に世界中の関係者の科学者がまんまと騙されてしまったのでしょうか。単独といったって、誰も彼女の研究を知らなかったといことなどあり得ないはずで、どう考えたって、一人で勝手に論文を書いてネーチャーに送るわけがない。理化学研究所の会見では、STAP細胞の存在を否定しきっているのではなく、わからないとして、今後、一年かけて、検証するとしているらしい。

ここの一連に関して、小保方さんが、表に出ていない。論文発表以来、マスコミに登場していない。なぜでしょうか、なんとなく、大きな圧力というか、権力が介入しているような気がしてならない。本人は、しゃべりたいことが一杯あるような気がする。言いたいことを公表できない、させない何かがあるのでしょう。

それと、間違っていた、あるいは、本当はSTAPを確認していなかった。御確認していたかもしれないが、STAP細胞に関して、検証を後まわしにして、一人を悪者にする、結論を出してしまうほど、何故、結論を急いだのでしょうか。何か、理由があるような気がする。これにも、何か、結論を急げという、圧力がかかったような気がする。自分たちの身内の人の発見を大喜びし、誇りに思うなどといっていた人たちが、手のひらを返すように、自分達はなにも知らなかった、関係者ではないというのだから、科学者としても道をはずしているし、それ以前に人間として道をはずしていると思う。ノーベル賞が泣く。

小保方さんを今後、どうするのでしょうか、理研を首になるのでしょうか。STAP細胞の検証の機会を本人に与えるのでしょうか。もしかしたら、論文を取り上げれば、研究を続けさせる、そんな、条件を本人に示しているのかもしれない。

世間から、小保方さんに対する非難の声が少ないのはなぜでしょうか。世間的には、もし、誤りがあるにしても、彼女一人に責任を被せることに違和感を持っているからなのでしょうか。理研の会見に本人は欠席に、自分の考えを示す機会を与えられなかったことにも違和感をもっているからだと思う。それと、STAP細胞の発見が再現されることを期待しているのです。嘘だったと思いたくないのです。彼女にチャンスを与えたままにしておきたいのです。

私も、STAP細胞を存在を再現されることを望む一人です。アメリカで研究の継続が出来れば、いいと思う。
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藤枝ゴルフコースの様子、平日でしたが、ゲストプレー費、8000円くらいでした。高齢者(70歳以上)割引きを適応でした。
捏造 改ざん 嘘
posted by 元気な振りの爺さん at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする