11月9日 インドネシアで楽しく暮らす 15−421
斜めからインドネシアを眺めよう 421
そうですね、インドネシアの子供達は、たくましいです。というより、これが、普通なのです。私が、小学校のころ、納豆売りをやっていた友達が多かった。私も、新聞配達、アスファルトに埋まっている、鉛や真鍮、釘等を集めて売ったり、ガラス屋の手伝いで、注文の家に行って、寸法を測ったり、集金をしたりした。
インドネシアはその頃の状態に似ています。そして、その状態が当たり前のように続いているのです。田舎へ行けば、とにかく子沢山。これも私が子供のころと同じです。賑やかで、活気があった。苦労とか大変だとか、頑張らなくては、とは、思わなかった。当然のように、楽しく、いろいろな手伝いをした。
そして、48歳の時だったと思うが、胃癌と分かり、胃をほとんど全部切って、捨ててしまった。胃がないから、胃癌になる心配はありません。大腸ポリープはその後、五つ取りました。
53歳からはインドネシアでの暮らしが長いですが、三年前に、得体の知れないパニック障害になってしまい。原因は自分では意識しないストレスだそうです。そう言われて、思い当たることが多すぎます。今でも、その障害者です。薬を欠かすと過呼吸パニックになったり、心臓の脈が無くなって、気絶しそうになるパニックになったりします。そういう、恐怖の中で、インドネシアで活動しています。
自由度が少ないでしょうが、人生、エンジョイしましょう。
従業員に対するパワハラの手伝いをした秘書だと思うが、フェイスブックに2009年7月31日の記念写真を公開している。何もしないで、閉鎖の方向に一直線に仕向け、従業員を全員解雇して、ご機嫌の人達が紹介されている。そして、今でも彼女に踊らされていることに気がつていない。
http://www.facebook.com/home.php?#/photo.php?pid=75706&id=1823196287
これほど、世界中で、利用されているフェイスブックについて知らないだろうし、意識がない、ご本人達は、知っていれば許可するはずがない。
11月10日 インドネシアで楽しく暮らす 15−422
斜めからインドネシアを眺めよう 422
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Angodo wijoyoインドネシアで最大話題の人物ですが、所在が分かっていない。インドネシアにはいない。警察、検察と汚職実業家対、KPK(汚職撲滅委員会)の大きなもめ事の、その、実業家の名前である。
前のKPK委員長で、殺人の疑いで拘束されているアンタサリも、どうも、彼に、はめられたようだという見方になってきて、警察ではなく、第三者(Tim 8)の調査団から、事情聴取が何回か繰り返されるようになった。
フェイスブックへの投稿が100万を超えた、そして、KPKに味方する意見がほとんどで、デモの呼びかけもされている。ジャカルタ中心地帯も、今、そのデモが頻発しているようで、ジャカルタ在住の日本人から、最近は渋滞がひどいという話を聞く。
私の左目の斜め上5mmくらいのところに三センチほどの切り傷が残っている。三歳の時にこの橋の下で、転んだ時に,つかんでいた牛乳ビンで切ったのでした。父親が私をおぶさって、土手を走って病院まで行って、傷を縫ったのを、はっきり、覚えている。物心がついてから記憶に残っている出来事の三つ目でした。その傷は、はじめは小さかったのですが、顔が大きくなるに従って、長くなり幅も広がった。そのうえ、悪いことに、今お技術では残らない、縫った後が残ってしまい、それを見ると、傷がトカゲのように見える、縫った後が前後の足のようで、自分でもトカゲのように見える。
小学校へあがったころから、誰からも、トカゲのようだと言われた。いつの間にか、あだ名がトカゲになってしまった。“おい、トカゲ“と呼ばれるようになってしまった。先生からも、本当にトカゲのようだなと言われたことがある。
ガキ大将のグループと正面から戦う立場になっていたので、特にその子分連中から、そう言われていた。
後に、ヤクザにでも、なっていれば、トカゲなんたらと、はくのある名前が付けられたと思うが、そっちの方向とは全く違うので、間抜けな感じの傷が残っている印象だ。さすがに、中学生になってからは、そう呼ばれることはなくなった。
高校へ入ったころ眼鏡をかけ始めたので、他人から全く気がつかれることも無くなった。
11月11日 インドネシアで楽しく暮らす 15−423
斜めからインドネシアを眺めよう 423
性格的に、走りだしてから、周りを見るし、一つに集中しているつもりが、他のことも気にしてしまうので、子供のころから、怪我は多い人間だと思う。この年になれば怪我はろっ骨を何度か折ったくらいであるが、肋骨にひびが入ったくらいであ怪我のうちに入らない。それと、仕事上、火傷は当り前で、火傷が治らない上に火傷をすることは稀ではない。手当などしない、それでも、化膿してひどくなったことなどない。私の指と腕は、全面、火傷の跡だらけである。火傷を怖がるような人は、この仕事に向いていない。
最後のひどい怪我は、40歳の直前だったと思う。仕事中、製品を引取機に差し込むとき、摘まんでいた左手の親指、人差し指、中指も一緒に巻き込まれてしまった。あわてて、引っ張ってしまったので、親指の爪の生え際からちぎってしまった。
沼津の工場から静岡へ移ったばかりで、入社して一か月ちょっとの男の従業員と二人きりで、三ラインの操業をしていて、大変忙しかった。気が動転してしまった従業員は真っ蒼な顔をして立ちすくんでいた。機械を止めて、従業員の運転で、病院へ急行した。手を頭の上に上げて出血を最小にし、病院について、優先的に縫ってもらった。化膿止め点滴をしなければならないから、入院しろと言われたが、とんでもない、といって断った。その代わり、三日間毎日二時間の点滴を受けにくることを約束し、実行した。
翌日、その手で、三台の製品の立ち上げをして、包帯がぐしゃぐしゃに濡れてしまったが、そのまま、点滴を受けに自分で車を運転して、病院へ行った。なにをしたんだと,叱られたが、その後二日間とも、同じ様に濡らして,病院へ行った。医者はあきれるばかりだった。その後は病院へ行かず、十日後に抜糸のために行った。それきりだった。その状態を見て、入ったばかりの従業員は、抜糸の三日後に会社を辞めてしまった。私の仕事ぶりと、怪我の処置の方法が怖くなったのでしょうか、辞めた理由が分からなかったが、出勤しなくなってしまった。
ゴルフのグリップはその千切れて繋げた親指で抑えているので、たびたび、古傷が痛む。それがボールを遠くへ飛ばせない理由とは思わない。
11月12日 インドネシアで楽しく暮らす 15−424
斜めからインドネシアを眺めよう 424
こうも、懲りずに、勘違いを続けて、腹を立てている人も、面白いくらい、めずらしい。いい加減にして、目を覚ましてほしい。
もう、何カ月か前に会社を解散する申請をし、従業員も全員円満解雇した。其の会社が、実際には完全にインドネシアから逃げだすには、さまざまな手続きと承認が必要で、まだ、終了していない。その一つに、インドネシア内で仕事をどこかほかの会社に引き継いでもらわなければならない。そのまた一つに、お客さん自身へ装置を売って、社内で生産してもらう会社がある。その時、製造人(装置のオペレーター)とリーダーの何人かをひき渡すと約束してしまった。
しかし、その社長さんらしい、その約束は、本人達の了解を取っていないで、彼らは、有り難くいうことを聞いて、断らないだろうと、勝手に、決め込んでいた。ポジションや給料の交渉もしていなかった。全く、おごり高ぶった、インドネシア人を馬鹿にしている行動である。
元従業員の人達は、当然、次の働き場所を探す。もし、社長さんが次に働く場所を紹介しても、そこで、働くか断るかは自由だし、まだ閉めていないので、何人か、契約社員として、使っているが、それも、断るのも、自由である。紹介したからとか、自分のところで何カ月か延長して使ってやるから、言うことを聞け、というのは傲慢である。
今度は、誰に腹をたてているかというと、ある従業員が、従業員を渡すと約束した会社に行かずに、他の条件が良い会社に就職してしまったから、とんでもないやつだ、インドネシア人は恩知らずだ、ということである。めちゃくちゃである。本人にしてみれば、その社長さんになってから、無理難題を言われ、他に良い職場があれば変えたいと思っていた。そういう社員は多かった、其のうちの一人である。その社長さん、恩など感じてもらうことは、していなかったどころか、何もしない社長さんと従業員は陰口を叩いていたし、シフト、サトゥといって、三交替勤務の早出が帰る時間、15:00には、会社から居なくなって、所在不明になっていたので、そう言われていた。今は、シフトサトゥどころか、会社にいる時間は一週間に数時間だと契約社員からの情報である。
その人間が元従業員に対し、腹を立てて、どうしようというのでしょうか。滑稽で不思議である。むしろ、良いところへ就職したねと、一緒に喜んでやるのが、常識をわきまえた人だと思うが、その人は、まったく、逆人間である。
他へ就職した本人達は、社長が怒っていることを伝え聞いて、「自分達は間違ったことをしていない、何故、社長は怒るのか分からない、会社にいた時も、なぜ怒るにか分からないことが多かった。止めてからも怒られるのか。」と、当惑している。
以前、ある製造部門の装置を他社に売った時も、その担当者全員を其の会社にその時の給料で、採用してもらうように私が条件を示して、仲介をした。受け入れの会社の社長さんも、それを約束したが、実際には、給料について約束を守らなかった。そこで、移った従業員は、其の会社を辞めた。前者の社長さんは、辞めてしまったことで、私に腹を立てていた。本当は、約束を守らなかった受け入れの会社の社長にクレームを付けなければならないはずである。
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage11.html
在る会社が閉鎖されてフリーになった社員を採用していただいた会社の社長さんは、ある会社の社長さんから、なにか、クレームが在っても耳を貸さないでください。本人の仕事ぶりだけを見てください。
11月13日 インドネシアで楽しく暮らす 15−425
斜めからインドネシアを眺めよう 425
一昨日書いた怪我が最後ではなかった。45才の頃、仕事始めの1月4日だった。皆さんが帰って私一人で、明日の仕事の準備のために、押出機の上に登って、ホッパーの中の汚れを拭いた。その後が、いけなかった。そこから、飛び降りたのです。1.2mくらいの高さでした。ところが、右足が、フックに引っかかって、左足が先に着地し、股をひらくような形で、右足が後に着地した。左足が着地した時にバキッと音がした。折れたと思った。瞬間からずっと病因へ行くまで、痛くはなかったが、歩こうとすれば痛いし、歩けない、病院は空いていないし、エマジェンシーがるの総合病院は遠い。近くに当番医はあるか調べるためと、車のキーを持ってくるために、二階の事務所に行かなければならなかった。見たら、近くに、車が付いた椅子があった。その椅子まではっていって、荷物用のリフトまで行き、それに乗って二階に上がった。降りて、10mほど這って事務所へ行きキーを取り、電話で外科の救急医の名前を聞き、事務所の車付き椅子でリフトまで行き、下に降り、さっき使った椅子で、車まで行って、病院へ向かった。
くるぶしの上の細い方の骨が見事に折れていた。折ってから病院へ着くまで、30分くらいだったが、足は倍ほどの太さに腫れていた。ここでも、一か月の入院だと言われた。冗談じゃない、病院の松葉杖を借りて、石膏で固められた左足をひきずって、車へ、車を運転して家へ帰った。次の日、さすがに痛かったし、このときにはもう、私がいなくても仕事の立ち上げはできるようになっていたので、足を折ってしまったので、といって、休んだ。
その次の日は出勤し、普通に仕事をした。椅子が変なところに放置してあるし、変だなと思っていたと云いながら、従業員皆から、笑われた。無茶するからと言われた。四日後に腫れが引いて、石膏と足がすれて、階段の上り下りで特に痛かった。一週間後に病院へ行って、頼みこんで、石膏を取ってもらい、アルミ板を添えてもらった。これで、どんなに動いても痛くなくなった。そのまま、
一ヶ月後に自分で、添え板を取ってしまって、それで完治でした。医者へは最初の日と石膏を取ってもらった時と松葉杖を返しに行った三回だけでした。
この医者にはその後、三回のぎっくり腰で、注射をしてもらいにいったことがあった。土日や夜一人で走りまわって仕事をすることが多かった。マーケティング、プロダクション、デイバリー、アカンティング、パーソナリア全てを一人で10年はやっていたし、50kg(原料2袋)を担いで、一トン、二トンを移動させることも多かった。
今は、25kgの一袋を担ぐのがやっとだが、それをしていると、若者が寄ってきて、手伝わなくていいといわれる。
11月14日 インドネシアで楽しく暮らす 15−426
斜めからインドネシアを眺めよう 426
ジャカルタ近郊は完全な雨季になっています。中心のタムリン通りも水捌けが間に合わず、冠水し、セダンは通り抜けられない状態になり大渋滞なる。ムシン バンジール(Mesin Banjir)です。洪水の季節です。
KPKの全委員長のアンタサリの裁判が、始まっているが、先日のKPKによる警察と汚職容疑者の電話盗聴内容が公開されたことを受け、アンタサリが彼らに嵌められたという状況がどんどん明らかにされている。
インドネシアの裁判は全面公開です。傍聴はどういう方法でできるのか知りませんが、話題になっている裁判はテレビで生中継されるし、ニュースで重要ポイントの映像を流しながらの解説もある。裁判官、容疑者、検察、弁護士、など、発言や発言を聞いた時の反応など、すべて、公開される。この点は日本よりはるかにオープンで分かりやすい。
アンタサリの裁判でも、ある証言者の警察官が実業家を射殺した実行犯がアンタサリからではなく、他の人間から現金を渡されたのを見たと証言した。その時のアンタサリの様子が大写しになった。彼は眼を覆うようにして、後ろに体を反らせた。その斜め後ろにいた女性の付き添いでしょうか、傍聴者でしょか、彼女が、彼を後ろから支えた。自分が無罪であるという、有力な証言を聞いて、かなり、安堵したような表情だった。
不思議な病気があるもので、サキット カキ ガジャ(sakit kaki gaja)像の足のようにずんどうに太くなる病気です。女性で、片足が足先までももの太さになってしまって、表面は像の足のようにかさかさになっている。以前伝えた全身イボ人間と同じように原因も治療も未知である。どちらも感染、伝染しないので普通に生活をしていて、周りの人も、決して、嫌わない。
バリでは狂犬病で四人亡くなっている。山岳地帯のようなので、ほとんど海岸近くにいる観光客が気にすることはないが、キンタマニなど山の方に向かう人は犬に噛まれないように注意してください。また、サルも何らかの病気を持っている場合があるので、モンキーフォレストでも注意する必要があります。野生の猿もおおい。
パンガンダランのサルもいきなり、飛びついてくることがあるので、油断はしないでください。特に子ザルに近づく時は注意です。
11月15日 インドネシアで楽しく暮らす 15−427
斜めからインドネシアを眺めよう 427
忙しいからとか自分がやらなければどうにもならないと思って、休めない、のではない。それほど、私が頼りのわけでもないが、自分の不注意での怪我で、出勤できないというのは自分が納得できないのです。小学校の時から、ずっと、学校へ行きたくない、会社へ出勤したくないと思ったことは一度もない。ガキ大将からしつこく、いやがらせをさせられていた時も、難しい仕事がうまくいかないで、取引先や上司から、いつになったら出来るのと、責められた状態でも、インドネシアで未熟な怒りっぽい、本社の常務からシカトされても、社長連中から強烈なパワハラを受けた時も、現在パニック障害中でも、学校、職場へは、喜んで行っていた。怪我や風邪くらいで、休んだら恥だと思っていた。登校拒否や当社拒否は全く、思ったこともないし、体や頭が拒否反応を示したこともない。
私をパワハラした人達と上下関係でなく対等な立場になっている、今、会って、議論をしたいと思っているいが、彼らは全員が、応じないでしょう。理屈では完全に自分が負けということが、分かっているからです。小学校のころ、私をやっつけようとした(私は気にしていない)ガキ大将の何人かは、同級会に出てこない。
透明の樹脂でパイプやチューブを作った場合、透明度や硬さや弾力性が、基本樹脂で同じでも、それぞれの樹脂に弱点を補ったり、純粋なら、高額になるが混ぜ物をして価格が下がるようにしたり、逆に混ぜ物をして、弱点を強化していたものを混ぜないで、安くしたりすることがある。これを、見分けるのは、作った張本人でも難しい。
そこで、何か、問題が発生した時には第三者、それらの取り引きにかかわっていない機関や会社に分析を頼むしかありません。
しかし、一つだけ、製品の色の違いが分かる場所があります。それは、切断面です。束にして横から見ても分かりませんが、断面を見ると、黄色みがかったり、青みがかったりして見えます。その濃さも、確認できます。黄色みがかっている原料は酸化防止剤か熱安定剤を少なくしているか、使っていないのです。車のなかに使っている原料は断面が青いはずです。ポリカーボネート(PC)とポリビニールクロライド(PVC)の透明製品については顕著に分かります。射出製品ではこの判定はしにくいです。
2007年 11月過ぎから、ここ、インドネシアで仕事をしながら、毎日積み上げてきたエッセイをテーマ別にしました。
読んでいただく方が、どこから、読んでいいのか判断しやすいように、また、それぞれの人々の必要性や興味にあわせその時々に読んでいただけるように分類しました。
http://www.ab.auone-net.jp/~bekasi/
11月16日 インドネシアで楽しく暮らす 15−428
斜めからインドネシアを眺めよう 428
ジャカルタの洪水状況は例年になくひどい。11月で、このひどさなので、1月2月の本格洪水季節は思いやられる。ジャカルタへの出張者は、覚悟してきた方がいい。セダンは駄目です。
従業員に一人で夜勤をさせたり、残業をさせたりしたことはない。万が一事故が在って、一人ではどうにもならない事態になったら、取り返しがつかないことになる心配があるからです。
しかし、自分が現場で仕事をするのは、誰も、他の人がいない時が多かった。他の人に手伝われると,その人に気をつけなければならないし、手伝いを頼んでも、思ったような手伝いができない。かえって、足手まといになるので、一人で、思った通りにやりたいのです。足の骨を折った時も、一人だったのは、その理由だった。
だから、本当は、十分安全については気を使わなければならないのだが、ほとんど、意識して仕事をしたことがない。意識しなくても、感覚的に大丈夫として行動をしてしまうことが多かった。
従業員や一緒に仕事をする人に対し、新入社員教育などには、他の従業員はあまり怪我をしないので、例が少ないため、自分の体験を話して、危険がこんなところにあると、注意を促していた。残っている傷を見せながら、こうならないように話した。
命にかかわる重大事故は考えにくいが、仕事中、私がやってしまった怪我は誰にでも起きる可能性がある。
同じプラスチックの成形でも、プレス成形や射出成形は金型を合わせて製品を作るのが仕事ですから、その金型に体の一部を挟まれて潰すという、事故は絶えない。勿論、危険防止のために、両手を使ってボタンを押さなければ作動しないとか、金型にカバーをしなければ型が閉まらないなど、安全装置は講じてあるが、それでも、その安全装置が故障で、閉じてしまうとか、生産中でなく、修理中などで、安全装置の作動をわざとOFFにしてしまうなどの理由で、潰す事故の話は絶えない。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
11月17日 インドネシアで楽しく暮らす 15−429
斜めからインドネシアを眺めよう 429
早いもので、車の運転免許証の期限が来てしまって、免許証を買いに行ってきた。昨年と同じ、ジャバベカのカリマラン川沿いでした。
例によって、自分ひとりで、行って来たのですが、その場所に、外国人を手伝う人が、寄生していて、インフーメーションの警察官が、彼を指名し、彼に手伝ってもらうように頼んでしまった。断るわけにもいかず、頼むことにした。必要書類のコピーをその場で、撮って、申請をしてくれた。5分くらいして、呼ばれ、指紋、サイン、写真を済ませてまた10分くらい待った。もう、免許証を手に入れた。「支払はまだだけど」といったら、事務所の奥の方に、先ほどの手伝い人がいて、聞いたら、35万Rpだというから払った。これは、そこにいる警察官に分配するのです。写真を入れましたが、一般的には日本と同じ5年有効です。価格は、書き換えで、6万Rp,新規で7万5千Rpです。外国人は1年有効で、35万Rpでした。何倍でしょうか。30倍くらいです。
気になっているだろう方たちへ、私の工場はどうなるのでしょうか、今年の四月頃には11月には、どこか、大きな工場に移転し、装置も揃い,積極的に営業をして、お客さんの期待に答えるはずでしたが、未だに、いつ、どこへ、移転、拡張するのか、何も決まっていません。こじんまりと安定してしまっているPT.MAKUTAの現在の場所には仕事や機械を増やすスペースがありません。拡張計画が頓挫しています。私が決める状況にないし、情報も入ってこない、こちらから求めることもできないので、なお、ストレスが増します。
ただ、いつ完了するか分からないK社の立ち退きを待つだけです。2011年になる可能性もある。だから、それまで、なにも出来ない。手も足も出ない、お手上げ状態である。K社のHさん、少しは前進しているでしょうか。本社から、プレッシャーは掛っていないのでしょうか。
目標は失っていないし、インドネシアにいる最終目的はあきらめていない。
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage004.html
2009年11月19日
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