1945 昨日も書いたが、違う仕事を同じ会社のほとんど同じ場所で仕事をする事には無理がある。人、特に高給取りが多い、管理職が多い事務所内の人の仕事の能力と配分をどうするか、大きな問題だ。利益を出したいというなら、深刻な問題になりかねない。
押出しの仕事を知っている人はいないわけで、知らない人に押出しの仕事をしてもらうのに、彼等に配分する以前にこちらから、彼らを使わなければならない補助を頂きたいくらいで、彼らを通さなければならない手配などは、こちらの負担が多い、遅れや間違いなどを、想定して仕事を任せなければならない。そして、彼等にとっては、余計な仕事になるので、本当はやりたくない、今までの仕事で、今までの給料を受け取っていたのだから、違う畑の仕事もする負担を増やしたところで給料が上がるわけでもない。迷惑な話だと思われるのも理解できる。
ということで、私の技術を借りたいというインドンシア人が会社にみえて、押出成形に関して、その人と、私と営業や事務関係の仕事が得意な青年と私が場所を借りているこの会社の社長さんと、四人で話合った。概ねの方向はできあがったようです。私は、あくまでも、テクニカルアドバイザーとして仕事をしたい、投資はしない、よって、経営に参加しないし、利益配分を受けないし、損益に関して責任はない、という立場でいけるようになると思っている。そもそも、私がインドネシアに来た理由は、インドンネシアの若者に私の技術を伝えることであって、その場所を借りて、教えるための仕事を獲得する必要は当然,ある。だから、仕事を引き受ける、それが、本来の目的ではないが、会社の利益にもなる。そういう、構図です。今後、そうなればいいなと思う。
インドネシアには、押出関係の仕事で現在,輸入している製品に関し、“これはできますか、出来るなら見積を出してください”といわれて、たまたま、本社でやっているものを除けば、対応できる日本人はいない。今だに、私だけです。異論があるでしょうか。押出成形用の樹脂について語れる日本人も私しかいないはずです。プラスチック原料を扱っている商社の人も語れる人はいません。使用箇所の条件により、樹脂を提案したり、価格との兼ね合いなどを提案できる人もいません。
ある会社、私が作った装置、成型ラインで、一応、大過なく、経営されている。その会社のどなたが決断したのでしょうか。新しい二色成型品の受注をした。それを作るための装置に数百万円投資し、試作を始めたのが、半年前、未だに成功の見通しが立っていない、kg600円ほどする原料を2トン使ってしまった。二色なのでリサイクルが利かない。その仕事を任せられているのが私のK社時代の教え子二人だ。その会社生え抜きの工場長(この会社の仕事の大部分を彼に教えた)は、逃げてしまって、手を出さないという。不思議なのは、その出来るという装置を誰が発注したのか、ということです。発注した人間と装置を作った装置会社の人間が、試作に登場しないのが変!!本社の日本人の技術者も登場しないという。その会社に日本人が二人いるが、二人とも、何もできないということは、知っている。私の教え子がたまりかねて、私にどうしたらいいか聞きにきた、実際に見ていないので、何もアドバイスはできない。それに、アドバイスしても、その人たちに私のような腕がないのだから、その通りにはできない。いったいどうするのでしょうか。客先をいつまで待たせるのでしょうか。私の予想では、その会社の営業担当者が、私に投げかけてくる。
昨日のジャカルタからの帰りです。 この車の運転手、外国人の高齢者なのに、有料道路の大部分、路肩しか走らない。目の前にパトカーがいる。小型トラックの運転手が、自分の車に戻るところだった。前方確認、後方もルームミラーで常に確認が必要です。路肩に割り込んでくる車もあるので油断ならない。
技術移転 新規獲得 難解仕事
2014年05月15日
2012年10月18日
(^_-)-☆開店準備
1372 押出機や引取機、カッターはタンジュンプリオクに着いている。明日辺りに搬入されればいいなと思うが、内容チェック中とか、いつ始まるのかいつ終わるのか、いつ搬入されるのか、タイムテーブルは作れないが、インドネシアのことだから、全く予想がつかない。
その他の準備、主に試作に使う金型と原料の手配だが、おおむね、揃ってきた。試作には何百キロもいらない、せいぜい、25〜50Kgもあればいい、しかし、種類は多ければ多いほどいい。原料屋にサンプルを頼んでも少量購入となれば手に入りにくいし、価格が高くなってしまう。これには今までお付き合いした方々の協力なしでは、簡単にできないことだが、幸いにも、快く引き受けてくれる方が多くて大変助かった。ゼロから仕事を始めるのは何回目でしょうか。どんな原料でも。始めて手に入れた時の喜びは本当に良いものです。ありがたい。
インドネシアには私の教え子が最低でも50人はいる。その内の半数以上は16年前18〜20歳だった人たちである。彼ら彼女らはインドネシアでのエンプラ押出しに先駆者です。その人たちが、三社で重要な位置に着いている。今や年齢も三十代の後半、脂が乗り切っている年代です。それぞれは、会社の営業が仕入れてきたアイテムをできるかどうか判断し、日本人に伝えている。日本人がやると決断すれば彼らが実行する。
ただし、日本人が引き受けようと決断するには相当リスクを感じるらしくて、断ってしまう場合もある。
会社の営業が仕入れた話の他に、これだけ長く押出しの仕事をやっていれば、現場の人間たちにも“お前のところでできないか”“お前のところでやってもらえないか”という話は舞い込んでくる。ところが、それらの話は、その会社の営業には話をしない。何故でしょうか、理由ははっきりしている。自分に見返りが何もないからです。また、話をしても、もみ消される可能性が高いからです。やってほしいと言った人に対する期待を裏切る可能性が高いからです。余計なことに首を突っ込みたくないからです。
そういう話を受ける環境を作ることが大切ですが、そこまで、頭が回らないのが普通の人です。
もともと、私の仕事はホビーの一つですが、年をとるにつれてその度合いは高まる一方。インドネシアで誰も引き受けない仕事をやって行く意欲は衰えない。これからも、以前と同じように、色々な仕事を断らずにやってみようと思う。今までたくさんのそういう仕事をこなしてきたが、その教え子たちから聞いているだけでも、やみくもの引き受けてしまうわけにはいかないが、まだまだ、在ることは確実である。
ヒュンダイの工業団地を過ぎてデルタシリコン2に入る、なおも進むと、こういう景色になる。デルタシリコン5とか6でしょうか。時間が無くて、端まで行かなかった。とにかくここも広い。
原料 機械 人間
その他の準備、主に試作に使う金型と原料の手配だが、おおむね、揃ってきた。試作には何百キロもいらない、せいぜい、25〜50Kgもあればいい、しかし、種類は多ければ多いほどいい。原料屋にサンプルを頼んでも少量購入となれば手に入りにくいし、価格が高くなってしまう。これには今までお付き合いした方々の協力なしでは、簡単にできないことだが、幸いにも、快く引き受けてくれる方が多くて大変助かった。ゼロから仕事を始めるのは何回目でしょうか。どんな原料でも。始めて手に入れた時の喜びは本当に良いものです。ありがたい。
インドネシアには私の教え子が最低でも50人はいる。その内の半数以上は16年前18〜20歳だった人たちである。彼ら彼女らはインドネシアでのエンプラ押出しに先駆者です。その人たちが、三社で重要な位置に着いている。今や年齢も三十代の後半、脂が乗り切っている年代です。それぞれは、会社の営業が仕入れてきたアイテムをできるかどうか判断し、日本人に伝えている。日本人がやると決断すれば彼らが実行する。
ただし、日本人が引き受けようと決断するには相当リスクを感じるらしくて、断ってしまう場合もある。
会社の営業が仕入れた話の他に、これだけ長く押出しの仕事をやっていれば、現場の人間たちにも“お前のところでできないか”“お前のところでやってもらえないか”という話は舞い込んでくる。ところが、それらの話は、その会社の営業には話をしない。何故でしょうか、理由ははっきりしている。自分に見返りが何もないからです。また、話をしても、もみ消される可能性が高いからです。やってほしいと言った人に対する期待を裏切る可能性が高いからです。余計なことに首を突っ込みたくないからです。
そういう話を受ける環境を作ることが大切ですが、そこまで、頭が回らないのが普通の人です。
もともと、私の仕事はホビーの一つですが、年をとるにつれてその度合いは高まる一方。インドネシアで誰も引き受けない仕事をやって行く意欲は衰えない。これからも、以前と同じように、色々な仕事を断らずにやってみようと思う。今までたくさんのそういう仕事をこなしてきたが、その教え子たちから聞いているだけでも、やみくもの引き受けてしまうわけにはいかないが、まだまだ、在ることは確実である。
ヒュンダイの工業団地を過ぎてデルタシリコン2に入る、なおも進むと、こういう景色になる。デルタシリコン5とか6でしょうか。時間が無くて、端まで行かなかった。とにかくここも広い。
原料 機械 人間
2011年08月22日
(^_-)-☆ストレスと無関係
斜めからインドネシアを見る 949
今日のゴルフも面白かった。私は蚊帳の外だったが、一緒に回った二人の間の出来事、一人の人が、四階建てのショートホールでオンをさせた。その人、今まで、このホールでグリーンまで届いたことがない人だった。ところが、グリーンの手前20M位に落ちたボールはころころ転がって上りのグリーン手前を駆け上がり、オンしてしまった。もう止まるかと思って見ていると、まだコロコロ転がって、ほぼグリーン真ん中のピンまで残り1,2〜3Mに付けた。竿宣言ができない近い距離でした。明らかにバーディーチャンス、その人にとっては、またとないポイント獲得のチャンスが来た。あくまでもチャンスだって、ポイント獲得が決まったわけではないのが、私たちのルールで面白い。
もう一人の人はその前に打ち終わっていて、グリーン手前2M、ピンまで7〜8Mに着けていた。強力な消防隊になっていた。事実その人の寄せはピンに向かって行った。入ってしまうと思った瞬間、竿に当たって穴の横20Cmに止まった。もう、OKパーでした。その人がチップインバーディになっていれば、そこで、オンした人のポイントは完全に消えたのですが、パーだったので、その人がワンパットで入れてバーディーで上がれば18ポイント獲得できる権利が残った。慎重に読んだ、若干登りの微妙にフックするラインだということは誰も分かっている。若干強めにしっかり打ったのが裏目に出た。穴の右横2〜3cmを無情にも通過して、30cmオーバーで止まった。当然、OKパーでした。しかし、獲得ポイントはゼロになってしまった。消した人は気持ちが良かった。消された人はがっかりである。お陰で、スコアーが一番悪かった私がオリンピックでは一人勝ちになった。その後の食事の時も、二人はその話を何度も繰り返していた。
バンカーからオンを狙っている○○さん、「よし、砂、竿だ」と言っている。△△さん、グリーンの向こうを指して、曰く、「太田さん、○○さん、向こうのバンカーへ入れるよ」とつぶやく。結果、トップしてグリーンを飛び越え、反対のバンカーへ飛び込んだ。△△さん、自分の口を塞いで私の顔を見ながら、してやったりと笑う。
二人とも、60を超えた、日系現地会社の社長さんです。なにもかも忘れて、子供のようにはしゃぎながらのゴルフである。酒の量が二人とも、半端ではない。途中でビンタンを仕入れて飲みながらは普通ですが、紅茶とアラックバリを半分ずつ混ぜた飲み物をペットボトルに入れて持ってきて、飲みながらプレーする。この人が四階建てを消した方の人です。一滴も飲めない私にとっては、違う世界の人達ですが、なぜか、ゴルフは付き合う。
今朝 スタート前 6時20分ごろ
楽しみ 息抜き 友達
今日のゴルフも面白かった。私は蚊帳の外だったが、一緒に回った二人の間の出来事、一人の人が、四階建てのショートホールでオンをさせた。その人、今まで、このホールでグリーンまで届いたことがない人だった。ところが、グリーンの手前20M位に落ちたボールはころころ転がって上りのグリーン手前を駆け上がり、オンしてしまった。もう止まるかと思って見ていると、まだコロコロ転がって、ほぼグリーン真ん中のピンまで残り1,2〜3Mに付けた。竿宣言ができない近い距離でした。明らかにバーディーチャンス、その人にとっては、またとないポイント獲得のチャンスが来た。あくまでもチャンスだって、ポイント獲得が決まったわけではないのが、私たちのルールで面白い。
もう一人の人はその前に打ち終わっていて、グリーン手前2M、ピンまで7〜8Mに着けていた。強力な消防隊になっていた。事実その人の寄せはピンに向かって行った。入ってしまうと思った瞬間、竿に当たって穴の横20Cmに止まった。もう、OKパーでした。その人がチップインバーディになっていれば、そこで、オンした人のポイントは完全に消えたのですが、パーだったので、その人がワンパットで入れてバーディーで上がれば18ポイント獲得できる権利が残った。慎重に読んだ、若干登りの微妙にフックするラインだということは誰も分かっている。若干強めにしっかり打ったのが裏目に出た。穴の右横2〜3cmを無情にも通過して、30cmオーバーで止まった。当然、OKパーでした。しかし、獲得ポイントはゼロになってしまった。消した人は気持ちが良かった。消された人はがっかりである。お陰で、スコアーが一番悪かった私がオリンピックでは一人勝ちになった。その後の食事の時も、二人はその話を何度も繰り返していた。
バンカーからオンを狙っている○○さん、「よし、砂、竿だ」と言っている。△△さん、グリーンの向こうを指して、曰く、「太田さん、○○さん、向こうのバンカーへ入れるよ」とつぶやく。結果、トップしてグリーンを飛び越え、反対のバンカーへ飛び込んだ。△△さん、自分の口を塞いで私の顔を見ながら、してやったりと笑う。
二人とも、60を超えた、日系現地会社の社長さんです。なにもかも忘れて、子供のようにはしゃぎながらのゴルフである。酒の量が二人とも、半端ではない。途中でビンタンを仕入れて飲みながらは普通ですが、紅茶とアラックバリを半分ずつ混ぜた飲み物をペットボトルに入れて持ってきて、飲みながらプレーする。この人が四階建てを消した方の人です。一滴も飲めない私にとっては、違う世界の人達ですが、なぜか、ゴルフは付き合う。
今朝 スタート前 6時20分ごろ
楽しみ 息抜き 友達
2011年06月24日
(^_-)-☆身構えをしそう
斜めからインドネシアを見る 951
真夏の日本へ入ってしまったようで、暑くてたまらない。節電モードになっているが、これでは、大変だろうと思う。
そんな中、7月からの仕事をする場所へ行ってきた。私から望んだわけではないが仕方がない。他に、やりたいことがあるし、他にいたい場所があるし、他に手伝いたい人がいるのに、他にお付き合いしたい方々がいるのに、それらを一時、あきらめて、また、ここの条件も満足するものではないが、一応、先日3月に、ここで、仕事をすると口約束をさせられた以上、全く無視し続けるわけにはいかないので、何カ月かは勤めるしかない。今日、そう決めた。
私が、自由に、何か新しいテーマに取り組むことが出来るとは、全く、考えられない。
一番気になるのは、期待と報酬の関係である。出勤する日は一週間に3日となっている。それで、私に何を望もうと言うのか、分かりにくい。報酬も示されていない、ということは、期待していないことを示しているのかもしれない。
契約書の案を見て、感じたことは、新しいものを作ったらどういう報償か報酬か配当を出して讃えるというものは全く無く、秘密をもらしたら、あるいは、禁止事項に反したら、こういう罰則があるという文章が長々と書かれていた。変!!!
それと、契約期間が来年の3月末まで、会社の考えで、全員がそういう雇用契約になっているというが、来年の三月までに何を期待するのでしょうか。一週間、3日、を一か月12日に変えてほしいと頼んだので、そうなれば、8カ月×12日=96日=768時間で、一体どれだけの報酬で、どんな成果を期待するのでしょうか。土日を一回、出勤すれば、一週間と五日会社にいればいいことになる。会社の体質を見たような気がする。
株主総会を集中日に控えて、なにかと気忙しい雰囲気の中、月曜日を通過すれば、多少、ゆっくり、皆様とお話しできる機会を作ることが出来るかもしれない。その時に私の考え方を改めて、伝えるつもりでいる。
暑いが、未だ、梅雨は開けていないようだ。アジサイの花が目付く、会社の正面入り口の両側にも、どなたの趣味か、アジサイが植えられていて、鮮やかな満開でした。一種類はヨーロッパで品種改良して日本へ逆輸入された、一般的な品種、もう一つは日本原産のままに近い種類でした。それを、意識して植えてあるのでしょうか。意識しているとしたら、植えさせた人をちょっと尊敬する。アジサイはインドネシアの山岳地方の涼しい場所に多く植えられていて、そう珍しくはない。見るたびに懐かしく思っていた。しかし、やはり、アジサイは梅雨時に雨水が垂れている姿が一番美しい。インドネシアにアジサイは似合わない。
探り 未知 不安
真夏の日本へ入ってしまったようで、暑くてたまらない。節電モードになっているが、これでは、大変だろうと思う。
そんな中、7月からの仕事をする場所へ行ってきた。私から望んだわけではないが仕方がない。他に、やりたいことがあるし、他にいたい場所があるし、他に手伝いたい人がいるのに、他にお付き合いしたい方々がいるのに、それらを一時、あきらめて、また、ここの条件も満足するものではないが、一応、先日3月に、ここで、仕事をすると口約束をさせられた以上、全く無視し続けるわけにはいかないので、何カ月かは勤めるしかない。今日、そう決めた。
私が、自由に、何か新しいテーマに取り組むことが出来るとは、全く、考えられない。
一番気になるのは、期待と報酬の関係である。出勤する日は一週間に3日となっている。それで、私に何を望もうと言うのか、分かりにくい。報酬も示されていない、ということは、期待していないことを示しているのかもしれない。
契約書の案を見て、感じたことは、新しいものを作ったらどういう報償か報酬か配当を出して讃えるというものは全く無く、秘密をもらしたら、あるいは、禁止事項に反したら、こういう罰則があるという文章が長々と書かれていた。変!!!
それと、契約期間が来年の3月末まで、会社の考えで、全員がそういう雇用契約になっているというが、来年の三月までに何を期待するのでしょうか。一週間、3日、を一か月12日に変えてほしいと頼んだので、そうなれば、8カ月×12日=96日=768時間で、一体どれだけの報酬で、どんな成果を期待するのでしょうか。土日を一回、出勤すれば、一週間と五日会社にいればいいことになる。会社の体質を見たような気がする。
株主総会を集中日に控えて、なにかと気忙しい雰囲気の中、月曜日を通過すれば、多少、ゆっくり、皆様とお話しできる機会を作ることが出来るかもしれない。その時に私の考え方を改めて、伝えるつもりでいる。
暑いが、未だ、梅雨は開けていないようだ。アジサイの花が目付く、会社の正面入り口の両側にも、どなたの趣味か、アジサイが植えられていて、鮮やかな満開でした。一種類はヨーロッパで品種改良して日本へ逆輸入された、一般的な品種、もう一つは日本原産のままに近い種類でした。それを、意識して植えてあるのでしょうか。意識しているとしたら、植えさせた人をちょっと尊敬する。アジサイはインドネシアの山岳地方の涼しい場所に多く植えられていて、そう珍しくはない。見るたびに懐かしく思っていた。しかし、やはり、アジサイは梅雨時に雨水が垂れている姿が一番美しい。インドネシアにアジサイは似合わない。
探り 未知 不安
2011年04月08日
(^_-)-☆日本での仕事の準備
正面から日本を見る 872
会社訪問最終日、営業の人と残りのテクノセンターの人にインタビューと頼みをした。
7月から直ぐ取りかかれる仕事を作っておくために、何点かの新アイテムを準備して、6月末までに製品図面を送ってほしいと頼んだ。装置についても新しく作る必要がある。
ある装置ではわたしがやろうとしていることはできないし、7月になってから準備していては、何もできない期間が無駄になる。明日、長泉町へ行って、必要装置と金型の下調べをしてくる。インドネシアへ戻ったら、直ぐに、注文(依頼)をするつもりだ。
インドネシアでは、日本の他の会社が問題なく順調にやっているアイテムのインドネシア国内調達の手伝いをしているが、日本では、他社がやっているが客先が品質に満足していないアイテム、あるいは、試作をしているが上手くいかず、なかなかサンプルが出ないアイテム、全く日本にはないもので、できる会社を探しているアイテムなどを私は希望した。東京、静岡、大阪でやってくれるかどうか。営業力の評価につながる。
もう一つ、問題がある。今ある装置の融通が効かない、一つの製品しかできない。一部を交換すれが違う樹脂を成形が出来るとか、大きさが違うものが出来るとか、安く簡単に様々な形状、樹脂、厚さ、大きさのものができるようにしようと思う。
福島原発付近の人々が一番、ご苦労が長引くと思う。方向が決まらない、いつまで我慢すればいいのか予定が立てられない。帰還や復興計画もいつになるか分からない。被外人大だが、その他の地方の人は、計画を立てることができる。
先ほど、また、同じ仙台近くが震源のM7.4の直下型地震がありました。東北地方は、東北電力管内の自動停電による停電が続いている。3.11地震以来最大の余震でした。前回の地震でダメージを受けている建造物や土地はこの地震によってよりおおきなダメージを負っているようです。瓦斯漏れ、漏水もあるようです。今のところ、人命には大きな打撃は無いようです。一部外部からの電源が自動ストップした以外、原発関係でもこの地震による影響は無かったようです。
新幹線や高速道路も自動的ストップ、閉鎖を下も物点検が終了次第、逐次、ストップ解除をしている。
本当に、いつまで続くのでしょうか。早く落ち着くように祈るのみです。
約三カ月後の私の職場と通勤道路の脇で見つけた今日の風景。
準備 頼み 余震
2011年04月06日
(^_-)-☆時の流れが薄める
斜めからインドネシアを眺める 870
朝の家の雰囲気と云うとこれが、静かすぎる。シーンとしている。寂しくなってしまった。孫たちがいる時との落差は大きすぎる。
23:50にニュールンベルグの家に着いたと連絡が入った。
会社の大井川工場と本社へ行ってきた。案の定、歓迎という雰囲気では無い。むしろ、若干冷たい方向である。私自身も何をしたらいいのか分からないし、来られた方も、この人何をしに来るんだ?と、いぶかるのは十分理解できる。この人から何かを学ぼうなんて思う人が、いるわけがない。ということで、明日と明後日で、様々なことをチェックさせてもらうことを頼んできた。それとても、それぞれの予定があるので、その合間をちょっと拝借という感じで、低姿勢で行くしかない。
その時に、7月から今年一杯を目途に、在籍して、継続するか、いても仕方が無いかを判断することも宣言してきた。私は既に来年の事を考えている。
原発の事も、今は、排水に関するニュースだけになってしまった。海に流してしまう。アメリカ、ロシア、イギリス、フランスは国として反対しない。中国もインドも批判はしない。ポーズとしては懸念を表しているが、何故でしょうか、核実験で彼らがばら撒いた放射能と比べれば、ゼロに近い程度だからです。半減期の事を云うと、必ず、蓄積されれば大変なことになるとい人がいる。これも、核実験の事を思えば、蓄積もゼロに近い。とにかく、風評を増幅するのか、押さえているのか、自分が云っていることを振り返ってほしい。
水ガラスを使って排出量はかなり減ったようですが、まだ、とまっていない。
その他の事では、高い濃度高い濃度というが、高い濃度っていったい何でしょうか。人によって違うのです。前にも書いたが暫定基準値を千倍にすれば問題ないのです。今さらそうはしないでしょうが。
危険とか安全に対する考え方は、千差万別だし、どちらかというと危険と思う方が圧倒的に多いから、買占めに走ったり、逃げ出したりするのだから、知識人と云われる人は、勇気をもって、それを抑える発言をしてほしいと思う。
戦後以来の日本の危機だと思うが、喉もと過ぎれば何とやらで、一か月も過ぎていないのに、次第にトーンダウンしてきている。次第に当事者だけの関心になってきてしまうことは世の常でしょう。当事者にとっては何年も掛ることだが、多くの人にとっては他人事になってしまう。
昨日の静岡駅新幹線ホーム、今日の会社訪問の帰り、焼津魚港。
困惑 観測 眺め
2011年03月31日
(^_-)-☆私事雑感
斜めからインドネシアを眺める 864
なぜかは明日書くが、大変疲れた。
太田化工へ行って、仕事の様子を聞いてきた。鹿島のコンビナートが操業できなくなっていて化学製品、石油製品の生産が出来なくなっている。どの程度かは確認できないが、プラスチックPP,PE原料の入手が難しくなっているらしい。多分、日本の生産量の数%〜15%位の減産になっているのではないか、輸入品で賄わなければならなくなるらしい。
太田化工の受注量は落ちていないが原料の入手が難しくなることを心配していた。
かつて、保証人になっていたインドネシアのユニーさんと数年ぶりに会った。お姉さんが二本松に住んでいて、ご主人はソニーの郡山工場に勤務している。余震は頻繁にあるが、被害は無いらしい。物資も順調に入っていると言っていた。国外脱出は全く考えていない。
二才の女の子アイちゃんが一緒だった。ドイツからの孫とインドネシア人との混血が、一緒に遊んでいる姿はほほえましい。ユニーさんは、私の娘のようなものなので、会えて一時を過ごすことが出来たのは良かったと思う。孫たちにとっても、楽しかったと思う。
残り少ない孫たちと娘との生活、婿の性格で一旦ドイツへ行けば、再び日本へ来ることは許さないでしょう。今の日本は人間してはならない状態になっていると思い、迎えにすら来ないのですから、今後、日本へ行って良い条件が彼の頭の中に整うことは無いでしょう。永久に彼は日本へ来ないし、孫たちも、日本へは行かせないでしょう。だから、おそらく、離婚しない限り、永久に会うことは無くなる可能性が高い。そんな、父親と認めない男がいるドイツへ私が行くことは無い、顔も見たくない。彼女達と最期の日々をできるだけ、印象深く、彼女達の記憶に残るような生活をしてやりたいと思う。
支えよう、どうぞ、いらっしゃいという自治体や人々が多くいることは確かで、それが、当り前で、普通なことだが、その反面、ひどい話があるもので、福島の原発の20km圏内から避難勧告によって、避難してきた人を、その人たちが放射能に汚染されているから、受け入れを拒否するという自治体や住民がいるという話。過剰反応もここまでくれば、無知 エゴ、ヒステリーと呆れるばかりである。ドイツの婿と同じです。世間はこういうものです。こういう人たちに、何を云っても無駄なのです。
一貫している気持ちは、無知はだめ、パニックはだめ、それを他人に助長するのはだめ、冷静な行動はOK、自分の為でなく困っている人たちのためはOK,それを他人に勧めるのはOKということです。危険を強調するより、安全を強調する勇気を持ってほしい。
他人の責任にしようとする人が、一番、自分の責任について分かっていない。自分の知識が無いことを責任にはしない。
安心 安全 理解
2011年03月28日
(^_-)-☆平穏な日々のはずが
斜めからインドネシアを眺める 861
インドネシアからの日本時間での投稿は、二時間時差があるので、夜の10時過ぎれば
翌日投稿になる。投稿してから直ぐ寝るので睡眠が十分取れるが、日本からなら、予約投稿が全部できるわけではないので、時間通り12時過ぎまで起きていなければならない。睡眠不足になりやすい。
日本へ戻って一週間になる。大変申し訳ないが、静岡の状況は全く普通です。多分、普通でない人がいるとすれば、その人は大震災の被災者、被災地域に関係があるか、関係を持とうとしているのでしょう。何かしなければならないと思っている人です。自分の為でなく他の人、他の地域のために何かしたいという人です。
孫たちが動物園へ連れて行って、と言うので、昼過ぎから行ってみた。近づくと渋滞、駐車場は300台以上止められるが、満車で、駐車場に入れない車の列が続く。列にしたがっては、30分以上かかりそうだったので、私設の臨時駐車場へ入った。動物園の駐車場なら、400円だが、1000円払った。動物園は大人気、新設の猛獣館は迫力が有って、これなら人気が出るだろうと思わされた。ガラス越しに面と向かって見ることが出来る。目の前にライオンや白クマ、豹などが来るのだから、子供達は大喜び。静岡は普通の生活です。動物園の混雑ぶりは、津波も地震も放射能も関係なし、自動販売機のボトルの水も売り切れということは無い。売り切れと言えば、池の鯉の餌の自動販売機が4台あるが、全部売り切れでした。
何がない、これがない、危ない、危険だ、説明が足りない、これ等が、個人のパニックの原因です。個人が他人に不満を漏らすことです。
その個人の自分の知識、情報収集力、行動力は自分自身の責任ですが、それが足りない人はパニックになる。多くの人や外国人はパニックになりやすい。
ドイツへ来なければ、ドイツの法に訴える。そして、娘を誘拐犯の容疑で逮捕させる。と、脅かしてきた。法律知識も貧困だ。脅かしただけで、お前の負けだ。四年前の脅かしという前科もある。多分、前妻との間でも脅かしが有っただろうから、裁判所で調べれば分かる。ドイツ領事館は馬鹿ではない。事情を聞かないで、ドイツへ送る権利はない事くらい知っている。そして、これまでのメールのやり取りの内容から、父親の権利を放棄したと判断をする。もし、裁判になれば、このメールも証拠になる。
また、日本の警察や弁護士や司法が黙っていない。
それらの事を全く知らないで、脅かしているのだから、逆効果だよ。日本へ迎えに来なさい。無知で臆病なドイツ人へ。
あなたの無知とヒステリーとパニックを怖がって暮さなければならない娘や孫が不憫だ。結婚をしてしまったことを残念に思う。彼女達がドイツへ戻れば、日本へ再び来ることを許さないでしょう。私もドイツへ行くことは無い。当分、孫や娘と会うことは無いでしょう。場合によっては、もう、会えないでしょう。
今回の原発事故はドイツの婿の本性を明らかにした。だから、静岡は平穏だが、私の気持ちや娘の気持ちは平穏では無い。戦いが始まる。
不憫 無能 臆病
2011年02月27日
(^_-)-☆日本の実態を感じた
href="http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/LOVELOG_IMG/IMG_8981.JPG" onclick="window.open('http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/LOVELOG_IMG/IMG_8981.JPG','popup','width=1360,height=1043,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false">
斜めからインドネシアを眺める 832
前の前の会社G社の時の話、客先へ行って図面や製品のサンプルを渡されながら見積もり依頼をされた。渡されたご本人、全くできない。勿論、その場で、出来るから、いつまでに見積もりを出しますという返事はしない、首をかしげながら、また、後ほど連絡を入れます。と言っていた。私は直ぐできるが、私がやるやけではないので、余計なことは言えない。それから、二カ月過ぎて、その客先から、その人でなくて、私に問合せが来た。「あの人、じゃ、だめじゃないの、返事が来ないよ、どうなっているの」という内容です。私から、本人に確認した、「本社でも、出来ないと言っていたから、そのままになっています」でした。とんでもない人だと思った。仕事が全くできない人だと思った。
「私がやるから、貰った図面とサンプルを私にください」といったら、「もう、二か月前の話でしょ、図面やサンプルですか、もう、無いと思います」だった、「そんなことじゃ、客先に申し訳ないでしょ、無いなら、あなたから、もう一度頼んで貰ってくださいよ」といったら、「太田さんが必要なら、太田さんから頼んでくださいよ、私にはできません」でした。話にも何もならない。
呆れて、しょうがないから、客先に誤って、図面を貰って、試作に掛ることを伝えて、その後、金型の図面を書かせて、金型を注文した。それが、また、問題、その図面のサインはその人がして、注文してしまった。インドネシア人が勘違いしていて、その人が、金型の事は分かっていて、その人にOKを貰えばその人が金型について責任が取れると思ったのだ。
注文してしまって、二三日後にその図面を見せてもらったら、間違いだらけ、そんな金型では寸法がまったくでない。インドネシア人の金型デザイナーが私の言ったことを反映していなかったのでした。急遽、加工屋さんへ走って、図面の手直しをしてきた。ご本人、経過を何もご存じない。話しても仕方がないので、話をしない。インドネシア人には、私が責任を取るから、その人のサインはサインとして、私に確認してから、外部に出すように頼んだ。
インドネシア人スタッフよる試作が始まっても、まったく見向きもしない。勿論、手も足も出ない。技術的に10年経験者のインドネシア人の方が33年経験者の日本人より遥かに上なのですから。客先には、返事をできずに知らん顔していた製品です。本社に聞いても出来ないと言われた製品です。
全く、日本の技術が落ち込んいることを思わされた。これでは、日本が長期低迷するのは当り前である。その会社は間もなく、インドネシアから撤退した。正解だと思う。
最近開店したばかりのリッポチカランのショッピングモール、シティヲークの中のファーマーズマーケットで売っていた果物類、ドラゴンフルーツの中身が白と赤と黄色が区別されて売られていた。このスーパーはちょっと上流階級をターゲットにしていると思う。日本のスーパーマーケットに負けず劣らずのサービスを展開していると思う。
従来から、人気がある近くのハイパーマートとは違う高級な雰囲気があるが、どうでしょうか、近くの住民に受け入れられるでしょうか、私は、庶民が買い物に来るには場所が余りようないし、他の楽しみがないので、若者もあまり来ないのではないかと余計な心配をします。早々と閉店などという事にならないように。スリカヤ、緑色の表面にぶつぶつ出っ張りがある、中味はそのぶつぶつ通り、小さな種に実が付いている。一つ一つ食べていると面倒、いくつもの身を口に入れて、種から実を離し、黒い種を吹き出して食べる。甘いが独特の甘みです。雨季の終わりごろが旬です。スバン辺りの田舎には道端で売っています。もうちょっと、知っていることを書くと、スリカヤという果物がある。中味は殆どスリカヤと同じだが外観はドリアンのような刺とげがあり、色は深い緑です。
私は、インドネシアの果物として、ナンカ、チィムベダックとこのスリカヤを紹介する人は紹介してほしい。
負担 邪魔 不用
斜めからインドネシアを眺める 832
前の前の会社G社の時の話、客先へ行って図面や製品のサンプルを渡されながら見積もり依頼をされた。渡されたご本人、全くできない。勿論、その場で、出来るから、いつまでに見積もりを出しますという返事はしない、首をかしげながら、また、後ほど連絡を入れます。と言っていた。私は直ぐできるが、私がやるやけではないので、余計なことは言えない。それから、二カ月過ぎて、その客先から、その人でなくて、私に問合せが来た。「あの人、じゃ、だめじゃないの、返事が来ないよ、どうなっているの」という内容です。私から、本人に確認した、「本社でも、出来ないと言っていたから、そのままになっています」でした。とんでもない人だと思った。仕事が全くできない人だと思った。
「私がやるから、貰った図面とサンプルを私にください」といったら、「もう、二か月前の話でしょ、図面やサンプルですか、もう、無いと思います」だった、「そんなことじゃ、客先に申し訳ないでしょ、無いなら、あなたから、もう一度頼んで貰ってくださいよ」といったら、「太田さんが必要なら、太田さんから頼んでくださいよ、私にはできません」でした。話にも何もならない。
呆れて、しょうがないから、客先に誤って、図面を貰って、試作に掛ることを伝えて、その後、金型の図面を書かせて、金型を注文した。それが、また、問題、その図面のサインはその人がして、注文してしまった。インドネシア人が勘違いしていて、その人が、金型の事は分かっていて、その人にOKを貰えばその人が金型について責任が取れると思ったのだ。
注文してしまって、二三日後にその図面を見せてもらったら、間違いだらけ、そんな金型では寸法がまったくでない。インドネシア人の金型デザイナーが私の言ったことを反映していなかったのでした。急遽、加工屋さんへ走って、図面の手直しをしてきた。ご本人、経過を何もご存じない。話しても仕方がないので、話をしない。インドネシア人には、私が責任を取るから、その人のサインはサインとして、私に確認してから、外部に出すように頼んだ。
インドネシア人スタッフよる試作が始まっても、まったく見向きもしない。勿論、手も足も出ない。技術的に10年経験者のインドネシア人の方が33年経験者の日本人より遥かに上なのですから。客先には、返事をできずに知らん顔していた製品です。本社に聞いても出来ないと言われた製品です。
全く、日本の技術が落ち込んいることを思わされた。これでは、日本が長期低迷するのは当り前である。その会社は間もなく、インドネシアから撤退した。正解だと思う。
最近開店したばかりのリッポチカランのショッピングモール、シティヲークの中のファーマーズマーケットで売っていた果物類、ドラゴンフルーツの中身が白と赤と黄色が区別されて売られていた。このスーパーはちょっと上流階級をターゲットにしていると思う。日本のスーパーマーケットに負けず劣らずのサービスを展開していると思う。
従来から、人気がある近くのハイパーマートとは違う高級な雰囲気があるが、どうでしょうか、近くの住民に受け入れられるでしょうか、私は、庶民が買い物に来るには場所が余りようないし、他の楽しみがないので、若者もあまり来ないのではないかと余計な心配をします。早々と閉店などという事にならないように。スリカヤ、緑色の表面にぶつぶつ出っ張りがある、中味はそのぶつぶつ通り、小さな種に実が付いている。一つ一つ食べていると面倒、いくつもの身を口に入れて、種から実を離し、黒い種を吹き出して食べる。甘いが独特の甘みです。雨季の終わりごろが旬です。スバン辺りの田舎には道端で売っています。もうちょっと、知っていることを書くと、スリカヤという果物がある。中味は殆どスリカヤと同じだが外観はドリアンのような刺とげがあり、色は深い緑です。
私は、インドネシアの果物として、ナンカ、チィムベダックとこのスリカヤを紹介する人は紹介してほしい。
負担 邪魔 不用
2011年02月15日
(^_-)-☆目的を達成した
斜めからインドネシアを眺める 820
ということで、今朝02:00にホテルから出発、キンタマニを目指し、バトゥール湖畔に駐車し、ガイドを伴って、バトゥール山頂上付近で日の出を眺めることとした。
今回の目的は順調に達成した。ここのガイドは47人いるそうです。女性のガイドはたった一人、名前は、ワヤンさんです。何故か分からないが、私をガイドしてくれることになった。35歳で三人の子持ち、流石、ガイドである。毎日登っているそうで、疲れる様子を見せないどころは、私と話をしていない時は急な登りも何のその携帯電話を放さない。放している様子に息切れがはい。私は、ハアハアしていて、足を上げるのが大変、話どころではない。ただひたすら登るだけ、昨日の今日なので、足の具合が心配だった。
天気は昨日と打って変って晴れ、満点の星が美しい。最初の30分は割合広いなだらかな登り、次の30分は若干狭くなって、火山岩の細かい砂、サクサクとして歩きにくい。時々岩の急な登りも出てくる。そろそろ、足に来る時です。次の30分〜1時間(人によって大きく変わると思う)は急な瓦礫や岩の登り、足一歩を上げるのによいしょ、という感じになる。最期の登り100mくらいは胸突き八丁で手を使うこともある。
私は、約1000m標高から、1700m位の展望台にある、山小屋(といっても、15平方メートル位の小さな休憩所、50歳くらいの女性がここで、ツーリストに熱いコーヒーや紅茶を100円位で出している。皆さん、ほっとするらしくて、飲んでいる。私と前後していたグループ(といっても、ブレの二三人連れ)合計15人位、その他に各グループのガイドがいるので、全部で22〜3人でした。アジア人は私だけでした。
とにかく、きついです。富士山は登り口何箇所からか、経験しましたが、もちのジグザグが大きい。こちらは、ジグザグが殆ど無く、直登りに若干のくねりが在る程度、アグン山もそうだったが、リンジャニ(ロンボク)も真っ直ぐに近い上りだった。私が、一番飛びぬけて歳だと思う。最初の平坦の時には何組かに抜かれたが、最期の三十分で全員を追い抜いて、お湯を沸かしてくれている山小屋へ着いたのは私が最初だった。到着して、早速、紅茶をご馳走になった。途中でばてたのは、女性で何箇所も休憩していた。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page236.html
景色は抜群、サンモリッツを思い出した。スイスなら、当然ゴンドラか登山電車で10分くらいに高さだと思う。キンタマニからの景色は何度も見ているが、ここまで来て、大変な思いをした甲斐が在ったと思う。この場所から山頂までは50m位に見えるが、ガイドによると、急過ぎる上に火山礫なので、ずるずる滑って、一般の人は登らせないようにしているとか。二つのピークの間に深い火口がある。蒸気が登っていたし、熱い空気が吹き出ていた。見えないので知らなければ危険だ。毒ガスは発生していないと言っていた。
日の出の方向に雲が出始めて、太陽を雲の中に見えたのが07:00を回っていた。展望台で一時間以上待った事になる。
下りは、全く心配が吹き飛んで、膝のガクガクの兆しも無かった。走るように下ってきた。振り向きながら、大変だった山頂付近を写した。かなりの余裕でした。
旅行会社のトレッキングパケット募集の年齢制限が15才〜60才になっているという。7才もオーバーしているわけで、やはり、他人にはアグンもバトゥールもお勧めできない。相当きついと思います。結局、インドネシアの標高1500M以上の山は、他の日本人にお勧めできないということになります。
ワヤンさんとツーショット、ダナウ バトゥール側からグヌン バトゥール。
快感 やった 絶景
2010年12月14日
(^_-)-☆雲泥の差の続
斜めからインドネシアを眺める 817
そこで、新しい製品の話が舞い込んでくるたびに既成の装置では出来ないことが分かるようになってきたことをきっかっけに、それぞれの樹脂、製品の形状に毎の成形方法を編み出さなければならないことに着目した。押出成形をはじめてから、一年以内には、新しい仕事の開発に取り組んだ、というより、新しい仕事が次々と舞い込んできていたので、それぞれの製品の製造方法を開発しなければならないようになった。私の仕事は自身、やりがいを感じるようになっていた。それはサラリーマン時代のことだったが、新しい製品を作って客先のOKを貰い、量産に差し掛かった頃、私は、その製品について関心が無くなった。というより、また、新しい製品に取り組まなければならないので、以後のことは、上司やQCや検査の専門家に頼み、作業標準書以降の手順書、標準書についてはお任せをした。そういうところまで、私は口をはさむことは無かった。それらのことについても、私がやればもっと早く確実にできると思うが、それは、他の人の立場を尊重した。私にとっては、どちらかというと、どうでもいいことでもあった。
書いたように、私が作った装置や製品についての改善、改良についても、とやかく言わずに、お任せをして、それらの人なりに満足感を味わってもらうようにした。また、そういう余地を残してあげたと言ってもいい。そうとは知らずに私が作って製品にした装置にいろいろ欠点を指摘し、改善をして、提案などを出して、検証されたりした人も多かった。
技術を伝える相手の内インドネシア人は選べるし、だめだと思えば選び直すことが出来るが、日本人については選ぶことはできず、派遣された人を対象にするしかないが、これが、どうにもならない人ばかり、私に選ばせてほしいと頼んでも受け入れられない。結局、日本人に技術を伝えることはできない。そして、その人たちは、私が空虚だと思う、手直し形の仕事しかできないし、効率も悪い、場合によっては、仕事が出来るインドネシア人の足を引っ張ることになる。自らは出来ないことをインドネシア人にやるように命令する。そして、それに、気がつかない状態を引きずり、出来ない人間がインドネシア人の評価をすることになる。滑稽な状態になってしまう。
そういう人たちの新規の製品の引受ける勇気も自信もないので、その職場では現状維持である。部下に任せる容量もない、部下に任せて出来なかったとき、尻拭いをする自信が無ければ、部下が出来ると言っても、断ることになる。
ソロの東方向の山の中のヒンドゥー遺跡チャンディスクーの像、その時の人が、真面目に何かの目的で作ったのでしょうが、目的は何だったのでしょうか。
可能 任せる そこまで
2010年11月26日
(^_-)-☆どうも、変です。
斜めからインドネシアを眺める 799
タンゲランにすごい人もいる物だと思う。かなりの困難な事態に陥っているにもかかわらず、内心は読めないが、外見的には落ち着いている。困難の原因は、私には分かる。参謀に恵まれていない。自分が選んだ参謀ではなく、与えられた人たちだから、なお、歯がゆいと思うのだが、それを、皆の前では口に出さない。
私ならとっくに放り出して逃げだしてしまうと思うのだが、そのような気配を全く感じさせないで、ひょうひょうとしている。幅広い知識があるようで、経営の経験も豊富だと感じる。参謀に恵まれないとともに、これは当然だが、インドネシアの事情も知らない。信じていいこと、信じてはいけないこと、その区別がつかない。それでも、平然としているように見える。
例えば中古機械に輸入は原則禁止だが、許可を取れれば輸入できるということを聞いている。中古機械を輸入して売っている会社もあるのですから、全面禁止ということ全くないと思う。そして、保税会社の認可を受ければ新品、中古の区別なく自由に輸入できるという話は、私は全く信じない。そんなわけが無い、保税会社であっても、中古機械は審査を受けて許可を受けることは必要だと信ずる。これ等のことは、関税が高いか安く済むかの駆け引きの問題だが、免税だからと言って、機械に価格が幾らでもいい、タダ同然でもいいということはあり得ない。
常識的に考えて、その機械の価値が幾らかくらいかを評価して、免税でない場合の税額はいくらになるかが計算され、その上で、それが支払い免除になるというのが本筋です。そういうことは無いかもしれないがいつあるかもしれない、その装置が必要無くなって何処かへ売るということになれば、税金を払ってからでなければ売れないし、捨てるにしても、完全ぶち壊して再起不能にしてから捨てなければならないはずです。その評価は、輸入した時の価格から割り出すでしょう。
ですから、常識的に考えて、エージェントが言っていることは疑ってかからなければなりません。
インドネシアの道案内の看板、緑地に白で書いてある。こういう目立つ新しい看板は珍しい。木の陰や他の看板で見えなくなっている方が多い。ボゴール方面高速道路の終点、チレニイを出た処、左へ曲がればプンチャック、タマンサファリまっすぐ行けばランチャマヤ、リドのゴルフ、スカブミを通ってプラブハンラトゥへ
もう一枚は、プラブハンラトゥから出た処で、右へ曲がればその他の海岸へ、真っ直ぐ行けばスカブミ。
EJIPの会社を訪問してきた。
すごい、 出来ない、 大変
2010年11月23日
(^_-)-☆どうなるの
斜めからインドネシアを眺める 796
インドネシアへ進出している大多数の日系企業は、なぜかと言えば、円高克服と、安い人材と安い原料、部品を調達できる、それと、現地販売の増加を期待しているからである。様々な障害はあるが、それらへの期待が大きく、皆さんこぞって進出してきているのです。
こんなことは今さら書くまでもない事である。日本がどんどん空っぽになっている現状の流れは止まらない。20年先30年先の日本はどうなっているのでしょうか。私が、見ることは無い。
各企業とも、海外で成功することが活き残る条件になっている現実に直面し、そのための手を打っている。そこで、大きく左右される要素は、日本人の資質、能力、技術、指導力などの総合力である。
成功しなかった会社の多くはインドネシア国内売りが出来なかったというのが理由です。技術不足、価格競争力不足が主な理由ですが、いずれも、人材不足につながります。インドネシア国内に進出している日系の同業社は多くあります。独占企業というのはありません。
製造業で下請け会社として進出してきた会社は、最初は、どこかをメインの客先があって出てきていますが、それは、最初だけのことで、一年もすれば、価格競争にさらされます。そこから、あまくないことを知らされます。原材料に調達先から見直し、製品が出来てから客先へ届くまでの費用を見直します。一番見直さなければならないのは、収率や生産速度です。それには、他社に負けない技術力と手配力が無ければなりません。
輸入の原料でなければ製品が出来ないといって、その原料にこだわっていてはだめだし、なんとか、輸入しないで手にはいる原料でやるしかないし、やれる企業が残る。
材料は輸入、装置も輸入、出来た製品は日本へ輸出、その上装置は自動機で人をあまり使わない。こういった会社はインドネシアに進出してくる意味は全くない。唯一つでいいから、これ等から外れれば意味がある。例えば、製品の売り先がインドネシアかその周辺の国々なら、意味がある。
インドネシアの田舎の風景、乗合小型三輪車、犠牲祭で食べてしまった羊に皮を洗っている。
成功 進出 国内売り
2010年11月16日
(^_-)-☆再びブロックM界隈
斜めからインドネシアを眺める 789
連続で休みなく生産を続けている。順調に推移している。このまま行けば、18日からの納入は在庫から出荷できるようになるでしょう。
ジャカルタのブロックMスクエアーへ始めて行ってみた。通称ブロックMの日本人のための歓楽街の一角の東側、パサラヤとの間に、汚い、雑居ビルが有った。そのビルを建て替えて、駐車場も充実して新規にオープンしたショッピングモールです。パパヤの入り口のもう一つ東側の入り口からブロックMに入って、直ぐ、右に曲がった左側に駐車場への導入道路が有る。日曜の15:00過ぎだったので、か、駐車場に車が一杯、6階まで、途中は昼駐車出来ずに、グルグロ回って登って行って、あきらめかけた処で、空きがあった。それが、6階の売り場の入り口の前だった。
売場へ入ってみると、中は新しいから、綺麗になっているが、雰囲気は以前の汚かった売り場と似ていた。感じたことは、10年も過ぎれば昔の汚くて臭くて、ゴミゴミしている雰囲気になってしまうだろう、という事でした。なにも買わないで、パサラヤへ行ってみた。全く、別世界である。広い空間にゆったりと商品が陳列されていて、私のビーチゾール姿は気が引けた。ショッピングをするなら、価格は別にして、こういう雰囲気でしたいものです。家具やアンティック商品が芸術的に陳列されていて、ゆっくりと見て回ることができる。欧米人や日本人の客が目に入る。私は、インドネシアの土産物フロアーへ行って、蝶の標本を買った。千五百円くらいで、高いと思いますが、地方の安いところへ行くにはそれなりの時間とお金が必要なので、そういうことを考えれば、高いとは言えないかもしれない。このフロアーはプラザスナヤンやサリナなどの土産物売り場より遥かに品ぞろいが多く、安いと思う。インドネシア中の土産物は全部ここで手に入れることができる。アリバイ作りには、もってこいの場所です。ちょっと脱線しました。
その後、ブロックM界隈をブラブラしましたが、流石、ブロックM、ベチャやバジャイはこの辺りの名物風景である。昼間のカラオケ、日本食レストン街は全く間が抜けている。ただの、汚い、臭い街である。DVDやCDのコピーを売りたくてしつこい、日本語で、“裏もあるよ“と聞こえてきたりした。パパヤの前は、この商売の一等地らしい。
南ジャカルとの中心的地位にあるこの辺りは、広い大きなバスターミナルがあって、全国各地への長距離バスの多くはここから出発する。バス専用レーンを走るトランスジャカルタもここが南の終点で、北の折り返し点は、コタ駅前である。
なぜか、両替所とホテルが増えていた。
色は同じだが、全く形が違う。ハイビスカス(ブンガ カルタス)と、名前を知らない花。
ボロブドゥールからムラピ山を望む。現在、ボロブドゥールの観光は降灰のため閉鎖中です。
庶民 高級 隣同志
2010年11月12日
(^_-)-☆近況、工場見学
斜めからインドネシアを眺める 785
千客万来、相手をする日本人も大変、自分の部門だけでなく、知らない部門の案内もしなければならない。そこで、あれこれ質問されても、答えようがないが、知っているふりをして適当に対応している。私はそういう案内をすることは無い。一種のよそ者なので、余計なことを言ってしまっては困ることと、実際、相手がこの会社とどんな関係にあるのか知らないので、対応が難しい。
始まったばかりの会社に色々な会社から、見物に来られ、あーでもないこうでもないと言われ、なんだかんだと指摘されても、どうしようもないと思うが、この会社の人たちは、真剣にその指摘に答えようと会議をしているので流石だと思う。私なら、なにもしないでそのままにしておく、気が向いた時いつか自分流で、すっきりさせる。世間的には通らないらしいが。
次の土日とオーバータイムでこなせば、少しは余裕が出来て在庫も置けるようになるでしょう。やっと見通しが付いた。
ここへ来て、予期せぬ?ことが起きた。PPの原料が入らない。毎年、一カ月間ほど、PPやPEの生産を中止し、装置のオーバーホールをするのが決まりだということは分かっている。チャンドラアスリ、トリポリタである。このことを知っているからこの時期には商社も商売をストップ状態になる。使う側はそれを見越して、この、二か月前ほどには最低一つ気分以上が在庫を水増しして置かなければならないことも分かっている。しかし、この会社の購買担当は、現金払い、が気に入らないことと、在庫を増やしたくない、の一点張りで、原料の生産が止まった時、現場ではどれだけこまるか、客先に迷惑を掛けるかなどは全然、頭にないのでどうしようもない。
私としては、電話を掛けまくって、少しでも在庫がある会社を探し出して、少しくらい高くても現金を持って買いに行くしかない。まったく、人の気も知らないで、購買担当は呑気なものである。
だから、独立して自分やった方がどれだけ気が楽か、計り知れない。ま、今年一杯です。
写真が無くなったときのために撮っておいた孫の写真、困った時の孫頼み。私に抱かれて熟睡している孫、ユキコ、私が迎えに行ったキンダーガルテンからの帰り道、雨が上がっているのに、私が持って行った傘が気に入った様子。
マッタク 人の気 災難
2010年10月18日
(^_-)-☆支離滅裂
斜めかラインドネシアを眺める 761
しばらく続いた押出の話は昨日で一旦終わり。お疲れさま、でした。ニッチという分けの分からないことをいって得意になっている場合ではない。要するに、この仕事をしている人の割合は非常に少なく、理解する人はもっと少ない。私がインドネシアにいる間、この仕事が出来る日本人は私一人です。日本からインドネシアの会社に出荷していた会社から出荷されなくなったら、それは、私がインドネシアで作ってしまったからです。私がいなくなれば、その原因は消えます。日本の会社は仕事が無くなる心配は無くなります。また、誰もいなくなります。物が出来ていれば、管理をする日本人は、それぞれの会社に一人いますが、新しい仕事を引き受ける人はいなくなります。
一番大切な人の誕生日です。十数日間だけ私と同じ年になります。遠く離れているので電話だけで、他に何もしない。
がらっと話題を変えます。この一カ月以上、チリの鉱山事故を見て感じたことは、ニュースを探す必要が無くて放送会社は楽をしただろうな、でした。もう一つ、事故が起きた原因追求と再発防止と責任者の追及が求められる。
当分の間、鉱山は閉鎖されて、鉱夫達は失業のはずである。今回救出された人々も例外ではないはず。喜んでばかりいられない人が大勢いるはずです。
盛んに、営業第一、一回行ったところも、一か月に一回以上、相手からしつこいと思われるくらい訪問してほしい、と、勧められているが、私は、営業をストップする。この二週間会社訪問をしたり、受けたりした会社から製品の見積もり依頼を受けたが、どうも、殆どの製品を技術的出来ないらしくて引き受けられないらしい。せっかく、紹介しても客先を裏切るだけなので、営業や紹介は止めることにした。
日本から営業の専門家が送られてくるらしいが、まったく、無駄だと思う。技術者が首をかしげてしまうのだから無駄である。現装置の改善提案や生産している製品の立ち上げなどにかかわろうとしないので、問題点を感じようとしていないと思う。これではだめだ。
昨日もゴルフの後、出勤、多くの従業員も出勤している。皆さん大変よくやってくれている。会社全体のISO関係の収得についても私の部下が会社全体の事で図面を書いたり標準書を書いたりしている。評価の基準がはっきりしない。初任給の決め方の基準がどうなっているのか、大きな問題になる可能性が見える。
頭と体の休息日と決めて、会社へ行くこともゴルフ場へゆくことも止めて、08:00過ぎに起きた。
MENCARI BAKAT(才能を探す)という番組、TRANS TVのスター発掘番組である。PUTRI AYUという名前の女性歌手が最初から目立った存在だった。来週決着するらしいが、三か月前に始まったときから彼女と決まっていたようなもので、SMSの投票で決まっても他の人ということは考えられない。
久しぶりのブロックMパサラヤのコンコース、バリの物産展をやっていた。
焦点ボケ 主な仕事 スタートダッシュ
2010年09月30日
(^_-)-☆インドネシアの子供達
斜めからインドネシアを眺める 743
また、また、もとキタガワの社員を入社させた。勿論、彼らは皆、私を有力なコネとして入社できることを期待し、申請してくるのです。別に私が強力に推薦しているわけではないし、総務には何も話をしていない。しかし、もう、いないだろう、と思っても、次々と入ってくる。私がキタガワを離れた後に入って、私を知らない人まで、知っているかのように入ってくるらしい。もっとも、この会社の総務の重要な役割を果たしている人たちは、私が推薦して入社してもらったのですから、彼らの知り合いが申請して来れば必要な部門から入ってもらうことは当然な成り行きでしょう。
そんなこんなで、かなりの重要なポストは元キタガワの人たちが占めるようになっている。経理、人事総務、税関に対するトップ、第二工場のトップ、蒸着部門のトップ(日本で訓練中)、勿論押出のトップ以下全員、皆さん、日本人からの評価は、最初は良くなかった。この人たちは能力が今一だという話がわたしにもあった。しかし、その人たちの上の立場になれる人を人材紹介の会社などから、推薦してもらい、面接したところ、今いる人たちより遥かに高い給料を要求する上に、能力も今いる人たちより低い評価だし、紹介料も半端ではない。そこで、結局、採用をしないことにして、今では、全員がその部門のトップとして役立っているし、彼らのアシスタントを入社させるようになっている。
ベアチュカイとの関係トップの人も私の紹介だがコンサルタントのJA社(日本人人)から、彼女では能力不足だと言われたらしい。彼女は、もう、十数年の付き合いで、MM2100担当の税関職員とは顔なじみで、能力が低いはずがない、おそらく、その日本人の知識や能力が低いのだろうと思う、そのコンサルタントは、私は信頼していないので、ビザの更新などでは使わないようにしている。費用が、手数料が高い上に、申請も遠回りだし、シンガポールへ行くときも、なぜか、一泊するスケジュールを組んでしまう。
この意見を真に受けて、他の人を採用し、彼女の上に付けるのか、難しいところです。税務署や税関とつるむような人を採用してしまうと、禍根を残す。せっかく、JA社の担当者より能力が高い人を潰してしまうことになる。それよりも、彼女が、彼女の意見を言いやすいような環境を作ってやることが肝心です。何か言ったら、余計なことをいうな、というような雰囲気はだめです。
こういう状態を見ていると、この会社の立ち上げを助ける役割とインドネシア人の子供たちを救う役割は一段落ついたような気がする。どちらも、私を必要としなくなるのは分かっている。自分の決心が変かわらないように書いておいている。
私の技術的なことは
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%202.html
http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0007.html
PPプロファイル成形の開発をしたが、壁にぶち当たった状態が長く続いて客先に大変、迷惑を掛けてしまった。その記録です。まだ、十分ではないが、開発はこの仕事が最後になるでしょう。押出の開発仕事は体力勝負です。若いころにはその体力をフルに使ってどんどん、新しい仕事に挑戦したが、もう、今は出来ない。気持ちだけではどうにもならない。
間違いなく、メイドインインドネシアの縫いぐるみです。日本ではもうとっくの昔にこの種の縫いぐるみは、メイドインジャパンは無くなっていましね。先日、ドイツのニュールンベルグで買ったおひざ元ドイツ企業ナイキのスニーカーがメイドインベトナムでした。遠い旅をしても安いのです。
ISOの認定証です。苦節4カ月でした。担当の人たちはご苦労様でした。
体力 気力 執念
2010年07月15日
(^_-)-☆なんとかなりそう
斜めからインドネシアを眺めよう 666
10:00過ぎに新金型を受け取った。心配なので、今までトライしていた金型の修正を頼んだ。その金型の欠点は、唯一つ、今、明かせないが、それが無くなれば使えるのです。11:00過ぎにトライが始まった。しかし、すぐ、不具合が発見された、修正に出す。16:00に修正完了、17:00トライ再開。前の金型の欠点は、必ず無くなることは分かっていたが、他のことで心配があった。それさえクリアー出来れば、外観は良くなるし、寸法公差も狭くて済むことは分かっていた。それなら、なぜ、最初からこの方法でやらなかったのか、と言うことになるが、それは、それで、理由がある。これも、今は書かない。
明日夕方までに、違う方法のもう一つの金型ができてくるので、そのトライの結果を出してから、どちらの製品をサンプルとして出すか決める。
MM2100のルコの向かい側にあるロッテマレッで金型屋から帰る途中によって買い物をした。そのついでに、ちょっと早い夕食をとった。オープンテラスのフードコートがモールの前にある。ここもインドネシア人しかいない。この店はもとマクロで、小売商売の人たちがここで安く仕入れて商売をする。だから、一二個買うのではなく、カートンで買って行く人が大部分である。私は米や肉類はここで買うことにしている、実際はマリアさんが買いに行っていた。
彼女がいるといないとでは経費がだいぶ違う。食料品やお菓子類、果物、洗剤や洗面所で使うもの、その他日用品は彼女がいなければ殆ど必要無いから買うことはない。
三カ月、時が止まったようでした。一歩も前に進めなかった。でも、間もなく時は動き出す。45年間この仕事をしていて、今回のようなことは初めてだった。他のことに移れない、新しい仕事の獲得も自粛せざるを得なかった。自覚したくないが、脳みその弾力性が無くなっているのかもしれない。
それでも、細いチューブ(バイクや車のケーブルシステム用)の注文を、どうしても、やって欲しいということで断れずに引受けた。月産40万Mくらいになる。押出機2台を使うことになる。この種のチューブについては日系の他社からも依頼されているが、待ってもらっている。内外径同時自動検査装置とNG発生時にラインストップ装置(両方ともメイドバイオオタナンブインドネシア)の手配が間に合わないためである。
他人に聞いても仕方がない、インターネットで検索しても仕方がない、文献を探しても仕方がない。45年間、仕事の仕方や、勉強の仕方で、この人のやりかたは見習った方が良いということは在ったが、技術について、真似したことも、教えられたことも一つもない。これからもないでしょう。本当に独自の孤独の世界です。そのことを話しても分かる人はいない。
ロンボク島に属する島の一つ ギリ トゥラワンガンからロンボク島方面を望む。サンライズの右はリンジャニ山(3770m)。去年、一人で、車で行って登った。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/pageo407.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page0408.html
photo albumもどうぞ!!!
しばらく、ご無沙汰のPianoさんが戻ってきてくれたようで、安心しましたが、何か事情があったのでしょうか。気にしても、意味はないと思いますが、気になっていました。
もう一人気になっている人がいますが、全く、掴みどころが無い、私の事を気にしてくれている人と勝手に思い込んでいます。
孤独 自分が頼り 悩み
2010年06月01日
(^_-)-☆良いことがある
斜めからインドネシアを眺めよう 624
今月は精神的に疲れた長く感じた月だった。6月はストレスが半減するリラックスできる月になることを期待する。
しかし、旅行中のひらめきを試したが、求める結果を出すことができなかった。現在も、試作の最中です。何とかしなければ、何とかしなければという、焦りばかりで、やっていることは、また、同じことを繰り返しているような気がする。
目的は一つだがそれができない、技術というより原料が原因としたいが、インドネシアでは、原料の責任にしたら、製品ができない。何とか、インドネシアで手に入る原料で製品を作り上げなければならないのが私に課せられた責任だから、逃げられない。それにしても、今回のような困難にぶつかったのはこの仕事をしていて初めてである。
とはいっても、いつまでも出来ないのでは客先に迷惑を掛けるばかり、これならいけるだろうとおもわれる原料を送ってもらうことにした。太田化工へ頼んだ。彼らは、私が困ったときの究極の助け舟である。頼んだことや物は、彼らが手配てくれて、太田化工として送ってくれる。また、私が帰国するときに前もって、必要なものを手配してもらっておいて、こちらへ戻る時にハンドキャリーをする。これは、毎回である。ハンドキャリーをしなかったことは無い。原料はそういうわけにいかない、いつも、急ぎなのでエアーで送ってもらう。運賃が馬鹿にならないが、そんなことは言っていられない。
といっても、その原料で製品ができても仕方が無いのです。出来ると言うことが証明されるだけで、その原料を使って量産を続ければ、原料価格と製品価格が同じになってしまいます。短期間だけ、緊急避難的に使うのです。それが、短期間で終わらせないと大変なことになってしまう。どこかの会社の社長さんの目暗判のようになってしまう。
それだけは避けなければならない。
ルマーパンジャンの洗濯ものを干してる家の前の廊下の下です。貧弱さが分かる、この状態で新築から二百年も過ぎているとは全く思えない。ゴムの樹液の天日干しの風景。
手伝い 空輸 頼り甲斐
2010年05月31日
(^_-)-☆空の上の上の空
斜めからインドネシアを眺めよう 623
KUCHING KOTAKINABALU BRUNEIからのバスが来ていた。マレーシア領まで近いところは300Kmくらいです。一番近いマレーシアの町はクチンと言います。多くの欧米人観光客はコタキナバルとクチンをセットで訪れるそうです。私は時間が無くて国境を超えることはしなかった。
最終日、ポンティアナックの町を縦横に流れているカプアス川から街の様子を観光しようと思っていたが、生憎の大雨、屋根付きの大型ボートを見つけることができずに断念した。フェリーボートの発着場所はそこかしこにあるし、大型の貨物船が横付けされる港も沢山ある。観光船の港は少ない、そこへ行くアクセス道がまた目立たない狭い。地元の人が遊覧船や納涼船を楽しむという習慣は内容で、場所も船も少ないから外部からの観光客もその機会を探すことが難しいようです。在りそうな岸辺に行ってそこら辺の人に聞いても、あるかないか、あってもどこなのか知らない人がほとんどである。
市内観光をすることにしたが、それも、美術館や博物館もなく、車を使って巡るところもないときき、することが無くなってしまった。ショッピンギセンターでも行ってみるかと思ったが、時間が早く、開店していない。
そこで、その辺りにある土産物の店を見て回ることにした。アロエ関係の飲み物やお菓子、薬、が氾濫していた。アロエの形が似ているのでしょう。リダー、ビヤワッといって、トカゲの舌、という意味です。その他はインドドネシアならどこにでもあるクルプック(上げ煎餅)、乾燥魚、乾燥果物などが並んでいる。煎じ薬の元になる植物や木を乾燥したものも売っている。蜂蜜もどこでも売っている。
私が求める土産物というか記念品はTシャツです。その土地の名前が入っていて、その町の有名な建造物の写真がプリントされている物を必ず手に入れることにしている。今回は、赤道を表すモニュメントとポンティアナックが印刷されている物を買った。三万から五万Rpが相場です。サイズや生地の厚さで値段が変わるようです。Tシャツは何枚たまったでしょうか、数えたことが無いので沢山だということだけです。
今回の旅は、気分転換と新しいひらめきを求めようとしていて、旅そのものは殆ど上の空だった。こんな旅は初めてであった。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
それでも、ゴムの木から採取したゴムを板状にして天日干しにし、ある程度水分を抜いてからゴム工場に出荷するということを、道端に広げて、天日干しをしていた人から聞いた。得も言われぬ臭さで二度とかぎたくない臭さだった。
イカンサルジュといってまっ白い肉の淡水魚、価格はこれで1500円くらいする。かなり高い。15Cmくらいの厚さで胴体を輪切りにしてホットプレートのような状態で出てきた。タイを柔らかく似たような感じで皮の内側にこってりと脂が乗っていて、大変おいしかった。綺麗に平らげた。このポンティアナックのカプアス川にしかいないという魚。
20:00に家に戻っている。
熱帯大魚 土産物 Tシャツ