2010年01月05日
斜めからインドネシアを眺めよう 478(さよなら、スルガ)
日本最終日、完全にリラックスした、日々でした。こんな、気楽な、楽しい環境を後にして、なぜ、一銭にもならない、責任ばかり大きく背負い込む、場所へ行かなければならないのでしょうか、それも、この歳になって。それも、ときどき、気が遠くなるような不安があるのに。
それは、唯一つ、どうしても、インドネシアでやらなければならないと思っていることがあるからです。このまま、日本に引きこもっていては、自分を納得させることができないことがあるからです。インドネシアで仕事をしていなければ、それが、できないからです。その舞台を昨年一年間で準備をし、殆ど整えたからです。
私がやらなければならないことを、承知している人がインドネシアに一人半いるはずです。なぜ一人半かも、その人たちには分かっていただいているはずです。お待たせさせてしまっている会社、人たち、もうしばらくです。
太田化工へ行って、皆に新年の挨拶をし、製品のサンプルをもらってきた。インドネシアで製造し、ネット販売、カタログ販売をしようと思う自社商品の参考にするためである。今度こそ、本社が、押出成形を理解している会社と組んでやるので、誰にも、気兼ねなく、というより、期待されて、押せ押せで、インドネシアのお客さんを開拓できる。
N社へエッジングの注文を出したK社の判断は理解できない。私の技術がN社に行ってしまった姑息な手段は以前スパイラルチューブの製造装置でもあった。真似した方も真似させた方も気の毒に思う、私の技術を、私の了解を得ずに、間接的に手に入れて、生き延びようとするその人は、一時期、私がちょっと見習った、七歳年上の人です。しかし、ある時期から、私がやっていることを真似して、私の客先に横から割り込むような商売の仕方になってしまって、可哀そうに思うようになってしまった。他人のふんどしで相撲を取って、一時しのぎをしようとする人が多い。日本にもインドネシアにも、同じような日本人はいるものだと思う。
2009年12月15日
斜めからインドネシアを眺めよう 456(デフレ日本)
今週はどんな週になるでしょうか。ある会社から、新製品のサンプルを受け取った。三種類である。其の会社のメインの日本へ輸出する製品の主力になるはずで、今まで,受注してきた全て以上の生産量になることは確実で、生産設備の増強が必要で、場所も今の所ではとても対応できない。
その点について、今週は大きな動きがある。
しかし、問題があった。日本で購入している価格が安い。日本で、何故こんなに安い価格でできるのか理解できない。原料費は数年前に比べれば原油価格の高騰で上がっているはず、それでも、価格に転嫁していないのでしょうか、数年前以降全く、値上げの申請はなく、昔の価格が維持されているという。
その会社にとって、どれほどの規模の会社か知らないが、この商品の生産がなくなれば、かなり、工場の雰囲気に影響があるでしょう。人件費を何とか出せるだけでも、その価格で売り続け、継続したい気持ちは分かります。何年か前に多分その会社でしかできないと考えていた、PPのプルファイルをインドネシアで作ってしまい、その会社の多分一ライン分の生産が無くなってしまったという痛い事態があったので、その他の製品でも、そういうことが起きてしまうのではないかという恐れを持っていると思う。
しかし、私としても、従業員や客先の利益を考慮し、ぜひ、日本の会社のとんでもない安い価格より、安く出すことにせざるを得ない。同じ、押出し技術者としてもうしわけない気持ちでいっぱいですが、流れは止められない。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
PT.MAKUTAが移転する工場の入口
その点について、今週は大きな動きがある。
しかし、問題があった。日本で購入している価格が安い。日本で、何故こんなに安い価格でできるのか理解できない。原料費は数年前に比べれば原油価格の高騰で上がっているはず、それでも、価格に転嫁していないのでしょうか、数年前以降全く、値上げの申請はなく、昔の価格が維持されているという。
その会社にとって、どれほどの規模の会社か知らないが、この商品の生産がなくなれば、かなり、工場の雰囲気に影響があるでしょう。人件費を何とか出せるだけでも、その価格で売り続け、継続したい気持ちは分かります。何年か前に多分その会社でしかできないと考えていた、PPのプルファイルをインドネシアで作ってしまい、その会社の多分一ライン分の生産が無くなってしまったという痛い事態があったので、その他の製品でも、そういうことが起きてしまうのではないかという恐れを持っていると思う。
しかし、私としても、従業員や客先の利益を考慮し、ぜひ、日本の会社のとんでもない安い価格より、安く出すことにせざるを得ない。同じ、押出し技術者としてもうしわけない気持ちでいっぱいですが、流れは止められない。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
PT.MAKUTAが移転する工場の入口
2009年12月11日
斜めからインドネシアを眺めよう 452
残り、20日になってしまった。今年中に新しい工場に移って、設備も増強して、拡販の準備が終わることを目標として、もがいてみたが、結局、今年中には出来ないと諦めた。それでも、延期になっているだけで、中止ではない。置く場所はまだないが、装置の新規製造と購入は着々と進めている。移転の目標日を2010年2月末日に替えた。
Hari antikorupsi“汚職撲滅デー”とでもいうのでしょうか。ネットの呼びかけによって、9日インドネシア国内各主要都市で、大規模なデモが行われた。警察、検察へと大統領の曖昧な態度への抗議である。センティリ銀行の不明支出の解明の矛先が副大統領と財務大臣に向けられている。
マッカサールなど一部の都市を除いて、秩序ある、比較的静かなデモだった。学生や知識人が主体なので、パニックになることはほとんどなかった。それでも、1998年のことを知っている人達は、集団になった時の横暴さを知っているので、大分心配したようで、店を閉めた商店街もあった。コタ、グロドックは営業していたが、客は半分以下の印象だった。
例のオーミ病院から訴えられていた女性が払わなければならない204万円は、これも、ネットでの呼びかけで、コインを集める運動が始まっている。全国各所で募金が行われている。数えるだけでも多くのボランテャが必要である。いつ頃まで続くのか知らないが、どんな状態になったら終了するのでしょうか。また、何十万円もいっぺんに寄付する人もいて、二百万円を今週中には超えるでしょうが、インドネシアのことです、この機会に、募金をして、自分の懐へ入れてしまう金額の方が多いことが想像される。
罰金の他に半年の禁固刑も言い渡された。これらに対して、抗議のデモが始まっている。ジャカルタは各種デモで渋滞が激しい。
2009年12月06日
斜めからインドネシアを眺めよう 447
インドネシアのことです。カカオの実を一つ盗んだ人の判決が懲役3か月、50円もしない。ゴムの木に付けてあるコップを3個盗んで、懲役6ヶ月だった。一個、10円合計30円である。いずれも、田舎の貧しい人が、つい、誘惑にかられて、手にしてしまったものです。インドネシアならどこでも、ちょっと手を伸ばせば取れるものです。私は、インドネシアでは、旅人として、何かをいただく時には必ず、そこにいる人に了解を得ます。人がいなければ、いただくことはしません。
インドネシアの田舎の人のひもじさは、私が大学のころと、同じだろうと思う。
また、以前書いたが、ある病院のことをSMSした友人がネット上で批判したことで、逮捕された女性は、世論に動かされた司法が収監をやめたが、今回、一審の判決が出た。それは、203万円の罰金でした。月収の100倍です。
センチュリーバンクの倒産に絡んで、何億円も受け取ったとされる何人かの政治家やその家族は捕まりもしない。KPKに例の警察との密談を盗聴されたアンゴドという実業家、これも、逮捕しようとしない。奇妙な現象です。国民は憤慨している。学生を主体に抗議のデモが拡大していることは、当然だと思う。ユドヨノ大統領の意思表示がはっきりしない。
Tuyulって、知っていますか?インドネシアにいるといわれている、人間の子どものようで、頭がつるっぱげで、手や足が細くて長い。何をするかというと、お金を盗むのです。それが、お札を一枚だけ、盗むそうです。盗まれた人が、気が付くまで、毎晩、一枚ずつ、抜いてゆくそうです。最近、盗んだ瞬間を写した動画がテレビで流されていて、話題になっています。
バンカ島 最大のリゾートホテル 一部屋5千円くらい。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page002.html
2009年11月27日
斜めからインドネシアを眺めよう 438
インドネシアで老後を過ごしたい方や、定年退職者の海外再就職などを考えている人はぜひ、参考にしてください。諸手続は簡単で安いです。日本国内で申請し、許可を取るのではなく、インドネシアへ観光ビザ(30日)で入って、インドネシア国内で申請し、ビザはシンガポールで取る方法が一番簡潔ですよ。それらの方法も紹介しています。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%204.html
やはり、私が一番望まない方向に進みそうで、急に気持ちが重くなってきた。“プラーラスお前もか”である。自分の領分を主張、死守したい人が、インドネシアへ来るようでは、スタートから、もう、どうでもいいやという感覚になる。昨日今日の様子で、もう先が見えてしまった。始まっても、早く、誰かに任せて、関わり無くす方法をとることになる。仕事を始めた時から私が嫌っていた状態になることは確実です。一つの目標を早く達成して、この場から、離れることになるでしょう。
一昨日、直したばかりのタイヤがパンクしていた、出発30分前に知った。MM2100で待ちあわせの時間まで、1時間前だった。直ぐ、交換しようとしたが、ナットが緩まない。スパナが滑ってしまう。きつく締めてあった上に、ナットの頭が丸くなってしまっていた。どうしようもないので、パンク修理屋(タンバルバン)まで、パンクして、ぺしゃんこのままゆっくり走って行った。500mくらいだったと思う。そこでもなかなか緩めることができなくて、修理終了まで、一時間かかってしまった。スペアータイヤも修理したものだったが、漏れていて、本当は使えないのだが、ないからしょうがない、空気をとにかく一杯入れてもらい、高速を走ってMM2100へ行った。30分の遅刻で済んだ。ところが、待ちあわせの相手が、来ていない。40分待たされた。相手は日本人だった。まるで、インドネシア人のようだ。
その時の打ち合わせの間に、他の人の運転手にMM2100の中の修理屋へ持って行ってもらって、二本、新品に交換した。タイヤの位置もローテーションしてもらって1万5千くらい支払った。打ち合わせが終わったと同時に車が届いた。
ついていたと思った。昨日は往復渋滞の中ジャカルタまで行ったが途中のパンクでなくてよかった。また、今日30前に、そこへ出る用事があって、知ったのです。出発の時間に出ていたら、待ち合わせ時間に一時間遅れたでしょう。
2009年11月19日
斜めからインドネシアを眺めよう 421〜429
11月9日 インドネシアで楽しく暮らす 15−421
斜めからインドネシアを眺めよう 421
そうですね、インドネシアの子供達は、たくましいです。というより、これが、普通なのです。私が、小学校のころ、納豆売りをやっていた友達が多かった。私も、新聞配達、アスファルトに埋まっている、鉛や真鍮、釘等を集めて売ったり、ガラス屋の手伝いで、注文の家に行って、寸法を測ったり、集金をしたりした。
インドネシアはその頃の状態に似ています。そして、その状態が当たり前のように続いているのです。田舎へ行けば、とにかく子沢山。これも私が子供のころと同じです。賑やかで、活気があった。苦労とか大変だとか、頑張らなくては、とは、思わなかった。当然のように、楽しく、いろいろな手伝いをした。
そして、48歳の時だったと思うが、胃癌と分かり、胃をほとんど全部切って、捨ててしまった。胃がないから、胃癌になる心配はありません。大腸ポリープはその後、五つ取りました。
53歳からはインドネシアでの暮らしが長いですが、三年前に、得体の知れないパニック障害になってしまい。原因は自分では意識しないストレスだそうです。そう言われて、思い当たることが多すぎます。今でも、その障害者です。薬を欠かすと過呼吸パニックになったり、心臓の脈が無くなって、気絶しそうになるパニックになったりします。そういう、恐怖の中で、インドネシアで活動しています。
自由度が少ないでしょうが、人生、エンジョイしましょう。
従業員に対するパワハラの手伝いをした秘書だと思うが、フェイスブックに2009年7月31日の記念写真を公開している。何もしないで、閉鎖の方向に一直線に仕向け、従業員を全員解雇して、ご機嫌の人達が紹介されている。そして、今でも彼女に踊らされていることに気がつていない。
http://www.facebook.com/home.php?#/photo.php?pid=75706&id=1823196287
これほど、世界中で、利用されているフェイスブックについて知らないだろうし、意識がない、ご本人達は、知っていれば許可するはずがない。
11月10日 インドネシアで楽しく暮らす 15−422
斜めからインドネシアを眺めよう 422
ホームページ(ウェブサイト)工事中です。
Angodo wijoyoインドネシアで最大話題の人物ですが、所在が分かっていない。インドネシアにはいない。警察、検察と汚職実業家対、KPK(汚職撲滅委員会)の大きなもめ事の、その、実業家の名前である。
前のKPK委員長で、殺人の疑いで拘束されているアンタサリも、どうも、彼に、はめられたようだという見方になってきて、警察ではなく、第三者(Tim 8)の調査団から、事情聴取が何回か繰り返されるようになった。
フェイスブックへの投稿が100万を超えた、そして、KPKに味方する意見がほとんどで、デモの呼びかけもされている。ジャカルタ中心地帯も、今、そのデモが頻発しているようで、ジャカルタ在住の日本人から、最近は渋滞がひどいという話を聞く。
私の左目の斜め上5mmくらいのところに三センチほどの切り傷が残っている。三歳の時にこの橋の下で、転んだ時に,つかんでいた牛乳ビンで切ったのでした。父親が私をおぶさって、土手を走って病院まで行って、傷を縫ったのを、はっきり、覚えている。物心がついてから記憶に残っている出来事の三つ目でした。その傷は、はじめは小さかったのですが、顔が大きくなるに従って、長くなり幅も広がった。そのうえ、悪いことに、今お技術では残らない、縫った後が残ってしまい、それを見ると、傷がトカゲのように見える、縫った後が前後の足のようで、自分でもトカゲのように見える。
小学校へあがったころから、誰からも、トカゲのようだと言われた。いつの間にか、あだ名がトカゲになってしまった。“おい、トカゲ“と呼ばれるようになってしまった。先生からも、本当にトカゲのようだなと言われたことがある。
ガキ大将のグループと正面から戦う立場になっていたので、特にその子分連中から、そう言われていた。
後に、ヤクザにでも、なっていれば、トカゲなんたらと、はくのある名前が付けられたと思うが、そっちの方向とは全く違うので、間抜けな感じの傷が残っている印象だ。さすがに、中学生になってからは、そう呼ばれることはなくなった。
高校へ入ったころ眼鏡をかけ始めたので、他人から全く気がつかれることも無くなった。
11月11日 インドネシアで楽しく暮らす 15−423
斜めからインドネシアを眺めよう 423
性格的に、走りだしてから、周りを見るし、一つに集中しているつもりが、他のことも気にしてしまうので、子供のころから、怪我は多い人間だと思う。この年になれば怪我はろっ骨を何度か折ったくらいであるが、肋骨にひびが入ったくらいであ怪我のうちに入らない。それと、仕事上、火傷は当り前で、火傷が治らない上に火傷をすることは稀ではない。手当などしない、それでも、化膿してひどくなったことなどない。私の指と腕は、全面、火傷の跡だらけである。火傷を怖がるような人は、この仕事に向いていない。
最後のひどい怪我は、40歳の直前だったと思う。仕事中、製品を引取機に差し込むとき、摘まんでいた左手の親指、人差し指、中指も一緒に巻き込まれてしまった。あわてて、引っ張ってしまったので、親指の爪の生え際からちぎってしまった。
沼津の工場から静岡へ移ったばかりで、入社して一か月ちょっとの男の従業員と二人きりで、三ラインの操業をしていて、大変忙しかった。気が動転してしまった従業員は真っ蒼な顔をして立ちすくんでいた。機械を止めて、従業員の運転で、病院へ急行した。手を頭の上に上げて出血を最小にし、病院について、優先的に縫ってもらった。化膿止め点滴をしなければならないから、入院しろと言われたが、とんでもない、といって断った。その代わり、三日間毎日二時間の点滴を受けにくることを約束し、実行した。
翌日、その手で、三台の製品の立ち上げをして、包帯がぐしゃぐしゃに濡れてしまったが、そのまま、点滴を受けに自分で車を運転して、病院へ行った。なにをしたんだと,叱られたが、その後二日間とも、同じ様に濡らして,病院へ行った。医者はあきれるばかりだった。その後は病院へ行かず、十日後に抜糸のために行った。それきりだった。その状態を見て、入ったばかりの従業員は、抜糸の三日後に会社を辞めてしまった。私の仕事ぶりと、怪我の処置の方法が怖くなったのでしょうか、辞めた理由が分からなかったが、出勤しなくなってしまった。
ゴルフのグリップはその千切れて繋げた親指で抑えているので、たびたび、古傷が痛む。それがボールを遠くへ飛ばせない理由とは思わない。
11月12日 インドネシアで楽しく暮らす 15−424
斜めからインドネシアを眺めよう 424
こうも、懲りずに、勘違いを続けて、腹を立てている人も、面白いくらい、めずらしい。いい加減にして、目を覚ましてほしい。
もう、何カ月か前に会社を解散する申請をし、従業員も全員円満解雇した。其の会社が、実際には完全にインドネシアから逃げだすには、さまざまな手続きと承認が必要で、まだ、終了していない。その一つに、インドネシア内で仕事をどこかほかの会社に引き継いでもらわなければならない。そのまた一つに、お客さん自身へ装置を売って、社内で生産してもらう会社がある。その時、製造人(装置のオペレーター)とリーダーの何人かをひき渡すと約束してしまった。
しかし、その社長さんらしい、その約束は、本人達の了解を取っていないで、彼らは、有り難くいうことを聞いて、断らないだろうと、勝手に、決め込んでいた。ポジションや給料の交渉もしていなかった。全く、おごり高ぶった、インドネシア人を馬鹿にしている行動である。
元従業員の人達は、当然、次の働き場所を探す。もし、社長さんが次に働く場所を紹介しても、そこで、働くか断るかは自由だし、まだ閉めていないので、何人か、契約社員として、使っているが、それも、断るのも、自由である。紹介したからとか、自分のところで何カ月か延長して使ってやるから、言うことを聞け、というのは傲慢である。
今度は、誰に腹をたてているかというと、ある従業員が、従業員を渡すと約束した会社に行かずに、他の条件が良い会社に就職してしまったから、とんでもないやつだ、インドネシア人は恩知らずだ、ということである。めちゃくちゃである。本人にしてみれば、その社長さんになってから、無理難題を言われ、他に良い職場があれば変えたいと思っていた。そういう社員は多かった、其のうちの一人である。その社長さん、恩など感じてもらうことは、していなかったどころか、何もしない社長さんと従業員は陰口を叩いていたし、シフト、サトゥといって、三交替勤務の早出が帰る時間、15:00には、会社から居なくなって、所在不明になっていたので、そう言われていた。今は、シフトサトゥどころか、会社にいる時間は一週間に数時間だと契約社員からの情報である。
その人間が元従業員に対し、腹を立てて、どうしようというのでしょうか。滑稽で不思議である。むしろ、良いところへ就職したねと、一緒に喜んでやるのが、常識をわきまえた人だと思うが、その人は、まったく、逆人間である。
他へ就職した本人達は、社長が怒っていることを伝え聞いて、「自分達は間違ったことをしていない、何故、社長は怒るのか分からない、会社にいた時も、なぜ怒るにか分からないことが多かった。止めてからも怒られるのか。」と、当惑している。
以前、ある製造部門の装置を他社に売った時も、その担当者全員を其の会社にその時の給料で、採用してもらうように私が条件を示して、仲介をした。受け入れの会社の社長さんも、それを約束したが、実際には、給料について約束を守らなかった。そこで、移った従業員は、其の会社を辞めた。前者の社長さんは、辞めてしまったことで、私に腹を立てていた。本当は、約束を守らなかった受け入れの会社の社長にクレームを付けなければならないはずである。
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage11.html
在る会社が閉鎖されてフリーになった社員を採用していただいた会社の社長さんは、ある会社の社長さんから、なにか、クレームが在っても耳を貸さないでください。本人の仕事ぶりだけを見てください。
11月13日 インドネシアで楽しく暮らす 15−425
斜めからインドネシアを眺めよう 425
一昨日書いた怪我が最後ではなかった。45才の頃、仕事始めの1月4日だった。皆さんが帰って私一人で、明日の仕事の準備のために、押出機の上に登って、ホッパーの中の汚れを拭いた。その後が、いけなかった。そこから、飛び降りたのです。1.2mくらいの高さでした。ところが、右足が、フックに引っかかって、左足が先に着地し、股をひらくような形で、右足が後に着地した。左足が着地した時にバキッと音がした。折れたと思った。瞬間からずっと病因へ行くまで、痛くはなかったが、歩こうとすれば痛いし、歩けない、病院は空いていないし、エマジェンシーがるの総合病院は遠い。近くに当番医はあるか調べるためと、車のキーを持ってくるために、二階の事務所に行かなければならなかった。見たら、近くに、車が付いた椅子があった。その椅子まではっていって、荷物用のリフトまで行き、それに乗って二階に上がった。降りて、10mほど這って事務所へ行きキーを取り、電話で外科の救急医の名前を聞き、事務所の車付き椅子でリフトまで行き、下に降り、さっき使った椅子で、車まで行って、病院へ向かった。
くるぶしの上の細い方の骨が見事に折れていた。折ってから病院へ着くまで、30分くらいだったが、足は倍ほどの太さに腫れていた。ここでも、一か月の入院だと言われた。冗談じゃない、病院の松葉杖を借りて、石膏で固められた左足をひきずって、車へ、車を運転して家へ帰った。次の日、さすがに痛かったし、このときにはもう、私がいなくても仕事の立ち上げはできるようになっていたので、足を折ってしまったので、といって、休んだ。
その次の日は出勤し、普通に仕事をした。椅子が変なところに放置してあるし、変だなと思っていたと云いながら、従業員皆から、笑われた。無茶するからと言われた。四日後に腫れが引いて、石膏と足がすれて、階段の上り下りで特に痛かった。一週間後に病院へ行って、頼みこんで、石膏を取ってもらい、アルミ板を添えてもらった。これで、どんなに動いても痛くなくなった。そのまま、
一ヶ月後に自分で、添え板を取ってしまって、それで完治でした。医者へは最初の日と石膏を取ってもらった時と松葉杖を返しに行った三回だけでした。
この医者にはその後、三回のぎっくり腰で、注射をしてもらいにいったことがあった。土日や夜一人で走りまわって仕事をすることが多かった。マーケティング、プロダクション、デイバリー、アカンティング、パーソナリア全てを一人で10年はやっていたし、50kg(原料2袋)を担いで、一トン、二トンを移動させることも多かった。
今は、25kgの一袋を担ぐのがやっとだが、それをしていると、若者が寄ってきて、手伝わなくていいといわれる。
11月14日 インドネシアで楽しく暮らす 15−426
斜めからインドネシアを眺めよう 426
ジャカルタ近郊は完全な雨季になっています。中心のタムリン通りも水捌けが間に合わず、冠水し、セダンは通り抜けられない状態になり大渋滞なる。ムシン バンジール(Mesin Banjir)です。洪水の季節です。
KPKの全委員長のアンタサリの裁判が、始まっているが、先日のKPKによる警察と汚職容疑者の電話盗聴内容が公開されたことを受け、アンタサリが彼らに嵌められたという状況がどんどん明らかにされている。
インドネシアの裁判は全面公開です。傍聴はどういう方法でできるのか知りませんが、話題になっている裁判はテレビで生中継されるし、ニュースで重要ポイントの映像を流しながらの解説もある。裁判官、容疑者、検察、弁護士、など、発言や発言を聞いた時の反応など、すべて、公開される。この点は日本よりはるかにオープンで分かりやすい。
アンタサリの裁判でも、ある証言者の警察官が実業家を射殺した実行犯がアンタサリからではなく、他の人間から現金を渡されたのを見たと証言した。その時のアンタサリの様子が大写しになった。彼は眼を覆うようにして、後ろに体を反らせた。その斜め後ろにいた女性の付き添いでしょうか、傍聴者でしょか、彼女が、彼を後ろから支えた。自分が無罪であるという、有力な証言を聞いて、かなり、安堵したような表情だった。
不思議な病気があるもので、サキット カキ ガジャ(sakit kaki gaja)像の足のようにずんどうに太くなる病気です。女性で、片足が足先までももの太さになってしまって、表面は像の足のようにかさかさになっている。以前伝えた全身イボ人間と同じように原因も治療も未知である。どちらも感染、伝染しないので普通に生活をしていて、周りの人も、決して、嫌わない。
バリでは狂犬病で四人亡くなっている。山岳地帯のようなので、ほとんど海岸近くにいる観光客が気にすることはないが、キンタマニなど山の方に向かう人は犬に噛まれないように注意してください。また、サルも何らかの病気を持っている場合があるので、モンキーフォレストでも注意する必要があります。野生の猿もおおい。
パンガンダランのサルもいきなり、飛びついてくることがあるので、油断はしないでください。特に子ザルに近づく時は注意です。
11月15日 インドネシアで楽しく暮らす 15−427
斜めからインドネシアを眺めよう 427
忙しいからとか自分がやらなければどうにもならないと思って、休めない、のではない。それほど、私が頼りのわけでもないが、自分の不注意での怪我で、出勤できないというのは自分が納得できないのです。小学校の時から、ずっと、学校へ行きたくない、会社へ出勤したくないと思ったことは一度もない。ガキ大将からしつこく、いやがらせをさせられていた時も、難しい仕事がうまくいかないで、取引先や上司から、いつになったら出来るのと、責められた状態でも、インドネシアで未熟な怒りっぽい、本社の常務からシカトされても、社長連中から強烈なパワハラを受けた時も、現在パニック障害中でも、学校、職場へは、喜んで行っていた。怪我や風邪くらいで、休んだら恥だと思っていた。登校拒否や当社拒否は全く、思ったこともないし、体や頭が拒否反応を示したこともない。
私をパワハラした人達と上下関係でなく対等な立場になっている、今、会って、議論をしたいと思っているいが、彼らは全員が、応じないでしょう。理屈では完全に自分が負けということが、分かっているからです。小学校のころ、私をやっつけようとした(私は気にしていない)ガキ大将の何人かは、同級会に出てこない。
透明の樹脂でパイプやチューブを作った場合、透明度や硬さや弾力性が、基本樹脂で同じでも、それぞれの樹脂に弱点を補ったり、純粋なら、高額になるが混ぜ物をして価格が下がるようにしたり、逆に混ぜ物をして、弱点を強化していたものを混ぜないで、安くしたりすることがある。これを、見分けるのは、作った張本人でも難しい。
そこで、何か、問題が発生した時には第三者、それらの取り引きにかかわっていない機関や会社に分析を頼むしかありません。
しかし、一つだけ、製品の色の違いが分かる場所があります。それは、切断面です。束にして横から見ても分かりませんが、断面を見ると、黄色みがかったり、青みがかったりして見えます。その濃さも、確認できます。黄色みがかっている原料は酸化防止剤か熱安定剤を少なくしているか、使っていないのです。車のなかに使っている原料は断面が青いはずです。ポリカーボネート(PC)とポリビニールクロライド(PVC)の透明製品については顕著に分かります。射出製品ではこの判定はしにくいです。
2007年 11月過ぎから、ここ、インドネシアで仕事をしながら、毎日積み上げてきたエッセイをテーマ別にしました。
読んでいただく方が、どこから、読んでいいのか判断しやすいように、また、それぞれの人々の必要性や興味にあわせその時々に読んでいただけるように分類しました。
http://www.ab.auone-net.jp/~bekasi/
11月16日 インドネシアで楽しく暮らす 15−428
斜めからインドネシアを眺めよう 428
ジャカルタの洪水状況は例年になくひどい。11月で、このひどさなので、1月2月の本格洪水季節は思いやられる。ジャカルタへの出張者は、覚悟してきた方がいい。セダンは駄目です。
従業員に一人で夜勤をさせたり、残業をさせたりしたことはない。万が一事故が在って、一人ではどうにもならない事態になったら、取り返しがつかないことになる心配があるからです。
しかし、自分が現場で仕事をするのは、誰も、他の人がいない時が多かった。他の人に手伝われると,その人に気をつけなければならないし、手伝いを頼んでも、思ったような手伝いができない。かえって、足手まといになるので、一人で、思った通りにやりたいのです。足の骨を折った時も、一人だったのは、その理由だった。
だから、本当は、十分安全については気を使わなければならないのだが、ほとんど、意識して仕事をしたことがない。意識しなくても、感覚的に大丈夫として行動をしてしまうことが多かった。
従業員や一緒に仕事をする人に対し、新入社員教育などには、他の従業員はあまり怪我をしないので、例が少ないため、自分の体験を話して、危険がこんなところにあると、注意を促していた。残っている傷を見せながら、こうならないように話した。
命にかかわる重大事故は考えにくいが、仕事中、私がやってしまった怪我は誰にでも起きる可能性がある。
同じプラスチックの成形でも、プレス成形や射出成形は金型を合わせて製品を作るのが仕事ですから、その金型に体の一部を挟まれて潰すという、事故は絶えない。勿論、危険防止のために、両手を使ってボタンを押さなければ作動しないとか、金型にカバーをしなければ型が閉まらないなど、安全装置は講じてあるが、それでも、その安全装置が故障で、閉じてしまうとか、生産中でなく、修理中などで、安全装置の作動をわざとOFFにしてしまうなどの理由で、潰す事故の話は絶えない。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
11月17日 インドネシアで楽しく暮らす 15−429
斜めからインドネシアを眺めよう 429
早いもので、車の運転免許証の期限が来てしまって、免許証を買いに行ってきた。昨年と同じ、ジャバベカのカリマラン川沿いでした。
例によって、自分ひとりで、行って来たのですが、その場所に、外国人を手伝う人が、寄生していて、インフーメーションの警察官が、彼を指名し、彼に手伝ってもらうように頼んでしまった。断るわけにもいかず、頼むことにした。必要書類のコピーをその場で、撮って、申請をしてくれた。5分くらいして、呼ばれ、指紋、サイン、写真を済ませてまた10分くらい待った。もう、免許証を手に入れた。「支払はまだだけど」といったら、事務所の奥の方に、先ほどの手伝い人がいて、聞いたら、35万Rpだというから払った。これは、そこにいる警察官に分配するのです。写真を入れましたが、一般的には日本と同じ5年有効です。価格は、書き換えで、6万Rp,新規で7万5千Rpです。外国人は1年有効で、35万Rpでした。何倍でしょうか。30倍くらいです。
気になっているだろう方たちへ、私の工場はどうなるのでしょうか、今年の四月頃には11月には、どこか、大きな工場に移転し、装置も揃い,積極的に営業をして、お客さんの期待に答えるはずでしたが、未だに、いつ、どこへ、移転、拡張するのか、何も決まっていません。こじんまりと安定してしまっているPT.MAKUTAの現在の場所には仕事や機械を増やすスペースがありません。拡張計画が頓挫しています。私が決める状況にないし、情報も入ってこない、こちらから求めることもできないので、なお、ストレスが増します。
ただ、いつ完了するか分からないK社の立ち退きを待つだけです。2011年になる可能性もある。だから、それまで、なにも出来ない。手も足も出ない、お手上げ状態である。K社のHさん、少しは前進しているでしょうか。本社から、プレッシャーは掛っていないのでしょうか。
目標は失っていないし、インドネシアにいる最終目的はあきらめていない。
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage004.html
斜めからインドネシアを眺めよう 421
そうですね、インドネシアの子供達は、たくましいです。というより、これが、普通なのです。私が、小学校のころ、納豆売りをやっていた友達が多かった。私も、新聞配達、アスファルトに埋まっている、鉛や真鍮、釘等を集めて売ったり、ガラス屋の手伝いで、注文の家に行って、寸法を測ったり、集金をしたりした。
インドネシアはその頃の状態に似ています。そして、その状態が当たり前のように続いているのです。田舎へ行けば、とにかく子沢山。これも私が子供のころと同じです。賑やかで、活気があった。苦労とか大変だとか、頑張らなくては、とは、思わなかった。当然のように、楽しく、いろいろな手伝いをした。
そして、48歳の時だったと思うが、胃癌と分かり、胃をほとんど全部切って、捨ててしまった。胃がないから、胃癌になる心配はありません。大腸ポリープはその後、五つ取りました。
53歳からはインドネシアでの暮らしが長いですが、三年前に、得体の知れないパニック障害になってしまい。原因は自分では意識しないストレスだそうです。そう言われて、思い当たることが多すぎます。今でも、その障害者です。薬を欠かすと過呼吸パニックになったり、心臓の脈が無くなって、気絶しそうになるパニックになったりします。そういう、恐怖の中で、インドネシアで活動しています。
自由度が少ないでしょうが、人生、エンジョイしましょう。
従業員に対するパワハラの手伝いをした秘書だと思うが、フェイスブックに2009年7月31日の記念写真を公開している。何もしないで、閉鎖の方向に一直線に仕向け、従業員を全員解雇して、ご機嫌の人達が紹介されている。そして、今でも彼女に踊らされていることに気がつていない。
http://www.facebook.com/home.php?#/photo.php?pid=75706&id=1823196287
これほど、世界中で、利用されているフェイスブックについて知らないだろうし、意識がない、ご本人達は、知っていれば許可するはずがない。
11月10日 インドネシアで楽しく暮らす 15−422
斜めからインドネシアを眺めよう 422
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Angodo wijoyoインドネシアで最大話題の人物ですが、所在が分かっていない。インドネシアにはいない。警察、検察と汚職実業家対、KPK(汚職撲滅委員会)の大きなもめ事の、その、実業家の名前である。
前のKPK委員長で、殺人の疑いで拘束されているアンタサリも、どうも、彼に、はめられたようだという見方になってきて、警察ではなく、第三者(Tim 8)の調査団から、事情聴取が何回か繰り返されるようになった。
フェイスブックへの投稿が100万を超えた、そして、KPKに味方する意見がほとんどで、デモの呼びかけもされている。ジャカルタ中心地帯も、今、そのデモが頻発しているようで、ジャカルタ在住の日本人から、最近は渋滞がひどいという話を聞く。
私の左目の斜め上5mmくらいのところに三センチほどの切り傷が残っている。三歳の時にこの橋の下で、転んだ時に,つかんでいた牛乳ビンで切ったのでした。父親が私をおぶさって、土手を走って病院まで行って、傷を縫ったのを、はっきり、覚えている。物心がついてから記憶に残っている出来事の三つ目でした。その傷は、はじめは小さかったのですが、顔が大きくなるに従って、長くなり幅も広がった。そのうえ、悪いことに、今お技術では残らない、縫った後が残ってしまい、それを見ると、傷がトカゲのように見える、縫った後が前後の足のようで、自分でもトカゲのように見える。
小学校へあがったころから、誰からも、トカゲのようだと言われた。いつの間にか、あだ名がトカゲになってしまった。“おい、トカゲ“と呼ばれるようになってしまった。先生からも、本当にトカゲのようだなと言われたことがある。
ガキ大将のグループと正面から戦う立場になっていたので、特にその子分連中から、そう言われていた。
後に、ヤクザにでも、なっていれば、トカゲなんたらと、はくのある名前が付けられたと思うが、そっちの方向とは全く違うので、間抜けな感じの傷が残っている印象だ。さすがに、中学生になってからは、そう呼ばれることはなくなった。
高校へ入ったころ眼鏡をかけ始めたので、他人から全く気がつかれることも無くなった。
11月11日 インドネシアで楽しく暮らす 15−423
斜めからインドネシアを眺めよう 423
性格的に、走りだしてから、周りを見るし、一つに集中しているつもりが、他のことも気にしてしまうので、子供のころから、怪我は多い人間だと思う。この年になれば怪我はろっ骨を何度か折ったくらいであるが、肋骨にひびが入ったくらいであ怪我のうちに入らない。それと、仕事上、火傷は当り前で、火傷が治らない上に火傷をすることは稀ではない。手当などしない、それでも、化膿してひどくなったことなどない。私の指と腕は、全面、火傷の跡だらけである。火傷を怖がるような人は、この仕事に向いていない。
最後のひどい怪我は、40歳の直前だったと思う。仕事中、製品を引取機に差し込むとき、摘まんでいた左手の親指、人差し指、中指も一緒に巻き込まれてしまった。あわてて、引っ張ってしまったので、親指の爪の生え際からちぎってしまった。
沼津の工場から静岡へ移ったばかりで、入社して一か月ちょっとの男の従業員と二人きりで、三ラインの操業をしていて、大変忙しかった。気が動転してしまった従業員は真っ蒼な顔をして立ちすくんでいた。機械を止めて、従業員の運転で、病院へ急行した。手を頭の上に上げて出血を最小にし、病院について、優先的に縫ってもらった。化膿止め点滴をしなければならないから、入院しろと言われたが、とんでもない、といって断った。その代わり、三日間毎日二時間の点滴を受けにくることを約束し、実行した。
翌日、その手で、三台の製品の立ち上げをして、包帯がぐしゃぐしゃに濡れてしまったが、そのまま、点滴を受けに自分で車を運転して、病院へ行った。なにをしたんだと,叱られたが、その後二日間とも、同じ様に濡らして,病院へ行った。医者はあきれるばかりだった。その後は病院へ行かず、十日後に抜糸のために行った。それきりだった。その状態を見て、入ったばかりの従業員は、抜糸の三日後に会社を辞めてしまった。私の仕事ぶりと、怪我の処置の方法が怖くなったのでしょうか、辞めた理由が分からなかったが、出勤しなくなってしまった。
ゴルフのグリップはその千切れて繋げた親指で抑えているので、たびたび、古傷が痛む。それがボールを遠くへ飛ばせない理由とは思わない。
11月12日 インドネシアで楽しく暮らす 15−424
斜めからインドネシアを眺めよう 424
こうも、懲りずに、勘違いを続けて、腹を立てている人も、面白いくらい、めずらしい。いい加減にして、目を覚ましてほしい。
もう、何カ月か前に会社を解散する申請をし、従業員も全員円満解雇した。其の会社が、実際には完全にインドネシアから逃げだすには、さまざまな手続きと承認が必要で、まだ、終了していない。その一つに、インドネシア内で仕事をどこかほかの会社に引き継いでもらわなければならない。そのまた一つに、お客さん自身へ装置を売って、社内で生産してもらう会社がある。その時、製造人(装置のオペレーター)とリーダーの何人かをひき渡すと約束してしまった。
しかし、その社長さんらしい、その約束は、本人達の了解を取っていないで、彼らは、有り難くいうことを聞いて、断らないだろうと、勝手に、決め込んでいた。ポジションや給料の交渉もしていなかった。全く、おごり高ぶった、インドネシア人を馬鹿にしている行動である。
元従業員の人達は、当然、次の働き場所を探す。もし、社長さんが次に働く場所を紹介しても、そこで、働くか断るかは自由だし、まだ閉めていないので、何人か、契約社員として、使っているが、それも、断るのも、自由である。紹介したからとか、自分のところで何カ月か延長して使ってやるから、言うことを聞け、というのは傲慢である。
今度は、誰に腹をたてているかというと、ある従業員が、従業員を渡すと約束した会社に行かずに、他の条件が良い会社に就職してしまったから、とんでもないやつだ、インドネシア人は恩知らずだ、ということである。めちゃくちゃである。本人にしてみれば、その社長さんになってから、無理難題を言われ、他に良い職場があれば変えたいと思っていた。そういう社員は多かった、其のうちの一人である。その社長さん、恩など感じてもらうことは、していなかったどころか、何もしない社長さんと従業員は陰口を叩いていたし、シフト、サトゥといって、三交替勤務の早出が帰る時間、15:00には、会社から居なくなって、所在不明になっていたので、そう言われていた。今は、シフトサトゥどころか、会社にいる時間は一週間に数時間だと契約社員からの情報である。
その人間が元従業員に対し、腹を立てて、どうしようというのでしょうか。滑稽で不思議である。むしろ、良いところへ就職したねと、一緒に喜んでやるのが、常識をわきまえた人だと思うが、その人は、まったく、逆人間である。
他へ就職した本人達は、社長が怒っていることを伝え聞いて、「自分達は間違ったことをしていない、何故、社長は怒るのか分からない、会社にいた時も、なぜ怒るにか分からないことが多かった。止めてからも怒られるのか。」と、当惑している。
以前、ある製造部門の装置を他社に売った時も、その担当者全員を其の会社にその時の給料で、採用してもらうように私が条件を示して、仲介をした。受け入れの会社の社長さんも、それを約束したが、実際には、給料について約束を守らなかった。そこで、移った従業員は、其の会社を辞めた。前者の社長さんは、辞めてしまったことで、私に腹を立てていた。本当は、約束を守らなかった受け入れの会社の社長にクレームを付けなければならないはずである。
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage11.html
在る会社が閉鎖されてフリーになった社員を採用していただいた会社の社長さんは、ある会社の社長さんから、なにか、クレームが在っても耳を貸さないでください。本人の仕事ぶりだけを見てください。
11月13日 インドネシアで楽しく暮らす 15−425
斜めからインドネシアを眺めよう 425
一昨日書いた怪我が最後ではなかった。45才の頃、仕事始めの1月4日だった。皆さんが帰って私一人で、明日の仕事の準備のために、押出機の上に登って、ホッパーの中の汚れを拭いた。その後が、いけなかった。そこから、飛び降りたのです。1.2mくらいの高さでした。ところが、右足が、フックに引っかかって、左足が先に着地し、股をひらくような形で、右足が後に着地した。左足が着地した時にバキッと音がした。折れたと思った。瞬間からずっと病因へ行くまで、痛くはなかったが、歩こうとすれば痛いし、歩けない、病院は空いていないし、エマジェンシーがるの総合病院は遠い。近くに当番医はあるか調べるためと、車のキーを持ってくるために、二階の事務所に行かなければならなかった。見たら、近くに、車が付いた椅子があった。その椅子まではっていって、荷物用のリフトまで行き、それに乗って二階に上がった。降りて、10mほど這って事務所へ行きキーを取り、電話で外科の救急医の名前を聞き、事務所の車付き椅子でリフトまで行き、下に降り、さっき使った椅子で、車まで行って、病院へ向かった。
くるぶしの上の細い方の骨が見事に折れていた。折ってから病院へ着くまで、30分くらいだったが、足は倍ほどの太さに腫れていた。ここでも、一か月の入院だと言われた。冗談じゃない、病院の松葉杖を借りて、石膏で固められた左足をひきずって、車へ、車を運転して家へ帰った。次の日、さすがに痛かったし、このときにはもう、私がいなくても仕事の立ち上げはできるようになっていたので、足を折ってしまったので、といって、休んだ。
その次の日は出勤し、普通に仕事をした。椅子が変なところに放置してあるし、変だなと思っていたと云いながら、従業員皆から、笑われた。無茶するからと言われた。四日後に腫れが引いて、石膏と足がすれて、階段の上り下りで特に痛かった。一週間後に病院へ行って、頼みこんで、石膏を取ってもらい、アルミ板を添えてもらった。これで、どんなに動いても痛くなくなった。そのまま、
一ヶ月後に自分で、添え板を取ってしまって、それで完治でした。医者へは最初の日と石膏を取ってもらった時と松葉杖を返しに行った三回だけでした。
この医者にはその後、三回のぎっくり腰で、注射をしてもらいにいったことがあった。土日や夜一人で走りまわって仕事をすることが多かった。マーケティング、プロダクション、デイバリー、アカンティング、パーソナリア全てを一人で10年はやっていたし、50kg(原料2袋)を担いで、一トン、二トンを移動させることも多かった。
今は、25kgの一袋を担ぐのがやっとだが、それをしていると、若者が寄ってきて、手伝わなくていいといわれる。
11月14日 インドネシアで楽しく暮らす 15−426
斜めからインドネシアを眺めよう 426
ジャカルタ近郊は完全な雨季になっています。中心のタムリン通りも水捌けが間に合わず、冠水し、セダンは通り抜けられない状態になり大渋滞なる。ムシン バンジール(Mesin Banjir)です。洪水の季節です。
KPKの全委員長のアンタサリの裁判が、始まっているが、先日のKPKによる警察と汚職容疑者の電話盗聴内容が公開されたことを受け、アンタサリが彼らに嵌められたという状況がどんどん明らかにされている。
インドネシアの裁判は全面公開です。傍聴はどういう方法でできるのか知りませんが、話題になっている裁判はテレビで生中継されるし、ニュースで重要ポイントの映像を流しながらの解説もある。裁判官、容疑者、検察、弁護士、など、発言や発言を聞いた時の反応など、すべて、公開される。この点は日本よりはるかにオープンで分かりやすい。
アンタサリの裁判でも、ある証言者の警察官が実業家を射殺した実行犯がアンタサリからではなく、他の人間から現金を渡されたのを見たと証言した。その時のアンタサリの様子が大写しになった。彼は眼を覆うようにして、後ろに体を反らせた。その斜め後ろにいた女性の付き添いでしょうか、傍聴者でしょか、彼女が、彼を後ろから支えた。自分が無罪であるという、有力な証言を聞いて、かなり、安堵したような表情だった。
不思議な病気があるもので、サキット カキ ガジャ(sakit kaki gaja)像の足のようにずんどうに太くなる病気です。女性で、片足が足先までももの太さになってしまって、表面は像の足のようにかさかさになっている。以前伝えた全身イボ人間と同じように原因も治療も未知である。どちらも感染、伝染しないので普通に生活をしていて、周りの人も、決して、嫌わない。
バリでは狂犬病で四人亡くなっている。山岳地帯のようなので、ほとんど海岸近くにいる観光客が気にすることはないが、キンタマニなど山の方に向かう人は犬に噛まれないように注意してください。また、サルも何らかの病気を持っている場合があるので、モンキーフォレストでも注意する必要があります。野生の猿もおおい。
パンガンダランのサルもいきなり、飛びついてくることがあるので、油断はしないでください。特に子ザルに近づく時は注意です。
11月15日 インドネシアで楽しく暮らす 15−427
斜めからインドネシアを眺めよう 427
忙しいからとか自分がやらなければどうにもならないと思って、休めない、のではない。それほど、私が頼りのわけでもないが、自分の不注意での怪我で、出勤できないというのは自分が納得できないのです。小学校の時から、ずっと、学校へ行きたくない、会社へ出勤したくないと思ったことは一度もない。ガキ大将からしつこく、いやがらせをさせられていた時も、難しい仕事がうまくいかないで、取引先や上司から、いつになったら出来るのと、責められた状態でも、インドネシアで未熟な怒りっぽい、本社の常務からシカトされても、社長連中から強烈なパワハラを受けた時も、現在パニック障害中でも、学校、職場へは、喜んで行っていた。怪我や風邪くらいで、休んだら恥だと思っていた。登校拒否や当社拒否は全く、思ったこともないし、体や頭が拒否反応を示したこともない。
私をパワハラした人達と上下関係でなく対等な立場になっている、今、会って、議論をしたいと思っているいが、彼らは全員が、応じないでしょう。理屈では完全に自分が負けということが、分かっているからです。小学校のころ、私をやっつけようとした(私は気にしていない)ガキ大将の何人かは、同級会に出てこない。
透明の樹脂でパイプやチューブを作った場合、透明度や硬さや弾力性が、基本樹脂で同じでも、それぞれの樹脂に弱点を補ったり、純粋なら、高額になるが混ぜ物をして価格が下がるようにしたり、逆に混ぜ物をして、弱点を強化していたものを混ぜないで、安くしたりすることがある。これを、見分けるのは、作った張本人でも難しい。
そこで、何か、問題が発生した時には第三者、それらの取り引きにかかわっていない機関や会社に分析を頼むしかありません。
しかし、一つだけ、製品の色の違いが分かる場所があります。それは、切断面です。束にして横から見ても分かりませんが、断面を見ると、黄色みがかったり、青みがかったりして見えます。その濃さも、確認できます。黄色みがかっている原料は酸化防止剤か熱安定剤を少なくしているか、使っていないのです。車のなかに使っている原料は断面が青いはずです。ポリカーボネート(PC)とポリビニールクロライド(PVC)の透明製品については顕著に分かります。射出製品ではこの判定はしにくいです。
2007年 11月過ぎから、ここ、インドネシアで仕事をしながら、毎日積み上げてきたエッセイをテーマ別にしました。
読んでいただく方が、どこから、読んでいいのか判断しやすいように、また、それぞれの人々の必要性や興味にあわせその時々に読んでいただけるように分類しました。
http://www.ab.auone-net.jp/~bekasi/
11月16日 インドネシアで楽しく暮らす 15−428
斜めからインドネシアを眺めよう 428
ジャカルタの洪水状況は例年になくひどい。11月で、このひどさなので、1月2月の本格洪水季節は思いやられる。ジャカルタへの出張者は、覚悟してきた方がいい。セダンは駄目です。
従業員に一人で夜勤をさせたり、残業をさせたりしたことはない。万が一事故が在って、一人ではどうにもならない事態になったら、取り返しがつかないことになる心配があるからです。
しかし、自分が現場で仕事をするのは、誰も、他の人がいない時が多かった。他の人に手伝われると,その人に気をつけなければならないし、手伝いを頼んでも、思ったような手伝いができない。かえって、足手まといになるので、一人で、思った通りにやりたいのです。足の骨を折った時も、一人だったのは、その理由だった。
だから、本当は、十分安全については気を使わなければならないのだが、ほとんど、意識して仕事をしたことがない。意識しなくても、感覚的に大丈夫として行動をしてしまうことが多かった。
従業員や一緒に仕事をする人に対し、新入社員教育などには、他の従業員はあまり怪我をしないので、例が少ないため、自分の体験を話して、危険がこんなところにあると、注意を促していた。残っている傷を見せながら、こうならないように話した。
命にかかわる重大事故は考えにくいが、仕事中、私がやってしまった怪我は誰にでも起きる可能性がある。
同じプラスチックの成形でも、プレス成形や射出成形は金型を合わせて製品を作るのが仕事ですから、その金型に体の一部を挟まれて潰すという、事故は絶えない。勿論、危険防止のために、両手を使ってボタンを押さなければ作動しないとか、金型にカバーをしなければ型が閉まらないなど、安全装置は講じてあるが、それでも、その安全装置が故障で、閉じてしまうとか、生産中でなく、修理中などで、安全装置の作動をわざとOFFにしてしまうなどの理由で、潰す事故の話は絶えない。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
11月17日 インドネシアで楽しく暮らす 15−429
斜めからインドネシアを眺めよう 429
早いもので、車の運転免許証の期限が来てしまって、免許証を買いに行ってきた。昨年と同じ、ジャバベカのカリマラン川沿いでした。
例によって、自分ひとりで、行って来たのですが、その場所に、外国人を手伝う人が、寄生していて、インフーメーションの警察官が、彼を指名し、彼に手伝ってもらうように頼んでしまった。断るわけにもいかず、頼むことにした。必要書類のコピーをその場で、撮って、申請をしてくれた。5分くらいして、呼ばれ、指紋、サイン、写真を済ませてまた10分くらい待った。もう、免許証を手に入れた。「支払はまだだけど」といったら、事務所の奥の方に、先ほどの手伝い人がいて、聞いたら、35万Rpだというから払った。これは、そこにいる警察官に分配するのです。写真を入れましたが、一般的には日本と同じ5年有効です。価格は、書き換えで、6万Rp,新規で7万5千Rpです。外国人は1年有効で、35万Rpでした。何倍でしょうか。30倍くらいです。
気になっているだろう方たちへ、私の工場はどうなるのでしょうか、今年の四月頃には11月には、どこか、大きな工場に移転し、装置も揃い,積極的に営業をして、お客さんの期待に答えるはずでしたが、未だに、いつ、どこへ、移転、拡張するのか、何も決まっていません。こじんまりと安定してしまっているPT.MAKUTAの現在の場所には仕事や機械を増やすスペースがありません。拡張計画が頓挫しています。私が決める状況にないし、情報も入ってこない、こちらから求めることもできないので、なお、ストレスが増します。
ただ、いつ完了するか分からないK社の立ち退きを待つだけです。2011年になる可能性もある。だから、それまで、なにも出来ない。手も足も出ない、お手上げ状態である。K社のHさん、少しは前進しているでしょうか。本社から、プレッシャーは掛っていないのでしょうか。
目標は失っていないし、インドネシアにいる最終目的はあきらめていない。
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage004.html
2009年10月28日
斜めからインドネシアを眺めよう 408
撤退しようとしている会社の撤退手続きや段取りが,
私の予想どおり、進まない。3か月契約社員として残した従業員に、もう三か月の契約延長を頼んだ。2010年の一月末まで、ということになる。また、三か月延びたことになる。工業団地の事務所には、会社が出た後、購入したいという会社が有れば紹介してほしいと依頼してあるそうですが、いつ出ていくかはっきりさせられないのでは、紹介したくても紹介できない。その肝心なことが分かっていないことと、本社はある売り先と口頭では合意していることを無視しているのか、情報が入っていないのか、本当は紹介依頼を撤回しなければいけないはずです。社内の意思が統一されていない。
工業団地の事務所を訪問し、空き、工場のチェックをしてきた。若年アルツの行動を待つことはできない。何ヵ所か、すぐ入ることができる、工場を物色し、提案をする。それが、受け入れられない時には、もう、日本とは関係なしに、こちらで、自由に行動し、早く、生産設備を稼働させる。これが、先週のミーティングの内容から決めた事です。
しかし、なかなか、適当な場所が、見つからない。大体、どこも、900u位で、30ジュタ(30万円)月で、最低2〜3年契約になる。電気工事、事務所機能工事は自己負担で2000万円以上かかる。工業団地内の新築貸工場は、これが、相場です。しかし、これでは、無駄が多すぎる。どうせ、テンポラリーなので家賃は5万円以下、準備金も500万円以下にしたい。バラックで工業団地の外でそんな所を、物色している。
P社向けの新製品のトライが佳境に入っている。早ければ、明日中に格好がつくでしょう。今までにない、大形の製品なので、取り付けに苦労をしたのと、寸法公差が率として非常に厳しかった。
2009年10月17日
斜めからインドネシアを眺めよう 397(撤退)
今日は,ある人の誕生日である。この日を忘れたら、私にとって一大事である。自分の誕生日に気が付かずに過ぎ去ってしまっても、何とも思わない。
今朝は、私の工場でどんなものができるのか、知りたいので、サンプルを届けてほしいという会社に届けてきたが、仕事を、今、頼まれても困ることを付け加えてきた。
EJIPのE社と背中合わせにあるかなり面積的には広い会社の前を通った。この会社も、草ぼうぼうで、一m以上の丈になっているが、放置してある。ほとんど、人気はない。聞くところによると、もう、生産は無くなっている状態で、従業員も、すでに、退職させたという。MMのどこかの会社と同じ状態だが、大きく違うのはEPTE(関税免除)が,あるかないかです。ない会社のクローズ手続きは、簡単だし、すぐ、申請も受理されるので、身売りもしたければ、早く、済ませることもできる。
もうひとつ、大きく違うのは、清算の専門家が派遣されてきていることです。MMの会社は、精算の実行人自身が閉めたくない人だし、手伝う、経理のインドネシア人もできるだけ、長く、仕事をしたいから、わざと、間違えたりしている。気持が、伸ばす方で、一致しているので、いつ閉まるか予想でいない。一説には来年末になるという話もある。事実、専門家が、来て、整理にかかっている、ブカシのM社は一年過ぎているが、まだ、ベアチュカイとの難題に、ン、と云えないらしい。ベアチュカイは、EPTEで受けた恩恵を全て吐き出すまで、OKを出さないという話だ。
韓国の企業は、さっさと、夜逃げ同様にして、何もかも放りだして帰国してしまうそうです。そういう場合は、身売りはできないし、装置を売ることもできないが、選択としては賢いかもしれない。
インドネシアに会社を進出させたいなら、EJIPの会社を買収してしまう方が、予定は立てやすいし、しこりがないでしょう。ただし、その後、拡張したいなら、完全に手続きが終わった会社と交渉した方がいい。
先ほど、ジャカルタタイム17:00頃、地震があった、震源地はジャワ島の南西端ウジュンクロンM6.4。津波の情報はない。この地帯は、何もないところですから、壊れる家もない、山崩れがあっても,埋まる車はないし、人もいない。動物(幻の白サイ)がいるといわれている地帯です。
2009年10月07日
斜めからインドネシアを眺めよう 387
ジャカルタ近郊は完全に雨季に入ったようです。先週の土曜日は各所で冠水し、車が通過できない状態になったらしい。これからは、それが、日常的になる。
パダン地方も雨季になって、大変だろうと思う。山間部のがけ崩れでいくつもの部落が埋まってしまっている上に、土砂降りでは、新たな、大規模な土石流を必ず起きる。もう、放置するしかなくなるでしょう。
生存者はいないとして、捜査は一切った。今後は重機により、瓦礫の排除に重点が移る。
ある程度、試作が終わって、量産になってくると、押出しラインに余裕ができてきた。その余裕分を使って、比較的簡単に製造ができて、ロットが小さい、品物の受注をしようと思う。品質や価格で困っている会社を優先することは言うまでもない。今日も、一社、訪問してきた。そして、今日の内に見積もりを提出した。試作品を16日までに提出しようと行動を起こした。
それも、客先に提案し、原料は現在使っている物に絞って、より、寸法公差がちいさくて価格的に安くする。客先から指定された原料で成形するのは能がない。使う場所によって、使う原料は最適な物性をもっていなければならない。必ずしも、設計者がプラスチックのことを広い範囲で知っているとは限らない。もっと安くて、もっと寸法が出せて、もっと物性的に適した原料があるかも知れない。使用目的を聞いて、材料や寸法公差の提案をするのは、成型会社の営業担当者の義務である。
それが、できない会社は、物の売る資格がない。
購入する側も、現在使っている元原料が最適だと思いこんではならない。いままで、問題ないから、そのまま使い続ける、変更はリスクをおわなければならないので、担当者は躊躇するのが普通です。
パダン地方も雨季になって、大変だろうと思う。山間部のがけ崩れでいくつもの部落が埋まってしまっている上に、土砂降りでは、新たな、大規模な土石流を必ず起きる。もう、放置するしかなくなるでしょう。
生存者はいないとして、捜査は一切った。今後は重機により、瓦礫の排除に重点が移る。
ある程度、試作が終わって、量産になってくると、押出しラインに余裕ができてきた。その余裕分を使って、比較的簡単に製造ができて、ロットが小さい、品物の受注をしようと思う。品質や価格で困っている会社を優先することは言うまでもない。今日も、一社、訪問してきた。そして、今日の内に見積もりを提出した。試作品を16日までに提出しようと行動を起こした。
それも、客先に提案し、原料は現在使っている物に絞って、より、寸法公差がちいさくて価格的に安くする。客先から指定された原料で成形するのは能がない。使う場所によって、使う原料は最適な物性をもっていなければならない。必ずしも、設計者がプラスチックのことを広い範囲で知っているとは限らない。もっと安くて、もっと寸法が出せて、もっと物性的に適した原料があるかも知れない。使用目的を聞いて、材料や寸法公差の提案をするのは、成型会社の営業担当者の義務である。
それが、できない会社は、物の売る資格がない。
購入する側も、現在使っている元原料が最適だと思いこんではならない。いままで、問題ないから、そのまま使い続ける、変更はリスクをおわなければならないので、担当者は躊躇するのが普通です。
2009年10月02日
斜めからインドネシアを眺めよう 382
出勤は13日ぶりである。皆さんは月曜日から仕事をしているので、全員、揃っていた。問題は、購入してしまった装置の置き場所である。どうなってしまってるのか、情報が入らないので、情報を発することもできなくて、困っている。早く何とかしたいが、催促もしにくい状態だ。
スマトラ中西部の都市、パダンの地震。この場所は地震地帯で、ブンクル、ニアスも近所である。M7.6かなりの規模である。今のところ1000人以上は犠牲になっていると予測されている。ほとんどが、崩れた建物の下敷きになっていて発見が遅れるでしょう。火事も同時に発生しているので、下敷きの人たちは助からないでしょう。このごろ、インドネシアは地震が頻発している。先日もタシクマラヤ付近で7.3が発生したばかりだった。夕方、17:00前にスマトラJambi(MedanとBunggkuru)で地震があった。被害状態は、まだ、情報がない。
9月28日から、自動車道路の料金改定がされた。Surabaya、Semarang,Cirebonのバイパス的道路は30%以上の値上げになっていたが、CikampekからCikarang Pusat(Delta Mas)までの料金は5000Rpで変化なしだった。また、近距離は値上げなしで、其のままだそうです。
ロンボクで飲み込まれたATMカードの再取得申請を、朝、済ませた。夕方には渡せるといわれたが、明日にする。それほど急がない。これで、旅の落し物は全部拾えることになる。後は、肋骨の痛みだけが残り、その他は全部消えました。
あひる?の行進 アヒルにしては首が長いし、茶色い。
2009年09月17日
斜めからインドネシアを眺めよう 367
インドネシア中、もう、会社や事務所の機能はしなくなっている。人が少なくなっているから、仕事にならない。納品も受け入れも終わっている。Selamat Mudikである。今月は、ほとんど仕事にならない。
午前中はジャバベカの事務所と貸工場へ行った。電気、水、電話の申請のための手続きを開始した。工事の契約を現地工事屋は望んでいたが、今日はできなかった。また、明日に期待してもらう。遅くても、10月1日から工事を始めてもらいたいが、どうなるでしょうか。
あい変わらず、連絡が取れないままの会社がある。新しい仕事やクレームの話など、連絡を取ってきてもらいたい時や話を聞きたいとき、大変連絡を取りにくい。何が原因なのか、不思議がられている会社の社長さんがいる。多分、裁判中か警察で取り調べ中なのか、会社の秘書に聞いても居場所が分からないし、連絡をとれないそうです。それでは、客先に話ができないので、行き先を言っておいてくださいと、頼んでも、云ってくれないそうです。
仕事を引き上げて、他の会社に移したいが、その仕事をやれる会社がないという。困った会社である。だから、急ぎたいのですが、
新商品の金型の設計をした。製品のデザインは半年前には決めていたので、それを作るための二色成型用の金型だ。インドネシア中全土にこの商品が広がり、インドネシアの輸出産業の振興に役立てば、自己満足になる予定です。
インドネシアならではの新商品としてもう一点考えている。地方の田舎で効果を発揮すると確信しているものです。
出張者の方に、いつも空港で何か高そうな漬物をお土産に買って持ってきていただくが、高いばかりで私の味覚に合わないものばかりなので、もったいないと思い、今回は一袋100円ほどの振りかけとお茶をリクウェストしておいた。
竹(草冠の)名堂(ちくめいどう)のお茶を買ってきてくれた。早速、先ほど飲んだ。独特の渋みの“わらかけ”で、一瞬、大変、懐かしく思ってしまった。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
のオランウータンが面白い。
2009年09月13日
斜めからインドネシアを眺めよう 363
硬質PVCパイプの製造100Φで、10m/Minで流していた。バキュームボックスの長さは5mくらいあった。早い!という感じだった。やはり硬質PVCの世界はインドネシアでも既に生き残りをかけた厳しい業界になっていることを直接感じた。バンドゥン工場が立ちいかなかった理由が分かった。
二本成形の装置やマーキング装置もあった、当たり前に製造していた。パイプを繋げるために片側の径を大きくする仕事もしていた。
但し、パイプの肉厚や外観や真円度は日本規格には遠いが、インドネシアでは問題ないのです。
原料もペレットで買うのではなく、粉末で買って、各種添加剤を自分の工場で配合していた。日本では40年以上前からやっていた方法だが、装置も原料についても、もはや、この分野では日系企業は、立ち入るすきがないと、あらためて、知った。だから、今どき自分で配合しないで、ペレットで買って、PVCの成型をしている会社は早晩立ちいかなくなる。
この会社の中国系の経営者は大変親切に、インドネシアの技術現状を話してくれた。私も、大変参考になったが、連れて行った、ディキ君ワルドヨ君にとっては、大変な勉強になったと思う。さっそく、実際の仕事に生かしてもらうことができると思う。
自動カッターは自分達で作ることにした。
屋内アメージング施設がマッカサールでオープンした。インドア、ドゥニヤファンタジーです。トゥランスストゥディという名前です。レバラン前に開業を間に合わせた。ユスフ、カラ副大統領がオープニングセレモニーでテープカットをした。トゥランスTV資本である。
ジャワ島以外にこういう施設がどんどん増える可能性が今後も高い。インドネシアの内需によるGDPの成長の象徴でもあると思う。
2009年09月12日
斜めからインドネシアを眺めよう 362
ミンタ“Minta”の最盛期です。税関職員も警察官も一般従業員も全員がMintaです。インドネシア全土がMintaです。”ちょうだい“である。
道端、交差点、信号付近に子供たちが得体のしれない手作り楽器を持って、車に近づきお金をねだる姿も倍増している。それと、目が不自由な人、イザリ(この言い方は、今はしてはいけないのか?)や赤ん坊を抱えたお母さん、も多くなった。
一日、10万Rpは稼げるという。暑くて大変だろうが、期間中に二万円ほど稼げる、いい、商売である。
今は、それらの偽物も多く稼ぎに出ているという。目くらを装って、子供に手を引かせて共同作業の大人、片足の膝を曲げ縛って、松葉杖を使う人、みすぼらしい恰好をし、赤ん坊を借りて路上に立つ女性。
元締めがいて場所を占領し、多くの人を雇って、商売にしているという話である。
日本で調達すれば軽く二千万円以上するする装置が新品で、四百万円以下で手に入ることになった。何の装置かは、今は、内緒。この装置は、以前五年物の中古で450万円の物件を見つけてあり、ラマダン休暇明けに引き取る腹積もりでいたが、そのうちに、もっと大きい口径の新品で安いでものがあるという情報が入り、昨日、タンゲランへチェックしに行ってきた。あるところには有るもので、見て、すぐ、OKした。プラス周辺機器合わせて、600万円の契約をした。これは、新工場で、大きな武器となるでしょう。
日本で調達すれば、二千五百万円+輸送費梱包費申請費になってしまうものである。
2009年08月21日
斜めからインドネシアを眺めよう 340
奨学金は三分の一を返せばいいという特別なものだった。いま、この制度が維持されているかどうかは知らない。私はその三分の一は大学を出たと同時に返し始め、3年ほどで全額返しました。しかし、三分の二は返さなくていいので、余分には返しませんでした。育英会に寄付もしませんでした。
その代り、税金は毎年新聞にのる程個人でも会社でも払い続けました。健康保険や厚生年金などは、これ以上はないという最高金額を払い続けました。
ですから、国は私に特別奨学金を支給したことは間違いではなかったのです。税金の使い方や年金の資金配分には非常に不満ですが。こんなことなら、所得をごまかして、自分の資金をもっと蓄積して、自分で自由に使えるお金を残しておけばよかったと思っているくらいです。犯罪になりますが。
親に似て、正直すぎたが、それでも、多分、一般の人の平均よりかなり高額な資金を蓄積することができたと思っているので、また、特殊な技術を持っているので、そのことを通じて、親の世代が迷惑をかけた国々の人たちに個人的に、役に立てようと50歳から、それを実行する行動に出たのです。
日本人のためにではありません、あくまでも現地の国と現地人のためにと仕事、技術指導を始めたのです。多くの資金を投入しました、そして、自分にかかる費用は平均的日本人の五分の一くらいに抑え、現地企業からの報酬のほとんども技術指導や現地従業員の奨学金や生活費や病院の費用の手伝いにつかったし、今もそうしている。
一億円以上は其のために使ったでしょう。でも、その効果はあがっていると確信しています。ムダになっていないと自己満足している。
残念なことは、この私の行動を日本人が理解できないどころか、逆に、それが気に入らなくて、目の上のたんこぶとしか思わないで、邪魔ものとして排除しようとしたことでした。
2009年08月16日
斜めからインドネシアを眺めよう 335
月曜日が独立記念日で休みだから三連休である。せっかくの三連休、普通なら、どこかへ遠出をしているが、今は深刻な金欠病にかかっているので、自粛である。仕事とゴルフで、出資を控える。
ゴルフが終わって、夕方、久し振りにというか何年かぶりにプロガドン(東ジャカルタの工業団地)へ行ってきた。中古の押出し成形ラインをチェックするためでした。
ジャカルタ周辺の工業団地は、3〜40年前にはタンゲラン方面が主だった。空港から近いし、ジャカルタにも近い。日系企業も既に多く進出していた。車の部品の会社が多いようだが、印刷、カートンケース、医療器具、陶器具なども進出していた。インドネシアの企業も多く、その中にはほとんどといっていいほど日本人が指導をしているか、日本人が商売の手伝いをしている。プロガドンは25年前頃進出した日系企業が多い。ジャカルタの中心に近いが渋滞が激しく、高速道路はつながっていないので、時間が読めない場所で、今となっては、若干、空いているが、ここは進出する企業はない。逆に手狭になった企業はチカラン以東の高速道路沿いの団地に移転している。
十数年前以降に進出した会社は、ほとんど、ジャカルターチカンペック高速道路沿いにある。工業団地は10か所以上あるが、工業団地外にも多くの外国企業がある。この高速道路沿いの企業だけで、インドネシア全部のGNPの10%は占めているのではないかと思うほどの大企業がほとんど進出している。私たちの会社もこの中にある。引っ越してもこの中です。
2009年08月12日
斜めからインドネシアを眺めよう 331
PT.MAKUTAの押出機やその他の装置はどこ製ですかと、聞かれる。どこ製でもありません、PT.MAKUTA製です。押出機はシリンダーとスクリューを買ってきて、センタ−の高さにする台を鉄材で作って、下に置くモーターやプーリーやVベルト、ヒーター、計器類、コントロール装置、パネルなども買ってきて自分達で組み立てて作ったのです。水槽、金型、引取機、カッターも殆ど全部自分達で作った。新しく私の設計で作らせた、装置も望みどおり働きをしないので、自分達で手直しをした。だから、私たちのノウハウが多く含まれているし、私たちの労賃、技術量も含まれている。
そして、日本製と遜色、いや、それ以上の品質の製品を作っている。
駿河湾の地震による私の家の被害はなかった。会社は夏休みで電話しても誰も出なかった。地震でのダメージより、各地での大雨による被害や海水浴で多くの人が亡くなっている方がニュースとしては深刻でしょう。
せっかくの夏休み、地震による通行止めや運休で、出かけられない人が多くなり、いろいろな予約のキャンセルが発生し、経済的影響が大きくなることでしょう。
面白いのは、いつものことだが、30年以上前から、いつ起きてもおかしくないと、歴史的周期から推測して?予想しされているが、一向に、これが想定された地震でしたとか、起きるだろうというデータからの予測でこない。その間に神戸や奥尻や最近では中越や大地震が各地で起きて大きな被害を出している。結局、地震の予測はできないのです。気象庁の記者会見などを聞いていると馬鹿らしくなる。地震予知委員会?霊能者(私は信じません)、第六感が鋭い人を集めて、予測させた方が、当たる確率は高いと思う。予測が当たる確率を明らかにしてほしい。各所で10年以内がなん%、5年以内がなん%、1年以内がなん%半年いない一か月以内1ッ週間以内、何時間以内なん%といった具合に、です。
そういう予想ができるという予知委員会の人がなん%いるのか、できないという人がなん%いるのかも明らかにしてほしい。
これによって、各地域のお金(予算)の使い方が大いに変わるのです。
インドネシアのように起きた時に救済にお金を使えばいいじゃないの、どうせ、予測はできないし、防げないし、止めることもできないのだから。救済や復旧を早くする備えをしたらいいと思う。自衛隊ではなく消防隊ではなく、自衛隊は縮小し、大規模なレスキュー隊を自衛隊並に作ったらいいと思う。
2009年08月11日
斜めからインドネシアを眺めよう 330
断水、ここ数日、昼間断水をする。夜8時過ぎに水が出て、朝8時ころには水が止まる。飲み水や料理用の水はガロンボトルを使っているので、これは普通で問題ないが、洗い物、洗たく、風呂や洗顔やトイレは水道水を使うので、これらは大問題です。水が出だしてもチョコレート色をしていてなかなか消えない。茶色の風呂に入る。風呂の水を抜いた後、錆びの粉が風呂の内面に付着している。シャワーで最後に体を洗うが、拭いたタオルは茶色になっている。
多くのローカルのお客さんが訪問してきてくれるが、いずれも、彼らが台湾や中国、日本から、輸入して販売している物である。それを、ぜひ、MAKUTAでやってほしいというのです。よく聞くと、彼らの売り先が日系お企業なのです。ブローカーである。日系企業からこういうものを欲しいと頼まれると、なんでも、捜して来て売るのです。金属部品でもプラスチック部品でも、中には、特殊なペンとか、それぞれの会社の製品保管用のいろいろな形、大きさの棚とか、なんでもです。便利屋です。それの中に、継続して納め、納める量が増えていって、大きな金額になっているものもある。中に、私なら、簡単にできて、手伝いができるものもある。皆さんには、そういう製品を海外の会社の規格品から適当に取り寄せて、サンプルとして持ってきて、使える物を使ってもらうというやり方なので、納める製品の特性や使う場所、などは全く知識がない。原料の名前や規格は全く分かっていない。
とにかく、量が多いものから、考えるから、その製品の切れ端を持ってきてくださいとお願いしている。それがあれば、同じ原料で、同じサイズの製品をすぐ作ってやります、そして、見積もりも出します、と。
もうひとつは、使い道が分かれば、値段と性能を検討して、客先に安く提案できるようにもしてあげられると話している。
とにかく、今の工場ではできないので、もうしばらく待ってほしいとも付け加える。
ムナラスナヤンへ航空券をとだけに行ってきたが、行きは余裕を見過ぎて早く着いてしまい、スリッピから高速をでて、裏から入った。6:15位で約束の7:00より大分早く着いてしまった。本人が部屋に戻っていてくれていてよかった。直ぐに航空券を渡し、ちょっとだけブリトゥンについて話をした。45分にホテルをでて、ジョッキがまだいるのを見て、しまった、と思った。まだ、3イン1が終わっていなかった。しょうがないからジャランスディルマンに出る、100mくらい手前の路肩に停止して7:00になるのを待つことにした。こういう状況は初めての体験だったが、同じような車が沢山あるもので、私の車は100台以上の内の一台に過ぎないことがすぐに分かった。7:00を過ぎたらいっせいに動きだし、今の今まですいすい流れていた車の列がたちまち大渋滞になってしまった。スマンギから高速に入ったが、いきなり高速も大渋滞。スマンギからポンドックグデティムールまで、一時間半かかった。家に着いたのは9:00を過ぎていた。
2009年08月08日
斜めからインドネシアを眺めよう 327
あわただしい一週間が過ぎました。PT.KAKUTAとして、打てる手は打ち尽くしたので、現状で、おとなしくしていようと思う。私は動きを止めます。
一人暮らしになって、一か月過ぎた。一週間に二日朝6時から8時まで近所の奥さんが掃除と洗濯とアイロンがけにきている。食事はインスタントものがどうしても多くなるので、時々、近所の屋台へ行って焼き鳥や鶏のから揚げ、野菜炒めのようなものを食べる。朝食は近所のコンビニで買った、パン類で済ますことが多い。夜、クンタンゴレンを食べることはなくなった。それでも体重は減らない。
それでも、一回だけリッポチカランのハイパーマートへ買い物に行った。お米とソプ ダギン サピのセット材料である。お米は、インドネシア人が食べる長粒米は美味しくないし、おにぎりを作りにくい。そこで、カリフォルニア米を買う。5Kgで、1500円くらい。インドネシアのお米は一般には400円くらいです。ちなみに、今手に入るかどうか知りませんが、ジャカルタの日本食材スーパーで売っている、日本から輸入のブランド米は4000円近くした。私は一度も買ったことはないので、今輸入されているのかどうか知らない。
何より、一人暮らしは、夜が不安である。テレビを見て時間を過ごすことが多いが、たまに、頭が、くら〜〜っとするときがある、一瞬なので、何事もないことも分かっているが、やはり、不安である。最低でも、あと一月半は一人暮らしは続く。
2009年08月04日
斜めからインドネシアを眺めよう 323
今週はちょっと忙しくなりそうだ。5日〜7日まで、また、日本からお客さんを迎える。プレス機の準備完了かと思ったら、エアーコンプレッサーの容量が足りないことが分かった。プレス加工ができない。あわてて、コンプレッサーを買ってきた。今晩、夜勤で加工し、明日午前中に納品しなければならない。客先の組み立てラインがストップしてしまう。
其の前に、例のカリマラン川沿いの中古機械屋へ行って、コンプレッサーの中古を探した、ついでにハンドリフトも探した。両方とも使えそうなものが見つかった。しかし、値段を聞いたら、ボスがいないから分からないという。どこへ行ったのか、HP番号は?と、聞いても知らないという。他に何人かいたので、とにかく、今、これを持って帰りたいといってみたが、だめだという。
どういう、商売をしているのでしょうか、その間にも、中古のモーターや大型のバルブなどを車に積んで持って行く人もいる。あの人たちは持って行っていいのか?と聞くと、さっきボスがいたときに売ったものだという。どうも、一足違いのようだった。
結局今日中に使い始めなければならないので、帰る途中のカワサンラマという工具、装置屋へ寄って、新品を買うはめになった。5.5HPのコンプレッサーとハンドリフト500Kg合わせて、16万円払った。痛いが仕方がない。
J社の前を通ったが、うっそうとした木の隙間から、車もバイクも人も何も見えなかった。鉄の格子のゲートは隙間がなく閉まっていた。外部と戦わず内部だけと無駄な戦いをした、”兵共が夢の跡”とは言えない寂しい風景である。
カリマン川沿いの風景、木製パレットのセカンドを扱っている。一軒一軒持ち主が違う。
2009年08月02日
斜めからインドネシアを眺めよう 321
今月22日から、プアサと聞いている。21日と云う人もいた。そんなものです。
装置が一杯一杯になってしまったので、ほとんど打つ手がなくなってしまった。装置の準備を始めているが、これも、置く場所がないので、早く手配し過ぎても困る。資金的にも、もう、私個人から出金したくない。売りかけの入金を待って、その具合で装置の支払いもしてゆくことにしたい。それで、十分、間に合うペースのようです。私が先走っても仕方がないように感じる。早く、立ち上げ早く、装置に余裕を作って、早く営業をして回れば早く利益を上げることができるし、お客さんの期待にもこたえられることは明明白白だが、今月から、先のことは、私は余計なことをしないで様子を見ていた方がよい状況になりそうです。一番、苦手で、苦痛な、待ちの状態になる。
節約生活が続いている。投資予定金額はすでに残すところわずかになった。これ以上PT,MAKUTAにつぎ込むことはしない。しかし、半額は支払い済で、先行して注文してある装置が出来上がってくれば、支払いをしなければならない。それらの設備はPT.MAKUTAの為でなく、次のステップに備えるものである。これは、現在の仕事からの収入で払っていけるので、心配はしていない。
J社が従業員の大部分を出してしまったので、場所はないが、そのうちの何人かが、PT.MAKURAへ来ることになるでしょう。人件費も増すばかりです。四台なのに、20人以上になってしまう。これも、なんとかなると心配していない。
条件は、私の給料は貸しです。生活費は自己負担です。多分、今年中はこの状態が続くことになるでしょう。学生時代の下宿生活が懐かしく思いだされる状態で、なかなかいいものです。楽しんでいる。これからプラス方向しかないことが分かっているからです。