2018年03月22日

(^_-)-☆飛び込み

 3351 3月ですね、人事異動の時期ですね。インドネシアでも、日系企業、人が交代するときですね。取引先の会社の何社からか、退職、帰国の挨拶が送られてきている。
 
私の方は、帰国どころか、また、もう一年延長だ。すべての手続きが済んで、パスポートを受け取ってきた。来年の三月初旬までだ。KITASではなく、ITAS ON LINEと以前はマルチリエントリーパーミットだったが、今は、リミテッドステーパーミットのスタンプですね。だが、肝心なITASの電子版のプリントがイミグレのPCエラーでプリントできないという。直ぐ必要だから、何とかしてよと頼んだが、催促するがいつと約束はできないという。普通なら、普段、必要ではないが、今回は、日本から人を招くために必要になっている。
IMG_1972.JPG
IMG_1973.JPG
IMG_1976.JPG
デルタシリコン8にある会社を訪問した。アポなしの飛び込みだった。というのは、尋ねた会社の担当者から、日本人がいると聞いて、仕事を出したいが、その日本人と話をしたいという電話が、私が日本にいる間にあったそうだ。その報告を受けたのがなんと3月に入ってからだった。誰からだと聞いたら、会社名とパーチャシングの名前を覚えていた。電話番号はと聞いたら、聞かなかったという。じゃ、会社へ電話して、アポを取ってほしいと頼んだ。ところが、会社に電話すると、セキュリティーが出る、名前をいって、取り次いでほしいと頼んでも、セキュリティーは、いないとか、取り次げないとの一点張り、それでは、その人に、こちらからの会社名と電話番号を伝えてほしいと頼んでも、それもできないという、ということらしい。
そんなことはないだろうと、私も電話してみた。やはり、セキュリティーが出て、何を頼んでも、できないといわれた。この会社、どうなっているの、外からかかってきた電話、すべて、こんな調子なら、最初から切っておけよという感じだ。アメリカ系の自動車部品の会社、仕方がないから、面白そうだし、飛び込みで行ってみようと思い、行ってみた。

行って見たら、やはり面白かった。まず、エキュリティーに、この人に会いたいが、会わせてもらえないかと頼んだ、ダメだという、アポを取っていない人には取次できないという。それでは、今今、会えなくてもいから、アポをここから取ってほしいと頼んだら、ここからでも駄目だ。会社から、いくら頼んでも、アポが取れないどころか、直接でも駄目、どうすりゃいいの、と聞いたら、何も手伝いはできないといわれた。やはり、ダメだこりゃ、と思って、諦めようとしたところ、事務所の入り口付近に、日本人らしい男性が出てきて、たばこを吸いはじめているのを見つけた。あの人日本人かと聞いたら,そうだ、誰々さんだという。そして、セキュリティーの許可を取って、その人に、なぜ、ここへ来たかを話をした。
事務所に入ったところで、待たせてもらい、かれは、奥へ入って行って、私が、会いたいといって入り人に、聞いてくれた。ぞの人、私の会社に電話しなかったといっているらしい。そして、いまのところ、用事はないといっているとか、もし、頼みたいことhがあれば、その人の方からあなたにアポを取るでしょう、ということだった。

その人の話によると、外部からの未知の人からの取次は、一切しないようにセキュリティーに教育しているという。特に中国人や韓国人からの売り込みのアポ取りの電話が多く、いちいち、対応しきれないから、そういうシステムにしている。社内の人間からアポを取った人だけ案内をしているとのこと、納得である。セキュリティーが、そういう話をできるように、教育してもらって有ればもっと、いいと思のだが。私のような人は、ほとんどいないのでしょうね。普通の日本人なら、私のような行動はしないでしょうね。
IMG_1968.JPG
デルタシリコンが8まであるとは知らなかった。もっと、南の奥の方まで造成している。9も10も。有るのかもしれない。しかし、撤退した工場も多い感じ、コリアン企業が目立つ。ヒュンダイの乗用車が敷地一杯に並べ有られていた場所、びっくり、この広大な土地、見事に車が消えていた。

何の予告もなく。18時ちょうどから停電、回復したのは19時15分。それから、冷えて固まってしった樹脂が金型を解体できるように溶けるまで30分、解体、樹脂の掃除、再びセット、昇温、1時間半掛かる。時間ロスは今回の場合、3時間半ほどになる。樹脂のロスは10Kgくらい、Kg2000円もするN11なら、原料だけで2万円の損失になる。PCでも8000円くらいのロスだ。
稼働していたライン全てを同時に解体やセット、再スターとができるわけがないから、四ラインを二人でやるとしたら、平均で一ライン5時間ほどのロスになる。そして、なにより、望まない厄介な仕事が急に増えてしまうのだから、作業員にとって精神的にも負担が多きなる。

ちょうどの時間ということは、計画停電だ。会社も停電になっているはず、今月3回目だ。一回の停電で、一台、2ジュタほどの損失になる、稼働が4ラインなら8ジュタだ。そして、生産予定も伸びてしまう。納期の心配もしなければならない。ラインの増設をすれば、停電時の損失が多くなる。困った場所に来てしまったものだ。コミサリスの責任だ。
納得 飛び込み デルタシリコン8

posted by 元気な振りの爺さん at 21:29| Comment(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月05日

(^_-)-☆スイレン

 3334 早速、ゴルフ。7人2組だったので、入れさせてもらった。一週間、インドネイアから離れていた間に、一層、乾季への移動が進んでいるようだった。黒雲や雷が近づくことはあるが、遠いし、部分的なので、真上に来ることはなかった。日差しは、ますます強くなっていて、日本からインドネシアに来て間もない人の日焼けでたちまち赤くなるのが目だつようになってきた。
IMG_1662.JPG
IMG_1661.JPG
何年か前から、スイレンの花の写真を取り続けている。インドネシアのゴルフ場の池にはスイレンが植えられて?いる。それも、濃いピンクがほとんどだ。蓮とスイレンの違いは、花を見れば大きな違いがあるから、区別はつくと思う。もっこりしている方が蓮、尖った花びらの方がスイレンだと思う。仏像の台座は蓮になっている。そして、脇に花がある場合が多い。

一説によると、蓮の花は水面から出た幹?に咲く。スイレンは水面に咲く。という区別の仕方もあるらしい。また、葉っぱは、花と同じで、蓮根の葉で分かるように、水面から立ち上がっている。スイレンは水面に広がっている。という区別もあるらしい。高校時代に見た伊豆下賀茂の東大熱帯植物園の赤ちゃんが座ることができるオオオノバスは、スイレンですね。

ということで、インドネシアで目に付く蓮は、花の形と葉っぱの形は明らかにスイレンですね。私が竜宮城の花だと思って撮っている花はスイレンだと思う。しかし、水面に咲いていない。水面から立ち上がって咲いている。平均30Cm以上は水面から出ている。すべてのスイレンは水面に顔を出したところで咲く、というわけではなさそうだ。むしろ、インドネシアのスイレンは全て。立ち上がっているようだ。

早朝は閉じている、10時過ぎなら、完全に開いている。そして、夕方には完全に閉じてしまう。だから、ゴルフのプレー時間のよって、見える状態が違う。また、毎日の開閉、何日繰り返すのでしょうか。最低でも二カ月以上繰り返す。長い生命力だと思う。ラフレシアとは、咲いている期間が違いすぎる。熱帯種だからでしょうか。
IMG_1659.JPG
かなり、建設が進んでいる。ジャカルタ方面からブカシティムール辺りの状況、左側はLRT,右中央分離帯がわは、高架の高速道路です。相次ぐ人身事故で、すべての高架線の建設がまだ、中止になったままでしょうか。土曜の夕方だったので、工事を終わったのでしょうか、人も工事車両も見えなかった。
スイレン 蓮 習慣

posted by 元気な振りの爺さん at 22:27| Comment(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月04日

(^_-)-☆戻ってしまった

 3333 チタフィラに戻った。とにもかくにも、目的は達成して、くつろいでいる。9時過ぎのタクシー(TEKSI)で空港へ向かう。何もすることがないから、早めに空港へ行って、空港でゆっくりしようと思った。

通りがかりのタクシーを止めて、空港までといって乗った。90RMだという、いいかという。この金額は高速代約20RMを含む、空港へ送るときは、メーターを使わないだそうだ。その年寄りの運ちゃん,飛ばすこと、結構急カーブが多い、高速だから、体が右往左往させられる、急ブレーキもかける。冷や汗を欠かされたが、無事に到着、着いたのが10時半ころ、余裕がありすぎ。メーターを見ると75RMになっていた。別払いなら95だ。ま、途中、回り道をしてガソリンスタンドに寄ったから、距離は一寸長い。
IMG_1615.JPG
ボーディングパスは、発券機を使う。パネルに触ると、何語を選びますかとでてくる。日本語を押すとキェックイン手続きをしますか、が、一番上に出てくる,そこを押せば、次々と確認のための画面になる。自分の便を確認し、パスポートを置く場所に置けば、それで済み、ボーディングパスが出てきた。便番号とゲート、搭乗時間を確認すれば終わり。ちょっと、迷うのは、手荷物がありますか、という問いが出てくる。預ける荷物はありますかなら、何も考えないが、手荷物はあるのだから、どうしようと思う。私の場合は預ける荷物はないから、とりあえず,、×を押した。日本語の訳し方が紛らわしいと思った。もし、手荷物があると押してしまったらどうなったでしょうか。

フリーWi-Fiがあるのがいいね。ただし、出発遅れ1時間半、遅れるとの案内なし、搭乗がやった始まったらしい時、 謝罪なし、始まったというアナウンスもなし、とにかく、だんまり通し、客の何人かが、クレームをつけていたが、それでも、乗ってからも、降りてからも遅延についてのコメントなし。日本以外ではこんなものでしょうね。

航空券、ホテル、タクシー、が主で、15万円ほど使った。両替は7万円、空港で300RM余っていたので、土産物を買った。Tシャツが安い、一着10RM、300円しない。従業員向けに、ドリアンずくしの飴やウエアーハウスを150RM程買った、コーヒーは、どんなものか、自分のために買った。財布に乗ったRMは、まだ、100ほどある。
IMG_1660.JPG
インドネシアに着いて、タクシーで、帰途に、4時間かかった。チャワンからブカシティムールまで、二時間半かかった。ブカシティムールの出口道路で大型車が故障で邪魔していたのが原因。
IMG_1637.JPG
IMG_1639.JPG
夕方 明るいうちに通過したので、タマンアングレック、ムナラ レインボー、そしてハラパン キタ(私たちの希望)病院が目に入った。2006年に心臓が時々止まった症状がって入院した病院だ。パラハラから脱出するために、ここへ入院し、真夜中に、空港へここから向かった。

待ち時間が長く、渋滞も長く、緊張もあって、疲れた。
出発 戻り 疲れ
posted by 元気な振りの爺さん at 22:53| Comment(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月03日

(^_-)-☆ゆったり

 3332 予定では、きょう午前中にコタキナバルから戻って、午後、大使館へ行って、パスポートを受け取るはずだった。予定が崩れて、今日は、ホテルを移るだけになってしまった。徒歩10分くらいの距離、12時前にチェックアウトをし、歩いて、予約済のホテルに移動した。12時15分頃チェックインしようとしたら、2時からだといわれてしまった。さてどうしよう、暑い、カンカン照りだ。すぐ隣にあるマレーシアレストランに入った。インドネシアと何も変わらない。ナシクニンをメーンに、イカン、アヤム、そしてトロールを載せた。ホットコーヒー付きで15RM.約、400円、ま、こんんものでしょうね。
IMG_1589.JPG
IMG_1607.JPG
夕方は、ソッ ダギンだけだった。こちらの牛肉は、小さく切ってあるが、それが、硬い、それ以上小さくできないまま飲み込んだ。のどに閊えないように用心深く。半分ほどでお腹がいっぱい、こちらは7RMだった。

それから、どこへ行くったって、行く当てがない。インドネシア大使館前のゴルフ場の価格を調べたら、平日でも380RM,一万円もする。この暑い中、クラブやシューズを借りてまでやる気になれない。2時まで時間をつぶす、さて、“Lot10“イセタンのビルだが、地元の人にはロッテンといった方が分かる。ごちゃごちゃしていないし、涼しいし、トイレもある。なんといっても臭くない。こんな、恵まれた場所かほかになさそうだ。一見、町は、インド、バングラ、パキスタン系の男たちがたむろしているし、彼らが経営している店も多いし、工事に携わっている人も多い、ここには、それらの人が入ってこないようだ。差別意識は毛頭ないが、そういう人たちばかりの中を歩くのは、何となく、意識をしてしまう。
IMG_1590.JPG
私だけだけではない。カフェでくつろいだり、雑談、商談?をしている人が目につくが、ベンチでぼ〜〜っとしたり、電話をしたりしている人も多い。混雑はない。十分涼んだ。

マイホテルという名前のホテル、到着した日に泊まったホテルだ。

KLの時間は変。ジャカルタより、一時間早い。経度的には一時間遅い、だから、日の出が8時過ぎ、サンセットが20時過ぎ、どうも、日本やジャカルタの時間と明るさ、暗さに慣れているので、変。
IMG_1603.JPG
また、小学校に上がる前の事を思いだしてしまった。家の裏に畑がった、ある程度の自給自足のためだった。冬にはサツマイモの収穫が楽しみだった。そして、畑の脇にサトウキビを植えてあった。その気になったときには、折って、被りついて、噛み砕いて、甘い汁を吸った。そんなことを思い出しながら、本当に久しぶりにサトウキビの絞り汁を飲んだ。甘ったるい。こんな味だっかな、と、思いながら。

”旅に病んで夢は枯野を駆け巡る”から、今日、初めて、旅先という感じだった。
 春節 ブラリ 涼み
posted by 元気な振りの爺さん at 22:30| Comment(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月02日

(^_-)-☆VISA受け取り

3331 14時過ぎに、タクシーで大使館へ向かった。直線で1km以下だと思うが、一方通行と渋滞のため30分も掛かった。着くと、この装置の左のランプに、受け取ってあった引換証のGRコードを当てると、XのcJードが出てきた。48だった。14〜16時までの受け取り時間だったが、私が入った14:30過ぎ、私の後から来る人は何人もいなかった。直ぐに、カウンターからの呼び出しが始まった。
IMG_1572.JPG
IMG_1535.JPG
IMG_1575.JPG
渡す時間は短い、どんどん進む、15時過ぎに私の番、カウンターへ行くと、私と番号を見て、担当者、慌てている。日本人だよね、という。渡そうとしたパスポートがマレーシアだった。手元の箱に、渡すはずのパスポートが何通かまだ残っていた。その中を探している、ない!慌てて、奥の方に行って、1分ほどして戻ってきた。あった、あった、と言いながら、微妙な笑いをしていた。良かった。無いなんて言われたらどうしようかと思った。
張られているステッカーを確認し、受取サインをした。ま、2分間くらのことだった。

今回の目的を達成した。ストレスというか、ずっと、緊張が続いていて、心臓に悪いなと思いながら、おまけに下痢と腹痛状態、高齢者にとっては、一寸、過酷だったのかな。冷房が効きすぎの部屋で順番を待つ、首や腰を回したり、筋肉痛の腿や肩を揉んだり、何やかやと、じっとしていられなかった。

日本人と会うことは無かった。当たり前のことだが、マレー人がほとんどだと思う。エージェントに任せて一日で済んでしまうシンガポールでとるのが常識みたいなもの、わざわざ、それ以外の国でとるもの好きはいないでしょう。私は、これが、インドネシア以外で更新は最後になるでしょう。次があるなら、リタイアビザになる。

ほっとして、外に出た。快晴、暑い。ゴルフ時の帽子をかぶって歩き出した。大使館の前の道の向こう側に広大な緑地がある。ゴルフ場だ。歩いてホテルに帰ることにした。お腹の具合も、気にならなくなっていた。
IMG_1550.JPG
このモノレールの下を右に行けば、ホテルの近くのイセタンに行けることが分かったうえで、反対の左へ行って、行くだけ行って、嫌になったら戻ってくればいいと、ジャラン、ジャラン(マレー語ではプシン、プシン)を続けた。こんな、明るい、暑い風景のモノレールの下を主に歩いた。
IMG_1557.JPG
小学校に上がる前、静岡駅前で、家族とはぐれてしまった時のことを思い出しながらだった。探したり、交番にいったりしてみたが、なかなか、親が見つからなかった。もういい、自分で帰るといって、チンチン電車の線路に沿って歩き出した。家族が一緒なら、この電車に乗って、安西通りの厚生病院まで行って、そこから、一直線に歩くけだったたら、道は分かっていた。ただ、お金がなかった。歩いた。呉服町通りを行けば、より近いが、電車道なら絶対迷うことはないと決めて歩いた。今のセノバ(新静岡)辺りを通って、県庁前を通って、茶町を通過、家に着いたのが多分、家族と別になってから3時間くら過ぎていたと思う。家族が家の前にいた。私が、どこにいたのか、どこを通って帰ってきたのか聞かれた。私としては、なんでもなかった。このモノレールの下を戻れば、迷わずにホテルに帰ることができる。約70年前と変わっていない。
IMG_1566.JPG
そんなことを思いながら、歩いていると、一転俄かに、黒雲が覆いはじめ、強風に立木がざわつき始めたと思う間もなく、大粒の大雨になってしまった。雨宿りを繰り返しながら、引き返すことにした。そして、イセタンに着いた。まだ、断続的に大雨が続いていた。ホテルに戻ったのは、18時過ぎだった。体調いい。緊張から解放された。
ほっ 線路沿い 最後 
posted by 元気な振りの爺さん at 22:38| Comment(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月27日

(^_-)-☆KL泊り

 3328 本当は、コタキナバルにいることになっていた。しかし、思うようにいかず、空港から戻って、Jl,bukit Bintangのホテルに潜りこんだ。一泊150RM朝食はつかない。ちょっと高い気もするが、賑やかな、繁華街なのでこんなものかと思う。

マイホテルを8時半ごろタクシーで出発、インドネシア大使館までは、地図上では近いように見えたが、行ってみると、歩ける道はなく、ほとんど車だけしか通れない道だった。それでも10分ほどかかった。どうも、朝の渋滞だったことと、一ポイ通行の関係で遠回りをしたようだった。9時前に大使館の前に到着、何のために来ているのでしょうか。現地の若い人たちが続々入ってゆく。VUSAの申請場所はどこ、と、三回聞いた。最後に50席ほどある部屋に行った。入ってすぐのところに、順番カードを取る場所があった。そこに、ハンサム青年が、立っていたので、申請に来たと言ったら、ここで、書類をチェックしましょうと言いながら、順番カードも取ってくれた。持ってきた書類を広げると、入国スタンプの場所のフォトコピーがないから、外に場所ががるから、取ってきなさいと言われた。

外に出てみると、いきなり、タクシーの運ちゃんがタクシーかと聞いてきた。次に、コピーか?と他の青年が聞いてきた。そうだといったら、あっちだから、俺が連れて行ってやると言いながら、私も方向は聞いていたから、向かって行ったら、付いてきて、それだけか、一人でか、手伝いはいらないか、としつこい。コピーきのある店の前には、そんな人達が大勢いて、話しかけれ来るので、無視した。
IMG_1356.JPG
1IMG_1357.JPG
コピーを持ちかえり、関ほどの彼に見せたら、これでいい、順番が来るまで、あちらで待っていればいいといわれ、待った。番号は39。なかなか、進まない。10時半ごろ、やっと順番が来た。書類は、すべてOK,費用を430RMくらい払い、領収書、受領書と先程の呼び出し番号を渡されて終わり。

パスポートの受け取りは、四日後の木曜日、午後2〜4時だ。
あの青年に助けられた。出るときにお礼を言う老いと思っていたが、交代していたいなかった。

あそれからが、大変、外へ出て、例の寄ってくるタクシーで市内観光と空港までを頼んだ。17時過ぎのフライトでコタキナバルへ行く予定だった。なんやかんや、あちこちに、聞いやり、頼んだりしたが、パスポートなど、IDになるものがなければ、ダメだった。予想はしていたことだが、大使館の預かり証とフォトコピーでは、ダメだった。がっかり、ショック!

往復航空券とタクシー代1万5千円ほど、無駄になった。そして、さて、どうしよう。そして、いま泊っているホテルで、3っ日間、籠城することにした。ま、コタキナバルへ付けた場合でも、一日前の帰り便にかえなければならなかったし、ここで、待っていれば、時間的余裕はたっぷりで、性分ではないが、とにかく、のんびりできる。
1IMG_1483.JPG
ホテルのそばにあるレストラン街・

ストレスからだろうか、インドネシアの何を食べても下痢にならない私としたことが、飲食で、全く思い当たることがないのに、若干の腹痛を伴う下痢状態になってしまった。動き回って疲れた。
申請 疲れ 予定崩れ
posted by 元気な振りの爺さん at 22:41| Comment(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月26日

(^_-)-☆KLへ

 3327 日の出と同時、6:20 ティーオフでゴルフ、11;30前にはシャワーを浴びて、ゴルフ場をあとにし、一旦、家に戻って準備をし、会社へは12;30に入って、タクシーを待った。
IMG_1337.JPG
13;30には、出発、日曜日といえどもジャカルタや空港までの渋滞を軽く見られない。フライトの時間は、19時過ぎだが、早くついているに越したことはない。で、どうだったか、順調すぎて拍子抜け、15:00前に着いてしまった。久しぶりにタマンアッグレックの前を通過した。
IMG_1343.JPG

時間つぶしに、ソラリアに入って、食事をしながらPCをいじっていた。3時間ほど前でもいいかと思い。X線を通過して、中に入った。カウンターがない。聞いてみたら、エアーアシアのドメスティックだという、インターナショナルはターミナル3だといわれた。変だなとは思っていた。愛内板に、私が乗るはずの便がない。ただし、エアーアシア意外だが。当然、行く先が外国の便が沢山ある。当然だ。ターミナル2は、本来、インターナショナルターミナルだ。すぐに、第三に向かおうとしたが、すぐ来るはずのシャトルバスが一向に来ない。出発の2時間ほど前になってしまったので、空港内の巡回タクシーで移動した。5万Rp。
直ぐに。ボーディングパスのカウンターへ行ったら、発券機を使えと言われた。行ってみたが、方法がわからない。側にいた手伝いの人にすべてをやってもらった。いろいろな場所を押したり、アルファベットのボタンを押して、やってくれたが、私じゃできない。後ろに待っている人がいなければやってもいいが、結局、人を呼ぶことになりそうだ。

イミグレを通過して、ゲートに着いたのが1時間前だった。余裕をもって早く出て、余裕だらけで、行動していたが、結局、なんだかんだで、いろいろ尋ね、何やら、余裕がなくなっていた。おまけが、ディレイ、なかなか、搭乗の案内がない、結局、50分ほど遅れた。なにも、慌てることはなかった。

飛行は順調、KL空港には23時過ぎに着いた。日本とジャカルタの真ん中の時間帯、バリと同じなのが面白い。経度的に言って、かなり矛盾していると思うが、どうでもいいか。

空港が広い、まず、イングレに、入国カードがない。カウンターでは、顔写真と指紋の撮影がある。簡単だが、人によって、時間のかかり具合が違う。何故か、ありがとうと言われた。

次はタクシー、タクシー乗り場は一階、イミグレは二階だった。マネーチェンジャーも二階にあった。そして、迎えの車もその階の外にあった。案内板にタクシーは一階と書いてあった。リフトで一階に降りるとすぐタクシー乗り場が、見つかった。そこへ行って、タクシーに乗ろうとしたら、チケットは?と聞かれた。なにそれ、中にカウンターがあるから、そこで、行く先を言って、払ってチケットを受け取ってから、ここに来なさいと言われた。めんどくさ!戻って、ホテルのフォーチャーを見せて、80なんぼリンギッドを払った。
IMG_1355.JPG
そして、やっと、タクシーに乗れた。2000円ちょっとだから、そう遠くないと思ったら、高速を40分くらい走った後に、市街地へ入った。高速代は3回払った。インドネシアと同じようにすべてカードだった。合計15RMくらいだった。そして、チケットの80RMには、その料金も含まれていたのだから、安い。私がマレー語を話すと、運ちゃん、マレー語の方言なのだろうか、一部しかわからなかったが、いろいろ説明してくれた。ホテルにも、迷いわずしっかり送ってくれた。
24時を回ってチェックイン、マイホテルという名前のホテル。いきなり、おそかってね。カツオさん、と言われた。何やら、タックスだという。10RMを払ってほしいといかれた。今年から、皆さんからホテル税を請求することに税制で決められたと、申し訳なさそうに説明していた。そんなこと、別に、構わないのにと思ったが。

しかし、よくやるね。早朝からゴルフ、そして、右往左往したが、その日の真夜中にはクアラルンプールのホテルに潜り込んでいる。
疲れ ドタバタ 右往左往
posted by 元気な振りの爺さん at 23:30| Comment(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月04日

(^_-)-☆危ない人

 3243 危ない人、目つきが変な人、あの人普通じゃない?という人の比率が多くなっているのでしょうか。一見、普通な人、事件を起こした人について、後で、友人だった人や近所の人の話で、あの人が?挨拶は普通にしますよ、とよく聞く。歩行者専用道路を車でぶっ飛ばしたり、信号無視や煽り運転。何人も殺して、ばらばらにし、クーラーボックスに突っ込んだり、その他にもホラー映画並みの事件が、いくつかあり、動機や行動も異常。

ところで、貴乃花、伝統を重んじ、相撲道を追求しているはずの親方、ヘアスタイルは変だし、身なりも変、顎を突き上げて、周囲を無視して、歩いているのも変、会議で、ふんぞり返って、体を上向きにしているのも変、何より、普段?だと思うが、目つきが変。自分の行動を批判する人たちへの無言も変、組織の一員としての立ち居振る舞いも変、それらを変だと思っていないだろうことも変。なるほどと、納得させる手段とは、程遠いことを分かっていないし、納得させようと思っていないようだ。私が最も嫌いなタイプだ。

 インドネシアで、仕事をしていて、その会社の責任者になっている人がこういうタイプという場合が何度かあった。私は、逃げ出した、あるいは、批判して追い出された。その後、結局、その人は、交代させられたか、その会社がなくなったかになっている。

とにかく、気の毒だが、接する人たちに取っては、面倒くさい、厄介な存在になってしまっているとしか見えない。何かに洗脳されてしまっているような、孤立した信心者の雰囲気では、相撲にかかわっている人や組織から、遠ざけられるでしょう。巡業のリーダーから外されたことは、当然でしょう。
後援者も、後援者なら、たしなめなければならない、注意しなければならないはずだが、それもできないでいる。厄介だと思っているはずだ。彼の部屋の力士も災難だと思う。
antrean].jpg
Siang Ini Diprediksi Puncak Arus Balik Jalur Puncak-Jakarta. kemacetan jalur Puncak今日昼間、プンチャック、ジャカルタ道路、帰路渋滞のピークが予想される。インドネシア金曜日から三連休でしたね。ジャカルタの南、プンチャックという名前の峠、越えてゆけば、スカブミや、左に方向を取れば、バンドゥン方面へも行ける。この峠前後は、景色が開けていて、昔からの観光地、別荘地。大渋滞に、いつもなる。ジャカルタから一番近い、お茶のプランテーションが広がる。プンチャックというのは、峠とか頂上という意味、あちこちにプンチャックは、あるわけだが、エリアの名前として、固有名詞になっている。そして、この文章に、二回使われているが、一つは、この場所の名前で、もう一つは、通行量のピークという意味に使われている。
IMG_2296.JPG
避難訓練
厄介 態度 取り扱い
posted by 元気な振りの爺さん at 22:49| Comment(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月24日

(^_-)-☆自己満足道楽5

 3202 完全に自分の世界、ただ、書いているだけのこのブログ 文章、多くの人が良いんでほしいと思いながら、だからと言って、別に誰も読まなくても、かまわないとも思っている。ただ、気ままに、書きたいことを書いているだけだ。どうでしょうか。毎日マイニチ、よく続くと思う。習慣である。惰性である。慣性の法則である。どんなことがあっても,どんなこともなくても、とにかく、PCに何時間か、何分か、向き合って、よしなしごとを書いている。何度か、繰り返して書くこともあるが、書くことが、自分ながらよくあると思う。このことは、趣味や道楽や自己満足である、出来る技術や行動が沢山あるからだと思う。止められない、止まらない、止まるときは、息をしていない時だと思う。どうだろうか、考える葦でなくなった時だと思う。書いている、書けるという自分いることが満足。
Rafting[1].jpg
CIMG04241[1].jpg
行動の例、どこでしょうか、ジャカルタの南、スカブミの山の中、プラブハンバトゥへ行く途中です。
グリンデルワルドの郊外、リフトに乗ってフィルストへ、そこから、バッハルプ湖Bachalpseeまでの途中。


うろたえている
“希望の党“の人、小池さんをはじめ、皆さん、現在、どんなことを思っているのでしょうか。”絶望の党”と、思っている党員がほとんどではないでしょうか。自業自得だと思うが、人間の性、何も考えず、だと、私は思う、時の流れというか、勢いというか、へんてこりんな、現象に乗り込もう、便乗しようと、姑息に考えてしまったのでしょう。結果、与党の大勝を後押しし、自分たちは途方に暮れるみっともない状態になってしまった。

民進党?今、どうなっちゃっているの?枝野さんと争って党首になったばかりの細野さん、まだ党首?参議院には民進党の人が当然いる。衆議院には、いなくなちゃった。確か、細野さんは無所属で、でたはずでしょ。細野さん、まだ、民進党をどうするか、話をしていない?もう、しているの?わからな〜〜い。

この何日間、野党と無所属の人たちの動向が面白そうですね。一か月後は、どうなっているのでしょうか。日本の政治のドタバタは、喜劇だが、日本の行く末をどうするかの判断を、こんな喜劇俳優の政治家がするのかと思うと、どうでもいいやと思う。

私は、団塊の世代の二世が誕生のころ、40年くらい前には、産めや増やせや、の政治になることを望んでいた。沈みゆき、企業のモラルの低下の日本、いったい日本は、どうなるの?どうでもいいか。根源は、人口構成の問題だ。
日本の政治家は、どんなことで、自己満足するのでしょうか。ただ、議員になることが、それだけが目的達成の自己満足なのでしょうね。

お知らせです
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/ [太田勝夫 enpla extIndonesia]は、10月31日をもって、クローズです。au dionのサービスがなくなるからです。アクセスできなくなります。既に、同じ内容で、より、最近の情報を追加して、http://otaenplaext.net/newpage300.html「遊心」「ASOBINOKAMISAMA」として、バックアップをしてあります。
http://otaenplaext.net/newpage0.html「太田勝夫 enpla ext indonesi new」と、お互いにリンクしてあります。
便乗 失敗 うろたえ 
posted by 元気な振りの爺さん at 22:32| Comment(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月20日

(^_-)-☆special道楽

 3198 囲碁は道楽であり、打ったことで自己満足する。その為の往復で、徘徊をしてみた。三キロほど離れた場所にある生涯(障害ではない)学習センターで、木曜日、夜6時から囲碁同好会の集まりがあるので、薄暗くなり始めた5時半ごろ家から出て、車でなく、歩きで、徘徊しながら、行くことにした。土曜日は昼間なので、歩いてゆく場合もヲーキングとなるが、薄暗い丸子川の土手を主に歩くので、多分,他人が見れば、徘徊に見えるだろうと思う。

早く着きそうだったので、ちょっと、余分に徘徊してみた。25年ほど前に、碁会所へたまに行っていたが、その後、如何なっているのかなと思い、そのあたりに行ってみた。住宅地の暗い小道を歩いていると、どの家も、センサーが作動して、照明が灯る、そんな場所の一角に、まだ、見覚えのある、その、プレハブの建物はあった。人がいる気配はないし、現在、使われているような気配もなかった。こんな写真を撮っている爺さんは、怪しい。
IMG_1604.JPG
IMG_1607.JPG
IMG_1609.JPG
帰り道、また、ちょっと、遠回りして、車が頻繁に通る道を歩いた。ここはちょっと広いが、この道の大部分は、人が道路わきを歩くようにはできていない。道脇まで30CMくらいに白線が引いてあるが、体は、当然、白線の外に出ている。車が後ろからくるたびに、体をぐっと、道脇に寄せる。徘徊老人としては、かなり緊張する道だ。最近、路肩に突っ込む車のニュースが気になっているし。

帰りの8時半過ぎ、歩いた大部分の道で車にも人にも会わない。私を目撃する人は、いない。徘徊していても誰も知らない。たとえ、座り込んでしまっていても、誰も、気が付かない。

そういえば、大学の同級会で二人、徘徊が趣味です、楽しんでいますという自己紹介があった。俳諧でした。

昨日からの続き、私が選んだ仕事は、その遣り甲斐がある、結構、多くの人のためになると思える道楽をしていて、結婚もし、子供もでき、家も手に入れた。多分、他人から見れば、相当、恵まれていると思われていたと思う。七年後には、夫婦合わせて、残業代を含む月給が30万円くらいあった。1972年ごろでした。
ところが、その前から、私が気に入らない環境を感じていた。自己満足できない状態があった。
俳諧 趣味 体験
posted by 元気な振りの爺さん at 22:57| Comment(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月19日

(^_-)-☆自己満足道楽2

 3197 小企業だが、日本では、まだ、他の会社がやっていない、特殊な仕事だった。海外での仕事、石油コンビナートの設計やフェライトのような窯業を夢見ていたが、この世界もいいなと思った。そして、いくつかのプラスチックの成型部門を経験し、仕事を選ぶ権利と義務は、私に与えられていたとい空気を感じていた。そして、一番、問題児の押出成形を選んだ。その部門に労働組合長をしていた、30歳くらいの習志野空挺部隊の出身の猛者がいた。その人が係長だったが、私は三交代の班長に志願してなった。化学の仕事ではなく、電気や機械の仕事だったし、西ドイツからの装置を使いこなせず、まともな製品がなかなかできない、お荷物の部門だった。それが、私にあっていた。

半年もしないうちに、すべての製品での立ち上げは私が一番うまくなっていたし、装置の改良の提案をし、実行し始めていた。とにかく、誰も何もできないのだから、私がやるしかなかった。組合長にも、猛者の後を引きついて、なっていた。日本での新原料が続々と現れた。それらの全てを、使って、素材、プルファイル、テューブを作る仕事の依頼が次々と入った。アミド基の組合わせによって、無限にできることは、知っていたが、ナイロンも、幾つかのメーカーからの、いくつかの種類を試す機会もあった。ナイロン樹脂だけでも組み合わせで、10種類以上あった。製品として、使えるかどうか、成形性はどうか、私の腕に掛かっていた。ほかの樹脂もそうだった。PVCやオレフィンは勿論、PC,POM,PMMA,エラストマー、アロイ、日本では、私しかやらせてもらえないだろうと思うトライを次から次へとやっていた。
成型方法も、それらに合わせるように、編み出した。プロファイルやチューブを作るだけでも、何種類かを自分で作った。冷媒だけでも、エアー、水、各種油、化学液それらの単独、あるいは二種以上、それと、温度、これも、組み合わせ、とにかく、いろいろ、試して、合った成型方法を見つけていった。
完全に、面白いし、やりがいがったし、道楽化していた。

今から思うと、よくまあ、動いたと思う、休日の12時間夜勤も私が繋げた、寸暇を惜しんで、車で箱根を越えて、横浜にも通った。明け方まで試作品を作り、三島駅から新幹線に乗り、大阪や神戸の依頼元に届け、その日の夜、また、試作を繰り返した、そんな、無茶をし、倒れてしまったこともあった。
http://otaenplaext.net/newpage136.html
IMG_1595.JPG
IMG_1597.JPG
道楽で、何十年前のものから、つい最近のインドネシアでのもの。
無茶 無限大 道楽
posted by 元気な振りの爺さん at 22:51| Comment(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月18日

(^_-)-☆自己満足道楽1

 3196 よく、他人に、何故、インドネシアへ行ったの?インドネシアのどこがいいの?と、聞かれる。先日の大学の同級会でも何人かから聞かれた。このことについては、自己紹介でも書いてあるが、何度か、ブログでも書いたと思う。

結びを先に書いておく。道楽、自己満足を求める生き方だ。それが、努力しないでも、結構、成り行きでできた。
IMG_1378.JPG
ここからのスタートだった。この階段で、すべてが初対面の同級生と写真を撮った。私だけが、坊主頭だった。左の上が学生課や電気、電子、機械、右下が土木,醗酵、応化、そして、右の奥に、バドミントンと卓球の練習場と囲碁将棋、華道、茶道の畳部屋があった。
IMG_1366.JPG

一力食堂がまだあった。開店が、私が入学した年だった。55年前だ。朝食が30円だった。夕食が50円だった。今は朝食はやっていないようだ。

そもそもの、考え方から、再度、書き出す。大学の時に、卒業していった先輩たちの多くは、大企業に就職していった。国立大学の工学部に入学すれば、就職先は大企業から引っ張りだこという世相だった。その通りだった。その先輩に中の何人かからは、外国、主に欧米に派遣されて、行ってきた、という、話が伝わってきていた。私も、卒業後は、その人たちと同じような状態になることを当たり前のように描いていた。

ところが、東京オリンピックが、終わるころ、私の一年先輩が就職を決めるころ、その状況が一変してしまっていることを感じさせられた。何やら、大不況になったと思った。すべての上場企業の新卒採用はゼロになった。呑気に大学生活をエンジョイしていた私にとってはショックだった。そして、私たちの就職先探しの時期になると、景気もドン底らしくて、去年より、求人が少なく成っていたというより、4月の時点では、全く、無かった。やっと、求人票が掲示されだしたのが、6月になってから、それも、聞いたことがない名前の中小企業からだけだった。

入社試験が始まって、受けに行っても、先行者からは、百人以上の応募があって、取るのは、一人、二人だけだと説明されたとか、そんなで、私の就職先も、窯業志望だったが、求人なし、卒論担当の先生の紹介で、極東貿易関連の東プラ精工を受けることにした。夏休み、北大で卓球の国公立選手権大会に参加し、トンボ返りで、面接、ここで、初めて、開業2年目、東レ、極貿、臼井国際(地元)の子会社ということを知って、プラスチックの成型のいろいろを手掛けていることを知った。海外志向はあきらめて、ここで、お世話になることにした。
道楽 自己満足 基本
posted by 元気な振りの爺さん at 22:37| Comment(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月04日

(^_-)-☆どうした?

 3121 私を誘った方、今日のコンペに来なかった。スタート時間になっても、ご本人、現れない。電話したが出ない。二時間後、プレー中にも電話したが、でない。昨日、電話があって、遅れないように、っと、言われていた。そして、大概、当日の朝、私より先に到着して、私が向かている最中に、どこにいる?と、私が向かっていることを確認したい電話をかけてくる人だ。それが、ドタキャンの上、連絡なし、誰だって、何かの突発事故かと心配する。
その方の会社の従業員だった、その方の近所に住む人に電話した。その人は、外出中だったが、奥さんが、その方の自宅へいって、確かめてくれた。家で、元気だよと、言っていたという。それならいいが、なぜ、私に連絡しないのか、疑問に思う。

コンペの方、このゴルフ場、30年くらい前には、プロトーナメントの開幕戦が行われていた名門コースと、記憶がある。このコースの存在はテレビ中継でも知っていた。ところが、それは、昔の事、っていうのでしょうか。状態は、最悪、フェアウェーの状態が、どうしようもない。
IMG_0539-.JPG
シニアー何とかいう、コンペ、第一回だという。費用の高さにびっくり、コースの状態の悪さにびっくり、そして、ロッカーと風呂場の状態にびっくり、初対面の人にばかりだが、尋ねることが多かった。ここで、プレーする次の機会はないなと思った。

表彰式でびっくりしたこと、94歳の人、グロス80、エージシュートなんてもんじゃない。200回以上、エージシュートをやっているという。
IMG_0539^.JPG
風が強かったが、景色のいい場所が多かった。
IMG_0539.JPG
だらだらと長時間の表彰式、家に戻ったのが16時過ぎ、孫たちが百人一首をやろうというので付き合った。私が読み人。彼女たち、なんと、三分の一くらいは、上の句を読み始めると、パシッと手を出していた。作者の名前でも、20枚ほどは、下の句まで、ピンときているようだった。彼女たち、もう、そんな年齢になったのかと思う。   
最悪 キャンセル 高い!
posted by 元気な振りの爺さん at 23:18| Comment(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

(^_-)-☆助かった

 3047 乾燥機、朝のうちに直る見通しが立たなかったから、ナンブから借りることにした。使っていない乾燥機でメーカーが同じものがあったというか、私が買ったのだから有ることを知っていて、直ぐに借りに行くからと、責任者に、頼み、担当らしい日本人にも電話して、許可を得て、借りに行った。11時ころには、こちらで、使い始めた。当たりまえだが、温度は上がる。約、一週間、借りることにした。15時過ぎに生産開始できた。やれやれ、ナンブの皆さん、協力的で、助かった。もっとも、押出の皆さん、私の身内のようなもの、日本人も一緒にゴルフをするし。
IMG_9071.JPG
このタイプの乾燥機、初歩的なもので、パン焼き機のようなもの、ボックスタイプというかキャビネットというか、皿が何枚か入っていて、それに何kgか入れて、乾燥するという、単純なもので、同じ原料をずっと流すような生産品の時に使う、射出のホッパードライヤーのようなものとは違う。私たちが扱う製品は、少量の原料をとっかえひっかえ使うので、こういう、定置式乾燥機が向いている。私が指導した会社にはあるが、こういう乾燥機を持っている会社は少ない。

結局、夕方には、こちらの乾燥機、治ってしまった。温度コンロローラーの接触不良だった。今週、二台使えるから、乾燥温度が違うABSも並行して流せる。
IMG_9068.JPG
花輪(karangan bungaカランガン ブンガ)の過熱状態がここにもあった。異常だ。チバトゥ インター近くのオレンジカントゥリーの何が開店したのでしょうかわからない。花輪の洪水だ。この写真の数倍はある。何百と並べられているように見える。スラマット サクセスと、決まり文句が全てに書かれている。関係者、例えば工事関係者や商品の取引先に、受けつけない、辞退の知らせを、通達しておくべきだと思う。花輪をよこすなら、金一封をと。
IMG_9070.JPG
私の家や会社がある。チタリクという地名の地帯の一部です。田んぼの向こうに、サッカースタジアムが見える。今、借りた乾燥機をトラックに載せて会社に戻る途中。
借用 身内 ホッ
posted by 元気な振りの爺さん at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月01日

(^_-)-☆遊園地へ

 3025 「クブン ブアー ムカール サリ」ファミリー ギャザリング、イジップの横の道を15km?くらい南下、方向はボゴール。ずっと以前に、試しにこの道を使ってボゴールへ行ったことがあった。途中で西の方向を変えて、チャワンからの高速道路で、ボゴールへ行った。その頃は、どこも同じだが、かなりの狭さと凸凹で、二度とこの道は使わないと思った。
一般的にこの道路は、ルマーアバンーチバルサと表示されている。チカランバラットから高速道路を降りれば、まず、この道に出る。右(南)がリッポチカラン、左(北)がジャバベカを通って、コタ チカランに至る。そのリッポチカランを通り過ぎて南へ行くのです。

バスの一番後ろの席に座って、社内全体を見渡し、通過の外の様子もなんとなく観察、飛びぬけて、年齢が離れている、一番近い人が41歳。私の子供の年齢だから、何も話はしないで、眠ったふりをしているうちに到着した。すでに、駐車場は一杯、ものすごい人で、ごった返していた。クレタというバスに乗って、湖の畔まで行き、そこで、自由時間、1,5時間、何もすることがない。ただ、うろうろ歩き回っただけ、ほかの人たちは、自転車を借りて、うろうろしていたようだった。途中、ドリアンアイスの看板があったので、久しぶりに食べてみた。90円くらい、得も言えぬ美味しさ、分からないだろうな、ほかの日本人には、と、思いながら、幸せを感じる。
IMG_8322^.JPG
IMG_8321-.JPG
12時から、集合場所で食事、アヤムゴレン主体の、ケイタリングベントウ、辛くて食べられない、近くのワルンから、ミーアアヤムを届けてもらい、私だけのスペシャルメニューとした。
IMG_8322-.JPG
ヲーターキングダムという場所に移動、浅い、流れる、プールが二つあり、回転滑り台(ヲータースライダー?)もそれぞれにあって、ここも、ごった返していた。明らかにションベンプールだ、水泳パンツを持って行ったが、近づく気にもなれない。それでも、メンバーの子供連れは、皆さん、楽しんだようだった。やはり、2時間近く、木陰で寝たふりをしていた。いろいろ、考える。
IMG_8322.JPG
帰りは、女性従業員の旦那が、自分が運転して参加していた。バスは遅くなるだろうからと、その車で、先に出発、会社まで送ってもらった。それでも、帰りは、大渋滞、行きは1時間半だったが、帰りは2時間半かかって、18時半に、着いた。バスは3時間以上掛かって、20時近くに戻ってきた。20時半、皆さんが帰宅するのを見送った。
参加を見合わせようと思ったが、とにかく、参加してよかったと思えた。

楽しんだようで、何よりでした。30人足らずのローカル企業で50人ほどのファミリー ギャザリング、できたことが何よりでした。P.BEDも今日、バンドゥンのトランステレビスタジオにバス17台で行くと言っていた。規模が全然違う、成功したのでしょうか、帰り時間の予定は21時過ぎと聞いている。
皆さん、無事に帰宅したと思う。明日はメーデーで休日だが、アーバータイムとして、明日の朝から、稼働させてもらう。

土曜日に電気容量を増やす工事をするという約束を前日にしたが、係の人は来たらしい、しかし、容量を増やさなかったと、今朝、報告を受けた。ヤッパリダメかと思っていたが、先ほど会社に戻った時に、配線などを確認したら、容量が増やされていることが分かった。今日、PLNが来て、工事をしたと、セキュリティーが行っていた。明日から、5ラインの稼働と、粉砕機も使うことができる。
良かった 安堵 容量増
posted by 元気な振りの爺さん at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月12日

(^_-)-☆停電なし

 2975 停電がないこと、電圧の低下がないことを願った。祈った。祈りが通じたのか、停電が今のところないし、電圧低下で、モーターが止まってしまうこともない。継続生産をしている。
IMG_6360.JPG
曜日を間違えてこうどうしてしまっていたが、早朝、ゴルフを一緒にするために、日本からのお客さんを迎えにジャバベカ2のホテルへ迎えに行った。ちょっと早くついてしまって、丁度、そのお客さんが食事中だった。朝食券が二人分有るというので、私も朝食を戴くことにした。バイキング形式だった。卵を焼くか、と聞かれたので、目玉焼き二個(マタサピ ドゥア)と頼んだ。マタン?(しっかり焼く)と聞かれたので、その通るだと、答えた。一般的な話、インドネシアに卵は、日本の卵より大きい。そして。肝心の中身は白身はほとんど水、割ると時に注しなければなならい。ドンブリの縁で割った瞬間、どんなに素早く閉じ返しても、白味がドンブリの外に流れ出てしまう。テーブルの上でそれをやれば、テーブルを汚してしまう。インドネシアの人たちは。割る時は容器の上でもって、スプーンなどで卵を割る、白味は容器の中に流れ落ちる、テーブルなど容器の外を汚すことはない。
気味はどうか、盛り上がることはない、ベタ〜〜と低く広がる、そして、割れてしまっている場合も多い。こんなだから、新鮮のシの字もない。とにかく、生卵のまま、食べるのは危険だということは直ぐわかる。そして、目玉焼きも無理というか、半熟も無理、スクランブルなら、問題ない。それでも頼んでみた。案の定、目玉状態になっていなかった。目玉が壊れてしまっていた。

このホテル、日本人客で一杯だそうで、土曜日の早朝なのに、レストランには日本人だけがうじゃうじゃいた。
IMG_6395.JPG
睡眠不足でも、仕事が一段落で、キャンセルすることなく、お客さんと楽しむ?ことができた。旨く行かなかった仕事の客先の日本人も一緒にプレーした。とにかく、生産は続行していることを確認していた。15時前に日本からのお客さんを見送って、会社に入った。他の製品と共に、製造は継続していて、安心をする。定尺化カットやバリ取りも並行していた。20時ころまで会社にいて、製品を確認していた。

ハイアール イジップとパナソニック ボゴールからの注文は、1,5倍になっていた。よく売れているらしい。インドネシアもいよいよ、冷蔵庫を各家庭で置くようになったというこちらしい。
不安 客 卵
posted by 元気な振りの爺さん at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月04日

(^_-)-☆買い物は平日

 2967 食材の買い物は、一週間に一回、金曜か月曜に決めている。コンビニでの買い物も、急ぎでなければ、平日にしている。土日祭日はレジが混む、何処のスーパーでも、最低10分、長ければ20分は並んで待たなければならない。それに我慢をしたくないからだ。
そもそも、日本人は行列に慣れているという。じっと、待っている姿が日本人の行動として、外国に紹介されている。インドネシア人は、毎年、スンバコの配布の時には、大混乱になるニュースが繰り返される。地震災害の時には、店への乱入は当たり前だ。
ということだが、日本のレジに繋がる人数はせいぜい、3人程度、それ以上、或いは、以下でもちょっと並ぶようなら、店員が飛んできて閉じているレジを開ける、それに慣れているということは、スーパーでもホームセンターでも、日本人も長い行列は絶えられないからだと思う。サービスとして、待ち時間を少なくするというのは、当たり前と考える。

私は、買い物をして、レジで待たされるのは苦手。インドネシアのスーパーは、平日はどこもガラガラ、だから、レジで待たされることはほとんどない。むしろ、近づくと、こちらへ、と、招かれる。
休日はどうか、それほど混んでいないが、平日よりはちょっと多い程度。ところが、レジを見ると、平日より多く、いくつか開いていても行列ができている。何故でしょうか。要するに、一人に掛かる時間が長い。何故でしょうか、
一人当たりの買い物の量が多い。
バーコードの読み取りが時々できないので、数字を打ち込むときがある。
軽量してバーコードを付けてもらう商品だが、それをしないで、持ってきてしまっているから、店の人が売り場まで持って行って測っても持ってきてもらうのを待つ。
バーコードがある商品でも、それが、取れてしまっているものもある。
その場で、買うものを忘れたことに気が付いて、売り場に探しに行く。
レジの人が金額をチェックしながら、商品の種類別に、プラスチックの袋に入れている。
支払いが手間取っている。カードが使えない、その場に、種類によってそのカードをチェックする装置がない。

コンビニでは、店員がうろうろしているのに、レジを一か所しか使わない。
プルサ(HPの前払い)をレジで売っているが、それの登録に時間がかかる。
こんなことが重なって、一人平均、五分以上掛かっているような気がする。待たされるのはばかばかしいと思う。

今日は、外に出たので途中、コンビニで買い物をしようと寄って、かごに入れてレジに並んだ、一か所しか使っていない。四人目だった。最初の人はプルサで手間取ったし、途中で追加商品を取りに奥へ行って戻ってきた。これが5分くらい。二番目は、子供二人連れだった。子供が、あれをほしい、これをほしいとねだっている。幾つか取りに行って戻ってきた。やはり、何かの料金を払っている。コンビニで幾つかの公共料金を払うことができる。やはり、いつまでかかるか分からない。私は、かごに入れた商品を戻して、買うのを止めて出てきてしまった。どうしても、ここでなければならないということはないし、どうしても必要という品物ではなかった。

大分出来上がってきましたね。チカランバラットとチバトゥのジャラントールゲート横の複合ビルですね。
IMG_6262.JPG
ハギノ機工のナイフカッター付の引取機、約30年前のモデルです。45年くらい前に、私の提案で作ってもらったモデルです。インドネシアで今でも、私が持ち込んだものが、TPRとNANBUとENDOTAで合計7台か活躍をしている。これをモデルにして、インドネシアでそっくりさんを作り、それは、6台稼働している。
買い物 行列 習慣
posted by 元気な振りの爺さん at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月25日

(^_-)-☆クリスマスイブ

 2897 クリスマスイブに間に合った。今晩、枕元に行くための物を買いに行ってきた。何にしたらいいか分からない。何か、小型のラップトップか、2in1か、ブックオフへ行って、店員に聞いてみた。今は、使いこなせるとは思わないが、自分が扱かってみたくなった時に、そばに有ってすぐ取り出せるような状態にしておいてやろうと思う。ワードやエクセルくらいは、子供の時から慣れた方が良いと思うから。爺バカだね。小型のラップトップにした。プラス、アニメでサザエさんと東京物語ということにした。家に着く前に100円ショップに寄って、それらをどこで買ったか分からないように入れ替えるための、クリスマスプレゼントらしい袋を買った。そういう袋やクリスマスプレゼント関連の品物の特設コーナーがあって、若い人たちが、物色していた。
IMG_4463.JPG
IMG_4469.JPG
その後、KFCのフライドチキン(アヤム ゴレン)を買いたいというので、エキパに駐車して、私は初めてだったが、葵タワー?の静岡市美術館でスタジオジブリ レイアウト展、パルコ、そして、ジュエノバまで行って、彼女たちのリクエストに応えた。恋人がサンタクロースではなく、“今年は、おじいちゃんがサンタクロースだね”と言っていた。RADWIMPSの“前前前世“が入っているCDアルバムまで、買ってやった。本日の投資額、約6万円。ちなみに、ラップトップは1万6千円×2=3万2千円でした。
孫たちが、これを読まないことを願うが、もうそろそろ、サンタクロースが家に来るわけがないということを知ってもいい頃だと思う。

娘が買ってきたクリスマスケーキやフライドチキンなどで、簡単なパーティー。山下達郎のクリスマスイブや恋ダンスやPPAPでもりあがった。彼女たち、正体を掴んでやると言って、なかなか、寝床に行かなかったが、11時過ぎには、行ってしまった。どうだろうか、その後、1時過ぎに、置きに行った。多分、ばれなかったと思う。分刻みのスリリングな忙しい一日でした。
イブ プレゼン ショッピン
posted by 元気な振りの爺さん at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月24日

(^_-)-☆静岡に戻り

 2896 孫から、今日どうしても帰ってこいコールに従った。11時17分、富山から新幹線、黒部宇奈月 糸魚川、昨日の大火は駅の南、車内から確認した。
IMG_4434-.JPG
21日の特急券を買ってあって、23日に変更、これは、手数料掛からず。そして、富山駅で、自由席にある”はくたか”各駅停車に乗るつもりだったが、本数が少なく、1時間半待ちになってしまった。”かがやき“は、その間、三本あったが、全指定席、そこで、指定席券買おうと緑の窓口へ行ったら、この券は、一度、変更しているので、指定席特急券に変えなければならないが、二回目の変更になるので、手数料がかかると言われた。いくらかかるのか聞く前に、それなら、このままでいいと言ってしまった。なんとなく、不満に思った。特急券はそのままで指定席券を買うだけだから、変更でなく、買い足すだけでしょう、と、思ったからだ。それに、その前に、特急券の日の変更が一回しかできないというのにも、気に入らなかった。

金沢から敦賀?まで、北陸新幹線の延長予算が承認されたようで、県知事が喜んでいた。千三百何十億円?そですか、良かったですね。ジャカルタ、スラバヤは当初2000億円、次に4000億円、今は、8000億円になっているようだ。これなら、新幹線並みの高速鉄道が出来そうだ。ジャカルタ、バンドゥンの高速鉄道が、全く、無意味に、無駄使いになってしまう。日本は負けて良かった。ずっと以前にも書いたが、日本に策士政治家がいて、日本が裏切られたようにし、わざと、中国にやらせるようにしたのなら、凄い、素晴らしいと思う。

これは、今日のニュースから、
http://ekbis.sindonews.com/read/1165362/34/proyek-kereta-cepat-jakarta-surabaya-sedot-dana-rp80-triliun-1482494856
Proyek Kereta Cepat Jakarta-Surabaya Sedot Dana Rp80 Triliun ジャカルタ スラバヤ高速鉄道プロジェクトrp 80 兆(7500億円)投資
"Angka yang dikeluarkan pemerintah Jepang sekitar Rp102 triliun, kami melihat angka itu bisa kurang dari Rp80 triliun," katanya dalam konferensi pers di kantornya, Jakarta, Jumat (23/12/2016).
"日本政府見積もり Rp102 (9000億円)についての数字が rp 80 未満にすることができると思う、"彼は、オフィスで、ジャカルタ、金曜日の記者会見で言いました (2016/12/23)。

13:40東京着、ぴったりタイミング、14;03発ひかりで静岡、15;30には、家に着いた。富山を発って、4時間半だった。早っ!!!

ワイマックスWIMAXを持っていたが、活動していた高岡、射水では、圏外だった。ホテルや会社内でしかWiFiを使えなかった。何故だろうか、電話して、確認しようとしたが、身分証明が必要だと言われ、誕生日など聞かれた個人情報を伝えたが、確認できないと言われて、原因を明らかにしてもらえなかった。今日、富山で使ってみたら、使えた。トンネル内以外、東京まで、ずっとアクセスできた。勿論、自宅でも今まで通り使えた。何故でしょうか、圏外だったのは。
IMG_4399.JPG
IMG_4402.JPG
路面電車、高岡と富山市にあった。今時、珍しい?
戻り 糸魚川 路面電車
posted by 元気な振りの爺さん at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月23日

(^_-)-☆暖か強風南風

 2895 朝、迎えが来て、外に出たとたん、生暖かい風が、吹き荒れていた。昨日、こんなだった、ゴルフどころじゃなかったね、などと、話をしていた。子供のころ、裏日本(今は、こういう言い方はしない?)のフェーン現象について、聞いたことがあった。これがそれかなと思った。
夜、夕食に連れて行ってもらう時の車の中、糸魚川の火事の状況を知った。ラーメン屋から、海の方向に飛び火し、多分、海までの家を焼き尽くしたのではないか、風上(地域の北側)と両脇からの消火活動しかできなかったのでしょう。21時前のニュースで、延焼はこれ以上ないでしょう、と言っていた。ということは、北側は海まですべて焼き尽くして、もう、延焼する建物が無くなったということか、と、思った。糸魚川大火と言われるでしょうね。夕方、5時ごろには、射水市、雨が降り出した。糸魚川も多分、9時前には、雨になったと思う。明日は、新幹線で糸魚川を通る。

もう一つ、火事のニュース、平塚の火事、新幹線が上下とも一時運転見合わせだとか、今日、帰らなくてよかった。夜中に、大宮の火事?

まいった。PCカバーができない。インドネシアで金型を作り、製品サンプルも作り、日本で、手本を見せようと、北陸までやってきたのに、製品が出来なかった。滞在日の延長をして、今日、一日中、取り組んだが、ついに、出来なかった。結局、あれがない、これが、不具合と言い訳のようなことをして、終わるしかなかった。残念、いったい何をしに来たのだろうかと思う。押出ラインの装置を確認してから来ればよかった。これらのことは、専務と話をしたが、社員の誰かをインドネシアに送ってもらって、エンドオオタで実習をしてもらったらどうかと。
IMG_4395.JPG
IMG_4396.JPG
最終日の夕食ということで、高岡駅近くの居酒屋風海鮮料理屋だった。ブリのエラ周辺の煮物が美味しかったが、その他の魚や寿司もうまかった。何か、今回、インドネシアから、富山地方のレストラン巡り、という感じ、毎回、食べきれないほどだった。毎日食べ過ぎていた。

そして、日本に来ていたルフトさん。日本にジャカルタ、スラバヤ間のkerata semicepat 中高速鉄道の建設依頼をしたようですね。8000億円?高速鉄道、バンドゥンまで、より、早く運行されれば、インドネシア人と日本の信頼関係は、より、堅固なものになるでしょう。
大火 フェーン現象 PCカバー
posted by 元気な振りの爺さん at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする