2010年01月05日
斜めからインドネシアを眺めよう 478(さよなら、スルガ)
日本最終日、完全にリラックスした、日々でした。こんな、気楽な、楽しい環境を後にして、なぜ、一銭にもならない、責任ばかり大きく背負い込む、場所へ行かなければならないのでしょうか、それも、この歳になって。それも、ときどき、気が遠くなるような不安があるのに。
それは、唯一つ、どうしても、インドネシアでやらなければならないと思っていることがあるからです。このまま、日本に引きこもっていては、自分を納得させることができないことがあるからです。インドネシアで仕事をしていなければ、それが、できないからです。その舞台を昨年一年間で準備をし、殆ど整えたからです。
私がやらなければならないことを、承知している人がインドネシアに一人半いるはずです。なぜ一人半かも、その人たちには分かっていただいているはずです。お待たせさせてしまっている会社、人たち、もうしばらくです。
太田化工へ行って、皆に新年の挨拶をし、製品のサンプルをもらってきた。インドネシアで製造し、ネット販売、カタログ販売をしようと思う自社商品の参考にするためである。今度こそ、本社が、押出成形を理解している会社と組んでやるので、誰にも、気兼ねなく、というより、期待されて、押せ押せで、インドネシアのお客さんを開拓できる。
N社へエッジングの注文を出したK社の判断は理解できない。私の技術がN社に行ってしまった姑息な手段は以前スパイラルチューブの製造装置でもあった。真似した方も真似させた方も気の毒に思う、私の技術を、私の了解を得ずに、間接的に手に入れて、生き延びようとするその人は、一時期、私がちょっと見習った、七歳年上の人です。しかし、ある時期から、私がやっていることを真似して、私の客先に横から割り込むような商売の仕方になってしまって、可哀そうに思うようになってしまった。他人のふんどしで相撲を取って、一時しのぎをしようとする人が多い。日本にもインドネシアにも、同じような日本人はいるものだと思う。
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