1990 masakan padan パダン(スマトラ島の中央部の西の海岸沿いの大都市、)料理です。特徴は、何十種類かわからないが、更に、盛られた状態で作って置いてある。客がテーブルに着くと、人数に合わせて、その皿をテーブルの上に所狭しと並べる、というより広げる。客はその内にどれかを選んで、食べる、一皿いくらだ、料理によって値段が違うようだが、回転すしのように、皿の色などで値段がわかるのかどうかは知らない。少し食べただけでも、一皿になる。飲み物は別注文になる。
インドネシア全土にこのパダン料理は広がっている。有名チェーン店の沢山ある、この辺りで一番有名なのは“スドゥルハナ“です。他のも沢山ある。いちいち、注文に応じるのではなく、作り置きを大量に作っておいて並べるだけなので、店としては、客に合わせる必要がないので、心理的に、負担が無いと思うし、計算も簡単だ。インドネシア人に合っている手抜き料理だと思う。
私は、嫌いで、食べない。全部、辛い。その上、冷えているので、硬いものが多い。何日前に作ったものか、前に何回か出した物ばかりだと思うので、誰かが突っ突いた料理かもしれないし、半分食べたものは、半分追加しただけのものかもしれない。衛生的にも不安を感じる。
Masakan Sundaスンダ料理です。スンダはジャワ島の中央部です。スンダ語を子供の頃、話すので、しゃべられると、まっかく分からない、ただし、インドネシア語を学校へ入るころから習い始める。
はっきりってよくわからない調理。鳥や牛のゴレン(揚げもの)やバカール[焼いたもの]が主体だが、料理のバラエティーは多くない。特徴は、野菜というか葉っぱというか、木の実というか、生のまま、大量に添えられていて、これらをサンバルトラシやサンバルヒジャウなどをたっぷり付けて食べる。サラダとは全く違うと思う。
それも、私は食べない、全然、美味しくないし、それに、ウサギじゃないぞ、と思う。
いじれも、インドネシア人にとっては、美味しいのでしょう、店は沢山ほどあるが、どこも、繁盛しているようだ。私がパンガンダランへ行き道沿いのも、この手のレストランが沢山ある。寄ったことが無い。
ここ、二か月ほどの間に、書きたい話の種が毎日出てくる。それを、今、毎日、纏めている。時期が来たら、これらの全てを、公表したいと思う。今日も、メールを開けたら、とんでもない内容が届いていた。一目見れば、大間違いと分かるが、出した方は相当真剣に真面目に、時間と能力を使って書いた努力の後が感じられるので、悲哀を感じるとともに、大丈夫かなと思う、心配になる。
意味不明 辛いだけ 葉っぱ
2014年06月29日
2013年06月18日
(^_-)-☆臭いもの
1614 臭いものでも決して蓋をしないインドネシア、臭い食べ物が多いが、大好きである。ジェンコルとプテ、Jengkol dan Peteが代表的。 私は臭いもので好きなものが多いがこの食べものは、好きではない。大きな豆だ。大きな木に大ぶりの花がなる木の種は枝豆の殻を大きき平たくしたようになる。殻は20cm幅は2cm以上のものが多い。その殻を割いて、中の種を食べる。色々な食べ方が有るようで、ジェンコルは特に、漬物に色々なタイプが有り、ナシゴレンと一緒に食べるものが多い。専門店というか何とかジェンコルというメニューが並んでいるワルンもある。インドネシア人にとっては、庶民の食べ物、大好きな人が多い、好きでない人は少数派、美味しい、美味しいという。しかし、臭いという。彼らにとっても臭いのです。良い匂いではなく、なんとなく、トイレの匂いに近いと思う。食べた人の吐く息もそんな匂いだ。食べた人がいて、今そこにいなくても、その場に来ると、私には匂わなくても、インドネシア人には分かるらしくて、ジェンコルをここで誰か食べたなという。
プテは、大体、どのワルンにも置いてあって、注文すると焼いて出される、それを開いて種を食べる。食べたい物を注文し、それにプラス、プテを食べる。これも、私にとっては、美味しくない、苦い、折角、注文した食べ物がおいしいのに、これを食べてしまえば、その匂いと味だけが残って、これだけが残ってしまう。しかし、インドネシア人はそれがいいという。
ジェンコルに挑戦してみてください。インドネシア人が一緒なら、皆さん、反応を見たい、聞きたいと思うでしょう。
臭いの代表はドリアン、チンペダック、刺激臭で臭いとともに目が痛くなってくる、非常にきつい、窓を開けないで車の中に長く一緒にいることはできないほどだ、しかし、食べると、えも言われぬ、感触と美味しさがある。
ラフレシアも食べ物ではないが臭いと言われる。動物の死骸が腐ったにおいという。しかし、私には臭い厭な匂うだとは思わない、ジャングルでこの匂いがかすかにしてくると、うれしくなる。この匂いを求めてジャングルへ入るのですから。
いずれも、もし、日本の町中に在ったら、誰もが悪臭がすると感じ、何か、悪質ないたずらか、危険物の放置か、得体の知れないものがあると思い、その場から離れるでしょう。
昨日の写真はパンガンダランのジャングルの中でした。こんな場所に分け行ってラフレシアを捜すのです。人が歩いた小道の跡らしいものがある、半島のあちらこちらの磯でロブスターを捜す漁師?が作る小道です。それに従って歩いて、奥へ入るのだが、その道沿いから見える場所に有ることは希で、匂いだけが漂ってくる、その匂いを追うと、こんな場所に分け入ることになる。
二日違いの状況、咲いていた花は、黒くなり始めている。
生活援助の諸案と燃料価格へ上げの案が国会を通過した。反対デモで、大学生が二人亡くなった。
臭い 美味しい 苦い
プテは、大体、どのワルンにも置いてあって、注文すると焼いて出される、それを開いて種を食べる。食べたい物を注文し、それにプラス、プテを食べる。これも、私にとっては、美味しくない、苦い、折角、注文した食べ物がおいしいのに、これを食べてしまえば、その匂いと味だけが残って、これだけが残ってしまう。しかし、インドネシア人はそれがいいという。
ジェンコルに挑戦してみてください。インドネシア人が一緒なら、皆さん、反応を見たい、聞きたいと思うでしょう。
臭いの代表はドリアン、チンペダック、刺激臭で臭いとともに目が痛くなってくる、非常にきつい、窓を開けないで車の中に長く一緒にいることはできないほどだ、しかし、食べると、えも言われぬ、感触と美味しさがある。
ラフレシアも食べ物ではないが臭いと言われる。動物の死骸が腐ったにおいという。しかし、私には臭い厭な匂うだとは思わない、ジャングルでこの匂いがかすかにしてくると、うれしくなる。この匂いを求めてジャングルへ入るのですから。
いずれも、もし、日本の町中に在ったら、誰もが悪臭がすると感じ、何か、悪質ないたずらか、危険物の放置か、得体の知れないものがあると思い、その場から離れるでしょう。
昨日の写真はパンガンダランのジャングルの中でした。こんな場所に分け行ってラフレシアを捜すのです。人が歩いた小道の跡らしいものがある、半島のあちらこちらの磯でロブスターを捜す漁師?が作る小道です。それに従って歩いて、奥へ入るのだが、その道沿いから見える場所に有ることは希で、匂いだけが漂ってくる、その匂いを追うと、こんな場所に分け入ることになる。
二日違いの状況、咲いていた花は、黒くなり始めている。
生活援助の諸案と燃料価格へ上げの案が国会を通過した。反対デモで、大学生が二人亡くなった。
臭い 美味しい 苦い
2013年05月01日
(^_-)-☆不味いもの
1566 腐っていると思わなければ、不味いとは思わない。辛いは苦手だが、不味いとは思わない。
私が一番おいしいと思うもの、ジャガイモのフライと黒はんぺんのフライとキャベツの千切りにトンカツソースを掛けたもの。
それ以上美味しいと思ったものは一つもない、子供の頃のお八つだったし、中学校の時の学校の売店で売っていたが、買えなかった思い出もある。只一つ、私の中学の同級生が静岡でやっているふぐ料理屋“春日”で、会社の食事会が終わって出てくるときに、山本君から、“奥さんに”と言いながら渡された小型の鰺のフライ。家で妻と二人で食べた。これが絶品だった。全部フライというのが可笑しい。
“春日”では、何回か同級会もやった。高級料理を格安でふるまってくれて大いに盛り上がった。いつになるかわからないが、日本に落ち着くようになったら、また、同級会を開きたいと思う。
ちょっと、話は外れたが、先日のある方の送別会を兼ねた食事会の席で太田さん、歳なんだから、まずいと思うものは、食べないで、今の内に、美味しい物を沢山食べておいた方がいいよ。と言われた。返事として、辛いもの以外に美味しい物もまずい物もほとんどない、何を食べても、あまり感想はない、だから、そういうことは思わない、でした。
高級料理と言われるもの、何とか珍味と言われるもの、値段が高いもの、著名な料理人が作った何とか料理、などなど、食べたことがあるが、すべて、普通で、特に美味しいと思わなかったし、また、ぜひ、食べたいとも思わなかった。キャビア フォアグラ トリフなど専門店で食べたことがあるが、普通でした。高い分、がっかりでした。インドネシアの日本食は高い、それに比べて安いインドネシア料理、その中間の中華料理、どれが美味しいと言えない、どれが口に合わないとは言えない。どれでも、辛くなければOKだから、値段が安い方がいい。日本食は余り食べたくない。値段が高いから。
勧める方に言ってしまってはまずいと思うが、食べもので、要求することはない。なんでも、食べる。栄養のバランスを考えることはあるが、それも、特に気にしない。なんでも、まんべんなく食べていれば、自然に栄養のバランスもいいはずだと考える。そして、一応、何でも、美味しいと言って食べる。学生時代、行きつけの食堂の綺麗な奥さんが、太田さん、何を出しても、美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐ある、と言っていた。
何でもそうだが、自分のことに関しては、どうでもいいことが多い。こだわる必要があるものはほとんどない。贅沢をしたいと思わない。押出しの仕事をいつまでもやれることが、他人から見れば、贅沢かもしれない。ヌサカンバンガンのロブスターも贅沢かもしれない。
聞くところによると、閉鎖が決定的になった会社の前、朝、7時頃の様子、その後どうなったかわからないが、集会の後でしょうか、従業員がどっと、駆け出して出てきた。
イジップ、デルタシリコン、KIIC工業団地を回ったが、何の騒ぎもなかった。
贅沢 違う 特別
私が一番おいしいと思うもの、ジャガイモのフライと黒はんぺんのフライとキャベツの千切りにトンカツソースを掛けたもの。
それ以上美味しいと思ったものは一つもない、子供の頃のお八つだったし、中学校の時の学校の売店で売っていたが、買えなかった思い出もある。只一つ、私の中学の同級生が静岡でやっているふぐ料理屋“春日”で、会社の食事会が終わって出てくるときに、山本君から、“奥さんに”と言いながら渡された小型の鰺のフライ。家で妻と二人で食べた。これが絶品だった。全部フライというのが可笑しい。
“春日”では、何回か同級会もやった。高級料理を格安でふるまってくれて大いに盛り上がった。いつになるかわからないが、日本に落ち着くようになったら、また、同級会を開きたいと思う。
ちょっと、話は外れたが、先日のある方の送別会を兼ねた食事会の席で太田さん、歳なんだから、まずいと思うものは、食べないで、今の内に、美味しい物を沢山食べておいた方がいいよ。と言われた。返事として、辛いもの以外に美味しい物もまずい物もほとんどない、何を食べても、あまり感想はない、だから、そういうことは思わない、でした。
高級料理と言われるもの、何とか珍味と言われるもの、値段が高いもの、著名な料理人が作った何とか料理、などなど、食べたことがあるが、すべて、普通で、特に美味しいと思わなかったし、また、ぜひ、食べたいとも思わなかった。キャビア フォアグラ トリフなど専門店で食べたことがあるが、普通でした。高い分、がっかりでした。インドネシアの日本食は高い、それに比べて安いインドネシア料理、その中間の中華料理、どれが美味しいと言えない、どれが口に合わないとは言えない。どれでも、辛くなければOKだから、値段が安い方がいい。日本食は余り食べたくない。値段が高いから。
勧める方に言ってしまってはまずいと思うが、食べもので、要求することはない。なんでも、食べる。栄養のバランスを考えることはあるが、それも、特に気にしない。なんでも、まんべんなく食べていれば、自然に栄養のバランスもいいはずだと考える。そして、一応、何でも、美味しいと言って食べる。学生時代、行きつけの食堂の綺麗な奥さんが、太田さん、何を出しても、美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐ある、と言っていた。
何でもそうだが、自分のことに関しては、どうでもいいことが多い。こだわる必要があるものはほとんどない。贅沢をしたいと思わない。押出しの仕事をいつまでもやれることが、他人から見れば、贅沢かもしれない。ヌサカンバンガンのロブスターも贅沢かもしれない。
聞くところによると、閉鎖が決定的になった会社の前、朝、7時頃の様子、その後どうなったかわからないが、集会の後でしょうか、従業員がどっと、駆け出して出てきた。
イジップ、デルタシリコン、KIIC工業団地を回ったが、何の騒ぎもなかった。
贅沢 違う 特別
2013年04月17日
(^_-)-☆ “にじ“
1552 JL.Singa Raja Rippo Cikarang(water boom前の道)にオープンした日本食レストランです。何オープンというのでしょうか、ソフト オープンというのでしょうか。通りの奥、右側の端がローソン、その手まえです。月曜日から、プロモとして、昼食は定食なら、何でも4万Rp,29日までだそうです。現在、味、その他のサービスについて、お客さんからの意見や希望を伺っているところだそうです。一階だけで20人程度で満席になってしまうので、広告を出したり、ビラの配布をしたり、などの宣伝はしていないとか。11時には開けているので、出来れば、早めに来てください、らしい。
まだ、昼間だけの対応で、夜は、開けているが、メニュー通りの料理が出来るところまで準備が出来ていないので、できる料理だけに限る、夜の値段は、どうなっているのか、知りません。アルコール類もそう種類が整っているわけではないので、希望に答えられるかどうかは、分からないそうです。だから、夜は様子見に来てみてください、ということらしい。勿論、値段的には、安くあがるでしょう。私は、夜、行ったことはない。
肉野菜炒め定食、野菜サラダは既に半分ほど食べた後です。にぎり鮨定食、にぎりのエビとサーモンは食べた後です。いずれも、食後にスイカなどのデザートが出てくる。
それにしても、リッポチカランに日本食レストランの多いこと、知っているだけでも10軒はある。ホテル、サヒッドリッポの“武士道“がプライスリーダーでしょうか。夜の価格は知らないが、昼間の価格は6軒知っている。安くて税込5万Rp平均で税込5万5千Rp,定食で一番高いのは、6万5千Rp税込でしょうか、日替わり定食はボリュームがあって安い店が多い、というのは、あまり人気が無い食材の長期在庫を出来るだけなくすためなので、安くても、捨てるよりはいいわけだからです。ボリュームはどこも十分だと思う、若い人が満足できる量になっていると思う。ご飯のお変わりやキャベツの大盛りは、サービスしてくれる場合が多い。
例外なく、店主催のゴルフコンペを開催していると思う。打ち上げは、アルコール類の飲み放題に近いサービスをする。会費はそれなりにとるが、酒に不自由している方には、そのために参加する。
開店したばかりの“にじ“は、20年くらい続いているコンペの仲間たちの多くが、そのコンペの長年のメンバーである店の代表者と親しいので、そのコンペを、この店が幹事になって続けることになるらしい。今までは幹事持ち回り(優勝者とブービー者)になっていたので、それが嫌で参加を見送る人もいた。幹事固定にするらしい、コンペのメンバーを増やすのが目的とか。
開店 プロモ ご意見
まだ、昼間だけの対応で、夜は、開けているが、メニュー通りの料理が出来るところまで準備が出来ていないので、できる料理だけに限る、夜の値段は、どうなっているのか、知りません。アルコール類もそう種類が整っているわけではないので、希望に答えられるかどうかは、分からないそうです。だから、夜は様子見に来てみてください、ということらしい。勿論、値段的には、安くあがるでしょう。私は、夜、行ったことはない。
肉野菜炒め定食、野菜サラダは既に半分ほど食べた後です。にぎり鮨定食、にぎりのエビとサーモンは食べた後です。いずれも、食後にスイカなどのデザートが出てくる。
それにしても、リッポチカランに日本食レストランの多いこと、知っているだけでも10軒はある。ホテル、サヒッドリッポの“武士道“がプライスリーダーでしょうか。夜の価格は知らないが、昼間の価格は6軒知っている。安くて税込5万Rp平均で税込5万5千Rp,定食で一番高いのは、6万5千Rp税込でしょうか、日替わり定食はボリュームがあって安い店が多い、というのは、あまり人気が無い食材の長期在庫を出来るだけなくすためなので、安くても、捨てるよりはいいわけだからです。ボリュームはどこも十分だと思う、若い人が満足できる量になっていると思う。ご飯のお変わりやキャベツの大盛りは、サービスしてくれる場合が多い。
例外なく、店主催のゴルフコンペを開催していると思う。打ち上げは、アルコール類の飲み放題に近いサービスをする。会費はそれなりにとるが、酒に不自由している方には、そのために参加する。
開店したばかりの“にじ“は、20年くらい続いているコンペの仲間たちの多くが、そのコンペの長年のメンバーである店の代表者と親しいので、そのコンペを、この店が幹事になって続けることになるらしい。今までは幹事持ち回り(優勝者とブービー者)になっていたので、それが嫌で参加を見送る人もいた。幹事固定にするらしい、コンペのメンバーを増やすのが目的とか。
開店 プロモ ご意見
2013年03月12日
(^_-)-☆監獄島
1516 ヌサカンバンガンです。友人とその娘さんが来ているので、一緒に、早朝から、ヌサカンバンガンへ行くことにした。目的は無人島のような場所で、野趣豊かに、そして贅沢な食事をするためでした。
http://otaenplaext.net/newpage21.html
6時に西海岸から出発、半島の先端を迂回し、東に向かう。怪しい天気から、小雨模様になり、そのうち、ちょっと大粒の雨が降り出した。行程の中間ほどでした。これは、もしかしたら、斬斬な目に会うかもしれないと心配したが、運がよいことに、島へ近付くに従って雨が小降りになってくれた。海岸へ着く前に、漁師の船に近付き、ロブスターを売ってくれと話しかけたら、持っていて、売ってもいいよということになり、交渉の結果、1Kg35万Rpで、手に入れた。
10年以上前には10万Rpだったのに、かなり、高くなっている。また、ロブスターの価格について、その種類によってKg15万〜75万Rpと大きく違うことを今回初めて知った。しかし、それが、私にはわからない、種類を知らないのです。バトゥとかムティアラとかバティックなどがあるらしいが、それだけではない。これは高い、これは安いと言われても、何が何だかわからないので、とにかく、そこにアルロブスターで一番安い種類を買うことにしている。味の違いを私には感じることができないし、すべて、美味しいと思うからだ。とにかく、洋上取引によって、ロブスターは手に入れた・魚は出発前に米やアクアなどと一緒に買って持っていた。
火をおこしたり、調理をしたり、コメを炊いたりするのは、私たちではなく、地元のガイドと小舟の持ち主たちです。私たちは、そこらあたりを散策したり、泳いだりしていればいい。1時間ほど後に料理が整って、食べましょうということになる。私は何回も色々な人を連れて入っているので、それほど感激はしないが、初めての人は、こんな、ぜいたくな経験で出来ることを感激してくれる。
焚火の中に生きたロブスターを放り込んで焼いて食べる。気の毒に思うが仕方がない、次第に赤くなってゆく、少し覚まして、手でちぎるように殻を剥がして実を出し、そのままかぶりつく、それだけでも、この雰囲気で食事をするだけでも、味のことはどうでもいいが、味も本当に美味しく感じる。醤油を待ってくる人が多いが、これも、美味しさを増すには効果的だと思う。ワサビやショウガをすった物を持っている人もいた。それぞれ、満足するようだ。
何度、経験してもいい物だ。
満足して帰路に就く、半島へ戻ったのは12時過ぎだった。シュノーケリングを楽しんで、多分、これにも満足してもらって、その日のメインの行動は終わった。
今日の夕日も綺麗だった。バトゥ フューでした。
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00087.html
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00086.html
贅沢 感激 ニクマッティ
http://otaenplaext.net/newpage21.html
6時に西海岸から出発、半島の先端を迂回し、東に向かう。怪しい天気から、小雨模様になり、そのうち、ちょっと大粒の雨が降り出した。行程の中間ほどでした。これは、もしかしたら、斬斬な目に会うかもしれないと心配したが、運がよいことに、島へ近付くに従って雨が小降りになってくれた。海岸へ着く前に、漁師の船に近付き、ロブスターを売ってくれと話しかけたら、持っていて、売ってもいいよということになり、交渉の結果、1Kg35万Rpで、手に入れた。
10年以上前には10万Rpだったのに、かなり、高くなっている。また、ロブスターの価格について、その種類によってKg15万〜75万Rpと大きく違うことを今回初めて知った。しかし、それが、私にはわからない、種類を知らないのです。バトゥとかムティアラとかバティックなどがあるらしいが、それだけではない。これは高い、これは安いと言われても、何が何だかわからないので、とにかく、そこにアルロブスターで一番安い種類を買うことにしている。味の違いを私には感じることができないし、すべて、美味しいと思うからだ。とにかく、洋上取引によって、ロブスターは手に入れた・魚は出発前に米やアクアなどと一緒に買って持っていた。
火をおこしたり、調理をしたり、コメを炊いたりするのは、私たちではなく、地元のガイドと小舟の持ち主たちです。私たちは、そこらあたりを散策したり、泳いだりしていればいい。1時間ほど後に料理が整って、食べましょうということになる。私は何回も色々な人を連れて入っているので、それほど感激はしないが、初めての人は、こんな、ぜいたくな経験で出来ることを感激してくれる。
焚火の中に生きたロブスターを放り込んで焼いて食べる。気の毒に思うが仕方がない、次第に赤くなってゆく、少し覚まして、手でちぎるように殻を剥がして実を出し、そのままかぶりつく、それだけでも、この雰囲気で食事をするだけでも、味のことはどうでもいいが、味も本当に美味しく感じる。醤油を待ってくる人が多いが、これも、美味しさを増すには効果的だと思う。ワサビやショウガをすった物を持っている人もいた。それぞれ、満足するようだ。
何度、経験してもいい物だ。
満足して帰路に就く、半島へ戻ったのは12時過ぎだった。シュノーケリングを楽しんで、多分、これにも満足してもらって、その日のメインの行動は終わった。
今日の夕日も綺麗だった。バトゥ フューでした。
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00087.html
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00086.html
贅沢 感激 ニクマッティ
2013年02月26日
(^_-)-☆Sop iga
1502 Sop bentutを英語でox tail soupといいます。ジャカルタのホテルボロブドゥールのこれは、何故か知らないが、各種ガイドブックに紹介されていて、美味しいとか、値段もセットで3千円くらいするとか、冗談じゃない、誰が、言い始めたのか、完全にクレームをつけたい。好みの問題だと思うが、200円位のスープの方が美味しい。ソプ イガも同じこと、煮詰める時間が長いと、、スープの味が深くなる、というが、それなら、道端のテントレストランの方が、煮詰める時間は長いかもしれない。
英語でOx collarbone soup?カラーボーンは、sop igaです。ブントゥッは牛の尻尾ですが、イガは、鎖骨部分です。味はほとんど同じ、長時間、煮詰めて、それぞれの部位のスープになります。一般的に他の料理を注文するより早く出てきます。もう、そのスープは大きな鍋にできているはずです。注文を受けてから、作るものではないからです。
ソプ イガは、日本の女性なら喜ぶでしょう、ぷりぷりしたコラーゲンが沢山付いています。そこが違います。
一般的にご飯と何やらのピクルスとクルプック(せんべい)が別の皿で出されるが、私は、それらを断って、スープだけを大盛りにしてもらいます。それと、付いてくるジュルック(柑橘類)も沢山もらいます。ちょっと、酸っぱさを増やすと、もっと、美味しいと思うからです。
当然、大変、美味しいが、スープを全部、飲みきれません。そのつもりで大盛りを頼んであるのです。余ったスープをブンクスと、言って、プラスチックの袋に入れてもらって、持ち帰りをします。家で、そのまま温めなおしてすするのもおいしいが、それを、使って、ご飯を混ぜてオジヤにしたり、ラーメンを入れて煮て食べたりします。手抜き料理ですが、満足感が一杯です。
ところで、インドネシアでは、食べきれない料理を持ちかえるのは当たり前の習慣です。日本人はほとんど、そういう考えはありません。私が、店員に持ち帰るからブンクスしてくれと、頼むと、連れの日本人に、え、そんなことするの?といった顔をされます。こちらでは、残してそのまま帰るより、美味しかったが、食べきれないから、持って帰るというのは、そのレストランや店にとっても、うれしいことなのです。美味しいと、認められていると感じるからです。
話は、飛びます。Bungkusブンクス、意味は、“包む”です。買い物をしたときに、包んでください、の意味で、使います。包装をしなくていいよ、と言いたいときには、“ugak usah bungkusガ ウサ ブンクス“と、言えばいいのです。ガはTidakティダッと同じで、否定です。ウサは必要という意味です。だから、包む必要は無いよ、です。
レストランで、余った料理を持ち帰りたいときには、ブンクス(包んで)と言えばいいのです。それが転じて、お持ち帰りのことをブンクスというのです。ちなみに、カラオケなどで、相手をしてくれた女性と一緒に出ることを、ブンクスと言います。インドネシア語が全然、話せない人でも、“ブンクス、オーケー?”と言えば、ニコッと笑いながら、理解してもらえます。これは、用意してある発砲スチロールパックやプラスチックの袋に無料で入れてもらえるのと分けが違うから、それなりの手数料が掛かります。
ソッsop スープsoup ソトsoto
英語でOx collarbone soup?カラーボーンは、sop igaです。ブントゥッは牛の尻尾ですが、イガは、鎖骨部分です。味はほとんど同じ、長時間、煮詰めて、それぞれの部位のスープになります。一般的に他の料理を注文するより早く出てきます。もう、そのスープは大きな鍋にできているはずです。注文を受けてから、作るものではないからです。
ソプ イガは、日本の女性なら喜ぶでしょう、ぷりぷりしたコラーゲンが沢山付いています。そこが違います。
一般的にご飯と何やらのピクルスとクルプック(せんべい)が別の皿で出されるが、私は、それらを断って、スープだけを大盛りにしてもらいます。それと、付いてくるジュルック(柑橘類)も沢山もらいます。ちょっと、酸っぱさを増やすと、もっと、美味しいと思うからです。
当然、大変、美味しいが、スープを全部、飲みきれません。そのつもりで大盛りを頼んであるのです。余ったスープをブンクスと、言って、プラスチックの袋に入れてもらって、持ち帰りをします。家で、そのまま温めなおしてすするのもおいしいが、それを、使って、ご飯を混ぜてオジヤにしたり、ラーメンを入れて煮て食べたりします。手抜き料理ですが、満足感が一杯です。
ところで、インドネシアでは、食べきれない料理を持ちかえるのは当たり前の習慣です。日本人はほとんど、そういう考えはありません。私が、店員に持ち帰るからブンクスしてくれと、頼むと、連れの日本人に、え、そんなことするの?といった顔をされます。こちらでは、残してそのまま帰るより、美味しかったが、食べきれないから、持って帰るというのは、そのレストランや店にとっても、うれしいことなのです。美味しいと、認められていると感じるからです。
話は、飛びます。Bungkusブンクス、意味は、“包む”です。買い物をしたときに、包んでください、の意味で、使います。包装をしなくていいよ、と言いたいときには、“ugak usah bungkusガ ウサ ブンクス“と、言えばいいのです。ガはTidakティダッと同じで、否定です。ウサは必要という意味です。だから、包む必要は無いよ、です。
レストランで、余った料理を持ち帰りたいときには、ブンクス(包んで)と言えばいいのです。それが転じて、お持ち帰りのことをブンクスというのです。ちなみに、カラオケなどで、相手をしてくれた女性と一緒に出ることを、ブンクスと言います。インドネシア語が全然、話せない人でも、“ブンクス、オーケー?”と言えば、ニコッと笑いながら、理解してもらえます。これは、用意してある発砲スチロールパックやプラスチックの袋に無料で入れてもらえるのと分けが違うから、それなりの手数料が掛かります。
ソッsop スープsoup ソトsoto
2012年10月29日
(^_-)-☆納豆
1385 昼過ぎ、いつものように洗濯が終わった後、思い立ってジャカルタの日本食品スーパーへ行ってきた。
行きの途中と帰りの途中のジャカルタ。どこから高速道路を降りて、どこから高速道路に乗ったか写真を見て分かるようになっている。どうでしょか、分かりますか。
何を買いに行ったかというと、納豆とうどん。いずれも日本から持ってきたものは大分前に無くなっていて、インドネシアで買う事が出来るが、うどんはチカランでも売っているが韓国製、どちらも日本製はジャカルタへ行かないと手に入らない。そろそろ、どちらも食べたくなった。そこで、ジャカルタへ行ったのでした。14:30に家を出て、戻って来たのが16:30、スーパーにいたのは10分弱でした。
納豆もうどんも日本から輸入したものは日本で買う、1.5倍の値段がする。高い。そこで、どちらも、開発商品と書かれているインドネシア製の物を買った。値段は日本で日本製の物を買うのとほぼ同じ、味や感触は私が期待する物と若干違うが、普通に食べられるので、これで充分である。12月の帰国まで持つように多めに購入した。うどんは冷凍保存する。
うどんはそれほどでもないが、納豆はインドネシアでも旅に出ている時以外は、いつでも食べたいと思っている。チカランでも日本食レストランでマグロ納豆などのメニューはあるが、それでは、あまり食べた気がしない。
実は、子供のころ、臭くいて食べる気がしなかった。家で家族が食べていても、私は食べなかった。納豆は子供が“なっと、なっとお、なっとっ”と言いながら、早朝に売って歩く物だった。私に友達もアルバイトをしていた。私は新聞配達の手伝いなどしていたので、彼らとよく会ったが、納豆売りはしなかった。匂いが嫌いだったし。
しかし、小学校の5年の秋、担任の先生が皆で納豆を作ってみようと言い出し、希望者だけで作ることにした。何故、希望者だけかというと、約16時間の温度管理をしなければならないからだ。大豆と湯たんぽ、もう一つ肝心なのは稲藁である。それも、稲を刈ってから二週間ぐらい過ぎたものが良いと言われていた。まだ、緑色が残っているのも、何故かは知らないが納豆菌が付いているからだそうだ。大豆を茹でて、その稲藁で小分けにして包む。それらを毛布でくるむ。炬燵の中に入れる。そこからが何度だったか忘れたが、約60度?湯たんぽで一定の温度の保つ十時間以上である。学校の用務員室の一角を借りて、一時間毎に温度のチェックと湯たんぽの交換をした。私も夜9時ごろと明け方5時ごろ学校へ行って、その役目をした。見事に、粘り気のある臭みもある納豆が出来上がった。その日の給食時には皆で食べた、私も食べた。今までの食べず嫌いが嘘のよう、それ以来、納豆は欠かせなくなった。特に生卵と混ぜて熱いご飯にかけ、かき回してかっ込むのが一番おいしい。それは、その時から50年を遥かに超えていても同じである。朝食はそれだけの時もある。
子供のころ好きだった食べ物は年をとっても好きのままで、しばらく食べていないと、食べたくなるものだ。黒はんぺんのフライ、ジャガイモをホクホクに茹でたもの、キャベツの千切りにとんかつソースをかけたもの、そして、納豆。いずれも、ごちそうではない。子供のころ、親から、お前は安上がりでいいなと言われたことがある。
好物 安上がり 食べず嫌い
行きの途中と帰りの途中のジャカルタ。どこから高速道路を降りて、どこから高速道路に乗ったか写真を見て分かるようになっている。どうでしょか、分かりますか。
何を買いに行ったかというと、納豆とうどん。いずれも日本から持ってきたものは大分前に無くなっていて、インドネシアで買う事が出来るが、うどんはチカランでも売っているが韓国製、どちらも日本製はジャカルタへ行かないと手に入らない。そろそろ、どちらも食べたくなった。そこで、ジャカルタへ行ったのでした。14:30に家を出て、戻って来たのが16:30、スーパーにいたのは10分弱でした。
納豆もうどんも日本から輸入したものは日本で買う、1.5倍の値段がする。高い。そこで、どちらも、開発商品と書かれているインドネシア製の物を買った。値段は日本で日本製の物を買うのとほぼ同じ、味や感触は私が期待する物と若干違うが、普通に食べられるので、これで充分である。12月の帰国まで持つように多めに購入した。うどんは冷凍保存する。
うどんはそれほどでもないが、納豆はインドネシアでも旅に出ている時以外は、いつでも食べたいと思っている。チカランでも日本食レストランでマグロ納豆などのメニューはあるが、それでは、あまり食べた気がしない。
実は、子供のころ、臭くいて食べる気がしなかった。家で家族が食べていても、私は食べなかった。納豆は子供が“なっと、なっとお、なっとっ”と言いながら、早朝に売って歩く物だった。私に友達もアルバイトをしていた。私は新聞配達の手伝いなどしていたので、彼らとよく会ったが、納豆売りはしなかった。匂いが嫌いだったし。
しかし、小学校の5年の秋、担任の先生が皆で納豆を作ってみようと言い出し、希望者だけで作ることにした。何故、希望者だけかというと、約16時間の温度管理をしなければならないからだ。大豆と湯たんぽ、もう一つ肝心なのは稲藁である。それも、稲を刈ってから二週間ぐらい過ぎたものが良いと言われていた。まだ、緑色が残っているのも、何故かは知らないが納豆菌が付いているからだそうだ。大豆を茹でて、その稲藁で小分けにして包む。それらを毛布でくるむ。炬燵の中に入れる。そこからが何度だったか忘れたが、約60度?湯たんぽで一定の温度の保つ十時間以上である。学校の用務員室の一角を借りて、一時間毎に温度のチェックと湯たんぽの交換をした。私も夜9時ごろと明け方5時ごろ学校へ行って、その役目をした。見事に、粘り気のある臭みもある納豆が出来上がった。その日の給食時には皆で食べた、私も食べた。今までの食べず嫌いが嘘のよう、それ以来、納豆は欠かせなくなった。特に生卵と混ぜて熱いご飯にかけ、かき回してかっ込むのが一番おいしい。それは、その時から50年を遥かに超えていても同じである。朝食はそれだけの時もある。
子供のころ好きだった食べ物は年をとっても好きのままで、しばらく食べていないと、食べたくなるものだ。黒はんぺんのフライ、ジャガイモをホクホクに茹でたもの、キャベツの千切りにとんかつソースをかけたもの、そして、納豆。いずれも、ごちそうではない。子供のころ、親から、お前は安上がりでいいなと言われたことがある。
好物 安上がり 食べず嫌い
2012年10月24日
(^_-)-☆黒はんぺん
1378 昨日、お茶の話を出したのは静岡の人間としてのこだわりがあるからで、他の県の人は、お茶の色や味についてそれほどこだわらいと思う。
先日、日本へ一時帰国していた、私が以前、手伝っていた会社の人で、静岡の中学の後輩が戻って来た時に黒はんぺんを買ってきてくれた。私自身は、インドネシアへ戻るときに必ずスーパーで10パックほど買って持ってくる。ただし、インドネシアで他の人へのお土産として渡すことは一切しなかった。理由は二つ、他人に上げたくない。自分で全部食べたいからです。それと、賞味期限はたった三日です。自分は10日間ほどの間に食べてしまうが、それでも、期限の三倍以上の日数が過ぎている。それで、私がお腹を壊したということは無いが、他人に上げて、今まで、食べたことが無い味だと評価されることは承知しているが、万が一、食あたりでも起こされたら大変である。賞味期限を過ぎている物を食べさせたという事になってしまう。
彼はそれを勿論分かっているので、静岡のあちこちを探したらしい、賞味期限がせめて一カ月ほど、というパックを。しかし、見つからなくてあきらめた。ところが、日本出発当日の朝、静岡駅のキヨスクで見つけた、真空パックになっていて賞味期限が三カ月になっていた。それを、持ってきてくれたのです。私たちが貰ったのは、それから一週間後ですから全く問題なし。
ゴルフが終わってから良く行く日本食レストランでコックに頼んでフライにしてもらった。涙が出るほどおいしくて、子供のころの黒はんぺんを食べたシーンが幾つも蘇った。10以上のシーンだ。
やはり、フライにとんかつソースをちょっと付けるのが一番おいしい。これにキャベツの千切りが山盛りに添えられていれば、何もいうことは無い。
その他の主な食べ方は、軽く焼いて、ショウガ醤油で食べる。味噌汁でも澄し汁でも細長く切って入れる。ですが、その味を消さないように引き出すような料理がいいと思う。
インドネシアでは数年前、静岡の同じ高校の後輩がチカランで日本食レストランを経営している、そこで、彼が静岡から持ってきた黒はんぺんを客に振舞っていたが。そこでも、それきりで、その後は全く、御目にかからない。
焼津と静岡でしか売られていないと言われる黒はんぺん、理由は、日持ちはしないと聞いている。同じ製法で漁港の町ならどこでも作ることができると思うのだが、作らないのは何故でしょうか。こんなおいしいものを作らないのは不思議である。静岡のスーパーでは当たり前に大量に置いてある。安い、6〜7枚入っていて80〜100円以下である。
小学校の低学年のころ、小使いを5円貰っていた。多分、他の子は10円が普通だったと思う。駄菓子屋で5円紙芝居に5円というのが標準的な使い方だった。私は皆と遊んでいる時に紙芝居が来ると遊びを止めてみんなと別れて、そして駄菓子屋へ行って黒はんぺんのフライ(二枚のフライが一本の竹串に刺さっている)を5円で買って家に帰った。時間を掛けて食べた。おやつである。他の子は多分、水飴を買って紙芝居を見て、その後も遊んで、夕方家に帰る前に駄菓子屋へ寄ったと思う。
この写真の黒はんぺんはこの倍の包みで500円、高いが土産物用に多分、防腐剤など加えられていて真空パックになっているので、当然かなと思う。普通の黒はんぺんはもう少し小ぶりで、濃い灰色で茶色見は全くない。
チカランバラットのジャカルタ側からの出口ゲート、こんなガラ空きは奇跡的である。
おいしい 懐かしい リンドゥ
先日、日本へ一時帰国していた、私が以前、手伝っていた会社の人で、静岡の中学の後輩が戻って来た時に黒はんぺんを買ってきてくれた。私自身は、インドネシアへ戻るときに必ずスーパーで10パックほど買って持ってくる。ただし、インドネシアで他の人へのお土産として渡すことは一切しなかった。理由は二つ、他人に上げたくない。自分で全部食べたいからです。それと、賞味期限はたった三日です。自分は10日間ほどの間に食べてしまうが、それでも、期限の三倍以上の日数が過ぎている。それで、私がお腹を壊したということは無いが、他人に上げて、今まで、食べたことが無い味だと評価されることは承知しているが、万が一、食あたりでも起こされたら大変である。賞味期限を過ぎている物を食べさせたという事になってしまう。
彼はそれを勿論分かっているので、静岡のあちこちを探したらしい、賞味期限がせめて一カ月ほど、というパックを。しかし、見つからなくてあきらめた。ところが、日本出発当日の朝、静岡駅のキヨスクで見つけた、真空パックになっていて賞味期限が三カ月になっていた。それを、持ってきてくれたのです。私たちが貰ったのは、それから一週間後ですから全く問題なし。
ゴルフが終わってから良く行く日本食レストランでコックに頼んでフライにしてもらった。涙が出るほどおいしくて、子供のころの黒はんぺんを食べたシーンが幾つも蘇った。10以上のシーンだ。
やはり、フライにとんかつソースをちょっと付けるのが一番おいしい。これにキャベツの千切りが山盛りに添えられていれば、何もいうことは無い。
その他の主な食べ方は、軽く焼いて、ショウガ醤油で食べる。味噌汁でも澄し汁でも細長く切って入れる。ですが、その味を消さないように引き出すような料理がいいと思う。
インドネシアでは数年前、静岡の同じ高校の後輩がチカランで日本食レストランを経営している、そこで、彼が静岡から持ってきた黒はんぺんを客に振舞っていたが。そこでも、それきりで、その後は全く、御目にかからない。
焼津と静岡でしか売られていないと言われる黒はんぺん、理由は、日持ちはしないと聞いている。同じ製法で漁港の町ならどこでも作ることができると思うのだが、作らないのは何故でしょうか。こんなおいしいものを作らないのは不思議である。静岡のスーパーでは当たり前に大量に置いてある。安い、6〜7枚入っていて80〜100円以下である。
小学校の低学年のころ、小使いを5円貰っていた。多分、他の子は10円が普通だったと思う。駄菓子屋で5円紙芝居に5円というのが標準的な使い方だった。私は皆と遊んでいる時に紙芝居が来ると遊びを止めてみんなと別れて、そして駄菓子屋へ行って黒はんぺんのフライ(二枚のフライが一本の竹串に刺さっている)を5円で買って家に帰った。時間を掛けて食べた。おやつである。他の子は多分、水飴を買って紙芝居を見て、その後も遊んで、夕方家に帰る前に駄菓子屋へ寄ったと思う。
この写真の黒はんぺんはこの倍の包みで500円、高いが土産物用に多分、防腐剤など加えられていて真空パックになっているので、当然かなと思う。普通の黒はんぺんはもう少し小ぶりで、濃い灰色で茶色見は全くない。
チカランバラットのジャカルタ側からの出口ゲート、こんなガラ空きは奇跡的である。
おいしい 懐かしい リンドゥ
2011年09月20日
(^_-)-☆一番沢山食べた
斜めからインドネシアを見る 978
昨日の用宗港の祭りのもう一つの食べ物は“黒はんぺん”でした。静岡市近辺の人にとっては誰でも物心が着いた時には安くて好きな食べ物になっているはずです。特にパン粉をまぶしたフライです。子供の頃、惣菜屋で、二枚串刺しになっているフライを5円で売られていた。ジャガイモを半分に切って三個串刺しにしてフライにしたものも5円で売っていた。どちらも、トンカツソースを付けて食べるのが得も言われぬ贅沢の様な気がしていた。中学の時には、弁当だったが、学校の売店で、コッペパンやジャムパンと共に黒はんぺんとジャガイモのフライが売られていた。しかし、私は一度も家から母親が作ってくれた弁当にそれらを買って追加して食べることは無かった。買うお金が無かったからでした。
雑魚が原料だと聞いていますが、とにかく、魚の肉を取った余り物、頭や尻尾や内臓や骨も全て細かく練って粘土のようにし、ハンペンの形にしたものだと聞いている。だから、栄養満点、DHAもCaも大量に含まれていて骨も強くなるし頭もよくなる、と聞かされていたので、なお、当り前のように好みになっていた。
今までの生涯、ずっと食べている。インドネシアへも帰国するたびに大量に買って持っていっている。これだけは、他の日本人に土産と言って渡したことはなく、自分で全部食べている。どこのスーパーでも手ごろな価格で売っているし、安売りになる時も多い。昔は、日持ちがしないので、静岡近郊以外には出荷できないから、静岡以外では食べられないし、知られていないと教えられていた。今はどうでしょうか。保存が効くように何かを混ぜて遠方にも出荷できるようになっているのではないでしょうか。ただし、見た目は美味しそうではないから、本当に気に行った人だけが注文するのかもしれない。先ほどの夕食にも黒はんぺんが出ていた。
インドネシアのBakso(バソ)は丸いボールになっている。大きさは直径2cm位から大きいものは5cm位のものがある。灰色の色から見ると、ほとんど同じ原料のような感じがするが、どうも、違うようだ。魚の肉ではなく、鶏や牛や山羊の肉が主だと言われている。それがまともなバソらしいが、巷の噂では、トカゲ(チチャック)や鼠、その他の動物の肉ならなんでも混ぜているとか、増量材として紙を混ぜてあるところもあるとか。生で、ワサビ醤油で食べるなどということは絶対しない。危なくて仕方がない。冷蔵庫を備えていない庶民のワルンでは猶の事、しっかり熱を通さないと安心できない。
ただし、このバソは本当に庶民の食べ物です。私も大好きです。バソだけのスープもおいしいが、ミーバソは、一杯では足りないので二杯食べることが多い。
東海大学三保水族館
黒ハンペン バソ フライ
昨日の用宗港の祭りのもう一つの食べ物は“黒はんぺん”でした。静岡市近辺の人にとっては誰でも物心が着いた時には安くて好きな食べ物になっているはずです。特にパン粉をまぶしたフライです。子供の頃、惣菜屋で、二枚串刺しになっているフライを5円で売られていた。ジャガイモを半分に切って三個串刺しにしてフライにしたものも5円で売っていた。どちらも、トンカツソースを付けて食べるのが得も言われぬ贅沢の様な気がしていた。中学の時には、弁当だったが、学校の売店で、コッペパンやジャムパンと共に黒はんぺんとジャガイモのフライが売られていた。しかし、私は一度も家から母親が作ってくれた弁当にそれらを買って追加して食べることは無かった。買うお金が無かったからでした。
雑魚が原料だと聞いていますが、とにかく、魚の肉を取った余り物、頭や尻尾や内臓や骨も全て細かく練って粘土のようにし、ハンペンの形にしたものだと聞いている。だから、栄養満点、DHAもCaも大量に含まれていて骨も強くなるし頭もよくなる、と聞かされていたので、なお、当り前のように好みになっていた。
今までの生涯、ずっと食べている。インドネシアへも帰国するたびに大量に買って持っていっている。これだけは、他の日本人に土産と言って渡したことはなく、自分で全部食べている。どこのスーパーでも手ごろな価格で売っているし、安売りになる時も多い。昔は、日持ちがしないので、静岡近郊以外には出荷できないから、静岡以外では食べられないし、知られていないと教えられていた。今はどうでしょうか。保存が効くように何かを混ぜて遠方にも出荷できるようになっているのではないでしょうか。ただし、見た目は美味しそうではないから、本当に気に行った人だけが注文するのかもしれない。先ほどの夕食にも黒はんぺんが出ていた。
インドネシアのBakso(バソ)は丸いボールになっている。大きさは直径2cm位から大きいものは5cm位のものがある。灰色の色から見ると、ほとんど同じ原料のような感じがするが、どうも、違うようだ。魚の肉ではなく、鶏や牛や山羊の肉が主だと言われている。それがまともなバソらしいが、巷の噂では、トカゲ(チチャック)や鼠、その他の動物の肉ならなんでも混ぜているとか、増量材として紙を混ぜてあるところもあるとか。生で、ワサビ醤油で食べるなどということは絶対しない。危なくて仕方がない。冷蔵庫を備えていない庶民のワルンでは猶の事、しっかり熱を通さないと安心できない。
ただし、このバソは本当に庶民の食べ物です。私も大好きです。バソだけのスープもおいしいが、ミーバソは、一杯では足りないので二杯食べることが多い。
東海大学三保水族館
黒ハンペン バソ フライ
2010年10月23日
(^_-)-☆MM2100内で食事
斜めからインドネシアを眺める 766
MM2100の中のレストラン、食事をするところ。日本食レストランは四か所ある、“飛鳥“”花の屋“”竹葉亭” と、“美来軒”私の印象なので人によって違うと思う。アスカは量が多すぎて値段が高い。それでもお客さんが一番おおい。昼時、ちょっと遅いと席がなくて、待つことになる。私は、全くと言っていいほど行かない。ハナノヤもほとんど同じだが、一杯になって待つということは無い。ここへも行くことは無い。チクヨウテイはここ5年くらい行ったことがない、なぜかというと、おいしくなかったのと生野菜がどうも怪しい状態になっていた。値段は今も変わっていなければ前の二店と、ほぼ同じで、税込なので、20%安いことになる。ミライケンはラーメン屋だが日本食レストランと考えていい。曜日定食は50000Rpで、手頃、二週間に一回ほど行く。しかし、13:00過ぎでないと注文してから料理が出てくるのにかなり待たされることがある。
インドネシア料理を食べることができる場所は、ルコの中では、Selera BaruとSoto kudus BlokMで前者は、準備された料理が並べられていてそれから選ぶ、選んだ物によって値段が決まる。インドネシアの空港やオフスビルのレストランの昼食時にみられる風景です。二百から三百円止まりです。後者はソトクドゥスというスープとご飯の店ですが、メニューにはソトアヤムとかミーバソなどがあるが、ソトクドゥスを食べる人が大部分です。いずれも、待ち時間は無いと言っていい、行けば、混んでいても、直ぐに食べられる。
ルコの回りに、カキリマが数軒並んでいるが、これらを含めて、殆ど、日本人は入らない。 Selera Baruだけが、現地人と日本人が半々である。
MM2100の中で一番高級なインドネシア料理店はハナノヤの前にあるカフェです。インドネシア料理でも、税込みで6〜7百円する。清潔感は一番である。ここの客は日本人が大部分で現地人は日本人が連れてきた場合だけのように見える。
ルコの前のロッテマートのフードコートは現地人で大いに賑わっている。色々な店が有って、色々な料理を食べることができる。価格も二三百円で手頃です。
郵便局や車修理のファミリーの並びに、Café Alfaというフードコートがある。ここはロッテマートの前と似ていて、色々な料理屋が並んでいる。こちらは平均二百円くらいで十分お腹いっぱいになる。
これ等のフードコートで日本人が食べているのを見たことがない。おいしくて安くて、他の会社の従業員と馬鹿を言いながら食べることが出来て、雰囲気もいいし、私は、お勧めですが、何故でしょうか。
殆どの従業員は会社中の食堂で仕出し弁当(平均50円位)を食べるが、日本人が仕出し弁当を食べるなら、6〜7百円のセットメニューから選んで朝のうちにアスカなどに注文することになる。
ルコの外の固定カキリマにテントを張ってあるレストランとミーライケン。
弁当 オープンテラス フードコート
2010年09月13日
(^_-)-☆これからが休息
726
日曜日なので、昼過ぎからNurnbergの郊外へ案内をしてもらう。孫たちと遊園地で遊ぶ、その前に、Fujiという名前の回転すしレストランで昼食。実を言うと回転すしレストランで回転している寿司を取って食べたのは今日が初めてである。二十年くらい前に現れたと思うが、日本でもインドネシアでもどこでも、回転すしを食べたことはなかった。昨日のインスブルックの回転すしでも離れた席に座って、セットメニューを食べたのでした。日本でも一度入ったことがあるがそこもセットメニューだった。
食べ放題で9.5ユーロ(約千円)握り鮨はサーモンだけ、その他は沢庵やキュウリのノリ巻き寿司らしいのはその程度、野菜サラダ、ダックの焼き鳥、春巻き、プリン、イカ焼き、甘いレモン、シウマイ、そして、卵焼きなどが回っている。ガリとワサビも回っている。極め付きはピサンゴレンやクルプックである。そういえば、昨日のレストランのメニューにナシゴレンがあった。
この店も、この価格、このメニューで結構繁盛しているようで、男女二人のカップルの客で回転すしの回りは満席になっていた。経営者はどうか知らないが、店員は全部中国人でした日本から、持ち込んだのでしょう。日本の有名歌謡曲のカラオケが流れ、壁には富士山やサクラの大きな写真、壁際には、日本人形が配されている。おでんなどと書かれた赤ちょうちんもあった。待たないで、直ぐ、食べられるのと、決まった料金と言うことがはやる理由らしい。夜は倍の価格16ユーロになるが、握り鮨が主なメニューになるらしい。
昨日と同じように、サーモンの握りをことごとく取ってしまって、孫が上の刺身を食べ、私がご飯だけを食べた。格別おいしいわけではないが、他の物を食べるよりはましである。
今日は完全休養日である。
こちらは、インドネシアのような100〜150ccのバイクは一台も見かけなかった。国によってこうも違うのかと思うくらい、田舎でも全く見かけない。自転車はレジャー用が主だが、実用にも使われている。バイクはおそらく最低でも250cc一般的には500cc平均だと思う。アウトバーンにも普通に現れる。
ところで、ライダーの服装である。上から下まで真っ黒に決まっているらしい。女性のライダーも多いが、すべて、革製の黒である。彼らが集団でツーリングしている姿やパーキングエリアで纏まって休んでいる姿は、ちょっと、近づきがたく異様な感じがする。赤とか黄色などの服装があった方が良いと思うが。
一つの例、Audi専門店の看板、流石、ドイツ、フォルクスワーゲンやメルセデスなどの専門店も広いし、状態が洗練されている。
高価 人気 寿司もどき
2010年08月25日
(^_-)-☆知らぬが信心
斜めからインドネシアを眺めよう 707
毎年のことだが、プアサ(断食)の時間Azan subuhについて、テレビ番組の中で宗教指導者に対すら単純な質問がされる。南極や北極に近くに住むイスラムの人たちはどうしているのですか?と。毎年繰り返されるこの質問、永久に決定的な答えは出ないでしょう。宗教者も困っています。人によって答は違います。そうです、勝手に解釈して自分の考えをいっているからです。分からないとか、解釈が色々あってこまっているとか、日照時間を基準にして断食の時間を決めたのが間違いだったとか、そういう宗教者はいない。コーランの曖昧な点は他にもあって、困っているとは言わない。批判はタブーだからです。話は違うが、ジハードの解釈についても、宗教者は困っています。
断食の時間に戻ります。夕方の断食明けの時間maghrib(buka puasa)については、あらゆるメディアで、大都市の名前とその付近という形で、予測時間と開けた時間が知らされます。では、朝、断食が始まる時間についてはどうでしょうか。早く起きてSahurの後、Imsakイムサックと言います。これが、外国人でイスラムではない私にとってはよくわからない。日照時間から、普通に考えれば、夕方18:00に断食が終われば、翌朝の06:00頃から断食が始まると思う。しかし、どうもそうではないらしい。ジャカルタとその付近は04:30にイムサックになるらしい。私はその時間に起きていることは殆どないし、起きていても、NHKを見ているので、断食の時間の知らせを見たことがない。
疑問は18:00ころ日没とともに断食から解放されて、なぜ、日が昇る一時間半ほど前に断食が始まるのかということです。日の出とともに断食が始まるのではないのです。どうもよくわからない。断食する時間Azan subuhは赤道直下で13時間半くらいなのです。そのことを聞いても分からないと言われるだけです。
ところで、例として、日本、静岡でのイスラムの断食時間はどうなっているのでしょうか。聖職者からどういう指示が出ているのでしょうか。北極近く、南極近くのイスラムの人はどうするのでしょうか。モスクワ辺りにも回教徒は大勢いるはずです。明快な回答は得られないどころか、インドネシア人で赤道から離れて南北に離れれば離れるほど、日照時間(太陽が地面より上にある時間)が季節によって違うということを知っている人は5%もいないのではないでしょうか。地球上の場所によって日照時間が異なると、地球の絵を書いて回転軸が傾いていることも言って、説明しても、分かってくれない。私の説明を信じてくれない。だから、断食の時間が違っていいのか、あるいは、太陽が沈まなければ断食しないでいのか、と、聞いても、何のことを言っているのか、その質問自体を理解できない人がほとんどである。
MM2100の高速道路入り口ゲート手前左に細い道がる、その道に従って100mほど行ったところにインドネシア料理レストランが出来た。Saung desaという。この辺りにしては思い切った高級レストランだとおもう。思い切った投資だと思うが、場所も価格も、続けてゆくには難しいと思う。プアサ中なので、客が少ないのは当たり前だと思って行ってみた。少ないどころか、200人は座れる場所があるのに私一人しかいない。「今、営業しているのか、」と、聞いてしまった。
ソプ ブントゥットゥ ゴレンです。牛の尻尾のスープですが、肉と骨はスープに入れておかないで、揚げたものをスープと共にたべる。
教育 自転 傾き
2010年07月05日
(^_-)-☆東西で充実の一日
斜めからインドネシアを眺めよう 656
3日、再びグロドックへ買い物に行ってきた。スリーインワンが10:00までなので、その時間を過ぎてKotaへ入った。買い物を6種類しなければならなかった。まず、ヤードメーターという呼び方をする、距離計です。前もって、売っている店の名前と番地と電話番号を確認してあったので、直接その店へ行った。直ぐ、準備してくれた。
そこで、次に買うつもりだったOリングはどこに売っているか尋ねたら、取ってきてやるよ、サイズは?と言われた。お願いした。ついでだからと思って、買い物予定の全て、マグネットスタンドは?ダイヤルノギスは?ハンディーの糸鋸は?赤外線温度計測機は?規格やサイズ、メーカー名が分かっている物は、全部、集めてくれた。聞きながら歩いて回らなくて済んでしまった。バキュームポンポンプ(3馬力)だけは、別の建物へ行かなければ手に入らないから、と、その店の名刺を渡してくれた。LTCの中だった。訪ねて行ってみると、在庫は店にはなかった月曜日に新ためて電話し、見積もりをしてもらうことにした。金額は13万円×3で45万円くらいを目標にしている。買い物は1時間くらいで済ませた。
横道、それぞれの価格が高いか安いかは比較しなかったので判断できない。インターネットなどで時間を掛けて調べれば、もっと安いものがあるのに、と、言う人が必ずいる。そういう人は、価格のチェックだけが生きがいの人で、それを使って何かをする人ではないので、急ぎとか、ちょっとした、性能の違いとか、使いやすさなどは、無視して、話をしてくる人で、扱いにくい、面倒な人です。
そのLTCの5階のフードコートでゆっくり昼食を取ることができた。殆ど全てが中華料理の店、窓口が2メートルほどの前で、売り子がメニューを差し出しながら、大きな声で呼びこんでいる。その中に奇妙な店が在って日本食風であった。日本語が目に入った。私は中華料理店のミーゴレンを食べた。
翻って、今度は、ジャティルフールを目指すことにした。MM2100のサービスアパートで14:00に一人ピックアップして一緒に行く約束になっていた。13:00にグロドックを出たが、ジャカルタ北部で思いがけない道路工事に遭遇したり、ジャカルターチカンペック高速道のブカシチムール辺りからの渋滞に巻き込まれたりして、結局15:00にピックアップし、東へ向かった。私に住処を通り過ぎ、チカンペックの手前からバンドゥン方面に向かい二つ目のインター、ジャティルフールで降りて、目的の人口湖に着いたのが16:00、早速、堤防の上を車で走って放水ダムまで行こうと入口へ行ったら、今日は霧が多いし、間もなく、風邪が吹き始め雨になるので、入場は出来ないと言われてしまった。現在はそれほどでもないので、食い下がったが、許可は下りなかった、遮断機を上げてもらうことはできなかった。食い下がって理由を聞いたら、突風に煽られて一人ダムへ落ちて亡くなったという事件があって以来、警戒をしているのだそうでした。
今度は、ボートで沖の筏で淡水魚を養殖している場所の見学をしながらそこのレストランで魚料理を食べようと湖のほとりへ向かった。頼んだら、今度は、やはり、先ほどと同じ理由で船は出せないし、筏のレストランも営業していないと言われた。
いずれも、お昼頃までなら、今日も、入場できたし沖の島めぐりも出来たそうで、明日の朝で直したらと言われてしまった。
放水ダムの向かい側にちょっと突き出ている半島があり、そこに、ホテルやレストランがあることを前から知っていたので、行ってみることにした。そこで、いきなり、なれなれしく話しかけてきた女性がいた。半島の先っぽへ行けばダムが近くに見えて、景色が菅らしいですよ、と言われた。行ってみるとなるほど天気が良ければさぞ素晴らしいだろうと思う場所だった。
戻って、そこのオープンテラスのようなところで、ポチテーとコピーヒタンを頼んで飲んでいたら、先ほどの女性がにこにこ笑いながら、私たちのテーブルの脇まで来て、景色はどうでしたか、魚の料理はどうですかと話掛けてきた。日本人ですか?とも聞いてきた。余りのなれなれしいので、あなたはどういう人ですかと聞いたら、ここの持ち主だと言う。話の中にはこのレストランホテルは1957年オープン、その時は、スカルノ大統領が来たとか、壁に猛獣(トラやヒョウ)の模様の岩が使われている、これも、スカルノの案だったとか、スハルトも何回かきたことがあるとか、次に、沖の筏の淡水魚養殖場やレストランも私の持ち物で、今日は昼過ぎから、閉めているから、今は行けないとか、その他にも、島をいくつか持っていて、アウトバウンドもあるので、社員レクレーションで来てください、名刺を渡しながら、私に直接話をしてもらえれば、ディスカウントしますよなど、と、話は尽きない。その名刺にバキュームフォーミングとかパッキングなどと書いてあって、聞くと、プラスチック関係に真空成型をして売る会社も持っていて、バービー人形で有名な、マテルの手伝いもしているとか、もっと話が続き、工場がチカランのルマーアバンの駅の近くだと言う、私が長い間住んでいた場所の近くだった。話をしているときりがない。
話を切るためにそこで食事をすることにし、ウェートレスを呼んでもらった。やっと、話は終わった。回りはもう真っ暗、湖の向こう岸の民家の明かりが美しく見えるようになっていた。
食べた魚はグラメのゴレン(唐揚げ)1kgとニラ500gを一匹ずつゴレンとバカール(丸焼き)でした、チャーカンクンと生野菜のセット、ナシとテーを追加した。写真の通りです。先ほどのコピーやポチテーを含めて、合計1400円(14万Rp)でした。安いですね。味も雰囲気も、一級品、三人で量も十分、十分堪能した。
MM2100のアパートへ日本からの出張者を送り、家に戻ったのが22:00ちょっと前でした。
インドネシア語を自由自在に話せて、色々な情報を得ることができたし、出張者にも、その威力と、インドネシア人の人柄と、インドネシアの味を楽しんでもらうことができた充実の一日でした。
自己満足 堪能 インドネシア語
2010年06月04日
(^_-)-☆辛い=おいしい
斜めからインドネシアを眺めよう 627
インドネシア人の食の味は辛いに尽きる。辛いのがイコールenakおいしいのです。私としてはおいしいには色々な味があり、食材が持つおいしさをそれぞれ楽しむのが食だと思うが、インドネシア人は違うらしい。何でも辛ければいいのです。
先日、裂イカとノシイカを見つけた。見かけは日本のものと同じで色がちょっと赤みがかっている。それを両方買って食べて見た。なんと、私にとっては激辛で、すぐ口から出してしまった。イカの味や噛み心地を楽しむなどと言うことは全く無視してある。これをインドネシア人にお土産として渡すと大喜び、おいしい、おいしい、イカのこんな食べ物は始めてだという。
サンバルという唐辛子を潰したものが必ず出てくる、緑色と赤があるが緑の方が辛い。もともと辛い食べ物になおも、サンバルを乗っけたり、食べ物に混ぜたりして食べる。サンバルを食べていると思うしかない。
日本人でも辛い食べ物が好きな人は多いが、インドネシア人にかなわないでしょう、赤ん坊の時から辛い物を食べさせられているのですから、辛くなければ物足りない、おいしくないと言うのも当り前だと思う。インドネシア人にも辛いのが苦手な人もいる。そういう人に会うとうれしくなる。酒を飲めない人と会った時と同じ感覚である。
カキリマで売っている食べ物はインドネシアの一般的食べ物ならなんでもある。ソトアヤム、ソトカンビン等の串焼きアヤムゴレンやベベックゴレン等のから揚げ物、をはじめ、グラメやマス等の淡水魚から揚げや丸焼き。煮付けはない。
私に世話をしてくれているマリアさんの食事と私の食事は、普通は別です。彼女用の食事を作っているときに、炒め物に唐辛子をふんだんに入れるので、その煙が無にしみる、臭くて耐えられない。クレームを付けるが一向にやめようとしない。同じ場合でも彼女はサンバルを一杯混ぜて食べます。
アボガドでもグアバでもドリアンでもマルキサでもドゥクでも何でもある。アイスクリームもそれらの味のものを売っている。ドリアンアイスクリームはおいしいですよ。オグラアイスも売っている。小豆が小さくて硬い。
ヨーロッパ乗りいれを拒否されていたガルーダインドネシアのヨーロッパ行きが解禁された。まずはアムステルダム便から再開した。9月フランクフルト、ニュールンベルグへ行くつもりなので、使えたらいいと思う。使えれば、安く行けることを期待する。
通勤バイク 日本の冬のような服装をして運転している。暑くないそうです。逆に寒さ防止なのです。ジャンパーやセーターは皆さん持っています。日本人は持っていませんし、着るはずがありません。
Hokabentoの出前。インドネシアでは一番有名なファミリーレストランです。メニューの名前が日本食レストランにあるものと同じですが、味は無国籍です。今や、インドネシア中の中都市以上、どこにも店があります。食事をすると抽選補助券、抽選権がもらえ、日本観光が当たるくじ引きに参加できます。そんな、キャンペーンもやっています。
辛い サンバル 味覚
2010年06月03日
(^_-)-☆食は道端にあり
斜めからインドネシアを眺めよう 626
昨日とは話に内容がガラッと変わる。インドネシアに馴染む第一歩は食事をインドネシア人と同じに、一緒にすることで、出来ることです。これができない人にインドネシア人が、どうのこうのと言う資格はありません。
私の昼食はキャンティーンと言って食堂で従業員に皆さんと一緒に食べる、その昼食が不潔である、と書きました。しかし、毎日というわけではありません。昼食時に外出しているときには外で食べます。日本食レストランや中華料理のレストランは、近くにありません。あるのはパダン料理です。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage061.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
スマトラはブキッティンギの旅行記にパダンに近いということで紹介しています。パダン料理のレストランはどういうわけでインドネシア中どこにでも有るのでしょうか。東はパプアのジャヤプラ、西はアチェまで、どこの小都市にもあります。処が、私はこの料理が、ただただ辛いという理由で、全く苦手です。ということで、どこで食べるかというと、道端のカキリマ(もう何度も紹介していますが、人間の足日本と車が二つと前に倒れないように支えている木の足、合計五つの足ですから)で食べます。汚い、の一言、スプーンや容器類はぶらさげて持ってきたバケツ一杯の水で何回も洗います。それを見た日本人で吐き気をも催した人があるくらいです。
どんな名前の料理かというと、一番多いのがミーアヤム(ラーメンに鶏肉のカスと葉っぱが何枚か入っている)ミーバソ(バソという肉団子がいくつか入っている)ミールブス(日本でいうラーメンに近いが遠い)ブブールというお粥を食べることまできる。ゴレンガンはシンコンやタフ、テンペ等の揚げものです。ピサンゴレン(バナナの天麩羅)も一般的です。スープ類も多い、牛にどこの部位だか分からないが肉付きの骨のスープ、部分によってスープなんとかというのですが知っているのはソプブントゥットゥだけです。色々な種類があるようですが、一々名前を覚えていません。それらの他にナシと飲み物を頼みます。一般的な飲み物は、テー(紅茶?)ですが、テーマニス、テーディンギン、テーパナス、タワールといった種類があります。私はテーパナスのタワールを飲むことがおおい。コピーはコーヒーです。コピーといっただけでは、インドネシアのコーヒーが出されます。粉が溶けないのです。浮いていますがやがて沈むのを待ってのものかそのまま粉と一緒に飲むのかは本人次第です。砂糖をふんだんに入れて超甘くして飲むインドネシア人がおおい。私はずっと昔飲んでみましたが今は飲みません。インスタントコーヒーを頼む時も、粉が無いものを注文します。ネスカフェが一番高級で一番値段が高い。町の道端のテントレストランやカキリマではネスカフェを置いてない。
処で、私の今日に昼食はこのカキリマでした。粉切れのダギンアヤム(トリ肉)に骨が付いている、がりっと音をさせながら砕いて食べてしまう。ちょっと抵抗がある大きさだと、口の中で、チェックして。ペッ地面に吐き捨てます。一緒に通りがかりのインドネシア人が昼食に寄るのですが、変な日本人が一人でそこで食べているのを見て、呆れているようでもあり、一瞬、驚いたようにもみえて面白い。
カプアス川に掛る橋。
足五本 食器洗い 骨付き
2010年05月23日
すごい食文化
斜めからインドネシアを眺めよう 615
昼食の時にスイカやメロンをナイフで薄く切ったデザートがありますが、流石の私も時々、食べないことがあります。汚い板の上で、男の子の汚れた手で掴んで、飲んではいけないと言われている水道水で洗った切れないナイフで切ってくれるのです。其の一切れ、一切れをその汚い手で摘まんで、皿に盛ってくれるのです。
クルプックといって煎餅に一種が大きなプラスチックの箱に用意してある、それと、同じようにサンバルも同じような箱に一杯用意されている。その二種類は取りたいだけ取ればいいのです。サンバルはこれでもかというくらいに皆さん大サジで取ります。私は見向きもしません。
おかずは野菜のてんぷらや鶏肉のから揚げやテンペゴレン、野菜スープなどですが、いずれも、皆さんは沢山のサンバル(辛子)を掛けたり、塗ったりして食べる。本当の味は皆さんにわ分からないと思う。何でもかんでも激辛で食べるのです。味など分かるはずが無い、臭いも彼らには分からないと思う。タダタダ、ひたすらに辛くして、おいしいと言って食べているのです。
これには二つの効果あると思います。一つは消毒、滅菌効果だと思う。少々腐っているとか、少々の雑菌はこの辛子で消滅してしまうのでしょう。もう一つは味や臭いを感じさせない効果です。臭いとか、洗剤の臭いがするとか、焦げ臭いとか、腐ったにおいとか、ドブ臭いにおいとか、苦いような味など全部を消すと思う。彼らはそして何の不満もなく大量に食べているのです。
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私は辛いものはからっきしダメですから、辛くして何もかも消して食べるということはできません。ですから、そのものの味や臭いを感じます。油の臭いも色々です。それを皆さんに言っても分かりません。私は、味や臭いを純粋に感じながら食べています。決しておいしいとは思わないし、また、石鹸の臭いも時々感じます。灯油のような臭いも感じるが、そんなにまずいとも思わない。こんなものだろうなと思って食べている。皆さんに取っては、日本人が一人一緒に食べているということが、一つの安心感につながっているようですし、仲間意識も感じてくれているようだ。無理をしているのではない、私は、自然に皆さんと一緒の食事をしたいと思っているだけです。こんな不潔で危険が一杯のような食事でも私自身はこれを食べたからお腹を壊したということは一度もないので、一緒に食べて大丈夫だと思っている。ただし、これも、他の日本人にはお勧めしません。ただ、現実を見てほしいと思うだけです。
タイヤ二つと三角に支える足が付いて人が引っ張ってきて適当な道端で色々な食べ物を売る移動ミニ食堂です。カキリマ(kaki lima)五つの足、と言います。
会社の装置のクローズアップ。着々と準備は進んでいるが、いつ本格的に稼働を始めるかまだ定かではない。
消臭 気にしない 無関心
2010年05月21日
食文化のすごい一部
斜めからインドネシアを眺めよう 613
内容はガラッと変わります。グルメです。
典型的な道端の食堂、不法出店です。ここのメニューにも垂れ幕に書いてあるようにソプブントゥットゥSop bentutがあります。70円位でしょう。女性が下ごしらえをしています。普通のレストランでソプブントゥットゥとなると600円以上になる。高級ホテルのレストランではオックステール スープ2000円以上になります。私はピンキリまで食べたことがありますが、味は同じです。量は日本のラーメンどんぶりに一杯くらいです。骨付きの肉の厚さは2cm位で、三つ入っています。骨のまわりの肉付き量も牛の尻尾ですからそんなに変わらない。
場所代、人件費、材料費、容器費などの違いで値段が変わると思うが、もともとの牛の種類や病気などの管理をしているか、していないかでも尻尾の仕入れ値が違うのかもしれないし、高給レストランの長期保存で処分したい肉を引き取って使うのかもしれない。インドネシアですから、そういう、腐りかけている肉を扱うシンジケートがあっても自然だと思う。
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Bakso(バソ)という、日本でいう、肉団子がある。色はグレーである。見た目は魚のミンチを丸くしたように見える。どう見ても、挽肉を丸めたものより、もっと、練りこんであって中も両面のデコボコ感は全くない。これの値段がやはりピンキリで、ミーバソも50円から7〜800円の違いがある。人に聞くと、ヒドイ物は鼠の肉を大量に混ぜているとか、犬を大量に使っているとか、もっとひどい話で、肉ならならなんでもいいとばかり、ゴキブリや毛虫やムカデなども混ぜてしまっているという話もある。鳥フルで焼却処分されたはずの鶏肉が使われているとか。インドネシアですから、本当の話のような気もする。見た目では何の肉が使われているか誰にも分からない。DNAの分析をすれば分かるでしょうが、流通の百万分の一もチェックはできない。
我が社
の社員食堂の昼食用のご飯です。中に杓文字が見えますが、各自、この杓文字を使って、自分の皿に好きな量だけ盛ります。全員がこの容器の中に上から手を入れて掬うのです。手や袖に着いている埃は全部この容器の中に落ちます。其の杓文字はご飯の上に置いてあります。それを掴むとき手がご飯に触ります。杓文字に着いた汚れがご飯に触っています。何十人と同じ事を繰り返すのです。これは一例で、その他にも指摘する処は沢山あり過ぎて不潔さは目を覆いたくなりますが、私は皆さんと同じようにこれを食べています。他の日本人は、この食堂に近づきません。もし、私以外の日本人がここの食事を一緒にしたら、たちまち、下痢や腹痛に見舞われるでしょう。そして、この様子を批判するでしょう。しかし、この様子を全く知りません。
“未だに示されていない就業規則“の案に会社は従業員の安全と衛生に関して常に考慮するということが明記してありますが、この状況で、十分、考慮しているというのでしょね、きっと。
インドネシア ピンキリ 不潔
2010年04月10日
斜めからインドネシアを眺めよう 572(頭がパニくり)
朝08:00金型屋へ金型を持ち込み、金型の修正をし、17:00に受け取りに行って、18:30再トライ開始、今も、トライ中、明日も出勤になりそう。なんとか、明日中には完成させないと、客先に申し訳ない。インドネシアでこの歳になって、こんな難しいことに直面するとは予測していなかった。私の頭はパニックになりそう。疲れているが、緊張しているので、動きには影響していない。パニック障害とは無関係なので、薬を飲んではいない。これから、後、二三時間はトライを続ける。
客先や金型屋に自分で運転して一日三回以上外出している。朝の通勤時間や夕方の退社時間にバイクと勝負しながらの運転だが、運転に対しては何の緊張もないと思っている。事実、ぼんやり考え事をしながら運転している時の方が多い。
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援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。
otak-otak@nanbu.co.idが、新しい私のメールアドレスです。
otak-otak@makuta.co.idは使えなくしました。
会社の従業員の食事について、観察する。何社かのキャンティーン(食堂)の様子をしているが、大体の会社は、丸い弁当箱食事である。不思議に四角い弁当箱は稀である。その中身は、鳥のから揚げや豆腐のフライや野菜のてんぷら、スープも付いている。味は私にしてみると、ただ、ひたすら、辛い。私も、従業員と一緒に食事をします。日本人こういう人は他にいないと思う。それだけ、味が日本人になじまないし、何よりも、食べ物や食器類やさじやフォークが汚い、不潔と感じているからだと思う。それを皆さんと一緒に食べ続ける勇気のある人はいないのだと思う。
今の会社の、昼食は、業者が会社の食堂へ料理済みの食べ物をまとめて持ってきて、金属の薄っぺらな皿に盛ってくれてある。その皿を各自取って、スープ、果物、クルプックを好みで追加し、大きなプラスチックの深い容器に入っているご飯を中に入っている杓文字で、好きなだけ、掬い取って、自分の皿に盛る。その中は上から手を入れて、杓文字を取るので、上から、各自の汚れや埃が入る。杓文字を取るときに、人の手がご飯に触れる。スプーンやフォークはプラスチックの箱に濡れたまま置いてある。そこから摘まみ取って使うのだが、一応、ティッシュが置かれているので、それで拭いてから使う。洗う水は、飲んではいけない水道の水である。それでも、みなさん、構わないと思っているようで、文句が無い。私も、それに付きあっているのだが、私は、この状況を改善して上げたいと望んでいるが、他の日本人は、絶対に付き合えないでしょう。そして、それを見ないし、改善して上げたいとも思わないでしょう。
お口直しの娘と孫、日本での短期留学入園の保育園で、と今年大学院進学した息子。
http://blogs.yahoo.co.jp/yanto20012001/folder/1174987.html自慢の息子ヤント君のヤフーブログです。
昨日、真夜中、12時ころ、帰宅途中の高速道路が自然渋滞に練っていたので、眠気さましで、ドイツへ電話をした。5才の孫が電話を話さず、日本語で自分の名前が書けるとか、妹の名前も書けるとか、挙句に、日本語の歌を覚えたから聞いてと言って電話の向こうで、歌いだした。雛祭りとか富士山である。私も、一緒に歌った。電話で、孫と合唱して、かなり気分を良くした。
2010年04月05日
斜めからインドネシアを眺めよう 567(カリマンタン)
昨日の私の夕食は旅先でいつものように食べている、道端テントのpecer rereから戻って家にいる。午前中は、まだ、カリマンタンにいた。空港へ入る前、午前中は、二か所の自然動物公園に連れて行ってもらった。どちらも、今一今二でワニを見たりオランウタンを見たりしたが、環境の保存が全く、継続していなくて、荒れ放題、ゴミの捨て放題、いかにも、インドネシアの田舎の自然公園である。その中にひときわ目立つ環境省の建物があるが、そこに人がいて、自然環境について、ないか、手を打っている様子が感じられない。こんなところにいる動物たちは可哀そうである。オランウタンの保護状態もなっていないと思う。大きな檻に集団で閉じ込められている。自然の中で放し飼いというには程遠い。そこの、係り員の数は、はるかにオランウタンの数より多い。彼らは、手持無沙汰で、なにもしていない。
ジャカルタ近郊のタマンサファリやラグナンの動物たちの方が、数段恵まれている。カリカンタン(Kaliとは川、Mantanはマウンテンからきている)というくらいだから、水と山の土地である。未開のジャングルに覆われたそこかしこはオランウタン等の動物にとっては、天国である。捕まえて、保護しようとするのは、人間のエゴである。自然保護地区があるのだから、それを拡張し、放したらいいと思う。悪いやつはいるものだから、それら人間からをショッタウトする人間を増やせばいい。インドネシアだから、その、レンジャーみたいな人が、手引きをして、動物を捕まえさせる可能性があるので、二重三重の警戒は必要だと思う。
とにかく、自然保護の精神というか、必要性をインドネシアの多くの人たちは、感じていないように思う。
出来れば、乾季また、行ってみたいとおもう。
ナマズの唐揚げ(ペチェルレレ)とバクソと言って、色々な肉をすりつぶして団子にしたもの。サンバルを着けて食べるのが、一般的。
自然 動物 荒廃インドネシアで楽しく暮らす 15−567(カリマンタン)
斜めからインドネシアを眺めよう 567
昨日の私の夕食は旅先でいつものように食べている、道端テントのpecer rereから戻って家にいる。午前中は、まだ、カリマンタンにいた。空港へ入る前、午前中は、二か所の自然動物公園に連れて行ってもらった。どちらも、今一今二でワニを見たりオランウタンを見たりしたが、環境の保存が全く、継続していなくて、荒れ放題、ゴミの捨て放題、いかにも、インドネシアの田舎の自然公園である。その中にひときわ目立つ環境省の建物があるが、そこに人がいて、自然環境について、ないか、手を打っている様子が感じられない。こんなところにいる動物たちは可哀そうである。オランウタンの保護状態もなっていないと思う。大きな檻に集団で閉じ込められている。自然の中で放し飼いというには程遠い。そこの、係り員の数は、はるかにオランウタンの数より多い。彼らは、手持無沙汰で、なにもしていない。
ジャカルタ近郊のタマンサファリやラグナンの動物たちの方が、数段恵まれている。カリカンタン(Kaliとは川、Mantanはマウンテンからきている)というくらいだから、水と山の土地である。未開のジャングルに覆われたそこかしこはオランウタン等の動物にとっては、天国である。捕まえて、保護しようとするのは、人間のエゴである。自然保護地区があるのだから、それを拡張し、放したらいいと思う。悪いやつはいるものだから、それら人間からをショッタウトする人間を増やせばいい。インドネシアだから、その、レンジャーみたいな人が、手引きをして、動物を捕まえさせる可能性があるので、二重三重の警戒は必要だと思う。
とにかく、自然保護の精神というか、必要性をインドネシアの多くの人たちは、感じていないように思う。
出来れば、乾季また、行ってみたいとおもう。
ナマズの唐揚げ(ペチェルレレ)とバクソと言って、色々な肉をすりつぶして団子にしたもの。サンバルを着けて食べるのが、一般的。
2010年03月01日
斜めからインドネシアを眺めよう 532(豊富な天然資源)
昨日とはうって替わって目的地に行くことができた。それも、アンペラ橋のたもとから、ポンポン船をチャーターして、Puleu Kemarao へいった。Musi川の川幅はこのパレンバンの街を通過する場所では500mはありそうで数千トンともわれるフリーや貨物船が行き交っている。石炭、天然ガス、小麦やコメ、その他、ガソリンや灯油、軽油を積んでいる船も往来している。正に大動脈である。100km以上下流のバンカ海峡にそそいでいて、マラッカ海峡に出てジャカルタなど向かう。ジャカルタ発の大型フェリーがぎりぎりの状態でJembatan Ampera(アムペラ橋)の真ん中を通過していた。私は思わず頭を下げてしまった。
両岸にはプルタミナのガスステーションやプルタミニが水の上に浮いた状態で作られていた。タンクローリー風の給油船も当然行き来している。その状態は、カリマンタンのバリトー川やマカカム川でもみられた。
大変活気がある資源搬出基地という感じで、嘗て、日本がこの土地を手に入れたかった理由が分かった。化石燃料資源が殆どない日本は南方に向かい、スマトラやボレネオ(カリマンタン北部)を先ず、手に入れたかったのでした。
30分ほど河口に向かうと目的の中華系のけばけばしい何重かの塔が見えてきた。直径は100mほどでしょうか、川幅の五分の一位でした。昨日の夜まで三日間、この島のお祭りがあって、お賑わいだったそうで、その名残で、ゴミだらけ、それを燃やす煙が行くぐるしくさせてくれた。塔は九重でした。上ることはできず。他にも、日本のお寺や陣所のようにお百度参りのようなものをしている風景も見られた。私も他の場所で、やったことがあるが、めんどくさいし、いちいち、紙を焼くのが嫌で、二度とインドネシアのブッディストの祈り方はしない。今回も、簡単に賽銭を投げて手を合わせただけだった。
それにしても、ここは裏切り観光地の候補に立候補させたい。
土産物を買って、空港に向かった。otak-otakとpempekをCANDYという店で買った。Otak-otakは空港へ着く前に10本全部食べてしまった。Pempekの味はotak-otakと同じであるが、バナナの葉っぱに包まれていない。インドネシア人はいずれも、大変からいサンバルを着けておいしいおいしいと言って食べる。私は、辛いだけでおいしくも何ともない、何もつけないでそのまま立出た方がおいしい、ワサビ醤油で食べれば、なおおいしいはずである。私の、メールアドレスはotakatsuoとotak-otakを掛けてある。
装置の移転は終わり、電気などの接続も終わった。明日は、スイッチオンセレモニーが行われる。
Jembatan Ampera(アムペラ橋)をくぐる大型フェリーその名もJembatan Musi 1 Jakartaと言います。ご存知かた焼きそばIfu Mieです。リバーサイド レストランで食べた。
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援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。先ほどPT.NANBUで押出の成形が始まりました。佐々木会長を迎えて、押出だけのささやかなスイッチオンを行いました。
インドネシアの押出成形業界の中心になります。