2012年08月23日

(^_-)-☆何故東南アジア?

 1316 自分で会社を作って仕事をしても、最初の数年は、新しい仕事を取るために、営業のようなことをして、全く新しい技術を駆使する仕事や、まだ、日本で安定して出来ていない問題がある製品を安定させて提供する仕事をした。その後は、営業をしなくても、安定して、新しい仕事が。商社や原料メーカーの紹介で来るようになった。回りからはどう見えたかは知りませんが、毎日15時間ぐらい仕事をしても、苦労だとは思わなかったし、趣味の一つのようなものだったから楽しかった。利益も人が羨む位になっていたが、何の苦労とも感じなかった。そして、忙しさの中、いつの間にやら、こんなことを静岡の片隅でやっていて、死ぬまで、このままの延長でやっていくことに不安を感じだした。それが、創業から約10年後でした。そのあたりで、新しい世界に移ろうと思うようになって、10年後にこの会社を人にくれてやろうと思った。将来の経営者募集というコピーで人材を募集した。四人ほどの候補者に入社してもらった。今、その内の一人が社長になっている。
日本が戦前、戦中に、大変な迷惑をかけた、日本が攻め込んだ国々、主に、全ての産業で未熟な国々に私が持っている技術を伝えたいと思うようになった。子供の時、大学の時、就職をしてから、しばらくは、外国へ行って、先進の環境や技術を見て見たかったし、学びたかったから、海外へ行ってみたいと思っていたが、それらは、アメリカを始めとする先進諸国へ出した。しかし、40歳になったころには、学ぶというより、一緒に開発をしながら、技術や考え方を伝えたいという気持ちになっていた。中国や韓国の人々は、既に日本に追いつこうと積極的に視察団が来たり、実習に来たりしはじめていたが、東南アジアの国々からは、その傾向は現れていなかった。そこで、こちらから出掛けて行って伝えたいと思うようになった。

Arus Barik Uターンが始まった。明日から、はじまる会社は20%ほどあるらしいが、ジャカルタ近郊に渋滞はまだ達していない。
Uang Palus 偽札が横行している。簡単な謄写版印刷の幼稚なものだが、新札を道端で売っている人達が被害に遭っていた。ラマダン中に小使いを、新札でばらまく習慣がある。銀行ではなかなか交換しにくいので、ラマダンの十日ほど前からムディックの最中まで、10%位高めで新札を売る商売が現れる。その人たちが偽札を掴まされたのです。
Ubi Cilembu Dan Tahu Semedan 三つの分かれた葉っぱが尖っているスメダンのチレンブだけのさつま芋のことです。大変甘い。スメダン地元で作られた大豆を使って作られた豆腐です。
バンドゥンのバイパス高速道路の東の端、チレニウイの道の両端で売られている3Cm角の豆腐を揚げもののことをタフ スメダンと言います。ちょっとしお味で非常においい。そこから、数キロ先の踏切を渡った先の道の両側で生のさつま芋と焼き芋を売っている。これが、ウビ チレンブです。しかし、これら地元の売り場でさえ、交通量の多い、渋滞の激しい時には商品が足りなくなって、その土地以外の原料を使って販売をせざるを得ない。だから、いわゆる偽物を普通に皆さん買っているのです。そして、原料はその土地の物ではなくても、その名前の場所で売っていれば、その名前のイモや豆腐を買ったことになっている。どちらも、インドネシアでは大変有名なブランド食品です。
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チカラン付近はまだ閑散としている。
Uターン 閑散 経営

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2012年01月07日

(^_-)-☆在籍を止める

1087 硬質塩ビと軟質塩ビの二色成形の製品、昨年の10月からトライを始めたが、今日でギブアップをした。残念だが、今の金型でなんとかしようとしてもどうにもならないという結論に達した。改造に費用がかかるし、改造したからといって100%製品ができるという保証は出来そうもない。また、稟議々々でいつになったら、一部改造型を作ることができるか分からない。また、そういうことに勢力を注がなければならない、それは、私にとって耐えがたい。自分でやってしまえば、今までのことも倍の速度で結論が出せたのに、今の金型では出来ないと結論を出すのも相当遅れてしまった。歯がゆいが今の環境ではどうにもならない。
 依頼をした人に相談をするが、予算がと期間が認められなければ、完全撤退をしようと思う。ずるずる、試作をしていても仕方が無いし、何より、押出機が私の試作専用ではないので、一定期間が過ぎたら、他の人の試作用に開け渡さなければならない。今回も9日から暫くの間、他の人が使う、次はいつ使えるのか分からない。多分2月になってからだと思う。
 母親の状態もあるが、18日から、また、インドネシアの会社の手伝いに出かける。その間に、金型の一部修正が出来上がるように段取りをしておきたいが、どうなるか分からない。もう、完全ギブアップをしたい。昨日書いたように、見捨てたい。インドネシアの契約は2月末までなので延長はしない、日本の会社は3月末なのでこれも延長はしない。
 お付き合いを止めるのではない。自分でやるのです。もうそう決めた。
 IMG_2536@.JPG大崩海岸の焼津側の入口に焼津グランドホテルと松風閣というホテルが在る、いずれも駿河湾の景観が素晴らしい露天風呂が在る。太田化工の時には忘年会をここでよくやっていた。
IMG_2536-.JPG一方、静岡側の入口富士山と日本平、その向こうに愛鷹山と駿河湾の景観が素晴らしい。
“”茜色した夕べの空に、そっと君の名,呼んでみる“”
“”ああかねいいろしいた、ゆうべのおそおらあに、そおっときみいのおな、よおおおんでみいる“”
用宗海岸や漁港付近に生シラスや黒ハンペンの店が多く、地元ならではの海産物は私もよく買って食べる。太田化工はその用宗にある。

 母が個室へ移されたと聞いてびっくり、もうだめかと思って慌てて病院へ掛け付けたら、個室が開いたので移しただけだという。理由は見舞いに頻繁に来るし、妹が泊まり込む日が多いので大部屋より個室が良いだろうと判断したらしい。完全に目を開けてこちらの云うことが分かる。何か言いたくて口を動かそうとするが、声にならない。そこで、今言ったことは高架、と聞くとうなずく。突然、ガクッといくかもしれないが、症状は改善しているように思う。二週間ぐらいは日本を離れても大丈夫だと思うようになってきた。
 
放棄 お手上げ 手放す

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2011年11月23日

(^_-)-☆ウルトラエンプラ

1042 先日は11並びでちょっと話題になったが、今日は22日でいい夫婦という日らしい。日本だけだね、これは。いやいや夫婦、いけいけ夫婦、いらいら夫婦、今年はそれに、11,11,22だから、特別にいらいらいやいや夫婦、と解釈する人もいるでしょう。内はどうか、いないいない夫婦でしょうか。

一般の人にはほとんど馴染みが無いウルトラエンプラを使ってのトライをした。これは、わたしが普通にやることで、樹脂が手に入りさえすれば、淡々と、勧めることができる。何社から無償でサンプルを頂いた。快く、出していただいて、感謝です。インドネシアにいたら、こういうわけにはいかない。私にとっての試作は一般汎用樹脂ではやることは無いので、あまり、他人が扱わない特殊樹脂を手配することになる。こういう仕事は面白い。
ということで、一通りの製品サンプルは出来た。インドネシアへ持って行くことになる。その前に、原料を提供してくれたメーカーに結果の報告をする。まだまだ、他にやってみたい原料がある。それらは、来年になってしまう。
日本でも営業の参考になるかもしれないが、こういう樹脂の製品の売り込みは難しいので、どうでしょうか。知識で武装しないと誰にも勧めることは出来ないが多分知識が無いでしょう。
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 私の車が走り出す前に、彼女は走り出す。近道を通って一号線まで出て私が着くのを待っている。そこで、行ってらっしゃいと握手をしながら云う。06:30過ぎです。05:30に起きて06:00朝食、時々抜き、インドネシアなら土日のゴルフへ行く時間、日本では毎日島田ゴルフへ行くようなものである。土日だけゆっくりできる。07:30に家を出ればいいインドネシアと全く逆の出発時間である。

  試作 結果 エンプラ

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2011年11月10日

(^_-)-☆プレッシャー

1029 06:30家から出る。片道一時間以上、往復、勿論、二時間以上の通勤が始まった。今日は朝の運転は居眠りをしていた。危ない危ない。インドネシアなら、一区間で高速道路を走るだけ、料金は往復で60円、タダみたいなもの、しかし、日本では、高速を使えば30分往復1時間短縮できるが、やはり、一区間だけなのに800円、とても使えない。
また、日本の堅苦しい仕事が始まった。到着済みの装置を点検したが足りないものが一部あり、それを、日本の業者に製作依頼をした。今週中に全部準備し、来週月曜日には試作をしたいと考えている。上手く行くことを祈るのみである。
安全靴にヘルメット、こんなスタイルで仕事をしたことは、40年以上この仕事をしていて、無い。ごわごわの作業服と重い靴、頭に錘と首に輪、自発的には絶対しないスタイルである。全部に抵抗感がある。
早速、若者に指導開始。これから二週間、みっちり集中指導する。早くやって、早く済ませたい。もう、とにかく・・・。
不足品の調達でホームセンターへ寄って見た。シャコマンやエルボー、ボルトなどを購入した。こういうちょっとした工具や部品の値段は高い。高いが品質は抜群に良いことは確かです。インドネシア製やその他の国々の物より品質は良い。
剪定ばさみや強力磁石、回転刃などは本当に日本の製品は品質が良い。持ちが全然違うし、修理をしてもまた元の切れ味に戻る。基本的な材質から違うのでしょう。日本から輸出をされているでしょうが、現地では見つけることは出来ない。だから、日本から買って持って行くことになる。15年前から状態は同じだ。肝心なものはやはり日本からでないと使い物にならない。ただし、日本人以外の人では、いい加減で良い、と思う人は多いし、安ければ何でもいいと思う人も多い。難しいところだが、日本品質は保っていってほしいと思う。
IMG_2110.JPGIMG_2112.JPGインドネシア製のヒーター印象として持ちは半分、値段は三分の一というところでしょうか。
日本製 品質 指導 

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2011年10月02日

(^_-)-☆気持ちは忙しい

斜めからインドネシアを見る 990
 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる。間違えていなければ、この頃は、こんな感じでしょうか。
今朝で三回目の点滴と肩への筋肉注射は済んだが、まだ、腫れは治まっていない。毎日の薬はまだ四日分残っているので、期待をするが、骨の出っ張りが見つかっているので、腫れというかコブは消えないのかもしれない。痛みも残るかもしれない。
 
まだ、装置が到着していないにもかかわらず、新しい、製品のトライの依頼が来たので、金型を作ることにした。日本で作れば80〜100万円はかかるだろうがインドネシアなら、20万円そこそこでできそうだ。依頼した人は、私を信頼していてくれるので、できるだけあっさりと片づけたいと思う。ついでに、私が試作したい製品の金型も頼んでしまおうと思う。秘策がある。
11月から12月にかけて、やらなければならないことが集中してしまいそうで、ちょっと困ることになるかもしれない。今、三つのテーマを引き受けてしまっている。10月末に装置が入る予定なので、スケジュール的にぎりぎりである。

 7月1日に会社へ入って、装置の見積もりを受けて、稟議書を書いたのが8月の中旬、稟議、OKになったのが、9月10日、しかし、個人的にゴーを掛けたのが、稟議書を書いたと同時でした。それで、装置が完成したのは9月27日でした。ヒーターを注文したのが9月22日でした。ヒーターは9月27日に出来上がった。必要の内インドネシアデ作ったものは現在パッキング中だ。シッピングがいつになるかの返事をもらっっていないが、遅くても10月中旬より早いとみているので、末には到着していることを期待している。10月17日にはまたインドネシアへ行く予定になっているので、月末にハンドキャリーで金型を持ってこようと思う。その準備は来週中に終らせる。日本、インノネシアをまたにかけて、分刻みとまではいかないが日刻みのスケジュールになる。
 以上の他に日本からインドネシアへ運ぶ中古機械の手配もしなければならない。自分にプレーッシャーを掛ける。
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 インドネシアの端っこだという碑。こんな端っこにも日本軍の陣地が有った。
 トライ スケジュール オーダー

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2011年09月21日

(^_-)-☆6時起きで出社

斜めからインドネシアを見る 979
 日本の会社への出勤が始まった。ブランクが有っても無くても、もともと、存在感は薄いので、一か月前の雰囲気と変化なし、静かで落ち着いている。やはり通勤事情は以前と同じで、渋滞が激しい、33kmの道のりだが、一時間15分掛ってしまった。往復で二時間半、全く、もったいない時間である。
 このままの雰囲気で約一か月過ごす予定である。驚いたことが一つだけあった。昨日の敬老の日、金曜日の秋分の日、両方とも出勤日だそうだ。多分、夏休みとの振り替え出勤だと思うが、夏休みも平日は三日間しかなかった。仕事熱心な会社である。日本会社はこういう会社が多いのでしょうか。その点、インドネシアは、祭日は勿論、政府から年休を一斉に取りましょうという指定日が有って、強制ではないが、どの会社もそれに従っている。年間出勤日はおおむね250日休日は115日、これが相場です。日本はどうなっているのでしょうか。
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 彼岸花(まんじゅしゃげ)を何年振りかに見た。夏に日本に何日かいたことはあるが、9月10月11月に日本にいたことは16年前から無かった。秋分の日前後には、勿論、いたことが無いので彼岸花も見ることは無かった。道端のそこかしこに咲いている彼岸花を見て、日本を感じている。紫陽花やシャクナゲや菊の花など、インドネシアで、有るところには有る。だから、見たことはあるが、流石に、彼岸花を見たことは無い。

 認められるにしても、相当、将来の話だし、そのための申請とか、許可とか承認とか、インドネシア官庁顔負けの書類の多さとスローさに、耐えきれない。インドネシアへ送る装置の値下げを頼んできた。少しでも、安くして、使ってもらおうと思うが、私の心はなかなか通じない。走るしかない。行動に出るのみです。

 空気 眺め 秋の気配

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2011年08月25日

(^_-)-☆元気で長生きの秘訣

斜めからインドネシアを見る 952
出国時にイミグレでなんだかんだとTHRを要求される頻度が多いのはこの時期です。注意をしようが無い、思いがけない、心当たりのないことで、なんだかんだと言われて、一万円と言われて払った例はよく聞く。とにかく払って、その場から離れたいという心理が働くのです。運が悪いと思うしかない。入国時も他の時よりお金を要求されたり、アルコール類を没収されたりする確率が高くなるのはやむ負えない。その点、ガルーダなら機内で女性職員が入国の印を押してくれるので、若干、手間やリスクが少なくなる。

昨日は、私が同席すると、私に気を使うだろうとを感じたので、私は、皆さんが食事を取る時、同席しない。ということで、昨日はビップと会うことは無かった。それでいいと思う。日本人の皆さんは、大変だと思う。着任早々の人ほど、その雰囲気を掴んでいないので、突然起こる出来事に戸惑うことでしょう。

  元気印の78才のある会社の社長さんが、インドネシアで精力的に活動している。そんなに親しくないが、たまにゴルフで一緒になる。
自分で興した会社の社長を息子さんに任せ、自身はインドネシアの子会社の社長になって、こちらの生活もエンジョイしながら仕事もしている状態です。私は、ゴルフの付き合いしかないが、体の具合が悪いとかどこが痛いなどと言うことは本人から聞いたことが無い。聞くことは、ゴルフが上手にならない、ということだけだ。まだまだ、腕を上げたいと思っている。私なんか、とっくに、あきらめているのに。
 その人、大変我儘、他人に対して遠慮をしない。そうしたいと思ったことは、周りの人がどう思うかなどとは気にしない。自分のタバコが、切れてしまうと、その場の他の人のタバコを、頂戴と言って、ドンドン吸う、そして、このタバコ、ちょっと、好みじゃないねと言う。それでも、何本も吸う。ウェートレスに頼めば売ってくれるのに、買わない。
 この間は、何日にゴルフをしたいから入れてよ、と、私に頼む、今、四人で一杯だから、入らないよ、ト、言っても、「やりたいから、入れてよ、何とかなるでしょ」という。答えに渋っていると、「とにかく、その日は行くからね、何とかしてよ」という。しょうがないから、「二三日待ってください、誰かもう一人探しますから、」と答えた。しかし、それも聞かないで。「とにかく、行くからね」の一点張り。
 「そう、四人なの?それなら、自分が参加じゃ、迷惑だね、でも、もう一人、私が探して、6人になるようにすれば、問題なくできるね」とは言わない。私に、もう一人を何とかしろと言っているのです。「探すことができなければ、キャデマスターにはいってもらって、6人にすることも出来ますが」と言うと、「その人にチップを渡すの?渡すなら、割り勘にしようよ」という。開いた口がふさがらない。「割り込むあなたが払いなさいよ、社長さんなんでしょ、そんなことでけちってどうするのよ」と、言いたかったが、言えない。
 結果は、どうだったかと言うと、参加していただける方を見つけることが出来て、6人2フライトで出来ることになった。その話は、この間の日曜日のことで、その人が「入るぞ、」という日は27日のことです。直前でも我儘を云うのだから、元気で長生きの秘訣かなと思う。「この我儘爺」と、私だけでなく、周囲の人は言うが、付き合いは深くないが続いている。
 私には、その人のような生き方はできない。IMG_1386.JPGIMG_1376.JPG
長生き 元気 気使い

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2011年02月24日

(^_-)-☆金属加工や装置


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   斜めからインドネシアを眺める 829
押出の金型を注文するのは1996年インドネシアへ来て以降、インドネシア国内の金型屋さんです。日本に頼んだことは一度もない。理由は簡単、インドネシアで出来るし、安いし、早いからです。押出の金型は、こちらが書いた図面通り、指示どおりに作ることが出来ればそれでいいのです。あくまでも、金属の加工が出来ればいいのです。射出のように製品図面を渡して、その製品が出来る金型を注文するのではありません。金型を注文するだけです。
最初は日系の射出の金型を作ることが出来る金型屋に頼んだが一年後にはローカルの金型屋というより金属加工屋で出来ることが分かった。それも、一、二だけでなく、何社もあることがわかって、ローカルに切り替えた。日本で作る値段の三分の一で出来るようになった。そして、最近は、ドンドン金属加工屋が増えて、値段も下げることが出来るようになった。ローカルでも、10年前の五分の三くらいで、出来るようになった。頼む会社も変えている。だから、日本で作る価格の四分の一になっている。日本の押出成形屋は金型を海外で作ることをお勧めします。
金型の他に、色々な自動機も設計して作る会社が沢山ある。どうしても、日本からや海外から輸入しなければならないという装置は殆ど無くなった。しかし、それを知らないか、使いこなす自信がないなどで、高くてもやはり日本製だという日本人も多い。人それぞれである。

インドネシアの金型工業会というのが多分10年ほど前から活発に活動するようになったと思う。ジャカルタ新聞にも登場する機会が多い。私も15年くらい前から、インドネシアで押出の金型には係わってきた。ひにくるわけではないが、金型工業会を引っ張っている人は射出成型の金型の専門家なのでしょうか。どういう関係の仕事の人に声がかかっているのでしょうか、金型と言ったって、範囲は広い。数は、プレスの金型が一番多いのではないでしょうか、ついで、射出の金型でしょうか。間違っているかもしれません。この二つが大部分であることは確かでしょう。材料の色々あって、鋳物や食品サンプルも金型でしょうか、金属ではなければ、金型とは言わないのでしょうか。押出成形に限っただけでも金型は、多様です。シート、プレート、フィルム、コルゲート、網の筒、(ミカン袋のようなもの)パイプ、チューブ、電線などのコーティング、数か少ないが種類が多い。こういう金型に係わっている人に金型工業会は声を掛けているのでしょうか。それとも、全く知らないのでしょうか。それとも、無視しているのでしょうか。私は、別に、金型工業会に係わりたいとは思っていないので、どうでもいいのですが、せっかく、金型工業会と言っているなら、金型に係わっている全ての業界や人に声を掛けて、他業種交流をして、色々な業界の智恵を集めたらいかがな物かと思う。

ジャンブーと大きい方がジュルックバリ、どちらも赤と白があるそうです。家で飼い始めたヤギ、いつまで我慢できるでしょうか。

金型 目立つ 影

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2011年02月02日

(^_-)-☆雨季真っ盛り


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   斜めからインドネシアを眺める 827
今日という日を忘れては、昨日の写真の人にしかられる。もう何年になるでしょうか。結婚記念日です。この一番寒い時を選んだのは、妻の学校の勤務の関係でした。横浜市の学校から静岡県の学校に移動するのに一番都合がよい時期でした。

バリからブロモやボロブドゥール、サンギラン(ジャワ原人が発見された場所)へオプショナルツアーを計画している人は、現地の情報をバリでチェックしてください。チャンディプランバナン、ブンガワンソロ、ラトゥボコ、チャンディスクーは泥流の心配はありませんが、ムラピ山噴火の様子に依ってはジョクジャカルタ空港自体が閉鎖されることも考えられます。こちらは、万が一です。

仕事の事を書いておきます。ボランティアの会社立ち上げのアドバイスだけでは、客先に申し訳ないし、新任営業担当の手伝いもそろそろ始めないと、彼のストレスが溜まってしまう。そこで、以前から、私個人的に約束をしていた仕事の立ち上げを、その営業の人を連れて行って、再度公約をしてきた。
 早速、二種類の製品の金型の図面を清書してもらい、今日、金型の製作を依頼してきた。二月の15日頃には出来上がってくる予定だ。ついでに、なにもかも一遍にと思い、インサートする鉄板の穴開け加工についても、装置と材料の手配をした。客先はPT.Tさんである。硬質塩ビのプロファイルを先ず二月末までにOK品を作ることにする。もう一つの、軟質ポリエチで鉄板をコーティングする製品は平行して試作をし、三月中旬以前にサンプルをだす。いずれも、インドネシアでは私にしかできない仕事で、それも私の個人的都合で三月二十日前から日本に最低の二週間は滞在しなければならないので、その前に客先のOKを貰わなければならない。二種類が完成すれば、その他にも類似や関連のプロファイル品が次々と追加になるはずである。現在日本や中国で作っている物をインドネシア製にしてこちらから逆に日本や中国へ輸出するシナリオも現実味を帯びてくるでしょう。

継続は宝なり、一つの仕事を継続する、三日坊主ではく、始めたことを続ける、これは個人に取って善だし宝です。しかし、支配に限っては、継続は悪になる、必ず、悪になる。その点、日本の足利政権や徳川政権は特殊だが、これは、世界に例が無いほど長期だった。外部からの情報やちょっかいが無かったことと、抑圧的では無かったことが長期に続いた要因である。
長期独裁、独占は必ず破綻する、それも長ければ長いほど、破綻した時の独裁者はみじめな終わり方をする。永遠に現状にまま、はない。エジプト、ムバラクでさえ、こういうことになってしまって、世界中が戸惑っている。
いずれも独裁政権の中国や北朝鮮は、このことから何を学ぶでしょうか。独占を止める方向には行かないでしょう、今も自由度が少ないがもっと自由度を少なくする方向で引き締めを図るでしょう。しかし、あと、20年は持たない様な気がする。必ず、両方とも政治がひっくり返る事態になるはずである。
インドネシアでは非常に珍しいカーブミラー。取りつけられて半月ほど経過、いつまで割られないでいるか楽しみです。アクリルの四角棒、こんな物でも、インドネシアでは対応できる会社が無い。
独裁 反動 動き

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2011年01月11日

(^_-)-☆どうでもいい話


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   斜めからインドネシアを眺める 845
 難しい話ですが、税金の配分の問題です。もう一つ、誰が税金をどれだけ払うかの問題です。
 二十数年前、北欧へ旅行した時のこと、コペンハーゲンで土産物を買った。店の人が、免税にはちょっと足りないから、この小さい陶器を買えば、消費税免除の申告が出来ると言っていた。其の時、本当かなと疑問に感じたが、言われたままにそれも買った。その場で申請書類を書いてくれて、空港のカスタム出したら15%現金で戻ってきた。大きい。
 消費税が15%ということを初めて知った。多分現在は20%以上になっていると思う。
消費税は、大金持ちも生活保護者も均等に税金を払うシステムです。ただし、零細企業は免除されたり、食料品や衣料品は免除されたり、何かは、減税されたり、その税金の使い道が限定されたり、いろいろ、弱者保護の配慮は多かれ少なかれされているのが一般的です。消費税が高いか低いか、人それぞれの状態によって判断は変わるが、これも、所得税を多く払っている人ほど、消費税率を上げた方がいいと思っているし、税金を払っていない人ほど、消費税は無しの方がいいと思うのは当り前です。なん%にするかは、国民の資質に依ります。このままの赤字国債の増加は、誰が考えたって、危機的状態は分かっている。それから脱却するには消費税を上げるしかないと思っている人、政治家は多い。しかし、一般国民は上げることに反対。選挙に響くから、消費税に上げに触れることはタブーになってしまっている。ヨーロッパの多くの国を手本としなければならない時期になってしまっていることを、納得しなければならないと思う。

菅さんは消費税を上げたいと思っている。それに、賛同できない日本である限りは、10年先には、国債は大暴落をしてしまう可能性が高い。
怒られそうですが、結局、私にとっては、どうでもいいことですが、誰も、国も、地方も頼りにしていないので、違う世界の話です。

インドネシア人の中流住宅地、今私が済んでいる場所は中の上です。
消費税、自立、配分

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2011年01月09日

(^_-)-☆抜けた気がしない


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   斜めからインドネシアを眺める 843
 たったの二週間だったが、全く違う世界から戻ったので、皆さんに会うのは久しぶりのような気がする。
また、がらっと変わって、ゴルフ、例によって、いつものメンバーでした。やはり、ゴルフは暑いか、暖かな場所に限る。
6人だったが、3人はN社の元同僚でした。新しい人が、二人、ドライビングレンジへ来ていた。どこまで増えるのでしょうか。
 色々な話を聞くが、押出は大変そうだ。私がいなくなって、たった二週間で、いろいろな事が発生していると聞いている。それでも地球は回る。望まれれば、外から、出来ることをするつもりだ。望まれなければ、勿論、手出しはしない。余計なことはしない。

ジャバベカゴルフ、今年から値段が上がった。会員は22万Rpから25万Rpへ、ゲストは130万Rpになったらしい。午後からでも、65万Rpから80万Rpになったとか。いよいよもって、メンバー以外はやりたくなくなる。

新しい会社へ行くのは12か13日になりそうだ。
はじめて、成田エクスプレスの乗り換えに使った品川駅ホームから、成田エクスプレス車内から隅田川、車の渋滞。

再会、ゴルフ、会費

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2010年12月12日

(^_-)-☆お膳立ては整えた


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   斜めからインドネシアを眺める 815
 この会社の押出部門は既に利益が出ている。環境も整っている。人材も組織もISO体制も生産品目も整っていて、私以外の日本人がいなければ、かなりの利益を上げ出している。私が間もなく抜けるので、その分も利益になる。インドネシア人だけで、運営できるようになっているし、他のものは必要無いようになっている。
 話は、前日からの続きですが、仕事を増やすことです。そのための人は必要です。私がいればそれをしますが、キタガワの時もアフミの時もそうでしたが、私がいなくなってからは殆ど新しい仕事は増やせなかったし、増やせても、とんでもなく安い見積もりでしか取れていなかった。
日系企業でもローカルでも、押出製品を輸入して使っている会社はまだまだ、沢山あります。私が頼まれたことがあった製品だけでも数社、二十品目以上あります。新製品の立ち上げが出来るかどうか、それが、できるかできないかが自立のポイントです。

 日本で作っている製品を丸ごとこちらへ移して、安いコストで、生産するという、親会社のおんぶにだっこを頼るなら、それはそれで、会社の考え方として、あると思うが、もし、押出の技術者なら、インドネシアのお客さんを獲得してほしいものです。それも、客先の希望価格で出来て、なお且つ、こちらも十分な利益を上げるようにしなければならないと思う。
 それは、新しい押出製品製造の作業手順書、作業標準書を書けることまた書きかえることが出来る、それが必須条件です。
私は、10年以上前から様々なお客様の要望にお応えしてきた。それも、すべての製品でしっかり利益を上げて会社に貢献したし、客先にも日本からの輸入価格の60%位で提供してきた。何よりも、インドネシア人に、それらの新しい製品を通して、新しい製造技術を伝えてきた。そういうことが出来て始めて自立だとおもう。インドネシア語でMandiriです。この会社は一年未満といる期間は短かったが、既に部門は黒字になっているし、価格的にも客先に貢献している。

 充実した押出ラインで生産中、簡単な金型なら作ってしまうことが出来る金型製作コーナー

 技術  貢献  余裕

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2010年11月20日

(^_-)-☆頼るはどこ


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 斜めからインドネシアを眺める 793
 一匹狼ならぬ、いっぴき羊の素浪人、自分がつくった会社の社長をバッサリ捨てて、50歳を境に、押出成形の技術を腰に差して、技術の伝達を目的とした旅にでた。依頼15年、紆余曲折だらけで、現在に至っているが、まだ、余力が十分残っている。そりゃー、若い時に比べれば、疲れやすいし、睡眠も不足気味、頭の回転も記憶も速度は落ちている。しかし、止まってはいない。
 インドネシアで仕事をできる可能性がある限り、インドネシアから、去ってしまうことは無い。日本とインドネシアの半々の暮らしになるかもしれないが。

本日は本社の監査役の方が見えて、インタビューを受けた。この会社の押出部門の成功を願って、エールを送る意味で、久しぶりに思うところを話したと思う。あまり意味があるとは思わないし、この会社には後一か月しかいないのだし、何か変わったからと言って、それを、確認することはできません。日本が“おんぶにだっこ”してやらなければ、現地では何も発展させることはできない。自立は出来ないのです。このことは、はっきりしています。今、日本で生産している物を装置ごと移して、仕事を確保するしかないのです。
それでも、押出成形に関する私なりの考えを言わせてもらった、インドネシア人スタッフが少しでも、気持ちよく仕事が出来るようにと願うからだ。ぜひ、日本の手伝いなしで、自力で、仕事を獲得し、自力で金型を作って完成させ、自立の方向に向かってほしいからです。
やはり、自分で仕切らなければ満足できないだろうし、満足させることも出来ない。ドンドン、煮詰まってくる。

葛飾北斎がインドネシアの風景を版画で表したら、こんな感じかな。
ジャティの木、真っ直ぐに伸びるので家の材料になります。
 
  営業  厚い壁  自立

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2010年09月29日

(^_-)-☆任せる余裕


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 斜めからインドネシアを眺める 742
  ISO9001と14001のCERTIFICATEを受け取った。TÜV NORDからである。スタッフのインドネシア人には十分な感謝の意をあらわした。よく、やってくれたと思う。早速、フレームを買って会社へ寄付をした。インドネシア人スタッフだけで獲得した成果なので私も大変うれしい。今後は会社全体のISO収得のリーダーを引き継ぐことになろうかと思うが、そちらの方でも頑張ってほしい。

どこかで書きましたが、ISOは日本のものと異質です。というか、私は日本でのISOの収得プロセスを知らない。インドネシアのやり方は熟知している。
日本人がどこの段階、どこの時点でもちょっかいを出すことはプロジェクトにとって邪魔者、厄介者に過ぎない。コンサルタントもエージェントもインドネシア語で今までの指導の仕方で、ISOを取らせてくれるのです。インドネシア人はそれに従っていれば期限内にセーティフィケートは受け取れるのです。その行程の中に、日本でISOの収得で中心的役割をしていたからといって、張り切ってインドネシア人を指導しにきて、割り込んで入ったとすれば、考え方の違いや何より、コミュニケーション不足で何を言いたいのか分からない、混乱状態に、陥れてしまい、本人のストレスがたまる以上にコンサルタントやインドネシア人スタッフ悩ませてしまうばかりです。雰囲気が悪くなる上に収得の期間も長引いてしまう。

もし、QCやISOの専門家と言われる人が日本から派遣されるなら、ISOを収得した後、落ち着いて、状態や内容を確認して、何か指導したいことがあればそれから指導した方が良い。ISO収得トレーにンブ中に何もすることは無いし、何かしたら、邪魔なだけです。

規模にもよるが、平均的に60JUTAでこれも平均4〜5カ月後には収得します。インドネシア人スタッフの人数は一概に言えませんが、コンサルタントとミーティングするのは4〜5人で十分です。会社ぐるみでISO収得に向けて一丸となって走り、協力するという考えは同じですが、その濃さは非常に薄い。担当者だけでなにもかもやってしまいます。それが一番簡単な方法ですから。

会社からいちばん近い集合レストラン、インドネシア人しかここへ来ない。
ファミリーカラオケ、イヌルフィスタ、リッポチカランのハイパーマートの駐車場の一角にある。ダンドゥットゥ歌手のイヌルが展開している全国チェーンで人気が大変ある。システムは日本にあるカラオケを参考にしています。100%健全です。いわゆる、インドネシアで日本人が行くブロックMのカラオケとは全く別物です。
別物  厄介者  ISO

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2010年09月22日

(^_-)-☆交代の人が来た


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 斜めからインドネシアを眺めよう 735
先ほど空港へ行って、私に代わって押出部門の面倒を見てもらうK氏を迎えた。ジャルタ大雨のために大渋滞になって、空港からMM2100まで三時間以上かかってしまった。家に戻ったのが22:30を過ぎていた。疲れた。
私が早くと望んでいた事でした。明日から彼主導の押出部門になる、そして私はその補佐役をする。出来るだけ早く、私を必要としない状態にしてほしいし、そういう気持ちになって欲しい。私は、その間に引き際を模索する。ある程度の期間を過ぎれば、自動的に去ろうと思っている。人を使うならまだ出来るが、自分でやらなければならない仕事なので、思考力、体力ともに衰えを意識している今、本当にもうそろそろ責任を負う立場はもう限界かなと思う。
今度迎えた人は、南部の押出成形工場である大井川工場から派遣されたベテラン技術者で、53歳、私が初めてインドネシアで技術指導を始めた時と同じ年です。30年以上押出に係わっている人で、会社生え抜きの人だそうです。インドネシア語の勉強も独自でやっているようで、意欲も見られる。
当時の私の心境を思い起こせば、体力の気力も今と比べれば格段にあった。これから最低数年はこの地でベストを尽くせるという自信があった。それと、同じと考えれば、10年以上先に来ている私ですが、今の私が超えている部分は殆ど無いと思う。あるのは、インドネシア語の力とインドネシアの社会を知っているということだけです。その部分で暫くの間、手伝いをするというだけで、仕事、技術に関しては、内容が違うでしょうから口出しをしない、余計な迷いを与えるようなことはしない。そして、私が全く持っていないもので、大いに使えることは、本社との人脈を大いに利用できることと、会社の方針、姿勢、考え方を熟知し、体に染み込んでいることでしょう。この二点については、私は全く、持ち合わせていない。いわゆる、よそ者ですから、それを求められれば、困るだけである。

これで、常駐の日本人は6人になった。10月には二人増えるという話だ。
ベルニナ地方の地図を見てどこへ行くのか私に聞いている5才の孫、サンモリッツ、バッドのちょっとした広場に置かれているエンジェルとデーモンというタイトルの像、見たのは三体だったが他にもあるかもしれない。天使と悪魔。いくつかの像が組み立て前のパーツに分解されて、郊外の広場に置かれていた。もっと、設置の数を増やすのでしょう。

交代  委任  早期

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2010年09月21日

(^_-)-☆会社が向かう方向


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 斜めからインドネシアを眺めよう 734
私としても、雰囲気として今日から、仕事が始まったような感覚である。ジャカルタからの出勤車の数も、ブカシ県庁へ出勤の車もラマダン前の渋滞に戻っていた。
各種生活関連の経費の支払いは毎月の中ごろすることにしている。水道代は例外でした。電気代、インドビジョン(NHKなどを視聴するための通信会社)、携帯電話通話料(ネットのパケット)などを銀行のATMで振り込む。ちなみにインドビジョンが3千5百円位、電気代が2千円位である。インドビジョンは毎月20日ごろまでに払わないと、通信をブロックされてしまう。先日書いたが水は三カ月、電気も三カ月滞納で切られてしまう。電話は二か月である。
多くの経費はATMで振り込み支払いが出来るが、日本で一般的になっている預金から自動的に支払われるシステムはまだインドネシアには無いようである。出来れば、いちいち、払いに行く必要はないし、忘れてしまう心配もないのに、それだけ、個人が、信用されていないのでしょう。

各会社からの最終オーディット(監査)が始まる。生産量は多くないが、納品客先の数が増えることになる。
ISOの9001と14000の承認証が間もなく頂けることになっている。既に、TÜV外部監査の結果全てがOKになっていて、記述内容に間違いがないか確認の原稿が届いている。ラマダン休暇が長かったので、今週末か、来週初めには受け取ることになっている。会社全体の獲得については10月から準備が始められる。実際に生産活動をしていなければ、コンサルタントに来てもらってのトレーニングをしにくいが、射出の方も一か月ほど前から数台の稼働になっているので、生産が少ないうちに取ってしまおうということである。インドネシアのISO収得は一種のセレモニーのようなもので、取引が始まる時に持っているか持っていないかでは受け取られる印象がかなり違うようである。ま、とっておいて損は無いという程度ですが、持っているかいないかは、先ず、聞かれることで、持っていなければ、持つ予定はいつかを聞かれる。インドネシア人QC担当者にとってはそれが重要なことのようです。
 前の会社の時には押出成形部門(私の部門)以外はいちはやくISOを収得した。何が目的だったのでしょうか、結局、その効果を使うという場面はなかった、というのも、殆ど、全量、日本の本社に製品を送っているだけで、インドネシア国内売りはゼロに近かった。逆にISOを取らなかった押出部門はインドネシア国内売りを主体に多くの会社の手伝いをした。それにはISOを持っているか否かは全く重要ではなかった。製品を作ることが出来ることが重要で、品質管理についてはISO相当の管理が出来ていればいいのです。額縁に入ったサーティフケートを受け取る必要は無いのでした。

 前の会社で、ISOを持っていても意味がないことが分かったのでしょう。四,五年後に更新を止めてしまった。新しいく、インドネシア国内売りの営業強化のための社長に交代した時、なぜ、ISOを継続していなかったのかと怒った。そして、新たにISOを収得した。しかし、その社長さん、国内からの新規受注は出来なかった。というより、営業を出来るような人ではなかった。そして、撤退したのでした。結局、ISOは飾りとして必要で、重要なことは、技術と営業力です。社長の椅子でふんぞり返っていて、動かざること山の如しでは、なんの仕事も取れない。こまめに売り込みに回らなければ何の成果も出ない。ISOを収得したかしないかではない。初歩中の初歩である。

 仕事売りと商品売りの会社の形態の違いでしょうか、この会社は営業に力を注ぐように、仕向けられているように感じるので、それはそれで、大変よいことだと思う。

ドイツとは大きくちがう風景、16番ロング小川超えの手前、17番ショートのティーグランドから。
初歩、  重要、  動かない

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2010年09月17日

(^_-)-☆仕事の国へ戻る


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 ミュンヘン発13:35SQ327でドイツから離れた。シンガポール経由で、17日10:40ジャカルタ着の予定だ。
北のメルヘン国から南の竜宮城へ移動。ヨーロッパの国とインドネシアを比較することは出来ない。全く、違う国、社会だから、比較しても意味が無い。
どちらが好きかと言えば、インドネシアの方が私に合っていると思うから、好きである。今回、ヨーロッパのどこでも、食べ物には満足できなかった。基本的にパン食なので、米文化に育った私にとっては、不満である。パンは私のお腹にも合わない、インドネシアでもパンはおいしくないし、お腹の具合にも良くない。腹の中で団子状にかたまってしまう。
歳を取るとやはり寒いより温かな方が良い。やはり、Tシャツ、半ズボンが良い。30℃前後の世界から、いきなり平均5℃の世界に入って長袖に厚着で縮こまっていた。天候の具合が曇ると、いかにも、曇天と言う感じ、気分も落ち込んでしまいそうで、長くはいられないと思う。南の地中海地方や東南アジアへ旅行したがる気持ちがわかる。

9月始めだから、冬の対策が取られていないので、住環境を温かくする手段が取られていない。パソコンのバッテリーチャージのトランスを足の裏に当てて暖を取った。鼻水を流しながらの散歩だった。日本の自宅の自分の部屋なら、自分の思うように部屋の温度を調整できる。ドイツの家ではそうはいかない。インドネシアも自分の家なので調整は自分好みで出来る。

ミュンヘンからシンガポールに向かう日本人も目につく、小さな子ども連れの家族や定年退職後まだ海外で仕事をしているような私のような人、老夫婦二人連れの人たちなど、シンガポールで出てしまう人は少ないと思う。日本へ行く人、その他東南アジアへ散る人が多いようだ。日本人だけでなく、ドイツ人も同じような行動だと思う。
ミュンヘン空港への高速道路とのったSQとコントロールタワー
ハブ  寒さ  不眠

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2010年09月05日

(^_-)-☆スイスへ移動


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  行く末について考える期間にしたいとも思っている。そんなに長く行動できない状態を考慮し、バッサリ、仕事から離れてしまうか、まだ、仕事を続けるか、続けるなら、いつまでか、そして、どこでか、今の場所と地位で仕事が二三年続くということは100%無いと思っている。今の状態は最長で、来年三月中旬までと決めている。早ければ今年末までである。その後の話であるが、今から、考えておく必要があるし、関係者にはその考えを伝えておく必要がある。

婿殿が遅い休暇を取ってくれて一週間、私に付き合ってくれることになっていた。既に、スイスの山歩きも四回目になるので、今回は、サンモリッツ近くを拠点にして、いくつかの氷河を見ることと、各種ゴンドラ、登山鉄道を利用して、景色と澄んだ空気を堪能しようと思う。
 午前中近所のスーパーで自炊のための食料材料を仕入れた。スイスの物価はドイツ人にとっては驚くべき高さという先入観がある、事実、私もスイスの物価は高いと思う。スイスフランが安定的に強いからでしょう。ガソリンはオーストリアを通過するときに満タンにする。スイスでは出来るだけ買い物をしないようにするためである。
12:00ちょっと前に家を出発し、ミュンヘン空港で、孫たちが抱きついてなかなか放さない。妻をいつまでも手を振って見送った。
14:30ミュンヘン空港から出発、ほぼ、予定通り19:00過ぎにベルニナ地方のサンモリッツの手前、ラ、プントという町のホテル兼フィラに到着した。オーストリアを通過し、スイスへ入ったが、チェックポイントは開かれていてしまって、スタンプを押して欲しかったが、通過するだけだった。

居心地抜群、低価格、大変気に行った。ワイラレスランが使える。至れり尽くせりで、前回、ベルナーオーバーランドのヒラより格段上と評価したい。
もう、22:00を、回っている。孫たちは興奮してまだ寝ていない。
この建物の最上階をすべて占有する。屋根裏に寝室がある。この地方の地図。
天国  快適  浮世離れ

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2010年07月24日

(^_-)-☆影ながらのエール


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斜めからインドネシアを眺めよう 675
 観賞魚用等の水槽の日本でのトップメーカー、J社から注文をいただいた。これで押出部門のお客さんは五社目になる。この会社と私のお付き合いは私がインドネシアに来てからすぐ始まりで、15年くらいになる。主に大型水槽の上枠や底枠などでお手伝いをしてきた。現在、それらの仕事は分けあって他社でやっているが、問題があるので、そう、遠くない将来、私が再び、お手伝いするようになります。今回はその準備運動のようなものです。
 つい先日、7月12日でしょうか、NHKテレビにニュースを聞いてびっくりした。水槽の水を温める装置(ヒーター)の一部に関して発煙、発火の恐れありという理由で回収、交換をすると発表した。まさかの出来事でした。
 社長をはじめ息子さん2人、奥さまも一緒に仕事をしている当時から、応援しているので、大変気になっている。会社設立の発端は、ニッソーに追いつけ、追い越せの精神だったと聞いている。
 会社がどんどん大きくなり、若い頭脳がどんどん増えている。それだけ社会的責任も大きくなっている。品質のチェックについてはやり過ぎということはないので、何には念を入れてやって欲しい、それでも、思わぬところから問題が出ることがある。迅速に正直に対応してほしいと思います。今回も、火事など、重大な事件になっていない段階で迅速に公表、回収、交換の手段出たことは、流石だと思う。リコールを速やかの解決し、転じて一層の発展を、インドネシアから、祈っています。
 
スマトラオオコンニャク(ショクダイオオコンニャク)Amorphaphollus Titanumがボゴールの植物園で開花したらしい。
http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0008.html
http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0010.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0304.html

6年か7年に一回しか咲かないと言われている貴重なものらしいが、ボゴールの花は、ブンクルーから移植したものです。その、移植元へ行けば、6〜7年に一回が、別々?の木?で次々と開花します。多分、確立として半年に一回ほどは開花に会えるでしょう。そこの人に聞いた話と、私の印象ですから、それは違うと専門家の人から、指摘されても困りますが。
しばらく前にも行ったが今日も行ってみた。ロッテマレットの前のフードコート、相変わらずの大賑わい。バソ(Bakso)食べた、一万Rp(百円)でした。安い、ソプブトゥットゥは二百円でした。こちらの方がおいしいが、そうでもない“花のや”のカフェでは七百円です。
日本人は全く見当たらない。
迅速  対応  水槽

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2010年07月23日

(^_-)-☆話が途中で消える


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斜めからインドネシアを眺めよう 674
100%ローカルの金型屋である。先週の金曜日新しい金型をうけとった。ワイヤーカットでくり抜く金型で、ワイヤーを最初に入れる穴の位置を注意したにもかかわらず、製品のその筋が付くので、一番、入れてはいけない場所から入れてしまった。インドネシアの金型屋さんの最大の欠陥は、図面に書き込んであることに作業者が注意を払わないことです。いつもと違うことを頼むときには、仕事を受ける人に、口頭でも注意しているが、そのことが作業者に伝わっていないので、今までどおりの仕事をしてしまう。注意が途中で消えてしまうのです。
聞いていないと言われないように、図面など書いたものを渡すと同時に、この点を特に注意してくださいと説明をする。それプラス、作業する人にも私と同じように、念を押すように頼む。しかし、重要なことと思わないのでしょうか、念を押してくれないのか、間違いが多い。
今回の失敗は、どうにもならないので、返品をした。

注文を受ける人に金型のサイズや加工する材料を変えたい時、やはり、図面を書く人にその点を変えてほしいと伝えてもらいたいのですが、それが伝わらない、私が、変えたいと注文した時にメモを渡してあるに、そのメモの通りになっていないことが多い。図面を書く人が、一部しか聞かないのです。

なぜ、ローカル企業を使うかというと、一番は安いこと、二番は近いこと、三番は修正をしたい時にすぐにやってくれること、四番はローカル企業を、育てたいからである。大変重宝をしている。装置関係もインドネシア初の物も手掛けてもらって、彼らにも、こんなものができると言うことを知ってもらっている。それらは、良いのだが、やはり、リスクはある。辛抱が必要ということと、しつこいほどの確認が必要になる。

この会社も、間もなく、オペレーターが入社し、遊んでいた工作機械を使いだすので、もしかしたら、今使っている金型屋へだす仕事が減るかもしれない、このことは、話をしていない。話せない。
国会議事堂の正門前、後ろの建物はホテル ムリヤ スナヤン、近所には国立競技場や見本市会場など、国を代表する施設が多い。
Hokka-Hokka Bentoを筆頭に最近は多くのBentoを使ったレストランや食堂がある。かなり、田舎へ行っても、ここにもあるよと言う感じである。メニューに必ず何とかテリヤキ、なんとかヤキニク、なんとかカツというのがあるが、インドネシア人好みの味や姿になっていて、日本食ではない。

スマトラオオコンニャク(ショクダイオオコンニャク)Amorphaphollus Titanumがボゴールの植物園で開花したらしい。
http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0008.html
http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0010.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0304.html

6年か7年に一回しか咲かないと言われている貴重なものらしいが、ボゴールの花は、ブンクルーから移植したものです。その、移植元へ行けば、6〜7年に一回が、別々?の木?で次々と開花します。多分、確立として半年に一回ほどは開花に会えるでしょう。そこの人に聞いた話と、私の印象ですから、それは違うと専門家の人から、指摘されても困りますが。
確認  しつこい  途切れる

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