2014年06月17日

(^_-)-☆もう一つ

 1978 よく降りますね、まだ、雨季のようですね。大統領候補者の討論会と共に、ジャカルタからはバンジールの映像が流されている。おかげで、辛抱強く、枯葉剤を撒いているが、一向にかれる気配がない。ただし、土に沁み込んでいっているのか、立っていた鋭いナイフのような長い葉が寝てきた。相変わらず地から強い緑色のままだが、倒れて雑草の見かけは少なくなったように見える。
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テレビ画面の右上にラマダーンまで何日、左上には投票日まで何日という表示が見える。テレビに画面と言えば、しばらく、見たくないが、ワールドカップの番組が目白押し、TVONEを主体にやっているが、その他すべてのテレビのスポーツニュースで長時間取り上げている。
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米麹が少なくなってきた。ちょっと、作る速度というか、間隔を広げて、セーブしなければ、次に帰国するまで持たない。この状態が絞りどきだと思っている。二つの容器に10Lくらい入っている。

工場を捜しあてた。家賃は1年で150ジュタ、デルタマスの工業団地に近い場所、敷地は700平方メートル、建屋は、20m×25m充分である。5ラインは余裕で入るし、事務所やトイレや休憩所(キャンティーン)のスペースもある、狭くなれば、中二階を作ればいい。私が30歳で社長になった時の工場は50坪(10間の5間 18m×9m)だった。37歳で静岡に移った時には80坪(10間の8間 18m×14.4m)でしたから、十分すぎるほど広い。
インドネシア人のインドネシア人によるインドネシア人のための会社の立ち上げに協力するという、最終目標に向けて動き始めた。
ここで会社を設立してもらう。インドネシア人が会社を興すのは簡単だ。申請をすればほとんど審査なしで認可というか、どうぞ、勝手にやってくださいという感じでOKになる。別に会社など設立しないで、個人で色々な仕事をしているのだから、少し、軌道に乗ってから届け出てもいいらしい。そんなもだということは、一度、マクタという会社を作らせた事があるので(その会社はPT,NAの押出し部門に入るための準備会社だった、進出の手伝いをしていて、進出してきたら、直ちに、PT.NAに事業譲渡をした)よく知っている。

昔、私が初めて自分で仕事を始めた時には、個人会社としてだったので、どこにも届けることなく税の申告と支払いをしただけだった。非常に簡単だった。
手伝い 設立 最終場所
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2012年12月31日

(^_-)-☆平均余命

 1446 年末年始、休みを取れず、忙しくて、旅に出られない方、私の旅の記録を眺めながら、雰囲気を感じてください。個人的旅は人の積極性を育む、活動する世界を広げるとともに、将来行動の選択肢を増やすでしょう。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%203.html
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage229.html
http://otaenplaext.net/newpage1.html
http://otaenplaext.net/newpage2.html
平均寿命は今生まれた赤ちゃんが何歳まで生きるかを示している。平均余命は今何歳の人が何年生きるかを示している。平均余命を意識している人はほとんどいないで、平均寿命をみて、それに近い人、それを越している人は、妙な地震予知と同じように、「明日、死んでもおかしくない」と言っている人が多い。そうじゃないよ。「まだまだ、憎まれ口を言う時間は長く残っていますよ」と言ってやる。
昨年の今頃は母親の最後を迎えていたので落ち着かない毎日でしたが、今年は一周忌も終えて、身の回りに不安を抱く人がいないので落ち着いた静かな日々になっている。私のいとこが一人亡くなった。今年もまた、大勢の著名人が亡くなりましたね。誰が何歳で亡くなった、若いね、大往生だね、いろいろ、印象はあるが、死は予期せぬ状態でやってくるものだと感じる。
死んであらの段取りやお世話になった多くの方々にお礼や感謝の言葉を残してあの世へ行った、何とかという、人がいましたね。そこまでは、用意周到でなくても、遺言を残しておくという人は増えていると思う。身の回りにも平均余命で10年そこそこの人も多くいる。平均より多くの材をなしている人が多い、そういう方々と、お付き合いの中で、「お前の弔辞は俺が読んでやるから、そのことは心配しないでいいから、安心しろ」「逆でしょ、順番からいって、私が読みますから、安心してください」そんな会話も弾んで?いる。そういう会話がふさわしい年齢になってきたし、そういう会話が寂しいとは思わない。
一致する意識は、行くならぽっくり行きたいね、寝たきりになったり、ぼけたりして、人の世話にはなりたくないね。ぼけそうもない人たちばかりだが、こればかりは、望み通りになるかどうかは、分からない。
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森のように茂っていた庭の木を思い切って丸坊主にしてしまった庭、テレビに夢中になっている二人。
余命 別に人生 弔辞

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2012年12月08日

(^_-)-☆9万回

 1423 2007年5月からですから、ウェブサイト、5年6か月、1日平均45回になる。それにしても、この間、私としては、大きな障害も無く。旅や仕事に関して、内容を増やし続けることが出来たことと、無事にグログを書き続けることが出来たことを、ラッキーだと思っている。そして、毎日、何人かの人がアクセスしてくれていたことも、私に励みになっていたし、少しは皆さんの時間つぶしに役立っているのかなと思う。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
http://otaenplaext.net/newpage0.html
インドネシアでの今年の仕事は終わった。仕事に関しては不完全燃焼だった。インドネシアに4月辺りから来ていたが、係わってくれた人々のお役に立てなかった。理由は色々あったが、全て、私の動きが適切でなかった、というより、打つ手が後手だったことが多かった。若いころと比べると、読み違いが多くなったし探究力が浅くなっていることを感じる。昔から、いい加減に、これでいいやとやっていて、それでも辺りが多かったが、この頃ははずれが多くなったような気がする。
今回の原料も色サンプルを渡して、これと同じ色の原料を作ってほしいと2種類、頼んだ。届いた時に直ぐ、中身を確かめればよかったが、色に着いて信じていたので、確認せずに受け取った。それから1週間ほどして試作をしようと袋を開けたら、全然違う色だった。その色については、そううるさくないので、サンプルを作って提出するだけなら問題はなかった。もう一つの色については、どうしても、色がほとんど同じものを提出しなければならなかったので、どうしようもなく、納期が遅れてしまった。
再び、教訓、信じてはいけない、必ず、直ぐに確認すること、分かっていたが、しなかった。以前の私なら確認していた。それにしても、色サンプルを渡してあるに違った色のものを持ってきて〜〜。担当者も確認していないのか、これでいいやと思ったのか、インドネシアらしいと言えば、その通りだと思う。
とにかく、今年のインドネシアでの仕事は終わったのだから、私がいない間はヘニー君に任せて、大丈夫の筈である。アプはヘニー君にと、頼んだ。ヘニー君では困ったことがあれば、私に連絡するように言っておいた。私がいない間に、今までの試作品が量産になれば良いなと思う。
ど寒い、日本へ行くのは覚悟が必要。年を取ると、寒いの、暑いの、耐えがたくなる。インドネシアの気温は年寄りにとっては年中快適である。
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立派なバナナ、いくらだと思いますか。これで、120円くらいです。
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交通警察に呼びとめられて免許証と車検証のチェックをされようとしているところ、免許証は20万Rpくらい払えば買えるが、罰金は一回、5万Rpです。捕まるのは運が悪いと考え、免許を買わないでいる人の方が多い。一説によると、バイクの台数の半分の数しか免許証を発行されていないそうです。
師走 帰国 寒さ
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2012年09月08日

(^_-)-☆ネット接続の今

 1332 プロワカルタのセメント工場に呼ばれていって来た。こんなところでも日本人が手伝っている。ジャティルフール ダムの北の山は石灰岩でできている。ミニミニ桂林と言ったところでしょうか。セメントの原料は無尽蔵に在りそうだ。この辺りの土の色は、ジャカルタ、ブカシ、カラワンの真っ赤な色とガラッと変わって白になる。川の水の色も濁った汚いチョクレート色から、うっすら白みがかった透明になる。
 
最近、知ったことがある。インターネットの接続、30日10万Rp(850円くらい)でできます。ダウンロードの速度も大変速く感じる。USBモデム telkomsel frashを使っているが、今までは20万Rpだとばかり思わされていて、プルサというカードをその価格分買って、その店で、モデムの中のチップにカードの番号を入れて、テルコムイセルに送信すると、確かに受け取った、いついつまでの30日間フリーで接続できますというSMSが入って、操作を終わる。ところが、先日、プルサを売っている店でその操作を頼んだら、店員ができなかった。単に携帯電話のプリペードカードとしての操作しかできない。フラッシュにいてはやったことがいから、知らなかったという。携帯電話と同じようにやっただけだという。3か月前に一度、失敗したことがあった。違う店だったが、20万Rp分カードに入れてもらってたが、使えたのはたった1日だけだった。その時にはそれ以前に入れても貰った店で20万Rp追加で入れてもらって、1カ月使えるようになった。そういうことがあったので、今回は、確実に使えるかどうか、店の人も保証できないという。されなら、最初から、やったことが無いからできないと言えよ。でした。
 送った20万Rp分の番号を取り消すことができるらしくて、それなら、番号は取り消すから、払わなくてもいいという。それならそうしてほしいと言って、番号を抜いてもらった。その店の前の道を挟んで向こう側に、グラリ ハローという。テルコムセルの何でも出張相談のような店があった。そこいって、事情を打ち明けた。いきなり、キャッシャーに行けと言われた。プルサを買うならキャッシャーで売っているという。

 そのカウンターへ行ったら慣れたもの。10万Rpでいいという。30日、使いたい放題なら、10万Rpだという。10万Rp払ったら、その人が、私のチップを自分の携帯電話へ入れ替えて、どこかへ接続した、直ぐに、その携帯電話に、30日使えるよというメッセージが送られてきた。それを私見せて、この通りですから、何日まで使えますよと言ってくれた。家に戻って早速使ってみたら、速い。20万Rp入れていた時より速い。
 なあんだ、最初から、知っていれば、専門の店があったんだ。町中至る所にある、携帯電話の店の大部分は、ネット接続の方法を知らないことが分かった。スカルノハッタの空港の荷物が出てくる場所に在る店も、たまたま知っている店員ないればいいが、知らない人に当たる確率が高いのでご用心。

 ということで、日本なら一カ月五千円以上かかるが、インドネシアでは八百五十円で使えることが分かった。最近はどんな田舎の旅先に行っても、赤白の鉄塔が見えるところがある。そこなら、ネットに繋ぐことは簡単。パンガンダランも十年ほど前は携帯電話の電波もなかったが、徐々に鉄塔が増えて、死角がなくなって、半島のジャングル(チャガール アラム)の中でも接続できるようになっている。

 ほとんどの日本人はケーブルランやワイアレスランで接続できる場所にいるし、電話回線でも接続できる場所にしかいないので、そのありがたさは知らないと思うが、私のように一般インドネシア人と同じ家に住んでいると、電話線がきていない無いし、ランの電波もないので、USBモデムを使うしかない。そしてそれは、多くの日本人ができない強みで、地方へ行ってもネットに接続できるということです。携帯電話で接続できるが、それは、字が小さくて、ボタンも小さすぎて、私には読めない、書き込めないので、意味が無い。
IMG_0578-.JPGIMG_0578.JPG 目から鱗 ガッテン どこでも

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2012年08月18日

(^_-)-☆ディルガハユ

 1311 Dirgahayu Merdekaディルガハユ ムルデカ(万歳、独立)
67回目の独立記念日 スカルノさんとハッタさんが連名で独立宣言をしたのが、日本敗戦の二日後でした。
今年も独立記念日の式典はジャカルタ、大統領宮殿前をはじめ全国各地で行われたが、ムディックがポークに達していて、関係者だけが参加し、その他の国民は、ほとんど関心を示さなかったと思う。テレビでは、この日だけ、独立記念日特集を組んでいたが、67年も昔のことだし、日本なら一般庶民、兵士、政治家などの膨大な記録が残されているし、フィルムも日本、アメリカの物がまだまだ埋もれているほどたくさん残っているが、インドネシアには、記録が何も残っていないので、記録フィルムは毎年同じものを流すだけで、後はバラエティ番組になってしまう。
独立戦争の過程の記録もほとんどない。撮影もしていなかった。

インドネシアはとっくに独立をしたが、自立をしていないと思う。インドネシア自身で自立の定義を決めて、その定義を満たすようにしてほしい、そして、満たした時を自立宣言をして、その後は自立記念日として祝ってほしいと思う。
ムルデカ〜〜〜(Merdeka~~)ではなくて、マンディリ〜〜〜(Mandiri~~~)と言ってもしいものです。

チカンペックまでのムディック渋滞は、今日、昼過ぎに解消したと思う。しかし、確認はできないが、高速道路を終わって、一般国道へ出てから先、テレボン、インドラマユ。テガールなど、中小都市が北海岸沿いに連続してある。それらのあちこちで大渋滞はまで消えていないと思う。ジャカルタ近郊の渋滞は無くなっても、地方の渋滞は明日の夕方まで続くと思う。明日18日がプアサの最終日、ほとんどの人が故郷(Kampungカンプン)の家に到着するでしょう。
私は、2009年、三年前なので、9月20日がプアサ明けでした。その時のレバラン休みにムディックの真っ只中に紛れ込んで、ロンボックまで一人で車を運転して行った。
その時の記録
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page0408.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/pageo407.html
その時の写真
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page0406.html
IMG_0293.JPGIMG_0294.JPGIMG_0295.JPGその時の元気というか、無鉄砲さと言うか、カラ元気というか、そういうものは、今は使いたくないので、去年から毎日ゴルフをやることにした。今年も今日からスタートした。体力が持つ限り、一緒に回ってくれる仲間が続く限り、26日まで挑戦してみようと思っている。費用は一日四千円と見て四万円くらいでしょうか。05;30頃、家を出て、戻るのが、遅くても14;00前、これを、約、十日続ける、できるでしょうか。
ゴルフ場は普段の土日の三分の一以下の車しか、駐車していない。今日は、コレアン方が多かった。

独立 自立 故郷
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2012年07月16日

(^_-)-☆Sakit Berat Lagi

  1278 ッタク、どうしてこうなるの?40℃前後の高熱に見舞われている。朝から、孫をつれて、大浜プールへ泳ぎに行った。大変楽しく、孫たちより、私の方が泳ぎまくった。天気ははっきりしない。若干寒い感じだったし、流れるプールに入っていたことが多かったが、水も、ちょっとだけ冷たく感じていた。何周も泳ぎながら、もぐりながら、仰向けに浮きながら、孫たちについて回っていた。結構体力を使う。歩いているだけでも足や下半身に抵抗感がった。最後12:00過ぎにヲーターブームを滑り降りでプールに入った時に、しこたま、鼻の中へ水が入っていしまった。着替えているころから、頭がふらふらしてきて、悪寒を感じるようになった。明らかに高熱の兆候でした。マックへ寄ってから家に帰ったのが14:00過ぎ、その時は完全に立っているのがつらくなっていた。それにしても、進行が早い。夜はやっと22:00まで起きていたが、横になったら、直ぐに眠ってしまった。目が覚めたのが04:00、大分、楽になったとはいえ、今日、一日、動かにしていた方がいいと思っている。
 何故、こうも簡単に体調が悪くなってしまうのでしょうか。心当たりは何もない。ただ、日本のバクテリアやウィルスに対する免疫が無いことは確かである。四日日本にいて何とか体調が良かったのは一日だけである。

 こういうことを書くと憤慨する日知がいるかもしれないが、日本の気象の動きは西から東、南から北へ移動することは常識中の常識で、小学生でも知っている。福島原発の事故の時、北側にいた人たちの何%かは、北に逃げた。そして、放射能被曝量を増加させたと言っている。変でしょう。何故、西へ逃げなかったのでしょうか。いくらパニック状態だからと言って、何もデータが無い時には、常識に従えば、間違いの確率は少ない。
 ところで、今になってSPEEDIを隠したのかとか、発表が遅かったと、批判している。これも変でしょ。分析結果は、見事に、日本の常識どおりなのだから。勝手に常識外れの行動をして、他人を批判しているのだから。やはり、変だ。
 原発事故のすぐ後、原発の北側の人は西へ逃げるし、南の人はより南へ、東の人は南へ、西の人はより西へ、こんなことは常識だ。放射能の流れの分析に頼るという考えが、やはり変。常識で動いていればこれほど迅速に行動できる環境は無い。
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駿河湾の少女、ヲーターブームが後ろに見える。天気が今一だったが、それにしても空いている。インドネシアと雰囲気が全く違う。
常識外れ 批判 高熱
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2012年06月27日

(^_-)-☆キタス申請

  1259 何度目かのキタス申請のために、本当に久しぶりにブカシバラットへ行ってきた。ここ10年以上、行く用事は無かったし、ゴミゴミしていて、渋滞も激しくなっているから、行ってみたいと思うこともなかった。今回は新しくできたカントール イムグラシでKITAS(住民登録証)申請のためにサインや写真撮影に行かなければならなかったからです。今までのカラワン イミグラシはカラワン以東だけになって、チカランはブカシの中だから、当然、ブカシの事務所へ行かなければならなくなった。先日シンガポールから戻った時に入国係官が知らなかったことでした。
 10年以上前には、ホテルホリゾンやフィラドゥアラトゥスVila200に日本人の友達が住んでいたり、従業員のコスが集中してしたりして、何かと、メトロポリタンモールと向かい側のヘロー辺りで食事をする機会も多かった。インドネシアで初めて“ホカベン”へ入ったのもここでした。当時でも、ごみごみしていて、あまり行きたいとは思っていなかったが、仕方がなく行っていた記憶がある。
 総合病院もミトラクルアルガしかなかった。今のようにミトラクルアルガもブカシティムールにできているし、チカランの旧市街にもジャバベカにもリッポチカランにも立派な総合病院ができているのでブカシバラットへ行く必要が無くなっている。
 とこれで、イミグレの場所、これが分かりにくいし、行きにくい。ブカシバラットのインターを出て左折し、ミトラクルアルがを過ぎた角で左折する。それが、病院の前の側道を入っていないと左に曲がれない、通りすぎてしまって、突きあたりまで行ってUターンし病院の前を通り過ぎてマタ、Uターンし病院の前を通りすぎ終わったところに確かに左へ曲がれそうな狭い道がある。車がやっと通れるくらいだが、二輪車が何台も駐車していて、危なそうだったし、その曲がった先200mくらい見通せたが、それらしき建物が見えなかった。そこを曲がらず、次の曲がれそうな場所を探したが。結局、また。突き辺りまで行って。同じように、また病院の前を通ったところで、そのあたりにいる人に聞いた。その、やっと通れそうな道の先だという。200mほど行くと道なりに直角に右へ進んだ、在りそうな雰囲気がない。300mほど行くと対向車線側に屋台と人だかりが見えた。
看板にIMIGRASIと書かれていた。ところが、右折できないので、そこを通りすぎて100mくらいいたところでUターンして、先ほどの看板の前に着いた。そこから入れるのかなと思ったら、それも違った。駐車場へはそん手前30mくらいのところで左折しなければならなかったらしい。また、そこを通りすぎて、Uターンを二回して駐車場と小さく書いた看板のところを左折してやっと駐車場に着いた。
 古い建物を改造して開業したのでしょう。全体が汚いし、臭いし、レイアウトというか人の控え場所も整理されていなくて、どこで待っていればいいか分かりにくい。外国人にとっては、戸惑うことが多いのではないかと思う。カラワンの方が全ての点で、使い勝手が上だと思う。
 ブカシ県の住民は全てブカシバラットのイミグレへ行かなければならなくなっている。一年くらい前からだそうです。私の前回は1年半ほど前だったので、カラワンでした。
 
ブカシバラット イミグレ 分かりにくい

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2012年03月26日

(^_-)-☆気の毒な日本

1166 大震災跡地の瓦礫の処分や利用の仕方や引受先について何の問題解決の糸口も出来ていない。1年過ぎても、大筋の方法が決まっていない。沈みゆく日本人全体の象徴的状況だと思う。
 一番、どうしようもないことは、放射能が心配で、引き受けに反対といっている連中である。バカバカしくて、話にならない。安全だ、安全だと、数値で示しても、そういう連中は、納得しない。そういう連中につける薬はない。
 という事を無視して処理法を考えれば、幾つかの方法が在る。1 それぞれの自治体が償却や埋め立てやその他の利用の仕方で処分をする。2 被災自治体が処分しきれないだろうと判断した部分について、他の自治体が分けあって処分の手伝いをする。
コストや雇用の事を考えれば、地元で処分した方が良いに決まっている。防波堤や防風林、低い土地のかさ上げをするなど、利用方法はいくらでもある。本格的にそれらを作るには地元の瓦礫だけでは足りないといこともあるかもしれない。これ等の組み合わせ、他地域受け入れ能力や距離などなど、総合的に判断しなければならない。これを纏める役目が必要です。国がリードしなければなりません。しかし、纏めようとする姿勢がまったく感じられないし、纏めてほしいという要望も無い。復興省の若い大臣は外観では一生懸命やっているように見えるが、ブレーンに多分、色々な要素を考慮しながら纏める人間がいないのでしょうね。省の内部からも纏めようという考えが湧き出てこないのでしょうね。

このまま、瓦礫を引き受ける、拒否する、というニュースだけが空虚に響くのでしょうね。ポイントからかなりずれた処で、もめたり、気を使ったりしている日本は没落の過程を進んでいるしか見えない。

大阪で賑やかな橋下なにがしという人も差し迫った瓦礫問題については何の提案もしていないと思われる。彼は消費税についても何も発言していないような印象がある。国政に打って出て、大戦争を仕掛けたいのなら、塾を作る前に、一番重大な、日本が抱えている問題について、自分の意見を前に出しておかなければならないはずです。それを聞いてから、塾生を募集するのが当り前のプロセスだと思うが、また、応募する人達は、そういう問題で彼がどう思っているのか確認してから応募するのが筋だと思うが、何千人が集まってきているらしい。変だと思う。これも、日本没落の筋道に現れる過途的現象なのでしょうね。
 IMG_3095.jpgIMG_3094.jpg家の野菜園の一つと私の部屋の縁側で布団を干している上で遊ぶ孫
 没落 無進路 自立

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2012年01月30日

(^_-)-☆段落でしょうか

1110 ベースアップの交渉は終った。道路封鎖のその日の夜、労使が合意した。三段階に分かれるが、支払い能力がある、ブカシの日系企業のほとんどは、最高金額の約190万Rpが最低賃金になる。約1万7千円でしょうか。そんなもので良いの?という気がするが、支払い能力が小さい地元企業は140万Rp,約1万21千円です。インドネシアの最低賃金はかなり無茶なデモを敢行しても、こんなもので妥結するのです。なんだか、寂しい感じがします。

JKT48が歌番組に盛んに登場している。I want you, I need you, I love youと大勢で跳ねまわっている。似たようなグループが沢山できているので、どうでしょうか、ブームになるでしょうか。

“”日輪の遺産“”DVDを見て、泣けた。インドネシアへ向かうガルーダの機内モニターで流される映画が更新されていた。日本の映画や旅の案内、ドラマ、TVバラエティー番組なども見ることができる。日本の映画を見ることは殆ど無いが、なんとなく、このタイトルに引かれて鑑賞してみた。
1945年8月10日から終戦当日までの話で、財宝を隠した話しです。事実かどうかは検証しようが無いが、事実でなくても、感動と衝撃を与えられる話しだと思う。
 母の死と重ねて考えると、なお、涙を誘われた。決して、あってはならないことが、当時は沢山あったのでしょう。
 ガルーダインドネシアの廻し者ではないが、成田からの便はお勧めです。私は必要無いが、日本人キャビンアテンダントが二人いるし、機内で入国の手続きが終っているし、何と言っても一番安い。関東以外からの人にも出発時間もちょうどいい。日本へ戻る場合は寝ていれば日本に着くといった具合。今、ビジネスクラスのプロモが行われていて、ジャカルタ、成田1300US$位になっている。10万円くらいです。普段、使えない人にチャンスです。ただし、往復の期間に制限がります。希望の人は確認してください。私は、一か月位の後の再入国ですから利用できません。
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 一か月半ぶりにインドネシアでゴルフ。サンマは目黒ではなくジャカルタに限る、と同じように、やはり、ゴルフは日本ではなくインドネシアに限る。開放的で温かく、キャディと馬鹿話をしながら体を動かし、歩く、良いですよ。

段落 常識的 感涙

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2012年01月19日

(^_-)-☆そういうものとしよう

1099 また、一段と寒さが厳しくなってきた。これ以上寒くならないように願うばかり、風邪ひきの人間がまた増えている。私はと言えば、風邪が峠を越して、鼻水から青っ鼻になってきたことと、タンがひっかかり始めた。もう、二三日でうっとうしさも無くなるでしょう。引き始めから十日ほどで治れば、私にとって正常な経過です。薬を飲もうが、医者に注射を打ってもらおうが、何もしないで寝ていようが、一日10時間以上はたらいていようが、同じ経過と期間が必要なのです。だから、風邪を引いて薬を買うとか、医者にかかるとか、特別何をするとか、全くしません。経過の症状が早く来て早く去ってもらうことを願うだけです。
 タカが風邪、されど風邪、年齢を重ねるに従って、治りが長引くし、肺炎などの二次的重い病気になってしまう確率も高くなる。引かないのが一番、今回の風邪は私にとっては数年ぶりのこと、風邪を引いている人と同じ部屋に長い間一緒だったことと、異常に寒い事務所で打合せをした事でした。
インドネシアで日本人は風邪を引きやすかった。原因は風邪を引いている人と狭い同じ部屋にいることと、冷房の空間とそうでない場所との温度差に因ると分かっている。だから、二つの原因の大部分を消すために、赴任直後から車を自分で運転したのです。
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  酸素吸入のレベルが最初は1だったのが今は5まで上がっている。肺の機能が低下して、酸素を吸収する能力が無くなってきているので、酸素の量を増やしているのでしょう。もうマックスのノレベルに近い、これ以上は増やせない状態に近い。話しは出来ない。ただ、見守るだけ、眠っている状態らしい、このまま、自律神経で呼吸し、酸素が一定以上の吸収が出来なくなった時に、息を引き取るということになるのでしょうか。ずーっと傍にいられないので、亡くなるその瞬間に、ベッドの傍らにいる確率は非常に少ない。多分、病院からか兄弟からか電話で知ることになるでしょう。老衰で亡くなる時にはローソクの火が消えるように無くなると聞いている。かすかに残っている炎が辛うじてもえている。これが、いつまで持つか、消えるのをじっと、そばにいて見続けるわけにはいかない。それと同じでしょう。
 18日23:31大丈夫?という声が遠くなる。
 風邪 原因 無能

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2011年11月30日

(^_-)-☆インドネシアらしい

1049 路肩の新しいアスファルト舗装にタイヤがめり込んで動けないでいる。舗装した路肩の地面が固められていなかったのです。笑ってしまう。ジャッキで上げようとした努力は認めるが、ジャッキもめり込んでいた。IMG_2271.JPG
 土地と建物合わせて五百万円弱です。どうですか、インドネシアで外国人が買うことはできませんが、契約書を交わしてインドネシア人名義なら勿論買って、住むこととが出来ます。定年退職者、年金生活の方にはお勧めです。IMG_2272.JPG

28日にインドネシアへ戻るから会社に私の車をスタンバイさせて置くようにインドネア人スタッフに頼んであった。その頼んであった総務の人にKITASを失くしたから、インドネシアへ着いたら直ぐに受け取りに行けるように申請をしておいてくださいと云うことも一週間前に頼んであった。
 そのスタッフさん、かなり、私のことを心配したらしい。日本人の社長や何人かにそのことを話し、空港でトラブルになって入国できないかもしれないと話したらしい。
 私が今朝ひょっこり事務所へ入っていて、KITASはいつもらえるのと聞いたら、それどころではない、皆で心配したと云う事を話された。そんなこととは全く知らずに、本人はちょっと心配したが、入国出来ないなどとは全く思っていなかった。事実、全てが、いつもの通りだった。御免なさいと謝っておいた。
 結局、インドネシア人スタッフの結論は、太田さんだから、なにごとも要求しないし、イムグレの人とも適当に話が出来るし、問題は無かったでしょう。他の日本人では問題が起きたら困るから、総務のスタッフが迎えに来てくれとか、申請中という証拠の書類を送ってよこせとか、いろいろ要求されるでしょう。早くそれをしなければ、遅い、何をしてるんだ、と云われるでしょう。と、云っていた。そうでしょうね、きっと。

ところで、日系のD社に私のキタスの再発行の申請をしたらしいが、一週間過ぎても、いつイミグレに行けるか音沙汰無しだそうだ。流石D社、D社にだけは頼まないで、と云っておいたのに。ローカルエージェントに私自身で頼むべきだったと反省している。といことで、今週中に手に入るかどうかはっきりしない。
 
インドネシアらしい事件が起きた。かなりインドネシアでは有名な吊り橋が二か所で崩れ落ちた。一つは東カリマンタンのマハカム川、もう一いつは東ジャワである。いずれも多水ではなかった。いわば、自然崩落のようなもの。車ごと落ちて死者、行方不明者7〜80人とか。大規模な捜索活動が続けられている。
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00073.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage022.html
川の深さは深いところで50mあるらしい。石炭や木材を積んだ大型貨物船が橋の下を行き来する。パレンバンのムシ川も似ているし、橋は、スラバヤとマドゥラ島の橋(スラマドゥ)とも良く似ている。それらのつり橋は大丈夫でしょうか。
 ずっと前に書いたが、今回も、ボルトが大量に盗まれていたという情報もあり、真相究明はこれからでしょうが、いかにもインドネシアらしい。
 
大橋 崩落 ボルト

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2011年05月17日

(^_-)-☆昔ながらの部落

斜めからインドネシアを見る 911
 04:00起き04:30出発でクリムトゥの日の出を見に行く。駐車場から30分ほどで展望台に付く05:45ころサンサイズ、水色の水がある火口のちょっと左から登る。二回目の経験である。欧米人がほとんど、インドネシア人がちらほら、日本人は私一人でした。やはり息苦しい、前回もそうだったが、毒ガスとは思えないが、上昇してくるガスによって酸素の%が少なくなっているのだろうと思う。今回も、インドネシア人が最近四人亡くなったという話を聞かされた。それでも、入山を禁止しないのがインドネシアです。
 
サンライズは前回同様、天気に恵まれてすばらしかった。日の出に手を合せて拝むのは万国共通の様で、カソリックもイスラムもブッディストも太陽に向かって手を合わせていた。ブロモの時も同じです。
結局、一時間待ったが、奥の黒の火口に霧が晴れず、見ることなく下山をした。途中、これも前回と同じで、コカコーラ色の火口を覗いた。これがコカコーラ色ではなく、水色に変わっていた。流石、色が変わる火口湖だと納得した。

 08:00にはモニのバンガローへ戻って軽い朝食、08:30チェックアウト、エンデに戻り、海岸沿いを西に戻った。昨日と逆である。昨日と打って変って、体調は回復、車酔いなど誰のこと?状態の快適さでした。
 また、ひたすら車を走らせ、バジャワに入るちょっと手前を左に曲がって伝統的な生活をしているカンプンアダット(昔ながらの部落)ウバーとベナを訪ねた。その前に展望台から見下ろすと数か所以上のそういう部落を見おろすことが出来た。うちの二か所に行ってみた。ここも大変よい天気に恵まれた。これがもし、天気が悪かったり、霧に閉ざされていたりしたら、どこへ何を見に来たのか分からなくなるでしょう。IMG_0455-.JPGIMG_0455.JPG
ガルットのカンプンナガより遥かに田舎の町からは遠い山の中に住んでいるが、電気は使えるようになっている。燃料は枯れ木でLPGは使っていなかった。
インドネシアにはこういう場所が、数え切れないほどある。現代文化と云うか弁明と云うか、そういうものを拒否して、ひたすら昔のままの生活をしているのには十分な理由があってのことだと思うが、彼らの生活を見ていると、子供達が可哀そうな気がする。

バジャワのホテルにいる。今日もつかれた。

部落 隔離 火口湖

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2011年04月22日

(^_-)-☆総力を集中する時

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斜めからインドネシアを見る 886
 今、集中しなくて、いつするのですか。今までの事を突っついても、責任のなすりあいになるだけで、反省して前進などで一致するはずが無い。これからどうするのか、一本の道で協力、集中してほしい。
首相は「首相は森羅万象のことに対応しないといけない。私は細かいところまで全てを承知していない」と開き直った。これはほんの一例です。最期の開き直った、という下り、明らかに、個人的感情です。これを書いた記者と許可した上司は自分たちの感情的な文章が多くの人たちにどれほどの影響を与えるか分かって書いていると思えない。もし、分かっているとしたら、個人的感情を大衆の感情を代表しているかのような書き方をしないはずです。批判的悪意に満ちた感情誘導をマスコミはやってはならないことです。
何度も書いているが、デマや風評や評判をまき散らしてはならないのです。批判される側は批判されっぱなしなのです。批判する側は、そのことに対し、まったくタッチしないのです。野党の大部分や与党であっても小沢派などは、自分が何もしないで、言いたいことを云っているだけです。自民、公明は自分たちの長期政権時代に汚した尻を自分で拭く気はサラサラなしで、菅さんに尻拭いをさせているだけなのに、その、尻拭いのやり方が気にくわない、もっと自分たちの尻拭きを至れり尽くせりでやれと言っているのです。
マスコミも、同調しているのです。
なぜ、皆で応援してやろうと思わないのでしょうか、菅さんを激励するような文章を書かないのでしょうか。誰がこの非常事態の時の首相であっても、その人に全員が協力して盛りたてる。当り前のことがどうしてできないのでしょうか。反対したって、時のリーダーがそうすると言えばそうなるのです。時が過ぎれば、そのまま、難事も過ぎるのです。その時になって、反対しただけで、何もしなかったどころか、足を引っ張った人達は、どういいわけをするのでしょうか、それこそ、立場では無いから何もできなかったと開き直るのでしょうか。菅さんに任せて協力すればいいのです。そうすれば、何年後かに落ち着いた国の状態の中でフェアーな選挙を戦えるのです。
みんなの塔の渡辺さんなどは影をひそめてしまっているが、真の政治家の血筋を引いているのですから、菅さんと協力すると思っていたが、彼も、天下国家を論じる資格を喪失した。
私の確信通り、福島原発事故の後始末はスケジュールに乗ってきた。買い取り拒否やら買占めやら、原発ちくクから来た人を受け入れ拒否したり、差別したりした人達は、自分の愚かさを意識してほしい。

一丸 手伝い 補助

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2011年04月18日

(^_-)-☆インドネシア?日本

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斜めからインドネシアを見る 882
日本とインドネシアとどちらが好きですか、どちらに住みたいと思いますか、と、欲聞かれる。一長一短で簡単にどちらと云い切れないと答える。
長短の内容は全く違うが、その一長一短の割合がどちらも殆ど4:1くらいで長の方が圧倒的に多い。どちらも嫌いでは無い、インドネシアにいれば、日本へ帰りたいし、日本にいればインドネシアへ戻りたくなるのです。
どちらのも私の趣味であり、生きがいである仕事の場はある。もしなければ、自分で、また、始めることも出来る。名前のように、回遊魚のように、一瞬たりとも止まる時は、なにもかも終わる時ですから。この点ではどちらも同じ。
生活しやすさ、物価や便利さで比較するとどうでしょうか、この点はインドネシアの方が勝る。気候の点でもインドネシアの方が私に向いている。若い人たちと仲間意識(私が勝手に思う)で付き合えるのも良い。だから、隠居するには日本の中では静岡が一番いいと思うが、静岡よりインドネシアの方が良い。もし、介護が必要になったとしても、介護人を雇うのは簡単だし、気を使わなくて済むと思う。
それでは、インドネシアの方が良いじゃないかと思いたいのですが、そうも云い切れない。
一人暮らしに、万が一を考えて、手伝いをしてもらえる人はお金次第で何人でも同居してもらうことはできるが、健康な時に他人が家にいることは、気を使うことになる。食事も、まずいとは云わないが、おいしいとは思わないし、インドネシア人は、消費するもの、例えば、洗剤や虫除けやチッシューペーパーそういうたぐいの物の使い方が必要量の倍以上を使う。そういうことも、いちいち、云うことが出来ないので、ストレスがたまる。自分のお金で買うのではないから、節約という神経が全くない。

日本の良い点は、やはり、私にとって新しい技術を考え出す場として、まだ、作られていないが、出来たら使いたいという話が舞い込んできやすい。書いたが、インドネシアでは、私が作ったことはないが、日本で、どこかの会社が既に作っているものなので、新技術とは言えない。私の勉強になるし、インドネシア人と一緒にインドネシアとしては新しい技術を生み出すだけです。その点、日本なら、世界中にまだないものを作り出す技術を確立するチャンスがある。

しがらみとか、付き合いとかという関係では、日本にいれば色々生じる、近所、町内、町、昔の学校関係、役員などなど、役目を沢山こなすことになる。インドネシアでは、それは全くない。それでは日本の方が面倒かと思うが、私にとっては、それが、負担だと思わないし、逆に、やる人がいなければ私が何とかしましょうと思う方なので、そういう役目が出来ることは、自己満足の一つになると思う。

住居と安心はどうか、これは、圧倒的に静岡丸子の方が上である。住み心地は良過ぎる。これ以上のところは世界中どこを探したってないでしょう。お金を幾ら積んでも出来ないでしょうと思うくらい最高です。こんなに何も考えないで住める場所はない。これらを全部総合して。
だから、隠居するには、どちらも捨てがたい。ありえない話だが、隠居するなら、行ったり来たりになるでしょう。

ということは、仕事的には日本、生活的にはインドネシアということでしょうか、その時々の流れに従おうと思う。とにかく、二か月ちょっとで、一旦、インドネシアから距離を置いて、生活することになる。

ドリアンアイスのカキリマなど、一般庶民の生活の場、私はこういう風景が気にいっている。
比較 向き不向き リラックス

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2011年02月12日

(^_-)-☆程度はこんなもの


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   斜めからインドネシアを眺める 817
 インドネシア人スタッフの平均的な人は、物の重さを計算できない。先ず、立方体の体積の計算が出来ない。比重のことなど全く知らない、分からない。それ何?インドネシア語には比重という単語はない。重さの比較とか重さの種類などと表現するしかない。ですから、英語を使うしかない。だから、比重という概念を持っている人は少ない。水に浮くとか、沈むということを説明するのが大変難しい。
 薄い鉄板SPCC0.5mmを幅15mm位にスリットして毎月5000m使いたいからM単価の見積もりを取ってほしいと購買のベテランに頼んだ。

 始めの報告が、見積もりが入りました、と、見せられたのが、1Kg当たり幾らというものだった。「M単価を頼んだのにこれでは回答になっていないでしょ」と言ったら、「仕入先に、そう言ったが、この見積もりが入った」という。「このKg単価で、M単価を計算すればいいのか」と聞いたら、確信がなさそうに「そうです」という。「それなら、私が求めた、M単価を、計算して、私の報告するのが本当でしょ」と言ったら、これが、分からない。彼は困ってしまった。彼が言っていることは口から出まかせで、私に質問に、うろたえて答えているだけです。「M単価を、自分で計算すればいいなら、計算できるだろうね、比重は知っているだろうね」と、追いかけて、言ったら、もう、彼の頭は、パニック状態。
 どうしようもないので、「もう一度、その幅の物が出来るのか、最低ロットは何Mか、その場合のM単価を取りなさいと」その場は納めた。
 次の報告はM単価が出てきた。それは良いとして、最低ロットが5トンだと書いてあった。そこで、「5トンを一回の注文できますか、何Mですか、一月5000mと言ったでしょ、何カ月分になりますか」と聞いた。これが、また、ご本人、全く、意識していない。疑問を感じていない。ただ、出された、見積もりをそのまま、横流ししているだけで、その最低ロットで、買えるかどうかを確認するということの意識が無い。「最低ロットを購入できる数量で、見積もりを取らなければ、意味が無いでしょ、購入できない数量で見積もりを取っても、その見積もりは使えないでしょ。」これが、また、パニック。
 彼の頭の中に、鉄板のM重量を知る必要があるという意識が全くないまま、ただ、わたしが言ったことと、仕入先の返事を上の空で、受け取っているだけです。

話は変わる ADJIEという一人の国会議員が一週間前に亡くなった。心臓まひです。44才でした。日本の若いころの森田健作に存在が似ているように思う。タレントでスポーツマン、サッカーの振興に尽力を注いだ。レーザーという日本の上田正樹デュエットを組んだ、ヒットをさせたことがある有名な歌手と結婚し二人の子供をもうけたが、若い女性国会議員を好きになってしまい、レーザーとは離婚し、若い女性と結婚した。2人の間に二歳くらいの子供がいる。美男タレント議員として目立つ存在だった。女性に絶大の人気が在った。一週間に渡って、彼の特殊がしつこいほど流され、インドネシア人ですら、もう、良いよという状態になっている。人気者が突然亡くなってしまったという悲しみもそろそろお終、というのにで、ある。
静岡県遠州森町(清水次郎長の子分の一人、森の石松の故郷)の親戚の家と回りにそっくりで懐かしかった、インドネシアにある風景です。この子供達は小学校へ上がる前、ザリガニを取っていた頃の私そのものです。
比重 疑問 分からない

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2011年01月24日

(^_-)-☆あのアチェの今


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   斜めからインドネシアを眺める 818
  先ほど23:00頃、家に戻った。今朝、7:00にサバン郊外のコテージから車で送ってもらい港へ07:30に到着、08:00発でウエー島を離れる。09:00前にバンダアチェの港に到着、日曜日で、港や隣接する海岸には大勢の家族つれがあふれていた。その海岸は2004 12の大津波が到着した場所です。そんなことは全く想像が出来ない和やかな、平和な風景です。
 この近くに5階建ての大駐車場のような建物があって、2000人位と車が500台収容できる避難場所だという事でした。遠目からは壁が少なくて、上に上にと車が登れる坂道が取り巻いている。回りに何もなく、かなり遠くからでも見える。ところが、地元の人に依ると、2005年のニアス大地震、津波の時、かなりの揺れがあって、避難、命令が出た時に、周りの人はここに逃げてこないで、車で、海岸から離れようとして、山の方に避難してしまったとか、全く、人間の心理を研究していない無駄な建築物だという評判だった。かなり高額な援助資金を使ってしまったらしいので、なお無駄だったと言われていた。
 
 海岸付近からは流された家々の多くを買い取って、広い片道三車線、両方で、六車線の道路を作った。区画整理、この際ということで進んだ。そういうこともあって、車でさっさと奥地に逃げ込むことが可能になったということもこの施設に逃げ込まなかった理由だと思う。
こういうこともあるので、なにもかも完璧とはいかないが、総合的には、安全、安心が格段に増したと感じているでしょう。多くの悲しみ、犠牲を残したが、GAMの独立戦争は終わってしまったように感じるし、津波の後地が、観光地化していて観光客も増えているし、街の環境は綺麗になったし、残った人には住みやすい地域になったと感じていると思う。6年前に10万人以上の人が無くなった。大津波があった場所とは思えない。

 街の中心に、感謝の公園があって、援助をした国々の名前を書いた小舟が舳先を上にして半分地下に埋まった形で公園の周囲に並べられている。一周400m位のランニングコースを走る人はその国々へ有難うという文字を見ながら通り過ぎる事になる。日本への感謝は日本語で書かれていた。

 16:45アチェ、イスタナ イスカンダル ムダ空港を出発メダンへ40分ほど寄って、ジャカルタ着21:00過ぎでした。
 平和な公園風景。
津波、地震、被災地

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2011年01月14日

(^_-)-☆鉄は熱いうち


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   斜めからインドネシアを眺める 848
 そのかれ、小学校は別だったのでどういう子か知らなかったが、中学で同級になって、これが、運動部にも文化部にも属せず、勉強もどうしようもなかったようだ、存在感は全くなかった。とても高校受験する子ではなかった。当時は一学級50〜60人、静岡市は中高一貫の女学校が多く、市立の中学の男女比率は3;2くらいだった。そのうち、進学のための普通高校、女学校へ行くのは10〜15人、工業、商業など専門高校へは20〜30人、残りの20〜25人は就職だった。
 中学就職は大工、左官、店員、中小企業の作業者、などなど、就職には困ることは無かった。売り手市場だった。ところが、彼は、なかなか就職を決めることが出来なかった。卒業するときになっても受け入れ先が見つからず、担任が困り果て、校長に相談し、そのコネで、ふぐ料理屋へ丁稚奉公出来ることにやっとなった。それが、それから20年後、官公庁の職員と彼らにすり寄る建設業者や議員たちの接待用の奥座敷になった。また、談合の会場になった。中学の時には想像も出来ない、市や県、裏情報を握る隠れた大物になっていた。
 領収書を発行しない世界なので、収入や利益をはっきりさせることが出来ない。もともと、数字は苦手なので、関心もない。税務署に目を付けられ、帳簿が殆ど無いので、河豚を何匹仕入れたかで、売り上げを計算されて、納税額を計算されたそうで、何千万納めたという。それでも、彼にしてみれば、もっと、取られると思っていたと言っていた。
 だから、同級生に来てもらって、安くても、彼の料理を振る舞うことは彼の誇りでもあると思う。
 味は一流で、ある時、太田化工の従業員を連れて、食事に行った時、奥さんにといって、土産に鯵のフライを渡された。これが、うまい、そこらの惣菜屋やスーパーの惣菜コーナーで売っているものとは全く別物、妻も、また、貰ってきてと、言っていて、それから、何回か、スーパーで売っている値段で分けてもらったことがある。
 スキューバダイビングを今でもやっているのでしょうか、4〜50歳のころは南太平洋へ潜りに行くのが楽しみだといっていた。
 高学歴イコール成功と思っている母親は、私から言えば、大間違い、全然関係ないどころか、早くから才能を伸ばすという観点から見れば、本人の才能を潰してしまっているのです。
 才能、丁稚、中卒

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2010年12月07日

(^_-)-☆ムラピの噴火後


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   斜めからインドネシアを眺める 810
無事に家へ戻ったが、疲労困憊、家に着くなり横になったら眠ってしまった。ボロブドゥールから07:30に出発して17:30に戻った。これがまた、10時間しかかからなかった、マリオボロからの時間を足すと、11時間30分くらい、南からの時間とほぼ、同じになった。というのは、チレボンのバイパス高速道路が20km以上延長されていたことと、インドラマユ辺りのバイパスも延長されていて街の中を通らなくなったことが大きい。
三日間で30時間以上運転していたが、知らなかった道は二日目のソロとスクー間だけだったので緊張して運転しているつもりは無かったが、やはり、疲れた超だった、帰りテガル、チレボン辺りは二時間ほど半分、眠りながら運転していたように思う。危ない、危ない。
サンライズとムラピ山を見ることが目的でした。ボロブドゥールへは何回目でしょうか、忘れた。今回は、ムラピの火山灰が降り注いだ結果、それを洗い落とす作業をしている関係で、寺院に登ることは禁止されていた。
目的達成は全くできなかった。ムラピ山は雲の中、三日間とも、雨模様でムラピ山の東、南、西を巡ってみたが、どちらからもムラピ山を見ることはできなかった。残念!!!
ボロブドゥールへ行く途中ムラピ山からの泥流の被災地を何箇所も通過、また、広い範囲でヤシの木の歯が下向きに垂れ下がった状態になっていた、降灰によって、傘が閉じてしまったようになっていた。ボロブイドゥール周辺のヤシの木の葉も同様でした。
チャンディ プランバナンへの降灰は無かったのに比べ、風向きにせいなのでしょう。ボロブドゥール方面(ムラピ山から西)の降灰はひどかったようです。ボロブドゥールがムラピ山からの降灰で埋もれてしまっていたという話、納得できます。

立ち入り禁止になっている登り口、ヤシの木に葉が傘が閉じたように垂れ下がっているし、葉の色が緑では無く灰色に変わってしまっている。川には灰の泥が堆積している。
活火山  ムラピ山  世界遺産


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2010年10月24日

(^_-)-☆流れを掴む


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 斜めからインドネシアを眺める 767
 ゴルフその後会社で仕事、新しく来た人を食事に誘い、夕食後、その人が連れて行ってくれというのでカラオケへ案内し、10:30までいて、MM2100のアパートまで送り届けて家に戻った。Capekde~~~.ngantuk~~.
来年はどうするか、N社勤めは残り二カ月になった今、考え、行動が必要なら、行動しだそうと思っている。虫が良いと思うが、一番、要領が良い方法は、12月中旬前に次の場所からインビテーションレターを貰って、そこの会社でのワーキングビザ収得の手続きを済ませて、12月末近くにシンガポールへ寄って収得して日本へ帰って、来年初めに、インドネシアへ戻り、新しい場所へ勤めるという流れである。そんなにうまくいくかどうかは分からないが、行動はする。
 インドネシアにいなければならないという理由が二つある。一つは、ある日系企業の製品で期待されてお手伝いしなければならないからである。もう一いつは、書かないが、このことの方が大きな理由である。
 インドネシアいたいという理由は、これも二つある。日本にいる事との比較になるが、気候や食事が合っていて、友人関係もかなり捨てがたい。もう一つは書かないが、このことの方が大きな理由である。
 そのために職探しをするのです。また、職が見つからなければ、仕事をしてはいけないが、年金生活VISAもある。それでも、日系企業の手伝い以外は満たされる。
 
立ち読みならぬ、座り読みの椅子が用意されていてそこへ座って何時間でも読んでいていいらしい。宗教の本を読んでいる女性が多い。こちらの大きな本屋は、本を一冊だけ、開いて読める様にしてあって、他の本は全部透明プラスチックで真空パックしてある。
コピーソフトの店、品揃いは豊富、そして、映画などは封切りの日にはDVDが売られているし、ゲームも新発売と殆ど同時に出ている。何でもアリ、オートキャドなどまともに買えば5万円位するものも大体2千円以下で買える。一般的なソフトは300円均一です。こういう店が、ジャカルタ、ジャヤン、スディルマンの有名ショッピングモールの中の何件か入っている。何の
キャドなどまともに買えば5万円位するものも大体2千円以下で買える。一般的なソフトは300円均一です。こういう店が、ジャカルタ、ジャヤン、スディルマンの有名ショッピングモールの中の何件か入っている。何のお咎めもないというのがすごい世界だと思う。こういう店が堂々とあるので、まともに本物を買うのがバカバカしくなる。しかし、当然かもしれないが、摘発を恐れて、正規品しか使わない。

 近未来  年金生活者  コピー

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2010年08月15日

(^_-)-☆ようやくスタート台


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 斜めからインドネシアを眺めよう 697
 出勤日だったが、他社の多くは休みなので、外部からの連絡は少ない、そこで、ISOインターナルオーディットのクロシングミーティングをした。アウターナルオーディットまで半月である。一応順調に行っている。ダイレクターとして、偉そうなことをしゃべっているが、私自身は皆さんが言っていることを全部分かっているわけではないので、ほとんど、任せきりである。それでも、前に書いたように、大体、多くのメンバーは今までの会社で経験している。要領は分かっているので、インドネシア人スタッフだけで十分です。呼ばれた時、セレモニーで挨拶をするだけです。

 会社の射出部門の注文が入り始めたので、会社全体の活気が出てきた。大型の製品が多いので、空気を積むような成形品の在庫の場所を広く必要とするので、一層、仕事をしているという感じになってきたようです。ただ、射出の専門家の日本人がまだいないので、一抹の不安はあるが、とにかく、早く走りだして、日本人を除いた、人件費くらいは出せるようにしないと、今まで何をしてきたのか分からなくなるというのが仕事を受ける理由である。明日も明後日も生産するようです。
 この製品、今まで、どこで作っていたのでしょうか、いきなり、月産、何万個という話である。今まで、作っていた会社は大型の成形機が一台空いてしまうことになるのだが、大丈夫でしょうか。どんないきさつがあるのでしょうか、興味があります。

 今月5日に合意し、売買が成立したと聞いている。これで、今の場所がPT.NANBUの物になったらしい。さっそく、EPTEの申請をしたようです。このプアサに入ってしまった時期に、普通より早く認可が降りるとは思えない。どう考えてもレバラン後何週間掛るかというのが、私の見方です。輸入ドキュメントにEPTE番号を入れなければ意味が無いので、認可が下りるまで、船積みを待たなければなりません。早くて9月末の出帆、会社へ装置が入るのは10月中旬以降になるでしょう。
 一丸となって、突っ走ろうとしていることは確かだが、空回りも多いのが気になる。
 末までには日本人が14(うち現地採用が4人)人以上常駐するようになるらしい。私ともう一人は一年契約で、来年二月末までとしているので、その人数の期間はそう長くないが。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage006.html

 今日から四日間パンガンダランへ行った気持ちで、パンガンダランの写真を使う。パンガンダランの西海岸のサンセットと東海岸のサンライズ。半島の首の部分の幅が狭いところで、200mくらいですから、どこに泊っても、どちらの海岸へも歩いて二三分で行ける。
 始まり  申請  囲い

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