2010年10月30日
(^_-)-☆天災人災大国
斜めからインドネシアを眺める 773
スマトラ中西部のムンタワイはパダン料理で有名なパダンに県庁所在地がスマトラバラット州に属する島々です。この地域は北スマトラのアチェに掛けて地震の頻発地帯で、何度も、繰り返し、大きな地震が起きている。そのたびに何十人何百人と亡くなっている。行方不明者もそのくらいの人数になっているようです。
インドネシア人は地震の怖さを知らない人が多いと聞いていたが、実際には、殆どの人が、直ぐパニックになるくらいに、恐ろしく感じている。しかし、対策とか耐震というところまでお金を掛けるところまで行っていない。被害があれば仕方が無いなと思うだけです。
ジョクジャの北部中部ジャワのその名もグネンムラピ(火の山)もつい先日噴火が活発になり、おととい大火砕流が発生して何十人も犠牲になった。この山は、活火山で常に煙を噴き出している。今回はその火山性地震計が異常値を示したので、避難勧告が出された。しかし、その体制が出来ていない。殆どの住民は避難しなかった。もう、噴火には慣れてしまっていて、ちょっとの噴火では逃げる必要はないと思い込んでしまっていたのです。“少年とオオカミ“の状態だったのです。
インドネシアはこれ等の事を含めて、そう、深刻に考えないようで、一週間もすれば話題に登らなくなる。ニュースのフォローも無くなる。
ジャカルタでも私がインドネシア滞在した十何年かの間に有感地震は三回だけあった。被害はゼロです。ちょっとした揺れでもパニックになるようです。普段、感じることのない状況になくからなのでしょう。だから、逃げる途中で転んだり階段を踏み外したりして軽いけがをするのはあります。
ジャカルタ北部のショッピングモール、メガモール プルウィトでアイススケートをしていた時に、私は全く感じなかったが、まわりの人がなにかパニック状態になり、出口の方へ殺到している。スケート靴のままその人たちと一緒に逃げるわけにもいかずに10分ほど騒ぎが収まるのを待っていた。人気が無くなって、掛りの人が一人しかいなくなったカウンターで靴を交換して外へ出たら、皆さん、不安そうに建物を見上げていて、何だと、聞いたら、地震だという。天井の蛍光灯も揺れていなかったような気がする。それでも、多分、何人かが感じたのでしょう。それらの人たちが逃げ出したので、分けのいかからない人たちも地震とは知らずに、とにかく逃げたのだと思う。
可能性として、爆弾が仕掛けられているとか、暴動が始まったとか、そういうことを誰かが叫べば、その一言だけで、多くの人が分けも分からずパニックになってしまう下地はインドネシアにはある。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
天災や人災で亡くなる人はかなり多いし、平均余命は未だに60才程度という噂もある。子孫を残すという意味で、子供が多い原因も分かるような気がする。
事故 災害 無抵抗
2010年10月29日
(^_-)-☆大丈夫でしょうね
斜めからインドネシアを眺める 772
母親の誕生日 10カ月会っていない。多分94才くらいになると思う。私としては親元を18才で離れて、平均年2〜3回ほどしか会っていないで勝手に生きてきたので、それが出来る状態にしてくれている人たちに感謝をしている。
全然ボケていないどころか、私の事をいつも気にしていてくれるらしい、こちらの地震や津波や噴火の事を知っていて、勝夫は大丈夫だろうかと心配してくれている。
私は母親から受け継いだ物が多いと思う。血液型も頭のフケが異常に多いことも足の親指の爪が真上を向いていて靴下や靴のその部分に穴を開けてしまうことも、手先が器用なことも皆母親譲りだと思う。その他かなりのものを引き継いでいるので、この母親から生まれたことは非常にラッキーだったなと思っている。また、これらの状態がドイツの曾孫にも引き継がれていることを私は確認済である。そしてそのことを、曾祖母と曾孫が今年の正月に日本でお互いに確認していた。
押出製品は人が作るのであって装置や機械がつくるものではない。ということは、押出に携わっている人にとっては基本的常識です。そのことを射出成形に携わっている人たちに分かってもらえなくて、同じ会社の中に両部門が有る場合には、押出の方が何かとやり玉に挙げられる。それは何十年もの間、自分で会社を経営している時以外は、言われつづけたことです。分かってもらえないのだから仕方がないと思っている。
しかし、一番困るのは、押出部門の中に、射出的な考えの人が入ってきて、射出的に運営しようとして、製造技術に関して無関心で、自らは、製造に手を出さない、出せない事である。自らが製造の手本を見せることが出来ない人が、リーダーになってしまうことです。新しい注文は全く取れない。客先からこれが出来るなら見積もりを出してください、と、話が有った時、その人は出来ないのだが、社内の他の人が出来るかもしれないので、聞いてから返事をします。という返事では、話を断ったことと同じことになってしまう。
押出部門のリーダーは製造で陣頭指揮を取れなければならない。自らが製造の立ち上げから製造終了までの手順に従って手本を見せなければならない、作業標準を書くための、見本を見せなければならない。それが出来ない人がリーダーになった場合は、何をか況やである。インドネシアにはそういう押出成形屋さんは無いと思うが、あれば、その会社は成功しない。
韓国カラオケの店とセルラシルクスのカキリマ、一番手前のガラスにOtak-Otakと書いてあります。私のメールアドレスと同じですね。
技術 人間 不安
2010年10月26日
(^_-)-☆リッポチカラン
斜めからインドネシアを眺める 769
昨日の続きです。LIPPO CIKARANGの外国人は韓国人が圧倒的に多いようです。Water Boomの方の洒落た街並みのレストラン街やその他の店が有る地域も、ハングルの看板が目立つ。RUKO TAMRINもハングルが多い。ついで日本人でしょうか、印象としては韓国人の半分ぐらいの人数だと思う。
平日のお昼時、夕方、一番賑やかな場所はRUKO TAMRINとその西側のPujasera Sirkusというインドネシア料理のフードコートです。シンガポールの有名なニュートンサーカスのようなものです。
この中なら、安全だろうし、日本料理屋も5件以上、韓国料理やもそれ以上、中華料理屋も数軒ある、インドネシア料理屋は、若干高給のチェーン店や庶民的な店も沢山ある。
夜は特に賑やか、韓国人のブロックMという人もいる。マッサージの看板も沢山出ている。内容は色々だと思う。会計は明瞭だし、ぼったくられることは全くないと思う。もし、そういうことがあれば、ジャカルタのブロックMと同じで、直ぐに営業できなくなってしまう。日本料理屋と日本人向けカラオケは日本人が経営しているか、日本人がスポンサーになっているので、日本語だけでも意思を伝えることができるし、自分が乱暴をしなければ全く、日本にいるのと同じ感覚でくつろいで良いと思う。
韓国系が多いのだから、それらの店へ入れば、日本人はまず韓国人と思われるが直ぐに日本人だと気が付いてくれる。レストランには日本語のメニューも用意されているし、韓国系にカラオケにも日本の歌はある。日本語でシステムも説明してもらえる。システムとは、日本人カラオケも同じだが、部屋を借りた場合は一時間いくらとか、最低は何時間以上だとか、女の子のアワーチャージは時間いくらだとか、一緒に外出する場合は何時間分、店に払えば良いなどなどです。
とにかく、この町に住む、日本人、韓国人は、別にジャカルタまで行く必要はないでしょう、同じことが、多分、60%位の費用で出来るでしょう。そんなに安くないよと思う人は、チェックが足りないし、確認が足りないと思う。レストランで食事した後、何かを楽しみたいと思っている人は、まず、必要なことは、確認することです。ただ、黙って、入り込んで、楽しんだあと、請求書を求めて見た時、ジャカルタと同じような金額が示されても仕方が有りません。
リッポチカラン全体では日本食レストランは10軒以上ある。日本人むけカラオケは最低5軒ある。韓国カラオケは10軒以上ある。韓国料理店も10軒ほどある。中華料理屋も10軒以上あるでしょう。インドネシア人受けファミリーカラオケは3軒あります。
ローズ、ヒオ、オールインワン、ムリア、エドなど何の名前だと思いますか。知っている人は・・・ですね。
日本人は余り関係ないが、何といっても、インドネシア人が休日の楽しみに来る場所はWater Boomです。水を流したくねくね曲がった滑り台がメインで多くの家族ずれが訪れる。駐車場に入りきれずに道端路上駐車も時々、認められるようです。
チカランの道端のES(アイス) Durianとそのカキリマです。得も言われぬおいしいさで、顔が思わず緩んでしまいます。5000Rpです。私は、車を止めて助手席から、良くいかいます。底にコンデンスミルクがたっぷり入れてあって、甘過ぎるので、入れないように注文します。
歓楽 元気 賑やか
2010年10月05日
(^_-)-☆直ちに責任移譲
斜めからインドネシアを眺める 748
頼まれれば期間を決めて私がやる、尋ねられれば丁寧に答える。これが前提になることは言うまでもないが、批判されてもどうにもならない。
押出に関して、N社流、Kさん流がある。私流は勿論ある。他人から教えてもらったものは何もない。装置や金型、製品、不良の名前、などなど、40年以上前にドイツからの技術が入った会社に存在していて、その時の各名前がそのまま残っている。その時無かったものは全て私が名前を付けている。インドネシア語に直す時も、私がインドネシア語で付けている。ですから、同じものでも、別の会社では名前が違う。ましてや、押出機、金型、冷却装置の構造や材質は全てといっていいほど名前が違う。先ずその名前をその人流に変えるのか、その人がその場所の今までの名前でやってくれるのかが問題である。その人に任せるしかない。
会社での公式ポジション名はイムグレへ届けた名前でなければならない、名刺も組織表もそれに従わなければならないが、実際の仕事内容は、いきなり、すべての事に関して決済をしてもらわなければならない。私が、決裁してしまうわけにはいかない、それらのことに関して、責任を持てないからです。軟着陸というより、いきなりドカンと、すべての事に対して責任を取ってもらうつもりで構えてもらう必要がある。
製品の見積もりを求められたときに、出来るかできないか判断し、出来るなら、製品の見積もりを出す。その見積もりには、当然、条件が含まれる。その条件も同時に伝える。 これも、直ぐに、判断が必要になります。これにも私が首を突っ込むわけにはいかない。中には、私が仮見積もりをした製品もある。それも、白紙に戻してその人なりの判断をしてもらわなければならない。
現在を批判してもらっても、私がその人の意志に従って現状を変えるということはできないので、その人のやり方で変えてもらうしかない。自分が納得いくように自分で変えてもらうことです。自分が今後何年間は全責任を負うのですから。
売り上げ計画の提出を義務とするらしいが、これも、直ちにやってもらう。私ではとてもできない、やっても、計画通りには絶対にいかないことは分かっている。注文が入っていても、その通り客先が引き取るとは言えないし、必ず、客先の生産量は変更される、それに合わせて納品するのだから、計画通りに行くはずがない。計画通りにいかなかったことの理由を説明しなければならない。客先が引きとらなかったというしかないのにである。
ポンティアナックの赤道モニュメントとサンセット、PT.PBIの来年のカレンダーの多分12月の写真に採用されました。と、車のフロントガラスから撮った町の風景。
引き渡し 利益計画 納得
2010年08月23日
(^_-)-☆不幸をまき散らした
斜めからインドネシアを眺めよう 705
太平洋戦争の日本の最前線は伸びに伸びて、細い荒縄で囲っているだけ、荒縄も、千切れていた。その荒縄部分の兵士は、何の補給もない状態で、次々と玉砕していった。最近のゲゲゲでこのことがテーマになっている。
ここ、インドネシアでも多くの日本兵が玉砕したはずである。パンガンダランの半島の首根っこのところにグアジャパンというほら穴があって、現地の人の噂では、今でも、時々夜中に日本兵がその前で、行進をしているし、何のことかわからないが、日本語のようなもので、話をしているという。冗談に、太田さん、夜中にチャガールアラムに入って、彼らが何と言っているか、通訳してほしいと言われたここもある。インドネシア各地に日本軍がたて籠ったと言われるグアジャパンが残っている。大体、鍾乳洞のほら穴である。
オーストラリアに近い、パプアニューギニアではおそらく殆どの日本軍が玉砕したと思う。子供のころ、ガダルカナルの海戦などの戦記物をよく読んだ記憶がある。勇まし、話だが、結局この辺りで主要航空母艦を殆ど沈められ、ゼロ戦の優秀な操縦士も殆ど、失ってしまった。これを境に、制海権制空権共に失い、補給船、それを護衛する駆逐艦、巡洋艦もことごとく失い、陸軍兵士は、戦陣訓に従い突撃をするしかなかった。訪ねたことがあるパプアのマヌクアリ、ジャヤプラ辺りにはマッカーサーの足跡ばかり残っているが、マッカーサーの逆襲の後には、日本兵の屍が残った。
何百倍の、見方によっては何千倍もの国力を持ったアメリカに戦争を仕掛けてしまった日本の指導者は聞違いというしかない。本当に、本当に馬鹿なことをしたものだと思う。それも、日露戦争の時のイギリスのような、間接的に応援してくれる国はなく、ドイツとイタリアという独裁者が無茶をやっていた国で何も期待できない国との同盟だけだった。
また、日露戦争の時のように、ここまでやったら終わりという賢さを持っていなかった。点だけをどんどん前進させてしまった。後はタダタダ敗走をするしかなかった。国民は何も知らされず、最期は沖縄を失い、本土決戦などとバカバカしい事を言っていた。
前線の伸びきりは必ずいつかは縮小が始まる。企業も同じこと、戦線拡大に従って、当然、補給部隊、兵站部隊を充実させて、常に、不足を補うシステムと人材を準備しておかなければならない。場合によっては遊撃部隊が随所に臨機応変に送り込まれなければならない。広げるだけ広げて、後ろを振り向けば誰も付いてこないと言うのでは、また、戻りしかなくなってしまう。
また個々の前線での支配者はその部隊やその環境の人々に不幸をもたらしているにも関わらず、自分の感情だけで行動をし、押しつけた。最期は自分を含めて全滅する。
高速道路の様子、雨で前が見えない。トラックの追突事故。
前線 補給 拡大
2010年07月27日
(^_-)-☆些細なことだが
斜めからインドネシアを眺めよう 678
私がゴルフをジャバベカでやる時は、いつも、同じキャディに頼んでいる。彼女にはプレーの後、次はいつ手伝ってほしいといって約束をする。また、朝、バッグを預けるときにタグにその人の名前を書けば、手伝ってもらえることになっている。システムをそう思い込んでいたので、そのようにしていたが、今まで、たまに、突然、キャディマスターからの指令で、他のお客さんの手伝いをしなければならなくなったから、太田さんの手伝いができなくなったと、いうことがあった。
その都度、そのキャディからは、私から、キャディマスターに電話をして、私の手伝いができるようにしてほしいと言われていた。しかし、私は、キャディマスターは必ずチップを要求してくると分かっているので、頼まないでいた。
先日、土曜日、日本人だろうと思う、キャディマスターにブッキングを頼んだのでしょう。彼女から、手伝いできないと連絡があった。
勿論、私がプレーしない時、土日以外などは、他のお客さんのお手伝いをするのですから、彼女を気にいって、次回も手伝ってほしいと思う人は、次々と増えていっているはずです。本人からOKを貰えない人は、キャディマスターにチップを渡して、ブッキングする人も、増えることは当然です。その日も、キャディマスターに2人から予約の申し込みがあって、早い方の人に決めたらしい、また、ゴルフバッグに名前を書いた人が2人、いたとか、私は、事前に、手伝えないと知らされていたので、彼女が書いてやって欲しいと言っていた人の名前を書いた。
そして、日曜日、彼女の名前を書いた人は私を含めて3人いたとか、キャディマスターに頼んだ人はいなかったので約束通り私の手伝いをした。彼女、早速、昨日の出来事の話をしてきた。
昨日はごめんなさいから始まって、もう、その人から、私に頼まないと言われた、とか。何故なの?彼女はその人の名前を勿論知っているのだが、とっさの場合に、私の名前を呼んでしまったとか、その人から、自分の名前はなになにだと言われたのにもかかわらず、それが一回や二回ではなく、何回も、私の名前で呼んでしまったらしい。他の人のことが頭から離れない彼女に呆れて、もう、予約しないと宣言されたという。次からも他の人を手伝った時、この手を使って指名されないようにしようと言っていた。
特に日本人のプレーヤーに気を付けてもらいたいことは、ご自分が気にいったキャディは既にキャディ自身が気にいった日本人の手伝いをしたいと思っている確率が高いのです。そういう人たちは自分たちだけで連絡し合っているのです。キャディマスターを通して幾らかのお金を払って、予約することは、正規の方法かもしれませんが、私はそういう方法は取りません。キャディを泣かせているかもしれません。あくまでも、本人の了解を取ります。野暮なことはしたくありません。
予約 命令 従う
夕方のチカラン バラッ付近、ジャカルタ方面への大渋滞、本線までなかなか侵入できない。
2010年07月18日
(^_-)-☆お金を欲しい季節
斜めからインドネシアを眺めよう 669
昨日の“とんでもない”の話、おまけがついた。今日も納品したが、明日も出来ているだけ納品してほしい、オーバータイムに付き合ってほしいというのです。よっぽど、品物が間に合わなくて、納品が遅れそうで困っているのでしょう。それならそれで、理由を言って、丁重にお願いすればいいと思うのだが、高圧的な態度は相変わらずである。月曜日でなければ納品できないときっぱり断られたら、どうするつもりなのでしょうか。
と言うことでしたが、どうも、待っていたら、間に合わないのでしょう。先ほど18:00と21:00に製品を出来ただけ取りに来た。明日07:00にまた、出来ただけ受け取りに来ると言って帰った。
内ができる製品だったから、対応してやることができたから、問題を最小に留ることができているようで、もし、私がNOと言ったら、どうするつもりでいるのでしょうか。KIICのヤマハモートルが最終お客さんです。組み立てラインをストップさせてしまいそうなのでしょう。
これから、レバランに掛けて、一年で一番お金を欲しい時期になる。ムシン ミンタ ウアンに入ります。出勤 押出で10人以上出勤している、オーバータイムである。ISO準備の人、チューブ巻取りようのロールを作る人、前の会社から引き継いだ装置で使えない物の修理をする人、皆さん、頼めば真面目に仕事をしてくれる。これはこれで、私の方からお願いしているのだから、いいのですが。ただし、現金なもので、オーバータイム手当が付かない役職の人たちは出勤しません。出勤すれば評価が上がって後々、収入が増える可能性があると思うのだが、そういう考えは、インドネシア人は全く受け入れないようです。逆に損だと思うのです。
インドネシアの特にイスラムの人達はこの時期、お金を稼ぎたいのです。もうすぐ断食月に突入します。交通違反の取り締まり、検挙も厳しくなる。警察官もお金を欲しいのです。
ベアチュカイ、(税務所、税関)もイミグレ(出入国管理)の審査も厳しくなります。いずれも、アンダーテーブル獲得が目的です。
この会社も、間もなく、射出成型機や周辺機器、交換部品の輸入をする予定になっているようです。どう考えても、どう、どこを切って、様子を見ても、レバラン休暇以前にインドネシアへ入れることには無理がある。受け入れ態勢の不備と共に、審査の厳しさと、意識的に審査を遅らせるというマイナス要因が多すぎる。EPTEではないので、規定通りの関税を払うことは当り前ですが、当り前ではない金額の上乗せを、税関に何倍かを払わなければ、港から移動できない可能性が高い。
9月中旬以降になれば、ぼちぼち、その厳しさも和らぎ、10月に入れば、通常の対応に戻るでしょう。そのころになって、なお且つEPTEの会社になっていれば、やっと、割合、障害が無く、輸入品を手に入れることができるようになるでしょう。
色々な点で、インドネシアの事情を知る必要があるが、こういう、細かいようで大きなことを認識できないで、事を進めようとしてしまう状態は、横から見ていて、お金の無駄使いが多くなることをはじめ、余計な交渉を繰り返さなければならないし、全てが遅れ遅れになってしまうことを、心配する。
支払った税金は還付されるという意識は、間違いです。甘すぎます。事態を知らなさすぎます。もし、かえってくるにしても、一年以上後の話です。その手続きは大変困難ですし、なんだかんだと、いちゃもんをつけられて、挙句の果てに、他のことでペナルティを課せられて、戻ってくるどころか、逆に、もっと支払わなければならない羽目になる可能性もある。また、値切られて、戻ってくるはずの何分の一かになってしまうし、担当の税務署員に個人的にアンダーテーブルをその中から支払わなければならなくなる。
ジャカルタの環状高速道路に入ってすぐのチャワンと言うところです。看板の通り、まっすぐ行くと中央ジャカルタ、スマンギ方面左へ行って、高架の下をくぐって右(北)へ向かうとコンテナ港のタンジュンプリオクや遊園地で有名なアンチョール方面です。そちらにスカルノハッタ空港と書いてありますが、環状道路ですから、スマンギへ向かっても当然行けます。スマンギ経由の方が距離は短い。ただし、渋滞がどうかということです。空港へ向かうときに、多くの人はどちら経由でゆくか迷うはずです。どちらを選んでも、あっちを選べばよかったと、思わされるのが、面白いどちらが正解だったかは回答が出ない。
スマンギのインターチェンジのすぐ脇にあるプラザ、スマンギです。裏のピンク色のアパート(ホテル?)へ行くのにプラザスマンギの駐車場を抜けるのが一番分かりやすくて早い、通り抜け料金は20円です。
還付金 関税 アンダーテーブル(袖の下)
2010年06月12日
(^_-)-☆イジメの項閉じる
斜めからインドネシアを眺めよう 635
小学生のころ、同じクラスの悪ガキ大将がいて、数人の子分を従え、女の子や体の小さい子にちょっかいを出したり、物を取ったり、勉強の邪魔をしたりしていた。陰湿なイジメではなく、はっきりとしたイジメだった。彼らにとって私は目触りで厄介な奴だったと思う。彼らがすることを私は許せなかった。自然に彼らと喧嘩をせざるを得なくなっていた、取っ組み合いの喧嘩もあったし、放課後彼に呼び出され、彼の部下たちと校舎の裏庭で、殴り合いをしたこともあった。私には部下はいないので、一人で戦った。そういうことは、当然、自分が言わなくても、友達から先生に報告が行く、それを彼らはまた、私が告げ口をしたと思い込み、私に突っかかってきた。そんな、子ども時代の時と、今の性格は変わっていない。弱い者いじめは許さない。言い返すことができない立場の人をいじめる者は許せない。
私の存在が邪魔だと思った人間は子どもでも、大人でも、誤った情報でも、それによって、被害妄想が大きくなってしまう。それを、また、私を攻撃する材料にする。それでも逃げ出さないので、私の落ち度をでっち上げてでも追い出そうとする。
私は、66.5歳ですが、今でも、人が真似を出来ない技術と他人に対する優しさを持っていると思っています。経営者時代に多額の税金も払いましたが、私にしてみれば多額の蓄えもしました。国民の義務である納税も嘘偽りなしにしましたし、現在でも、払うべきものはすべて払っています。年金は並みの人より多くを受け取っていると思います。ですから、何も金銭的に困ることはありません。インドネシアで受け取っている報酬は他の日本人に比べれば微々たるものです。生活費とインドネシア人に対する援助金を払うには不足します。他のことは自腹です。蓄えを減らしていっているだけです。
何度も書いていますが、車や運転手費、家賃、海外渡航費、電気代や水道代、一般的には会社が負担するものですが、私は遠慮しています。理由は創業者的考えから、利益が上がっていない会社に負担を掛けることは私の考えに合わないからです。
もっとも、利益が上がっている北川工業や南部化成に下請けとして貢献を続けているし、インドネシアの工場でも利益が上がるよう、技術が向上するよう、お手伝いをする、本当は、これは、私の考えと合わない。しかし、インドネシアの若者に技術を伝えるという目的を実行する機会を貰っている。
今でも、私を必要としてくれる人や会社は沢山あります。現在はPT.NANBUのお手伝いをしていますが、ナンブ以外の何社からも声がかかっていました。声を掛けられているのはインドネシアだけではありません。また、もし、自分で会社を興そうと思えば日本でも、インドネシアでも簡単に興すことが出来ます。選択肢は沢山あります。その中に隠居と言う選択肢もありますが、これは、本当に動けなくなってからのことです。
私をいじめた人にとっては当てが外れたでしょうが、パニック障害に掛っても、まだ、引きさがりはしないし、まだまだ、マイペースで、あちらこちらで出没します。
強烈なイジメを私にしかけた人たちは、その時の地位や立場から降りた時、人から、求められるのでしょうか、あるいは、自立するための技術や資金があるのでしょうか。無いと思います。逆にそういう人種だから私のような人間を邪魔に思うのです。そしてイジメるのです。気の毒ですが、そういうものです。私をやっつけようとした会社内の勢いはどうなっちゃったの?という感じになります。
北川工業の方々は特に読んでいただきたいと思います。ゴムタイヤの空気入れを内側にして、浮輪にして、海水浴場で売りあるいた北川ゴム工業の創業者から息子さんにバトンタッチされた会社は、生きる時代背景が全く異なります。社風も大いに変化するでしょう、風通しを良くするために、あちこちが開かれた会社になるでしょう。また、その中から、時代にマッチした新商品の開発や発見をしていかなければなりません。大変な時代ですが、創業者を手伝った生き残りの一人として、遠い南の国から、応援をしたいと思います。私が、教えたこと、示したことは、少ないですが何人かの人に染み込んでいるでしょう。即効性は無いでしょうが、今気付かないでしょうが、なるほどと思う時期が必ずあると思います。
創業者の健康をお祈りします。いつか、また、お会いできればいいと思っています。
今朝のMM2100の入口の様子、07:15頃ゲート前に並ぶ車、ジャカルタ方面からは橋の上のずっと手前、本線上まで並ぶことがありますが、私の方からは本戦まで並ぶことは全くないし、ジャカルタ方面から来る車と合流場所まで、止まることはありません。
風通し 白を黒 聞かない
2010年04月25日
喧嘩しない方針
斜めからインドネシアを眺めよう 587
最終組み立て会社(大企業)一次下請け(最終会社のグループが多い)二次下請け、三次下請け、という具合の構造になっている。一次下請けまでは日系企業が大部分である。二次下請けは日系企業とばかりとは限らない、というより、ローカル企業が製造可能なものはローカル企業から調達する量の方がはるかに多いが、ローカル企業からだけということはなく、日系企業からも一部調達する。ローカル企業の品質と価格次第で、その比率は変わる。三次下請けは、殆ど100%ローカル企業である。
原材料の調達は、ローカル企業のほぼ100%がローカル企業から、一次二次の日系企業はローカルから全て調達したいが、指定材料の関係で、その比率は示さないで、出来るだけ多くローカルから調達している。
どの会社も、価格が安い方から購入したいので、ローカル企業の品質を高めることに力を注いでいるし、ローカル企業は日系企業に売りたいので、それなりの努力はする。一次的には日本人に手伝ってもらい、製造や品質管理や営業の能力を高めることもする。
年を追うごとに、日系の二次三次下請けは、ローカル企業と価格競争を強いられ、負けることになる、その分生産量が増えて行けば比率は減っても受注量は横ばいになる。増えた分はローカル企業に注文が行くというシステムになっている。
私の処は、其のローカルが、出来ない仕事を引き受けるのが原則ですが、そうばかり言っていられない部分がある。10年前にローカル企業でできなかった押出製品が今ではできるようになっていて、やはり、増えた分だけローカル企業に注文が流れているが、そのお客さんは、それを公表しないで、日系企業からしか調達していないと言っている。というケースもある。
客先から頼まれない限り、ローカル企業が作れるものに手を出さない。例えば、軟質PVCについてはこちらから仕事を欲しいということはない。
ローカルと争うということではなく、客先へのサービスとして、原料安価調達以外の方法で、ローカル企業に負けないような安価で高品質の製品を作ることができるようにあらゆる点で、節約しなければならないと思っている。
もう一つは、二年間、温めていたオリジナル商品の開発である。したうけばかりでは日系企業への手伝いだけでなく、インドネシアでなら売れるという押出製品を自社ブランドで売り出したいと思っている。これなら、無理な安値競争に参加する必要はないし、びくびくする必要はないし、産地偽装も、原料偽装もない、指定があるわけではないから、自分が使いたい原材料を使えば良い。まもなく、その開発が始まる。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
イスラムのお祈り風景、モスジットに入れない人は、道を封鎖して、お祈りをする。道のわきにどこでも見られるイスラムの人たちのお墓、焼かないで、そのまま掘って寝かせて埋める、一人一お墓なので、日本よりはるかに面積が人様になる。タイル製の長四角い囲いが載せてある。教会やお寺といった施設が仕切っているのではないようで、自分の家の前や横に埋葬している家も多い。
非競争 開発 営業力
2010年02月23日
斜めからインドネシアを眺めよう 526(考え違いの困った人)
客先指定のスペック原料をある原料メーカーから購入して製品をつくっている会社がある。その会社の品質管理や納期管理が大いに問題があり、客先からクレームが絶えない。それでも、技術的にも組織的にも人的にも改善しないで、内部には、ISOなど収得する必要はないと豪語している。
多くの客先は、其の会社離れをしたいのは当然である。その会社から買って其の社内やそれを使う上作って納めた製品が心配でならない。不用品を受け入れたら、受け入れ検査の責任になるから、受け入れ検査も慎重に厳重にやらなければならない、不良で返品しても、製造工程の遅れを招くし、製造ラインのストップにもなりかねない、これは,購買の責任になる。仕入先を変えたち。
その旨、仕入先の会社に告げると、其の会社の代表者は、「原料は、内にしか,売らない、どこかが、同じものをやろうとしても、原料メーカーは出荷しないから、他の会社がやるとすれば、原料を指定以外のものを使ってごまかして作るでしょう、それでもいいか」と、言うそうです。私の会社に相談に来たお客さんがそう言っていた。要するに、其の会社は品質や納期管理で勝負するのではなく、他の会社が原料を入手できない状態にすることで勝負したいのです。面白い会社がありますね。
原料メーカーの上層部の日本人にはそういう約束をさせていることはその人たちから聞いていて、買いたいと現金を振り込むと、日本人は見ないふりをして、現地人同士の話で、遅滞なく原料をだすし、安全シートやどんな添加剤が何%ずつ入っているかの明細書も出してくれる。知らぬは、他社に同じ原料を出荷しないと約束を取ったはずのその社長さんだけである。面白いですね。ローカルチューブメーカーは全然困っていない。もう出荷してしまっているのだから、今さら、メーカーも、出荷停止というわけにはいきません。
他社が原料供給を受けられないようにしているはずの会社は、言っていることに意味が無いことを知らない。どんどん、ローカルチューブメーカーに指定の原料が流れていて、品質で勝負出来ない日系の製品メーカーの仕事は次第に減りつつある。インドネシア人が独立開業すれば、価格的にも勝負できない。仕事は減り続くるでしょう。冷蔵庫のガスケットも、同じ運命に流れ出していることを知らない。其の原料メーカーは、他からの評判を聞いて、たまりかねて、品質や納期に関して十分留意するように注文を付けたくらいですが、経営者は、手の打ちようが無いので、相変わらずのNG流出を続けている。従業員も、着いて行けず、他社へ逃げたり、独立開業に走ったりしている。
それ、プラス、ロ−カル企業の原料メーカーも小さいながら、数が増え続けている。日系の軟質塩ビ原料メーカーも、あと、数年後には、かなり、厳しい経営になる可能性が高い。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。詳しい住所と電話番号FAX番号が決まりました、南部化成本社をリンクしました。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%204.html
インドネシアで知っていて、お得な情報です。予期せぬトラブルに巻き込まれないように、こんな知識が必要です。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page123.html/
援助したが閉じる会社。今は解散して実存しないPT.KITAGAWA INDUSTRIES INDONESIA1996年から、今でも、インドネシアで関わっている。
二年以上前から閉じようとして、解散はしたが、まだ、売りに出せる状態になっていない。原因ははっきりしているが、それを解消する能力が無い。
塩化ビニールのベースになる原料や添加物を混ぜて、求める物性の原料を作っている
ロ−カル企業、粉末まみれになって工場内が曇っている。40年ぐらい前の日本の塩ビ工場もこんなだった。インドネシアでは、こういう工場がどんどん増えている。日本で技術を収得した人が、いま、独立起業をし始めているのです。
2010年02月12日
斜めからインドネシアを眺めよう 515(明らかな動揺)
いよいよ、物語はクライマックスに差し掛かってきました。
月曜日に退院し、メディカロカに向かった。彼らは遅い、私が先に着き、菊池先生と相談したが、結局、予以前と同じく、原因はわからず、「帰国を勧めることはできない」、「じゃあ、どうすればいいの?」と聞いたら、先生は、「ほかの検査、(まだの、MRI+MRA)などの検査をできるところで、してもらってください、」だけだった。そんな検査はとっくにやっていて、この医師には結果も伝えてあった。ご本人忘れているのだ。専門が循環器なので、どうしてもそっち方向に行ってしまう。「モルヒネは何の意味がない」とか、「三半器管に障害が在るのではないか」と、見当違いのことしか言わない。何度も言っている、脈拍が飛んでしまうことや息苦しくなることについて何も説明しない。この医者じゃ、どうしようもないと思っていたので、帰国前の単なる確認だった。
下手ノとうどウが遅れてきて、入ってきて、話しを聞き始めた。二人とも、「問題ないです」という言葉を期待しながら、「どうですか、日本へ帰すことができますか?」
菊池医師曰く、「危険です。責任は持てません、シンガポールでも、だめです。チャーター機で行くにしても、医師や看護婦の付き添いが無ければ無理です、帰国を強行し、途中で引き返したり、途中の国に着陸したりすれば、何億円もの損害賠償金が発生する可能性があります。」彼らにとっては予想しなかった、ショックな言葉だった。
下手ノの戸惑いが、顔に現れた。下手ノとうどウの、大落胆したように態度がガラッと変わった。私の体が持つか持たないかより、悲しいかな、その損害賠償金のことが、今度は最重要綱目としてインプットされてしまった様だ。基礎知識や行動手段を何も持たないので、態度が単純に見え見えに現れる。帰国など、とんでもないと、180度考えがひっくり返った。今度は、「K社長が飛行機に乗るなと言っているから、悪いことを言わないから、帰らないで、病院でじっとしていてくれ」。というのです。「悪いことは言わないから帰れ、」といった、根拠を聞きたい。
朝、退院してきたにもかかわらず、また、入院を押し付けられたが、菊池医師も下手ノもうどウもインドネシアの病院事情などなにも知らない。「どこの病院がいい?」私に聞く、MRI+MRA機器病院を選ぶのは私でした。私は、インドネシアから脱出しやすいように、空港に一番近い、国立心臓センター(ハラオアンキタ)に行くことにした。私にとっては、皆さんが側にいることが邪魔なだけ、いれば、分かってもらえるわけが無いのに、説明をしなければならない。
どこの病院へ行くにしても、彼らが一緒ということになれば、時々、気絶しそうになる病人の私が、彼らの世話をしなければならない。私にとっては病気で苦しんでいるうえに、厄介者が付いてきて、彼らに気を使わなければならない。
その日の夕方も、マリアさんに手伝ってもらって、入院手続きをして入院した。その間大男の彼らは何もしないで、見張るように、くっついてきているだけである。私から厄介者と思われている事に気が付かない。
しかし、私の帰国決行の決意は変わっていなかった。インドネシアにいたらどうにもならないことが分かった。決行するしかない。
下手ノとうどウが立ち行かなくして、閉じる方向に向けてしまったPT.KITAGAWAです。
http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0002.html
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http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page222.html
下手ノとうどウが立ち行かなくして、閉じる方向に向けてしまった会社です。
ここから今日に話。K社のEPTE解除の関係書類を担当している女性が私のところへ面接に来た。来月末までの再々延長で勤めているが、仕事はなく、たまに、ベアチュカイ (税務署、税関)からの書類や修正の依頼があったとき、書いて下手ノのサインをもらうだけだという。最初、昨年の10月末までの予定だったが、今は三月末までの契約になっているそうで、それが、過ぎても、また、延長になると思う、と、言っていた。その通りだと思う、今年中にEPTEを切れるかどうかも疑問だと思う。ということで、彼女が、K社を見捨てない限りは、私の所へ来る可能性は少ない。
もう一つ理由がある。例の私を落としいれた通訳が送ってきたのでした。通訳は、私に後ろめたさを感じているのでしょうか、車から降りてこないで、彼女の面接が終わるまで車で待っていて、車から出ることはなく、帰って行った。
当然、自分の手柄を誇示するために、通訳の作り話を下手ノに報告するでしょう、そうすれば、今日面接した彼女は、下手ノから怒られると同時に、次の勤め先は紹介すると、口から出まかせを言われるでしょう。本当は早く下手ノを捨てて私のところへ来れば、楽しく一緒に仕事ができるはずだから、下手ノが彼女の将来のことを考えて、今月末で解雇をしてくれればいいのだが、そんな、器量は全くないでしょう。
もう一人、早く、辞めさせられた女性の方がベアキュカイにコネが効くことを承知している。下手ノはそれを知らないから、若い方の女性を残したのです。もう一人の女性の方を重用していれば、父親がベアチュカイの高いポジションにあるので、EPTEはすでに切れていたことでしょう。
KPK議長だったアンタサリさん、殺人教唆の罪で、一審判決禁固18年を言い渡された。直ちに上告したが、この判決に対する世論の動向が注目されます。相当な、騒ぎが予想されます。一般市民はアンタサリの無罪は、はめられたと、思っている人が多い。
2010年02月11日
斜めからインドネシアを眺めよう 514(手柄アピール)
それから、また、ほぼ、一週間後の日曜日、呼吸困難で緊急入院していた家の近くのアニッサ病院に現れた。今度は同社の日本人の下手ノ、うどウ、大津さん、三人そろってやってきた。というのは、土曜日に私のパニック状態(過呼吸)を見て、マリアさんが、危機を感じ、私の携帯電話に登録されている人たちで会社関係と思われる人全員に電話を掛けてしまったのでした。インドネシア人スタッフも10人ほど来た。
うどウ、曰く、「メディカロカ(ジャカルタ)の日本人医師、菊池さんに相談して、OKが出たら、日本へ出発する段取りをとるから、明日、ここを出て、メディカロカへ行ってください」と、のたまった。
この時、私の決意は、明日朝早くここを出て、メディカロカへいって、改めて、菊池医師の意見を聞くつもりでいた。医師に何を言われても、その夜、日本へ帰るつもりだった。前日土曜日に、メディカロカは休みだったが、竹の子に電話で、メディカロカの予約をお願いした。アシスタントを通して、月曜日9時に予約をしてもらった。竹の子の医師が「何か事故があったら大変なので、同じ会社の日本人をどうしても紹介してください」というので、うどウを紹介しておいた。だから、竹の子の医師からうどウに電話し、月曜日の段取りを話したのだった。それを、うどウが、あたかも自分が全て、手配したような口のきき方で、のたまったのだった。あほかこいつ、こんなところで自分の手柄話を社長に向けにしようとしている。2人とも、厄介払いが、自分の手柄になると思っている。事実、日本の上司は、元O常務のように、こういうことを評価する人たちなのです。
それを受けて、下手ノ してやったりと、曰く「医者が帰っていいと言ったら直ぐ帰ってください」「K社長も日本へ早く帰るように言っているから、帰った方がいい」とまだ言っていた。「飛行機に乗っていい」というに決まっていると思いこんでいる。K社長が何故そう言えるのでしょうか、私から何も報告していないK社長が「早く帰国せよ」というのは、まったく、見当はずれである。K社長が言っているといえば効き目があると思った下手ノの口から出まかせとしか思えない。愚かな人だ。
帰国し、挨拶にいた時、K社長に確認したが、「私はなにも状況が分からないから、帰れとも帰るなとも、何も指示していない」と言っていた。当り前の話である。
私は、アニッサ病院でモルヒネや精神安定剤を投与され、かなり、不安がなくなっていたので、どんなことを言われても、明日の夜中にインドネシアを脱出するつもりでいた。チケットも既にマリアさんに頼んで、手に入れてあった。
ここからは、今日に話です。タンゲランの硬質PVCのパイプメーカーから技術アドバイスを依頼され,いってきた。ポリマー粉末から、グレーのどこでも見ることができるパイプを作っていた。ラインでサイズなどの印刷も同時にしていた。インドネシアでは最先端の技術である。しかし、製品の外観や楕円など、日本なら商品にならない程度のものが多かった。その点について、改善点を指摘して上げた。添加剤の知識は私以上で、学ばせていただくことも多かった。
また、ローカル会社の価格の安さが分かった。彼らは、彼らなりの原料入手手段を持っているのです。まともな価格の半値以下で入手できるので、私たちが原料を入手できる価格で製品を売ることができるのです。こういう、集団(一種のマフィア)の中に私が入ることはできない。
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インドネシアのジャカルタにしかないバジャイ(三輪タクシー)とインドネシアの至る所にあるカキリマ(手押し屋台)のミーアヤム(鶏肉ラーメン)
2010年01月26日
斜めからインドネシアを眺めよう 498(EPTE熟知)
EPTE(外国企業扱いの権利、輸出入関税が基本的になしです。10%の消費税も関係がなくなる。EPTE同士の取引は外国同士の取引となるので、厄介な支払いはない。税関へ売買の報告をするだけである。外国企業が進出しやすいようにする優遇制度です。)
逆に解消するときは身ぐるみ全部インドネシアへ置いて帰れという覚悟が必要です。ですから、一番賢い方法は、余り利益を出さないこと、利益を残さないこと、生産設備など固定資産を増やすことや、従業員への福祉や給料を充実させたり、配当をしっかりやったりして、利益の蓄積をしないことです。ただし、固定資産を、撤退するときに売る場合は、収得した時の価格にかかる関税を払わなければなりません。償却した残額で税金を納めるのではありません。
一番、考えていない会社は、早く銀行からの借金を返して無借金企業にしようとして、日本本社が気を利かせて、買い上げ価格を高めに設定してしまうことです。借金が無くなって、購入価格を下げようとして下げることはできません。利益調整とみなされて、ペナルティを上乗せされて課税されてしまいます。その仕事を減らすことはできますが、製品の調達を他からにしなければなりません。そうすれば、自立が必要になります。しかし、本社からの仕事をしていれば他の仕事はやる必要が無かった体質はすぐに変換できないのが普通です。そこで、本社は放り出してしまいたいと思うのは自然の成り行きです。そう考えたら,ちょっとでもお金を残そうと考えずに、さっさと、出てしまうことです。粘っても、何のメリットもありません。
減らすなら、長期で少しずつ減らすしかありません。配当を急に増やすこともペナリティを取られます。
それを知らないで、また知って、これは、閉じてしまおうとして、解散しても、利益を本社や関係会社に送金してしまうことはできません。前に書いたように蓄積した利益を全部インドネシアへ置いて帰らなければなりません。
一番上手な方法は、利益の蓄積をそのままにしてそれを込みで、株を高値で売って、譲渡してしまうことです。少しでも、日本へ持って帰ることができると思って、解散してしまうことは、結局、何も残りません。
EPTEについての知識は代々の代表者に引き継がなければなりません。代々何も知らないでは、話になりません。
Q社から、口頭で、新製品生産準備を依頼された。この仕事は引っ越す先の工場で試作を行う、それまでに、金型をできるだけそろえようと思う。二色成形や窓が沢山あるので、インドネシア人従業員にとっては始めての技術になる。能力を向上させるチャンスでもある。
今まであった設備を全部解体してなにもない工場になった、今日から、溝掘りが始まった。
こういう状況が各工業団地に何社かある。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
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今日から写真を付けることにした。
2010年01月11日
斜めからインドネシアを眺めよう 483(つぶやき)
ドイツから日本へのお客さんはドイツへ戻った。いつまたみんながどこで、集合できるのでしょうか、今は、予定はないが,こんどは私と妻がドイツへ行く番である。
独り言をある方に送った。十年以上に渡って、お世話になってきた方です。その間も、現在も私は決定や交渉権限をまたない場にいますが、絶大の信頼を置いている方です。今までも、いろいろ、お願をしました。その都度、それらのことに、前向きに対応していただき、是々非々で応えていただきました。かなりの逆風のなか、一筋の追い風を感じていただいた方です。
今回は、提案でも、お願いでも、アドバイスでも有りません。単なる一方的な呟き言です。返事をお願いするものでも有りません。
これも、一年後くらいに公表します。
私が呟きや愚痴を言うことは殆どないし、独り言を聞いてもらう人もほとんどいません。必要としたこともありません。そして、弱音を吐くことは、全くありません。他人に手助けをお願いするときは、ギブアンドゥテイクのギブが多い状態で、手伝ってもらいます。従業員や客先がその典型です。私が、誰かから、ギブアンドゥテイクでテイクがちょっと多いかなと思うことはありません。妻からだけが例外です。
押出エリアの工事のゴーが出た。明日から、工事が始まる。やっと、スケジュールができるようになった。安堵。ホッ。
どこかで、既に書きましたが、メガネを外した私です。左目の脇に切り傷がはっきり見えます。ちょっと外れれば丹下左善(知らない人の方が多いと思う)なってしまうところでした。
この写真を撮った孫(下の子)の年と同じ三歳のとき、63年前の傷です。父が私をおぶって、富士川の土手を走って病院へ向かったことを、鮮明に覚えている。
2009年12月05日
斜めからインドネシアを眺めよう 446
http://www.ab.auone-net.jp/~bekasi/newpage011.html
私が手伝った二つの会社の見積もりの計算の仕方に共通点があった。どちらも、原料価格に固定費や運賃包装費など比例費を乗せ、歩留まりで割って工場価格を出す。検査費や事務費を1.5倍くらいにし、社内価格が決まる。それを、二倍して、客先への見積もり価格とする。売上の50%が利益です。そのうえ、装置の償却は終わっているので、固定費の設定も高くしてある。
ですから、現実離れをした金額になってしまう、当然、客先は高いと判断するので、実際には利益率を下げて出し直すことになる。そして、担当者同士の話で、利益は10%以下になってしまう。最初の計算は何のためだったのでしょうか、という、ことになるが、経営者はそのフォームを変えようとしない。そのうえ、最終的に決まった値段と、最初の計算通りの見積との差を確認していない。
そこで、両者の共通した失敗がある。それは、見積書を書いた担当者の間違いに気が付かず、サインしてしまい、客先に出し、客先は安さにびっくりだが、黙って、注文をしている。両社の代表者は、利益率が高い仕事を獲得したとして、大満足である。間違いの内容は、小数点を一桁間違えて、10で見積もりをする所を1で出してしまっていた。もうひとつは、例えば0.25で出すところを0.05で出してしまっているなどです。私が、客先から、指値を出されて、分かったことです。なぜ、指値をもらったかというと、K社がその仕事から撤退することを通告された会社から、私にその仕事の依頼があったからです。私がいなくなってからK社が引き受けた仕事でした。
しかし、K社はA社に仕事も装置も引き渡してしまって、もう、その損失からは解放させている。A社は、今度は引き継いだお客さんについては価格を見直して、引き受けたが、独自で獲得した仕事のいくつかが明らかにKg当たりの原料価格とKg当たりの製品価格が同じというのがある。これらは、代表者が気付いていない。売り値の半分は利益と思っているのです。納入先から原料を購入して、それの95%程の重量を製品にして戻しているのです。原料を100で買って製品に加工してロスが5ですから95で売っているのです。オマケですが、その客先は原料メーカーから80で買っているのです。
これは、何故分かったかというと、内のスタッフが原料支給見積もりと製品の指値を示されたのです。
こういう会社や経営者は他にも沢山あると思います。ぜひ、一度見直してみたらいかがでしょうか。
私が手伝った二つの会社の見積もりの計算の仕方に共通点があった。どちらも、原料価格に固定費や運賃包装費など比例費を乗せ、歩留まりで割って工場価格を出す。検査費や事務費を1.5倍くらいにし、社内価格が決まる。それを、二倍して、客先への見積もり価格とする。売上の50%が利益です。そのうえ、装置の償却は終わっているので、固定費の設定も高くしてある。
ですから、現実離れをした金額になってしまう、当然、客先は高いと判断するので、実際には利益率を下げて出し直すことになる。そして、担当者同士の話で、利益は10%以下になってしまう。最初の計算は何のためだったのでしょうか、という、ことになるが、経営者はそのフォームを変えようとしない。そのうえ、最終的に決まった値段と、最初の計算通りの見積との差を確認していない。
そこで、両者の共通した失敗がある。それは、見積書を書いた担当者の間違いに気が付かず、サインしてしまい、客先に出し、客先は安さにびっくりだが、黙って、注文をしている。両社の代表者は、利益率が高い仕事を獲得したとして、大満足である。間違いの内容は、小数点を一桁間違えて、10で見積もりをする所を1で出してしまっていた。もうひとつは、例えば0.25で出すところを0.05で出してしまっているなどです。私が、客先から、指値を出されて、分かったことです。なぜ、指値をもらったかというと、K社がその仕事から撤退することを通告された会社から、私にその仕事の依頼があったからです。私がいなくなってからK社が引き受けた仕事でした。
しかし、K社はA社に仕事も装置も引き渡してしまって、もう、その損失からは解放させている。A社は、今度は引き継いだお客さんについては価格を見直して、引き受けたが、独自で獲得した仕事のいくつかが明らかにKg当たりの原料価格とKg当たりの製品価格が同じというのがある。これらは、代表者が気付いていない。売り値の半分は利益と思っているのです。納入先から原料を購入して、それの95%程の重量を製品にして戻しているのです。原料を100で買って製品に加工してロスが5ですから95で売っているのです。オマケですが、その客先は原料メーカーから80で買っているのです。
これは、何故分かったかというと、内のスタッフが原料支給見積もりと製品の指値を示されたのです。
こういう会社や経営者は他にも沢山あると思います。ぜひ、一度見直してみたらいかがでしょうか。
2009年12月03日
斜めからインドネシアを眺めよう 444
インドネシア人に不思議があるが、日本人にも不思議がある。其の会社のために、私がすべて装置を整えて、押出成形の仕事を始めた。日本から、ロクな人間が送られてこなかった上に、押出しについて全く素人の自称射出と営業の専門家(私はそれも素人に近いと思っていた)が会社を牛耳っていたので、私と押出し部門の従業員は散々な差別をされた。
まだ完全には済んでいないし、いつになるか分からないが、この会社の撤退は報道されている。
私が全て準備しインドネシア人や日本から来た若者に教えようとした装置が8ラインほどあって、私が,居たたまれなくなって、出てしまった後、素人の代表者たちが、その装置を使って作る製品の受注をしたが、受注が増えれば増えるほど、大損をする価格を提示していて、それも、何種類か受注した。また、大手の客先に社内で扱っていないと書類を出してあった塩ビの製品の生産も始めてしまった。当時の本社海外担当取締役はすでに解任されている。
それらが、本社が知るようになり、押出し部門を整理せざるを得なくなった。他社に売ることにした。その時に、素人さんの日本人が売り先に言ったことは、「本当は売りたくないが、本社の意向なので仕方がない」だった。
そして、本社の意向で、一ラインだけ残した。
自称射出と営業の専門家の二人を派遣したにもかかわらず、一向にインドネシア国内売りが増えない、挨拶回りなどの行動もない、本社は匙をなげて、私に売り先の紹介を頼んできた。全面的に撤退することになり、二年ほど経過しているが、まだ、完全撤退まで行っていないし、これから、どれくらいかかるか分からないので、私が紹介した会社は買う意欲はあるが、こりゃ、どうしようもない人たちだと呆れている。我慢強く待つしかない。
大がま岩 全長10m以上ある。
2009年10月27日
斜めからインドネシアを眺めよう 407
Miyabi Ozawaのことは、話題になっていると書きましたが、インドネシアでは、ポルノグラフィーを見ることは、誰でも、できるようになっているし、無修正のDVDのコピーが百円で売っている。携帯から、ポルノサイトにアクセスも簡単。子供たちも、面白がって見ている。既に、見たことがない小学生はジャカルタ界隈にはいないのではないかと思うほど、この話題についても、彼らはあけっぴろげに、見たといっているし、テレビインタビューでも、すぐ、アクセスしてみせる。
勿論、親は、気にしているが、それを、止めさせる手段はない。親たちは、アクセスの仕方を知らないのです。宗教指導者も、アクセスの仕方を知らない。司法も行政も、いま、どういう状況になっているかを掴んでいない。それらを、自分達がチェックできないからです。アダルトサイトをブロックするシステムを持ったHPもない。その要求もない。
マユミ ミヤビ オザワのDVDも堂々とジャカルタの中心地(ブロックMやグロドックは有名)で売られている。勿論その他の日本人女性のアダルトビデオが無修正で売られている。警察は見てみない振りをしている。どうせ、取り締まっても、イタチごっこになることは分かっているからで、徹底的に根絶しようという政府や宗教関係者はいない。
イスラム原理主義の方々も、どうも、見ないふりをしているようです。唯一、イスラム系大学の学生が騒いでいるだけである。
しかし、出張者や観光の方たちは、記念に、お土産にと、それらのDVDディスクのままの持ち出ししない方がいい。空港のX線でチェックされ、罰金を払わされ、没収されることになる可能性が高い。リムーバブルディスク、メモリースティックやSBカードなどDVDディスク以外ならチェックされないことを付け加える。
2009年10月20日
斜めからインドネシアを眺めよう 400(海外駐在)
外交官の何たら手当を含めて、優遇措置が沢山あり、其のうえ、公費と称して、私的費用に使ってしまうチャンスが多い。要するに、自分や自分の贔屓の人たちに使っても、公費に使ったと言い訳をしやすい状況にある。いちいち、指摘できない、曖昧な部分がある、そしてそれは、ほとんど、公共の為でなく、私的に使われていう。
タイミングよく、外交官の諸手当を見直すという話が、ニュースで、知らされた。当然である。外交官に限らず、開発途上国援助などの、いかにも、ボランティアをしているかのような政府機関、(こういう機関は天下りの受け入れ期間と一致している)海外事務所の人たちの、生活ぶりも、外交官に負けないほどの、豪華な生活をしている。どうみても、その国の人のために、尽くしていて、自分の生活は人並みで良い、という、感じは毛の先ほども感じない。飲食いや住まいに庶民としては考えられないほど、豪華な生活をしている。自分が一月に100万円も使っていて、現地の子供たちへの援助が、一年間100人に1000円位で、合計10万円ということでは、どう評価しても、私は、最低人間の存在としか見ない。良心が咎めないのでしょうか。
外交官や海外援助機関使っている予算を人数はそのままにし、半分にすればいい。そして、浮いたお金を民間の海外援助NPOに託したら良い。
海外には、少ない手当で、また、自費を投じて、現地の人のために働いている日本人は多い。こういう人は、元、公務員という人はほとんどいない。皆さん、元も今も民間人です。こういう人を探し出して、もっと効率あげてもらうために横から金銭的に手伝うといった、地道な活動を公務員はしなければならない。それも、今の収入の半分で、性格程度も半分で。とにもかくにも、外交官の生活は豪華過ぎる。人間を贅沢にしてしまう。これは行政の責任である。
この際だから、書きくわえるが、JODCの一人当たりの支給金額はびっくりするほど高額である。半分で十分、そうすれば、二倍の人数を送ることができるし、高齢早期退職者の海外勤務機会を増やせる。指導を受ける海外の人達も増やすことができる。良いことだらけだが、そうしないのは、JODC職員の給料が高いからです。自分達の方が多い、というのは、いかにもまずいからです。当然のことながら、職員、海外駐在員の給料も半分にすればいいのです。そうすれば、もっと、派遣指導者を増やすことができる。こんな、簡単で、当たり前なことを、どうして、やらないのでしょうか。
やはり、公務員はエゴ集団だからというしかない。
2009年10月14日
斜めからインドネシアを眺めよう 394
土日に痛めた個所は、もう回復し、痛みは無くなった。仕事の方はインドネシア人スタッフで、こなしているので、私がやることが無くなってきている。設備は着々と購入し、自社製品開発用の金型も揃いつつある。今月中には二種類5アイテムの開発品準備が終わる。しかし、問題は、その試作ができない。いつになったら出来るかもはっきりしない。
次第にむずむずが増し、我慢ができなくなってしまう日が近づいていることを感じる。やってしまえば、今の阿吽の約束を破ることになってしまう。期限を切って、会社を移せなければ、自分のやりたいようにやると、云ってしまうこともできない。
Miyabi Maria Ozawa ミヤビ マリア オザワ、という女性をご存知ですか。パダンの地震の後の情報に混じって、二週間ほど前から,インドネシアのマスコミで盛んに取り上げている話題があります。日本人ですが、フランスとカナダの血が混じっている、チャンティックです。映画の撮影のために14日にインドネシアに来る予定なっている。なぜか、イスラム過激派(MUI)大学生の連中が、彼女の写真を燃やして、インドネシアへ来ることを反対している。どうも、ポルノ女優”bintang porno”という評価をしているようです。
彼女のプロファイルはインターネットで紹介されているが、私が見る限りでは普通の女優のようだが、彼らは何か他の情報を持っているのでしょうか。
マスコミでも、彼女を悪く紹介はしていない、デモの事実だけを紹介し、映画の撮影には、結果を楽しみにしているという解説が多い。政府の芸術文化省も既に撮影の許可を出している。
ただし、ミヤビ本人が、この情報を知って、多くのインドネシア人は彼女の来イを楽しみにしていたのに、インドネシアへ来ることの延期を決めたようで、いつ来るか未定になったらしい。日本で撮影することになるかもしれないらしい。
作品のタイトルは“Mengcuri Miyabi”(ミヤビを盗む)で、小説の作者はインドネシア人。内容は知らない。作者はコメディと説明している。
「イスラム過激派の若者は、女の魅力にインドネシア人の若者の多くが骨抜きにされてしまうことを恐れて、反対をしている、」と一般のインドネシア人は面白いがって云っている。
こんなことで、盛り上がるなよと思うくらい、インドネシア中が熱くなっている。Miyabi panas現象です。インドネシアならではの話題である。
2009年08月05日
斜めからインドネシアを眺めよう 325
広島原爆投下の日、
B社のインドネシア人トップの工場長的な人物が、広い自宅の敷地内に工場を作って、PVCの押出成形ラインを一ライン設置した。本人からの情報です。今の工場に勤めながら、B社を止めた人にやらせるそうです。半年前にやはりB社を止めた人たち数人がブカシチムールに工場を作り、すでに、PT社の仕事を受けてやっているという話は書いた。
それぞれが十数年間其の会社のやり方に耐えながら、我慢しながら、勤めてきたが、もうそろそろ、自分達で独立してやってみようという思いが膨らんできて実行出来る人も出てくるのは当然の成り行きです。
それらの経営者は、憶測で、私がけしかけたとか、手伝いをしたとか、勘ぐるでしょうが、間違いです。“もう、こんな会社やっていられないよ“という意識の積み重ねと、それぞれが実力を付けているのです。インドネシア人を見くびってはいけません。インドネシア人のスポンサーは、彼らの周囲にもいるのです。多くの会社の経営者は、従業員の行動を止める資格はないし、怒ったり、責めたりする資格はない。私なら、面倒を見てやって独立させます。当然第二第三の人物が後を引き受けることができるはずです。それが、無いなら、会社として組織や教育が欠陥だらけということになります。
現在、私が面倒を見ている会社もJ社で、私が指導し、培った技術と知識を裏付けにして、多くの事を自立してやっています。B社からも、自立心のある社員は独立したいと考えても不自然ではありません。それが、進歩というものです。時間の経過というものです。また、成功するかしないかは別にして、インドネシア人の自立にとってもそれでなければいけません。
軟質のPVCの押出成形は射出と同じように数年経験すればだれでもできるし、中古の装置の出物が日常的にあるのです。
日本からのお客さんを再び迎えて、今までの行動は白紙に戻し、新たな方法を確実にするために、工業団地などを案内し、打ち合わせの機会も作りました。ターゲットがはっきりしました。私の行動次第になるからです。