2011年01月31日

(^_-)-☆お手盛りを振り出しに


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   斜めからインドネシアを眺める 825
 事業仕分けは、不必要な事業や省庁で重なっている事業を廃止するか統合するなどして無駄を省くことらしいが、そんなことは当り前。それぞれの人件費を一般の会社並みに厳しく査定し、契約公務員を採用し、人件費を徹底的に少なくする。民間がやっていることとい同じ努力をするべきです。とにかく、公務員は甘やかされ過ぎている。国民が公務員にはなりたくないと思わされるほど、厳しい雇用条件にしてみたらどうでしょうか。そのくらいのことで公務員の仕事の質は、逆に今より高くなること請け合いです。民間を規制したり、邪魔をしたりする仕事を高級取りが威張ってやっていては、日本の再維新にはならない。
 公務員に関しは退職金や年金についても、抜本的に今の制度と金額を御破算にしてから、ゼロスタートでやりなおしたらいい。国民誰もが反対しない。公務員がストライキをするなら、させておけばいい。いくらでも変わりに仕事をする契約社員を雇うことが出来る。そして、彼らでなくても、彼らがしている仕事は出来るということを証明したらいいのです。

 外国で、ボランティア的仕事をしているので、報酬は無いに等しい、それでも、やりがいや、充実感は十分ある。ですから、前にも書いているが、国とか地方とかの行政に頼ることは無い。ずっと、頼ったことは無い。逆に、税金を払うことや各種許可をとるとか望まない義務を押しつけられて、私がすることに対し、足を引っ張られたことが多かった。それが無ければ、もっと自由に、私が望むことを出来たと思うし、今よりもっと多くの他の人たちに手助けができたはずである。

 日本には制度としてまだ充実していないが、寄付制度を免税という方法で充実すべきだと思う。タイガーマスク現象は良い例だと思う。日本も捨てたものではないと思う。こういう気持ちを、政治家や行政は自分たちが予算の配分の権利を握る範囲を小さくしてでも、育てるという、気持ちの余裕が欲しい。
 
諫早の水門干拓事業などは、最初からなにもすべきで無かった。そこの、様々な欲がからんで、予算の分捕りと配分で人間を狂わせてしまった。同じようが現象があちこちにある。全て、無かった時に戻せばいい、出来ないところは出来るだけでいい。どうしようもないところはそこで止めればいい。反対と賛成が争うに決まっている。争いが決着するまで、行政は黙って見ていればいい。仕事は少なくなるし、行政の担当者もいらなくなり、減らせるし、契約や派遣で済ませる。良いことずくめである。予算を与える必要は全くない。文句をいうのは、お金の配分を欲しかった人だけである。そういう人は、前にも書いたが、税金を払っていない。

 今日の風景 寄付 意思 欲張り

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2011年01月30日

(^_-)-☆世間知らず非常識


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   斜めからインドネシアを眺める 824
 海外技術援助のための人材派遣機構がある。その機構を通じて派遣される人の給料は一年1千5百万円ほどです。今もその機構は存在しているが、1年に何人派遣しているのでしょうか。いつ申請があっていつ申し込みがあって、いつどんな人がどんな技術者がどこへ派遣されているのでしょか。一般の人は全く知りません。そういう機構があることすら知りません。今、東南アジアなど、新興国と言われていた国々に日本の企業がこぞって進出していて、優秀な技術を持った人が何万人と出かけて行って、指導をしています。そして、会社から派遣されている人たちでも、1千万円が最高で、自分の主義主張でボランチャ的に現地採用で指導している人は5百万円以下で仕事をしています。どうでしょうか、この実態と、国の派遣企業との落差は。仕分けとか何とか言っているが、こういうことは多いと思う。なぜ、派遣給料が高級すぎるのか?それは、その派遣機構の事務局や審査をする人々の給料が高いからです。一般の会社のサラリーマンの給料体系とは違う、高給の体系になっているのです。ですから、派遣する人の給料もそれに合わせているだけです。まさか、外国へ送るその道のベテラン技術者を自分たちの給料の半分というわけにいかないからです。
 そして、この世の中、その機構への予算が削られれば、事務や審査員を減らしたり減給したりしないで、派遣の人数を減らすのです。職員の人数はそのままで、調査とか何とかで、外国へ彼らを派遣したり駐在人を置いたりする人数も減らさない。手当も、お手盛りで非常識的に多額である。聞いてびっくりする。

 そして、彼らは、貰い過ぎとは思わないで、まだ少ないと思っている。というのは、外交官やその他の国家公務員の給料や外国での手当てや生活環境を知っているからです。高級も高級、各種手当、家族に対する手厚い保証、車、住宅、通信費、交際費、調度品費、などなど、一般市民がひっくり返ってしまうほど贅沢な暮しを保証されているのです。

 ここで、提案です。外国関連費用を今の半額にしたらどうでしょうか。人件費や数々の手当から始めましょう。やればできます。民主党は直ぐそうしてください。それを手本にすればその他のことも、節約しようということになります。
 
 ちなみに海外派遣機構の年間報酬と職員の報酬を三分の一にしても、仕事をしたいという人はいくらでもいます。今の5倍の人数を派遣することが出来るでしょう。

 これは、ほんの一例にすぎません。公共も一般も、無駄が多いし、偏りが多い。インドネシアの汚職は笑っちゃうほどひどいものですが、日本も日本人も、その点で相当な悪がいることは確かです。
 
スマトラ島最北部のアチェ州、この最北端がバンダアチェ(津波で壊滅した地域です)
その北の海に浮かぶウェー島そのサバンという町辺りに宿泊し、一番北の端まで行ってきました。
 お手盛り 知らない振り 無責任

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2011年01月29日

(^_-)-☆本能と抑止と環境


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   斜めからインドネシアを眺める 823
 国でも、地方でも、会社でも、学校でも、金銭的不正は付き物で、人類というものは、欲の塊とごまかしは一体で付き物である。
 私が、先ず、金銭的不正の手法を教えられたのが、高校時代でした。静岡県トップの進学校で、国や県や市の主要ポストに多くの人たちが付くことになる学校です。事実、それを私に教えてくれた先輩も権の中小企業商工会の事務局長を長年務めることになるし、一緒に教えてもらった同級生は県の税務署でトップに近い地位までいた人でした。 
 運動クラブに与えられた予算の使い方です。それが静岡市のスポーツ用品屋ではなく、わざわざ、藤枝駅前のスポーツ用具屋へ連れていかれた。ボールを何ダースか纏め買いをして値引きしてもらい、領収書は正規の価格で書いてもらいます。高校の部活の配分は配分委員というのが、どうして選ばれているのか知らないが、生徒会の役員が主体になって、後援会や父兄会からの寄付金を各部の活動データ実績を見て査定するのです。その時の資料の一つに領収書が必要になる。そのための、領収書をごまかすのです。

 どこの会社の購買担当や社長にはそういううまみがあり、誰かに早く変わってほしいとは思わなくなります。10年も同じ部署で任されている人は、もはや、交代すると、後継者が真面目な人なら、とんでもないことをしていたと指摘されることになる恐怖が膨らんでくるから、交代を拒否するようになります。もし交代されるということになれば、自分の方から、止めてしまう、という人もいます。その会社に残って他の場所で働くことが出来ない状態になることが本人、一番、分かっているからです。

 どうですかあなたは、どうですかあなたの会社は。
現地人の購買担当は、3年以内で、担当を交代させるのが常識です。そうでないと、癒着が自然に生まれてしまいます。これは多くの日本人が分かっていることです。日本人も同じことなのに、長年交代させないのは、会社自体の怠慢だし、欠陥会社です。

 食事、アルコール、カラオケ、車、家の調度品、ゴルフ、旅行などなど、購入先が接待費や交際費として落とすことがらで、アンダーテーブルが動いているのです。
そんなことは分かっているよ、誰でもやっているよ、いちいち、そんなことというのが、社会的常識かもしれないが、どうでしょうか。

 アチェの津波で内陸の残された船は今や観光スポットとし、整備されつつある。ナンカの木と実。
接待 交際 甘い汁

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2011年01月28日

(^_-)-☆うまみを享受


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IMG_7720.JPG   斜めからインドネシアを眺める 822
 かと思うと、こちらの中小規模の会社社長さんを一人で長年続けている人は大変満足している人が多い。10年以上も同じ社長がやっている会社は、必ず、叩けば埃が出ます。 そういう、現地社長は、本社から、新しい人を送り込むと、出来るだけ早い内に排除しようとする。やることをやったら、さっさと帰れというのです。自分はいい加減で交代したいとか、帰りたいとかは思わないし、言わない。一人ならぼろが出ないで、快適に暮らせるのです。会社は、赤字ぎりぎりでいいのです。そういう人は、交代させられると、本人にとって死活問題に発展してしまう可能性が心配だからです。うまみを全て明らかにされる可能性がるからです。
 製造工場なら、原料や資材関係の値下げ交渉をしません。製品の値上げ交渉もしません。本社から催促があっても、難しいと返事をします。原料も資材も他から安い物を購入することが出来るが、切る変えるぞ、と脅かして、値下げをさせるということはしません。そこに、個人的なうまみがあるのです。こういう癒着がどんどん、増えていって、少なくなる事はありません。監査も手出しをしようがありません。
 本当は、予告なしに、出来るだけ一瞬の間に、さっと、交代させなければなりません。隠す余裕を与えないように、二週間以内くらいに交代しなければなりません。そういう会社は、時に引き継ぎは必要無いのです。一人の人が全てを仕切っている会社は、それほど、難しいことは無いのです。単純に、原料を決まったところから仕入れて、決まった仕事を長年やっているだけです。技術的に難しいことは何もしていません。
 
 本社は、交代させれば、直ちに利益の配分を享受できるのに、日本の経営者は、そこに気が付かないし、決断が出来なくて、ずるずると、現地の一人社長の懐を肥やさせているだけなのです。こういう会社が大変多い、中小企業の子会社ですから、規模的に日本人は一人です。ですから、普通に仕事が流れているなら、本当は相当な利益が上がるはずなのです。利益が、あがっていないということは、どこかに不自然な動きがあるのです。

 苦しい会社なら、とにかく、短時間で交代させる勇気と決断が、中小企業の窮地を救いますし、余裕でやっている会社なら、なおのこと、後継者を育てるべきで、そのリスクはほとんど無いどころか、逆に思いがけない利益が上乗せされるはずです。交代させない会社の本社の上層部の怠慢です。そういう可能性のある会社は大変多い。

インドネシアはそう珍しくないブーゲンビリアの三色の接ぎ木の花。鶏冠という花です。赤が多いが、こんな黄色もあります。

うまみ 一人 怠慢

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2011年01月26日

(^_-)-☆困ってしまうよ


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   斜めからインドネシアを眺める 820
今月から、手伝い始めた会社。私は来て半月、その人は半年以上前にその会社に来ている。日本人にも変なのがいて、今日こんなことがあった。以前、客先訪問して紹介した時、客先から見積もり依頼のために図面とサンプルを渡され、本人が受け取った。その図面を見せてほしいと頼んだら、「だいぶ前のことですよね、もらってないと思います」という、「そんなことは無いから、探してくださいよ」といったら、「捜しますよ、でも、覚えていない」でした。その後暫くして、インドネシア人の部下から、「サンプルは、私が預かっていますが、図面は貰っていません、見たことはあります、無くしたてしまったのでしょう」といってきた。こんな重要なことを忘れてしまっているし、しっかり、ファイリングしていないのです。「受け取ったのですから、無ければ、あなたから、もう一度、ファックスででも送ってもらってください」と頼んだら、「太田さん、自分で取り寄せてくださいよ」だって、呆れてしまった。
 ついでに書くと、その人から「客先のリストをください」と言われ、インドネシア人部下に私の目の前で、それを渡してもらった。それから、一週間後、今度は日本人が8人ぐらい集まってのミーティングの時、私に「客先のリストをまだ、貰っていない速くしてください」と皆さんの前でいわれてしまった。「もう渡しましたよ」と言ったら、首をかしげて、「貰っていませんよ」という。それが終わって、インドネシア人スタッフに確認していた。勿論本人も渡したといった。当り前である。ころッと、忘れてしまっていて、覚えていない、ファイリング保管もしていない。インドネシア人スタッフが再び私の目の前で、その日本人に渡した。その後、客先のリストを請求してくることは無くなった。しかし、そのリストにある客先に連絡を取った形跡が全くない。自分から、呼んだり、出かけたりした気配が全くない。何のために要求したのか分からない。
 その人は関係なしに、ISOを収得してあるのだから、一応、必要なすべての書類は整っている。自分で何がどこにファイルしてあるのか確かめたらどうかと思うが、その気配も一切なし、思い出したように、この書類やリストは整っているかと、インドネシア人スタッフの要求する。その人が思いつくような書類は全部整っているのです。インドネシア人スタッフが余計な世話をしなければならないだけだということを本人感じていない。
 あなたは、どうでしょうか、心当たりはありませんよね。私からすると、昨日の話も、この話も、とんでもなく呆れる話です。色々な人種がいるものだと思う。
 バンダチェの復興のシンボルの一部、スマートなデザインの橋。テンポラリー住宅と向こうに見える。津波警報での逃げ込み建築物。
 がっくり びっくり ずっこけた

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2011年01月18日

(^_-)-☆本当の話


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   斜めからインドネシアを眺める 812
三カ月以上前から、ソアル ガユスなる人物が、インドネシアのニュースに出てくる回数が頻繁になっている。いかのもインドネシアらしい話です。汚職で刑務所に入っているはずの彼が、バリで催されたプロテニスの試合の観覧席で観戦している姿が報道された。坊主に近い短髪でメガネをかけていないでギョロ目丸顔のご本人、メガネをかけて長髪を頭の真ん中で分けている姿で移されていた。
 警察、検察が,あわてて調べたら、今回が初めてではなく、何度も、外出していて、事もあろうにマレーシアヤシンガポールへも出かけていた。その都度、帰ってくるのも面白いと思う。
 刑務所の職員,署長も承知の上、警察の幹部も承知していた。ということは、勿論、彼から、その都度、それなりの金が支払われていた。多くの人間が絡んでいたことは明らかだが、これを、すべて明らかに出来ないのがインドネシアです。
 その本人、今になって、この件の裁判で、汚職は悪いことだと反省して、政府、警察などの汚職の実態を明らかにするといっている。関係者は戦々恐々でしょう。
 今は、また、彼のパスポート偽造が明らかになって、出入国管理局の関係者がやり玉に上がっている。彼絡みで、何か他にも出てくるのではないかと思う。
 ずんぐりむっくりの風采が上がらない唯の小男といった感じだが、金を持っているのでしょう。好きなことをやっている。

 ヌサカンバンガン島監獄島の刑務所から、頻繁に外出していたスハルトの息子トミーの話は有名で、誰も、批判する人いないし、マスコミも、分かれば事実と思われることを報道するが、だからといって、それを追求しないし、大統領もなにも言わない。

 女性刑務所に収監されている女性に多いな一室が与えられ、豪華リビング調度品が整っていて、飲み物、食べ物も高級レストラン並みの物が支給され、テレビは勿論、カラオケの装置まであって、家族,親せきは自由な出入りが認められていたという話がある。その後どうなったのでしょうか、報道が消えてしまった。 
 何でもありのインドネシアの縮図のような面白い話である。

 汚職、裏金、刑務所

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2010年11月01日

(^_-)-☆狙いは決まっている


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 斜めからインドネシアを眺める 775
 残り二カ月である。暮れに日本へ帰るが、一月早々、インドネシアへ戻る可能性が高い。
二つの方向に搾られてきた。どちらにするにしても、私が思っているような状態になり、私がインドネシアでやらなければならないと思っているいくつかのことが一遍に出来るはずである。どちらの方法でも、使う装置は同じなので、今の会社からでる12月末を待たずに装置関係の準備にはいる。
 技術指導は二の次とし、客先のインドネシア国内調達をお手伝いし、なお且つ、現在、内製をしている会社の装置のより効果的な使用と、新製品の立ち上げのお手伝い、これから、内製をしようとしている会社のコンサルタントもやれるようにする。

 残念ながら、私の専族キャディが今日を最後にキャディを止める。11月から、今まで行っていた夜間の学校から昼間の学校に変えるそうだ。それでは引きとめることはできない。勉強を頑張っていただきたいと思う。

 ある押出成形の会社のホームページで写真付きで紹介されている主力製品の大部分は私がつくった装置と金型で技術指導して日系企業のインドネシア調達をお手伝いしたものです。この会社からは結局追い出されましたが、私の技術を前面に出して紹介しているようです。
塩ビのチューブやガスケットは私の技術ではありませんが、馬鹿でもちょんでもできますから、ローカルを含めて競争が激しく、殆ど利益が有りません。それなのに、何故でしょうか、原料を高めで買っていて、値下げ交渉をしない。何か、理由が有るのでしょうか。
 私のホームページ
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage034.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage060.html
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage5.html
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00060.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0227.html
 以上はこの会社で生産されている製品の説明、いきさつなどです。
その他にも、インドネシアで、完成させた製品が有りますが、この会社では完成された私の装置、金型を持っているのですが、成形できなくて、今は、PT.NANBUでやっていますが、私が出る幕が無くなったPT.NANBUでは出来ない製品があります。それらを、来年から別の場所で、安定した生産をしたいと思っている。
これも、インドネシアから出られない理由の一つです。

昨日の結婚式と披露宴会場にて。
技術  独自  ぶら下がり

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2010年10月30日

(^_-)-☆天災人災大国


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IMG_4752.JPG 斜めからインドネシアを眺める 773
 スマトラ中西部のムンタワイはパダン料理で有名なパダンに県庁所在地がスマトラバラット州に属する島々です。この地域は北スマトラのアチェに掛けて地震の頻発地帯で、何度も、繰り返し、大きな地震が起きている。そのたびに何十人何百人と亡くなっている。行方不明者もそのくらいの人数になっているようです。
 インドネシア人は地震の怖さを知らない人が多いと聞いていたが、実際には、殆どの人が、直ぐパニックになるくらいに、恐ろしく感じている。しかし、対策とか耐震というところまでお金を掛けるところまで行っていない。被害があれば仕方が無いなと思うだけです。
 ジョクジャの北部中部ジャワのその名もグネンムラピ(火の山)もつい先日噴火が活発になり、おととい大火砕流が発生して何十人も犠牲になった。この山は、活火山で常に煙を噴き出している。今回はその火山性地震計が異常値を示したので、避難勧告が出された。しかし、その体制が出来ていない。殆どの住民は避難しなかった。もう、噴火には慣れてしまっていて、ちょっとの噴火では逃げる必要はないと思い込んでしまっていたのです。“少年とオオカミ“の状態だったのです。

 インドネシアはこれ等の事を含めて、そう、深刻に考えないようで、一週間もすれば話題に登らなくなる。ニュースのフォローも無くなる。

 ジャカルタでも私がインドネシア滞在した十何年かの間に有感地震は三回だけあった。被害はゼロです。ちょっとした揺れでもパニックになるようです。普段、感じることのない状況になくからなのでしょう。だから、逃げる途中で転んだり階段を踏み外したりして軽いけがをするのはあります。
 ジャカルタ北部のショッピングモール、メガモール プルウィトでアイススケートをしていた時に、私は全く感じなかったが、まわりの人がなにかパニック状態になり、出口の方へ殺到している。スケート靴のままその人たちと一緒に逃げるわけにもいかずに10分ほど騒ぎが収まるのを待っていた。人気が無くなって、掛りの人が一人しかいなくなったカウンターで靴を交換して外へ出たら、皆さん、不安そうに建物を見上げていて、何だと、聞いたら、地震だという。天井の蛍光灯も揺れていなかったような気がする。それでも、多分、何人かが感じたのでしょう。それらの人たちが逃げ出したので、分けのいかからない人たちも地震とは知らずに、とにかく逃げたのだと思う。
 
 可能性として、爆弾が仕掛けられているとか、暴動が始まったとか、そういうことを誰かが叫べば、その一言だけで、多くの人が分けも分からずパニックになってしまう下地はインドネシアにはある。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
 天災や人災で亡くなる人はかなり多いし、平均余命は未だに60才程度という噂もある。子孫を残すという意味で、子供が多い原因も分かるような気がする。

 事故  災害  無抵抗

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2010年10月29日

(^_-)-☆大丈夫でしょうね


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 斜めからインドネシアを眺める 772
母親の誕生日 10カ月会っていない。多分94才くらいになると思う。私としては親元を18才で離れて、平均年2〜3回ほどしか会っていないで勝手に生きてきたので、それが出来る状態にしてくれている人たちに感謝をしている。
全然ボケていないどころか、私の事をいつも気にしていてくれるらしい、こちらの地震や津波や噴火の事を知っていて、勝夫は大丈夫だろうかと心配してくれている。
私は母親から受け継いだ物が多いと思う。血液型も頭のフケが異常に多いことも足の親指の爪が真上を向いていて靴下や靴のその部分に穴を開けてしまうことも、手先が器用なことも皆母親譲りだと思う。その他かなりのものを引き継いでいるので、この母親から生まれたことは非常にラッキーだったなと思っている。また、これらの状態がドイツの曾孫にも引き継がれていることを私は確認済である。そしてそのことを、曾祖母と曾孫が今年の正月に日本でお互いに確認していた。
押出製品は人が作るのであって装置や機械がつくるものではない。ということは、押出に携わっている人にとっては基本的常識です。そのことを射出成形に携わっている人たちに分かってもらえなくて、同じ会社の中に両部門が有る場合には、押出の方が何かとやり玉に挙げられる。それは何十年もの間、自分で会社を経営している時以外は、言われつづけたことです。分かってもらえないのだから仕方がないと思っている。
しかし、一番困るのは、押出部門の中に、射出的な考えの人が入ってきて、射出的に運営しようとして、製造技術に関して無関心で、自らは、製造に手を出さない、出せない事である。自らが製造の手本を見せることが出来ない人が、リーダーになってしまうことです。新しい注文は全く取れない。客先からこれが出来るなら見積もりを出してください、と、話が有った時、その人は出来ないのだが、社内の他の人が出来るかもしれないので、聞いてから返事をします。という返事では、話を断ったことと同じことになってしまう。
 
押出部門のリーダーは製造で陣頭指揮を取れなければならない。自らが製造の立ち上げから製造終了までの手順に従って手本を見せなければならない、作業標準を書くための、見本を見せなければならない。それが出来ない人がリーダーになった場合は、何をか況やである。インドネシアにはそういう押出成形屋さんは無いと思うが、あれば、その会社は成功しない。

 韓国カラオケの店とセルラシルクスのカキリマ、一番手前のガラスにOtak-Otakと書いてあります。私のメールアドレスと同じですね。

 技術  人間  不安

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2010年10月26日

(^_-)-☆リッポチカラン


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 斜めからインドネシアを眺める 769
昨日の続きです。LIPPO CIKARANGの外国人は韓国人が圧倒的に多いようです。Water Boomの方の洒落た街並みのレストラン街やその他の店が有る地域も、ハングルの看板が目立つ。RUKO TAMRINもハングルが多い。ついで日本人でしょうか、印象としては韓国人の半分ぐらいの人数だと思う。
平日のお昼時、夕方、一番賑やかな場所はRUKO TAMRINとその西側のPujasera Sirkusというインドネシア料理のフードコートです。シンガポールの有名なニュートンサーカスのようなものです。
 この中なら、安全だろうし、日本料理屋も5件以上、韓国料理やもそれ以上、中華料理屋も数軒ある、インドネシア料理屋は、若干高給のチェーン店や庶民的な店も沢山ある。
 夜は特に賑やか、韓国人のブロックMという人もいる。マッサージの看板も沢山出ている。内容は色々だと思う。会計は明瞭だし、ぼったくられることは全くないと思う。もし、そういうことがあれば、ジャカルタのブロックMと同じで、直ぐに営業できなくなってしまう。日本料理屋と日本人向けカラオケは日本人が経営しているか、日本人がスポンサーになっているので、日本語だけでも意思を伝えることができるし、自分が乱暴をしなければ全く、日本にいるのと同じ感覚でくつろいで良いと思う。
 韓国系が多いのだから、それらの店へ入れば、日本人はまず韓国人と思われるが直ぐに日本人だと気が付いてくれる。レストランには日本語のメニューも用意されているし、韓国系にカラオケにも日本の歌はある。日本語でシステムも説明してもらえる。システムとは、日本人カラオケも同じだが、部屋を借りた場合は一時間いくらとか、最低は何時間以上だとか、女の子のアワーチャージは時間いくらだとか、一緒に外出する場合は何時間分、店に払えば良いなどなどです。
 とにかく、この町に住む、日本人、韓国人は、別にジャカルタまで行く必要はないでしょう、同じことが、多分、60%位の費用で出来るでしょう。そんなに安くないよと思う人は、チェックが足りないし、確認が足りないと思う。レストランで食事した後、何かを楽しみたいと思っている人は、まず、必要なことは、確認することです。ただ、黙って、入り込んで、楽しんだあと、請求書を求めて見た時、ジャカルタと同じような金額が示されても仕方が有りません。
 リッポチカラン全体では日本食レストランは10軒以上ある。日本人むけカラオケは最低5軒ある。韓国カラオケは10軒以上ある。韓国料理店も10軒ほどある。中華料理屋も10軒以上あるでしょう。インドネシア人受けファミリーカラオケは3軒あります。
 ローズ、ヒオ、オールインワン、ムリア、エドなど何の名前だと思いますか。知っている人は・・・ですね。
 日本人は余り関係ないが、何といっても、インドネシア人が休日の楽しみに来る場所はWater Boomです。水を流したくねくね曲がった滑り台がメインで多くの家族ずれが訪れる。駐車場に入りきれずに道端路上駐車も時々、認められるようです。
 チカランの道端のES(アイス) Durianとそのカキリマです。得も言われぬおいしいさで、顔が思わず緩んでしまいます。5000Rpです。私は、車を止めて助手席から、良くいかいます。底にコンデンスミルクがたっぷり入れてあって、甘過ぎるので、入れないように注文します。
歓楽  元気  賑やか


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2010年10月05日

(^_-)-☆直ちに責任移譲


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 斜めからインドネシアを眺める 748
 頼まれれば期間を決めて私がやる、尋ねられれば丁寧に答える。これが前提になることは言うまでもないが、批判されてもどうにもならない。
押出に関して、N社流、Kさん流がある。私流は勿論ある。他人から教えてもらったものは何もない。装置や金型、製品、不良の名前、などなど、40年以上前にドイツからの技術が入った会社に存在していて、その時の各名前がそのまま残っている。その時無かったものは全て私が名前を付けている。インドネシア語に直す時も、私がインドネシア語で付けている。ですから、同じものでも、別の会社では名前が違う。ましてや、押出機、金型、冷却装置の構造や材質は全てといっていいほど名前が違う。先ずその名前をその人流に変えるのか、その人がその場所の今までの名前でやってくれるのかが問題である。その人に任せるしかない。
 会社での公式ポジション名はイムグレへ届けた名前でなければならない、名刺も組織表もそれに従わなければならないが、実際の仕事内容は、いきなり、すべての事に関して決済をしてもらわなければならない。私が、決裁してしまうわけにはいかない、それらのことに関して、責任を持てないからです。軟着陸というより、いきなりドカンと、すべての事に対して責任を取ってもらうつもりで構えてもらう必要がある。

 製品の見積もりを求められたときに、出来るかできないか判断し、出来るなら、製品の見積もりを出す。その見積もりには、当然、条件が含まれる。その条件も同時に伝える。 これも、直ぐに、判断が必要になります。これにも私が首を突っ込むわけにはいかない。中には、私が仮見積もりをした製品もある。それも、白紙に戻してその人なりの判断をしてもらわなければならない。
  
 現在を批判してもらっても、私がその人の意志に従って現状を変えるということはできないので、その人のやり方で変えてもらうしかない。自分が納得いくように自分で変えてもらうことです。自分が今後何年間は全責任を負うのですから。

 売り上げ計画の提出を義務とするらしいが、これも、直ちにやってもらう。私ではとてもできない、やっても、計画通りには絶対にいかないことは分かっている。注文が入っていても、その通り客先が引き取るとは言えないし、必ず、客先の生産量は変更される、それに合わせて納品するのだから、計画通りに行くはずがない。計画通りにいかなかったことの理由を説明しなければならない。客先が引きとらなかったというしかないのにである。
ポンティアナックの赤道モニュメントとサンセット、PT.PBIの来年のカレンダーの多分12月の写真に採用されました。と、車のフロントガラスから撮った町の風景。
  引き渡し  利益計画  納得

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2010年08月23日

(^_-)-☆不幸をまき散らした


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斜めからインドネシアを眺めよう 705
 太平洋戦争の日本の最前線は伸びに伸びて、細い荒縄で囲っているだけ、荒縄も、千切れていた。その荒縄部分の兵士は、何の補給もない状態で、次々と玉砕していった。最近のゲゲゲでこのことがテーマになっている。
 ここ、インドネシアでも多くの日本兵が玉砕したはずである。パンガンダランの半島の首根っこのところにグアジャパンというほら穴があって、現地の人の噂では、今でも、時々夜中に日本兵がその前で、行進をしているし、何のことかわからないが、日本語のようなもので、話をしているという。冗談に、太田さん、夜中にチャガールアラムに入って、彼らが何と言っているか、通訳してほしいと言われたここもある。インドネシア各地に日本軍がたて籠ったと言われるグアジャパンが残っている。大体、鍾乳洞のほら穴である。
オーストラリアに近い、パプアニューギニアではおそらく殆どの日本軍が玉砕したと思う。子供のころ、ガダルカナルの海戦などの戦記物をよく読んだ記憶がある。勇まし、話だが、結局この辺りで主要航空母艦を殆ど沈められ、ゼロ戦の優秀な操縦士も殆ど、失ってしまった。これを境に、制海権制空権共に失い、補給船、それを護衛する駆逐艦、巡洋艦もことごとく失い、陸軍兵士は、戦陣訓に従い突撃をするしかなかった。訪ねたことがあるパプアのマヌクアリ、ジャヤプラ辺りにはマッカーサーの足跡ばかり残っているが、マッカーサーの逆襲の後には、日本兵の屍が残った。

 何百倍の、見方によっては何千倍もの国力を持ったアメリカに戦争を仕掛けてしまった日本の指導者は聞違いというしかない。本当に、本当に馬鹿なことをしたものだと思う。それも、日露戦争の時のイギリスのような、間接的に応援してくれる国はなく、ドイツとイタリアという独裁者が無茶をやっていた国で何も期待できない国との同盟だけだった。
 また、日露戦争の時のように、ここまでやったら終わりという賢さを持っていなかった。点だけをどんどん前進させてしまった。後はタダタダ敗走をするしかなかった。国民は何も知らされず、最期は沖縄を失い、本土決戦などとバカバカしい事を言っていた。

 前線の伸びきりは必ずいつかは縮小が始まる。企業も同じこと、戦線拡大に従って、当然、補給部隊、兵站部隊を充実させて、常に、不足を補うシステムと人材を準備しておかなければならない。場合によっては遊撃部隊が随所に臨機応変に送り込まれなければならない。広げるだけ広げて、後ろを振り向けば誰も付いてこないと言うのでは、また、戻りしかなくなってしまう。
 また個々の前線での支配者はその部隊やその環境の人々に不幸をもたらしているにも関わらず、自分の感情だけで行動をし、押しつけた。最期は自分を含めて全滅する。

 高速道路の様子、雨で前が見えない。トラックの追突事故。
前線  補給  拡大

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2010年07月27日

(^_-)-☆些細なことだが


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斜めからインドネシアを眺めよう 678
私がゴルフをジャバベカでやる時は、いつも、同じキャディに頼んでいる。彼女にはプレーの後、次はいつ手伝ってほしいといって約束をする。また、朝、バッグを預けるときにタグにその人の名前を書けば、手伝ってもらえることになっている。システムをそう思い込んでいたので、そのようにしていたが、今まで、たまに、突然、キャディマスターからの指令で、他のお客さんの手伝いをしなければならなくなったから、太田さんの手伝いができなくなったと、いうことがあった。
その都度、そのキャディからは、私から、キャディマスターに電話をして、私の手伝いができるようにしてほしいと言われていた。しかし、私は、キャディマスターは必ずチップを要求してくると分かっているので、頼まないでいた。
先日、土曜日、日本人だろうと思う、キャディマスターにブッキングを頼んだのでしょう。彼女から、手伝いできないと連絡があった。
勿論、私がプレーしない時、土日以外などは、他のお客さんのお手伝いをするのですから、彼女を気にいって、次回も手伝ってほしいと思う人は、次々と増えていっているはずです。本人からOKを貰えない人は、キャディマスターにチップを渡して、ブッキングする人も、増えることは当然です。その日も、キャディマスターに2人から予約の申し込みがあって、早い方の人に決めたらしい、また、ゴルフバッグに名前を書いた人が2人、いたとか、私は、事前に、手伝えないと知らされていたので、彼女が書いてやって欲しいと言っていた人の名前を書いた。

そして、日曜日、彼女の名前を書いた人は私を含めて3人いたとか、キャディマスターに頼んだ人はいなかったので約束通り私の手伝いをした。彼女、早速、昨日の出来事の話をしてきた。
 昨日はごめんなさいから始まって、もう、その人から、私に頼まないと言われた、とか。何故なの?彼女はその人の名前を勿論知っているのだが、とっさの場合に、私の名前を呼んでしまったとか、その人から、自分の名前はなになにだと言われたのにもかかわらず、それが一回や二回ではなく、何回も、私の名前で呼んでしまったらしい。他の人のことが頭から離れない彼女に呆れて、もう、予約しないと宣言されたという。次からも他の人を手伝った時、この手を使って指名されないようにしようと言っていた。

特に日本人のプレーヤーに気を付けてもらいたいことは、ご自分が気にいったキャディは既にキャディ自身が気にいった日本人の手伝いをしたいと思っている確率が高いのです。そういう人たちは自分たちだけで連絡し合っているのです。キャディマスターを通して幾らかのお金を払って、予約することは、正規の方法かもしれませんが、私はそういう方法は取りません。キャディを泣かせているかもしれません。あくまでも、本人の了解を取ります。野暮なことはしたくありません。

 予約  命令  従う
 夕方のチカラン バラッ付近、ジャカルタ方面への大渋滞、本線までなかなか侵入できない。

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2010年07月18日

(^_-)-☆お金を欲しい季節


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斜めからインドネシアを眺めよう 669
昨日の“とんでもない”の話、おまけがついた。今日も納品したが、明日も出来ているだけ納品してほしい、オーバータイムに付き合ってほしいというのです。よっぽど、品物が間に合わなくて、納品が遅れそうで困っているのでしょう。それならそれで、理由を言って、丁重にお願いすればいいと思うのだが、高圧的な態度は相変わらずである。月曜日でなければ納品できないときっぱり断られたら、どうするつもりなのでしょうか。
と言うことでしたが、どうも、待っていたら、間に合わないのでしょう。先ほど18:00と21:00に製品を出来ただけ取りに来た。明日07:00にまた、出来ただけ受け取りに来ると言って帰った。
内ができる製品だったから、対応してやることができたから、問題を最小に留ることができているようで、もし、私がNOと言ったら、どうするつもりでいるのでしょうか。KIICのヤマハモートルが最終お客さんです。組み立てラインをストップさせてしまいそうなのでしょう。

これから、レバランに掛けて、一年で一番お金を欲しい時期になる。ムシン ミンタ ウアンに入ります。出勤 押出で10人以上出勤している、オーバータイムである。ISO準備の人、チューブ巻取りようのロールを作る人、前の会社から引き継いだ装置で使えない物の修理をする人、皆さん、頼めば真面目に仕事をしてくれる。これはこれで、私の方からお願いしているのだから、いいのですが。ただし、現金なもので、オーバータイム手当が付かない役職の人たちは出勤しません。出勤すれば評価が上がって後々、収入が増える可能性があると思うのだが、そういう考えは、インドネシア人は全く受け入れないようです。逆に損だと思うのです。
インドネシアの特にイスラムの人達はこの時期、お金を稼ぎたいのです。もうすぐ断食月に突入します。交通違反の取り締まり、検挙も厳しくなる。警察官もお金を欲しいのです。
ベアチュカイ、(税務所、税関)もイミグレ(出入国管理)の審査も厳しくなります。いずれも、アンダーテーブル獲得が目的です。
この会社も、間もなく、射出成型機や周辺機器、交換部品の輸入をする予定になっているようです。どう考えても、どう、どこを切って、様子を見ても、レバラン休暇以前にインドネシアへ入れることには無理がある。受け入れ態勢の不備と共に、審査の厳しさと、意識的に審査を遅らせるというマイナス要因が多すぎる。EPTEではないので、規定通りの関税を払うことは当り前ですが、当り前ではない金額の上乗せを、税関に何倍かを払わなければ、港から移動できない可能性が高い。
9月中旬以降になれば、ぼちぼち、その厳しさも和らぎ、10月に入れば、通常の対応に戻るでしょう。そのころになって、なお且つEPTEの会社になっていれば、やっと、割合、障害が無く、輸入品を手に入れることができるようになるでしょう。
色々な点で、インドネシアの事情を知る必要があるが、こういう、細かいようで大きなことを認識できないで、事を進めようとしてしまう状態は、横から見ていて、お金の無駄使いが多くなることをはじめ、余計な交渉を繰り返さなければならないし、全てが遅れ遅れになってしまうことを、心配する。

支払った税金は還付されるという意識は、間違いです。甘すぎます。事態を知らなさすぎます。もし、かえってくるにしても、一年以上後の話です。その手続きは大変困難ですし、なんだかんだと、いちゃもんをつけられて、挙句の果てに、他のことでペナルティを課せられて、戻ってくるどころか、逆に、もっと支払わなければならない羽目になる可能性もある。また、値切られて、戻ってくるはずの何分の一かになってしまうし、担当の税務署員に個人的にアンダーテーブルをその中から支払わなければならなくなる。
ジャカルタの環状高速道路に入ってすぐのチャワンと言うところです。看板の通り、まっすぐ行くと中央ジャカルタ、スマンギ方面左へ行って、高架の下をくぐって右(北)へ向かうとコンテナ港のタンジュンプリオクや遊園地で有名なアンチョール方面です。そちらにスカルノハッタ空港と書いてありますが、環状道路ですから、スマンギへ向かっても当然行けます。スマンギ経由の方が距離は短い。ただし、渋滞がどうかということです。空港へ向かうときに、多くの人はどちら経由でゆくか迷うはずです。どちらを選んでも、あっちを選べばよかったと、思わされるのが、面白いどちらが正解だったかは回答が出ない。
スマンギのインターチェンジのすぐ脇にあるプラザ、スマンギです。裏のピンク色のアパート(ホテル?)へ行くのにプラザスマンギの駐車場を抜けるのが一番分かりやすくて早い、通り抜け料金は20円です。

還付金  関税  アンダーテーブル(袖の下)

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2010年06月12日

(^_-)-☆イジメの項閉じる


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斜めからインドネシアを眺めよう 635
  小学生のころ、同じクラスの悪ガキ大将がいて、数人の子分を従え、女の子や体の小さい子にちょっかいを出したり、物を取ったり、勉強の邪魔をしたりしていた。陰湿なイジメではなく、はっきりとしたイジメだった。彼らにとって私は目触りで厄介な奴だったと思う。彼らがすることを私は許せなかった。自然に彼らと喧嘩をせざるを得なくなっていた、取っ組み合いの喧嘩もあったし、放課後彼に呼び出され、彼の部下たちと校舎の裏庭で、殴り合いをしたこともあった。私には部下はいないので、一人で戦った。そういうことは、当然、自分が言わなくても、友達から先生に報告が行く、それを彼らはまた、私が告げ口をしたと思い込み、私に突っかかってきた。そんな、子ども時代の時と、今の性格は変わっていない。弱い者いじめは許さない。言い返すことができない立場の人をいじめる者は許せない。
 私の存在が邪魔だと思った人間は子どもでも、大人でも、誤った情報でも、それによって、被害妄想が大きくなってしまう。それを、また、私を攻撃する材料にする。それでも逃げ出さないので、私の落ち度をでっち上げてでも追い出そうとする。

私は、66.5歳ですが、今でも、人が真似を出来ない技術と他人に対する優しさを持っていると思っています。経営者時代に多額の税金も払いましたが、私にしてみれば多額の蓄えもしました。国民の義務である納税も嘘偽りなしにしましたし、現在でも、払うべきものはすべて払っています。年金は並みの人より多くを受け取っていると思います。ですから、何も金銭的に困ることはありません。インドネシアで受け取っている報酬は他の日本人に比べれば微々たるものです。生活費とインドネシア人に対する援助金を払うには不足します。他のことは自腹です。蓄えを減らしていっているだけです。
 何度も書いていますが、車や運転手費、家賃、海外渡航費、電気代や水道代、一般的には会社が負担するものですが、私は遠慮しています。理由は創業者的考えから、利益が上がっていない会社に負担を掛けることは私の考えに合わないからです。
もっとも、利益が上がっている北川工業や南部化成に下請けとして貢献を続けているし、インドネシアの工場でも利益が上がるよう、技術が向上するよう、お手伝いをする、本当は、これは、私の考えと合わない。しかし、インドネシアの若者に技術を伝えるという目的を実行する機会を貰っている。

今でも、私を必要としてくれる人や会社は沢山あります。現在はPT.NANBUのお手伝いをしていますが、ナンブ以外の何社からも声がかかっていました。声を掛けられているのはインドネシアだけではありません。また、もし、自分で会社を興そうと思えば日本でも、インドネシアでも簡単に興すことが出来ます。選択肢は沢山あります。その中に隠居と言う選択肢もありますが、これは、本当に動けなくなってからのことです。
私をいじめた人にとっては当てが外れたでしょうが、パニック障害に掛っても、まだ、引きさがりはしないし、まだまだ、マイペースで、あちらこちらで出没します。
 強烈なイジメを私にしかけた人たちは、その時の地位や立場から降りた時、人から、求められるのでしょうか、あるいは、自立するための技術や資金があるのでしょうか。無いと思います。逆にそういう人種だから私のような人間を邪魔に思うのです。そしてイジメるのです。気の毒ですが、そういうものです。私をやっつけようとした会社内の勢いはどうなっちゃったの?という感じになります。
 
 北川工業の方々は特に読んでいただきたいと思います。ゴムタイヤの空気入れを内側にして、浮輪にして、海水浴場で売りあるいた北川ゴム工業の創業者から息子さんにバトンタッチされた会社は、生きる時代背景が全く異なります。社風も大いに変化するでしょう、風通しを良くするために、あちこちが開かれた会社になるでしょう。また、その中から、時代にマッチした新商品の開発や発見をしていかなければなりません。大変な時代ですが、創業者を手伝った生き残りの一人として、遠い南の国から、応援をしたいと思います。私が、教えたこと、示したことは、少ないですが何人かの人に染み込んでいるでしょう。即効性は無いでしょうが、今気付かないでしょうが、なるほどと思う時期が必ずあると思います。
 創業者の健康をお祈りします。いつか、また、お会いできればいいと思っています。

  今朝のMM2100の入口の様子、07:15頃ゲート前に並ぶ車、ジャカルタ方面からは橋の上のずっと手前、本線上まで並ぶことがありますが、私の方からは本戦まで並ぶことは全くないし、ジャカルタ方面から来る車と合流場所まで、止まることはありません。
  風通し  白を黒  聞かない

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2010年04月25日

喧嘩しない方針


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最終組み立て会社(大企業)一次下請け(最終会社のグループが多い)二次下請け、三次下請け、という具合の構造になっている。一次下請けまでは日系企業が大部分である。二次下請けは日系企業とばかりとは限らない、というより、ローカル企業が製造可能なものはローカル企業から調達する量の方がはるかに多いが、ローカル企業からだけということはなく、日系企業からも一部調達する。ローカル企業の品質と価格次第で、その比率は変わる。三次下請けは、殆ど100%ローカル企業である。
原材料の調達は、ローカル企業のほぼ100%がローカル企業から、一次二次の日系企業はローカルから全て調達したいが、指定材料の関係で、その比率は示さないで、出来るだけ多くローカルから調達している。
どの会社も、価格が安い方から購入したいので、ローカル企業の品質を高めることに力を注いでいるし、ローカル企業は日系企業に売りたいので、それなりの努力はする。一次的には日本人に手伝ってもらい、製造や品質管理や営業の能力を高めることもする。
年を追うごとに、日系の二次三次下請けは、ローカル企業と価格競争を強いられ、負けることになる、その分生産量が増えて行けば比率は減っても受注量は横ばいになる。増えた分はローカル企業に注文が行くというシステムになっている。

 私の処は、其のローカルが、出来ない仕事を引き受けるのが原則ですが、そうばかり言っていられない部分がある。10年前にローカル企業でできなかった押出製品が今ではできるようになっていて、やはり、増えた分だけローカル企業に注文が流れているが、そのお客さんは、それを公表しないで、日系企業からしか調達していないと言っている。というケースもある。
 客先から頼まれない限り、ローカル企業が作れるものに手を出さない。例えば、軟質PVCについてはこちらから仕事を欲しいということはない。
 ローカルと争うということではなく、客先へのサービスとして、原料安価調達以外の方法で、ローカル企業に負けないような安価で高品質の製品を作ることができるようにあらゆる点で、節約しなければならないと思っている。
 もう一つは、二年間、温めていたオリジナル商品の開発である。したうけばかりでは日系企業への手伝いだけでなく、インドネシアでなら売れるという押出製品を自社ブランドで売り出したいと思っている。これなら、無理な安値競争に参加する必要はないし、びくびくする必要はないし、産地偽装も、原料偽装もない、指定があるわけではないから、自分が使いたい原材料を使えば良い。まもなく、その開発が始まる。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

イスラムのお祈り風景、モスジットに入れない人は、道を封鎖して、お祈りをする。道のわきにどこでも見られるイスラムの人たちのお墓、焼かないで、そのまま掘って寝かせて埋める、一人一お墓なので、日本よりはるかに面積が人様になる。タイル製の長四角い囲いが載せてある。教会やお寺といった施設が仕切っているのではないようで、自分の家の前や横に埋葬している家も多い。
非競争 開発 営業力

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2010年02月23日

斜めからインドネシアを眺めよう 526(考え違いの困った人)


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  客先指定のスペック原料をある原料メーカーから購入して製品をつくっている会社がある。その会社の品質管理や納期管理が大いに問題があり、客先からクレームが絶えない。それでも、技術的にも組織的にも人的にも改善しないで、内部には、ISOなど収得する必要はないと豪語している。
 多くの客先は、其の会社離れをしたいのは当然である。その会社から買って其の社内やそれを使う上作って納めた製品が心配でならない。不用品を受け入れたら、受け入れ検査の責任になるから、受け入れ検査も慎重に厳重にやらなければならない、不良で返品しても、製造工程の遅れを招くし、製造ラインのストップにもなりかねない、これは,購買の責任になる。仕入先を変えたち。
 その旨、仕入先の会社に告げると、其の会社の代表者は、「原料は、内にしか,売らない、どこかが、同じものをやろうとしても、原料メーカーは出荷しないから、他の会社がやるとすれば、原料を指定以外のものを使ってごまかして作るでしょう、それでもいいか」と、言うそうです。私の会社に相談に来たお客さんがそう言っていた。要するに、其の会社は品質や納期管理で勝負するのではなく、他の会社が原料を入手できない状態にすることで勝負したいのです。面白い会社がありますね。

 原料メーカーの上層部の日本人にはそういう約束をさせていることはその人たちから聞いていて、買いたいと現金を振り込むと、日本人は見ないふりをして、現地人同士の話で、遅滞なく原料をだすし、安全シートやどんな添加剤が何%ずつ入っているかの明細書も出してくれる。知らぬは、他社に同じ原料を出荷しないと約束を取ったはずのその社長さんだけである。面白いですね。ローカルチューブメーカーは全然困っていない。もう出荷してしまっているのだから、今さら、メーカーも、出荷停止というわけにはいきません。

 他社が原料供給を受けられないようにしているはずの会社は、言っていることに意味が無いことを知らない。どんどん、ローカルチューブメーカーに指定の原料が流れていて、品質で勝負出来ない日系の製品メーカーの仕事は次第に減りつつある。インドネシア人が独立開業すれば、価格的にも勝負できない。仕事は減り続くるでしょう。冷蔵庫のガスケットも、同じ運命に流れ出していることを知らない。其の原料メーカーは、他からの評判を聞いて、たまりかねて、品質や納期に関して十分留意するように注文を付けたくらいですが、経営者は、手の打ちようが無いので、相変わらずのNG流出を続けている。従業員も、着いて行けず、他社へ逃げたり、独立開業に走ったりしている。
 それ、プラス、ロ−カル企業の原料メーカーも小さいながら、数が増え続けている。日系の軟質塩ビ原料メーカーも、あと、数年後には、かなり、厳しい経営になる可能性が高い。
 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。詳しい住所と電話番号FAX番号が決まりました、南部化成本社をリンクしました。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%204.html
インドネシアで知っていて、お得な情報です。予期せぬトラブルに巻き込まれないように、こんな知識が必要です。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page123.html/
援助したが閉じる会社。今は解散して実存しないPT.KITAGAWA INDUSTRIES INDONESIA1996年から、今でも、インドネシアで関わっている。
二年以上前から閉じようとして、解散はしたが、まだ、売りに出せる状態になっていない。原因ははっきりしているが、それを解消する能力が無い。

 塩化ビニールのベースになる原料や添加物を混ぜて、求める物性の原料を作っている
ロ−カル企業、粉末まみれになって工場内が曇っている。40年ぐらい前の日本の塩ビ工場もこんなだった。インドネシアでは、こういう工場がどんどん増えている。日本で技術を収得した人が、いま、独立起業をし始めているのです。

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2010年02月12日

斜めからインドネシアを眺めよう 515(明らかな動揺)


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いよいよ、物語はクライマックスに差し掛かってきました。
月曜日に退院し、メディカロカに向かった。彼らは遅い、私が先に着き、菊池先生と相談したが、結局、予以前と同じく、原因はわからず、「帰国を勧めることはできない」、「じゃあ、どうすればいいの?」と聞いたら、先生は、「ほかの検査、(まだの、MRI+MRA)などの検査をできるところで、してもらってください、」だけだった。そんな検査はとっくにやっていて、この医師には結果も伝えてあった。ご本人忘れているのだ。専門が循環器なので、どうしてもそっち方向に行ってしまう。「モルヒネは何の意味がない」とか、「三半器管に障害が在るのではないか」と、見当違いのことしか言わない。何度も言っている、脈拍が飛んでしまうことや息苦しくなることについて何も説明しない。この医者じゃ、どうしようもないと思っていたので、帰国前の単なる確認だった。

下手ノとうどウが遅れてきて、入ってきて、話しを聞き始めた。二人とも、「問題ないです」という言葉を期待しながら、「どうですか、日本へ帰すことができますか?」
菊池医師曰く、「危険です。責任は持てません、シンガポールでも、だめです。チャーター機で行くにしても、医師や看護婦の付き添いが無ければ無理です、帰国を強行し、途中で引き返したり、途中の国に着陸したりすれば、何億円もの損害賠償金が発生する可能性があります。」彼らにとっては予想しなかった、ショックな言葉だった。
 下手ノの戸惑いが、顔に現れた。下手ノとうどウの、大落胆したように態度がガラッと変わった。私の体が持つか持たないかより、悲しいかな、その損害賠償金のことが、今度は最重要綱目としてインプットされてしまった様だ。基礎知識や行動手段を何も持たないので、態度が単純に見え見えに現れる。帰国など、とんでもないと、180度考えがひっくり返った。今度は、「K社長が飛行機に乗るなと言っているから、悪いことを言わないから、帰らないで、病院でじっとしていてくれ」。というのです。「悪いことは言わないから帰れ、」といった、根拠を聞きたい。
朝、退院してきたにもかかわらず、また、入院を押し付けられたが、菊池医師も下手ノもうどウもインドネシアの病院事情などなにも知らない。「どこの病院がいい?」私に聞く、MRI+MRA機器病院を選ぶのは私でした。私は、インドネシアから脱出しやすいように、空港に一番近い、国立心臓センター(ハラオアンキタ)に行くことにした。私にとっては、皆さんが側にいることが邪魔なだけ、いれば、分かってもらえるわけが無いのに、説明をしなければならない。
どこの病院へ行くにしても、彼らが一緒ということになれば、時々、気絶しそうになる病人の私が、彼らの世話をしなければならない。私にとっては病気で苦しんでいるうえに、厄介者が付いてきて、彼らに気を使わなければならない。
その日の夕方も、マリアさんに手伝ってもらって、入院手続きをして入院した。その間大男の彼らは何もしないで、見張るように、くっついてきているだけである。私から厄介者と思われている事に気が付かない。
しかし、私の帰国決行の決意は変わっていなかった。インドネシアにいたらどうにもならないことが分かった。決行するしかない。

下手ノとうどウが立ち行かなくして、閉じる方向に向けてしまったPT.KITAGAWAです。
http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0002.html
PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの開店案内はこちらから。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page222.html
下手ノとうどウが立ち行かなくして、閉じる方向に向けてしまった会社です。

ここから今日に話。K社のEPTE解除の関係書類を担当している女性が私のところへ面接に来た。来月末までの再々延長で勤めているが、仕事はなく、たまに、ベアチュカイ (税務署、税関)からの書類や修正の依頼があったとき、書いて下手ノのサインをもらうだけだという。最初、昨年の10月末までの予定だったが、今は三月末までの契約になっているそうで、それが、過ぎても、また、延長になると思う、と、言っていた。その通りだと思う、今年中にEPTEを切れるかどうかも疑問だと思う。ということで、彼女が、K社を見捨てない限りは、私の所へ来る可能性は少ない。
もう一つ理由がある。例の私を落としいれた通訳が送ってきたのでした。通訳は、私に後ろめたさを感じているのでしょうか、車から降りてこないで、彼女の面接が終わるまで車で待っていて、車から出ることはなく、帰って行った。
当然、自分の手柄を誇示するために、通訳の作り話を下手ノに報告するでしょう、そうすれば、今日面接した彼女は、下手ノから怒られると同時に、次の勤め先は紹介すると、口から出まかせを言われるでしょう。本当は早く下手ノを捨てて私のところへ来れば、楽しく一緒に仕事ができるはずだから、下手ノが彼女の将来のことを考えて、今月末で解雇をしてくれればいいのだが、そんな、器量は全くないでしょう。
もう一人、早く、辞めさせられた女性の方がベアキュカイにコネが効くことを承知している。下手ノはそれを知らないから、若い方の女性を残したのです。もう一人の女性の方を重用していれば、父親がベアチュカイの高いポジションにあるので、EPTEはすでに切れていたことでしょう。
 KPK議長だったアンタサリさん、殺人教唆の罪で、一審判決禁固18年を言い渡された。直ちに上告したが、この判決に対する世論の動向が注目されます。相当な、騒ぎが予想されます。一般市民はアンタサリの無罪は、はめられたと、思っている人が多い。

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2010年02月11日

斜めからインドネシアを眺めよう 514(手柄アピール)


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それから、また、ほぼ、一週間後の日曜日、呼吸困難で緊急入院していた家の近くのアニッサ病院に現れた。今度は同社の日本人の下手ノ、うどウ、大津さん、三人そろってやってきた。というのは、土曜日に私のパニック状態(過呼吸)を見て、マリアさんが、危機を感じ、私の携帯電話に登録されている人たちで会社関係と思われる人全員に電話を掛けてしまったのでした。インドネシア人スタッフも10人ほど来た。
うどウ、曰く、「メディカロカ(ジャカルタ)の日本人医師、菊池さんに相談して、OKが出たら、日本へ出発する段取りをとるから、明日、ここを出て、メディカロカへ行ってください」と、のたまった。
この時、私の決意は、明日朝早くここを出て、メディカロカへいって、改めて、菊池医師の意見を聞くつもりでいた。医師に何を言われても、その夜、日本へ帰るつもりだった。前日土曜日に、メディカロカは休みだったが、竹の子に電話で、メディカロカの予約をお願いした。アシスタントを通して、月曜日9時に予約をしてもらった。竹の子の医師が「何か事故があったら大変なので、同じ会社の日本人をどうしても紹介してください」というので、うどウを紹介しておいた。だから、竹の子の医師からうどウに電話し、月曜日の段取りを話したのだった。それを、うどウが、あたかも自分が全て、手配したような口のきき方で、のたまったのだった。あほかこいつ、こんなところで自分の手柄話を社長に向けにしようとしている。2人とも、厄介払いが、自分の手柄になると思っている。事実、日本の上司は、元O常務のように、こういうことを評価する人たちなのです。
それを受けて、下手ノ してやったりと、曰く「医者が帰っていいと言ったら直ぐ帰ってください」「K社長も日本へ早く帰るように言っているから、帰った方がいい」とまだ言っていた。「飛行機に乗っていい」というに決まっていると思いこんでいる。K社長が何故そう言えるのでしょうか、私から何も報告していないK社長が「早く帰国せよ」というのは、まったく、見当はずれである。K社長が言っているといえば効き目があると思った下手ノの口から出まかせとしか思えない。愚かな人だ。
帰国し、挨拶にいた時、K社長に確認したが、「私はなにも状況が分からないから、帰れとも帰るなとも、何も指示していない」と言っていた。当り前の話である。

私は、アニッサ病院でモルヒネや精神安定剤を投与され、かなり、不安がなくなっていたので、どんなことを言われても、明日の夜中にインドネシアを脱出するつもりでいた。チケットも既にマリアさんに頼んで、手に入れてあった。


ここからは、今日に話です。タンゲランの硬質PVCのパイプメーカーから技術アドバイスを依頼され,いってきた。ポリマー粉末から、グレーのどこでも見ることができるパイプを作っていた。ラインでサイズなどの印刷も同時にしていた。インドネシアでは最先端の技術である。しかし、製品の外観や楕円など、日本なら商品にならない程度のものが多かった。その点について、改善点を指摘して上げた。添加剤の知識は私以上で、学ばせていただくことも多かった。
また、ローカル会社の価格の安さが分かった。彼らは、彼らなりの原料入手手段を持っているのです。まともな価格の半値以下で入手できるので、私たちが原料を入手できる価格で製品を売ることができるのです。こういう、集団(一種のマフィア)の中に私が入ることはできない。
http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0002.html
PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの開店案内はこちらから。

インドネシアのジャカルタにしかないバジャイ(三輪タクシー)とインドネシアの至る所にあるカキリマ(手押し屋台)のミーアヤム(鶏肉ラーメン)

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2010年01月26日

斜めからインドネシアを眺めよう 498(EPTE熟知)


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IMG_1945.JPG EPTE(外国企業扱いの権利、輸出入関税が基本的になしです。10%の消費税も関係がなくなる。EPTE同士の取引は外国同士の取引となるので、厄介な支払いはない。税関へ売買の報告をするだけである。外国企業が進出しやすいようにする優遇制度です。)
逆に解消するときは身ぐるみ全部インドネシアへ置いて帰れという覚悟が必要です。ですから、一番賢い方法は、余り利益を出さないこと、利益を残さないこと、生産設備など固定資産を増やすことや、従業員への福祉や給料を充実させたり、配当をしっかりやったりして、利益の蓄積をしないことです。ただし、固定資産を、撤退するときに売る場合は、収得した時の価格にかかる関税を払わなければなりません。償却した残額で税金を納めるのではありません。
 一番、考えていない会社は、早く銀行からの借金を返して無借金企業にしようとして、日本本社が気を利かせて、買い上げ価格を高めに設定してしまうことです。借金が無くなって、購入価格を下げようとして下げることはできません。利益調整とみなされて、ペナルティを上乗せされて課税されてしまいます。その仕事を減らすことはできますが、製品の調達を他からにしなければなりません。そうすれば、自立が必要になります。しかし、本社からの仕事をしていれば他の仕事はやる必要が無かった体質はすぐに変換できないのが普通です。そこで、本社は放り出してしまいたいと思うのは自然の成り行きです。そう考えたら,ちょっとでもお金を残そうと考えずに、さっさと、出てしまうことです。粘っても、何のメリットもありません。
減らすなら、長期で少しずつ減らすしかありません。配当を急に増やすこともペナリティを取られます。
 それを知らないで、また知って、これは、閉じてしまおうとして、解散しても、利益を本社や関係会社に送金してしまうことはできません。前に書いたように蓄積した利益を全部インドネシアへ置いて帰らなければなりません。
 一番上手な方法は、利益の蓄積をそのままにしてそれを込みで、株を高値で売って、譲渡してしまうことです。少しでも、日本へ持って帰ることができると思って、解散してしまうことは、結局、何も残りません。
 EPTEについての知識は代々の代表者に引き継がなければなりません。代々何も知らないでは、話になりません。
 Q社から、口頭で、新製品生産準備を依頼された。この仕事は引っ越す先の工場で試作を行う、それまでに、金型をできるだけそろえようと思う。二色成形や窓が沢山あるので、インドネシア人従業員にとっては始めての技術になる。能力を向上させるチャンスでもある。

 今まであった設備を全部解体してなにもない工場になった、今日から、溝掘りが始まった。
こういう状況が各工業団地に何社かある。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの予告案内はこちらから。
今日から写真を付けることにした。
posted by 元気な振りの爺さん at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする