2014年04月17日

(^_-)-☆夢の途中38 1

 1917 その頃、仕事は軌道に乗っていて、忙しかった。いわゆるバブルの初期、大いに儲かっていた。押出成形機40mmφ一台で、当時でも200万円売りあげていた。3分の2以上が荒利で半分以上が純利益だった。それも原料価格、PCが900円/Kgしていた。それを毎月3〜5トンこなすのですから、面白いように儲かった。勿論、2千円くらいした12ナイロンや11ナイロンも扱っていた。軟ポリのスパイラルチューブも原料が100円/kgで500円以上で売れていた。上げた利益で装置を買って、特別償却で一年目に50%償却というやり方をし、設備も増やした。

始めた当初は、商社からの要求で、原料を購入する前に半額ほどの前金を振り込んでいて、入荷したと同時に残金を支払っていた。しかし、入金の全てが月末締めの翌月払い、そして、90日の約束手形だった。極端な場合、原料を購入してから5カ月後にならないと現金を受け取れない事になっていた。最初半年ほどで手持ちの資金がほとんどなくなってしまったが、半年後からは、預けておいた手形から当座預金に現金が入るようになってきたので、ずいぶん楽になった。その上、一年後からは、回し手形で良いよと言われ、毎月の売り上げの半分くらいを回して、請求金額より少し多く払いながら、半分は銀行に預けるようになっていた。

それ以後、静岡に移ってから、50歳で社長を止めるまで、銀行から小切手帳は貰っていたが手形帳は貰ったことが無かった。10万円以下は現金、それ以上は裏判を押して手形を回して支払っていた。手形を割る事も全く必要なかった。預けた手形の期日が来るまで十分資金は残っていた。私が止めた時の株の評価は、20倍以上になっていた。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage007.html
38歳ころから、ずっと、安定成長をしていった。前にも書いたが、当時は、二人で仕事をしていたので、私が朝8時から夜8時まで、もう一人(現在セピックの社長)に夜の仕事をしてもらっていた。週二回、夜8時に出荷、納品に出かけた。先ず、厚木の向こうの海老名市まで、22時に厚木プラスチック到着、行きは東名、帰りは節約のために御殿場街道を使った。家に帰るのが0時を回っていた。朝5時に家から出て、御殿場の神場(じんば)というところにある東方電材という会社に6時前に納品し会社に向かい、7時頃会社に着いていた。その他の出荷は、運送屋に頼んでいた。
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発展し続けるリッポチカランエリア。ホテル チトラインの前の道を南に行くと右にEJIPへの入り口、左にHYUNDAI工業団地への入り口、その先に、大規模なショッピングモールの姿が現れてきた。ちょっと遠くからだが、リッポチカランモールに3倍くらいは在りそうだ。
手形 小切手 現金

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2014年04月16日

(^_-)-☆来客それぞれ

 1916 韓国系、日本系の会社が相次いで来社、両社とも、それぞれ本国から輸入している製品をインドネシア国内で調達したいという、お決まりのパターンだ。また、私が立ち上げ指導した会社には既に、だいぶ前に、見積もり依頼をしてあったが、返事がない。もう一社は、断りたい気持ちがありありの高い値段の見積もりを出してきたそうです。これらも、お決まりのパターンだ。
韓国系の方は、深刻らしい、本国からの製品の入荷の見通しが立たなくなっているとか、品質が安定しないために出荷数量を準備出来ないそうだ。いつ入荷するのか、わからない状態になってしまって困りはてている。私が指導したガスケットからスタートした会社に泣きこんだが、無視されたそうだ。実は無視されたのではない、その会社の人が、自分の会社ではどうにもならないからといって、私をその会社に紹介したのです。
また、一緒に、韓国系の原料商社もやってきた。インドネシアでは調達できないプラスチックの原料を主に韓国からの輸入販売する会社だ。“安い、少量でも安い“というのが、仮見積もりの話を聞いてびっくり、PCは日本からの半値だ。それも、1トン以下でもOKだとか。この点では非常に魅力があると感じると同時に、なぜ?こんな価格で出来るの?日本のメーカーとどこが違うの?と思う。
その安い原料を使った場合の見積もりを出してほしいという。急ぎなら、在庫を持っている高い原料を使わなければ、間に合わないでしょ、だから、希望価格というより私の方の都合を見積もりを出させていただく、そして、安い原料を使えるようになった時には、改めて見積もりをだすことにしましょう、と、いう話になった。

日系の方も、すでにサンプルは二回提出してあって、日本の評価もOKが出ていて、もう、日本への注文は打ち切ったので、その在庫がなくなるころ、7月からは、私のところで作った製品を使うことになるという。その予定を元に、今から、必要な工程に入るという。QCの担当者がついてきて、いろいろな書類の準備と提出を求めてきた。面倒だが、車の関係部品なので、客先は納入先から求められていることなので、仕方がないので、出来るだけ早く、提出することを約束した。形式主義の伝染病の蔓延みたいなもの。物を作る私にとって、書類つくりというのは、無駄なことだと思う。管理をされることは、大嫌いなので、管理することは、好きになれない。
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見かけるようになった、道路の修復工事、
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雨季も終わりのころは、木に花が咲き始める。
付き合い 厄介 余計な
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2014年04月15日

(^_-)-☆生活程度

 1915 私が一般女性の生活ぶりを聞ける機会あるのは、ゴルフをしている時だ。何時間か若い女性と一緒に行動する機会があるのはキャディだけである。だから、当然、お互いに、無視したり黙りこくったりしてはいない。冗談を言い合い、からかいあいながら、出来るだけ楽しい雰囲気になる方がいい。同じグループの四人、前後のグループの8人、私が知らなくても,向こうが私を知っている。
で、その会話の中に、キャディの身の上話、家族の状況や生活ぶりを話題にすることも多い。勿論、私の状況も話をする、どこに住んでいるとか、お手伝いさんはいるのかなど、彼女達も愚痴をこぼしたり、不満をぶちまけたりしてストレス解消になっているかもしれないし、あわよくば、資金援助を期待している。
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最近、まだ、三回だけだが、私が指名しているキャディは、勤め出してまだ、半年、間もなく19歳になる。弟が3才で、両親と四人暮らし、母親は地元、父親はプロワカルタの出身だそうだ。ゴルフ場の近くの借家に住んでいる。家賃は約4千円、父親はバイクタクシーの運転手、そのバイクは、元締めというか、バイクタクシー会社の所有、日本の緑ナンバータクシーと同じようなものだ。

家には、洗濯機や冷蔵庫などはない、電化製品で在るのは小さいテレビだけだそうだ。一遍に、根掘り葉掘り聞いたり話したりする事ではないので、少しずつ状態が分かる。ということで、彼女たちの話から、庶民の生活ぶり、生活程度が分かる。日本人から見れば、貧困家庭が多いと思う。

ということだが、インドネシアは二十年以上前から二人っ子運動をしている。町のあちこち、田舎へ行っても、KB(PKBI)という頭文字が書かれている看板が目につく。家族計画という意味で、Keluarga Berencanaである。その運動の効果はどうか、まだ、政府が目論んでいる数字までには少なくなっていない。ということは、インドネシアの人口は、増加している。その増加率が政府の目標を上回っているのです。教育水準と貧困の程度が原因だろうと思うが、目標まで出生率は低下していない。そして、家族計画の徹底を続けようとして、地方に依っては、避妊具を無償で配っているのです。たしか、一家族平均2.4人になっていると思う、目標は2.1人だとか。それでも、ここ20年くらいの間、減少を続けてきている。しかし、最近は減少率が少なくなっている。そのことを問題にしている政治家や経済学者などの中には、何とか、もっと、若年女性の結婚を遅らせる有効な方法はないかなどと、まだ、躍起になっている人もいる。

私は、そうは思わない。今の2.4でいいじゃないの、と思う。日本の人口構成は極端かもしれないが、少子化運動によって、歪が大きくなてしまっている国が多くなっていることを見れば、人口増加は必要だと思わざるを得ない。また、それが、自然な人間社会の営みだと思う。日本とインドネシアの町の様子、田舎の様子、寂しさと賑やかの好対照である。インドネシアの雰囲気の方が遙かに好きだ。街の活気が全然違う。日本も戦後間もないころの町内会の賑やかさを再現できるような人口構成になってほしいと思う。生活水準がどうのとか、裕福とか貧乏はあまり重要ではないと思う。

個人個人に関んしては、何かと問題はあるようだが、キャディ達の生活ぶりから感じることは、総じて、決して暗い雰囲気ではない。
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また、日本茶と称して、甘い薄茶色の液体のボトルが売り出された、日本メーカーではなく、インドフードという会社からだ。富士山とゴジラが登場している。
平均 活気 人口構成
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2014年04月14日

(^_-)-☆隣の家のごみ

 1914 Apa boleh buatの続きである。私の隣の家のごみ置き場が家の門のすぐ左にある。隣の家の人は、私に、この置き場を使っていいよという。全然、有りがたくないし、逆に、大迷惑である。

まず、なんといっても、臭い、そのわきを必ず通って出入りするのだから、毎日二回はそのにおいを嗅ぐ羽目になる。週二回、水曜日と土曜日の朝6時頃と決まっているゴミ収集日だが、その日通りとは限らないし、時には週一回になってしまうこともある。隣の人も、一応、決まっている収集日の前日の夜出すとか、その日の6時前に出してくれればいいのだが、全然,それを、意識していないで、ゴミ袋の一つが一杯になればた出す、ので、常にゴミが出されている感じだ。

また、サンタクロースの白い贈り物袋のような袋を背中にしょったゴミあさりの人がその出されたゴミ袋を、先が鈎状になった番線で突っつき、穴をあけ、破り、中身を全部点検し、ボトルや厚紙の牛乳パックなどを持ってゆく、それが、多分、毎朝、何人かが、同じ袋を突っ突いている。ゴミの散乱が広がり、私の家の前にも転がり込む。くささもなお一層、ひどくなる。

雨が降れば、そのゴミは流され、側溝に入る、側溝がごみで塞がれ、低い場所は洪水の原因んなる。ジャカルタの洪水に原因の大部分はゴミによる。
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その状態になっていても、また、新しい一杯になったゴミ袋が置かれる。ほとんど、毎日である。ゴミ収集をされて、いったん、何もなくなっても、その日の夕方、家に戻ると、新しいごみ袋が置かれていて、すでに、突っつかれて,中身が露になっている。

ゴミを家の前に出しておけば、突っつかれて中味がばらばらに出されると誰もが知っているが、ほとんどの家のごみの出し方は、とにかく家の前に、出したい時に出している。街全体が臭いし、汚い、時々、自分の家の前のごみを掃いている人を見かけるが、そういう姿は珍しい。

ゴミの量が少ない私は、プラスチックの袋にためておき、一杯になれば、庭の一角に置いておき、ゴミ収集の人が、ゴロゴロ鳴らしながら、木の箱を引っ張って来る音を聞いて、そのゴミ袋を持ち出し、その人に渡している。1週間に一袋くらいなので、それほど、気にならない、3週間に一回ほど、三袋を出せばいいだけだ。

午後の短時間にスコールが降るが、一日の大部分は青空が広がり、日差しが強くなってきている。午前中はゴルフ場で過ごし、インドネシアのゴルフ場を満喫した。
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この景色が一番好きで、このホールに来るとこの場所に自分の存在を感じる。こんなジャングルのような場所も何箇所かある。
ゴミ 袋 臭!
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2014年04月13日

(^_-)-☆Apa boleh buat

 1913 休日出勤で生産を続けている。客先が緊急に必要としている製品が二種類あって、これらは、同じ機械でつくる製品で、同時に作ることができないので、より急ぐ方を優先に休日も出勤してもらって作るしかない。

私は、約一か月ぶりにインドネシアでゴルフ。桜の満開を見ながら、杉花粉が舞う中のゴルフもいいが、やはり、熱い日差しの中、冷たいスポーツドリンクを飲みながら、ヤシの木陰を辿りながら、キャディと馬鹿を云いながら、の方が私には合っている。午後二時過ぎには私も出社し、現場の状況を確認した。
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雨季もほとんど終了だが、夕方には時々スコールが激しく叩く。昨日の夕方は、帰宅途中の道が大洪水になっていた。その洪水の下は、強烈な凸凹は、わかっている。そして、その道はとことん破壊されていると言っていい。不規則に深くて広い穴や溝は避けようがない。速度を落とすしかない、夕方5時ごろ、のろのろ運転で大渋滞になる。凸凹を通過するとガラガラになる、しかし、また、渋滞になる。”Apa Boleh Buat””アパバオレーブアッ“”No way“”どうしようもない“状態だ。この言葉、私が1996年にインドネシアに来て、その年の12月に、覚えて使った言葉です。その時には、運転手を使っていて、凸凹を避けようもなく運転している姿やこの国の道の状態を見て、どうしようもない、という慣用句を辞書で調べて、覚えて、すぐに運転手に話しかけた。運転手がびっくりしていた。
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そして、所々で舗装の改修が始まっていて、双方向二車線だった道が片側だけにして双方向一車線になっている道が出始めている。大型シャベルでアスファルトをはがし始めている。

ハーブ条約、日本も4月1日から発効した。対象は今月1日以降の事案になり、過去のことは対象外らしい。国際結婚をしている我が家も無関係ではない。日本でも発効されたということを知った外国人の夫が、妻いじめをして妻に逃げられても、子供は連れ戻せるという、変な自信を持つのではないかという心配がある。国際結婚を考ええいる人は。ハーグ条約について知って、慎重にということでしょうか。
ハーグ条約 凸凹 ノーウェー
posted by 元気な振りの爺さん at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月12日

(^_-)-☆Cikarang Pusat

 1912 やっと使えるようになりましたね。チカラン バラットとチカラン ティムール(デルタマス)の真ん中のチカラン プサットのインターチェンジが機能するようになりました。と、同時に、高速道路をまたぐ橋とカリマラン川を渡る橋も開通しました。この橋が使えるようになったので、インターもオープンしたのでしょう。私は、インターの使用開始より、カリマラン川を渡れるという方に魅力がある。しかし、まだ、片側しか出来ていなかったり、未完成な道路が多く、アクセスに迷うかも知れないし、工事中で道幅が非常に狭くなっていたり、本来、一方通行の道路が双方通行になっていたりするので、注意が必要です。
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 大変便利になったと思う。チカランバルの工業団地やルコに進出した会社が、一番、恩恵が大きいと思う。当然、このインターが出来る事を前提に進出したと思うが、大変待たされ、渋滞が半端じゃない道を通って、たどり着いていたと思うが、開通して、直ぐの場所、渋滞などあり得ない。ジャカルタの時間は30分以上短縮になったと思う。デルタマス、デルタシリコン、リッポチカラン、イジップやヒュンダイとカリマラン道路とカリマラン川を隔てたジャバベカ2やチカランバルとの行き来が、出来るようになったことは、チカラン バラットで下りてジャバベカ方面に行っていた人にとっては、選択肢が増えたことになる。ジャバベカゴルフへも、時間短縮になると思う、特に土曜日、ジャバベカゴルフからリッポチカランに行く人(昼食をリッポチカランの日本食レストランで取ろうとする人)には、この道をお勧めです。タマンセントサに住んでいる私が、ゴルフ場へ行くには、新しい道は使わないが、帰りは、新しい道を使うことになると思う。
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 また、チカランバルに大規模なサッカースタディアムを建設中、この近くのチームの本拠地になるでしょう。デルタマス側の発展も著しいが、反対側のチカランバルもどんどん人口が増えて賑やかになっている。人口密度はこちらの方が大きい。

デルタマス(チカランティムール)のトールゲートは既に、出るも入るも異常な渋滞になることが多いで、ジャカルタやブカシ方面からは、ここで下りて、デルタシリコンやデルタマスの工業団地へ行く人が多くなると思う。
 また、チカラン バラットで下りないで、通り過ぎて、チカラン プサットまで行って戻る人も多くなるし、リッポチカランの住民は東へ向かう時にデルタマスでジャラン トールに乗っていたが、チカラン プサットから乗るようになるでしょう。そして、ますます、リッポチカランの日本人を始め外国人住民が増えるでしょう。
 新ゲート チカランバル カリマラン
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2014年04月11日

(^_-)-☆安堵した

 1911 PCカバー、韓国系の会社に納品開始、今まで、本国から仕入れていたものをインドネシアメイドに変えた、品質と納期と値段の関係で、問題が多かったそうです。納品先は近い。装置のトラブル続きで、予定通りの数量が出来ず、休日も夜も現場に立っていたので、かなり、体が、つらい状態になっていた。今朝も6時前に出勤し、夜勤の人たちの成果を確認した。何とか、予定に近い数量が出来ていてホッとしたが、彼らが帰った後、突然、アラームが鳴って機械が止まってしまった。その後、機械を変えて、再び生産、先ほどの確認では、23:00順調に生産している。再びホッとした。今夜は会社に行かないで、ゆっくり、朝まで休むことができそうだ。

リルサンPA11の話。なにそれ?何の事か知っている人は非常に少ないと思う。インドネシアでは、私が指導した会社の一社で、この原料を使ってチューブを作っているはずだ、客先はどこか忘れた。多分、タンゲランの車関係の日系企業だった。とにかく、インドネシアでは、ナイロン11を使いだしたのは私が始めてだったし、そのための商社も私が選んだ。今も、まだ、やっているか確認していなかった。
そして、私が、その原料を使ってチューブを作ることになった。昨年末、二種類のグレードを入手してあった。その原料を混ぜて要求の硬度のチューブを作ってサンプルを提出してあって、既にOKがでていて、間もなく、量産に入る。しかし、その時に使う原料は、混ぜたものでなく、純粋にそのものずばりのグレードを使わなければならない。急ぎ、過去にお付き合いした商社に話しかけたところ、今日、先ほど、会社まで、様子を伺いにやってきた。

やってきた彼は、商社のプラスチック原料の担当だった。私が以前いた会社との付き合いがあるそうだが、リルサンについては一年以上、話がないという、今は、やっていないのじゃないか、ということだった。月50Kgくらいだったという。ということで、私が月100kgくらい使う予定だが、似たり寄ったりの少量で、リルサンということになれば、しょうがないかなと、思ってくれているようで、なんとなく、話をしやすいかなと思う。また、インドネシアでは私だけが押出成型で使うようになる。インジェクションに関しては知らない。
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で、今夜は会社に行かなくていいので、7日の夜、仕込んでおいた、濁酒を絞った。1,5L×6本、指が疲れた、指が吊ってしまった。写真は、仕込んだ直後の状態、30分後にはブクブク泡が出てくる。
酒絞り 順調 PA11
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2014年04月10日

(^_-)-☆選挙速報

 1910 休日出勤 結婚の式や披露宴のように、道端に特設投票所ができていて、朝7時には投票者がたむろしていた。私がここへ戻った時には、家の前にテントが張られていた。もう、開票が始まっていたようで、大きな声で、何々党という声が聞こえてくる。23時過ぎで開票率93%。日本並みに速い。政党の得票率を争っている。代議士は比例代表ということでしょう。
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仕事の方がトラブっていて、20時過ぎに再び会社へ行って、帰ってきたのが23:30ころ、家の前の投票所はすっかりかたづいていた。メガワティ率いる民主闘争党が20%近くで、第一党になっているが、15%とか11%とか、そう、離れていない。ジョコウィさんが民主闘争党から大統領選挙に出馬することが、ほぼ、決定しているの、そのことも、民主闘争党に追い風になったように思う。

大統領選挙の時は、また、休みになるのでしょう。日曜日を投票日にしないのが、インドネシアの習慣です。
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トゥクル アルワナさん進行役の“ブカン ウンパットゥ マタ“という番組で、選挙結果の受け止め方、等を話していた。テロップで、下に現在の経過が出ている。ということはどうでも良くて、スカブミから立候補した、デシ ラトゥナサリがゲストコメンテーテーターとして、出ていたことです。インドネシアもタレント候補の乱立の感があるが、この人は歌手だし俳優としても,20年以上間から、有名だったが、この10年は、むいろ、社会評論家としてテレビに頻繁に出るようになっていた。そろそろ、立候補するのではないかと思っていたら、今回、立候補していた。
私がインドネシアにきて、買ったCDの第一号は彼女にものだった。テンバ ビルとかサンパイ ハティなどは、すぐに覚えて、カラオケではよく歌っていた。今でも美しいが、10数年間は、可愛かった。私が彼女のフアンだと、こちらの女性に言うと、私は好きじゃないとい人が多かった。焼餅を焼いているようだった。
選挙 得票率 ファン
posted by 元気な振りの爺さん at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月09日

(^_-)-☆思いつき状況

1909 日本にいた時、腰の痛みが直らなかったが、こちらに来て、なんとなく直ってしまった。足の痒みも、いつの間にか、気にならなくなった。やはり、高齢者にとっては、気温や湿度などの条件がこちらの方が良いと思う。
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今日から、日本では、車に任意で貼る70歳以上の高齢者マーク、何マークというのでしょうか、前後に貼って走っている。インドネシアでは、そういう類いのマークはないので、かなり目立つと思う、どういう意味なのか、見た人は、ちょっと、考えるかもしれない。初心者マークを張っている車は、15年インドネシアにいて、二回、見たことがある。しかし、高齢者マークを見たことはない。インドネシアでは第一号かもしれない。見かけたら、その車は私が運転しています。

インドビジョン、三週間前、日本に行く二日前から、写らなくなってしまっていた。チェックして直しておくように、会社の人に頼んでおいた。戻って、直っている事を確認した。しかし、数時間後に、また、写らなくなってしまった。昨日の朝もだめだった。また、会社の人に直すように頼んで置いて、夕方帰った時には直っていた。今朝も正常だった。直っているかの担当者から、聞かれたので、直っているよと、答えて、原因は?と聞いた。思った通り、原因については、分かっていない。それでは、また、写らなくなるかもしれないね、というと、そうならないように、言っていた。こんなものです。インドネシアは、それで、OKなのです。そして、取りあえず、8日22:00まだ正常だ。

 http://otaenplaext.net/newpage62.html
http://otaenplaext.net/newpage59.html
2014年、日本の春です。ちょっとだけ日本にいた証です。

明日休みだが、出勤する、選挙で、昼間の何時間か休日出勤ができないので、私が生産現場の手伝いをする。
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雨季から乾季へ移りつつある今、雨が降らないと、ジャカルタ上空に汚染ガスのドームができる。東からジャカルタ上空のサンセットは、そのドームによって、火事のような夕焼けになる。火事ではありません。昨日も今日もこんな夕焼けでした。
高齢者 オーバータイム 緊急
posted by 元気な振りの爺さん at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月08日

(^_-)-☆試練のスタート

 1908 生産が順調ではなかった事と機械の故障が頻繁だった事などで、予定の半分ほどしか製品が取れていなかっ。急ぎの試作依頼があって、金型の手配をして、私が留守中にトライをしておくように頼んであったが、それも、出来ていなかった。なおかつ、注文に対して、原料が足りないので、注文をしておくようにも頼んであったがこれも注文してなかった。いろいろ、理由を言っていたが、全てが、わたしにとっては、まともな、理由になっていなかった。例えば、注文する前に、見積もりを依頼し直したが、まだ、返事が来ていない、という。バカバカしくて、まだまだだな、インドネシアはと思う。

生産で問題がって製品が出来なかったという、個所や理由になっているものを全部クリアーにし、今日だけ、遅れていた製品を夜遅くまで作り続けることにした。そして、やっていなかったトライを明日の朝からできるように準備(金型入口のRの調整など)をし、原料乾燥の段取りをさせておいた。その試作品のOKを昼前に取って、続けて量産に持って行く、今日は全員、昼勤だが、明日からロングシフトで生産をする。若い人を明日から二人、増やすことにした

で、水曜日9日は国会議員の選挙日でナチョナルホリデーになるとか、その日は休日出勤で、遅れを取り戻さなければならない。

PCカバーの注文が1万5千本来ている。困ったことに、乾燥機が一台しかない。ABSなど80〜100°で乾燥するものと140〜150°で乾燥するものを同時に生産しなければならなくなりそうで、これも、困った。

休み明けの木曜日、PCカバーの納品が始まる。また、例の2千円する原料のチューブのお客さん、ローカルスタッフが、最終打ち合わせというか、どんなところで、何ものが作っているのか、見に来ることになった。
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一年前ほどから、いつ開業しても良いじゃないの、と思う状態になっていたガソリンスタンが4月1日に、やっと、開店したそうで、先ほど、寄って、ガソリンを入れた。私がスタンドに入って行った時に、ポンプの前に赤白棒が立ててあって、そこへ行けない、そこへ行っていいかと、窓を開けて合図したら、そこにいたセクリティのような人物がその棒をどけて、どうぞと合図した。そのまま、給油の位置に行って車を止めた。すると、その棒を、私の車の後ろに立てた。私の車の前に同じ棒が立ててあった。その棒の前で止まれということだなと思うと同時に、金を払わないで行ってしまわない役目もあるなと思った。給油が終わって、支払いを済ませて、エンジンをかけたと同時にセキュリティがその棒をそこから、どけた。私の車がそこから出ると、その棒を先程の位置に置いたのをルームミラーで確認した。衝突防止で消化、食い逃げならぬ、油入れ逃げ防止でそうか、他のポンパ ベンシン(ガソリスタンド)もこんな風になるのでしょうか、ポンプごとにセキュリティがいるわけで、人件費が馬鹿にならないと思うが、どうでしょうか。それとも、このシステム、試行だけで、間もなく、無くなってしまうのでしょうか、興味がある。こんなシステム、今迄、どこの国へ行っても、見たことがない。
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 新しい形状のPCカバー、間もなく、量産になる。
多忙 量産 赤白棒
posted by 元気な振りの爺さん at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 押出成形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月07日

(^_-)-☆現実に戻る

 1907 インドネシアにいる。例によって6:20に家を出る。6:45こだまで東京まで、8:00くらいに東京着、成田エックスプレス8:30 9:30ころ成田空港到着、11:30搭乗、ジャカルタ時間18:00スカルノハッタ、着陸、バゲジの受け取りに時間が掛かり過ぎる、19:00空港から出る、20:30会社に到着、自分の車に乗りかえ、21:15(日本時間23:15)家に入った。

バゲジに重さが32.5kgあった。ガルーダシルバーは30kgまで、2.5kgオーバー、2.5kg取り出してほしいという。液体が多いので、納豆、バター、マーガリンなどを取り出すしかないと言ったら、ペースト状の物はX線チェックで、持ち込めないから、他の物で減らしてほしいという。重いものは出汁や酒類だから、もっとだめでしょう、2.5Kgくらいは何とかしてほしい、と、頼み込んだ。そして、そのままでOKということになった。実は、工具など仕事で使う小物が入っていたので、その気になれば、それほど大きくないもので2.5Kgは減らすことができた。

また、ジャカルタのカスタムで、今回は珍しく、キョークのチェックが書かれていなかった。しかし、数え切れないほどの過去のチョーの跡が、薄くはなっているが見える。係官が、X線チェックに通してしまった。そして、本当に珍しく、開けてほしいと言われた。心当たりは米麹1kg×5真空パックのことでした。案の定、これは、何かと聞かれた。今まで、見たことがない状態で見えたのでしょう。見てみれば明かに米だ。だから、正直に、米(ナシ)だよ、これは、インスタント食品の一つで、お湯を加えれば3分でおいしいご飯になる、と、説明した。ご本人すぐにうなずいてくれた。銅鑼焼きが入っていたので、子供さんにと、三つ渡しておいた。説明がしどろもどろだったり、酒を作る素だと知っていれば、多分、取り上げられたと思う。米麹を持ち込むことは、大丈夫とは言いません。

今回、初めて気になったことではないが、どの航空会社も同じでしょうか、気流の状態が悪くて、機体が揺れることを予想されるときに、シートベルトの餌が点灯され、揺れが予想されるので、席についてシートベルトを締めてください、そして、トイレの使用しないでください、という、アナウンスがある。問題は、その状態が解除になったときの話、ベルトのサインが消えれば、トイレに行っても良いと思うが、その、アナウンスがない。行きたくても、我慢してほしいというのだから、我慢をいなくて良くなれば、そのことを、アナウンスをいなければならない、と、思うのだが、そう思うのは私だけでしょうか。
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成田エクスレスのホーム、誰もいない。
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いつものジャカルタ、そして、たまたま、日本メーカーのお茶ボトルの宣伝、富士山が見える。

そして、明日から、短くても一週間、気が抜けない日々になる。
復帰 現実 試練
posted by 元気な振りの爺さん at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 買い物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月06日

(^_-)-☆桜とゴルフ

 1906 それだけではない。日本最終日、三週間の休日だった。ところが、触れなかったが、インドネシアの仕事に関して、問題山積、二週間過ぎたころ(3月末)には、インドネシアへ戻ろうかと思ったくらいだ。私がいない状態で、何が、どうなっているのか、彼らの報告では、はっきりしない。戻って、まず、それらのチェックから、始めなければならない。

今を象徴する今日の記憶。孫の相手で、街に出かけたが、彼女たちにずっと付き合っている必要がなかったので、一時間ばかり、車で、春の風景を辿ってみた。
グランシップからの富士山、くるっと回って、駿府城内堀の桜、そして、私が4歳から18歳まで過ごした家の跡。ゴルフ場のすばらしい桜も、今日、廻った景色も、触れるのはこれが最後なるかもしれないと思いながら、記憶に残そうと思っていた。
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今回の日本はそんな気持ちで、桜やゴルフだけでなく、私の足跡廻りもしてみた。清水町、長泉町、沼津方面をめぐるのは、恐らく、30年ぶりではなかったかと思う。大学を出てすぐのサラーリーマン時代、結婚して妻と子供と暮らしたころ、会社を作って、仕事的に自立を始めたころ、そして、その場所から、離れ、生活拠点と会社を、親が住んでいる静岡に移し、沼津の工場は、従業員に譲った、その工場付近をツアーしてみた。そのあたりの町や人々から私は30年以上間に遠ざかり、そのあたりからは私は死んでいた。今日めぐった場所からもすでに死んでいる。私が訪れれば、私だけ勝手に生き返るが、その辺りで、私を覚えていてくれる人に会えば、その人にとっても私は生き返るが、会わなければ、ずっと死んだままである。

蟹江敬三さん、探偵や刑事の女性主役を脇で支える役が多かったような気がする、名脇役、私より、ちょっとだけ若い、胃がんで亡くなったとか、先ほど、彼が出演している刑事ドラマをなんとなく、眺めながら、これを、書いていた。

マー君、たいしたものだと思う。今朝、中継を見始めて、二回途中で、これはだめだ、見ていられないと思い、見るのを止めてまった。
回顧 現状 記憶
posted by 元気な振りの爺さん at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月05日

(^_-)-☆捏造STAP細胞?

 1905 理化学研究所の結論は、STAP細胞など無かったということでしょうか。あった、発見した、という論文は、小保方晴子博士単独の捏造なのでしょうか。1日の会見では、小保方さん一人に世界中の関係者の科学者がまんまと騙されてしまったのでしょうか。単独といったって、誰も彼女の研究を知らなかったといことなどあり得ないはずで、どう考えたって、一人で勝手に論文を書いてネーチャーに送るわけがない。理化学研究所の会見では、STAP細胞の存在を否定しきっているのではなく、わからないとして、今後、一年かけて、検証するとしているらしい。

ここの一連に関して、小保方さんが、表に出ていない。論文発表以来、マスコミに登場していない。なぜでしょうか、なんとなく、大きな圧力というか、権力が介入しているような気がしてならない。本人は、しゃべりたいことが一杯あるような気がする。言いたいことを公表できない、させない何かがあるのでしょう。

それと、間違っていた、あるいは、本当はSTAPを確認していなかった。御確認していたかもしれないが、STAP細胞に関して、検証を後まわしにして、一人を悪者にする、結論を出してしまうほど、何故、結論を急いだのでしょうか。何か、理由があるような気がする。これにも、何か、結論を急げという、圧力がかかったような気がする。自分たちの身内の人の発見を大喜びし、誇りに思うなどといっていた人たちが、手のひらを返すように、自分達はなにも知らなかった、関係者ではないというのだから、科学者としても道をはずしているし、それ以前に人間として道をはずしていると思う。ノーベル賞が泣く。

小保方さんを今後、どうするのでしょうか、理研を首になるのでしょうか。STAP細胞の検証の機会を本人に与えるのでしょうか。もしかしたら、論文を取り上げれば、研究を続けさせる、そんな、条件を本人に示しているのかもしれない。

世間から、小保方さんに対する非難の声が少ないのはなぜでしょうか。世間的には、もし、誤りがあるにしても、彼女一人に責任を被せることに違和感を持っているからなのでしょうか。理研の会見に本人は欠席に、自分の考えを示す機会を与えられなかったことにも違和感をもっているからだと思う。それと、STAP細胞の発見が再現されることを期待しているのです。嘘だったと思いたくないのです。彼女にチャンスを与えたままにしておきたいのです。

私も、STAP細胞を存在を再現されることを望む一人です。アメリカで研究の継続が出来れば、いいと思う。
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藤枝ゴルフコースの様子、平日でしたが、ゲストプレー費、8000円くらいでした。高齢者(70歳以上)割引きを適応でした。
捏造 改ざん 嘘
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2014年04月04日

(^_-)-☆友あり

 1904 遠方より来たる、また、楽しからずや。上海から戻ってきていて、先程、一緒にゴルフを楽しむことができた。長年務めていた会社の海外工場の立ち上げや経営を任せられていて、海外生活が長かった。そして、四年ほど前にインドネシアのその会社の社長として赴任してきた。その会社の押出部門の立ち上げを手伝った私と同僚のような形になった。酒とタバコとゴルフが命で、仕事のストレスをそれらで和らげているように見えた。で、私と毎週、土日とゴルフをやっていた。染井吉野、山桜などの中に、たった一本、大島桜?淡い緑で風景に溶け込んでいたが、目立っていた。8分咲のようだったが、散る花びらも多く、絨毯ができ始めていた。
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技術者の私とは違ったタイプの方で、経営者だった。そういう点で、私にはない、総合的に管理する能力を持っていて、そう深くて詳しいとは思わないが、広い範囲のことを考えていて、それぞれの担当者を使い、任せる余裕の世にものを感じさせられて、久しぶりに、この人を見習いたいと思わされた。

会社の都合に負って、二年程で、退職してしまったが、日本に帰り、請われて、ふたたび、中国の金型製造会社の総経理として、招かれ、約2年経過していた。70歳を超えると労働ビザの修得が難しいそうで、三か月ごとに日本に戻って、10日ほど滞在し、再び上海に戻る生活をしているので、そのつど、元会長さんとゴルフをするのだそうだ。今回、たまたまそのタイミングで会うことができた。耳の具合が良くなかったが、今回、なお進んでいて、今年、一杯で、中国からも引き揚げて、仕事から解放さえたいと云っていたが、どうでしょうか。

ゴルフの後、静岡駅まで送っていったが、中国で三社立ち上げ、軌道に乗せていた子会社が、身売りされてしまったこと、育てた従業員に行方のこと、また、同じような立場で会社の発展に尽くし、会社にいられなくなってやめて行ってしまった同僚やその近くの上下、前後関係だった人たちの現状と行く末のことを、相当気にしているようだった。OB会を招集したい考えをもっていることを話していた。その時に私も協力したいと話しておいた。

再会を期待しながら別れた。グッドゥラックである。スモガ プルヤラナンニヤ ムニュナンカンだ。
手本 別格 再会
posted by 元気な振りの爺さん at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月03日

(^_-)-☆日本の流れ

 1903 消費税が上がったので、早速、スーパーへ行って、インドネシアへ持ってゆく品物を買いに行った。安くなっていることを期待しながらだった。本日は、納豆と安いスナック菓子がターゲットだった。見事に現状維持、定価を3%ほど値下げをしてあって、税込価格は100円、98円のままだった。消費税上げ下げは、日本の流れには関係ない。
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そして、日本の残りも3日になってしまった。私も一役買っている。先ほども、静岡県が小さくなるという報道を見た。今頃、何をいうの?20年以上前から、この流れは、予想できただろう。

そして、その原因を二点、取り上げている。先ず、製造業の海外への移転、先日も書いたが、このことも相当前からの流れで、親会社が閉鎖したり、ほとんど海外へ出てしまえば、今迄の仕事は、消えるわけで、仕事を確保したければ、一緒にくっついて出てゆくしかない。その流れは、円安になっている今でも止められない。だから、対策がない。流れに逆らうことはできない。インドネシアの新興工業団地を見れば明かだ。地平線の向こうまで広がる、真茶色で、道も出来ていないこれからの工業団地、それが、もう、ほとんど完売だという。今さら、と思うが、事実らしい、大規模アパートもどんどん建っている。一部屋20万円、一月、なんていう馬鹿げた家賃も当たり前になてきている。それでも、予約殺到だとか。日本人がその当たりの物価を上げている。現地人労働者の最低賃金を上げている原因の一つになっていることにも気が付いていない。

もう一つは、静岡だけの理由としているが、若者の県外流出率が大きい、ということらしい、これも、今頃言うなよ、と、思う。その補足理由として、大学が少ないなどと言っている。まったく、的外れだと思う。今始った事ではない、静岡には十分な大学があるし、県外からも多くの若者がはいってきていた。また、県外の大学へ行った連中のUターン就職率は高かったし、今でも、希望率は高い。だから、大学の受け入れ人数が少ないというのは、理由にならない。それを、理由としているのは変。

少子化、若者人口の比率の減少について、何も触れていない。分り切ったことだから、あげていないのか。縮む世の中を膨らませるには、人口増加に転ずる世に中を待つしかない。出来るなら、その時期が早く来るようにするしかない。他の事は、どうでもいい、根幹はそのことだから、政策もその一点に絞ればいい。こんなん事は、20年以上前から,そうしていなければならないことだった。だから、静岡ならず,日本全体が収縮は、当分の間、止まらない。

政治家や評論家、専門化が何を言ったって、しかたがない。今の調子では、今の年寄りはいなくなている、30年後を待つしかない。
人口 収縮 流れ
posted by 元気な振りの爺さん at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月02日

(^_-)-☆鞠子路ぶらり

 1902 昼前から、東海道鞠子の宿あたりをブラブラ歩くことにした。家から出て2〜30m歩けば、旧東海道にでる。横切って、鞠子川(丸子川)にでるが、その間に、ちょっと東に歩くと、長田西小学校の体育館の裏にでる、そこら辺りから、鞠子川の土手の遊歩道にでる。数日前には、一本の木だけ満開で他は蕾が固かったが、今日は、全てが満開で、先日満開だった一本は、そのほかの多くの満開の木の中に隠れるように目立たなく葉桜になりかけていた。

歩いたあたりは、桜の木並木というか、ほとんど、等間隔に植えたという場所はほとんどなく、ランダムに配置されているし、樹齢もバラバラ、種類も色も変化に富んでいる、このあたりの人が植えただろうが、自然に自生しているような雰囲気を感じる、そして、少し離れた左右の山を見上げると、また、それぞれの色は淡いが、白だったりピンクだったり、赤かったりする、花が緑の中に面積として四分の一くらいだが、パッチワークのように配置されていて、こんなに花のなる木があったのかと思わされる。足元には、タンポポなど、名前は知らないが、小さな花が何種類か配置されているように広がる。春爛漫、こんな気分を味わったのは久しぶりというか、多分、子どものころだろうから、いつだったかは、記憶にないほど、新鮮な気分を味わうことになった。

しばらく、川沿いに西へ向かい、旧東海道と合流するように、土手道はなくなったところに丁子屋がある。ここで昼食をとることにした。ここは何年振りだろか、10年振り以上だと思う。私の家は6丁目、ここは7丁目、土手にでないで、東海道を歩けば、1kmくらいの場所である。

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ここで、十辺舎一九の東海道中膝栗毛にも登場する、弥次さん、喜多さんは食べることができなかったという、名物ととろろ汁をかきこんだ。これも久しぶりで懐かしい味だ、自然薯の味や食感は、やはり、子供のころから親しんでいた間隔を呼び戻す。

満腹になって外に出る。そこから、なお、西に向かう、すぐ、旧東海道は国道一号線と合流して消滅する,そのあたりで、横断し、匠宿という、比較的新しい、このあたりの職人技を将来に繋げようとする施設に行ってみた。私は始めてである。手作り体験ができる場所だ。

ここまで家から多分2kmくらい、帰りは、丁子屋の前を通り旧東海道で家に帰った。途中、リックサックを背負って、ガイドブックを見ながら歩いている大勢に方々に会う。あまり気にもしていなかったし、普段は車で通るだけだったので、目にはらなかったが、本陣、脇本陣などなど、その跡だという、目印があちこちにある。なんとか屋問い看板も軒並みだ。

昨日といい、今日といい、インドネシアではちょっと無理、という環境を味わうことができた。昨日、一緒にコースを周った人が、「来年は見られないかもしれない、しっかり見ておいた方がいいよ、毎年、これが、最後になるかもしれないと思いながら見ている」と、云っていた。他人事では、ないなと思う。一つ一つの体験が、少し、感傷的になる。
散策 鑑賞 感傷
posted by 元気な振りの爺さん at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月01日

(^_-)-☆過酷なコース

 1901 初めてやるゴルフ場、多分,家から一番近いのではないか。30分で着く距離だ。昨日の嵐のような天気から、一変して、春うららの素晴らしい天気に恵まれた。桜は8分咲き、丁度良い、と、思いながらスタートをした。コースについて全く予備知識がない。ロング、いきなり、高い位置から打ち下ろし、壁に向かって打つよう、一打目、ランなどないどころか、手前に転げ落ちて止まった。二打目もナイスショット、堕ちた場所がまだ上り坂の途中、三打目の50mほどが頂上になっていて、その先が見えない、キャディにグリーンの方向を聞いて、そちらにナイスショット、今度は、急斜面を下って、転がって、グリーンの手前100mくらいの窪みに止まった。四打目、5番ウッドで、急斜面の打ち上げ、グリーンの手前、5mくらいに落ちて、手前に転がり落ちてきて、20mくらいで止まった。そのホールは、結局、ダボだった。ティーグラウンドから、急に下り、急な登り、急な下り、急な登り、砲台グリーンでした。そのほかのコースは、概ね、壁に向かって打ち、急こう配を下って、今度は上り、そのまま、グリーンまでひたすら登って、砲台グリーンに至る。こんなコースをよく作ったものだと思う。
チカンペックが、印象として、各ホール終了後、急斜面を下って、次のティーグラウンドに行き、打ち上げ、ひたすら上る、せっかく、登ったのに、また、下って、次のティーグラウンドにゆく。ここは、それより、はるかに急こう配だし、右左に曲がっている。
非常に疲れた。やりたくないコースである。しかし、3日にまたここでやらなければならない。
ただし、桜の花の下、かなり、気分は良かった。この季節の日本ならではの雰囲気を楽しむことができた。
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この時期、新しい環境で、仕事を始める人も多いと思う、インドネシアでも、赴任して間のない人も多いと思う。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%204.html
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0011.html
新生活をインドネシアで迎えたばかりの方、間もなく、インドネシアへ赴任される方、インドネシアで仕事を始める方は必読です。参考にしてください。ただし、5年ほど前の情報ですから、今と違うことがあるかもしれません。特に資格とか手続きについては、参考に留めてください。そして、ジャカルタに住んでいないし、何かの団体に入っているわけでもないし、日本の公共出先機関と関係していないし、日本人クラブ?に入っているわけでもないし、日本人学校にも関係ないし、趣味の同好会にも参加したことがない。それらの関係のことに参加する必要性がないと思っている。完全に、単独で行動しているので、それらの方の情報は、それらのウェブサイトでチェックしてください。
知らない 難しい 花見

posted by 元気な振りの爺さん at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ゴルフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月31日

(^_-)-☆技術指導の評価

 1900 私がこの仕事に関わって、48年、最初の半年だけ、与えられた装置(西ドイツ、シュレーダーシュタインデルマン、ライヘンホイザーからの装置を導入いたという記憶がある)を使いこなすために、先輩達がやっている仕事を覚えようとした。教えてもらいながら、覚えながら、その状況は不満だらけだった。製品がうまくできていなかった。不良品の山だった。装置に大きな不満が生じた。なんとかしなければならないと思った。
半年後からは、関わる仕事のすべてを、私の考えと腕で、した。装置の大改善に手をつけた。誰からも指導を受けなかったし、参考にする文献もなかった。ただし、技術以外のことに関いて、ただ一人、先輩(上司)の中に、仕事に対する取り組みが非常に熱心な方がいた。三年ほど、その人の姿、姿勢を参考にした。塩崎さんという、自衛隊習志野空挺部隊出身の猛者だった。“空の神兵“を、一緒によく歌った。それと同時に他の人に対する、技術指導をする立場になった。それ以来、ずっと、技術開発とそれにともなく技術指導の連続が私の仕事です。自分が作ったものを自分が作り続けることないのだから、誰かに、それを覚えてもらって、生産をしてもらわなければならないのだから、当たり前のようにそういていた。

66ナイロンの二硫化モリブデン10%入りの馬蹄形をすぼめたような形のベルトコンベアーの鎖が滑るラインのガイドレールという製品を日本で初めて作った。66ナイロンのチューブや異形品(プロファイル)の生産は、日本での草分だった。そのすぐ後、6ナイロンのプロファイルも手掛けることになった。まだ、誰も出来ないこと、出来るかできないか、返事に迷うことは、やると返事をするという、姿勢が確立された。

さて、技術指導を何十年も続けてきて、私のような考え方をする人を育てることが、最大の目標というか,希望だった。今もそれをしている途中だ。

難しいのは、伝える相手次第だということで、私と同じような人に伝える情況は、無いわけで、自分が満足出来ていないし、伝え具合を評価する人が、私の技術を分からないわけだから、評価できないのだが、評価するのだから、十分だと評価する筈がない。48年、日本人一人、インドネシア人一人の合計二人しか、私の跡継ぎになれるという人に会えなかった。そして、その日本人は、この世にいない。
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静岡駅北口前の様子、お世話になった交番、この右がタクシー乗り場、芝桜と徳川家康像、鷹刈りスタイル、駿府公園の中に有ったものをここに何時からか移設したらしい。
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褄の作品、家の中の桜が咲き始めた。
評価 無理 相手
posted by 元気な振りの爺さん at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月30日

(^_-)-☆8億円、8%

 1899 はっきり言って、どちらも、バカバカしい。8億円、渡辺なにがしという政治家。何をかイワンやである。猪瀬何がしと似たり寄ったり、馬鹿じゃないの、人を馬鹿にするような、言い訳にもならない言葉を、何とかひねり出して、それで、すべてが、治まると思っているのでしょうか、思っていないでしょう。取りあえず、今の状況ではこれしか頭に浮かばないのでしょうね。哀れで、気の毒だと思うしかない。日本の政治家は、こんなものでしょう、レベルが低いというか、貧弱だね。取り巻きの連通も、納得しているのが、また、面白い、呆れるばかり、ほかの政治家が、何億円かを受け取っていて、こんな言い訳をした時に、皆さん、「なるほど、言っていることは納得できる」、と、相槌を打つのでしょうね、きっと。すごい世界すね。インドネシアも税金を納めたくない国だが、日本も税金を納めたくない国だ。

それは、別世界にとんでもない話だ。彼らにとって、何が満足で、何が生甲斐で、何が幸福なのでしょうか。私の幸福感とまったく違うようだ。私がインドネシアで安上がりの生活をしながら、自腹を切りながら、技術を伝えているのに、日本の行政や立法にかかわっている人たちは、優雅な生活をしながら多額の無駄使いをしている。特権を多く持っている大使館員の優雅な生活は、庶民感覚では理解できない。JODCなどは、廃止すべきだし、廃止しないなら、すべての費用を半額にするべきだ、私が任せられれば、半額以下で今以上の貢献を外国にすることができる。

8%、これもバカバカしい、何故、消費税が3%上がるだけなのに、上がる前に買っておこうという心理になるのでしょうか、私には、わからない。3%安く買えたという喜びのために買っている?高額になればなるほど、その差が大きくなるから?例えば、車や家を買う?そして3%節約する。4月に入って,しばらくして、モノが売れなくなる。値下げしても、売れない、もっと値下げする。値下げ率が5%いや10%以上になる、そんな可能性があることを考慮しているのでしょうか、中古や新古の出回りが増加し、値崩れを起こす品物もあるでしょう。非常食用に飲み物や長期保存ができる品物を3%節約するために今買っておく?賞味期限があるので、そういう考えの人には、賞味期限以内に大震災が来ることを祈ります。

私の考え、一番,賢い手段は、現在必要とする日常品以外は買わないことです。現在の価格は強気に、高い値段の付けているはず。車も家も結婚指輪も、今、買わないことです。4月以降、必ず、3%以上の値下がりになるでしょう。半年,買う時期を遅らせれば、10%以上安く手に入るかもしれない。

予約チケットや燃料など、市場価格に左右される可能性が少ないものは、値段が下がらないので、買って置いた方が、ちょっと、節約になるでしょう。

日本を無理やり見かけのインフレに誘導し、公共料金や輸入品などで、庶民の生活費を高騰させている状態が継続するわけがない。さらなる、量的緩和などと言っている、経済の専門化がいるが、必ず、デフレになるでしょう。モノを買わなくなれば、値下がりするに決まっている。私はガソリンを満タンにするだけです。
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サラリーマンを止める1年ほど前から、独立して、沼津の工場で仕事をいていたころ、そして、静岡の貸工場に私だけ移り、その後2年間、合計約8年関この分譲住宅地地に住んでいた。建物は今の人によって、建て替えられているが、右の茶色い建物の場所にいた。
衝動 無駄 選挙資金
posted by 元気な振りの爺さん at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 変!! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月29日

(^_-)-☆技術の広がり

 1898 私の技術の広がりは、日本国内とインドネシアにある。それらの会社では、私が二十歳代に考え付いた装置が基礎になっている押出成型ラインを使っている。東レプラスチック精工に社名が変わっているが、外の納入車への注意書きは東洋プラスチック精工のまま、というのが、面白い。で、この会社の押出成型の基礎的技術は私から抜け出していないようだ。私が辞めてしまった後に、後輩から何回か相談を受けていた。こういうことは、インドネシアの会社でも同じことだ。
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沼津市の南の方、志下(しげ)というところの貸工場で、一人で、1ラインで仕事を始めた。今から40年前の話だ。今は、このエリア一帯は、広い道ができ、干物の干場だった場所に、色々な店や住宅が建っているが、貸工場の周りは昔のままだ。二つ並んでいる工場の奥の方、左側に私が入っていた。手前が名取製作所の駐車場で道の右側、貸工場の向い側が名取製作所の本社工場だった。窓を明けて仕事をしていたので、社長が、覗き込んで、「お前の所は、遊んでいるようで、よく儲かっているらしいな」と、いつも、羨ましそうに云っていた。また、11や12ナイロンのチューブを納めていた関係で、アオイとう継ぎ手の会社の社長さんも、頻繁に会社に来ていた。後に両社とも、私の方法をそっくり真似して,自社で押出成形を始めてしまった。二人とも、私を応援していてくれると思っていたので、裏切られた気持ちで非常に残念に思ったと同時に、人の道に外れるようなことをしなければ生きてゆけない人に同情もした。
これに似たような話は、もう一社あるが、これは、その会社の経営者ではなく、製造責任者が、製品クレームを頻繁に付けて,そのつど、製造ラインのチェックだと言って、現場に入り浸り、挙句の果てに、自分がやったかのようにして、その製品を、その会社内で製造するようにしてしまった。その人間は、やはり、気の毒だなと思った。そういう人そういう会社のいずれも、私から持ち出した仕事だけをできるだけで、新しい仕事はできない。これは、インドネシアで技術指導した会社と様子は似ている。教えられただけ、真似しただけの技術では、応用が利かないし、やった事のない仕事に挑戦するということは無理な話でしょう。

沼津から静岡に移ったのち、沼津で手伝っていてくれた人に、工場や客先を譲った。それが、“セピック“という会社である。小さい規模でやっているので、十分、採算はとれている。ある程度大きな会社ができない仕事をしていて、心強い。安定して仕事をしているので、何も心配していない。

太田化工は、言うまでもない、20年前に、私の技術や客先や十分な内部留保を後輩に譲って、私は、インドネシアに飛び出してしまった跡です。ここも、こじんまりやっているので、この難しい日本の仕事環境でも何とかやっている。

もう一社、太田化工から飛び出したSKYという会社がある。私の孫会社とでも言うのでしょうか。装置は同じである。意欲的に新商品を開発中で、ひょっとすると、ひょっとするかもしれないという期待を持っている。

日本に私がらみの押出成形ラインは恐らく、30ラインくらいあるのではないかと思う。それぞれが、大儲けもしていないが、十分に経営はなりたっているようだ。新しい仕事に積極的に取り組んで拡大,ということはないが、それぞれが、独自の製品を継続してつくっている。スパイラルやエッジングがよい例だ。それぞれ、客先を掴んでいる。装置、技術、客先の相似形である。
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左側に私が大学を卒業して、この会社に勤め始めた時から結婚するまで約3年過していた独身寮、今は、別の使い方をしているらしい、左の駐車場、車がたくさん見える場所には、三階建ての社宅があった。組合長のときに要求して、建ててもらって、入居者第一号だったが、出てしまったのも第一号だった。
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この門から入って、右の事務所と右側の倉庫の建物の間を右に曲がって、ますぐ行くと独身寮に行くが、すぐ左に曲がると押出成形の工場棟があって、その中に、丸棒や板をつくる固化押出ラインが7ライン、チューブやプルファイルを作る溶融押出ラインが4ライン、ガラス繊維や炭素繊維を混ぜた原料を作るラインが3ラインあった。辞める時には、その全体の責任者だった。
足跡 広がり 相似形

posted by 元気な振りの爺さん at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 押出成形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする