2276 50年の間に何回、押しこんだでしょうか。強盗ではありません。何をでしょうか。多分、数百回は押し込んだと思う。ホッパーの上から樹脂を押し込むのです。今日久しぶりに押し込んだ。プラスチックの押出機を扱った人は、経験があると思う。樹脂が入って行かない時があるのです。そういう場合は、棒で押し込むのです。力いっぱい、体重を掛けて押し込むのです。
大学を出て、就職し、三カ月後くらいに、押出部門を手伝うことになり、早速、他の人が押し込んでいるのを見て、交替して押し込んだのが最初でした。
初歩の知識です。何故、スクリューが回っているのに、樹脂が入って行かないのでしょうか。スクリューが回っているのに入って行かないということは、シリンダーの中は隙間だらけです。供給部でスクリューと一緒に樹脂も回ってしまっていているのです。邪魔物があるのです。その邪魔物は、樹脂です。いつのことかは分からないが、供給部で溶けてしまった樹脂がスクリューにへばりついて、スクリューと一緒に回っていて、前に進んでいないのです。そこに、新しい樹脂を送りこんだ時にその樹脂が邪魔をして空回りをしているのです。
その固まってくっ付いている樹脂を取らなければなりません。一番確実な方法は、スクリューを抜いて、スルリュー、シリンダーを磨くことです。それをするにも、抜く前にすることがあります。抜きやすくするために、できるだけ、中の樹脂を少なく巣ろことです。洗浄剤を使ったり、溶けにくい樹脂の粉砕品などで、少しでも、綺麗にしておくといい。スクリューを抜かないで、取る方法は、コツがあります。ホッパー口を塞いで、温度が逃げないようにして、供給部の温度を上げて、溶かします。溶けたころ、樹脂を流し込みます。RPMを上げて、投入した樹脂が溶けない状態で、引っかかっている溶けた樹脂を押し流します。出来るだけ、勢いよく、です。その時、棒で樹脂を押し込みます。早く、押し込まないと、溶けてしまって、それが、また引っかかってしまうからです。
供給部の温度を下げて、樹脂がそこに留まっても、溶けない温度にします。供給部の樹脂は溶融部や計量部ので、溶けている樹脂を押す役目をしているからです。樹脂がスクリューと一緒に回っては、前に進みません。スルリューの表面で滑りながら前に進んでいるのですから。
負荷が高くなり、スクリューが回らなかったり、ブレーカーが落ちたりして、樹脂が送られない場合は、これとは別の問題です。
http://otaenplaext.net/newpage63.html
ゴルフに行く道とほとんど同じですが、次の交差点で左に曲がります、真っ直ぐ行けばゴルフ場です。
供給 溶融 計量
2015年04月11日
2015年03月04日
(^_-)-☆初出勤
2238 仕事をするために出勤をした。ユニフォームも初めて着た。意味が全然なくて、私の名前が使われているのが、どうも、エンドタという会社の名前がしっくりこない。“エンドタの太田です”というのが、言いにくい。
早速。見積もりの依頼のためのお客さんに対応した。日本で太田化工創業時に沼津で大変お世話になった、商社が、最近、インドネシアに進出して来ていて、ICケースをPCで作れないかという話が、タイからあったという、タイ国内で、出来ないというのは、どうも、解せないが、とにかく、インドネシアでできれば、インドネシアから供給してもらいたいということらしい。
ICケース http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00060.html
マガジンケース http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage034.html
概略の図面を見せてもらったが、本当に概略で、見積もりをするには、詳細を知る必要があるし、両側のストッパーについても、一体で供給してほしいということなので、なお、ストッパーの詳細も必要だと話した。
原料に関して、PCとPVCとPETの三種で見積もりをということだったが、私は、透明のHIPSで、どうか、PVCとPETはいろいろな理由があって、やりたくないので、PCとHIPSで見積もりをしたいとも言っておいた。
インドネシアで過去、二社にその種の製品で手伝いをしたことがあるので、それらを示しながら、提案をした。近い将来に、もっと、詳しい図面と原料の指定があれば、そのグレードなどを知らせてくる段取りになっている。
ただし、この会社、既に押出成形ラインに余裕がない、新しい仕事を取る余裕がない。どうするのでしょうか。
エアマージェンシーで先ほど行ってきた病院、プシンとムンターとディンギンでした。それらの、薬を処方してもらった。
初出勤 初客 初見積
早速。見積もりの依頼のためのお客さんに対応した。日本で太田化工創業時に沼津で大変お世話になった、商社が、最近、インドネシアに進出して来ていて、ICケースをPCで作れないかという話が、タイからあったという、タイ国内で、出来ないというのは、どうも、解せないが、とにかく、インドネシアでできれば、インドネシアから供給してもらいたいということらしい。
ICケース http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00060.html
マガジンケース http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage034.html
概略の図面を見せてもらったが、本当に概略で、見積もりをするには、詳細を知る必要があるし、両側のストッパーについても、一体で供給してほしいということなので、なお、ストッパーの詳細も必要だと話した。
原料に関して、PCとPVCとPETの三種で見積もりをということだったが、私は、透明のHIPSで、どうか、PVCとPETはいろいろな理由があって、やりたくないので、PCとHIPSで見積もりをしたいとも言っておいた。
インドネシアで過去、二社にその種の製品で手伝いをしたことがあるので、それらを示しながら、提案をした。近い将来に、もっと、詳しい図面と原料の指定があれば、そのグレードなどを知らせてくる段取りになっている。
ただし、この会社、既に押出成形ラインに余裕がない、新しい仕事を取る余裕がない。どうするのでしょうか。
エアマージェンシーで先ほど行ってきた病院、プシンとムンターとディンギンでした。それらの、薬を処方してもらった。
初出勤 初客 初見積
2014年07月19日
(^_-)-☆仕事の一つ
2010 マレーシア航空機撃墜。気の毒極まりない。ウクライナ上空の飛行は決まったルートなのだろうが、ウクライナの戦闘機が親ロ派のミサイルで撃墜されたばかり、やはり、戦闘地域とみなして、避けるべきだったのではないでしょうか。この前のインド洋で消えてしまった事故と言い、マレーシア航空は、イスラムのお祓いをしてもらった方がいいじゃないのかと思うくらいだ。インドネシア人も12人犠牲になったそうだ。
固定費って何のため?どんな性格のもの?説明できますか。バランスシートってなんですか?とんでもなく、思い違いをしている経営者も多いようです。
10時半に会社から出て.戻ってきたのが14時半MM2100のある原料屋さんの倉庫から、原料を受け取りに行ってきた。渋滞が原因の一つだが、多くな原因は他にもあった。今日は金曜日、従業員の男性は、大きなマスジッドに出かけて行ってお祈りをしなければならない日だ。特にラマダーンの最中なので、さぼる人は少ない。11時の約束で到着したが、なかなか、原料が倉庫から出てこない、その内、11時半ごろ、倉庫の大扉が閉められ、今からお祈りに行くから、仕事が始まるのは13時からだといって、ぞろぞろ、会社の外に出て行ったしまった。
待つしかない、私も昼食は食べないことにしていたが、只、待っていても仕方がないので、近くの屋台村で食事をしてしまった。いるいる、大勢の若者男女が食事をしている。飲み物も飲んでいる。
すだれを垂らしてあって、一応、外から見えないようにしているつもり。
13時に倉庫へ戻って、荷物を積み始めた。ところが、二種類かく200kgにはずが、一種類しか出てこない。もう一種類は?と聞いたら、JLカリマランの、別の倉庫にあるという。この倉庫に二種類共にあると聞いていたので、がっかり、一種類だけ積み込み、今度は、別の倉庫に移動し、もう一種類を受け取った。
分かりにくい、こんなところにあるのかよ。事務所に電話して場所を聞く、今、どこどこにいるが、ここから、どう行けばいいのか聞く、すると、ドライバーに変わって、説明するからと言われることが多い。私がドライバーだというと、え?という声が聞こえそうな反応を示す。JLカリマランの第二倉庫でコスモプレンンを200kg受け取り、合計400kg積んだ私の車です。倉庫の人達、ゼニアに400kg、大丈夫?と言っていた。この日本人、変な奴と思ったに違いない。本当はこの種の車に原料のようなものを載せてはいけない。捕まれば罰金です。しかし、私は、何十回と運んでいるが、一度も、止められらことはない。しかし、従業員に同じことをさせはしない。
運転手 受け取り 固定費
固定費って何のため?どんな性格のもの?説明できますか。バランスシートってなんですか?とんでもなく、思い違いをしている経営者も多いようです。
10時半に会社から出て.戻ってきたのが14時半MM2100のある原料屋さんの倉庫から、原料を受け取りに行ってきた。渋滞が原因の一つだが、多くな原因は他にもあった。今日は金曜日、従業員の男性は、大きなマスジッドに出かけて行ってお祈りをしなければならない日だ。特にラマダーンの最中なので、さぼる人は少ない。11時の約束で到着したが、なかなか、原料が倉庫から出てこない、その内、11時半ごろ、倉庫の大扉が閉められ、今からお祈りに行くから、仕事が始まるのは13時からだといって、ぞろぞろ、会社の外に出て行ったしまった。
待つしかない、私も昼食は食べないことにしていたが、只、待っていても仕方がないので、近くの屋台村で食事をしてしまった。いるいる、大勢の若者男女が食事をしている。飲み物も飲んでいる。
すだれを垂らしてあって、一応、外から見えないようにしているつもり。
13時に倉庫へ戻って、荷物を積み始めた。ところが、二種類かく200kgにはずが、一種類しか出てこない。もう一種類は?と聞いたら、JLカリマランの、別の倉庫にあるという。この倉庫に二種類共にあると聞いていたので、がっかり、一種類だけ積み込み、今度は、別の倉庫に移動し、もう一種類を受け取った。
分かりにくい、こんなところにあるのかよ。事務所に電話して場所を聞く、今、どこどこにいるが、ここから、どう行けばいいのか聞く、すると、ドライバーに変わって、説明するからと言われることが多い。私がドライバーだというと、え?という声が聞こえそうな反応を示す。JLカリマランの第二倉庫でコスモプレンンを200kg受け取り、合計400kg積んだ私の車です。倉庫の人達、ゼニアに400kg、大丈夫?と言っていた。この日本人、変な奴と思ったに違いない。本当はこの種の車に原料のようなものを載せてはいけない。捕まれば罰金です。しかし、私は、何十回と運んでいるが、一度も、止められらことはない。しかし、従業員に同じことをさせはしない。
運転手 受け取り 固定費
2014年06月20日
(^_-)-☆儲ける必要がない
1981 他人を利用したり、ごまかしたり、脅かしたり、詐欺まがいの方法で金儲けを企んでいる人はこの世に中に絶えることはない。多くの人は、何とか、金銭的に余裕がある暮らしをしたいと思う事は当たり前。そうなるための方法が問題で、他人を利用して、上手く立ち回り、自分の元にお金が来るように画策する、そういう人も多い。
私のように、自腹を切って他人の手伝いばかりをしている人の事は理解できないのでしょう。特に自分が儲け主義の人は、私のような行動には何か裏があるに違いないと思うらしい。貧しい発想だし、寂しい話である。
私はあの世に旅立つときに丁度、お金を使い果たしたいと思っているので、何もこれから大金をためなければならない理由はない。
呆れた報告書が手元に届いた。何の事でしょう? これは、コンピューターから消去した方がいいとアドバイスをさせていただいた。恥ずかしいばかりではなく、場合によっては多額のペナルティーを要求されそうな、危うい報告書だと思う。
またまた、LEDチューブランプのPCカバーの見積もり依頼があった。どうも、芋蔓式に、口コミで私のことが広がっているらしい。特に韓国企業からの話が多い。韓国から輸入しているが、色々な問題があって、インドネシア国内で調達したいというのは自然だ。聞くところによると、韓国企業の私のように、色々な注文生産する押出し成型屋は、インドネシアに来ていないそうだ。もっとも、韓国ばかりでなく、来ていそうな、中国企業も進出して来ていない。とにかく、インドネシアでは私しかいないということが、次第に確信を持てるようになってきた。
また、PCカバーでなく、パイプのチューブランプの見積もり依頼も入ってきた。ちょっと前、ジャカルタの見本市に行ったときに、中国企業が、展示していたパイプ物と同じだ。その時も、中国から輸入していると言っていた。
このタイプは、一般の従来の蛍光灯と同じ取り付け方なので、単に交換できる。大変優れものだが、どうしても、1/2円や2/3円に比べると高価になってしまう。とにかく、引きうけてやりたいが、今の設備ではキャパシティーが、足りない。残念ながらお断りするしかない。引きうけても迷惑を掛ける心配があるので、せっかく、私を頼りにしてくれているのに、どうにもならない。ただし、どこか、ローカルの押出機を持っている会社に、指導して、下請けとして使うこともできるが、私は、万が一の失敗を心配するので、それもしたくない。ま、しょうがないか。
二色の成形品も依頼があったが、これも、今、試作をしている製品が本生産になれば、機械に全く余裕がなくなるので、断り価格を出した。金型費用は30ジュタでできるが55ジュタにした。製品価格も原料価格の4倍にした。これで、来るはずがない。
PCカバーの製造様子のほんの一部
出国 入国 イミグレ
私のように、自腹を切って他人の手伝いばかりをしている人の事は理解できないのでしょう。特に自分が儲け主義の人は、私のような行動には何か裏があるに違いないと思うらしい。貧しい発想だし、寂しい話である。
私はあの世に旅立つときに丁度、お金を使い果たしたいと思っているので、何もこれから大金をためなければならない理由はない。
呆れた報告書が手元に届いた。何の事でしょう? これは、コンピューターから消去した方がいいとアドバイスをさせていただいた。恥ずかしいばかりではなく、場合によっては多額のペナルティーを要求されそうな、危うい報告書だと思う。
またまた、LEDチューブランプのPCカバーの見積もり依頼があった。どうも、芋蔓式に、口コミで私のことが広がっているらしい。特に韓国企業からの話が多い。韓国から輸入しているが、色々な問題があって、インドネシア国内で調達したいというのは自然だ。聞くところによると、韓国企業の私のように、色々な注文生産する押出し成型屋は、インドネシアに来ていないそうだ。もっとも、韓国ばかりでなく、来ていそうな、中国企業も進出して来ていない。とにかく、インドネシアでは私しかいないということが、次第に確信を持てるようになってきた。
また、PCカバーでなく、パイプのチューブランプの見積もり依頼も入ってきた。ちょっと前、ジャカルタの見本市に行ったときに、中国企業が、展示していたパイプ物と同じだ。その時も、中国から輸入していると言っていた。
このタイプは、一般の従来の蛍光灯と同じ取り付け方なので、単に交換できる。大変優れものだが、どうしても、1/2円や2/3円に比べると高価になってしまう。とにかく、引きうけてやりたいが、今の設備ではキャパシティーが、足りない。残念ながらお断りするしかない。引きうけても迷惑を掛ける心配があるので、せっかく、私を頼りにしてくれているのに、どうにもならない。ただし、どこか、ローカルの押出機を持っている会社に、指導して、下請けとして使うこともできるが、私は、万が一の失敗を心配するので、それもしたくない。ま、しょうがないか。
二色の成形品も依頼があったが、これも、今、試作をしている製品が本生産になれば、機械に全く余裕がなくなるので、断り価格を出した。金型費用は30ジュタでできるが55ジュタにした。製品価格も原料価格の4倍にした。これで、来るはずがない。
PCカバーの製造様子のほんの一部
出国 入国 イミグレ
2014年04月11日
(^_-)-☆安堵した
1911 PCカバー、韓国系の会社に納品開始、今まで、本国から仕入れていたものをインドネシアメイドに変えた、品質と納期と値段の関係で、問題が多かったそうです。納品先は近い。装置のトラブル続きで、予定通りの数量が出来ず、休日も夜も現場に立っていたので、かなり、体が、つらい状態になっていた。今朝も6時前に出勤し、夜勤の人たちの成果を確認した。何とか、予定に近い数量が出来ていてホッとしたが、彼らが帰った後、突然、アラームが鳴って機械が止まってしまった。その後、機械を変えて、再び生産、先ほどの確認では、23:00順調に生産している。再びホッとした。今夜は会社に行かないで、ゆっくり、朝まで休むことができそうだ。
リルサンPA11の話。なにそれ?何の事か知っている人は非常に少ないと思う。インドネシアでは、私が指導した会社の一社で、この原料を使ってチューブを作っているはずだ、客先はどこか忘れた。多分、タンゲランの車関係の日系企業だった。とにかく、インドネシアでは、ナイロン11を使いだしたのは私が始めてだったし、そのための商社も私が選んだ。今も、まだ、やっているか確認していなかった。
そして、私が、その原料を使ってチューブを作ることになった。昨年末、二種類のグレードを入手してあった。その原料を混ぜて要求の硬度のチューブを作ってサンプルを提出してあって、既にOKがでていて、間もなく、量産に入る。しかし、その時に使う原料は、混ぜたものでなく、純粋にそのものずばりのグレードを使わなければならない。急ぎ、過去にお付き合いした商社に話しかけたところ、今日、先ほど、会社まで、様子を伺いにやってきた。
やってきた彼は、商社のプラスチック原料の担当だった。私が以前いた会社との付き合いがあるそうだが、リルサンについては一年以上、話がないという、今は、やっていないのじゃないか、ということだった。月50Kgくらいだったという。ということで、私が月100kgくらい使う予定だが、似たり寄ったりの少量で、リルサンということになれば、しょうがないかなと、思ってくれているようで、なんとなく、話をしやすいかなと思う。また、インドネシアでは私だけが押出成型で使うようになる。インジェクションに関しては知らない。
で、今夜は会社に行かなくていいので、7日の夜、仕込んでおいた、濁酒を絞った。1,5L×6本、指が疲れた、指が吊ってしまった。写真は、仕込んだ直後の状態、30分後にはブクブク泡が出てくる。
酒絞り 順調 PA11
リルサンPA11の話。なにそれ?何の事か知っている人は非常に少ないと思う。インドネシアでは、私が指導した会社の一社で、この原料を使ってチューブを作っているはずだ、客先はどこか忘れた。多分、タンゲランの車関係の日系企業だった。とにかく、インドネシアでは、ナイロン11を使いだしたのは私が始めてだったし、そのための商社も私が選んだ。今も、まだ、やっているか確認していなかった。
そして、私が、その原料を使ってチューブを作ることになった。昨年末、二種類のグレードを入手してあった。その原料を混ぜて要求の硬度のチューブを作ってサンプルを提出してあって、既にOKがでていて、間もなく、量産に入る。しかし、その時に使う原料は、混ぜたものでなく、純粋にそのものずばりのグレードを使わなければならない。急ぎ、過去にお付き合いした商社に話しかけたところ、今日、先ほど、会社まで、様子を伺いにやってきた。
やってきた彼は、商社のプラスチック原料の担当だった。私が以前いた会社との付き合いがあるそうだが、リルサンについては一年以上、話がないという、今は、やっていないのじゃないか、ということだった。月50Kgくらいだったという。ということで、私が月100kgくらい使う予定だが、似たり寄ったりの少量で、リルサンということになれば、しょうがないかなと、思ってくれているようで、なんとなく、話をしやすいかなと思う。また、インドネシアでは私だけが押出成型で使うようになる。インジェクションに関しては知らない。
で、今夜は会社に行かなくていいので、7日の夜、仕込んでおいた、濁酒を絞った。1,5L×6本、指が疲れた、指が吊ってしまった。写真は、仕込んだ直後の状態、30分後にはブクブク泡が出てくる。
酒絞り 順調 PA11
2014年03月31日
(^_-)-☆技術指導の評価
1900 私がこの仕事に関わって、48年、最初の半年だけ、与えられた装置(西ドイツ、シュレーダーシュタインデルマン、ライヘンホイザーからの装置を導入いたという記憶がある)を使いこなすために、先輩達がやっている仕事を覚えようとした。教えてもらいながら、覚えながら、その状況は不満だらけだった。製品がうまくできていなかった。不良品の山だった。装置に大きな不満が生じた。なんとかしなければならないと思った。
半年後からは、関わる仕事のすべてを、私の考えと腕で、した。装置の大改善に手をつけた。誰からも指導を受けなかったし、参考にする文献もなかった。ただし、技術以外のことに関いて、ただ一人、先輩(上司)の中に、仕事に対する取り組みが非常に熱心な方がいた。三年ほど、その人の姿、姿勢を参考にした。塩崎さんという、自衛隊習志野空挺部隊出身の猛者だった。“空の神兵“を、一緒によく歌った。それと同時に他の人に対する、技術指導をする立場になった。それ以来、ずっと、技術開発とそれにともなく技術指導の連続が私の仕事です。自分が作ったものを自分が作り続けることないのだから、誰かに、それを覚えてもらって、生産をしてもらわなければならないのだから、当たり前のようにそういていた。
66ナイロンの二硫化モリブデン10%入りの馬蹄形をすぼめたような形のベルトコンベアーの鎖が滑るラインのガイドレールという製品を日本で初めて作った。66ナイロンのチューブや異形品(プロファイル)の生産は、日本での草分だった。そのすぐ後、6ナイロンのプロファイルも手掛けることになった。まだ、誰も出来ないこと、出来るかできないか、返事に迷うことは、やると返事をするという、姿勢が確立された。
さて、技術指導を何十年も続けてきて、私のような考え方をする人を育てることが、最大の目標というか,希望だった。今もそれをしている途中だ。
難しいのは、伝える相手次第だということで、私と同じような人に伝える情況は、無いわけで、自分が満足出来ていないし、伝え具合を評価する人が、私の技術を分からないわけだから、評価できないのだが、評価するのだから、十分だと評価する筈がない。48年、日本人一人、インドネシア人一人の合計二人しか、私の跡継ぎになれるという人に会えなかった。そして、その日本人は、この世にいない。
静岡駅北口前の様子、お世話になった交番、この右がタクシー乗り場、芝桜と徳川家康像、鷹刈りスタイル、駿府公園の中に有ったものをここに何時からか移設したらしい。
褄の作品、家の中の桜が咲き始めた。
評価 無理 相手
半年後からは、関わる仕事のすべてを、私の考えと腕で、した。装置の大改善に手をつけた。誰からも指導を受けなかったし、参考にする文献もなかった。ただし、技術以外のことに関いて、ただ一人、先輩(上司)の中に、仕事に対する取り組みが非常に熱心な方がいた。三年ほど、その人の姿、姿勢を参考にした。塩崎さんという、自衛隊習志野空挺部隊出身の猛者だった。“空の神兵“を、一緒によく歌った。それと同時に他の人に対する、技術指導をする立場になった。それ以来、ずっと、技術開発とそれにともなく技術指導の連続が私の仕事です。自分が作ったものを自分が作り続けることないのだから、誰かに、それを覚えてもらって、生産をしてもらわなければならないのだから、当たり前のようにそういていた。
66ナイロンの二硫化モリブデン10%入りの馬蹄形をすぼめたような形のベルトコンベアーの鎖が滑るラインのガイドレールという製品を日本で初めて作った。66ナイロンのチューブや異形品(プロファイル)の生産は、日本での草分だった。そのすぐ後、6ナイロンのプロファイルも手掛けることになった。まだ、誰も出来ないこと、出来るかできないか、返事に迷うことは、やると返事をするという、姿勢が確立された。
さて、技術指導を何十年も続けてきて、私のような考え方をする人を育てることが、最大の目標というか,希望だった。今もそれをしている途中だ。
難しいのは、伝える相手次第だということで、私と同じような人に伝える情況は、無いわけで、自分が満足出来ていないし、伝え具合を評価する人が、私の技術を分からないわけだから、評価できないのだが、評価するのだから、十分だと評価する筈がない。48年、日本人一人、インドネシア人一人の合計二人しか、私の跡継ぎになれるという人に会えなかった。そして、その日本人は、この世にいない。
静岡駅北口前の様子、お世話になった交番、この右がタクシー乗り場、芝桜と徳川家康像、鷹刈りスタイル、駿府公園の中に有ったものをここに何時からか移設したらしい。
褄の作品、家の中の桜が咲き始めた。
評価 無理 相手
2014年03月12日
(^_-)-☆夢の途中22 3
1881 H−PVC(硬質塩ビ)のパイプ、電線配管用に良く見られるものです。この製品の値段が1kg当たり27000Rpで売られている。10Mほど買った時の小売価格です。私がメーカーに頼んで原料を1トン作ってもらうと、1Kg当たり、 24000Rpです。どうなっているの、このカラクリは。もし、私が、小売価格27000Rpで売るには、13000Rp以下で仕入れなければならないと思う。では、メーカーは、その価格で売るには原料を6000Rp(55円)以下で仕入れることが出来なければならないと思う。リサイクル品とは見えない。何か安い増量剤が入っているのでしょう。例えば、そこら辺にある土とか。燃やして残りカスを見れば分かるが、分析する気にもならない。
入社したその年の10月に組合役員の改選があって、私は執行部の教育宣伝部長に押された。そして、その直後、代休優先という規則を撤廃させた。また、週休二日制も毎年一日ずつ土曜休みを増し、五年間で、完全週休二日制になるようにした。残業、休日出勤手当も15%から3年かけて25%になるようにした。「太田君、お手柔らかに頼むよ」。親会社の東レ並みが目標だったので、あまり考えることなく、行け行けの時代だった。
入社半年を過ぎて、私の配属先が示されなかった。創立3年めで、とにかく、大学工学部の新卒を受け入れるのは、初めての会社、私をどう、扱っていいのか、困っていたようだった。で、ずーっと前に書いたかもしれないが、大学の時の恩師が言われた事、「不良の山は宝の山と思え」の通り、押出部門に不良の山が沢山あったので、製造部長に頼んで、班長の一人が体調にすぐれず、私に、日勤になりたいとこぼしていたので、これ幸いと、いきなり、押出部門の三交替勤務の班長にしてもらった。工具の名前も知らなかった。プライヤー、ヤットコ、シャコマン、メガネ(レンチ)、パイレン(パイプレンチ)、ニッパーなどなど、化学では、知っているはずがなかった。『26のメガネを持ってきて』と言われて、“え??”だった。
中卒高卒の数人の部下から、仕事を教えてもらいながら、金型の事や樹脂の特徴、製品を繋げるコツや金型から樹脂を剥がすコツなど、どんどん吸収した。夜勤の時は大変、仕事が面白かった。10や15φ丸棒の金型、20本取りだ、複雑な金型、解体整備には、相当のコツが必要だった。が、私は、丸棒が詰まってしまって、生産続行が出来なくなった金型を夜勤中にばらしてしまって、その後、セットできなくなってしまって、そのままにしてしまい、次の月曜日、朝勤になった時に、上司から、「しょうがないな」くらいの事を言われるだけだった。何日か前の事になるので、怒りが、和らいでいるのでした。
半年後には、製品の立ち上げは、私の班からするようになった。生産途中で、NGになり、治せない時には、私の班から再スタートした。営業担当者に、新しい製品の引き合いがあった時には、私の上司達ではなく、私にできるかどうか聞きに来るようになった。見積もりの根拠となる金型費用や生産速度や歩留まりを答えた。典型的な例が、先日お亡くなりになった北川工業の前社長さんとの対面でした。6ナイロンのエッジング、グロメットでした。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0201.html
このころの、何でもやってみよう、出来るかできないか分からなくても、取りあえず、出来ますと言って、引き受けてしまう生き方、この年になっても、仕事に対する姿勢は変わっていない。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page231.html
スマトラ島の最北端に近い町、バンダアチェ2004年、地震と津波で10万人以上が犠牲になった町、世界中からの支援を受けて、あっという間に、2年後には、震災の面影はほとんどなくなった。それに引き換え東日本の震災、3年過ぎた。未だに、問題が山積みで、復興の足取りは重くて遅い、原因は“日本”だからでしょうね。絆の精神は保ち続けてほしいものです。最近オープンしたホテル。
チカランバラットインターチェンジ近くのカルフールの隣です。オープンしたばかりの、ホテル サンティカSantikaです。
ジャバベカ2のチカランバルにあるマスタバッチ製造会社、本社はスマランにある。今日、緊急で注文したら、スマランからエアーで送られ、明日の昼前に届けてくれるという。本当だろうか、期待して待つことにする。
勢い 若さ 無鉄砲
入社したその年の10月に組合役員の改選があって、私は執行部の教育宣伝部長に押された。そして、その直後、代休優先という規則を撤廃させた。また、週休二日制も毎年一日ずつ土曜休みを増し、五年間で、完全週休二日制になるようにした。残業、休日出勤手当も15%から3年かけて25%になるようにした。「太田君、お手柔らかに頼むよ」。親会社の東レ並みが目標だったので、あまり考えることなく、行け行けの時代だった。
入社半年を過ぎて、私の配属先が示されなかった。創立3年めで、とにかく、大学工学部の新卒を受け入れるのは、初めての会社、私をどう、扱っていいのか、困っていたようだった。で、ずーっと前に書いたかもしれないが、大学の時の恩師が言われた事、「不良の山は宝の山と思え」の通り、押出部門に不良の山が沢山あったので、製造部長に頼んで、班長の一人が体調にすぐれず、私に、日勤になりたいとこぼしていたので、これ幸いと、いきなり、押出部門の三交替勤務の班長にしてもらった。工具の名前も知らなかった。プライヤー、ヤットコ、シャコマン、メガネ(レンチ)、パイレン(パイプレンチ)、ニッパーなどなど、化学では、知っているはずがなかった。『26のメガネを持ってきて』と言われて、“え??”だった。
中卒高卒の数人の部下から、仕事を教えてもらいながら、金型の事や樹脂の特徴、製品を繋げるコツや金型から樹脂を剥がすコツなど、どんどん吸収した。夜勤の時は大変、仕事が面白かった。10や15φ丸棒の金型、20本取りだ、複雑な金型、解体整備には、相当のコツが必要だった。が、私は、丸棒が詰まってしまって、生産続行が出来なくなった金型を夜勤中にばらしてしまって、その後、セットできなくなってしまって、そのままにしてしまい、次の月曜日、朝勤になった時に、上司から、「しょうがないな」くらいの事を言われるだけだった。何日か前の事になるので、怒りが、和らいでいるのでした。
半年後には、製品の立ち上げは、私の班からするようになった。生産途中で、NGになり、治せない時には、私の班から再スタートした。営業担当者に、新しい製品の引き合いがあった時には、私の上司達ではなく、私にできるかどうか聞きに来るようになった。見積もりの根拠となる金型費用や生産速度や歩留まりを答えた。典型的な例が、先日お亡くなりになった北川工業の前社長さんとの対面でした。6ナイロンのエッジング、グロメットでした。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0201.html
このころの、何でもやってみよう、出来るかできないか分からなくても、取りあえず、出来ますと言って、引き受けてしまう生き方、この年になっても、仕事に対する姿勢は変わっていない。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page231.html
スマトラ島の最北端に近い町、バンダアチェ2004年、地震と津波で10万人以上が犠牲になった町、世界中からの支援を受けて、あっという間に、2年後には、震災の面影はほとんどなくなった。それに引き換え東日本の震災、3年過ぎた。未だに、問題が山積みで、復興の足取りは重くて遅い、原因は“日本”だからでしょうね。絆の精神は保ち続けてほしいものです。最近オープンしたホテル。
チカランバラットインターチェンジ近くのカルフールの隣です。オープンしたばかりの、ホテル サンティカSantikaです。
ジャバベカ2のチカランバルにあるマスタバッチ製造会社、本社はスマランにある。今日、緊急で注文したら、スマランからエアーで送られ、明日の昼前に届けてくれるという。本当だろうか、期待して待つことにする。
勢い 若さ 無鉄砲
2014年03月11日
(^_-)-☆夢の途中22 2
1880 三日続いた深刻な悩みが、幸いにも、先ほど夕方解消した。何とかなった。ホッ、である。
戻るなり、看護婦が食ってかかってきた。私が行方不明になってしまったので、捜しまくったり、会社に電話したり、大騒ぎになっていたらしい。とにかく、平謝りに謝るしかなかった、あなたみたいな人は始めてだ、全く、という具合だった。
月曜日の朝、医者が巡回してきた。昨日の事を報告されていなのか、期限が悪そうに「君、何故ここにいるの?」と、聞かれて、「とにかく泊まって行けと言われたから」いったら、「君、何でもないようだから、出て行きなさい」と言われて、間髪をいれずに退院をした。下着や洗面道具を入れた大きめの紙袋を小脇に抱え、会社まで500mくらい歩いて帰った。まだ、10時前だった。事務所の扉を開け、20人ほどの人たちがいる前で、「お騒がせしました」と頭を下げ、直ぐに、寮へ行き、寮母にもお礼を言い、そのまま、作業服に着替えて、仕事場の検査室に行って仕事を始めた。
その直後、事務部長から、通達が出された。原則として、残業は4時間以内しか認めないと。要するに一日の拘束時間12時間以上は、だめだということになった。私も無茶をしたと思うが、あまり反省はしていなかった。
検査室の次に押出成形部門にはいった。昼間の勤務だったが、忙しくて、毎週土曜日日曜日の夜勤12時間勤務をした。土曜日、昼間の勤務が終わって、寮に帰り、20時に出勤、日曜の朝8時に終了、日曜に20時出勤、月曜日の朝8時終了、月曜日の昼間は年次有給休暇を取って休み、火曜日から土曜日までは通常の日勤、二ヶ月間続けた。平日、日勤の残業を含めれば一週間に30時間以上のオーバータイムをした。一週一回年休を使って月曜は、休むわけだから、一遍に年休が無くなってしまった。それを知った会社の事務部長が、「年休より代休を優先する」という、新たな通達を出してきた。要するに休日出勤をしてその代わりに休む時には代休といって、給料が引かれる休みの方を使いなさい、ということにしたのです。私が予想外の無茶をするので、事務長も大変だったと思う。何かあったら、自分の責任になるかもしれないと思ったのでしょう。
とにかく、当時は、夜勤で連続運転をしない時でも、日曜日には出勤していた。連続運転の時は勿論誰かに昼間出てもらわなければならない、私一人ではなかった、というより、他の人に休日出勤をお願いしていたので、私が率先してでなければならないと思っていたからでした。本当は、私の上司が、やることだと思っていたが。
当時は、まだ、土曜日は休日になっていなかった。私のオーバータイム、もし、土曜日が休日になっていたなら、一月12×4で48時間+されていたことになる。
MM2100へ日本へのエアーティケットを買いに行ってきた。行きも帰りも、交通状態は、閑散過ぎ。一時間半で用事を済ませて会社へ戻った。チカランバラットの出口も、閑散過ぎ、あたかも、天変地異の予感で動物が姿を消す現象のよう。
率先 使命 義務
戻るなり、看護婦が食ってかかってきた。私が行方不明になってしまったので、捜しまくったり、会社に電話したり、大騒ぎになっていたらしい。とにかく、平謝りに謝るしかなかった、あなたみたいな人は始めてだ、全く、という具合だった。
月曜日の朝、医者が巡回してきた。昨日の事を報告されていなのか、期限が悪そうに「君、何故ここにいるの?」と、聞かれて、「とにかく泊まって行けと言われたから」いったら、「君、何でもないようだから、出て行きなさい」と言われて、間髪をいれずに退院をした。下着や洗面道具を入れた大きめの紙袋を小脇に抱え、会社まで500mくらい歩いて帰った。まだ、10時前だった。事務所の扉を開け、20人ほどの人たちがいる前で、「お騒がせしました」と頭を下げ、直ぐに、寮へ行き、寮母にもお礼を言い、そのまま、作業服に着替えて、仕事場の検査室に行って仕事を始めた。
その直後、事務部長から、通達が出された。原則として、残業は4時間以内しか認めないと。要するに一日の拘束時間12時間以上は、だめだということになった。私も無茶をしたと思うが、あまり反省はしていなかった。
検査室の次に押出成形部門にはいった。昼間の勤務だったが、忙しくて、毎週土曜日日曜日の夜勤12時間勤務をした。土曜日、昼間の勤務が終わって、寮に帰り、20時に出勤、日曜の朝8時に終了、日曜に20時出勤、月曜日の朝8時終了、月曜日の昼間は年次有給休暇を取って休み、火曜日から土曜日までは通常の日勤、二ヶ月間続けた。平日、日勤の残業を含めれば一週間に30時間以上のオーバータイムをした。一週一回年休を使って月曜は、休むわけだから、一遍に年休が無くなってしまった。それを知った会社の事務部長が、「年休より代休を優先する」という、新たな通達を出してきた。要するに休日出勤をしてその代わりに休む時には代休といって、給料が引かれる休みの方を使いなさい、ということにしたのです。私が予想外の無茶をするので、事務長も大変だったと思う。何かあったら、自分の責任になるかもしれないと思ったのでしょう。
とにかく、当時は、夜勤で連続運転をしない時でも、日曜日には出勤していた。連続運転の時は勿論誰かに昼間出てもらわなければならない、私一人ではなかった、というより、他の人に休日出勤をお願いしていたので、私が率先してでなければならないと思っていたからでした。本当は、私の上司が、やることだと思っていたが。
当時は、まだ、土曜日は休日になっていなかった。私のオーバータイム、もし、土曜日が休日になっていたなら、一月12×4で48時間+されていたことになる。
MM2100へ日本へのエアーティケットを買いに行ってきた。行きも帰りも、交通状態は、閑散過ぎ。一時間半で用事を済ませて会社へ戻った。チカランバラットの出口も、閑散過ぎ、あたかも、天変地異の予感で動物が姿を消す現象のよう。
率先 使命 義務
2014年03月09日
(^_-)-☆悩みは深刻
1878 散々、すったもんだした末に受注した製品、POを受けて量産スタートした途端に、思うような製品が出来なくなってしまった。原因の大部分は、インドネシアだから、ということです。日本なら、こんなことはあり得ない。だが、ここはインドネシア、受け入れるしかない。
切羽詰まっている、そこで、今日もゴルフの後に仕事場に出て、あれやこれややってみた。そして、いくつかのひらめき(やってみる価値がありそうな事)があった。月曜日の朝から、やることができるように今日明日で準備をしなければならない、そこで、夕方、トコ バングナン(toko bangunan)日本のホームセンターの様な店に向かって、必要品を購入した。明日、また、別の店へいって、別の必要品を購入する。
この製品は約1年前から試作をしている。途中でしようが変わったり、製品の評価が担当者が変わるたびに変わったり、物性とか寸法にように数字での公差に入っていればOKというのが、当たり前の評価方法の世界で仕事をしてきた私にとっては、全く、納得いかない製品だった。何度も、匙を投げてしまおうかと思った。それも、出来ない私なので、かなりの私財を投入して、やっと、完成までこぎつけた製品でしたが、量産のために注文した届けられた原料が、試作の時に使って物と違っていた。ショックだった。
この時は、この年になって、仕事をしていなければ、こんなことにならないのに、巻き込まれることはないのにと思った。悩み多き青春である。あれやこれや考え込んでしまって、夜も眠れない、ゴルフも上の空でやっていた。
それでも、何とかなる、何とかするのが私と、自分に言っている。
マレーシア航空機、どうしたのでしょうか。空中で突然爆発でもしたのでしょうか。
ショック ストレス ヒラメキ
切羽詰まっている、そこで、今日もゴルフの後に仕事場に出て、あれやこれややってみた。そして、いくつかのひらめき(やってみる価値がありそうな事)があった。月曜日の朝から、やることができるように今日明日で準備をしなければならない、そこで、夕方、トコ バングナン(toko bangunan)日本のホームセンターの様な店に向かって、必要品を購入した。明日、また、別の店へいって、別の必要品を購入する。
この製品は約1年前から試作をしている。途中でしようが変わったり、製品の評価が担当者が変わるたびに変わったり、物性とか寸法にように数字での公差に入っていればOKというのが、当たり前の評価方法の世界で仕事をしてきた私にとっては、全く、納得いかない製品だった。何度も、匙を投げてしまおうかと思った。それも、出来ない私なので、かなりの私財を投入して、やっと、完成までこぎつけた製品でしたが、量産のために注文した届けられた原料が、試作の時に使って物と違っていた。ショックだった。
この時は、この年になって、仕事をしていなければ、こんなことにならないのに、巻き込まれることはないのにと思った。悩み多き青春である。あれやこれや考え込んでしまって、夜も眠れない、ゴルフも上の空でやっていた。
それでも、何とかなる、何とかするのが私と、自分に言っている。
マレーシア航空機、どうしたのでしょうか。空中で突然爆発でもしたのでしょうか。
ショック ストレス ヒラメキ
2014年03月01日
(^_-)-☆クドゥス
1870 ソト クドゥスのクドゥスだ。今回は食べなかった。疲れた。夕方7時にスマランに戻ってきて、WITHというホテルに落ち着いた。眠たかったが、見積もりなどの仕事があって横になれなかった。
今朝、夜中、2時ちょっとすぎに家から抜け出した。一時間弱で空港に着いてしてしまい、一時間ほど駐車場の車の中で仮眠をした。で5:40発でスマランに、07:00頃、到着。なにが目的だったのでしょうか。よくわからない。ある人物から、来てほしい、行ってほしいと言われて、私も、どんな話があるのか、いってからのお楽しみという気持ちでOKをした。取りあえず、私の経歴と実績を説明できる書き物とサンプルを持ってきた。どうも、私に、スマラン辺りで、押出しの仕事をやってもらえないかということらしい。
スマランからクドゥスまで約二時間、10時前に訪問先に入った。ここがもう一つの目的の会社で、PPパイプや硬質PVCのプロファイルの見積もり依頼を受けた。この会社は、大きい、従業員が5000人以上だそうで、金曜日だったので、昼時、一斉に、外のマスジッドに向かう。その人の流れは壮観だった。それはそれとして、この会社も中国から押出製品、部品の大部分を輸入している。そして、今日、依頼を受けた製品は、新しいデザインに使うもので、まだ、中国へ試作にいらいもしていないから、是非、私に、というわけらしい。今までのデザインの製品も継続して売り出すが、この、新しい製品のこの部品がOKなら、今までのものも私に頼むようになるということらしい。
昼食を外で取って、会社に戻って、また、別の人と、ミーティング、今まで出した別の製品の価格について、安くならないかという話だ。これは、ローカルの会社で作っているらしい。それなら、私は、邪魔したくないと、値下げの依頼はことわった。なぜ、私に頼むのかと聞くと、品質が良くないからだという。それなら、値段と品質の優先の問題でしょうと言っておいた。ただ、その人、話好きで仕事以外に、私に興味があるらしくて、個人的な生活の話、行動の裏付けなどについて、色々、話が弾んだ。早く終わりたかったが、長々と、3時過ぎまで、釘付けにされた。
そうなるに当たっては、これらの事はしばらくチカランで作ってもらうことになるが、折をみて、私がこのあたりに来て、新しく作る会社で技術指導をして貰って、この周辺で。押出成形部品を全てを、手に入れることができるようにしたい、などという事を、言われてしまった。
こういう話は嬉しいが、ちょっと待ってよ、というしかなかった。このあたりの人達の雰囲気は、ブカシ辺りの人種の雰囲気と、ちょっと違っていて、こちらの人の方が、当たりが、優しい。話をして人達全部が、印象が良かった。そんなこともあるので、直ぐというわけにはいかないが、なる程度の準備が整えば、この地に来て、しばらく、住み着いても、良いかな、と、ちょっと思っている。あれも在るよ、これも在るよ、その事では不自由しないよ、と、聞いてもいないのに、笑いながら、私に話す。押出し成型をこの地でやれば、スラバヤ方面からの仕事を引き受けやすくなるし、勿論、ジャボタベック方面もおなじような距離だから、今まで通り、仕事を引き受けられるよ、などともいう。ジャカルタ、スラバヤの中間点、中部ジャワの真ん中だということは、ロジスティック関係でも有利だという。
ある女性が一緒だった。何者でしょうか、この周辺、色々な会社を持っているらしい、出身はボロブドゥールの傍、マゲランだという。歳は?47才だという、見かけ60才くらいのおばあちゃん。その人も、私に、お金は出すから、スマランで工場を作りたいと思っている、ぜひ、私に手伝ってほしいという。工場の広さは?とか、設備費は最低、いくら?などと、質問する。ケースバイケースだが、適当に答えていたが、彼女の方は、大変乗り気で、ホテルの部屋まで付いてきて、設備の購入先はどうして調べれば良いかなどの質問が続けられた。
どうも、大金持ちの一族の一員の様な印象で、このあたりでは有名な人物で、泊まったホテルもどうも彼女と資金的に繋がっているような印象だった。ミステリアル!!
ホテルの6階の部屋の窓の外の風景。町一番賑やかなエリアだそうだ。ホテルも沢山ある。私のシングルのお値段は、250000Rp(約2200円)開業から6か月だそうで、まだ、壊れている様子はない。
謎 投資 勧誘
今朝、夜中、2時ちょっとすぎに家から抜け出した。一時間弱で空港に着いてしてしまい、一時間ほど駐車場の車の中で仮眠をした。で5:40発でスマランに、07:00頃、到着。なにが目的だったのでしょうか。よくわからない。ある人物から、来てほしい、行ってほしいと言われて、私も、どんな話があるのか、いってからのお楽しみという気持ちでOKをした。取りあえず、私の経歴と実績を説明できる書き物とサンプルを持ってきた。どうも、私に、スマラン辺りで、押出しの仕事をやってもらえないかということらしい。
スマランからクドゥスまで約二時間、10時前に訪問先に入った。ここがもう一つの目的の会社で、PPパイプや硬質PVCのプロファイルの見積もり依頼を受けた。この会社は、大きい、従業員が5000人以上だそうで、金曜日だったので、昼時、一斉に、外のマスジッドに向かう。その人の流れは壮観だった。それはそれとして、この会社も中国から押出製品、部品の大部分を輸入している。そして、今日、依頼を受けた製品は、新しいデザインに使うもので、まだ、中国へ試作にいらいもしていないから、是非、私に、というわけらしい。今までのデザインの製品も継続して売り出すが、この、新しい製品のこの部品がOKなら、今までのものも私に頼むようになるということらしい。
昼食を外で取って、会社に戻って、また、別の人と、ミーティング、今まで出した別の製品の価格について、安くならないかという話だ。これは、ローカルの会社で作っているらしい。それなら、私は、邪魔したくないと、値下げの依頼はことわった。なぜ、私に頼むのかと聞くと、品質が良くないからだという。それなら、値段と品質の優先の問題でしょうと言っておいた。ただ、その人、話好きで仕事以外に、私に興味があるらしくて、個人的な生活の話、行動の裏付けなどについて、色々、話が弾んだ。早く終わりたかったが、長々と、3時過ぎまで、釘付けにされた。
そうなるに当たっては、これらの事はしばらくチカランで作ってもらうことになるが、折をみて、私がこのあたりに来て、新しく作る会社で技術指導をして貰って、この周辺で。押出成形部品を全てを、手に入れることができるようにしたい、などという事を、言われてしまった。
こういう話は嬉しいが、ちょっと待ってよ、というしかなかった。このあたりの人達の雰囲気は、ブカシ辺りの人種の雰囲気と、ちょっと違っていて、こちらの人の方が、当たりが、優しい。話をして人達全部が、印象が良かった。そんなこともあるので、直ぐというわけにはいかないが、なる程度の準備が整えば、この地に来て、しばらく、住み着いても、良いかな、と、ちょっと思っている。あれも在るよ、これも在るよ、その事では不自由しないよ、と、聞いてもいないのに、笑いながら、私に話す。押出し成型をこの地でやれば、スラバヤ方面からの仕事を引き受けやすくなるし、勿論、ジャボタベック方面もおなじような距離だから、今まで通り、仕事を引き受けられるよ、などともいう。ジャカルタ、スラバヤの中間点、中部ジャワの真ん中だということは、ロジスティック関係でも有利だという。
ある女性が一緒だった。何者でしょうか、この周辺、色々な会社を持っているらしい、出身はボロブドゥールの傍、マゲランだという。歳は?47才だという、見かけ60才くらいのおばあちゃん。その人も、私に、お金は出すから、スマランで工場を作りたいと思っている、ぜひ、私に手伝ってほしいという。工場の広さは?とか、設備費は最低、いくら?などと、質問する。ケースバイケースだが、適当に答えていたが、彼女の方は、大変乗り気で、ホテルの部屋まで付いてきて、設備の購入先はどうして調べれば良いかなどの質問が続けられた。
どうも、大金持ちの一族の一員の様な印象で、このあたりでは有名な人物で、泊まったホテルもどうも彼女と資金的に繋がっているような印象だった。ミステリアル!!
ホテルの6階の部屋の窓の外の風景。町一番賑やかなエリアだそうだ。ホテルも沢山ある。私のシングルのお値段は、250000Rp(約2200円)開業から6か月だそうで、まだ、壊れている様子はない。
謎 投資 勧誘
2013年12月07日
(^_-)-☆検査は先読み
1786 パンガンダランにいる。バンドゥンで一仕事をして、そのまま、引き返すには、勿体ない、折角、バンドゥンまで来たのだから、土日を控えているし、方向はそのままに南西へ向かい、パンガンダランに着いてしまった。だから、今回は一人である。気を使わない。自由である。
バンドゥンのチマヒの工業地帯の壁、
押出製品を単独で使うことは無い、必ず。合わせる部品がある。その部品を必ず貰うことにしている。通り、泊りなどのゲージgauge、冶具を作って検査道具とし、検査表の検査道具として、ノギスやマジャーのほかにダイヤルゲージや冶具も使う。合わせの部品がマッチするかどうかもチェックしてOKだったという項目もある。
客先に品質管理部門が、受け入れ検査をし、OKになって始めて、お金になる。その、受け入れ部門も結局は私が指導して、その製品に合った検査の仕方にしてもらう。そして、再重要なことは、受け入れ検査でOKしたものを、何日か在庫しておいて、いざ使おうとした時に、使えないとは言わないようにしてくださいと、念には念を入れてお願いしておく。要するに、私たちから手が離れた製品は、私たちが管理できないからです。
製品を作ることもそうだが、検査をすることも、保管することも、客先を含めて、関わる人々全てに、私の考え方や手法を伝えなければならない。せっかく、まともな製品を作ってあげても、検査の仕方が間違っていて、不合格にされたり、保管の仕方が原因で傷が付いたり製品が変形してしまうことがあるからだ。
スパイラルチューブの径や長さ、6ナイロンなど水分を大量に吸収する樹脂の硬度や長さ、開きや曲がりの変化、そういうことの知識を全く持たない人たちが受け入れ検査をしようとするのですから、ちょっと、待って!!ということになる。
長さは、作った直後から、縮み始めて、経験的に、1週間後くらい過ぎれば、それ以上縮まなくなる。だから、カットも検査も作ってから一か月後ということになる。これは、常識。まだ、変化をする応力(ひずみ)が残っているからです。曲がりや開きなども変化をするが、いずれも、水分が関係しなければ、そう多くは無いので公差から外れるケースは少ない。
会社から家に帰る時には、必ず、ここ、チカランバラッのインターの前まで来てUターンします。そこに掛かるフライオーバー(高架橋)の橋脚に何か書いてあります。Dilarang corat-coret tempel poster stiker, DLL(ディララン チョラッチョレッ テンペル ポステル スティケル ダン ラインライン)落書き、ポスター、ステッカーその他を張ることを禁止。チョラッチョレッば落書きという意味だが、音的に合っているようで面白い。
朝、家から出る時の家の前の風景です。右隣が地面に野菜や加工食品を並べて朝市を開いているので賑やか、右隣の家の赤ちゃん(エリナちゃん)が離乳食をベビーシッターに食べさせて貰っている、プラスチックの風船売りも一週間に二回ほど、ここに坐っている。向かいに、オジェック(バイクタクシー)の待機所がって、なんとなく、無い朝、ざわついている。ほとんど、目が合う人に挨拶をしながら車を発進さる。エリナちゃんは、必ず、手を振ってくれる。
ライン 工程 チェック
バンドゥンのチマヒの工業地帯の壁、
押出製品を単独で使うことは無い、必ず。合わせる部品がある。その部品を必ず貰うことにしている。通り、泊りなどのゲージgauge、冶具を作って検査道具とし、検査表の検査道具として、ノギスやマジャーのほかにダイヤルゲージや冶具も使う。合わせの部品がマッチするかどうかもチェックしてOKだったという項目もある。
客先に品質管理部門が、受け入れ検査をし、OKになって始めて、お金になる。その、受け入れ部門も結局は私が指導して、その製品に合った検査の仕方にしてもらう。そして、再重要なことは、受け入れ検査でOKしたものを、何日か在庫しておいて、いざ使おうとした時に、使えないとは言わないようにしてくださいと、念には念を入れてお願いしておく。要するに、私たちから手が離れた製品は、私たちが管理できないからです。
製品を作ることもそうだが、検査をすることも、保管することも、客先を含めて、関わる人々全てに、私の考え方や手法を伝えなければならない。せっかく、まともな製品を作ってあげても、検査の仕方が間違っていて、不合格にされたり、保管の仕方が原因で傷が付いたり製品が変形してしまうことがあるからだ。
スパイラルチューブの径や長さ、6ナイロンなど水分を大量に吸収する樹脂の硬度や長さ、開きや曲がりの変化、そういうことの知識を全く持たない人たちが受け入れ検査をしようとするのですから、ちょっと、待って!!ということになる。
長さは、作った直後から、縮み始めて、経験的に、1週間後くらい過ぎれば、それ以上縮まなくなる。だから、カットも検査も作ってから一か月後ということになる。これは、常識。まだ、変化をする応力(ひずみ)が残っているからです。曲がりや開きなども変化をするが、いずれも、水分が関係しなければ、そう多くは無いので公差から外れるケースは少ない。
会社から家に帰る時には、必ず、ここ、チカランバラッのインターの前まで来てUターンします。そこに掛かるフライオーバー(高架橋)の橋脚に何か書いてあります。Dilarang corat-coret tempel poster stiker, DLL(ディララン チョラッチョレッ テンペル ポステル スティケル ダン ラインライン)落書き、ポスター、ステッカーその他を張ることを禁止。チョラッチョレッば落書きという意味だが、音的に合っているようで面白い。
朝、家から出る時の家の前の風景です。右隣が地面に野菜や加工食品を並べて朝市を開いているので賑やか、右隣の家の赤ちゃん(エリナちゃん)が離乳食をベビーシッターに食べさせて貰っている、プラスチックの風船売りも一週間に二回ほど、ここに坐っている。向かいに、オジェック(バイクタクシー)の待機所がって、なんとなく、無い朝、ざわついている。ほとんど、目が合う人に挨拶をしながら車を発進さる。エリナちゃんは、必ず、手を振ってくれる。
ライン 工程 チェック
2013年12月06日
(^_-)-☆製品チェック
1785 今日も関係者から電話が入るたびに涙声になってしまった。元PT.KITAGAWAの社員連中から、太田さんは長生きしてよと、妙な励ましを受けてしまった。
私が老眼で細かい筋や異物が見えないとでも思っているのでしょうか、近いものがはっきり見えないことは十分承知、だから、製品をチェックする時には、はっきり、大きく見えるように、虫めがねの様なレンズが入っている特注メガネを使っている。インドネシア人の視力は日本人より遥かに上だ。彼らは、細かい欠点をよく見つけて、「これはいいのか」と聞いてくる。その時に、私には見えないのでは、浜氏にならないからである。乱視でも色盲でもないことも検査済みだ。とにかく、寸法公差は0.05mm以下の世界だ。ノギスを使わなくても、見れば、その違いは分かる。使う人に依って、ちょっとの押さえ方、摘まみ方で、そのくらいの誤差はでてしまうノギスなど道具を使うより、見た目の方が正確だ。それを50年近くやっているのだから、自信はある。
今までいた全ての会社(例外が一社あった)で、私が作業標準(ワーキング スタンダード)検査作業標準(インスペクション スタンダード)を作った。必要書類や検査表(チェックシート)、行程表(フローチャート)も全部作った。昔は日本科学技術連盟(日科技連)という組織が日本の品質管理をリードしていた。そこからのTQCなどを取り入れて品質管理をしていたが、何年か前からISOが新興宗教のように普及し始め、それらも吸収して、押出し製品独自の管理方法自分なりに作った。
図面上の寸法の何か所か、チェック個所を決め、公差を決める。長さや曲がり、反り、捻じれ、両端の状態(斜めやバリなど)
ただし、とことん追求して、最初から100%良いと思う製品までは作らない、公差にも入っているが、中心ではないとか、表面の艶なども、ちょっと、満足しないとか、曲がりもちょっとあるなど、の製品をサンプルとして出す場合の方が多い。あまりにも完璧な製品を出してしまうと、限度見本を作る時の参考製品になってしまうことを避けるためだ。公差も必要以上に狭くされてしまうことを避けるためだ。やはり、基本は、「そんなに厳しいことを言わないでよ。使えれば、いいじゃない?」と言いたいからだ。
実際には、試作品の検査を厳しくされて、OKを出すまで、何回も試作を繰り返す可能性はあるが、本生産になった時に、出来るだけ受け入れ検査を通過し安くするためだ。
帰る途中、毎日夕方にはこんな空になる、一天にわかにかき曇り、18時前でも、夜のような暗さになる。そして、大粒の雨がバチバチと車を叩き始める、バイクは軒先や木の下に入って雨宿りをするか、コートを着る。
いい加減 厳しい 妥協
私が老眼で細かい筋や異物が見えないとでも思っているのでしょうか、近いものがはっきり見えないことは十分承知、だから、製品をチェックする時には、はっきり、大きく見えるように、虫めがねの様なレンズが入っている特注メガネを使っている。インドネシア人の視力は日本人より遥かに上だ。彼らは、細かい欠点をよく見つけて、「これはいいのか」と聞いてくる。その時に、私には見えないのでは、浜氏にならないからである。乱視でも色盲でもないことも検査済みだ。とにかく、寸法公差は0.05mm以下の世界だ。ノギスを使わなくても、見れば、その違いは分かる。使う人に依って、ちょっとの押さえ方、摘まみ方で、そのくらいの誤差はでてしまうノギスなど道具を使うより、見た目の方が正確だ。それを50年近くやっているのだから、自信はある。
今までいた全ての会社(例外が一社あった)で、私が作業標準(ワーキング スタンダード)検査作業標準(インスペクション スタンダード)を作った。必要書類や検査表(チェックシート)、行程表(フローチャート)も全部作った。昔は日本科学技術連盟(日科技連)という組織が日本の品質管理をリードしていた。そこからのTQCなどを取り入れて品質管理をしていたが、何年か前からISOが新興宗教のように普及し始め、それらも吸収して、押出し製品独自の管理方法自分なりに作った。
図面上の寸法の何か所か、チェック個所を決め、公差を決める。長さや曲がり、反り、捻じれ、両端の状態(斜めやバリなど)
ただし、とことん追求して、最初から100%良いと思う製品までは作らない、公差にも入っているが、中心ではないとか、表面の艶なども、ちょっと、満足しないとか、曲がりもちょっとあるなど、の製品をサンプルとして出す場合の方が多い。あまりにも完璧な製品を出してしまうと、限度見本を作る時の参考製品になってしまうことを避けるためだ。公差も必要以上に狭くされてしまうことを避けるためだ。やはり、基本は、「そんなに厳しいことを言わないでよ。使えれば、いいじゃない?」と言いたいからだ。
実際には、試作品の検査を厳しくされて、OKを出すまで、何回も試作を繰り返す可能性はあるが、本生産になった時に、出来るだけ受け入れ検査を通過し安くするためだ。
帰る途中、毎日夕方にはこんな空になる、一天にわかにかき曇り、18時前でも、夜のような暗さになる。そして、大粒の雨がバチバチと車を叩き始める、バイクは軒先や木の下に入って雨宿りをするか、コートを着る。
いい加減 厳しい 妥協
2013年10月17日
(^_-)-☆現状復帰
1735 妻の 誕生日 ちょっとの間、同じ年だ。電話で様子を聞いた。ま、変わりなし、普段通りだそうだ。妻の姉が来ているそうで、彼女はもう76歳くらいでしょうか、声は元気。気楽に過ごしてくれたらいいと思う。
迷いは無くならないまま、現実の仕事に戻ったが、やはり、結果待ちが多く、忙しくは無い。それでも、サンプルを二社に渡した。EJIPとKIICの会社である。今度こそ、日本からのOKがえられることを願う。というより、もう、充分じゃないのと言う気持ちになっている。
また新しい金型の注文をしたが、注文済の金型が明日出来あがってくる、明日のトライがうまく行けば、来週、早々にも、サンプルを提出する。これまた、インドネシアではあり得ない難しい製品です。私も今までの仕事の中では、似たようなものも作ったことが無い。金型には今までにない、工夫を凝らしたものにしてみた。そんな金型を今まで作ってみたことが無いという代物だ。うまく行けば良いなと思う。きっとうまく行くと思う。暑さが違う部分が繋がっていてその長さと暑さのコントーロール(調整)をしやすくなるだろう、と、目論んだ金型である。
チャガールアラムで見つけた、何という花か知らないが、真っ白で綺麗、始めてみる花だ。見上げると4〜5mの高さに、何かの実のようなものが垂れていてその一つ一つにこの花が付いているようだ。ほとんど落ちてしまったのか、いくつも残っていなかった。高いし、逆光なので。良く見えず、綺麗には見えなかった。これはブンガ バンカイの一種などではありません。
難しい 新手法 経験
迷いは無くならないまま、現実の仕事に戻ったが、やはり、結果待ちが多く、忙しくは無い。それでも、サンプルを二社に渡した。EJIPとKIICの会社である。今度こそ、日本からのOKがえられることを願う。というより、もう、充分じゃないのと言う気持ちになっている。
また新しい金型の注文をしたが、注文済の金型が明日出来あがってくる、明日のトライがうまく行けば、来週、早々にも、サンプルを提出する。これまた、インドネシアではあり得ない難しい製品です。私も今までの仕事の中では、似たようなものも作ったことが無い。金型には今までにない、工夫を凝らしたものにしてみた。そんな金型を今まで作ってみたことが無いという代物だ。うまく行けば良いなと思う。きっとうまく行くと思う。暑さが違う部分が繋がっていてその長さと暑さのコントーロール(調整)をしやすくなるだろう、と、目論んだ金型である。
チャガールアラムで見つけた、何という花か知らないが、真っ白で綺麗、始めてみる花だ。見上げると4〜5mの高さに、何かの実のようなものが垂れていてその一つ一つにこの花が付いているようだ。ほとんど落ちてしまったのか、いくつも残っていなかった。高いし、逆光なので。良く見えず、綺麗には見えなかった。これはブンガ バンカイの一種などではありません。
難しい 新手法 経験
2013年09月15日
(^_-)-☆嘆かわしい
1703 最近特に感じることだが、日本から新規進出企業が、グ〜〜ンと増えている今、日本人の能力、質が落ちてきている。はっきり、感じる。技術者に関しては、在任期間中、最大でも現状維持で良いと、最初から思っている。技術やノウハウは日本から持ってきたものを使う。それを、守ればいいと思っている。それ以上をしようとはしない、周り(インドネシア人)の人が、別の方法を提案しても、また、実際に違った方法でやってしまっても、彼ら日本人にとっては、やってはならないことになるらしい、改善や改良や開発を、しなくていい、あるいは、してはならないと思っている。
ましてや、輸入して使っているものをインドネシア国内で調達ということに替えるなどは、幾ら安くても。そういう人は拒否反応を示す。なお、ましてや、インドネシア国内のサプライヤー(下請け会社)を育てて、国内調達に変えようなどということは、とんでもない話らしい。製品をできる会社を部下が見つけてきても、在庫管理が悪いとか、検査システムができていないとか、同じ使い方をする会社に納品した実績が無いとかの理由で、門前払いを食わせる。
折角、日本での仕事が無くなって、インドネシアへ出てきても、その優位性を活用としないのです。活用することは、リスクが大きすぎると思うのです。何もしない方が良い、現状維持が最善だと思うのです。とにかく、任期中、何事もないようにしたいのです。
その点、中国系の企業、特に日系企業を買収したり、資本参加したりした会社は、改善、安いものを捜す、できるだけ近いところは部品を調達しようとする。中国企業にいる日本人もあ多いが。彼らも、積極的に改善をしようとする、失敗を恐れない。そういう体質なのです。問題が起きる可能性もあるが、それは、できるだけ、少なくするよう手を打ちつつである。中国企業は中国からの輸入にこだわっていないが、日系企業が中国から輸入しているものを近くからの調達に変えようとしない。だから、それは、日本企業が駄目な理由一つなのです。日記い企業の日本人は、団塊の世代からその後の人に主力が変わってきているし、日本本社も主力が団塊の世代二世になってきている。だから、本社もインドネシア工場の変化を望まない、インドネシアで何か新しい動きをしようとしても認めない傾向がはっきりしている。そういう傾向を日本の施政者は感じていない。
ゴルフをプレー中に製品の注文の電話が入った。緊急を要するらしいから、土曜日にそういう電話をよこしたのです。月曜日の9時に来てほしいと、納期は一か月だとか、どんな製品化、分からないが、何となく、あれかなというのは分かる。全て、月曜日である。
7番ホールグリーンから1番ティーグラウンドと、8番グリーン。8番グリーンから7番グリーン。
無難 リスク回避 冒険
ましてや、輸入して使っているものをインドネシア国内で調達ということに替えるなどは、幾ら安くても。そういう人は拒否反応を示す。なお、ましてや、インドネシア国内のサプライヤー(下請け会社)を育てて、国内調達に変えようなどということは、とんでもない話らしい。製品をできる会社を部下が見つけてきても、在庫管理が悪いとか、検査システムができていないとか、同じ使い方をする会社に納品した実績が無いとかの理由で、門前払いを食わせる。
折角、日本での仕事が無くなって、インドネシアへ出てきても、その優位性を活用としないのです。活用することは、リスクが大きすぎると思うのです。何もしない方が良い、現状維持が最善だと思うのです。とにかく、任期中、何事もないようにしたいのです。
その点、中国系の企業、特に日系企業を買収したり、資本参加したりした会社は、改善、安いものを捜す、できるだけ近いところは部品を調達しようとする。中国企業にいる日本人もあ多いが。彼らも、積極的に改善をしようとする、失敗を恐れない。そういう体質なのです。問題が起きる可能性もあるが、それは、できるだけ、少なくするよう手を打ちつつである。中国企業は中国からの輸入にこだわっていないが、日系企業が中国から輸入しているものを近くからの調達に変えようとしない。だから、それは、日本企業が駄目な理由一つなのです。日記い企業の日本人は、団塊の世代からその後の人に主力が変わってきているし、日本本社も主力が団塊の世代二世になってきている。だから、本社もインドネシア工場の変化を望まない、インドネシアで何か新しい動きをしようとしても認めない傾向がはっきりしている。そういう傾向を日本の施政者は感じていない。
ゴルフをプレー中に製品の注文の電話が入った。緊急を要するらしいから、土曜日にそういう電話をよこしたのです。月曜日の9時に来てほしいと、納期は一か月だとか、どんな製品化、分からないが、何となく、あれかなというのは分かる。全て、月曜日である。
7番ホールグリーンから1番ティーグラウンドと、8番グリーン。8番グリーンから7番グリーン。
無難 リスク回避 冒険
2013年09月14日
(^_-)-☆貢献可能
1702 客先になる可能性がある会社のスタッフが訪問してきた。会社の環境チェックが主な目的でした。私がやっている仕事で、現在、何とかインドネシアで日系企業の応援になればいいと思って、開発した製品を提供できれば、私の希望がかなえられるという筋書きになる予定だ。とにかく、インドネシアでは無い技術を使って作る製品だし、今後も、この製品を作ることができる会社は、現れそうもないので、是非、この機会を生かしたいと思っている。この仕事をやるためには、他の仕事はどうでもいいと思っているくらいだ。
日本人二人とインドンシア人3人である。インドネシア人は、以前から、交渉を持っていて、かなり親しくなっている。日本人は始めてある。しかし、インドネシア人から、多くの話は聞いているようで、あまり、私自身のことや、やっていることについて説明をする必要は無かった。最初から、親しげに話はできて、私が受ける印象は非常によかった。今、私が作ろうとしている製品に興味を持ってもらったし、他の製品についても、私にやってもらいたいといっていた。結果上々であった、来週、早い内にその客先を訪問すると約束をした。
二日続きでN社へ行った。昨日は仕事の話、今日は、インドネシアへ進出したばかりの静岡の会社の人を紹介するためだった。とにかく、フリーパスである。セキュリティーに、よ!!、といって、車を止めることなく、駐車場へいきなり行ってしまう。そこらあたりにそこの会社の人間が居れば、だれもが、アパカバール、と言いながら、手を差し出してくる。二階の事務所へも、すれ違う人たちと挨拶をしながら、上がってゆく、事務所の入り口に入ると、大声で、こんにちは、と言えば、全員がこちらを向く、面白い存在だと、我ながら思う。ヤント君と今日は一緒だった。
MMのN社の第二工場、私が一番最初に手伝った元K社だ。この中で5年間、押出しの仕事の準備から、追い出されるまでいた。そして、身売りの紹介、仲介も私がした。
以前 現在 有望
日本人二人とインドンシア人3人である。インドネシア人は、以前から、交渉を持っていて、かなり親しくなっている。日本人は始めてある。しかし、インドネシア人から、多くの話は聞いているようで、あまり、私自身のことや、やっていることについて説明をする必要は無かった。最初から、親しげに話はできて、私が受ける印象は非常によかった。今、私が作ろうとしている製品に興味を持ってもらったし、他の製品についても、私にやってもらいたいといっていた。結果上々であった、来週、早い内にその客先を訪問すると約束をした。
二日続きでN社へ行った。昨日は仕事の話、今日は、インドネシアへ進出したばかりの静岡の会社の人を紹介するためだった。とにかく、フリーパスである。セキュリティーに、よ!!、といって、車を止めることなく、駐車場へいきなり行ってしまう。そこらあたりにそこの会社の人間が居れば、だれもが、アパカバール、と言いながら、手を差し出してくる。二階の事務所へも、すれ違う人たちと挨拶をしながら、上がってゆく、事務所の入り口に入ると、大声で、こんにちは、と言えば、全員がこちらを向く、面白い存在だと、我ながら思う。ヤント君と今日は一緒だった。
MMのN社の第二工場、私が一番最初に手伝った元K社だ。この中で5年間、押出しの仕事の準備から、追い出されるまでいた。そして、身売りの紹介、仲介も私がした。
以前 現在 有望
2013年07月03日
(^_-)-☆独自商品
1629 現実に戻って、先ず、進行中の製品の形をどうするのか、客先と打ち合わせた。天下の何とかという会社の精鋭たちの集団にしては、いい加減なところが多く、私の方から、様々な質問や提案を持ちかけなければ、問題点すら指摘できないようす。すったもんだの末、いくつかの部品は、形と購入先を決めたようだ、そのうちの一部品を私がまかせられるようになるが、その他の部品との整合性を念頭に置き、私が、その形状を決めることになった。
何とか、インドネシアでこの商品が浸透するよう願いながら、この話にはとことん付き合うことにした。
今まで、中国のどこからか知らないが、一つの商品として輸入して、それを、そのまま使おう、また、インジェクションのキャップ兼接続部分も当然、輸入品がモデルになっていた。何だか、変な話、昔、私が若いころは、多くの人々がアメリカで作られていて、日本でも売れそうな製品を持ち帰って、これと同じものを作ろうとした。そして、そのお手伝いを、私もした。
ところが、今、なんと、インドネシアの日系企業は中国から売れそうなものを持ってきて、インドネシアでこれと同じものを作ろうとしている。私が見るといかにも雑に作られたもので、色々な個所でばらつきが大きく、日系企業の受け入れ検査では半分くらいしか、OKにならないような状態、もし、日本国内での取引なら、全品NGになるだろう代物だ。それを、真似しようというのだから、何をかいわんやである。勿論、日本でも、同じものは作られているし、品質も良いに決まっているが、価格の点で中国からになってしまう。
中国からの輸入品はデザインや状態が気に入らない、それは、この会社のスタッフも同じ意見、改良しましょうと言っていた。それなら、全く違った、独自のデザインにしましょうよ、もともと、射出などの部分はインドネシアでできることが分かっていた。そして、PCカバーは私が手伝えるのだから、独自のデザインをして、自分のブランドで売り出せばいい、コピーを作ろうなんてとんでもない話だ。
結局、今日再度の打ち合わせで、全ての部品を独自のデザインにすることに決定した。一週間後に、新しいデザインの商品の部品図ができることになった。ということで、今まで、いくつかのモデルの試作したが、新しい形状の押出部品を作ることになる。インドネシア初の製品の開発に協力することが続く。
バリで出会ったトカゲ。
メダンとバンダアチェの間の山岳部を震源とする地震がありましたね。M6.2の直下型でした。一人の犠牲者
模倣 開発 デザイン
先日のバリ、ニルワナの様子です。
http://otaenplaext.net/newpage46.html
http://otaenplaext.net/newpage47.html
何とか、インドネシアでこの商品が浸透するよう願いながら、この話にはとことん付き合うことにした。
今まで、中国のどこからか知らないが、一つの商品として輸入して、それを、そのまま使おう、また、インジェクションのキャップ兼接続部分も当然、輸入品がモデルになっていた。何だか、変な話、昔、私が若いころは、多くの人々がアメリカで作られていて、日本でも売れそうな製品を持ち帰って、これと同じものを作ろうとした。そして、そのお手伝いを、私もした。
ところが、今、なんと、インドネシアの日系企業は中国から売れそうなものを持ってきて、インドネシアでこれと同じものを作ろうとしている。私が見るといかにも雑に作られたもので、色々な個所でばらつきが大きく、日系企業の受け入れ検査では半分くらいしか、OKにならないような状態、もし、日本国内での取引なら、全品NGになるだろう代物だ。それを、真似しようというのだから、何をかいわんやである。勿論、日本でも、同じものは作られているし、品質も良いに決まっているが、価格の点で中国からになってしまう。
中国からの輸入品はデザインや状態が気に入らない、それは、この会社のスタッフも同じ意見、改良しましょうと言っていた。それなら、全く違った、独自のデザインにしましょうよ、もともと、射出などの部分はインドネシアでできることが分かっていた。そして、PCカバーは私が手伝えるのだから、独自のデザインをして、自分のブランドで売り出せばいい、コピーを作ろうなんてとんでもない話だ。
結局、今日再度の打ち合わせで、全ての部品を独自のデザインにすることに決定した。一週間後に、新しいデザインの商品の部品図ができることになった。ということで、今まで、いくつかのモデルの試作したが、新しい形状の押出部品を作ることになる。インドネシア初の製品の開発に協力することが続く。
バリで出会ったトカゲ。
メダンとバンダアチェの間の山岳部を震源とする地震がありましたね。M6.2の直下型でした。一人の犠牲者
模倣 開発 デザイン
先日のバリ、ニルワナの様子です。
http://otaenplaext.net/newpage46.html
http://otaenplaext.net/newpage47.html
2013年06月04日
(^_-)-☆ASKA
1600 新しい金型が出来てきた。この金型に大きく期待する。今までの金型とは、ちょっと違うぞ、という金型だ、新しいひらめきが、三か所になり、それらが、期待通りの効果を発揮するかどうかが、問題だ。逆に、これでうまくできないと、慌ててしまうことになる。一寸した運命の金型だ。日本で作ったこといがある製品だが、金型代に50万円以上投資した。今回は、10万円ほどで、日本で作った製品と同じものを作ろうとしている。運命の一週間になる。アラーでもお釈迦様でもキリストでも、何でもいいから、成功の後押しを祈りたいが、まったくの無信心なので、今さら祈っても、無視されるので祈らない。
ASKA,テレビ番組ではありません。私が場所をお借りしているASKAという会社の宣伝をします。私が全く苦手とする仕事です。何が何だかよくわからないが、機械なら何でも、や電気関係のメンテナンスが主な仕事で、それらの販売もするし、輸入もする。中古機械を輸入して使えるようにメンテをしてから、客先に収める。勿論、セッティングもするし、調整もするし、初期設定もする。
変わったところでは、色々な店の内装や準備もする。日本食レストランやラーメン屋などのレイアウトや厨房の設定などなどです。
私は別の会社にいた時にはASKAさんに、何回か電気関係の配線や冷却水の供給設備などをお願いしたことがあった御縁で、お世話になることなった。今までなら、アスカさんに頼むことが、社内で出来るわけで、日本から私の設備を持ちこむのも、それらの設置や配線、配管などなど、社内のみなさんが時間を作ってやってくれたので、大いに助かった。
とにかく、なんでも屋です。社歴は12年過ぎたかな?客先の業種にこだわることはない、どんな会社でも、どんな規模でも、取りあえず、話を聞いて、見積もりを出すようです。私にしてみると、不思議な仕事で、物を作るのではないので、生産計画や予定はないわけで、行き当たりばったりに、来た仕事をするだけなので、期間や場所、人数などばらばら、仕事が多ければ、人も増やさなければならないし、少なければ、調整をしなければならない、内部でやっている仕事は、設置のための準備だが、分解掃除や調整、さび取りや防錆処置など、バラバラ、良く手配が出来るなと感心する。朝のミーティング後、それぞれの場所へ散ってゆく、時には、早朝出発してしまう場合もあるし、休日、先方が休んでいるときに工事というのも普通にある。プロジェクト毎に人数が違うし、そのプロジェクトが終了すれば、また、次の仕事の為に編成をし直す、始まるのも終わるのもバラバラ、何がんだかよくわからない。どうなっているの、という感じ。
押出しバカの私にはこんな仕事はできない、幅広い知識を持っていなければならないことは勿論だが、手配師のような手腕も無ければならない。会社にとっては、一つ一つが、多くの中の一つにすぎないかもしれないが、客先にとっては、唯一の重要アイテムだから、おろそかにできない。
再び、陥没した道の今の状態だが、二車線とも閉じられているので、反対車線を片方ずつ使っている。ところが、その使っている側は、二週間ほど前に修理を完了したばかりだが、陥没が出来始めている。バイクが端に寄って、陥没を避けているのが分かる。今週中に、今、直している場所と同じような酷い陥没状態になってしまうでしょう。
久しぶりに孫と話をした。
期待 確信 新手
ASKA,テレビ番組ではありません。私が場所をお借りしているASKAという会社の宣伝をします。私が全く苦手とする仕事です。何が何だかよくわからないが、機械なら何でも、や電気関係のメンテナンスが主な仕事で、それらの販売もするし、輸入もする。中古機械を輸入して使えるようにメンテをしてから、客先に収める。勿論、セッティングもするし、調整もするし、初期設定もする。
変わったところでは、色々な店の内装や準備もする。日本食レストランやラーメン屋などのレイアウトや厨房の設定などなどです。
私は別の会社にいた時にはASKAさんに、何回か電気関係の配線や冷却水の供給設備などをお願いしたことがあった御縁で、お世話になることなった。今までなら、アスカさんに頼むことが、社内で出来るわけで、日本から私の設備を持ちこむのも、それらの設置や配線、配管などなど、社内のみなさんが時間を作ってやってくれたので、大いに助かった。
とにかく、なんでも屋です。社歴は12年過ぎたかな?客先の業種にこだわることはない、どんな会社でも、どんな規模でも、取りあえず、話を聞いて、見積もりを出すようです。私にしてみると、不思議な仕事で、物を作るのではないので、生産計画や予定はないわけで、行き当たりばったりに、来た仕事をするだけなので、期間や場所、人数などばらばら、仕事が多ければ、人も増やさなければならないし、少なければ、調整をしなければならない、内部でやっている仕事は、設置のための準備だが、分解掃除や調整、さび取りや防錆処置など、バラバラ、良く手配が出来るなと感心する。朝のミーティング後、それぞれの場所へ散ってゆく、時には、早朝出発してしまう場合もあるし、休日、先方が休んでいるときに工事というのも普通にある。プロジェクト毎に人数が違うし、そのプロジェクトが終了すれば、また、次の仕事の為に編成をし直す、始まるのも終わるのもバラバラ、何がんだかよくわからない。どうなっているの、という感じ。
押出しバカの私にはこんな仕事はできない、幅広い知識を持っていなければならないことは勿論だが、手配師のような手腕も無ければならない。会社にとっては、一つ一つが、多くの中の一つにすぎないかもしれないが、客先にとっては、唯一の重要アイテムだから、おろそかにできない。
再び、陥没した道の今の状態だが、二車線とも閉じられているので、反対車線を片方ずつ使っている。ところが、その使っている側は、二週間ほど前に修理を完了したばかりだが、陥没が出来始めている。バイクが端に寄って、陥没を避けているのが分かる。今週中に、今、直している場所と同じような酷い陥没状態になってしまうでしょう。
久しぶりに孫と話をした。
期待 確信 新手
2013年05月23日
(^_-)-☆相談しない
1588 分業的に頼むが、相談することはない。色々な悩みがある、仕事上の事がほとんどだ。仕事上で一番の悩みは、ほしいものが思うように入らないことだ。納期がはっきりしないことだ。それは、相手が日系であろうと、インドネシア系であろうと、同じこと、こと、押出成型に関しては、持っている知識は、どちらのマーケティングも、ほとんどない。ましてや、エンプラの知識など皆無に近い。
金型については、辛抱強く教えてやれば、次第に進歩はする、一年後くらいには、満足できるが、原料に関しては、本当に思うように行かない。見積もり依頼をしても、返事がなかなか来ない。扱ったことがないので、メーカーから聞かれたことに答えられない、それを、早く、私に聞いてくれればいいのだが、どういうわけか、何を聞いたらいいのかわからないらしくて、そのまま、放置してしまう。こちらから催促すると、見積もりをもらえない理由を言う。それに答えて、また待つ、それでも、見積もりが出てこない、また、催促する、新たな問題を言ってくる、その繰り返しで、どうにもならなくなる。他の商社、トレーダーに頼みたくなる。そうすると、メーカーからは、既に、他社からその話は来ているので、対応できないと言われるらしい。一体どうすればいいの、ということになる。
試作原料サンプルをお願いする。色見本を渡し、これと同じ色の原料を作ってほしいと依頼する。納期を知らせて下さいとお願いする。合わせて見積もりも頼む、しかし、一向に返事が来ない。いつできるのか、分からないという。たまたま、機械が空いていれば、作るが、注文品を生産している状態が続けば、試作品は作れないという。何社に当たってもその通り、似たりよったりである。私の試作品の納期について客先に返事ができない。
こういうことを、誰にも相談ができない。相談しても仕方が無いこと、自分で何とか、解決しなければならないが、すっきりすることは不可能。特殊な樹脂なので、扱いたくない、気持ちが伝わってくることもある。勘弁してよ!断りたい!と言いたい気持ちもわかる。色合わせなどは、ナチュラルを手に入れて、ピグメントを自分で処方するしかない。
技術的問題こそ、誰にも相談はできない、相談する気になったこともない。何十年も前から、他でできないことをやってきたのだから、当然、私も作ったことが無い。それでも、引き受けて、自分一人でやってきた。ずっと昔、アメリカやドイツの文献にも目を通したことがあるが、まったく参考にならない、逆に、こういう方法では、だめだと、確認するにすぎなかった。だから、何十年も前から、本や雑誌を見ていない。日本にいる時に晴海や幕張のプラスチック見本市へ行ったことがあるが、これも、私にとっては意味が無かったので、もう何十年も行っていない。
仕事に関しては、本当に孤独である、一人で解決するしかない。色々考えること、それがまた、心地いい。
ハーグ条約の参議院通過に依って、年内にも、条約加盟国になることが、決定的になったようですね。私が心配するのは、ハーグ条約に加盟したのだから、子供連れて逃げても無駄だぞ、という意識が裏付けになって、国際結婚後住んでいる国の夫や妻の態度が、外国から来ている妻や夫に対して変化をするのではないかということです。今まで、押さえていたことを、押さえなくなるのではないか、気を使っていたことを、気を使わなくなるのではないか、少々のDVならしてもかまわないと、つらく当たる様になるのではないか、そのくらいのことをしても、子供は自分のものだと考えるのではないか。そういうことです。私はこのことが心配。
中途半端な幅の橋がここにもあった。車がすれ違えない幅の橋を何故作るのでしょうか、インドネシアには実に多い、舗装の幅も、どちらかが舗装から方輪を落とさなければ、すれ違えないところが多い。
独自 孤独 相談
金型については、辛抱強く教えてやれば、次第に進歩はする、一年後くらいには、満足できるが、原料に関しては、本当に思うように行かない。見積もり依頼をしても、返事がなかなか来ない。扱ったことがないので、メーカーから聞かれたことに答えられない、それを、早く、私に聞いてくれればいいのだが、どういうわけか、何を聞いたらいいのかわからないらしくて、そのまま、放置してしまう。こちらから催促すると、見積もりをもらえない理由を言う。それに答えて、また待つ、それでも、見積もりが出てこない、また、催促する、新たな問題を言ってくる、その繰り返しで、どうにもならなくなる。他の商社、トレーダーに頼みたくなる。そうすると、メーカーからは、既に、他社からその話は来ているので、対応できないと言われるらしい。一体どうすればいいの、ということになる。
試作原料サンプルをお願いする。色見本を渡し、これと同じ色の原料を作ってほしいと依頼する。納期を知らせて下さいとお願いする。合わせて見積もりも頼む、しかし、一向に返事が来ない。いつできるのか、分からないという。たまたま、機械が空いていれば、作るが、注文品を生産している状態が続けば、試作品は作れないという。何社に当たってもその通り、似たりよったりである。私の試作品の納期について客先に返事ができない。
こういうことを、誰にも相談ができない。相談しても仕方が無いこと、自分で何とか、解決しなければならないが、すっきりすることは不可能。特殊な樹脂なので、扱いたくない、気持ちが伝わってくることもある。勘弁してよ!断りたい!と言いたい気持ちもわかる。色合わせなどは、ナチュラルを手に入れて、ピグメントを自分で処方するしかない。
技術的問題こそ、誰にも相談はできない、相談する気になったこともない。何十年も前から、他でできないことをやってきたのだから、当然、私も作ったことが無い。それでも、引き受けて、自分一人でやってきた。ずっと昔、アメリカやドイツの文献にも目を通したことがあるが、まったく参考にならない、逆に、こういう方法では、だめだと、確認するにすぎなかった。だから、何十年も前から、本や雑誌を見ていない。日本にいる時に晴海や幕張のプラスチック見本市へ行ったことがあるが、これも、私にとっては意味が無かったので、もう何十年も行っていない。
仕事に関しては、本当に孤独である、一人で解決するしかない。色々考えること、それがまた、心地いい。
ハーグ条約の参議院通過に依って、年内にも、条約加盟国になることが、決定的になったようですね。私が心配するのは、ハーグ条約に加盟したのだから、子供連れて逃げても無駄だぞ、という意識が裏付けになって、国際結婚後住んでいる国の夫や妻の態度が、外国から来ている妻や夫に対して変化をするのではないかということです。今まで、押さえていたことを、押さえなくなるのではないか、気を使っていたことを、気を使わなくなるのではないか、少々のDVならしてもかまわないと、つらく当たる様になるのではないか、そのくらいのことをしても、子供は自分のものだと考えるのではないか。そういうことです。私はこのことが心配。
中途半端な幅の橋がここにもあった。車がすれ違えない幅の橋を何故作るのでしょうか、インドネシアには実に多い、舗装の幅も、どちらかが舗装から方輪を落とさなければ、すれ違えないところが多い。
独自 孤独 相談
2013年05月15日
(^_-)-☆ぼちぼち
1580 ぼちぼち、話が纏まってきている。現在まで見積もりを提出したうちの二社からPOが入った。これで、客先は三社になった。量的、金額的には、少ないが、とにかく、誠心誠意、対応してゆくつもりだ。歳でボケてきたんじゃないの、と言われないように。
昨日も、ある会社から呼ばれて行ってきた。製品は明らかにできないが、聞くところによると、数年前とは、製造品の種類が替ってきて、以前、全売り上げの50%以上だった製品が、今は20%くらいになっている。他の製品が増えたこともあるが、減った製品は中国や台湾企業の進出によって、価格で対抗できなくなっているから、政策として減らさざるを得ないという。彼らがまだできない製品を増やすしかないという。要するに今までやっていたものに固執していたら、ジリ貧になってしまうから、新しい物の生産に変えていかなければならない、それができなければ、生き残れない、ということでしょう。
日本ではとっくに厳しい、インドネシアの安い人件費?を使っても厳しくなっているのです。これからの若い担当者は、大変だなと思う。
その増産する製品に使う押出し品の現地調達を考えているが、今、押出し品を調達している地元会社ではそれを作ることができない。また、日系企業にも三社当たったができないと言われた。そのうちの一社から私の名前が出たとか。それで、私が呼ばれたのでした。
お会いして、今までの経歴を話し、最近、インドネシアで作った製品を見せた。なんとなく、反応が今一だったが、ローカルスタッフに私を紹介しておくということだった。
それが、今朝、その会社のローカルスタッフが電話をしてきて、今から直ぐに会いに行きたいが都合はどうかと言ってきた。何だか、急ぐ話の気配がしたので、予定があったが遅らせて待つことにした。時間通り、やってきた。サンプルを持ってきた。昨日、日本人が言っていた、インドネシアでは作るところが無いという製品だ。持ってきたのは中国製だとか、ぜひ、身近から調達したいので、やってほしい、昨日、持って行ったサンプルの中に似たような製品があった。
それがまた、超急ぐ話で、売り出しのスケジュールが決まっていて、それに従って、中国からの輸入のスケジュールを決めてある、その注文を出す前に、太田さんにサンプルを作ってしまってほしい、そうすれば、中国に注文しないで済む、という話。一か月半後には、マスプロに入りたいという。無茶苦茶な話である。しかし、彼らの熱意は伝わってくる、何とかしてやりたい。その日程で、何とかしてやることにした。今まで、結構、悠長にやってきたが、他の仕事を含めて、少し、スピードアップをしなければならなくなってしまった。パンガンダランで遊んできた余韻が消し飛んでしまった。
今日でぼちぼちは終わりである。もう営業はしばらく慎む。
そういえば、ブロックMに“ぼちぼち”という日本食レストランがある。入ったことはないが、元の創造日本食の“塩梅”アンバイには何回か入ったことがあった。
あるレストランの昼食、焼きそばオムレツ定食ときつねうどん定食、どちらも税込みで5万Rp,私にはどちらも量がちょっと多い。でも、日本食にしては安いと思う。
責任 納期 品質
昨日も、ある会社から呼ばれて行ってきた。製品は明らかにできないが、聞くところによると、数年前とは、製造品の種類が替ってきて、以前、全売り上げの50%以上だった製品が、今は20%くらいになっている。他の製品が増えたこともあるが、減った製品は中国や台湾企業の進出によって、価格で対抗できなくなっているから、政策として減らさざるを得ないという。彼らがまだできない製品を増やすしかないという。要するに今までやっていたものに固執していたら、ジリ貧になってしまうから、新しい物の生産に変えていかなければならない、それができなければ、生き残れない、ということでしょう。
日本ではとっくに厳しい、インドネシアの安い人件費?を使っても厳しくなっているのです。これからの若い担当者は、大変だなと思う。
その増産する製品に使う押出し品の現地調達を考えているが、今、押出し品を調達している地元会社ではそれを作ることができない。また、日系企業にも三社当たったができないと言われた。そのうちの一社から私の名前が出たとか。それで、私が呼ばれたのでした。
お会いして、今までの経歴を話し、最近、インドネシアで作った製品を見せた。なんとなく、反応が今一だったが、ローカルスタッフに私を紹介しておくということだった。
それが、今朝、その会社のローカルスタッフが電話をしてきて、今から直ぐに会いに行きたいが都合はどうかと言ってきた。何だか、急ぐ話の気配がしたので、予定があったが遅らせて待つことにした。時間通り、やってきた。サンプルを持ってきた。昨日、日本人が言っていた、インドネシアでは作るところが無いという製品だ。持ってきたのは中国製だとか、ぜひ、身近から調達したいので、やってほしい、昨日、持って行ったサンプルの中に似たような製品があった。
それがまた、超急ぐ話で、売り出しのスケジュールが決まっていて、それに従って、中国からの輸入のスケジュールを決めてある、その注文を出す前に、太田さんにサンプルを作ってしまってほしい、そうすれば、中国に注文しないで済む、という話。一か月半後には、マスプロに入りたいという。無茶苦茶な話である。しかし、彼らの熱意は伝わってくる、何とかしてやりたい。その日程で、何とかしてやることにした。今まで、結構、悠長にやってきたが、他の仕事を含めて、少し、スピードアップをしなければならなくなってしまった。パンガンダランで遊んできた余韻が消し飛んでしまった。
今日でぼちぼちは終わりである。もう営業はしばらく慎む。
そういえば、ブロックMに“ぼちぼち”という日本食レストランがある。入ったことはないが、元の創造日本食の“塩梅”アンバイには何回か入ったことがあった。
あるレストランの昼食、焼きそばオムレツ定食ときつねうどん定食、どちらも税込みで5万Rp,私にはどちらも量がちょっと多い。でも、日本食にしては安いと思う。
責任 納期 品質
2013年04月18日
(^_-)-☆タンゲランへ
1553 まだ、夜は大雨、久しぶりにタンゲランの交通渋滞の中に突入して、会社訪問をした。外環高速道路を使わずにジャカルタ、グロゴールからの一般国道を使ってみた。行きも帰りもタマンアングレックの横を通過する道である。10年以上前には、田舎から出てきてジャカルタへ行ったことがまだなかった従業員を十人以上キジャンに乗せて、ジャカルタ見物に連れてゆき、タマンアングレックでアイススケートをしたものでした。
1996年に初めてジャカルタを訪れた時に、空港からの高速道路で一番先に目にはいったのが、タマンアッグレックでした。今はその近辺から向かい側にも高層ビルが立ち並んでいるが、当時はこの付近にはこの四棟唯一だった。私にとっては、ジャカルタを象徴する建物です。今でも、このあたりを通るとジャカルタへ来たなと思う。
タンゲラン方面に南進する、バスウエーが出来ているが、ほとんど無視されている、スディルマンなどのように厳格ではないらしい、バイクも車も普通に走っている。そして、トランスジャカルタバスの数は少ない。ほとんど、見かけなかった。フライ オヴァーの道が現れる、下道は信号が多いし、踏切があるので、上を通れば、時間が短縮できる。間もなく、左側に川が現れる。例の洪水の主原因になる川だ。川の名前は知らない。川には沢山の橋が掛かっていて、その向こうに工場がある、日系の工場も多い。しばらく行くと、高速道路の下をくぐる、外環高速道路だ、東へ向かえば、ジャゴラウィ方面、ビンタローやポンドックインダーの方向だと思う。そこを過ぎると、スカルノハッタ空港へ向かう道が右に現れる。距離的には直ぐそばだが、道は狭く、曲がりくねっていて、雨季には常時冠水する地帯なので、時間的には相当遠い印象になる道だ。
またしばらく行くと、左に在った川を渡る橋になる、川が右になる。その手まえを右斜め前方に入ると、30年くらい前からインドネシアに進出しているいくつかの日系企業がある。ダンボール屋さんとかテキスタイルとか車の部品屋さんなどだが、この地の工場が手狭になって、別工場が必要になり、ほとんどの会社はジャカルタ、チカンペック高速道路沿いに第二工場、第三工場を持っている。
その橋を渡るとタンゲランの町へ入ったという印象になる。勿論、ここまで来るのに、タマンアングレックに東側からムラックに向かう高速道路に乗れば、タンゲランの町の東側を通るし、リッポカラワチもタンゲランの中だ。このあたりには20年以上前からの工業団地がいくつかあり、日系企業と地元企業が混在している。道が狭くて、塀が高いのが印象的、やはり、車やバイクの部品屋が多い。私はその中の二社を訪問した。
帰ってくるまでほとんど一日掛かってしまったが、久々にごった返したタンゲランを再び体験できてなんとなくホッとした。帰り道は大雨だった。
チカラン方面からタンゲランへ行くには三つのルートがある。今日私が通った道、タンゲランの北側から入る。タマンアングレックの南側からムラックへ向かい高速道路を使う、タンゲランの東沿いに三つのインターがある。目的地に依って出口を間違わないようにしなければならない。もうひとつは、ブカシバラットを過ぎたところから外環高速に入ってボゴール方面だが、直ぐにポンドックインダー方面にむかい、ムラックへ向かい高速道路に入るルートです。タンゲランと言っても広いので、目的地によって、ルートを選択した方がいい。
紹介 懐かし 面白い
1996年に初めてジャカルタを訪れた時に、空港からの高速道路で一番先に目にはいったのが、タマンアッグレックでした。今はその近辺から向かい側にも高層ビルが立ち並んでいるが、当時はこの付近にはこの四棟唯一だった。私にとっては、ジャカルタを象徴する建物です。今でも、このあたりを通るとジャカルタへ来たなと思う。
タンゲラン方面に南進する、バスウエーが出来ているが、ほとんど無視されている、スディルマンなどのように厳格ではないらしい、バイクも車も普通に走っている。そして、トランスジャカルタバスの数は少ない。ほとんど、見かけなかった。フライ オヴァーの道が現れる、下道は信号が多いし、踏切があるので、上を通れば、時間が短縮できる。間もなく、左側に川が現れる。例の洪水の主原因になる川だ。川の名前は知らない。川には沢山の橋が掛かっていて、その向こうに工場がある、日系の工場も多い。しばらく行くと、高速道路の下をくぐる、外環高速道路だ、東へ向かえば、ジャゴラウィ方面、ビンタローやポンドックインダーの方向だと思う。そこを過ぎると、スカルノハッタ空港へ向かう道が右に現れる。距離的には直ぐそばだが、道は狭く、曲がりくねっていて、雨季には常時冠水する地帯なので、時間的には相当遠い印象になる道だ。
またしばらく行くと、左に在った川を渡る橋になる、川が右になる。その手まえを右斜め前方に入ると、30年くらい前からインドネシアに進出しているいくつかの日系企業がある。ダンボール屋さんとかテキスタイルとか車の部品屋さんなどだが、この地の工場が手狭になって、別工場が必要になり、ほとんどの会社はジャカルタ、チカンペック高速道路沿いに第二工場、第三工場を持っている。
その橋を渡るとタンゲランの町へ入ったという印象になる。勿論、ここまで来るのに、タマンアングレックに東側からムラックに向かう高速道路に乗れば、タンゲランの町の東側を通るし、リッポカラワチもタンゲランの中だ。このあたりには20年以上前からの工業団地がいくつかあり、日系企業と地元企業が混在している。道が狭くて、塀が高いのが印象的、やはり、車やバイクの部品屋が多い。私はその中の二社を訪問した。
帰ってくるまでほとんど一日掛かってしまったが、久々にごった返したタンゲランを再び体験できてなんとなくホッとした。帰り道は大雨だった。
チカラン方面からタンゲランへ行くには三つのルートがある。今日私が通った道、タンゲランの北側から入る。タマンアングレックの南側からムラックへ向かい高速道路を使う、タンゲランの東沿いに三つのインターがある。目的地に依って出口を間違わないようにしなければならない。もうひとつは、ブカシバラットを過ぎたところから外環高速に入ってボゴール方面だが、直ぐにポンドックインダー方面にむかい、ムラックへ向かい高速道路に入るルートです。タンゲランと言っても広いので、目的地によって、ルートを選択した方がいい。
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