2013年12月22日

(^_-)-☆貴重な一日 2

1801 二日連続で、お寺の坊さんと話をすることになった。また、親戚の人たちと久しぶりに会う機会があった。その雰囲気は、全く異なった。昨日は和尚さんが87歳、親戚の私の義理の兄弟の平均年齢が亡くなった長男84歳を除いても、77歳、男では私が一番下。控室では、完全に聞き役、それに話が繰り返し、次に、皆さんが集まる時には、残念ながら、私以外のこの中のどなたかが亡くなった時だと思いながら聞いていた。そういうものだから、いちいち、悲しんだり、嘆いたりしても仕方がない、とにかく、再会する時まで元気でいて欲しいと言うしかなかった。雰囲気に明るさを持ち込もことは出来なかった。

本日は太田家の方、母親の三回忌、富士川町の菩提寺へ10時集合、本当に身内だけ、和気あいあい、普段は、何かないと集まらないので、母親が集まる機会を作ってくれたと思っている。昨日と違って、快晴に恵まれ、父親が無くなった時に私が作ったお墓の前で、7回忌には、また。この全員が揃ってこれるといいね、などと、話をしたが、確立として、一番早く欠けるのは、私だと思う。そんな、一族というか、私との血縁者の集まりだった。今のところ、一番下は、0歳、アメリカ在住、今日は来ることができなかった。現在、日本にいる中で一番下は、4歳の男の子、そんな具合に、平均年齢は、35歳くらいだと思う。その皆といると、気を使わないし、おじさん。おじさんと言ってくれるし、身内だなと思う。楽しい。
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太田家のお墓の前から富士山、菩提寺の駐車場から富士山、愛鷹(あしたか)山、眼下に富士川と一号線の橋、ずっと、右は、河口側と駿河湾、この直ぐ下に私が小学生の頃、毎夏休み、泊りに来たおじさんの家(端のたもとの太田石材店)が有り、そこを拠点に、従兄連中と川で泳いだり、山に入って昆虫採集をしたり、夏ミカンを収穫したり、思う存分、遊びまわった場所だった。そして、この地に父母を送り返し、そう遠くない時期に私もこの地に帰る。皆とワイワイ話をしながら、こんなことを考えていた。家族や身内を考える一日だった。

昨日は、こんなことは全く考えなかった。それに、インドネシアで一人暮らしをしている時も、全く、考えない。だから、日常は全く考えないことを、この二日間、考えさせられた。また、考えない世界に戻る。
次は 家族 身内
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2013年12月21日

(^_-)-☆貴重な一日

1800 葬式に参加した。山梨の甲府、妻の一番上の兄さんが亡くなった。84歳だそうだ。大腸癌が全身に転移していて、分かってから2カ月足らずで亡くなったそうだ。何時に何処出を確かめず、妻が4時に出発と言うので、そうした。妻と娘と孫二人一緒で5人の旅、7:15に到着してから、妻は08;45から告別式が始まるという。それが分かっていれば05:30ころ出発していればよかった、と、文句を言ったが仕方がない。この余った時間が幸いをした。先ず、武田神社へ、ここ、何年振りだろうか、色々な建物が増えていた。トイレも綺麗になっていた。何十回とここへは来ていたし、その向かって左となりの相川小学校、小学校の6年の時に、海の子山の子交流で、夏に、この小学校の当時、教頭の子供が私の家に泊まり、海へ一緒にいった、秋には、私がこの学校の裏手にある塚原部落というところの、その子の家に泊めてもらって、昇仙峡などに行ったりした。懐かしの場所だ、大学を選んだのは、その縁も無関係では無かった。それから6年後、山梨大学に入って、すぐに、その家を訪ね、大歓迎された。
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♪うすむらさあきの ふじだなの しいたでうたあった アベマリア♪ 武田神社から山梨大学に寄った。車を止める所が無かったので、藤棚直ぐ下の大学のコンビニの駐車場に止めた。多分、もう、冬休みだろうし、朝早いので、客はほとんどなく、6〜7台しか止められないが一台も駐車していなかった。直ぐ上の藤棚には、その駐車場からコンビニの上の入り口の前を通ってゆくことができた。私が居たころは、その今の階段の丁度下に石の階段があって、その階段で、クラス全員の写真を撮ったし、校内を移動する時にはその階段を上り下りした。そして、その藤棚は今も、全く、様子が変わらず残っていた。孫に「おばあちゃんとここで、友達も一緒に、話をしたよ」と言ったら、「ここで好きになったの?」という、「そうだよ、もし、おばあちゃんとここで会っていなければ、あなた達のお母さんも、この世にいなかったし、あなた達も勿論、影も形もなかったよ」といってやった。「良かったね、ここで会って、だから、私たちが居るんだね、ここへもこれたんだね」と、上の子が言ってくれた。彼女たちが今日の事を覚えていてくれるとは思わないが、それでも、甲府へ早く着いてしまって、こういう会話ができたとこと良かったと思う。
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工学部の正門、工学部と書いてある右側の門柱のすぐ裏に藤棚がある。

時刻通りに会場に入って、後は普通の流れ、斎場へ9時ごろ向かい、斎場から11時過ぎに戻って、食事後、13;00から、葬儀、告別式、14;30頃から初七日、そこで、義理の兄弟ら甥姪と話ができた。ま、皆さん、相当な歳の人ばかり、中には、具合が悪くて来られない方もいた。誰も、言わないが、次、一人を除いて、また、会う機会が直ぐ来るのじゃないかと思う。その一人は、誰かということはないが。インドネシアに多くの時間いる私にとっては、この中に、会うのは、今日が最後になる人もいるのではないかと思う。出来るだけ全員と握手を交わしながら、手を握りながら、帰る時の挨拶をさせてもらった。
19:00過ぎに家に戻った。
葬儀  記憶再開

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2011年04月05日

(^_-)-☆長の別れを覚悟


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斜めからインドネシアを眺める 869
 成田まで娘と孫を送ってきた。目的は東京や成田の雰囲気を感じてくる事でした。22:00ターミナル2から出発なので、16:00に静岡発だった。成田エクスプレスが復活していないので良かった。19:40に成田第二着、19:49発で帰途についた。到着して、直ぐにお別れだった。21:13東京発こだまで静岡へ着いたのが、22:40。結構の強行軍で、見送ってきた。
 東京駅は殆どのエスカレーターは止まっていた。新幹線のエスカレーターだけが稼働していた。照明を落ちしているのでやはりちょっとくらいかなという感じ、鉄道は総じて間引き運転、総武線快速の18:00頃の列車は客車が膨らみそうなくらいの満員でした。ところが、成田エクスプレスはガラガラでした。海外へ脱出は済んだようだし、海外旅行の雰囲気ではないことが原因だと思う。なにもかも自粛という国全体の雰囲気がここにも有った。
 9日は成田付近へ一泊して10日09:00発のANAでインドネシアへ戻るが、そのチケット購入とホテルのリザーブをした。
 明日から8日まで、7月からの職場の雰囲気や技術の実力、開発中の技術の内容と進捗状況、役割配分、個人個人の力量などのチェックをする。私がコンビで仕事をする人間の目安を付ける。

排水口から排出されている水に高濃度の放射能が含まれている。その排水を止めようとしているかのように見える。しかし、本気ではないようにも見える。また、低レベルの放射能が含まれている水をためてあるタンクの水を海水に流し始めた。高い放射能が含まれている水をそのタンクへ移すためである。結局、今ある水は海水へ流してしまいたいのです。それを大っぴらにやるわけにいかないので、塞げないと言って、塞がないように見える。これなら、仕方が無いと思う人が多いと思う。前に書いた、乱暴な方法を、怒りを買わないような方法でやろうとしているように見える。
 とにかく、今は、水で炉を冷やすことを最優先にしているのだから、排水を止めてしまえば、掛けた水の行き場所が無くなってしまう。
ホウレンソウの収穫をしている。妻が買ったランドセル、婿の横暴で、使うことが無くなってしまった。
 背に腹 見送り 疲労

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2011年03月12日

(^_-)-☆TSUNAMI


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斜めからインドネシアを眺める 845
Breaking news でインドネシア中に速報、Tsunami Hits Japan。インドネシアのテレビしか見ていないので、インドネシア人が受けているだろう印象を共有している。それでも、すごい、津波防護壁は役に立ったのでしょうか、映像を見ている限りでは壁がない場所なので、三陸海岸より南の状況なのでしょうか。とにかく、車がころころ転がりながら流れてしまっているし、広大な田園地帯に、何の障害も無く、浸水してゆく姿は、不気味だ。日本沈没の映画を見ているようでした。
 かなりの死者や行方不明者を出しそうですが、被害が最小に収まるよう祈っている。
 静岡の私の家へ電話したら、ドイツからの孫たちは保育園にいて、迎えに行った時、防災頭巾をかぶっていたという。始めての体験で、地震にびっくりしたようですが、良い経験になったと思う。
 妻は京都へ行っていて帰りの新幹線の中で地震に遭遇し、上りはストップ、岐阜羽島駅で社内泊をすることになりそうと言っていたが結局5時間後の運転再開、先ほど家に着いたとか。東海道新幹線は上下とも運転再開しているが、東海道本線はまだ、点検中で運転再開していないようです。日本時間23:00の情報。
 それにしても、30年以上前から、いつ来てもおかしくないと云われてきた、東海地震はどうなっているのでしょうか。当時の記憶では1000年くらい前からの記録で150年くらいの周期で大地震が発生している、既に、側近の地震から150年過ぎているから、いつ来てもおかしくないという理由だったように思う。2000年、3000年やもっと前の記録勿論ないわけで、もし、あれば、300年も500年も地震がなかったかもしれない、この最近、1000年が異常だったかもしれない。別に大地震が来てほしいとは思わないが、地震学者は無力を認めたらいいと思う。予測などできないのです。日本にいる限り、いつどこで地震や津波に見舞われる可能性は大きいのです。

 今日は生放送のオペラ バン ジャワというコミック即興劇の冒頭で、日本の津波についてお見舞いを云って、被害が最小であるようにと祈っていた。スポンサーはヤマハバイクやニッポンペイント、シャープなどのインドネシアではかなり人気がある番組です。
 バンダアチェへ先日いってきたことは書いたが、あの場所で10万人以上の犠牲者を出したとは信じられない平穏さだった。日本の手伝いも土地の人は印象深く感謝している。そのことも含めて、インドネシア人の多くは被害が少ないことを祈っているし、日本は手伝いがなくても自分たちで直ぐ立ち直ると思っている。
 今 気仙沼上空からの様子を見ている。絨毯爆撃に遭ったような火災状況で、奥尻の地震と津波を思い出す。
 友人から、私の日本の家や家族の状況を聞くSMSが殺到した。
 災害 津波 臨時ニュース

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2011年03月11日

(^_-)-☆ガソリン値上


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斜めからインドネシアを眺める 844
もう一つの鉄板コーティングのクロスヘッドダイを受け取って、現場技術者に渡してきた。来週から試作をしてもらう。私が日本へ行っている間に製品は完成しているはずである。この製品もインドネシアでは初めてのものです。日本の技術者と言われている人が、素直に受け入れるかどうか懸念されるが、日本の会社でもできないでしょうから、技術を教えたいと思っている。私の取ってはそれほど難しくない。
昨日からの最終試作は原料の問題だけが残った。これから、成形に適した原料を探さなければならない。これも、失敗の一つだった。やはり、私が最初からタッチすればよかった。この原料専門で製造をしていた人と聞いていなので、これもダメかと、期待はずれでした。
スマトラ島へ向かうトラックの渋滞が一週間以上続いている。悪天候でフェリーが結構続きなのです。生鮮食料品は腐ってしまっている。二三日待つのが当たり前になっているので、周辺の家から炊き出しを受けたりトイレを使わせてもらって利している。日本で大雪でトラックが動けなくなった時と似ている。日本ならとっくに、橋がかかっているは、海底トンネルが敷かれている距離である。
原油相場高騰により、政府は耐えきれなくなった。ガソルン(プレミューム)と軽油(ソーラル)の価格が4500Rpから5000Rpに上げる。ただし、公共の車には適応されない。黄色ナンバープレート車は今まで通りです。赤ナンバーはどうするのでしょか、公用車です。
ハイオク(プレマックス)は相場に依るので変動する。現在8000Rp以上だと思う。
このことで、インドネシア各地で駆け込給油のためガソリンスタンドに長蛇の列ができている。原油産出が比較的追いカリマンタンのポンティアナックからのニュースではガソリンスタンドのタンクがカラッポになっているのに列は消えないどころか長くなる一方。いつ来るかわからない油を待っているのです。この界隈ではそういうことは無い。

全国どこでも禁止されていないのか、禁止、ポリタンクでガソリンを購入し、予備としていて、小遣稼ぎをするのは普通です。プルタミニ(ガソリンの道端販売店)も全国至る所にある。ガソリンスタンドの直ぐそばで、二三割高く売っている店もある。今回も、安い値段の時に大量に買い込んで、人も受けしている一般人が多くいるはずである。
利用したことは無いが、列車の運賃やいつもよく使う国内便航空運賃も5〜10%値上げされたとか。
チャンディ プランバナンの石像 インドネシアにもエト(十二支)がしっかりあります。今年はウサギですね、こちらもそうです。中華系に人々には日本より認識深い。イスラムの人もそのことは知っていて、私は何年生まれだと知っています。その像がヒンドゥーのプランバナン寺院にも有るということは面白い。
値上 停滞 智恵

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2011年03月09日

(^_-)-☆私のWEB SITE


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斜めからインドネシアを眺める 842
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
Web site(Home page)へのアクセスが60000回を超えた。2007年5月開始なので、
4年弱、1400日くらいか。平均一日50アクセス。表紙だけの数字なので直接中味にアクセスを考慮すれば、倍以上になるのではないでしょうか。爆破的ではないが、まったく見向きもされないという状況でもない。こんなものでしょう。色々書いてありますが、やはり、私の一押しは、タイトルのように、エンジニアリング プラスチック エクストゥリュージョン(エンプラ押出成形)の技術です。かなり、狭い範囲の奥深い技術が特徴です。なぜか、この技術の日本の夜明けごろから、親しむことになってしまって、場所を移動しながら、この道一筋に追求してきた。断ることなく、何でも挑戦しようとする技術と意欲を持っている人は日本にいる日本人でも非常に少ないと思う。云わんや、インドネシアではおや、です。ですから、責任上、係わっているインドネシアから完全に撤退してしまうことはできない。間もなく、居場所は変わりますが、仕事でもプライベートでもこちらへ来る機会は多いでしょう。
 ウェブサイトは何か新しいことが有ったときに追加するだけなので、基礎が出来上がっていれば追加、拡大してゆくだけで、難しさは全くない。
 
 というより、何もなければ、そのまま何もしなくていい。しかし、追加できるようにネタを作るということはいつも意識している。
旅や仕事、孫などのことは、毎日書き込んでいるブログのネタになりそうなことにいつもアンテナを常に張っているし、インドネシア人と多くを話したいと思っている。コンビニでもガソリンスタンドでも、旅先にあちこちでも、そこら辺りにいる、現地人に何かと問い掛けてみる。
ウェブサイトの開設は簡単でした。それ用のソフトを買ってきて、インストールにて、後は画面の指示に従っただけでした。64歳の時から始めたのですが、グロウにも早々と毎日得こうするようになって、今まで、休んだことは有りません、毎日投稿です。ネタに困ることは有りません。それほど、じっとしていない人種ですから。

 約束通り金型を受け取りに行ってきた。100%ローカルの金型加工屋である。価格は驚くほど安い。今まで頼んでいた処から次第に切りかえるしかないと思っている。
 今回の金型は若干難しい、というのは、樹脂自体私にとって未経験だからです。同じ形状でPPやHIPSでやっとことはあるが、この原料は始めて、引き落とし率を従来の経験から決めたのが失敗だった。これで、10日遅れである。しかし、客先に出している予定よりは、まだ、一週間早い。インドネシア人スタッフに私なら成形可能な金型を整えて渡した。今週中に彼らはサンプルをつくるから、太田さんはノータッチに、と言われた。私もそうつもりでいた。彼らなら、最期まで任せていいと思っている。
 サンプル納期の近くになって、出来なかったら、私に相談するようにいってある。日本の技術者では、私ならできるという金型を渡しても、できないと思うし、その前に、何とかやってやるという挑戦的な取り組み方は彼らの手法に無い。
 こういう仕事を躊躇なくこなしてやろうという精神はインドネシア人を見習った方がいいんじゃないの、と、言いたい。
 今回の試作品は本社の受付ロビーの製品展示場に並べてもらおうと思う。日本の押出成形製造技術者と言われている人に刺激を与えることが出来ると思う。
どこへ行っても可憐な花に出会うとうれしくなる。
一押し 仕方なし 試作

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2010年12月28日

(^_-)-☆興味深い話


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   斜めからインドネシアを眺める 831
ホテルの中の乾燥もそうだが、寒い以外に乾燥には参った。部屋に加湿器が備えてあるが、それでも乾燥している。一歩、部屋から出れば、たちまち、乾燥空気と寒さで口の回りが空からになってしまう。
インドネシアで仕事をしていて一年ぶりに日本へ帰ってきている自分がこんなことに遭遇するとは、世の中、何があるか分からないものだ。
上田のプラットホームの椅子の上に、この場所は鳩の糞が落ちてくるので注意と書いてあった。それには気が付いて、あ、この椅子の辺りは注意しようと納得して上を見たら、電線を這わせている金網の棚がホーム全長に吊り下げてあった。そのあたりに鳩の糞が引っ掛かっていた。
その場から離れて、別の場所に立って新幹線が入るのを待っていたら、掃除のおばさんがにこにこしながら近づいてきて、“お客さん、そこは鳩の糞が降ってくるよ“と注意してくれた。と、頭の上を見ると、鳩が留っていた。金網ではなく、屋根を支えている張りに、だった。どこにいれば安全なの?と聞いたら、どこにいても、上に注意だよと言っていた。このホームを知っている人は注意するだろうが、知らない人は上など見ない。きっと、糞が頭に直撃した人は多いのでしょう。
六文銭の真田幸村と真田十勇士で有名な土地柄、町のあちこち、勿論、駅にも六文銭が町のシンボルマークのように、書かれてあるし、飾られてあった。いつごろからか知らないが、新幹線ホームの鳩の糞はまずいんじゃない。

ガラッと変わって、昼過ぎに静岡へ戻り、太田化工へ挨拶に行ってきた。細かい、難しそうな仕事だけを、相変わらずやっていた。是が、太田化工の生きる道ということです。難燃、耐熱、艶消し、光遮断着色、耐候性、耐衝撃性というPCの材料を使ってプロファイルを作っていた。グロメットは相変わらず独占生産で、息が長い。私が27歳の時、40年前に日本で初めて作った製品が今でも続いている。

夜遅くまでの話と上田までの往復と会社訪問で一日があっという間に過ぎてしまう。今日は何日で何曜日だっけ、と、ふと、思ってしまう。
今朝の上田の駅前、軽井沢駅前のほんの一部。
往来、 多忙、 眠い

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2010年12月27日

(^_-)-☆寒いがホット


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   斜めからインドネシアを眺める 830
長野新幹線の上田という駅の前のホテルにいる。なぜ、この場所にいるのでしょうか、インドネシアで仕事をしようとする会社の社長さんと面接のためでした。全く初めての場所で、静岡から行くのに、若干心配だった。東京での乗り継ぎがどうなるのか全く知らなかったからである。何のことはなかった。隣のホームだった。上越、長野新幹線は同じホームということを知ったし、東北新幹線も同じホームの反対側?だということも知った。
一番の印象は、東京からの乗客は少ない、次の上野からが其の三倍以上だった、また、大宮からは上野と同じくらいだった。新幹線のホームも上野は東北や信越方面の臭いがし東京駅と人種が違うような気がして面白い。

東京から約一時間半の上田駅で降りて、食事の場に連れて行かれた。S社の社長さんとインドネシアの担当の方、二人とお話をさせていただいた。話は、人事、総務の仕事をしてほしいという事でした。製造の方はそれなりの人が行っているらしいということと、親会社が面倒を見てくれるということらしいので、ジェネラルマネージャーを筆頭にアカウント、パーソナリア、PPI,マーケティング、パーチャシングなどのポジションのトップ、など、リーダー的存在の従業員集めに期待をしていることが分かる。

私からの条件は一年契約であることと、押出成形はやらない事を上げた。射出成型が主で進出するらしいが、どうも、マーケティングのチェックが甘いような気がするし、各種手続きの進行が遅いので、本格生産が、予定通り行かないのではないかという心配をさせられた。大丈夫かなと。実行担当者が同席していたので、話す内容で、その人に気を使った。

 インドネシアはGDPの顕著な上昇を示しているが、業種によってはバブル状態に近いものもあり、何とかなるだろうといった安易な気持ちでは成功しないでしょう、ということを強調しておいた。それと、エージェントの話です。ここも例の会社を頼りにしていた。しょうがないなと思うが、区切りがつくまで、そのことも話をしなかった。ただ、二社以上から情報を入手した方が良いし、確認は頻繁にした方が良いし、信頼しすぎて、なにもかもお任せというのは大怪我のもとだということも強調しておいた。

連絡は、年内にあるらしい。私を使うかどうかの結論を、である。私は、この会社で仕事をすることにこだわっていない。どうも、気にいられたように思うが、条件がどうなるかだと思う。

 今朝の安倍川橋から、笠雲を被った富士山、東京駅の電光掲示板。
未知  畑違い  経験

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2010年12月19日

(^_-)-☆寄り道の方が


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   斜めからインドネシアを眺める 822
 この会社の社員のまま日本へ帰ってインドネシアへ戻るため、この会社の在籍を半月ほど伸ばして、1月15日ごろまでとしてもらった。エポはそのころ、そうすれば一月末までに次に場所のビザをとれば、シンガポールへ出るだけで、インドネシアに居続けることが出来るという段取りです。
  出勤日でした。バンドンのインフレーション成形工場から招待があって、どんなものかと見学に行ってみた。バンドンの南のバイパス的高速道路に沿って工業団地があり、その中のローカル企業です。押出機の口径が40〜65mmφで15ラインあった。創業は15年前ほどだというから、インドネシアでは草分け的なプラスチック袋のメーカーです。最初は日本から装置を輸入したが今では全て中国製を輸入している。経営者も中国系インドネシア人です。スカルノハッタ空港付近に沢山のプラスチック袋のメーカーがあるが、気にしていないようで、あそこは皆リサイクル原料を使って、低級品を作っているから、問題にしていないと言っていた。かなり、食に安全な原料を使っていることを強調していて、自信があるようだった。私に見せたかった理由は、そういう工場と、ポリシーを知ってほしかったからと受け取った。この会社を手伝うという思いは一番大きい。

 帰る途中レンバンからタンクバンプラフへ寄ってみた。9年ぶりでした。今回は御はち回りをする時間は無かったので、下へ歩いて、カワ ドマスという硫黄ガスが噴出している場所まで行ってみた。ここの売りは温泉卵と足湯です。火口回りの駐車場へ駐車し、1.2km下ります。25円とちょっと高いが卵を買うとザルに入れて、噴出しているお湯の中へ浸けてくれて15分後位に塩を添えて持ってきてくれる。黒くはならないが、インドネシアの卵は薄茶色でその色には変化が無い。大変おいしかった。写真にあるように丸くお湯をためる場所が作られていて、回りは平たい石で囲ってありそれに坐ることになる。42〜3℃と調度いい。膝くらいまでの深さなので歩いて中心の方へ行ってみたら、ぼこぼこお湯を噴き出している場所を踏んでしまい、あわてて逃げた。照れ笑いをしていた。

 インドネシア人は足湯に浸からないようだ。眺めているだけである。スバンはチムベダックの産地、ちょうどシーズンで道端でパイナップルと共に売っていた。一個250円位です。ドリアンと同じくらい大好き。
 息抜き  温泉  国立公園

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2010年12月18日

(^_-)-☆まずは一安心


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   斜めからインドネシアを眺める 821
 別工場でこの会社の押出工場としてやっていれば、既に利益は上がっているし、次の仕事の準備もしている。ということを横に置いて。
引き渡しの状況はほとんど完璧に近いと思うが、私なら、こうするということがある。その一つは、製品の出荷で何点かの工程を通らなければならないものがあって、その工程の中で、速度を遅らせてしまっている工程がる。その工程の速度が全体の速度を決めてしまっている。それを早くするようにすれば、全体が早くなるし、人も少なくて済む。そのことにどうも気が付いていないようだ。あるいは気が付いていても、金型の修正と試作に係わってくるので出来ないのかもしれない。
 もう一つは、今、次の新しい仕事の話すらない。私なら、現状、仕事が安定してしまっている二か月以上前には新しい仕事をするための試作を始めている。そして、それをいちいち出すか出さないかは別の話として、装置稼働率を上げるためと、客先の期待に答えるための途中工程に入っているはずです。
 その二点が無いので、何のために、何が目的でここにこの部門があるのか、仕事の内容の焦点がぼけているというより焦点が外れていると感じる。

 ゴルフ仲間のY社のKさんの肺の手術が無事終わって、今は日本で自宅療養となっている。時間をもてあましているのが、伝わってくる。私より5才ほど年上の方ですが、まだまだ、色々な意味で意欲満々で、自宅にじっとしてなどいられない人で、肺の手術は、私の胃の摘出と同じで、単なるお腹の怪我のようなもので、開いた傷がある程度治ってしまえば、元のままの動きに戻るでしょう。多分、今年一杯とまでは日本で辛抱できないのではないかと思う。インドネシアの方が住み心地は良いに決まっているし、一か月もすれば、棒振りも始めるのではないかと思う。まずは、元気な声を聞いて一安心です。仲間もキャディーも待っています。
 ゴルフプレー後の食事の時にサラダを頼むのですが、この方の差し入れのドレッシングいつもキープしてあって、それを混ぜて皆で突っつく。しかし、もう使ってしまって、今は無いので、サラダを頼まない。Kさんスペシャルドレッシングを欲しいのも早くインドネシアへ復帰して欲しい理由の一つです。
 
 MM2100のルコの中に昨日、新装開店したミニ屋台村、カキリマ村、インドネシアのお祝い事の花輪、花飾りの典型です。と、家の前のミニガーデンに咲いている可憐な花。下向きです。
 怪我  休養  仲間

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2010年12月15日

(^_-)-☆雲泥の差の展


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   斜めからインドネシアを眺める 818
 日本からのお客さんに久しぶりにお会いした十何年か前からのインドネシアでの知り合いで、この7〜8年前に日本の本社の経営に参加し、中国を中心に忙しく駆けずり回っている人ですが、今回、インドネシア工場に立ち寄ったそうです。私から久しぶりに電話をしたところ、今、インドネシアにいるから会いましょうということになった。パンガンダランなどにも一緒に出かけた方です。ムラピ山の麓、ムラピゴルフでも一緒にプレーさせて貰ったこともありました。
 新展開が生まれるかもしれない。
私がその場から消えた後のこと、なぜ消えるかというと、その場に、消えてもらいたいという空気が漂うからです。私がいにくくなるのです。私がいることをよしとしない雰囲気になるからです。多くの皆様にとって、考え方や行動が違う上に、部下に対する影響力が大きいことも認めざるを得なくなり、自分たちの立場が無くなると危機感を感じるのです。私が、仕事をやり過ぎるのです。部下の面倒を見過ぎるのです。それに、同調できないからです。
 東洋プラスチック精工、フジプラ精工、PT,KITAGAWA,PT.AFMIなど、私が手伝った会社は全てそうでした。最初はよくやってくれると認めてくれますが、そのうち、深入り過ぎて、厄介者になるのです。存在が煙たがられるのです。やっていることは私が正しいし、皆さんより多くの点で能力が高いし、スピードも早い。使って重宝なのですが、逆に私に批判されているような被害者感覚になり、逆に、私を攻撃するようになる。大げさに言うと、戦国時代の武将がキリスト教を最初は情報を得たり、支配するのに便利に使っていたが、そのうち、自分に従わなくなるという危機感に落ちいり、排除した、迫害したのと同じ理屈です。
 

私は、その攻撃に対し、反論はしない。理屈ではなく、感情的になってしまっている相手に反論すれば、ギャフンと言わせるか、強力な陰湿ないじめに発展してしまうかどちらかである。そういうことが、何回かあった。
 私は、その場から遠ざかる方法を取る。その後のその場所はどうなったかというと、私が作り上げた仕事を継続してやるのだが、それ以上にはならない。現状維持がやっとの上に、収率が悪化するので、私がいた時のような儲けにもならなくなる。そして、その後は私がやっていた部門については全く発展しませんでした。新しい仕事を取れないし、従来からの仕事が終われば、萎むばかりでした。

例外は私が太田化工をやっていた時の私の意志で採用して、技術や経営を教えた二つの会社、静岡の太田化工と沼津のセピックという会社は大きくはならないが、堅実に後をひきついでもらっている。利益も、客先も無償で与えた。完全に自立している。地道な技術開発が彼らの武器だからである。

この会社の射出成型大型と中型射出成型機。
 地道  身を引く  譲る

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2010年12月11日

(^_-)-☆厄介なフラッシュでした


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   斜めからインドネシアを眺める 814
フラッシュの接続が出来なくなって三日目になる。以前も同じことがあった。その時は、電話会社のコンピュターが、私が接続し続けていると認識し、200時間近く使用し続けたことになってしまっていた。今回も、同じことが考えられるので、電話会社へ行って、確認してもらうことにした。接続できなくなって既に三日ですから80時間ほど、使いっぱなしということになっている可能性が高い。何千円もの消失である。いかにもインドネシアらしい。
 これに懲りて、モデムを変えることにした。TELKOMSEL Flash 3G HSDPA USB Modemこれで、APN IM2を選ぶと一か月に二千円弱でネット接続使い放題になる。是の方がはるかに経済的だし、私の住みかではこの方がローディングも早いこともわかった。

結局、今まで使っていたフラッシュはキャンセルすることにした。今日キャンセルしないと、自動的に延長されてしまって八千円ほどの無駄な支払いをしなければならなくなる。今までも残り時間は消えてしまうが、もう、いらない。

今までは事務所にいるより現場にいてトライをしたり、作業手順を教えたり、オペレーターと雑談したり、仕上げの仕事を手伝ったり、とにかく、立って仕事をしていることが多かったが、今は、出来るだけ、現場へは出ていかないようにしている。私が現場にいるより、いない方が諸々のためにいいかなと思うからである。事務所で坐って、計算機をいじったりモニターに向かって独り言を言ったりしているより、私がいない現場に出ていってオペレーターに直接指導をしてほしいからです。

データより、見て、触って、直接話をして、判断をしてほしいのでが、どうも、違うらしい。出来てしまっている物をいじっても新しい仕事は増えない。全く新しい仕事に取り組まなければ仕事は増えない。自立は遠のくでしょう。頑張ってほしい。
再びオーストリアのインスブルックの町中と日本食レストラン
ネット  パケット  現場

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2010年11月14日

(^_-)-☆休日出勤、残業


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 斜めからインドネシアを眺める 787
  パンガンダランの西海岸のサンセットと東海岸の漁港風景、朝10時ごろ、夜明けとともに一斉に漁に向かい、10時前には戻ってきている。いずれも、インドネシアの典型的な風景です。
 17日の犠牲祭はイスラムにとっては、レバランと同じで、重要な日です。休日を移動して土曜日や月曜日にくっ付けて三連休にすることはできません。その日の休日出勤も一般の会社ではさせることは控えます。休日出勤を頼むときでも、その日の午前か午後かの半日ということにし、犠牲祭の催しへ参加できるようにします。
 ということで、来週のその休日まで、三交代の勤務を変更せずに今日も明日も連続で休日出勤をしてもらっています。なんとか、製品の納期に余裕を持たせたいためです。

 ところで、ルンブール(Lembur)オーバータイム(Over time)残業のインドネシアの割増金をご存知でしょうか。すごいですよ。日本は多分30%増しだと思いますが、こちらは、最初の一時間は100%増し、二時間目は200%増し、三時間目以上は300%増し、だと思います。すごいでしょ。ということは一日8時間残業をすれば通常の勤務の四日分の給料になります。一か月に6日ほど休日出勤をすれば、月給の倍になるのです。

 運転手が一番恵まれている。運転手はゴルフ場へ送り迎いすれば、朝、4時くらいから午後3時くらいまで休日出勤ということになります。9時間ぐらいです。その間、運転している時間は平均で二時間弱でしょう。他の時間はなにをしているかというと、運転手どうしの控え所というか、溜まり場で休憩しているのです。その間も残業手当の対象時間になっているのです。ゴルフだけではない。仕事の後、飲食やカラオケなどで深夜までご主人様を待っているだけで自動的に時給の何倍かの手当が付くのです。

 一般の従業員は運転手と違い、その時間、勿論、ずっと仕事をしなければなりません。しかし、手当の事を考えれば、皆さん、喜んで残業、休日出勤はします。逆に仕事が暇になり、休日出勤の機会が少なくなれば、がっかりします。

 労働基準法でそうなっているからそれに従うしかありません。残業や休日出勤を出来るだけさせないで、その代わり、もっと、多くの人を雇ってください、という趣旨です。しかし、運転手などは、増やすことはできません。一台に一人で一台に二人というわけにはいきません。もっとも、車と一緒に運転手もレンタルということにしている会社が多い。そういう場合はどうなるのでしょうか。レンタル会社も契約社員として雇っていて、必要な時だけの勤務にしているでしょうから、残業や休日出勤にしていないのかもしれません。

 どうすれば一番人件費を減らすことができるか、どの会社の経営者も工夫をしていると思います。
 残業  待機  手当

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2010年11月13日

(^_-)-☆大丈夫かな


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 斜めからインドネシアを眺める 786
 右腕が筋肉痛になってしまった。年も年だから、痛みだすのが遅い。そこで、ついつい仕事に打ち込んでしまう。二日後から痛みが出てくる。今は、多分ピーク状態で何もしなくてもずきずき痛む。原因はというと、製品を組み立てて出荷するが、その組み立てできつい部分がある。叩いて嵌める。それを一日5時間ほど二日やった結果でした。納期に何とか間に合わせようとむきになって、叩き込んだからです。今は、その仕事はまだあるが、余裕が出来ているので、私が手伝う必要は無くなっています。

 生産速度アップを押出を知らない人は直ぐ言い出す。射出でサイクルタイムを短くするという考えと出所は同じです。単位時間で生産量を揚げてコストダウンをしたいことと、納期に余裕を持たせたいからです。気持ちは十分分かりますが、それが、一筋縄ではいかないことをご存じない人が、簡単に速度アップを言いだすのです。

 一番肝心なことは、今使っている金型で速度を上げれば、製品の全体が小さくなってしまうことです。寸法公差の範囲内を保つことが出来ずにNGになります。速度を1.5倍にした時に今の金型で3%製品が小さくなるというテスト結果があれば、今の金型より3%大きな金型を新しく作らなければなりません。そうすれば寸法についてはOK品が出来ます。

 それ以外のNGが増す要素はどうでしょうか。沢山あり過ぎて、書いてもしょうがない。
知らない人には説明しても意味が無い。だから、そう簡単に生産速度アップはできないのです。できるなら、初めから、その上げた速度を設定して金型を作る。現在の速度が一番安心して歩留りも落ち着いてできるのです。いたずらに金を掛けて金型を作り、人や時間を掛けて、トライしてみても、これを回収してなお、利益の増加の成果は得られないのです。

 道路沿いにあるネットカフというのでしょうか、インドネシアではワルネッと言います。ゴレンガンとエスチャンドルのカキリマです。後者はお米の粉を練って丸くへそ餅のようにしたもので、シロップと水に氷を加えた飲み物です。インドネシアはポピュラーです。

 残念  困る  シアシア

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2010年11月10日

(^_-)-☆なんとなくゆっくり


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 斜めからインドネシアを眺める 783
結局、今朝から、再び量産に入っている。色々あるもので、量産をしている最中に次第に金型の状態が変わってしまっている、それを、振り出しに戻すのが大変。作業員は、製品がうまくできないときに条件を変える、その、変え方が、温度条件や速度だけなら何ともないが、金型の寸法までいじってしまう時がある、禁止をしているのだが、積極的な、オペレーターが夜勤などで、我慢が出来ずに自分で何とかしようと思い、加工を加えてしまう。それで、うまくいく例は殆ど無いことを知っている。結局、どうにもならなくなって、私が、何とかしなければならなくなるハメになる。今回がそのよい例だった。

現場に十数時間立ちっぱなしで、こういうことをしていると、無我の境地になるものです。上手くいくという確信はなく、うまくいくかもしれないと思いながら、いくつもの手段を次々と繰り出していくのです。手段が尽きてしまって完成しなければ、その仕事はできなかったということになり、自分の責任になる。
いつ終わるか分からない、いつ良品ができるかわからない、そんな中で、黙々と作業をしているといつの間にやら、自分だけの世界へ入ってしまう。いつまで何とかしなければならないという、思いは全くなくなってしまう。
  こういうことが、まだ可能である。
 インドネシアのどこでも見ることができ インドネシアの草花
  順調  眠い  ラッキー

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2010年11月07日

(^_-)-☆この頃の話


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 斜めからインドネシアを眺める 780
例によって、親しい方々とゴルフを楽しんだ後、パネルの新しい金型をチビトゥンへ受け取りに行き、そのまま、出社。夕方からパネルの生産を二ラインですることになった。相変わらず、私の子供達は良く仕事をしてくれる。それに引き換え、彼らの上司に当たる役職の人達は残業手当が付かないので、出勤することは全くない。インドネシア人も日本人も同じである。
私が継続的にいるなら、次の人事考課の時に、彼らを官職へ外すでしょう。

今月17日はイスラムの祝祭日でラマダンの次に重要な日である。犠牲祭と日本語ではいうらしい。この時期のインドネシアの風景は嫌いである。道端のあちこちに仮設の動物置き場が出来て、ヤギやヒツジや牛が置かれ始める。どの動物も、汚く汚れている。犠牲祭の日に生贄にするために売っているのです。

 日本へ帰っていたKさんが昨日インドネシアへ戻り、今日は早速一緒にゴルフでした。明日も、やりたいというので、私は予定していなかったが、人数合わせに協力することにする。何となく、やつれた感じはするが、大変元気そうで、安心した。今月末にまた、日本へ帰るそうだが、また、しばらくすればインドネシアで会えることになると確信している。

 先月末で私の専属キャディーが止めた。今日から新しい専族キャディにお願いすることにした。マリアナさん、21歳だが、結婚三年目、1,5歳の一児の母である。前のキャディからの紹介でした。地元中の地元でルマーアバンの駅の傍が生まれ育って今も住んでいるという。私が1997年からそのあたりに7年ほど、住んでいたわけで、そのころ、彼女は、中学、高校生だった。ちょっと不思議である。話題が会うから面白い。
 
ムラピ山噴火による被害者は死者200人以上に及んでいる、多くは、避難勧告に従わなかった人たちです。そのことは機能触れたが、それとは別に、インドネシア各地で、義捐金の募集が行われている。若者が、道端のあちこちでダンボールに穴を開けた箱を持って立っている。本当にそれらのお金がムラピ山の麓へ送られるのか多いに疑問だが、とにかく、盛んに金集めが行われている。

中古のパレットの販売をしている。二百メートルくらいの道端に二十軒以上並んでいる。なぜ、並ぶのでしょうか、商売をするなら、並んでいないで、離れていた方が商売をしやすいと思うが、不思議である。
 雑記  目まい  元気

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2010年10月03日

(^_-)-☆一日中外


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 斜めからインドネシアを眺める 746
今、囲碁将棋ジャーナルをやっている。ゴルフのために朝、家を出たのが、05:00、帰宅時間が24:00を回ってしまって眠い。といのも、新しく赴任してきた社員を案内して、リッポリカラン辺りを回ったが、それでは物足りない様だったので、気を利かせて、ジャカルタのブロックMへ連れて行った。15:00に迎えに行って、EJIPやJABABEKAを回り、そのまま、ジャカルタへ向かった。18:00頃ブロックMに到着、食事の後カラオケへ、11:00に出て、二人をアパートまで送り、家に着いたのが午前様という次第だ。
EJIPの奥の方の会社でストライキをしていた。聞くところによると、もう、三カ月以上、仕事が止まっていて、今後も見通しが付いていないらしい。この会社に友人が三人いるのですが、彼らと今は、連絡を取れない状態になっている。どうしているのでしょうか。また、この会社に注文したい物が在るのですが、こんな状態だから、日本から輸入しなければならないことになってしまっている。つい半年前にはその会社の隣の会社で、半年ばかりストライキが続いていたが、それが伝染したようで、気の毒である。ストライキは伝染するようです。
リッポチカランの奥の方に行ってみたが、かなり奥まで、住宅地が出来上がっていて、日本食レストランも増えて、年々、開発が進み、賑やかな町になってきているようです。日本人もこの町の二三百人は済んでいるようです。MM2100から東の工業団地へ通う人はこの町へ済むのが一般的になっているらしい。
パパヤを案内し、なんとかという日本食レストランへ入った。パパヤのところから入って、右に曲がったところの直ぐ左側の店で、相当、以前からやっている店で、張られてある、食べ物の案内は色がくすぶっていて、一部の文字は見えなくなっていた。新しく張り替えていないのですね。間口が狭く、目立たない。ブロックMのレストランの中では一番安いのではないかと思う。それに、私が食べたのはてんぷらうどんでしたが、おいしかった。若い日本人の客が多いと感じた。

ちなみのカラオケ情報ですが、私たちが入ったカラオケは、ブロックMでは一番高い店だと思う。だから、他へ入れば同じかそれより安いと思う。一時間6万Rp、ルームチャージが30万Rp、果物、スナックのおつまみなどがそれぞれ10万Rp、私が頼んだコーラとコーヒーはそれぞれ6万Rp、連れ出しは20時間だから120万Rpです。彼女達は60時間のアワーチャージがノルマです。それを3カ月達成できなければ自動的にお払い箱になります。黙っていれば、2、3時間いただけでも5時間分のアワーチャージ30万Rpの請求が来ます。今回は三時間ほどいましたが私が払ったのは65万Rp(約6千5百円)でした。
ストライキ、  チカラン  イジップ

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2010年09月18日

(^_-)-☆夕方からチェック


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今朝、11:00頃ジャカルタへ到着した。そのまま、出勤で12:30頃会社着でした。まだ、ジャカルタは仕事が始まっていないのでしょう。渋滞は全くなし、いつもこうなら良いと思う。迎えに来てくれた運転手は不合格、危なっかしい上に、気が効かない。

機内はどうしてこうも寒いのでしょうか、いつ、どの会社の飛行機に乗っても寒い。寒い国から出発する便も寒い。その為に、暑い国から乗る時も長袖の下着と長袖のシャツを必ず、着る。それでも寒い。私だけではないと思うが、中には、半そで半ズボンで平気の人もいるので、不思議である。今回のフライトも寒くて眠れなかった。
ともあれ、無事にインドネシアの自宅に着いた。シンガポールの早朝の気温は27℃ジャカルタの11:00頃の気温は30℃でした。やはり、この方が良い。

やはり、雰囲気はインドネシアの方が好きだ。暑い、明るい、人がごちゃごちゃいる。活気と言うか、賑やかさというか、何かが有りそうなというか、とにかく私には合っている。と言うことだが、早速お出迎えと言う感じ。家に着いて、トイレに入ったら水が出ない。どこを開けても出ない、外へ出て、メーターを見たら、その前のコックを針金で縛ってあって、水を止められていた。直ぐに、この分譲地の水道料金を納める場所へ行って払ってきた。なんと、6カ月(約1万2千円)払っていなかった。9月2日私が出発直後に閉めたそうです。ごもっとも。今までは半年だったが、今後は三カ月未納で止めると言われてしまった。今日は支払って家に戻ってきたら、もう、水道屋が来て開いていた。
ホッとして、やれやれと、体を洗っていたら、今度は、いきなり停電した。暑い。停電は二時間後に回復した。

シンガポールでのアナウンスメントを聞いていると日本語の案内が非常に多かった。それも、SQや日本の航空会社の案内で無く、それ以外の国の航空会社の便で成田行きと言うのが多かった。シンガポールは航空便の特に旅客便のハブになっていることがはっきりわかる。東南アジアの玄関口になっているのです。

一つエピソード、50S$を持っていたので、使いきろうと土産物屋へ入った。そこのレジの女性、英語、中国語、マレー語と様々な言葉でお客さんに対応していた。私の番である。私の顔を見るなり、マレー語でフライトナンバーは?と話しかけられた。その後も、最期までマレー語で通されてしまった。グラティスと言いながら買ったチョコレートがキャンペーン中でオマケだと言いながら、小さい同じものをくれた。こちらもマレー語で通した。なぜ、私をインドネシア人あるいはマレーシア人と見たのでしょうか。その前に、ドイツで受け取ったボーディングパスにゲートナンバーが入っていなかったので、インフォメーションで英語で聞いた。鉛筆で書きながら、「いーのにじゅうろく、あちらへまっすぐいってください」と日本語で言われたのに、である。

シンガポール(チャンギ空港)のコンコース、ジャカルタ空港とえらい違い。ターミナル3からターミナル2を望む。スカイライナーで大通りをまたいで行き来する。

断水  滞納  停電




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2010年08月30日

(*^_^*)スパートで追い込み


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斜めからインドネシアを眺めよう 712
プチ グンビラ!1  とにかく間に合った。ドイツへ行く前に何とか出荷まで持っていかなければ、ドイツへ孫
にノンビリ行ってはいられない。スイスの山小屋も一週間予約してしまったが、場合によってはキャンセルもあり得ると考えていた。

 プチ グンビラ!2  ダウンロードが早い。今まで、家でのローディングにかなりの時間がかかっていた。HP(Hand Phone)の電波状態が悪かった。どうも、フラッシュと通常回線と別物のようで、アンテナがフルの時でもフラッシュはダウンロードが、非常に遅かった。おととい辺りから、家庭電話回線と同じくらいのスピードになった。このままの状態を保ってくれることを願う。
プチ グンビラ!3  ISOのエックスターナルオーディットも30日と31日にまで漕ぎつけた。この方は順調に予定通りだが、それにしても、ぎりぎりだった。上手く行けば私が留守中に承認証を受け取れるかもしれない。遅くても、レバラン開けには受け取れる。


仕事は順調にいっている。今晩、23:00まで稼働、明日、06:00過ぎから再稼働させる。三交代シフトのメンバー交代で仕方なく、稼働をとめる。
 
PPの中空異形品でお手伝いをすることになって数カ月過ぎ、なんとか、お客さんが納得する、日本の製品と同等かそれ以上に品物が出来るようになった。何種類かあるが、簡単なものから、それほどでもない物がある、しかし、セットで使うので、一種類でも出来なければ、出荷できない。
インドネシアで作る難しさは、先ず、押出成形をしやすくて、表面の艶などの状態が求められるものである事を満たす原料を現地調達できないことです。二番目に、押出の金型の壺の部分、肝心な部分の加工を私が納得するように出来る金型屋が無いことです。
価格について、日本から輸入する価格の0.6×の値段でなければならないことが、前提としてあるので、日本から、今、日本の押出屋が使っている原料を取り寄せて製品を作るわけにはいかない。製品価格と原料価格が同じになってしまう。どうしても、インドネシアの原料屋が作った原料を使うしかない。MIは0.5くらいが、良いが、そんな硬いものはない。5前後の物が一番硬い。その原料でやるしかない。ホモやランダムなどを試したがいずれも、溶融粘度が低いから金型に製品がペタペタ付いてしまって、バキュームを掛けると、横に縞模様ができてしまった。バキュームの吸引力を弱くすると製品の形状が出ない。金型の材料、バキュームの引き方など何種類かの組合せでテストしたが、なかなか満足するものが出来なかった。溶融樹脂の入る角度を変えるために、口金の倍率もいくつかトライした。
ゴルフの後、出勤、仕事が順調に行っていることを確認して、夕方からジャカルタへ向かい、南部のVIPと押出の後継者を迎えにスカルノハッタ空港へ、迎えに、なぜか私が行った。MM2100のサービスアパートへ送り込んだのが23:00頃、それから、帰宅で23:30を回っていた。運転手を使っていないので、朝05:00家を出てから、ずっと、休憩なしどころか、体を動かしているのだから、結構疲れる。
 ゴルフ場の花、名前を知らない二種類。
  出迎え  難しい  押出成形

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2010年07月19日

(^_-)-☆アヒル-アヒル イニ


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斜めからインドネシアを眺めよう 670
今日はやるつもりはなかったが、朝五時起きでジャバベカゴルフへ、06:00過ぎにティーオフでゴルフをやった。一緒の仲間には失礼ですが、全然、楽しくない。気持ちはゴルフ場になかった。それでは、なぜ行ったかというと、朝食と昼食を食べに行ったのです。マリアさんがいないので、野菜を食べる機会がめっきり減ってしまった。そこで、野菜、特に生野菜の補給に行ったのです。お陰さまで、いつのもサラダとオニオンスライスを頂いた。面倒見のよいKさんスペシャルのドレッシングはいつもキープしていただいているので、楽しみにしている。Kさんが一緒でない時でもそのドレッシングを使わせていただいている。今日も、もう、無くなったでしょうといいながら、新しい一本を持って来てくれた。
12:00には会社へ向かい、12:30には仕事開始だった。三交代の連中がオーバータイムで仕事を繋いでいた。
つい先月オーディットに来たばかりで、なんだかんだと、注文を付けて、改善勧告をしてかえっていったばかりでした。その改善を私の方では急いでいなかった。その仕事も先方の人間の態度もこちらからすれば評価が低かった。
例の全く初めての取引開始でいきなり、急ぎ急ぎで催促され、今朝も届けたが、先ほど、19:00過ぎにも、先方から引き取りに来た。三交代の連中は17:00まで延長してもらって、生産を続行していたが、その後は私が一人で、行程をチェックしている。これから、何時までになるか、終わりが無いので、私自身の仕事が終わるまで、その製品の生産も続ける。製品をためておいて、明日の朝、梱包をすればよい。
私の試作は案外早く終わって、19:30には会社を出た。明日、午前中にサンプルを作って、午後一で持って行くつもりだが、その足で、もう一型、新しい金型を受け取りに行き、夕方、別のトライをする。

日本の災害もかなり厳しいものがありますね。全国、崖崩れの可能性のある場所は無数だと聞いている。そりゃそうですよね、山の中ならどこだって可能性はある。
インドネシアの至る所で災害は発生します。日本より遥かに広範囲で深刻です。しかし、余りにも多いので、あまりニュースにならないようだし、余り深刻にも思っていないようです。だいたい、手抜き工事ばかりだと思うが、それも、あまり、問題にならないようです。
先ほど、帰宅途中の高速道路もひどい豪雨だった。今年のインドネシアは乾季が来ないのではないかと思うくらい、まだ、雨が降り続いている、作物の収穫状況はかなり悪いようです。昨日も書きましたが、間もなくプアサになります。それでなくても、この時期、物価が高騰します。スンバコの価格も上昇し始めています。そこへ、野菜や穀物の不作が重なっては、庶民の性格は苦しくなるばかり、その点、公務員は恵まれていますね。どこの国も同じことでしょうか。

Akhir-akhir ini(アヒルアヒルイニ)“この頃、最近“という意味です。Akhir(アヒル)は”最期、終わり“という意味ですから、なんとなく、納得できます。
豪雨  残業  サクセス

posted by 元気な振りの爺さん at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする