2018年03月20日

(^_-)-☆出会い

 3349 私から求めた環境や出会いではなく、また、そこでなければならないと他人に押し付けられたわけでもなく、何となく入り込んだり、何となく、会ってしまった環境や人から将来の方向がほぼ確定された。運命というか、付いていたというか、そういうものだと思う。それらを参考にしよう、見習おう、その中で生きていこうと思う。

大学は、公立、浪人ダメという条件だった。一期校、二期校があって、一期校は、無理だと思いつつ受けたが、発表を待つまでもなく、出来が悪かった。二期校は、滑り止め的で、人口宝石で名の知られた梨大応用化学、小学校のころ、山の子海の子交換会で行ったことがったのも理由の一つだった。入ってよかった。妻と知り合ったのもここだったし、三年後半から赤尾先生にお世話になったこと、全く、偶然の世界だ。今、インドネシアで、自分がやりたいことでできているのは、これらの出会いのおかげだと思っている。二十歳のころだ。武田神社で町内の方々から、招待されて、成人のお祓いをしてもらった頃の話だ。間もなく新幹線が開通し、東京オリンピックが開催されようとしていた。カラーテレビの試験放送も始まっていた。こんな環境の中で、恵まれた出会いでした。赤尾先生には卒業してからも仲人を引き受けていただいた。プラスチック押出成形と出会った就職先も先生のお兄さんが役員をされていた極東貿易のお世話が大きかった。今はどうなっているのでしょうか、東プラ精工は、東洋レーヨンと極東貿易と近くの臼井国際の資本が入ってた。エンプラ押出の日本でのパイオニア的存在だった。

そして、約二年後に、仕事中に現場から応接に呼び出されて、ご対面となったのが、当時、北川ゴム工業の北川社長だった。アメリカの見本市で見つけてサンプルを持ち帰ったのが、射出で作られる結束バンドと自在ブッシュ、そして、押出で作られるエッジングとグロメット。射出製品は、既に、多くの会社がやっていたので、その話ではなく押出製品の方を見せて、太田君、これできるか?問われた。ちょっとだけ、考えて、できます、やらせてくださいと言ってしまった。
http://otaenplaext.net/newpage305.html
今の年になれば、私の履歴書ではないが、書いておきたいことが沢山あるでしょう。私も、そんな年だから。

北川弘二社長、後に会長には、それ以来、付かず離れずのお付き合いをさせていただいた。独立してからも気にかけていただき、仕事を出していただいた。私が社長を辞めて海外へ行きたいといっていた時も気にかけていただき、インドネシアへ進出の時に、どうかね、と、声を掛けていただいた。その後も、機会あるごとに、将来について話をさせていただいた。インドネシアで厳しい状況に置かれた時も、気にかけていただいていたし、帰国したときにいは、挨拶によく出かけていた。跡継ぎに関しては、相談を受けるようになっていた。私は、副社長がやりたいようにやれる環境を自然に整えたらいいと思っていた。

赤尾先生、北川社長それぞれにとって、私は、ワンノブゼムに過ぎないと思う。私以外の多くの人に影響を与えているはずだ。
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最近、妙に多くなった注文。S-PVCチューブだ。サイズもいろいろ、色もいろいろ、この種のチューブは技術的には、簡単に作れるから、ローカル企業でできる(内もローカル)それなのに、どうして、うちへの注文が増えるのかわからない。客先が忙しくなっているのでしょぷ。コリアン系である。
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Durian Ambruk ファーマーズマーケットへ買い物行った。入り口でドリアンを売っていた。我慢できずに買ってしまった。これで、15万Rp(1200円くらい)アンブルックという種類は、西部ジャワと中部ジャワにある。小ぶりで丸く整った形をしている。インドネシアの大部分の種類は種が大きく、実の80%くらいが種で、大体、がっかりする。この種は、その中でも種がそれほど大ききないといわれている。それでも、食べてみたら、70%ほどは種だった。私が普通買うのは、モントンという種類で、これなら、種より食べる部分の方が多い。タイからの輸入がほとんどだ。モントンも売っていたが、試しにこちらを買ってみた。
この方たちと会っていなければ、こんなところでドリアンをよだれを垂らしながら買ったりしていない。
偶然 運命 出会
posted by 元気な振りの爺さん at 22:23| Comment(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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