2013年02月16日

(^_-)-☆首がつらい

 1492 インドンシアの散髪屋では、上向きで髪の毛を洗う。日本の今はどうでしょうか。十何年も日本で理髪店や美容院に行っていないので、どうなっているのでしょうか、昔、行った時には、頭髪を洗う時に、下向きに頭を下げて洗っていた。自分で、風呂場で洗う時も、顔に水は掛かるが、何の抵抗もなく、当たり前だと思っていた。
ところが、インドネシアのどこのヘアーサロンへ行っても、仰向けにされる。それだけならいいのだが、頭の後ろを洗う時に頭を浮かせなければならい、二三十秒でしょうか、そう長くないのかもしれないが、何回か持ち上げなければならない。私の頭が重いのか、首がつらい。首の筋肉を鍛えている感じがある。それが、十年以上前と比較すると、つらさが、増してきている。いつか、首を持ち上げられなくなる時が来るのではないかと思う。実際、お年寄りや首の骨の椎間板ヘルニアなどになっている人は、頭を浮かせることができない人もいるに違いない。
下向きにして、なぜ洗わないのでしょうか。顔に水やシャンプーが掛かるのを嫌うからでしょうか、自分の家のカマールマンディでは、立ったまま、頭から柄杓で水をかぶっているはずだから、そんな理由ではないと思う。
一軒くらい、下向きで洗うヘアーサロンが有ってもいいのではないかと思う。そういう、思いつきは全くないのでしょうね。その方が、しっかりきれいにシャンプーを落とせると思うのですが。
もっとも、こちらのヘアーサロンというか散髪屋では、頭を洗うと追加料金を払わなければならない。ちょっとした、ヘアーサロンだと、カットする人は頭を洗うことはしないで、頭を洗う担当者が別にいるのが、普通です。だから、カットだけして、洗髪をない人が多い。払うだけで終わりが普通。
シンガポールの空港の日本人の散髪屋は、水を使わない。掃除機で頭に残っている毛を吸いこんで綺麗にした後、櫛で梳かして、一兆出来上がりだった。これはいいアイディア。
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 一天にわかにかき曇り、大粒の雨が来る。
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 ゴミの始末は誰がどうするのでしょうか。
首 頭 背中

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2012年07月26日

(^_-)-☆ガッカリのトップ

 1288 このことは、一種の災難です。体に良くない、ストレスがたまる。それが、真夜中から始まった。
オリンピックと言えば、海外に住む日本人が一番いらいらする期間です。何故だか分りますか、海外赴任してから、サッカーのワールドカップやオリンピックといった世界のスポーツ祭典を経験したことが無い人にはまだ分からないでしょう。日本でしか、この関連放送を見たことが無い人も分かりません。
 今、私はインドネシアでNHKワールドもプレミアムも受信していないので、過去の経験から書きますが、一か月前ほどから、その期間中の番組編成が大幅に変わるという予告が現れる。そして、実際、その期間は変わる。そうでなくても、普段から、あまり、興味のある番組が少ないのに、この期間は、なお、つまらない番組、特に再放送の番組が多く流される。手抜きもいいところである。他の外国放送局は無料だが、NHKだけ有料で、インドネシアでは50US$/月、払わなければならないのにもかかわらずで、ある。
 定時のニュースは流されるが、オリンピック関連になると、静止画になってしまう、そして、放映権の都合で流せないと、いちいち、テロップが出る。たまには、間違えて、少しでも動画が流せれる事を期待している人も多いと思うが、確実に静止画になってしまう。
 一日の内の何回はオリンピックニュースという特番がある。しかし、成績表とその人物のオリンピック以外の写真が出るだけで、そして、日本や現地で喜んでいる関係者へのインタビューや現地の様子は、動画で流される。どうでもいいものだけが動画で、ぜひ見たいものは、写真、それも、期間中、同じ写真である。
 外国に住んでいて飛び抜けてトップのガッカリ現象です。料金を払って見ているのに、ひどい裏切りだと思う。NHKさん、どうにもならないのでしょうね。

 つまらない番組が多いし、再放送が多いし、見たい番組があっても、放送時間が家でくつろぐ時間と一致しない。オリンピックの時の裏切り行為を許せない。ということで、私はNHKと契約はしない。当たり前のことだが、通常番組はインドネシアのテレビを見ている方が面白いし、インドネシアの事情もよくわかる。日本人選手の活躍は、オリンピックやその他の日本以外のスポーツでもネットでチェックすれば十分である。何より、NHKに頼らなければ、がっかりすることもないし、余計な支出をすることもない。それにしても、初めて、経験した人は、NHKには落胆することでしょう。あらかじめ、そういうものだと、悟っておいた方がいいですよ。
IMG_6096.JPGIMG_6090.JPG 落胆 憤慨 ガッカリ
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2011年08月31日

(^_-)-☆人はどこへ消えたの

斜めからインドネシアを見る 958
日本の、元旦に当たります。今日と明日はナショナルホリデーです。ゴルフ場もクローズなので、完全休養日です。
Selamat Idulfitri. Mohon maaf lahir dan batin スラマッ イドゥルフィトゥリ、モホン マアフ ラヒル ダン バティン「断食明けおめでとう、心身ともにごめんなさい」と言います。ごめんなさいは、両親などに泣きながら言うのがスタイルです。一年の罪や後ろめたさが、解消されるらしい。なんだと思うが、イスラムの人達は単なる儀式や通り文句ではなく、真剣にそう思っているらしい。
もっと、普段から、色々考え、反省し、過ちをしないように心がけ、断食明けに、謝らなくても、良いようにしたらどう?と、思うが、どうでもいいか。

暇なので、会社へ行って、来年三月末までの契約延長の書類にサインをしてきた。経理の方が、一か月後に帰ってしまうので、その交代の人が来ていて、引き継ぎのために出勤をしていた。
また、射出の関係の人も、日本との連絡のために出てきていた。皆さん、大変だなと思う。いろいろ、複雑な事情があって、インドネシアの取引先もこの会社も操業していないが、日本サイドどうしで、いろいろ、話があるらしくて、その話を勧めるために、どうしも、インドネシアの担当者に確認しながらやらなければならないらしい。インドネシアだけで進めればいいと思うのだが、日本がコントロールしたいのでしょう。任せる、という、考えは、日本サイドの地位の高い人達は、できないのでしょう。余裕というか、包容力というか、人間の大きさがたりないのでしょうね。なにもかも、自分が、口を挟まないと気が済まないのでしょうね。

  高速道路から、車が消えた。こんな閑散を経験したのは、1998年の大暴動の翌々日ジャカルタまで暴動跡の見物に行った時以来です。あまりにも、普段の渋滞との落差の大きさに感心するばかりです。今日の夕方あたりには、徐々に車は増えていた。
 ところで、昨晩のジャカルタは、最期のプアサ開けと大晦日の夜と会って、高速道路は閑散でしたが、降りると、車とバイクで渋滞、ショッピングモールはどこも夜遅くまで混雑したようです。ムディックをしないジャカルタッ子が葉目を外している。スディルマンからブロックMに向かってみた。日本人のためのレストランやカラオケがあるブロックは全く営業している気配が無く、真っ暗のままでしたが、ブロックMスクエアーに来た、バイク群の駐車場になっていた。パパヤも閉まっていた。各店の前にはいつからいつまで休みと書いてある紙が貼られていたが、車から降りて、確認はしなかった。おそらく、5日月曜日辺りから平常に戻るのではないでしょうか。

 それと、始めて、知ったのが、パサラヤの横に鉄道でしょうか、モノレールには見えなかったが、高架で敷設工事が進んでいた。既に一部ではレールが敷かれているように見えた。どうやら、どこかのモノレールのように遺跡になってしまうことは無いようです。こんどこそ、頼みますよという感じです。
 IMG_1496.JPGIMG_1495.JPG超閑散の高速道路と、チカランバラッの出口付近。
 超閑散 出社 御免なさい

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2010年12月23日

(^_-)-☆どうなるの


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   斜めからインドネシアを眺める 826
   中部ジャワのムラピ山の噴火による火山灰で唐辛子が不作になり二倍以上の化買うになっている。また、東部ジャワの東端バニュワンギ付近では、天候が不順で強風による稲の不作、海では漁に出る機会が少なく,不漁になっていて魚の価格が二倍とか。インドネシアもなんだかんだと大変です。
 どうしようか、困ってしまうことになった。26日の夜、なんと、長野県で打合せがある。昼ごろ、東京経由で今まで一度も乗ったことが無い長野の方へ行く新幹線で軽井沢へ行かなければならなくなった。雪だろうな、寒いだろうな、何新幹線というのでしょうか、長野の方行く新幹線はどこから乗るのでしょうか。軽井沢プリンスってまだあるのだろうか、泊ってスキーをしたいが、27日夕方には静岡にいなければならない。
てな具合で、ひょんなことから、ひょんな方向が現れてしまった。それも、押出成形の仕事ではなく、射出成型絡みの会社の手伝いに係わるかもしれないという話である。このことを置いておいて。

ある方と話をする機会があって、一つのゲートを通り過ぎた。それでも、まだ決断の段階ではない。場合によっては掛け持ちで仕事をしなければならなくなるかもしれない。そうなると、コンサルタント的な仕事というのが、現実味を帯びてくる。本当に迷わされる。

実をいうと、自信がそれほどあるわけではない。何社から期待を掛けられているのですが、私自身、押出成形技術以外は、そんなに期待を掛けられる程の能力はないと思っている。勿論、体力的にも、自身、歯がゆく思うくらい、落ちている。期待通りの働きが出来ないのではないかという心配がある。

結論らしい話として、完全にこの会社から出て他の会社の手伝いをするが、一年を限度にして、日本の本社直轄の開発センターかインドネシアのこの会社に入るということで了解らしきものを得た。その間、技術的な手伝いは、頼まれればすることも約束した。

 日本の大手メーカーの方から電話が入った。その会社、今、ちょっと厄介な問題を抱えていて、その方も、心労が絶えない中、私のことで、心配してくれていてありがたく思っています。何とかこの会社の仕事の手伝いもしてあげなければならないと思っているのですが、そういうことが出来る状態になれる場所を作ることも含めて、迷いの中から抜け出せない。
いつまた、会えるのでしょうか。彼女達と。
 複雑  転職  面接

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2010年12月22日

(^_-)-☆形になってきた


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   斜めからインドネシアを眺める 825
 受注生産の会社、工場は、なかなか、スタートが大変である。多くの会社の下請けになろうとする会社なので、それなりの準備が必要だし、客先からの厳しい監査をくぐり抜け、任せても大丈夫だというお墨付きを貰わなければ、なにも始まらない。
社長を始め、第一工場、第二工場、押出、射出、塗装、真空蒸着、営業、経理などなど、日本人の着任が揃ってきている。既に10人以上の日本人が赴任してきている。来年初めにもう二人増えるらしい。私ともう一人が出るが、それにしても、一般的に百人に一人と言われている日本人が今は二十人に一人以上の割です。これから、どんどん装置を入れて、人も入れて、急激に生産量を拡大する予定になっている。順調に予定通りに伸びることを祈る。
 押出のISOは既に取ってあったが、会社全体としてもISOの認定を受けた。来年から、いよいよ、インドネシアで目立った動きを開始するでしょう。

 会社に申請できずに自腹で金型の修繕を頼んでいたものが多かったが、今日、其の最後の支払いを終えて、未払いは無くした。勿論,会社へ寄付する部分が多いが、自身の研究や勉強になっているので、普通だと思っている。
その他には身辺整理はなにもなし、また、すぐ、インドネシアへ出てくるので、現在の会社関係以外は全て継続である。切る物は何もない。

 会社から出るが、今回は自分から望んだ道だから、円満退社ということになるだろうし、この会社との縁が全くなくなるとは考えていないので、また、いずれかの機会に潜り込むかもしれないし、外部からお手伝いすることになるかもしれない。とにかく、先ほど到着したVIPとの話が残っているし、日本でも年末年始で二日に渡って顔を突き合わせることになっているので、縁は切ることはできないし、切る必要もないし、切られてしまうこともあり得ない。お付き合いは続く。

 AFFスズキカップの決勝はマレーシアと26日マレーシア29日インドネシアで行われるらしい。
 チアトル付近の道の様子。登り下りに右往左往の連続である。
 手伝い 縁  近況

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2010年10月21日

(^_-)-☆技術専門学校


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  斜めからインドネシアを眺める 764
  JABABEKAのプレジデント大学のすぐ裏にある金属加工技術専門学校を見学してきた。あるその学校の卒業生から、ぜひ、見に来てほしい、そして、こういう学校があることを知ってほしいと前々から言われていた。
 場所は、ジャバベカゴルフの直ぐ近く、しかし、まだ舗装されていない路地を通って行くし、その両側が竹やぶになっているので、メイン道路からは見えないし、知らない人はちょっと怖くて入り込めないようなところでした。
 AKADEMI TEHNIK MESIN INDUSTRI(ATMI)
Jl.Kampus Hijau No.3 Jababeka Education Park Cikarang Baru.Bekasi
まだ、全施設が完成していないが、近代的な各種工作機械が何十台も置かれていて、実際に注文を受けて物作りをしていた。会社形式になっていて、そこにいる人の10%ほどは卒業生で、従業員で指導員になっている。実習生も二交代勤務(6〜15時と14〜23時)の形式になっていて、休めば欠勤扱いで成績に響くようになっていて、タイムカードで管理している。一学年80人で全校生徒240人、過去5回の卒業生を出しているが、就職率100%だそうです。日系企業に就職は60%だそうです。二年後には射出成型機を入れてそちらの方の学科も増やすそうだ。
  雰囲気は大変活気が当て訓練に皆さん燃えているように見えて、町中にある工業専門学校に比べれば、即戦力になる雰囲気は十分だと思う。

 インドネシアでは高校卒の子が通う専門学校が各種、沢山ある。語学校、経理学校、コンピューター学校、秘書学校、金属や木工加工学校などなど、高卒の男の子の就職率はおそらく、50%くらいだと思う。その点女性の就職率は90%を超える。そこで、就職できなかった男の子が手に職を付けるために、専門学校へ通うのです。これ等の、多くの学校は、月曜日から金曜日まで一日二時間程度の授業があるだけそして、朝から夜10時くらいまで、入れかわり立ち替わり学生がやってくるのです。専門学校の前にはいつもバイクが所狭しと並んでいる。勉強意欲は旺盛だと思うが、とにかく、基礎学力が低いので、意欲ほどにはレベルが高くないようだ。一部の優秀な子を除いては、大体、出来る、出来るということを信じて期待すると想定したより能力が低く、落胆させられることが多い。それも、かなり、落胆させられる。
  
MM2100の中のCafé Alfaというフードコートでメニューの一例、ソプブントゥットゥの値段が15000Rp(150円)です。私が食事をしていたら、人懐こく、近づいてきた女の子、ピサンゴレン(バナナの天麩羅)をくわえている。
  
学び  専門知識  意欲

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2010年10月19日

(^_-)-☆ジャカルタにて


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 斜めからインドネシアを眺める 762
 家にいてのんびりしようと思っていたが、どうも、落ち着かない。10時過ぎにジャカルタへ向かった。日曜日のジャカルタへの高速道路はガラガラに空いていて、平日の大交通渋滞が信じられないほどだ。スマンギで降りて、南に向かい、ブロックMのパサラヤへ行ってみた。数年前と殆ど変っていないが、バスターミナルとパサラヤの間にあった、雑然としたパサールが姿を消していてそのあたりが広くなっていた。しかし、その開放的になった場所は瓦礫がのこりゴミに山も残り、道は舗装されておらずに凸凹状態、いつごろからこうなっているのか知らないが、整備すれば繁華街になると思うが、その気配は無かった。グラメディアの前の通りである。閑散としたパサラヤの横の道を通ってゆくので、なんとなく恐い気がする。以前のようにテント店が両側にあり、騒然としていた通りの方が行きか安かった。

本屋の数が少ない上に置いてある本は宗教関係が最大量で、次が、小説、マンガ。その次が小中高生の参考書や問題集。その次がコンピューター関連。旅行、観光案内と続くが、専門書は殆ど無いといっていい。経済、科学、化学、物理、数学、医学、こういう関係のコーナーのある本屋は殆どんない。唯一、グラメディアという全国チェーンの本屋のそれも超大都市の店にほんの少し置いてあるだけです。プラスチックの成形など、工場で作るものに関しては全くない。十数年前に無かったし、今でもない。射出成型の本くらいありそうなものだが全くない。
  こちらの本屋の多くは文房具やその他書類に関する道具や計算機などのコーナーもあり、小さな小道具なども売っている。万引きが多いのでしょう。本屋に限らないが、物を入れる物は全て、入口のカウンターに預ける。

 スディルマン通りのラトプラザへ行って、例のソフトコピーを仕入れた。3Dオートキャドの2010が二百円、その他のものもおして知るべしである。こういう店がこのモールに四軒ある。いずれも、店員のサービスは良い。店に入ると何を探しているのか必ず聞いてきて、そのコーナーに案内してくれる。しかし、もう、数年前から堂々とジャカルタの中心でコーピーを売っていられるというのが、インドネシアだと思う。

地下のカルフールがロッテマートに変わっていた。チビトゥンのマクロもロッテマートに変わっているわけで、ロッテマートは色々なショッピングモールを買収していることが分かった。全部で15のレジの前に係員が立って待っていた。私は行った時はお客さんが少なく5か所しか使っていなかった。私が近づいたら、係員が空いている近くのキャッシャーに案内して、直ぐにカントしてくれた。袋詰めの人と二人掛りだった。インドネシアでは土日のスーパーでの買い物はレジで30分くらい待つこともある。こういうスタイルのスーパーに当たったのは初めてである。韓国スタイルなのでしょうか。日本スタイルより以上に丁寧でその場の人も多かった。
スーパーの魚売りコーナー、生簀で飼いながら売っている。ナマズはどうですか。ほとんど丸ごとから揚げにして食べます。おいしいですよ。
繁華街  変化  本屋

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2010年09月28日

(^_-)-☆終盤の寄せ次の一手


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 斜めからインドネシアを眺める 741
  この会社の押出部門が順調かどうかは私の判断によれば、若干の滞りはあったが、おおむね大変順調に推移していると思っている。しかし、見る人によっては、もたもたしていると評価する人がいてもそれはそれで基準の違いなのであることだと思う。
小さい所帯で安定して確実の徐々に利益を上げてゆくやり方が私にとっては一番望ましい。大きなプレッシャーを回りに掛けなくても、私の力量で出来る範囲までに収めたいと常に思っている。売り上げも利益もほどほどでいいと思っている。それ以上の事は必要無いし、求めない。
実際、私がいた全ての場所で利益を常に上げていた。そして、客先にも満足していただいていた。そして、部下たちにも相当の配分をしていた。特に私が太田化工として経営していた沼津(現S社)の時と静岡の時には無借金経営で、自分の手形を切ることは無かった。こじんまりした規模にもかかわらず、常に高額納税をしていた。インドネシアへ来てからも、私の部門は本社や他の日本人の手助けを必要としないで、最初から利益を上げていた。だから、私のやり方なら、大きくはならないが、確実に儲かるし、従業員も明るく仕事ができるのです。私が手伝って、主に射出成形をしていた同じ会社の中でも押出は確実に利益を上げていた。東プラ精工、PT.KITAGAWAの中で、勿論、間違いなく利益を上げていた。扱われ方はどうしても押出部門に不利な状況でした。
そんなことで、大量生産、大量利益と大きく拡張しようとする今の会社には、方針は正しいと思うし、成功もしてほしいと思うが、私の考え方は全く馴染まない。私が、それに、協力することは能力的にも年齢的にも無理である。近い将来邪魔者になる可能性すらあると思う。これまでの私の役割は何であったのだろうか分からないが、役割は終わったと思う。出来るだけ早い時期に次の手を探らなければならない。迷惑を掛けないように引き際を探ることになる。技術者としての次の一手であって、何もしないで日本へ帰って隠居という一手は100%ないが。

ドイツ、ニュールンベルグのベンツのミニバス、外観と内部、インドネシアのミニバス、コアシとは別物のように綺麗でこれが普通だと思う。

読み  何手先  引き際

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2010年02月20日

斜めからインドネシアを眺めよう 523(違いが分かる男)


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雨季の最終章、朝から夜中までずっと降り続き日が多くなっている。
今回は、既にPT,NANBUのダイレクターとして届けが出ているらしい。インドネシアの住民になっているのは私だけ何ので、私の名前で色々な申請がされているらしいが、何の申請に私の名前が使われているのか知らない。納税証明書や健康保険証のコピーを総務から求められた。作業を進めるそれぞれの担当者は全員がKITAGAWA時代の同僚でお互いに分かりあっているので、話は通じやすいし、遠慮が無い。良い傾向です。

 今後一二か月の間に、射出関係の日本人が各事業所からの寄せ集めで最低、6人は入ってくる。キタガワと最初から大きく違うのは、製造会社としての取り組み方である。日本側が、仕事を探し、其の仕事が軌道に乗るまでチームが面倒をみるやり方です。打ち合わせは、日本会社同士でやるので、話は正確で早い。南部化成の今までの海外製造拠点は全部、日本のどこか一か所が面倒を見ていたが、インドネシアのPT.NANBUは三か所の事業所からの仕事が入る予定で、それぞれが面倒をみるのか、纏めて一か所が面倒をみるのか、まだ決まっていない。いずれにしても、チームを組んで、一プリジェクトで最低5人くらいは乗り込んでくるはずで、各位事業所から、それぞれのプロジェクトで乗り込んでくれば一遍に15人位が来てしまう事になる。
もし、そんなことにならないにしても、射出成形の仕事ばかりなので、面積的にも売り上げ的にも押出部門はかすんでしまうようになる可能性が高い。利益面では別です。確実に利益はあげてゆきます。日本側が押出の面倒をみることはないし、私を望まない、勉強に来るなら、私が面倒をみることになる。
そんな環境になるので、押出を高く評価する人間が来る可能性はほとんどない。結局、KITAGAWAやAFMIのときと同じ扱いにされてしまうことを恐れる。経験から、代表者には、分離独立の組織と経理をお願いしている。固定費の配分も、私が納得できる比重にしてもらうことを頼んである。組織上、上に位置していても、実際に何も知らないで、押出に係われない人たちは固定費の対象から外してもらう事にする。従業員の人事考課も私がする。給料の査定も私がする。利益面で、少しでも会社全体にプラスになっていれば、オペレ^ターに厚く配分をする。私が経営していた太田化工の様にである。

購入する5ラインのストローを作っていた押出機、水槽、引取機、自動カター、補助押出機三台で600万円、韓国製で、平均8年ものである。
今日、行ってきたカラワンのイムグレ事務所、三十分もかからないで手続きは終わり、来週、水曜日に、新たな住民票(KITAS)を受け取ることになる。しかし、今回は特別で、一か月後前後には、キャンセルしてしまい。PT.NANBUからのインビテーションレターを待って、直ちにシンガポールでワーキングビザを取り直す。この手続き全てを、他の日本人とは別行動で、安く、早く、仕上げてしまい。そういうことができるという見本を皆さんに示す。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%203.html
インドネシアの主な島には全部行っています。旅行記はこちらからです。それでも、行きつくしてしまったと感じることはない。来週は、スマトラのパレンバンへ行くことになっています。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

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2010年02月15日

斜めからインドネシアを眺めよう 518(究極のパワハラ)


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セントバレンタインデー(Hari Kasih Sayang)とイムレック(春節)が重なった。イスラム国家でも、両方とも賑やかである。イスラムの人も両方に参加する。両方を楽しむ。ジルバブの女性が薔薇の花を持って、真っ赤な飾りをしてあるお寺の境内にいるという風景は面白い。

最初から、他の人に出きるだけ迷惑をかけないように、私自身が、帰国のタイミングを探っていたのです。実際日本人の誰の世話にもならなかったし、頼りにする人はいなかった。邪魔な人の世話をしただけだった。早ければ早い方がいい。そのために、いろいろなところへ行き、いろいろな専門家の意見を聞きたかったのでした。しかし、結局、どこからも、誰からも其れに従おうという処置や意見を聞くことはできなかった。インドネシアにいてはどうにもならないで、自分がどんどん壊れていってしまうことを感じて、最期の決断をした。血液が時々脳細胞に行かなくなり、細胞が死んでしまうことを一番心配した。症状が治まっても、脳障害が残ってしまっては、程度にもよるが、仕事ができなくなってしまうことを心配した。早く治すにはどうしても帰国すると決めた。
一番、私が助かったのはマリアさんの行動力でした。彼女のおかげで、行動ができたし、帰国もできた。私が、もともと、彼女をプレマン(チンピラやドッラッグ)の世界から、助けたのですが、それ以上に彼女は、私の我侭を聞いてくれた。其れに引き換え、下手ノとうどウの無知と行動力の無さと、気遣いの無さにはほとほとあきれるばかりでした。言うことなすこと、ピントが外れていた。 “どうしようもない”だった。
 マリアさんの爪の垢を煎じて飲んでもらいたいくらいだ。彼女より、行動力、知識欲、など相当低い。モラルも低い。
どこまでもひどいもので、彼らは他人に、私が頑固で彼らの言う事を聞かない困った人だと言っているし、自分たちのお陰で、太田は助かったと言っている。「あいつは、参ったといわない、」と、周りにふれ回っていると同じ事、厄介な駄々っ子である。邪魔しただけなのに、的外れのことを口走っていただけなのに、なにも、私のための行動をしなかったのに、私を理由なくけなしただけなのに。
  彼らパワハラがなければ発病しなかったかもしれないし、早く回復していたかも知れないと思う。中傷ではない、真実である、それは本人たちが一番承知している事であるその証拠に、私がこれだけ書いても、何の反応もない。自分の行動が間違っていないと思っているなら、堂々と書き込んでください。それが出来ないことは分かっていますが。  
  皆さんはくれぐれもこういう目に会わないように祈っています。もしこういう目に会いそうなら、私に相談してください。
 大使館や領事館の人は広報で心の悩みや分からない病気にかかった人は、相談するように呼びかけてもらいたいと思いますし、同僚は何も分からなくても、対策について、領事館に相談するくらいの知恵と行動力を持っていて、いただきたいと思います。
 海外で、駆け込み場所もなく、会社では窓際に追いやられ、日本からの出張者からもしかとされ、それでも、客先に対しては責任を取らなければならない。上司は無知で行動しないのに、口から出まかせで、怒鳴る。こんな状態に置かれて、黙って引っこんでいるというのでしょうか。まだまど、書いていない、直接のパワハラはある。
 
 結局、彼らが、会社をたたむ方向に向かわせ、閉じる仕事を、最後はしているのですが、なかなか、明け渡すことができない状態で、実際、何もしないでまだ、インドネシアにいる。彼がいるだけで、通訳や運転所を含めて100万円以上浪費していることも、感じていない。
パニックがほぼ治って、手伝った会社もひどかった。この会社については、書く機会が必ずあります。それは、この会社が、やはり、立ち行かなくなったときです。そう遠い先ではありません。
この文章の事実について、反論がある人は、ぜき、ご意見を聞かせてください。
 K工業の方はぜひ読んでください。K工業になったころ、最大の貢献した人物が、現在、K工業の足を引っ張ってぶら下がっているだけの人に外国で、強烈なパワハラにあっているのです。
 私は、結局、日本のK工業には40年以上から係わり、インドネシアのPT.KITAGAWA創業から撤退まで、15年かかわっていたし、今も、関わっている。K工業にとって、こんなに長くかかわっている人は他にない。私が、今係わっている人の中で最長のはずです。日本でも、太田化工で、まだまだかかわり続けるはずです。
まだ、撤退できていないので、関わり続けるが、撤退した後についても他の会社になって、そこの跡地に関わることになるでしょう。必ず再入場します。
もう一社、再入場する会社があることも予告しておきます。EJIPではありませんMM2100です。
技術をもっていて、気持ちに余裕があり、他人にやさしい人は、どこでも、求められるのです。K工業にもそういう人が多くなってもらいたいと思います。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの開店案内はこちらから。

ブカシバラットのインターチェンジ近いショッピングモール。マンガアフリカという名前のマンガです。マンガマドゥに匹敵するおいしさ、甘さです。宮崎マンゴーも真っ青の味だと思う。日本へ持っていって、桐の箱へいれて売れば、1万円でも買い手がつくでしょう。これは一個百円位です。マンガの中では高い方です。

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2010年01月09日

斜めからインドネシアを眺めよう 481(次の一手)

駿河湾の西の端 御前崎
なぜ、買う側が、動くか動かないか点検しているのでしょうか。なぜ、買う側が、修理したらどうのくらいの金額がかかるか、点検しているのでしょうか。なぜ、買う側は売る側の人間に使えるか使えないか動かして見せてもらうことを要求しないのでしょうか。使えないものを使えるようにすることを要求しないのでしょうか。もう、仮契約から、一か月半くらいは過ぎている。しかし、一見しただけで、使えない、動かないという装置が何点もあるのに、修理をする気配がない。放置してある。明らかに使えればすぐにでも使いたい装置や道具である。
次の一手に無駄な長考が多すぎるし、結局、打った手は善手とは言えないことが多い。やっと、押出工場の工事の開始許可が下りたようですが、実際に,いつ始まるかが、また、心配の種である。実際に工事にかからなければ見通しが確定できない。

パプアで部落同士が合戦をしている。映画の撮影ではない、本当の合戦である。弓と槍で戦っている。楯も持っている。怪我人の多く出ている。警察は止めに入っていないで、遠巻きに眺めている。報道陣も警察も興味深げに写真やビデオを撮っている。

 汚職の最大の中心人物と目されているアンゴドがKPKからの召還を受けて出頭した。何カ月も、取り調べや事情聴取を受けていなかった。今も、警察は彼に対しての動きは全くしない。

 私の思惑通りに事が運ぶかどうかの提案をした。私は給料を殆どもらわないで、影で支えるし、目的を達成できればいいと思っている。提案がかなえられれば、是が非でも、ことがうまく行くように応援を惜しまない。


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2009年10月05日

斜めからインドネシアを眺めよう 385


東京オリンピックの誘致失敗。誘致活動に明け暮れた人、まっただ中で、必死に雰囲気を盛り上げようとした人たち。残念でした。それらの人々の落胆は大きかったと察します。石原都知事の談話で、落ちた原因を分析し、再度挑むかどうかは白紙、といっていたような気がする。
落ちた原因は分析しなくても分っている。大体、都だけが騒いでいて、日本の他の地域は関心がなかった。大阪の時の教訓が生かされていなかった。日本人の考え方として、国威発揚と国全体がどこかに追いつき追い越せというような団結意識もない。条件としてはシカゴも同じである。どちらも、立候補すべきではない地域だと思う。どこかに決まって、開催の直前に何かの原因で開催できなくなった時に名乗りを代替え地として名乗りをあげるなら大変紳士的だと思うし、そういう、意志表示をしておくことがいいと思う。
たしか、アジア大会で、そういうことがあったと思う。名古屋だったでしょうか、さすがだと思った。

 しかし、私は、最初から、この誘致は無茶だと思っていた。冷たい言い方だが、四カ国が残った時、リオに決まることは分かっていた。未開催地域のことを考えれば、他の三か所は最初から、自ら辞退すべきであったと思う。そして、逆に、援助を申し出るくらいの太っ腹が欲しかった。私と同じ様な考えを持っている日本人の方が多いかもしれません。

 日本やアメリカでもうやる必要はない。やれば立派に出来ることは誰もが分かっている。
どちらかといえば、やっと開ける力が付いてきた国や地域に、任せた方がいい。
 国力が上がったことや、国民に誇りをもってもらうために、開催したい都市出てくると思う。マドリードも何回も挑戦し、今度もだめだったが、ヨーロッパはロンドンが次だし、バルセロナ,自国で開催したのもつい最近である。
 
夢のような話であすが、ジャカルタが、立候補できれば、必ず誘致に成功するでしょう。
Padanbai港からGilimaduk港へ向かう途中の案内板。バリ島横断は、200Kmくらいあることが分かる。実際にはここから左に曲がってGilimadukへ向かったのですから、看板の距離よりも近い道を通って、ここまで来ています。180kmくらいで、三時間で走り抜けました。
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2009年08月27日

斜めからインドネシアを眺めよう 345



最近マレーシアに対しての不満が報じられることが多い。インドネシア人の女性が大勢、メードとしてマレーシアで働いている、そのメード達がセクハラや暴力にさらされている、自殺をしたとして、亡くなった例も多い。実際自殺かどうかは確認できない。大やけどをおったメードも多い。
また、マレーシア人に嫁いだ女性が家庭内暴力や家庭内監禁の被害を受けているという話も伝えられている。マノハラ事件については以前書いた。
カリマンタンの北西では、小島の領有を巡って、キナ臭い話が絶えない。両国の海軍がお互いに領海に侵入したとクレームを付けあっている。海底石油採掘地として非常に有望な地帯である。
今度は、インドネシアのニュースで、マレーシアの観光局がインドネシアの文化を丸のみにしてキャンペーンを始めていると。
実際その観光案内を見ると、バリのダンスやワヤンやガムランやバティックが頻繁に出てくる。インドネシアそのものである。バック音楽にラササヤンなど、インドネシアで昔から親しまれているものが使われている。なるほどマレーシアという感じのものはトゥウィンタワーとマラッカくらい、古典的文化は全部、昔からインドネシアが売り物にしているものばかり、オマケにバリダンスはバリに撮影隊がきて収録したものだという。
これには、インドネシア人が怒っている。

 言葉が殆ど共通の両国、産物もほとんどおなじ、カリマンタンは上の一部がマレーシア、好条件は整っている。話し合って、カナダとアメリカの関係のようになればいいと思う。

 マレーシアはもっと大人の国と思っていたが、案外インドネシアを見下げている雰囲気があるようだ。

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2009年06月24日

 インドネシアで楽しく暮らす 15−281


斜めからインドネシアを眺めよう 281
忙中閑という一日でした。車のオートマチェンジハンドルがカタカタなって気になることと、ロックのリモコンがバッテリー切れか、働かなくなって、チップを取り外してマニュアルでロックしている、などの問題があって、明日、また、VIPを運ぶので、しっかり治してこうと修理に出した。昼過ぎまで在宅勤務だった。
カラワンのB社に納品、今日からスタート、今までの会社の製品にクレームが付き返されて、その分まで内から前倒しで、納品することになった。
KIICのT社から三種類の図面とロット数が送られてきた。日本から輸入している製品の現地調達プロジェクトの一環である。ぜひ成功させたい。
ジャバベカのE社にHDPEのケーブルコントロール用チューブ三種類のサンプルを届けた。台湾から輸入している製品の現地調達です。100%OKになるので、来月から注文が入るでしょう。

やっと、完全な乾季になったようです。インドネシアの全土に、山火事や野原火事が発生している。洪水の季節が終われば自動的に火事の季節です。また、シンガポールやマレーシア、オーストラリアに煙の害を送る季節です。

今年は、また二か所から泥噴出が始まった。スラバヤ南のシドアルジョの泥海は直径10km以上になってしまっている。それと同じ卵が二か所から生まれたのです。一年後は、今、野次馬で集まっている群衆の家も泥の中に埋もれてしまうのかもしれないのに、他人事のような目で見物している。
ジャカルタ上空に汚染ガスのドームが出来始めている。夕日がその中に沈み大きく真っ赤できれい。しかし、これが汚染の証明です。

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2009年06月03日

斜めからインドネシアを眺めよう 259



7月末には今の三ラインが一杯になってしまうことが明らかになったので、増設をその時期までにしなければならない。工場の移転先を探し始めましたがなかなか適当な場所が見つからない。仮の工場なので、条件がきつい。とにかく節約が大きな条件です。安い、MM2100の外で近い、電気、水の設備にあまり投資をしたくない。廃給水にもあまりお金をかけたくない、手ごろな面積、契約は半年。こんな条件を満たす工場があるでしょうか。とにかく、空いていそうな、ところに軒並み当たって見るしかないということだった。
急がないと、現在控えていただいているお客さんに迷惑をかけてしまう。
そんなことで、先週初めから当たってみたが、満足な場所がなく、二ラインだけの増設に決めた。それなら、なんとか今の工場を拡張するだけでできる。7月末か8月初めが稼働の目標になる。
押出機やその他の設備の発注をする。メインは中古で揃えるので、600万円ほどの追加投資をする。そのうち、半年後に活用する設備は400万円分ぐらいになる予定で、200万円は電気、水、建物の工事費になるので、半年で捨てることになる。しかし、これが一番いい方法だと思う。このことは自分で勝手にやることなので、宣言だけを日本にも伝えた。

マノハラさんが戻ってきた。マレーシアの一王室の王子の元へ嫁いだが虐待を受け、監禁されていたが、シンガポールで救出された。父親がアメリカ人ということでFBIが動いたようだ。とにかく、救出されてよかった。

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2009年05月13日

斜めからインドネシアを眺めよう 238



インドネシアのコンビニ、アルファマートやインドマレットなど何処でも売られていて確かに人気がある日本発のお菓子はいくつかある。インドネシアへ来たばかりの時は良く買って、家で一人のときつまんでいました。ポッキー類、源氏パイ、ナビスコ類、日本から輸入の商品もあるが、ほとんどインドネシア産です。ハラル(イスラムのOK品)でなければならないからです。
目には入るが、もう、それらを買うことはない。年のせいでしょうか、お菓子類を、ぼりぼり、つまむということはしなくなくなってしまった。多くの人が晩酌やワインを楽しむように、私は、紅茶(インドネシア テー)を飲むだけである。パニック障害の関係でコーヒーを飲むのはゴルフの後の食事の後くらいにしている。
インドネシア人に、一番おいしいと云ってもらえる確率が高い、日本からのお土産のお菓子は何だと思いますか。ぴりっと辛いお米のお菓子です。インドネシアの日本人のためのカラオケで摘みとして出されます。柿の種です。これが大人気です。100円均一で大量に買ってきて、一袋ずつ配るのですが、皆さんはそれを少しずつ食べます。ピーナッツを分けて、最後に食べる人もいます。直ぐに食べてしまうのがもったいなくて、長い間楽しみたいようです。日本人の皆様、亀田の回しものではありませんが、安くて喜ばれる柿の種をぜひ、インドネシア人へのお土産として試してみてください。
日本のピーナッツは、“大きいだろう、美味しいだろう”と言いながら、食べてもらっても、喜ばれません。インドネシアのピーナッツは小さくて日本ならNGで捨てられそうなものです。食べるのに面倒ですし、味が今一しっくりしない。インドネシア人はそれの方が美味しいのです。逆に日本にいるインドネシア人にガルーダのピーナッツを土産として渡せば、他のインドネシア人と分けあって食べます。インドネシアの子供の時からの味なのです。

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2009年05月12日

斜めからインドネシアを眺めよう 237


なかなか天気も気持ちも、すっきりしない。とっくに雨季は終わっているはずの月だが、5月になっても雨が降る日が多い。こういう年は、冷害の年です。水が豊富のうちの日照不足が作物の成長を妨げます。日本の長梅雨と同じです。特にコメの凶作が予想されます。インドネシアは日本よりはるかに天候の影響を受けやすい。
マリアさんの旦那がスラバヤへ今朝早く02:00出発していった。向こうで朝から仕事をしなければならにと云っていた。真面目な男である。
 自動カッターのインドネシア国産第一号機が、形はとっくにできていたのに、カットした長さにバラスキがあり、このままでは、切った後、また、切り直さなければならないという状態が続いていた。今日それが、無くなった。機械的、電気的二重のストッパーで一定のテンションをかけて、成功した。チームの何人かのインドネシア人が安堵していた。大満足だったでしょう。その様子を見て、でひ、これで終わらせてはならないと思う。二号機、三号機とどんどん増やさなければならない状態にしなければならないと思う。
今の会社では装置の輸入ができないので、インドネシア内にある中古装置とインドネシア製で、揃えるしかない。
 矛盾するが、一人で相撲を取っているような気もして、周りの流れと気持はそれと違うような気がして、気持ちがすっきりしない。これが消えるのには時間が必要だと納得している。半年はかかると思っている。

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