2009年07月16日

インドネシアで楽しく暮らす 15−303


斜めからインドネシアを眺めよう 303
私が起こした会社も私自身も高額納税者として何年間も公表され、社会的貢献をしてきた実績があっても、この会社のために尽くそうと望んでいても、社風がインプットされた、全くの素人さんサラリーマン現地社長からパワハラを受けるのです。何もしないでほしいといわれた、机の位置も日本人としては特別待遇の皆さんからぽつんと離れた位置におかれた。すべて、Qの指示だった。Qが来るたびに私の机の位置が部屋の隅に方に移動された。最後には、広い事務所の入口近くのコピーファックス機の横で、皆さんが良く出入りする賑やかな場所だった。他の日本人は奥の窓を背に事務所全体が見渡せる場所で、彼らのコンピューターモニターは他の人が見ることはできない。ゲームをしているのでしょう。右手のマウスだけを激しく動かしていた。
インドネシア人が呼びつけられて怒鳴られていた。私も呼ばれて机の前に立たされ、「無責任でしょ」「半年以上も200万円以上の製品在庫をどうするつもりだ」と云っている。私は、何のことか分からない。「何の話ですか」と聞いたら、「分かっていないのか、ムルパティ向けのパイプだよ」私は?マーク、まったく心当たりがない、私の頭にインプットされているのは、前回注文を受けた分の余りで、せいぜい、2万円ほどの在庫しかない。それも、間もなく、引きとってもらうことになっていた。「知らないでどうする、どうするつもりだ」となおいう。私は、丁重に「間違いだと思いますよ、もう一度確認してください」と、お願いした。「私が、間違っているというのか」と言われた。
何をいってもしかたがない。頭に血がのぼっているし、思い込みは、その時消すことはできない。「分かりました」といって、その場をはなれた。横にいた他の日本人も、満足げな顔をしていた。ご本人2万円と2万ドルと階一がいしているのでしょう。原料の10倍の価格で出した見積もりが受け入れられ量産になって大儲けと喜んでいたが、私の指摘で、実は見積もりの数字の位置を間違えに気付かず、原料価格で見積もりを出し、一年以上も私が指摘するまで気がつかなかった人です。また、0.15ドルのはずが0.05で出して、それも、私が指摘するまで気がつかなかった。両方とも、私が指摘したことを逆切れで怒っている。面白いでしょ。怖いでしょ。そういう人が強烈なアワハラをするのです。
その後、一週間以内に2万円ほどでしたが客先に納品して在庫がなくなった。200万円のことは何も言ってこなかった。それからしばらくして、また、別の話で、呼ばれた。その話も、また、まったく心当たりがないことだった。
現在はその会社の外にいるが、私が云った覚えがないことで、私が言ったと云って、被害をうけているかのような報告や話をあちこちでしている。気の毒というしかない。パワハラをした仕返しをされるとう恐怖心が潜在するのでしょう。自分の無能力や無理解力、無行動力を自覚し、それに恐怖を感じた方が周りを安心させると思います。

先ほどジャカルタから戻った。三年ぶりのジャカルタ、ブロックMからでした。丸福で元気会。年の一回ほど20人くらいが集まるが、プラスチックの射出成型と金型の関係の人が多い。いつもその中の数人を知っているだけで、大部分の方は、初対面か、以前に名刺交換したことがあるが其れきりで私が覚えていない人である。相手は覚えていてくれますから、話が難しい。他の人がその人の名前を呼ぶときを、待っていて、知ってからは、盛んにその人の名前を云って話をします。
夜のブロックMは私にとっては、お金の無駄使いで、お金の使い方が私の考えと全く反対なので、嫌いな場所である。カラオケは好きだから、もし、行くなら、一人で、コーヒーかコーラを飲みながら、一人で歌い続ける。それで満足するが、女性はいらない。一番の新人を呼んで、歌のセッティングをしてもらうだけです。店への支払いは最低にし、お客がまだ、付かない新人女性に10万Rpチップを渡します。でも、それも5年以上前の話です。

posted by 元気な振りの爺さん at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月11日

斜めからインドネシアを眺めよう 298



輸入原料の入手に目途がついた。結局、使わない原料を内が注文したのだから、他へ売ってはならぬ、というのは、無理がある。冷静になれば誰でもわかることです。既に買ってしまって、使わなくなった原料やマスターバッチや顔料についても頼まれれば引き取る用意がある。

インドネシア製第一号のナイフカッター付き引取機がやっとまともに仕事をするようになった。タイマーが壊れたり、クラッチが勝手に離れたりくっ付いたり、ナイフが止まる一が一定しなかったり、まったく、“泣く子と地頭には勝てない”状態だった。すったもんだの末、やっと、使い物になるようになった。二号機を早速注文する。

大統領選挙の決選投票がなくなったので、選挙運動は終わりです。選挙管理員会からの正式発表は25日頃になるらしいが、その必要もなさそうだ、すべての候補者が、結果を認め、今回の選挙が秩序正しく行われたことを、インドネシア民族の勝利だと云っていた。
其のとおりだと思う。10年前とは別の成熟国家になっているように感じた。たった半日の投票と半日の開票で決した。たった8時間で全てがかたずいた。すごい。

一週間後に日本へ発つ。一週間の滞在中に、日本でのゴルフを楽しんでくる。今の日本はインドネシアより暑いだろうから、つらそうだ。豚フルにかかったらしゃれにならない。日本人学校の生徒が日本から豚フル?を持ってきて、一時学級閉鎖された。今は、平常に戻っている。日本から戻った人は、必ず、周りから、冗談混じりで、大丈夫だったか聞かれる。

posted by 元気な振りの爺さん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月29日

斜めからインドネシアを眺めよう 286



手段が分かっていて早くやろうと思えばできるし、期限を設けることができるが、わざと遅くする、というのではなく、本当に、何も分からず、調べようともせず、ただ、根拠もなく遅くなるのだから、あいた口が塞がらないというしかない。

今まで、若干の望みを残し、迷っていたが、待っていたのではらちが明かないことが十分わかった。とにかく、勝手に自分で広げることにした。工場を広げる、そして、二ラインを増やすことに決めた。8月プアサ前には稼働させる。待っていただきたいといったって、いつまで待っていただければ確実に引き受けますと、約束できないので、約束できるように自分でしなければならないからだ。多分、そのために300万円ほど捨てることになると思うが、仕事をするということはそういうことです。

間もなく、今、ある三ラインはフル稼働になってしまい、試作もできなくなってしまう。現在受注している客先の自然増や、ニューアイテムの増加にも対応出来なくなれば迷惑をかけてしまう。余裕をどうしても持たなければならない。

一ラインは入手済みだ。押出機二台と水槽の目途はついた。引取機とカッターの目途も付いた。あとは工場を広げることと電力量を増やすことと水量を増やすことです。
本当はリサイクルペレットの製造ラインも粉砕機も増やしたいが、騒音の関係で、今後のチャンスを待つ。
発展する会社も、衰退してゆく会社も正直に情報公開をするべきである。突然、なにかが起きるというのは、PTとしての社会的責任を果たしていないということを常識的に認識していなければならない。会社のWEBSITEで、情報を公開できるのです。PT.MAKUTAでさえ、胸を張って、公開している。
インドネシアでは対象物の後ろに沈む夕日や後ろから登る朝日を見たいとき、太陽は年間10度ほどしか移動しませんから、対象物までの距離が2〜300mなら、最大でも35〜52m横に移動すれば目的を達成できます。
サンライズ、サンセットの時間も20分ほど違うだけです。

posted by 元気な振りの爺さん at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月26日

斜めからインドネシアを眺めよう 283



今日もジャカルタ、スミタマスの事務所でミーティング。昨日、今日と車での移動が長く、渋滞にはまることが多く、スリーインワンに気を使わなければならない。ジャカルタはもう十分という感じだった。
それと共に、なんだかプレッシャーが増えてきたことを感じる。大変だぞ、これから。

作用反作用という用語は物理でよく聞く。一般的に、押せば、押し返す力が働いてバランスが取れる。この例えが適当かどうかは疑問だが、人間社会にも当てはまるような気がする。
今、インドネシアで起きている現象は横へ置いておき、私が小学校のころを思い出す。5,6年の時の同級生で、始末が悪い、体が大きく、腕力があるガキ大将がいた。子分数人を操って、女の子や体が小さな男の子の物を自分のものにしたり、隠したり、勉強の邪魔をしたり、当時、学級委員長をしていた私としては許すことはできなかった。負けることは分かっていて、彼らに対抗した。校舎の裏に呼び出され、数人に囲まれ、ガキ大将の命令で、私に殴りかかってきたこともあった。授業中に、私の消しゴムをいきなり取り上げて、ずっと前へ放り投げたので、パンチをクラヤせたら、その後、取っ組み合いの喧嘩になった。そんな、やつが、中学生になって、二年の時、他から来た番長にコテンパンにやられて、見る影がなくなった時、私が、その番長連中に話をして、めちゃくちゃなことをするなとたしなめた。同級会や同窓会には出てこない、その彼は今何をしているのでしょうか。小学校の時の取っ組み合いで彼に深くかじられた三本の傷痕が左手の甲に残っている。其の頃のことを思い出すたびに、気まずい思いをしているに違いないと思う。

来月末に日本へ行って、インドネシアへ持ち込む設備についての決定をする。
輸入ライセンスは必須、そして、株主は二人以上、おまけで、PT.は必ず前に置く、後ろなど、前以外は認められない。そんなことを知った。
スミタマスの前で、マヌハラを見た。

posted by 元気な振りの爺さん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月23日

斜めからインドネシアを眺めよう 280




先ほどスカルノハッタ空港で重要な人を出迎えし、ホテルムリアアジアアフリカへ送って、チカランへ戻ったばかり、まさか、マリアさんにドライバーをしてもらうわけにいかないので、すべて、自分で運転、乗客がオランプンティン(VIP)なので、気を使い疲れた。運転時間は4時間ほどだった。明日の朝、ホテルまでピックアップに行かなければならないが08:00朝食会、しかし、3in1に絡まないように07:00前には到着しなければならない。05:30前に出発である。そして、一日中、ドライバーと案内役になる。
25日までのお付き合いとなる。
来週は忙しい一週間、気を使う一週間になる。そして、明日、成り行きによっては、ドライバーとして、J社に行くことになるかもしれない。そうなれば、面白いことになりそうだ。実現するでしょうでしょうか、実現すれば、これは、楽しめそうです。話の種が沢山出来そうです。

タンゲランの何社かを訪問の予定になっている。これも、ちょっと、疲れる行程である。まだ、まだ、たくさんの会社の訪問をしなければならない、現状の報告と今後の予定について相談する為です。
ブタフル対策でしょうが、日系の会社を訪問するとセキュリティが表面温度計を首辺りにあてて体温を測る。そして、記録を取る。もう、慣れてしまった。インドネシアにいる日本人は全然気にしていないが、多分本社からの指令だと思う。

posted by 元気な振りの爺さん at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月22日

斜めからインドネシアを眺めよう 279



昨日のコンペで、ドラコンを始めて取った。というのも他の全員がフェアウェーを外したからです。150mでドラコン、皆さんの話題のタネになった。
ジャバベカの仲間とゴルフが終わるとシャワーのあと食事です。大体、決まったメニューを頼みます。サラダが楽しみ。ドレッシングはKスペシャルと云っていますが、Kさんがいつもジャカルタの日本食スーパーで購入してきて準備してくれている。ボトルキープをしているのです。
今日はインドネシアのお茶について、高原地帯には広大な茶畑が広がっている。一年中茶摘みが行われている。茶摘みの労賃は1kg300Rp(3円)です。一日働いて、5kg1500Rpです。悲しくなるくらい、少ない報酬です。
静岡の茶畑はどうでしょうか。限られた時期しか収穫ができない上に労賃も100倍ぐらいなのだと思う。それで、インドネシアのお茶が緑茶に加工し冷凍して輸入ということをすれば、静岡やその他のお茶産地は壊滅するでしょう。そうなっていないのは、輸入していないからです。知りませんが、障壁があるのでしょう。
インドネシアのお茶はすべて紅茶です。緑茶(テーヒジャウ)という名前で売っていても実は紅茶です。日本のような緑茶は全く売っていません。苦みがインドネシア人は苦手なのです。
日本から多くのお茶の栽培に関して技術指導に来ているようですが、日本茶の製法は教えていないのですか。暗黙のうちに教えないことになっているのでしょうか。インドネシア人が日本へ行って緑茶の製法を学ぼうとしても教えないのでしょうか、不思議だと思う。

posted by 元気な振りの爺さん at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月17日

斜めからインドネシアを眺めよう 274



 押出成形をすると、見積もりの時、必ず、断面積を計算しなければなりません。図面ソフトのキャドを使って寸法どおりに書けば、計算ソフトが入っているので、自動的に面積が出るし、長さを掛ければ体積がでる。計算する必要がありません。三次元図面からは体積が自動的に出てくる。
 だからでしょうか、日本の一流私大理工を三年前に卒業した若者にチューブの内径、外径と比重を示して、1Mの重量を計算するように頼んだが、いつまでも考え込んでしまって、答えが出てこなかった。わからないのではどうしようもないので教えることも辞めた。彼にはそれ以後、できるだけ、何も頼まないようになった。
インドネシア人の私の教え子たちに、聞いても勿論分からないことは、レベル的に、知っていたので、公式というか、計算式だけを作業標準書に示して、皆さんに代数の説明をした。こうなる理屈についてはどうせ分からないのでしない。
外径=D 内径=d 比重=Aとすると、
 (D+d)×(D−d)×0.786=断面積 単位はmuですね。これに比重のAを掛ければ、1Mの重さが出ます。単位はg/Mですね。
この理屈というか、基本の式から結果がこうなることを説明できるインドネシア人に会ったことがない。誰も知らない。もっとも、日本人の若者の大部分も説明できないと思う。こちらにいる私の周りにいた日本人も誰も説明できなかった。ショックである。
もし、D²−d²=(D+d)(D−d)因数分解などを説明したら、目が点になってしまいます。押出成形をやるなら基本中の基本ですが。
ある会社の現地調達を進める担当者が見えられた。完全ローカルの会社を見て少しはびっくりされると思ったが、そうではなくて、期待された。ちょっとうれしい。

posted by 元気な振りの爺さん at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月16日

斜めからインドネシアを眺めよう 273



 新しい押出機と水槽が入ってきた。着々と設備を増やしています。120万円です。

KIICのある会社へ、PT.MAKUTAの社長と営業の二人が訪問した。というのも、私が其の会社へウェブサイトを紹介したところ、インドネシアの担当者に来てほしいとメールが入った。
彼らが帰ってきて私に報告したことは、インドネシア人の購買担当者が対応してくれたが、まず、言われたことは、ユニフォームがないのか、だったらしい。勿論、テンポラリーの急造の出来たてホヤホヤだし、直ぐ、会社名が変わるので、もったいないから作らない。それが、気に入らなかったらしいと。説明をしなかったのかと、聞いたが、説明はしなかったという。製品の図面はもらったのかと聞いたら、何回か頼んだが出してくれなかった、という。ISOを取っているのかとも聞かれたという。取ってあるわけがないのだから、それも、ISOなど取っていなくてもISO以上の管理をしているといえばいいのに、できなかったらしい。結局、門前払いをくらってすごすごと引き揚げてきたのでした。
こちらも、誇りを持って、説明できないこと、能力不足だが、客先のインドネシア人担当者も認識が間違っている。見かけや、認定がされているかを、能力があるかないかの基準にするとは、其の会社の教育はどうなっているのかと、疑いたくなる。日本では有名な大企業のインドネシア工場である。
インドネシア人で飛びぬけて1,2番の技術を持った二人にしか、その製品の製造はできない。先方の担当者が知る由もない。また、機会を作らせて行ってこさせようと思う。私は、その会社が未だに日本から輸入している押出の部品を知っているが、彼らで十分できそうなので、私が登場するのは後回しにしようと思う。
 それよりも、今週は、押出製品の需要調査に、いろいろな会社に飛び込み訪問していきたいと思っている。

posted by 元気な振りの爺さん at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月15日

斜めからインドネシアを眺めよう 272



最終計算方法 (各人のポイント×4)−(A+B+C+D)
例      point ×4
  Aさん 15    60  60―56=+4
Bさん  30   120     120―56=+64
Cさん 4 16  16―56=―40
Dさん 7 28  28―56=―28
56     0

全てを一人でやらなければならなし、相談する人や、援助をする人はいない。インドネシアから、何もかも投げ出して、引き揚げたくなった。精神的に参った。ここに書けないことが、二つ同時に発生した。何もしなければ、発生しないことだが、やろうとして、やったので、問題が発生した。どなたかのお世話をお願いすればやってもらえることだと思うが、それもしなかった。自分で何とかしようとしたが、難しい局面になってしまった。長考は許されない。
ト言うことですが、前にどんどん進みます。金型や装置の発注、購入はまだまだ続きます。新しい仕事の獲得も、装置の不足はなんとかなると判断し、どんどん進める。
仕事に関して、私は、まったくの孤独である。大学を卒業し就職し押出成形にかかわると決めた時からですから、43年以上孤独です。
孤独といっても、それぞれの仕事ではできる人がいるのですから、そういう人たちの助けは借りています。今でもそうです。インドネシアのそれぞれの専門家の人達にいろいろ頼んでいます。孤独というのは、私が全て責任を取るということです。図面を書く人に,機械を作る人に私が注文し、指導するのです。その結果できたものを、使いこなすのは自分です。うまくできなければ自分の責任です。手直しを頼むのも自分です。そして、客先に出来ると云ったものは必ず作りました。できると云ったのは私に責任ですから。もし、部下に任せて、納期までにできなければ、事情を話すのも私です。部下に対する指導の不足でしたから。
先日の食事会で皆さんに話をした。私がいる場所で、私ができるといえば、できるのです。私ができないといったものはできないのです。その場所の能力は私そのもの出した。今もそうです。私ができないと云ったことを、できると云って作ってしまった人は一人も現れなかった。
我々は、インドシアでは他の会社ができないものは全部引き受けてやってしまうことができるはずだ。価格、品質、オンタイムで他社に絶対負けない、と、劇を飛ばした。

posted by 元気な振りの爺さん at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月13日

斜めからインドネシアを眺めよう 270


書きたいことがいっぱいあって困る。大体、一日5〜10分で書いて22:00に投稿している。“浜の真砂は尽きるとも世に書くことのタネは尽きまじ”石川五右衛門、ってね!!
斜めからインドネシアを眺めよう 261で書いた会社と対照的な会社について、ここで書きます。セットで読むと分かりやすい。
やはり、日本からの仕事で十分な利益を上げていた。日本への製品の価格は日本が決め、利益が十分上がるように設定したのです。それが失敗。利益を上げさせ過ぎて、値下げを指令したが、税務署から利益調整と指摘され、元の価格に戻されてしまった上に、ペナルティまで取られてしまった。無借金の優良企業に二三年でなってしまい、蓄積をどんどん増やしていった。現地社長さん何もしなくていい。なにもするなと指令されていたのです。ところが、事情がかわって、価格の下げでなく、日本からの注文が減らされ、インドネシア国内売りに力を注ぐように指令が切り替えられた。そして、製造と営業の専門家といわれていた人が送られてきた。これが、また、大間違いだった。自分が動く人達ではなかった、商品知識もゼロだった。日本ではプロモーションの専門家集団がマーケティング主役で、営業の人は呼ばれた客先へカタログをもって訪問し、その中から選んでもらうだけだった。
インドネシアでは技術営業ができなければ相手にされないし、大体、見積もりの方法も知らないではどうにもならない。動きようがない、というより、もともと、動く人ではなかった。やっと受けた製品の見積もりも大間違いで客先を大喜びさせる安値でだして、儲けていると思いこみ、注文が増えるほど赤字が増える上に、赤字でも売り上げが若干増える。それにも気づいていない。本社からの注文がなくなり輸出がなくなる。10あった売り上げが0.5になってしまって、その0.5がドメスティック売りではEPTEの規定に違反する。ペナルティをふんだくられる。それも知らないで、本社に頼むこともせず。違反のまま二三か月過ぎたところで、見かねて、私が本社にアドバイスして、本社はあわてて、EPTEの規定内の金額の注文をだした。今は、だから、1.5の仕事をしている。
 合唱団とは面白い。一か月100万円ほどの無駄使いをしているだけである。十三年間の蓄積を食いつぶしている。日本へ帰っても居場所がないので、できるだけ、伸ばしたい。本社は早く閉めてしまいたい。組合も早く閉めてほしいと思っている。蓄積が減るばかりなので早いうちに退職金の交渉をしたいと思っている。
本社No、2と思いこんでいるえらい方は、彼の指令で、国内売りをするなと言い続けた手前、クローズを伸ばしたい方なので、話は複雑でなお始末が悪い。

今日の昼食はカキリマのミーアヤムでした。右の深鍋に鶏の脚を煮込んで細かく切ったものが入っていて、棚の上にある菜っ葉と一緒にラーメンの上に載せ、左に落ち仕込んである鍋のスープをかけて出来上がり。6000Rpです。60円
posted by 元気な振りの爺さん at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月12日

斜めからインドネシアを眺めよう 269

ちょっと難しくなりますが、
得点の配分について、人任せでなく、自分でもやってみてください。しかし、自分がやるという人があれば、お任せすればいいと思います。
マイナスに人や0点の人がいた場合はその人が1になるように全員に同じ点数を足してから4を掛けても同じことです。三人の場合は三を掛けて足し、三で割ります。
話は変わりますが、品質管理で使う標準偏差(σ)値の計算方法と処理した数値をもとの処理前に戻すという点で、似ています。数値のバラツキの程度を表す基本的な数値で、QC担当者なら誰でも日常的に使う数字ですが、計算方法は自動的に結果が出るようにシートが用意され、其処へ数字を入れれば自動的に計算されて出てくるようになっている。エクセルの自動計算のように、です。
バラツキが正規分布をしていると想定し3シグマに99.6%が入るということになっています。σが小さい方が、バラツキが少ない。寸法公差を決める時に試作品の±3σにするという考え方を根拠に客先と交渉をします。客先の品管は、σをもっと改良して公差を狭くするよう希望するのは当然です。
ですが、大部分の人は、なぜ、そういう計算をするのか知らない。データの平均を出し、各数値が平均からどれだけ遠いかをだし、プラスとマイナスの数値を二乗して全てプラスの数字にしてから合計し、√にして、元に戻します。標準偏差です。
偏差値とはマイナスの人がいてはかわいそうなので50を足して知らせているのです。こんな話をインドネシア人にしても全く意味がありません。もっとも、日本人の経営者の方々に話せば、自分を馬鹿にしているだろうと誤解されてしまいます。難しいものです。    
話のタネは次々と出てくるものです。製品サンプルを提出した会社を訪問し、内からに切り替えるようお願いしに行った。そこで、今まで、購入していた製品を見せていただいた。ヒドイ物だった。作った会社、こんな品物を作ってOKにし、出荷する神経が分からない。押出成形を専門にやっている会社として恥ずかしい。購入していた会社はそこしかないので、外観の不良などは問わずに使えればいいということにするしかなかった。
 内からの品物と今までの会社の品物と同時に同じ会社に出荷するわけにはいかない。二社購買はできない。ですから、来月から全面的にPT.MAKUTAに移管されるでしょう。
当然の流れです。品質、価格、納期管理、いずれも格段に内が上です。


posted by 元気な振りの爺さん at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月06日

斜めからインドネシアを眺めよう 262



 隣り合った対照的な会社がある。進出したのは1996年、どちらもEPTE(輸出を目的として、外国と同じ扱いになり、輸出入関税が免除される保税扱いの会社)である。本社からの注文で価格も本社が調整し、利益も本社がコントロールしていた。インドネシア国内売りをしていい。初期は15%以内とされていたが、現在は50%まで緩和されているようです。輸出の50%ということですから、売上の33%まで、国内入りができます。インドネシア国内でも相手がEPTEなら、輸出です。極端なことを言うと全部インドネシア国内売りでも67%以上がEPTE売りなら問題ないのです。
最初、どちらも、本社からの注文が順調にこなせるように、インドネシア売りの営業は控えるように指示されていたが、何年か過ぎて、どちらも、中国やタイに工場を作った、その関係もあって、自立を促すために、先に海外へ出た関係で、インドネシア売りに力を注ぎように指令が変えられた。

Q社はその二年後に本社からの注文はゼロにすると通告された。本当はそういうことはできないのですが。そこで、現地社長さん、全国行脚をし始めた。途中経過は省くが、国内売りがどんどん増えていった。その他にも、日本本社以外の外国への輸出も増えていった。そうなると、まずいことになってきた。売上は国内売りを主体に増えたがEPTEの規則に抵触するようになってきてしまった。国内のEPTEに売る仕事ではなかった。そうなって、本社が現地の努力を認め、輸出と国内売りのバランスを保つ手伝いをするようになった。なお、国内売りがふえるに従って、日本からの注文が自動的にふえるようなシステムにしてしまった。そうしないと国内からの注文を断る状態になってしまうからです。
工場の拡張もした。その一番の要因は社長さんが、動き回ったからです。私は楽しみで、全国を訪問していますが,その方は営業で回ったのです。私よりはるかに多くの場所や秘境や危険といわれていた地域にも売り込みに出かけています。今でも続けています。
従業員が明るい。
注文は人に集まります。それの、典型的な例です。
 対照的なもう一社、書くのがつらいから時期が来るまで待つ。

posted by 元気な振りの爺さん at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月04日

斜めからインドネシアを眺めよう 260



私のWeb Site(ホームページ)のPHOTO ALBUMが充実してきました。多くの皆さんにインドネシアの雰囲気を楽しんでいただけると思っています。旅行記とセットで、眺めていただくと、眠れない夜もすぐ眠れると思います。よろしく。MM2100内のSAKURA旅行社に私のWeb Siteを日本人の皆様に紹介していただくように頼んだ、というより、それを見ていただいて、国内の旅行をしてみたくなればサクラ旅行社の売上向上にも繋がる。
 それほど、急がれていなかったので、今日になってしまいましたが、カラワンのB社向けのLDPEパイプの試作品を納めさせていただきました。この仕事も、もともと、私が受注して、技術を指導したのですが、やはり、現在は高値で購入せざるをえない状態になっているので、間もなく、PT.MAZKUTAから、高品質で安価な製品を提供し始めるようになるでしょう。
 専門的になるが、今の工場の水は、含まれている気体が経験がない想像以上に多くて、水を減圧すると気化する量がおおく、炭酸水の状態になり、製品に気体が付着し、その部分の冷却速度が遅くなるので、小さい凹みができてしまって、外観的にNGになりやすい。45年この仕事をしていて、こんなことは初めての現象だった。この年になって思わぬところで悩まされるものだと思う。今までの常識では装置を改良しないと製造できない樹脂があることが想像される。最も、長くて、半年後には場所が変わるので、自然に解決する。

私がある会社をある日突然クビになって、VISAを取り消され、国外に出なければならない期限内にシンガポールでVISAを取ってしまったことを余りの早業で信じられない方に、証拠の写真です。
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00072.html
の中の2月6日の15−147からその様子を詳しく書いてあります。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0100.html
のインドネシアで仕事をするための必要手続きと証明書について書いてあります。
参考にしてください。

posted by 元気な振りの爺さん at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月02日

斜めからインドネシアを眺めよう 258



 今日から、一人だけ残して、全部、B社を辞めてPT.MAKUTAで仕事をし始めています。
三シフトの体制になっています。
現在、営業を私は止めていますが、W君には勉強も兼ねて、営業の仕事に挑戦してもらおうと思う。紳士だし、真面目だ。ただし、運転免許証は持っているが、運転経験が少ないから、私がドライバーになって、客先へ挨拶回りをします。行き帰りの時間の余裕ができれば、運転の練習をさせたいが、私の車はインドネシアでは特殊なオートマなので、練習にならないかもしれない。日本人対象ではなく、訪問相手は日系企業の現地人、購買担当になります。
私は、会社の秘密を漏らしたという理由で、首だったが、未だに、漏らした秘密は、何だったのだろうと思う。私には心当たりがない。社長個人の問題とか会社内外での言動の落差も当時は他言はしていなかったし、技術的には漏らす価値はなかったし、機械の移転の経過報告は客先に対する義務でしたから、当然、現在どうなっているかは、お知らせしなければならないことで、もしそれが秘密なら、秘密にすることが客先を裏切っていることで、商道徳に反する。
それよりも、今のことです。B社の内情もJ社の内情も、逐一、私に伝わってきます。誰からとは言いませんが、これこそ、会社にとって漏らされてはまずい情報がたくさん含まれています。それぞれの会社の生え抜きの上位にいる社員たちからです。ザアザア漏れてきます。早く証拠を掴んで、ぜひ、早く首にした方がいいと思います。メールの記録を残すようなへまは、彼らはしません。首にされれば、私が拾います。PT.MAKUTAに来て、話してゆく人もいます。

posted by 元気な振りの爺さん at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月30日

斜めからインドネシアを眺めよう 255


 もう、一二ヶ月先には、今の工場では狭くて増設をすることができないが、どうしても設備を増やさないとお客さまに要望に答えられなくなることがはっきりしてきた。できれば7月から、別の貸工場を借りて、6月末には設備を新たに三ライン注文し、それらを7月中旬から稼働が可能にしたい。準備が整い次第、今の工場の設備もいっしょの工場に移し、一か所にする。
 それでも、その工場もテンポラリーですから、工業団地内の高い貸工場には入りません。どこかの森の中の貸工場を捜します。できなければ、とにかく狭いところで1ラインでも増やすしかない。
三か月過ぎて、もう、いいでしょう。前の会社のメールアドレスを使ってメールを送ってくる人は無くなったので、その関係のセッティングはこちらから消去しました。
会社を首にされたとき、直ちに、すべてのものを直ちに会社から取り上げられました。必要なものは何年も前に買ったものも買った時の価格で買わされました。住宅、車、携帯電話などの必需品は私のものでしたから問題はなかった。VISAは消去されたが、滞在許容期間中に申請を済ませ、シンガポールですぐ収得した。早技だった。全然、今の会社を手伝うのに不自由しなかった。というのは、唯一つ、プッツンさんが、思いつかなかった、取り上げなければならないものを取り上げられなかったからです。
それは、プロバイダーとメールアドレスでした。今でも使える状態ですから、これは、今でも気が付いていないと思う。実際にはもう使っていません。しかし、首になって、一か月の間は大変助かった。新しい、契約をするまでの間、メールやネットに接続するのに不自由がなかった。
この文章を読んで直ちに契約を変更し、使えなくなるようになるでしょう。その前にセッティングを消去した次第です。ありがとうございました。

Web Site 30000回を通過しました。\(^o^)/ 
3万回目にヒットした方、おめでとうございます。なにかいことがありますように。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/ をこれからもよろしく!!

posted by 元気な振りの爺さん at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月28日

斜めからインドネシアを眺めよう 253



B社は私のアドバイス通りにやっていれば、今頃、O社長は本社に対して胸を張れたし、会社のことは心配せず、裁判だけに気を使っていればいい状態だったはずです。
その後は、どうしても、三人に頼ることが多くなり、彼らに対する待遇を、あわてて、なお上げた、今では2から2.5になっている。生え抜きの従業員とのバランス上待遇は絶対上げないと云っていたが、そういっていられなくなった。彼らに辞められたら、仕事ができなくなるからだ。それでなくても、ロスは多いし、検査機構と品質に対する認識が低いのですから。社長から、トラックの運転手まで、PVCのいい加減な製法ではどうにもならないころを知らない素人さんの集まりですからどうにもならない。
 なぜ、三人が皆さんと一緒に辞めなかったのか、O社長には分かっていない。インドネシア人の気持ちを理解しようという気は15年インドネシアにいても、全く無いのです。彼らは単に保険を継続して使いたいからでした。そして、保険を使う必要がなくなれば止めることを決めていることを知らない。給料を上げるしか留める方法を知らない、ハートで人を引き付ける方法を全く持っていない、O社長は大変気の毒である。
入社して半年で急激な破格の給料アップをされた、三人のうち一人は、それでも辞職届をだした。一人は、その給料を継続してほしい気持ちが生じて、気持ちが揺らいでいて、決心がついていない。もう一人は、子供の手術のこともあって、もう一か月伸ばすらしい。
実をいうと、J社からの退職金の交渉の時、早々と離脱した二人がいて、その二人は最初から約束通りの1の給料で移ってきた。そして、待遇も製造ではなく日勤の検査部門に配置された。今はどうなっているか知らないが、彼らを優遇したのも人を見る目がないと思った。彼らをJ社初期に人材が足りなくて止むおえず、正社員にしたが、間違いだった人で、押出の仕事に不向きな消極的な人達でした。彼らの給料は1のままだそうです。その二人はそれでも、B社に残るそうです。私はその方がいいと思っていた。
給料が二倍三倍になって、迷って、辞めない方に傾いている二人は、彼らでなければできない仕事は無くなってくることを認識していない。そして、餌をちらつかせて、辞めないように仕向けても、その人を必要とする仕事がなくなってくることを社長は認識していない。使う方も使われる方も悲しい気の毒な物語です。

posted by 元気な振りの爺さん at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月26日

インドネシアで 楽しく暮らす 15−251

 
斜めからインドネシアを眺めよう 251
どこかに前に書いたと思うが、私の押出技術について、日本でトップだと評価した人がいた。他の人に私を紹介する時に、そう云っていた。私が横にいるとき、客先になるだろう人に向って言うのです。そう紹介するのはその人が初めてでした。そのころ、私はその人のことを全く知らなかった。ただ、営業畑を主に歩いてきた人だということだけ、聞いていた。
其の人について、私が評価すると、かなり低い評価になる人でした。紹介されるたびに、首を傾げた。この人、押出しのことを何も知らないのに、知っているかのように、私を評価するのは、思い上がりがひどいと、評価する、ほめるということは、上から見ていると。

それが職業の人、それをするのがその人の義務になっている人、それで生計を立てている人、親子代々継承してきた技能、技術を持っている人を表彰するのは変だと思いませんか、生まれながらにその世界に居て、それしかない世界で育ち、そのまま、成長し一人前になり継承者として認められる。しかし、もし、他人でも同じように希望した人を育てればいくらでもその人より優れた人はいくらでも生まれてくることは明白である。たとえば野球の選手はどうでしょか。名選手の子供が、親を超えた例があるでしょうか、室伏選手のほかにオリンピックで親を超えた子供はいるでしょうか。室伏選手にしても父親だけでなく母親の遺伝も大きな力だったと思う。
誰でも、熱心に訓練すれば名人と言われた人を超えられる技に子供や親戚関係者でなくて、無関係の人がその技を超える機会を作って、それなりに評価するのは落語や講談やマジック、野球やその他のスポーツで優秀な成績を残しや人やそのほかの芸能で多くの人に気持の安寧や良き思い出を与えたなどというのは大きな評価を与えていいと思う。
これも、全国民に均等に機会を与える開かれた導入部がある、というのが、大前提です。

posted by 元気な振りの爺さん at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月23日

斜めからインドネシアを眺めよう 248



忙しいですが、今日はDesa Losari Grabag – MagelangのRosari Coffee Plantation
のHotel and Spaにいる。 驚くほどの高級感のあるホテルで、値段も一人100万Rpで、13年間で泊まったホテルの価格の最高でした。泊まらないと旅行記を書くことができないので、仕方がない、近所に安いホテルはないし、コーヒー園やコーヒーを作る工程も見せてくれるというので、楽しみにしている。しかし、それはそれは、値段の価値はあります。写真をご覧ください。同じマンゲランでもブルブドゥールとはかなり離れていて、ヲノソボからはスマランンに戻る方向になる。ボロブドゥールは南のジョクジャに近い。
昨日の続きで付け加えますが、JODCに提案です。職員と審査官をなどを規模を半減し、一人当たりの派遣費を三分の一にし、会社に属さない年金生活者だけに対象を絞り、派遣に人数を5倍にしてください。絶対、有効な役に立つ応募者が多いはずで、派遣対象国の若者の技術アップに貢献できるはずです。日本の大企業のリストラの援助をしていてはJODCはない方がいい。公務員と天下りが考えることはNGO的ボランテャア的とはかけ離れている。海外で技術指導を長くやっているとこういうことがはっきり見えます。
私に対する会社負担
項目     費用US$/月  J社時代     B社時代       現在
住宅           0            200        0
給料         3500          1500      500
税金         1500 600       120
緒手続き          0           300        0
渡航 0 100        0
テレビ、電話 0 0         0
車、運転手 0 0         0
接待?           0           0         0 
保険     100           0         0
5,100   2,700US$/月   620US$/月

J社に対しては、いきなり、グループ全体に対して2万US$/月の利益を与えた。もちろん技術指導により無形の利益潜在利益、国内売りでの利益、自分で評価すれば、最低でも、5万US$/月の利益に貢献し、社内の雰囲気を明るくすることにも貢献した。
B社に対しても、現地採用社員の待遇より低い報酬で仕事をしていた。要するに報酬はどうでもいいのです。高給をもらって遊んでいる日本人をうらやましいとは思わない。逆に、数年間、竜宮城で生活し、また、厳しい現実に戻らなければならないと分かっている人達に同情をします。13年間どうにもならない仕事を引き受けたり、新技術や装置を手に入れて、いきなり、3万US$/月の利益を上げることができる状態にした。しかし、この会社も前の会社も可哀そうに、それを理解できないので、ばかばかしく逃げ出した。

posted by 元気な振りの爺さん at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月16日

斜めからインドネシアを眺めよう 241



家辺り、会社辺りは、例年になく長雨が続いている。昨日も今日も一日中、日本の梅雨時のようにしとしとと降り続いた。冷え込んで寒い、熱いインドネシアに慣れてしまった私は暖房が欲しいくらいです。明らかに異常気象である。
インドネシアには気象庁のようなものがあるのでしょうか。ないとしか思えない。必要ないと思うし、有ったとしても天気予報を出せない。長期予報など未来永劫出せないでしょう。
弁当屋も農業や漁業の人たちも天気予報に頼っていない。日本のように気象予報士など全く必要としていないし、免許など思いもつかない制度だと思う。
今年の気候について私は心配しています。しかし、公共の機関や政府からは何の情報も出されていないし、新聞や各種報道機関もこのことに触れていません。
すでに、作況状況を調査しようとすれば、各種作物の様子は分かるはずだし、注意事項も伝えられるはずですが、この様子も全くない。結局、何もしないで、結果で対処するのです。そして、対処もできないのです。
最近の書きこみ内容は、インドネシアの様子を焦点がぼけたように紹介しています。私の身の回りに起こっていることは、微妙な状況に差し掛かっていますから、書くと、読んだ方々にそれぞれ違った印象で取られたり、誤解を招いたりしそうなので、しばらく、控えたいと思います。
手伝っている会社のことだけでしたら、ウェブサイトで最近の様子は紹介しています。


大統領候補者が民主党ユドヨノ現大統領とブディオノ中銀総裁
       ゴルカル党カラ現副大統領とハムラ党のウイラント
       民主闘争党前大統領メガワティとグリンドゥラ党のプラボー
の三組に落ち着いたようです。

posted by 元気な振りの爺さん at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月10日

斜めからインドネシアを眺めよう 235


昨日 国会議員の選挙結果が確定され発表された。各政党の獲得議席数です。2千万票開いたところでした。投票総数は発表されていないようです。ですから、何%開票したのか分からないし、もうこれで、その後の発表はないと思う。
ほんの一部で、不満の声はあるが、大部分のインドネシア人はこれで納得のようです。丁度、測ったように、投票日から一か月後でした。
タレント議員が多く誕生した。
先日、ある会社の社長さんから夜9時に電話が入った。勿論、私は家でくつろいでいた。
至急、何とかしてほしい、日本から頼まれていた見積もりを出すのを、他のことで急がしくて、忘れていて、催促が来てしまったという。なんとか私の方が手伝うことにしたが、それはそれとして、この時間にまだ、会社に居て仕事をしている社長さんがいるのです。たまたま、その日だけでは無いようです。朝早くから出勤し、夜遅くまで、陣頭指揮を取っているのです。そういう社長には、それなりに対応しなければなりません。土曜日でも休みでも、それに、気がつかずに、その時、話して置きたい、確認しておきたいという気になれば、こちらがゴルフをしているときにも電話がかかってくる。仕事が遅かったり、要領がわるかったりするかもしれないが、その取り組みの熱心さには答えなければならないと思う。
 全然仕事をしている気配がない社長さんもいる。電話が掛ってくるどころか、掛けても全然応答がないし、会社の秘書や通訳に聞いても、居場所もいつ会社に来るかも知らない。
 スラバヤからマリアさんのご主人のアリさんが来ている。

バリ ウングラライ(デンパサール)着陸 ジンバラン海岸 シーフードレストランが並んでいて、ローソクの明かりと、美しいサンセットと飛行機の離着陸を見ながらの食事はロマンチックです。向こうのほうにフォーシーズンズホテルがあります。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0001.html
posted by 元気な振りの爺さん at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする