2009年08月21日
斜めからインドネシアを眺めよう 340
奨学金は三分の一を返せばいいという特別なものだった。いま、この制度が維持されているかどうかは知らない。私はその三分の一は大学を出たと同時に返し始め、3年ほどで全額返しました。しかし、三分の二は返さなくていいので、余分には返しませんでした。育英会に寄付もしませんでした。
その代り、税金は毎年新聞にのる程個人でも会社でも払い続けました。健康保険や厚生年金などは、これ以上はないという最高金額を払い続けました。
ですから、国は私に特別奨学金を支給したことは間違いではなかったのです。税金の使い方や年金の資金配分には非常に不満ですが。こんなことなら、所得をごまかして、自分の資金をもっと蓄積して、自分で自由に使えるお金を残しておけばよかったと思っているくらいです。犯罪になりますが。
親に似て、正直すぎたが、それでも、多分、一般の人の平均よりかなり高額な資金を蓄積することができたと思っているので、また、特殊な技術を持っているので、そのことを通じて、親の世代が迷惑をかけた国々の人たちに個人的に、役に立てようと50歳から、それを実行する行動に出たのです。
日本人のためにではありません、あくまでも現地の国と現地人のためにと仕事、技術指導を始めたのです。多くの資金を投入しました、そして、自分にかかる費用は平均的日本人の五分の一くらいに抑え、現地企業からの報酬のほとんども技術指導や現地従業員の奨学金や生活費や病院の費用の手伝いにつかったし、今もそうしている。
一億円以上は其のために使ったでしょう。でも、その効果はあがっていると確信しています。ムダになっていないと自己満足している。
残念なことは、この私の行動を日本人が理解できないどころか、逆に、それが気に入らなくて、目の上のたんこぶとしか思わないで、邪魔ものとして排除しようとしたことでした。
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